『早く逃げないと…!』
『どけぇ! 俺が先に行くんだ!!』
『いやあああああッ!!!!』
怒号と悲鳴の合唱が響く。
その中で、一人の少女が群集の間を縫うように、駆け抜けていった。
「………」
息切れする様子も見せず、少女は走る。
人々の向かう先とは、全く違う方向へ。
全ての始まりは、十分前。
「はー……」
ある『街』に住む平凡な少女は、椅子にもたれて伸びをした。
机に置かれているノートの表紙には、「2-C
クロエ」と書かれている。
少女、クロエは机に突っ伏し、足をぶらぶらし始めた。
「宿題終わっちゃった。……ご飯はまだかあ」
退屈に呟くクロエ。
いつものように、母親代わりの女性が来て、一緒にご飯を食べて、雑誌を読んで、ゲームをして――。
それが彼女の一日。
しかし、次の瞬間、それは呆気なく砕け散った。
ヴーーーヴーーー!
「!?」
《避難警報発令 避難警報発令 巨大な津波が来ます すぐに高台へ避難して下さい 避難警報発令 避難警報発令――》
「……え? つな……み…?」
けたたましく鳴るサイレンとアナウンス。
クロエは疑わざるを得ず、何度もそれに耳をすました。
だが、悪夢みたいな現実は変わらない。
直に津波が来て、街を呑み込む。
クロエは腰が抜け、震えることしか出来ない。
「……避難しなきゃ、しなきゃ、しなきゃ……」
自分を奮い立たせる為に、ぶつぶつと目的を言う。
と、軽快な電子音が鳴る。
携帯の着信音だ。
「けっ、携帯、携帯……」
部屋中を探す…と、あった。
ベッドで見つけたそれを開くと、画面には見知った名前と番号が。
あの女性だ。
「……もっ、もしもし」
『クロエ! 今どこ!?』
「い…家……怖い、助けて、死にたくないよ……」
『落ち着いて! ……高台の場所は知ってるわよね?』
「知ってる……」
泣きじゃくりながら答えた。
『そことは逆方向に、安全な場所があるの。そこに行くのよ』
「逆…?」
『信じて。生き残るには、これしかないの』
「………」
『………私、今そこにいるの』
「!」
『時間がない…早く来なさい。大丈夫、また会えるわ』
「……分かった。じゃあ」
パーカーを羽織り、女性からもらった大事な帽子を被る。
バクバクと騒ぐ心臓を落ち着かせようと、二回深呼吸した。
「……よし」
意を決し、ドアを開けた。
「くっ……」
かれこれ、家を出てからずっと走り続けている。
どういう訳か、昔から15分くらい、バテることなく走れるのだが……。
「まさか、こんな時に役立つとはね」
複雑な気分だった。
と、また着信音が鳴る。
「もしもし?」
『クロエ、どのくらい走った?』
「えっと…12分?」
『そう。その先のことなんだけど、今から私が言うことをよく聞いて。……その先は、あなたの力を使わないといけない』
「力、って……大きさ変える?」
『いいえ、別の力よ』
「別の、って……無いよ、そんなのっ」
悲鳴に似た声で言うクロエ。
相手の女性は、焦りながらも、落ち着きをはらって告げる。
『大丈夫よ。自分を信じれば……生き残りたいと願えば、きっと使えるようになるわ』
「本当に? ……もう、急に津波がなんて…訳分かんないよぉ……」
『お願い、とにかくこうするしかないの。あなたには生きて欲しいの……クロエ』
「……それしか、無いんだよね?」
『……ええ』
「…………なら、やる。絶対生き残る」
携帯をポケットに仕舞い、前を向いた。
再び、走り出す。
この先を目指して。
術は、それ以外に無い。
「…?」
走り続けると、入り組んだ区域に出た。
「見たことない場所……」
――その先は、あなたの力を使わないといけない。
「このことかな…? でも、どうすれば……」
考えても答えは出ない。
仕方なく、また走り出した。
ところが、今度は単純に駆け抜ければ良いものではなかった。
「なにこれ……ちっとも出る場所が見つからない!」
クロエは、顔から血の気が引くのを感じた。
膝が崩れ落ち、顔が俯く。涙が出てくる。
もう駄目だ――そう思い始めた時。
――生き残りたいと願えば、きっと使えるようになるわ。
「……生き残りたい。私は、生き残りたい! 死にたくない!!」
ひたすら強く願う。
いつも、自分の面倒を見てくれた女性を思い浮かべて。
女性に会いたいと願って。
と、顔を上げたその時だった。
視界に入った一部の壁などが、薄く見えていた。
クロエは驚いたものの、これが女性の言っていた別の力と気付く。
その幻のように見える壁に近付き、振れてみると。
「! 消えた…!」
本当に幻だったのか。
しかし、驚愕している暇はない。
一刻も早く、女性がいるこの先に行かねば。
クロエは、まやかしで塞がれていた道を駆けて行った。
一歩一歩、進むたびに、景色が開けていく。
もうすぐ、もうすぐだ。
そう確信して、そこへ飛び出した。
「はあっ、はあっ……」
先にあったのは、見知らぬ高い丘。
と、クロエはある事に気付く。
「……いない」
女性が見当たらない。
周りを見渡すも、優しい笑みを向ける姿は見つからなかった。
その代わり、あるものを発見した。
白衣を着た、集団。
クロエに気付いたその人間達は手を叩き、彼女に歩み寄った。
「素晴らしい。覚醒実験は成功」
「危機的状況と、強い願いから成る能力発現……一人だけだったが、これだけでも良い成果だ」
「”コレ”を作った甲斐があったというもの」
「だ……誰? どういう事? あの人はどこ?」
「まあ落ち着け……『街』を見てみるがいい」
「え――」
振り返って見下ろした、自分の住む『街』は。
「何…これ…」
まるでそれは。
「嘘でしょ……」
そう。
――実験施設――。
「さて…実験は終わった。この箱庭はもう不必要だ」
と、何人かが『街』に向かって何かを放り投げる。
クロエは見た瞬間に、それが爆弾だと直感で分かった。
「ま、待って! やめて!!」
だが必死の制止も虚しく、街は大きな火と煙に包まれてしまった。
クロエはそれを、呆然と見つめた。
――今まで信じていたものは、全部嘘だったのか。
そう思いながら。
すると、ポケットからあの着信音が鳴った。
憑かれたように、クロエは電話に出る。
「…………もしもし」
返事はない。
と思いきや、向こうから聞き慣れた声が耳を刺した。
「ごめんね」
それを聞いた一瞬で、クロエの脳裏で何かが弾けた。
それは、微かな、一番大事な記憶。
まだ小さい自分に微笑む姿。
頭を撫でる手。
そして悲しげな声で言った、あの言葉。
――ごめんね。
クロエは、気付いた。
そして後悔した。
何故、今まで分からなかったんだ。
あの女性は、代わりなんかではない。
あの人は、あの人は紛れもない。
自分の本当の、母だったのだと。
最終更新:2013年08月11日 11:18