「……行ってしまった」
小さくなるスザクの後姿を、ハヅルは呆然と見つめていた。
「…どういう、ことなんだ」
呆然としながらも、ハヅルは今目の前で起きたことについて考えていた。
目の前で、スザクが、飛んだ。オーラを翼にして、だ。
情報屋という仕事柄、能力者のこともよく調べるが、それでも飛翔能力は滅多に御目にかかれない。彼女の例はハヅルも初めて見るタイプのものだった。
調査をするべきかとしばし考えを巡らせていたが、
「ごほ、ごほっ…」
「!紅…」
紅の咳き込む声で我に返った。
慌てて駆け寄ると、そっと背中を撫でる。
「…大丈夫か」
「平気よ…さっきより、だいぶ楽。……それより…」
ふらつきながらもしっかりとした足取りで、
カチナの元へ向かう。
カチナは、叩きつけられた時と同じ格好で、地面に倒れ伏していた。
虚ろな目は閉じかけており、唇が微かに動いて言葉にならない言葉を紡ぐ。
もはや指一本動かす力さえ残っていないのだろう、ぴくりとも動くことはない。
スザクによって切り裂かれた傷口からは血がとめどなく流れ、死の足音がすぐそこまで迫ってきていることは、火を見るよりも明らかだった。
「…蒼介…」
傍らに膝をつくと、そっとカチナの手を取って呼びかける。
もはやその呼びかけさえも聞こえないのか、聞こえているが反応を返すことが出来ないのか、カチナは動かぬままだった。
(…ごめんなさい、スザクさん)
心の中で、紅はスザクに謝罪した。
スザクや、前に一度だけ見た彼女の顔立ちのよく似た少女たち――おそらく彼女の家族なのだろう――にとって、カチナは自分や大切なものを死の淵まで追い込んだ、倒すべき憎き相手であるに違いない。
しかし、それと同時に、紅にとっては長年探し続けてきた大切な存在でもあるのだ。
「蒼介は…この子は、死なせない……絶対に死なせるものですか…!」
衣服が血で汚れるのも構わず、紅はカチナの体を抱きしめる。
そして、能力を全力で発動させた。
紅から溢れる淡い光が、収束してはカチナの中へ吸い込まれていく。
「紅!!」
その様子を見ていたハヅルが、大声で紅を止めようとする。
紅の能力は「生命の結晶」。自らの命を結晶化して他人に分け与え、傷や病を癒す力だ。
その分使用者の負担は非常に大きく、今のように一度に大量の命を分け与えてしまえば、使用者自身の回復が追いつかず、命の危機に陥ってしまいかねない。
しかし、紅は能力の発動を止めようとはしなかった。
「…ごめんなさい、虎くん。けど、やめたくないの。一度決めたから、最後までやり抜きたい……今、中途半端に終わらせてしまったら…私、きっと後悔する。死んでしまいたくなるほど悔やむと思うから…」
「紅……。だが、一度にそんなに大量の命を与えては、お前が…」
「…大丈夫。自分がどこまで無茶できるかは…自分がよく知っているわ」
話の最中も、紅は能力の発動を続けている。
先程までのカチナの流血は既に止まり、傷口も塞がっている。
おそらく、失った生命力さえも回復させているのだろう。真っ白だった顔色に、血色が戻ってきた。
「…………」
――――カチナは、不思議な暖かさを感じていた。
初めて感じるような、以前に感じたことがあるような感覚。何かに包まれているような、不思議な感覚。
その感覚が、カチナの内側から囁きかける。
『あなたはもう、殺さなくていいの。苦しまなくていいのよ。だから安心してお眠り』
カチナには、言葉の意味は分からない。
だが、声が聞こえるたび、自分の中から何かが溶けて消えていくのを感じた。
重かったものが、溶けて消えて、軽くなるような感覚。
それが、とても、あたたかく、心地よい。
「………ま、ま……」
呟きは、声にならずに、空に消えた。
「……はぁ、はぁ……はぁ……」
長いようで短い時間が経ち、ようやく紅は能力の発動を止めた。
カチナの胸の傷はほとんど塞がり、傷痕を残すのみとなった。
眠っているようで目は閉じているが、小さな呼吸が聞こえる。心音も弱くはあるが響いており、死ぬことはないだろう。
その様子を見て、紅は安堵したように息を吐く。
「……よかった……」
「…紅、どうするんだ?」
ハヅルが聞いているのは、言うまでもなくカチナの処遇である。
「……連れて帰りましょう」
「…大丈夫なのか」
「大丈夫。…勘だけど、多分もう、さっきみたいに攻撃はしてこないわ」
「……そうか」
「…えぇ。だから、早く……ごほ、ごほっ!」
突然、表情を歪めると、激しく咳き込んだ。
いつもよりも重いらしく、苦しそうに体を丸める。
「紅…!」
「ごほ、だいじょ、うぶ……ごほっ!……ちょっと、無理をしすぎたのかもね…」
力なく笑う紅の顔色は、夕暮れに紛れて分かりづらいがだいぶ悪い。
少量ではあるが吐血したのか、真新しい血も地面に落ちていた。
「……だから言っただろう。…彼を連れ帰ったら、今度は紅が病院に行く番だ」
「………はい」
申し訳なさそうな紅を背負い、カチナを抱えると、ハヅルは跡地を後にした。
戦力外兵器からの解放
(その後、しばらくの間)
(情報屋の扉には「Closed」の看板と)
(「オーナー入院中のため臨時休業中」の張り紙がなされていた)
最終更新:2013年03月03日 21:10