陽もかなり落ちかけた頃。
紅はストラウル跡地に駆けつけていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……ごほっ、ごほ…」
情報屋を飛び出してから今まで、休む間もなく走り回っていたため、かなり体に負担がかかっている。
もともと体が弱い紅にはこの負担は大きく、少しでも躓いたらそのまま倒れてしまいそうだった。
「(でも…立ち止まってはいられない…)」
大きく息を吸っては咳き込む、といったことを数回繰り返したあと、重い足取りで歩き出した。
跡地の中を歩いていると、大きな壁に突き当たった。
古ぼけていながらもいまだ強度を失ってはいないそれには、乾ききった赤黒い染みがべったりと残っている。
おそらく、件の連続殺人の被害者の一人が、ここでやられたのだろう。
「ひどい…。まだ血の臭いがしてきそう…」
思わず口と鼻を覆うと、顔を背ける。
「……でも、ここに来るまであちこちに血痕があった…。…確信はないけど、もしかしたら…」
“探し人”は、この付近によく来るのかもしれない。
そう考えた紅は、もう少し手がかりがないか探してみようと、踵を返した。
そして、すぐにその足を止めた。
「…………」
紅は、突如現れた人物―
カチナを見て、硬直した。
虚ろに見開かれた瞳、襤褸切れにしか見えない衣服。
がり、と足を引き摺りつつ、こちらへ歩みを進めてくる。
「…………あ…」
紅は、動けなかった。
恐怖があったのかもしれない、思考が追いつかず、動けなかったのかもしれない。
しかし、それよりも別のものが紅を支配していた。
紅がずっと探していた人物。
幼い頃からずっと大事にしていた写真の子。
目の前の人物は見る影もない有様だが、それでも、紅は長年培った直感で気づいた。
彼こそが、自分がずっと追っていた人物だと。
「……そう、すけ…?」
震える唇から、“探し人”の名を絞り出す。
ぴた、と、カチナの歩みが止まった。
「…………」
そのまま、俯いていた顔をゆっくりと上げて、紅を見る。
「…!!」
その視線に、紅は言葉を詰まらせた。
「………。蒼介…本当に…」
カチナに向かって、もう一度呼びかける。
カチナは、ただ目の前にいる相手を見ていた。
言葉は、聞こえた。遠い昔、聞いたことのある音だった。
だが、何故聞いたことがあるのかも、紅の言葉の“意味”を理解できる思考力も、精神が磨り減った今のカチナには残されていなかった。
判断は、できない。
カチナの視界に映るのは、赤。
滅すべき、標的の、赤。
「………す」
「え?」
「こ、ろ、す」
「!!」
勢いよく振り上げられた鉈が、紅を襲う。
「くっ…!」
咄嗟に体を捻って避けたが、直撃を食らった壁は一瞬で崩れた。
それすらお構い無しに、カチナは次の攻撃準備に移る。
「蒼介、お願い、話を…!っ、ごほ、ごほっ、げほ…」
鉈が地面にめり込んで起きた砂煙で発作を起こし、紅は膝をついて崩れ落ちる。
それでも、カチナが歩みを止める様子はない。
ただ、目の前の相手を抹殺するため、歩みを進める。
「ごほっ…ごほ…」
「こ、ろす。ころす、ころ、す、こ、ろ…」
「させるか…!」
カチナが鉈を振り上げた瞬間、突如背後から首が掴まれ、そのまま後方に放り投げられた。
「!」
いきなりのことに反応できなかったカチナは、そのまま放物線を描いて舞い上がり、少し離れた地面に叩きつけられる。
カチナを投げ飛ばした人物―ハヅルは、その隙に紅を助け起こした。
「…紅、無事か…」
「虎く……ごほ、っ」
「…一人で出歩くなと、いつも言われているだろう…」
「……そうね、ごめんなさい…」
「……。紅…アイツは、“そう”なのか?」
起き上がったカチナを見て、ハヅルがそう問いかける。
紅は何も答えないが、それが肯定の意思表示だと、ハヅルは気づいた。
「………そうか」
ハヅルは立ち上がると、紅から少し距離をあけるようにカチナに近づく。
「こ、ろ、す…ころす、ころす、ころすころすころすころすころす…」
壊れた機械のように繰り返しながら、カチナが一気にハヅルとの距離を詰める。
そして、獣のように跳躍し、頭上から一気に頭をハヅルの頭をかち割る――
「………!?」
――ことはできなかった。
鉈の刃の部分が、ハヅルに触れた部分が、真っ赤に溶けて、流れ落ちたからだ。
「……躊躇いが、ないな…」
困った風にこぼすハヅルは、頭を庇うために掲げられた腕が真っ赤に発光している。ひどい熱量で、近づいただけでも焼けてしまいそうになるのが分かる。
その腕から、溶けた刃がぼたぼたと地面に落ちる。腕にこびりついたものも、まるで泥を落とすかのようにもう片方の手で拭い落とした。
「……もう、お前の武器はない。…諦めて、俺たちと来てくれないか…」
「………カチナ、は、カチナ。めいれい、きく。カチナ、ころす、ころす、ころ、す…」
「…やはり、話し合いは無駄か。分かっていたが…」
唸り声を上げて突進してくるカチナを、身を捻って避ける。
そして、振り上げられた残っていた鉈の柄を掴むと、先程とは比べ物にならないほど全力で投げ飛ばした。
「………!!」
遠心力と摩擦力の減少でカチナの手は鉈からすっぽ抜け、勢いよく吹き飛び、瓦礫の山へ突っ込んだ。
その衝撃で瓦礫が崩れ落ちる。
「虎くん…!」
「…大丈夫だ。アイツは、あの程度で行動不能には陥らない…」
それより、と紅に向き直ると、手を差し伸べる。
「…今日は、もう帰ろう。このままじゃ、紅の方が先に倒れる…」
「でも、虎くん…あの子が……あの子は…!」
「…分かっている。だからこそ、だ。紅がいなければ、彼を助けることは出来ない…」
「………。そうね、ごめんなさい」
「気にするな。……立てるか」
「ええ、大丈夫…」
差し出された手を掴んで立ち上がる。
その瞬間。紅は見てしまった。
崩れる瓦礫の山。
そこからカチナが這い出て、音もなく飛びかかるのを。
牙と爪を振りかざして、ハヅルに飛びかかるのを。
「虎くん!!!」
「!!?」
“彼”との戦い
(紫色の空に)
(鮮血の赤が散った)
最終更新:2013年03月03日 21:06