「姉、様……」
スザクに寄り添うようにして寝入ったアオイが、夢うつつに呟く。
時刻は8時を回り、すっかり日が暮れている。
「………」
ゲンブ、ランカ、マナ……スザクの「仲間」たる3人は、重苦しい表情で白波家の客間に座っていた。
ことにランカは消沈も良い所で、このまま再入院しそうな勢いで落ち込んでいた。
(ランカ………)
それを見つめるマナも、いつもの無表情の中に微かな揺らぎを見せている。彼女をよく知る者ならば、これがマナの困惑の表情だと気付いたはずだ。
そしてゲンブは、口を真一文字に引き結んだまま、20歳という年齢に見合わぬ老成した空気で腕を組み、胡坐をかいていた。言葉をどこかに忘れたかのように、ただ沈黙を守っている。
「……………」
張りつめた空気を破る言葉は誰にも出せず、壁にかけられた時計の秒針だけが、規則正しく時を刻んでいる。その微かな音が、やけに大きく聞こえる。
あとは時折ゲンブのつくため息や、ランカやマナの息遣い、アオイの寝言が、この場にある音の全てだった。
そしてその中に、スザクはいない。
「………私の、せいなのかな」
「!?」
突然静寂を破ったランカの呟きに、思わず二人が目を見張る。
それを見もせず、俯いたままランカは呟く。
「私が、いなかったら……綾ちゃん、あんなことにならなかったのかな」
「ランカ、何を……!?」
「だって、そうでしょ? 私がいなかったら、綾ちゃん、お父さんを探そうなんて思わなかったよ?」
顔を上げたランカの表情は―――乾いた笑いの貼りついた、痛々しいものだった。声が、だんだん大きくなる。
「私がいなかったら、私が寂しいなんて言わなかったら、綾ちゃんは自分のことだけ考えていられた! お父さんを探して無茶もしなかった、帰って来たからってショックも受けなかった! 私が、私のせいで、綾ちゃんが……!」
「ランカッ!!」
壊れたように告解するランカを止めたのは、マナの一喝だった。普段物静かな彼女のあまりの気迫に、ランカもゲンブも思わず気圧されてそちらを向く。
そこには、仮面のような無表情をかなぐり捨て、怒りを隠そうともしないマナの姿があった。
「自分がいなかったらスザクは倒れなかった? 寝言は寝てから言いなさい、ランカ」
口調も声音も、無機質ないつものものとは全く異なり、明確に感情を露わにしている。おもむろに立ち上がり、ランカの傍に立つ。決して大柄ではないマナだが、見上げる形になっていることを引いてもあまりに大きく見える。
「スザクが倒れたのは、他でもないスザク自身の責任。酷な言い方をすれば、自業自得とも言える」
「マナ! 言っていいことと悪い事があるぞ!」
「黙って、ゲンブ。今はあなたと話をしていない」
冷たい言い方に反発するゲンブを一睨みで黙らせ、マナはランカに視線を戻す。
「スザクの気持ちもわからなくはない。それまでの自分の存在意義を、ただの一度で失ったのだから」
だけど、と夜の少女は語る。
「それで全てを放棄して自分の中に逃げ込んだのは、スザク自身。理性が違っていても、心の底でそう思ったからこそ今の状態が在る。それは、他の誰でもない、スザク本人のせい。だから誰の責任でも、無論ランカ、あなたの責任でもない」
「………」
それだけ言うと、ふうっ、と息をつき、マナはその場に腰を下ろした。
「………これだけ言ってなんだけど、スザクが悪いとは言ってない。言い方を変えれば、生き甲斐や人生の目的、それを失ったのと同じだから。今のスザクは弱さも同時に持ってるから、自己解決の方法がわからずに混乱した挙句があの状態、とも言える」
「弱さ?」
自身の知るスザクからは連想できない単語に、ゲンブが首をひねる。そんな彼に、マナはただ語る。
「あの赤い髪が証拠。私の知る限り、あれはスザクが『スザク』になる前の色」
「確かに、『施設』から逃げ出した時はそうだったが……」
「私の知っているスザクは、強さだけの存在だった。つまり裏を返せば、対になっている『弱さ』の顔が存在していたということ。多分それが、かつての自分の『綾音』。今のスザクは、強さの『スザク』と弱さの『綾音』が融合した、かつての彼女に近い存在、と言える」
なるほど、とゲンブが頷く。その横で、叱咤されたばかりのランカがおずおずと声を上げる。
「つまり………綾ちゃんが誘拐されずに育ったらああなった、って言う感じ?」
「そんな感じ。もっとも、ベースになっているのが『スザク』の方だから、あまり変わらないけど」
言いつつ、マナは9時を指そうとしている時計を見上げる。
「……スザクが心配なのは私も同じ。ランカ、自分を責めたくなる気持ちもわからなくはないけど、それじゃ何も解決しない。むしろ、それであなたがまた調子を崩したら、スザクが目覚めた時に私が怒られる」
「待て、自分のためなのか? ランカのためではなく?」
「何か問題でも?」
「おい!」
反射的にツッコみを入れたゲンブに、ランカが思わず口元を押さえ、
「……ふ、ふふっ」
笑いを、零していた。
「そうだね……。自分を責めてたって、綾ちゃんは喜ばないよね」
「そう。スザクが本当に大切なら、傍にいてあげることが何より重要。あの人のように」
スザクに寄り添う白い髪の少女を指し、マナは言う。
「スザクが目覚めるには、自分を支える何かを見つけ出さなくてはならない。そしてそれは、スザク自身にしか見つけられない」
「……見つかるよ、きっと。だって」
「だって、綾ちゃんだもん。私の自慢の、親友だもん」
「……そうね。ええ、きっとそう」
久しく見なかった心からの微笑みを浮かべたランカに、マナもつられて笑む。
しかしその横で、ゲンブは一人黙考していた。マナが唯一見落としていた、「時間制限」について。
(スザクが意識不明になったのは、恐らく今日の昼前後……マナの予想が全て正しいとすれば、自力で目覚めることの出来るリミットは20時間……つまり)
(明日の朝8時までに目覚めなければ……スザクは、永久にあのままだ)
自力で目覚められなければ、たとえ外から起こしたとしても、また同じことの繰り返しになる。それを防ぐには、スザクが自身の力で自分を支えるしか方法がない。
(頼むぞ、スザク……俺達だけではない、お前の力を必要としている者が、まさに今、一人いるんだ)
「………」
どれくらい、経ったのだろう。もう、時間の感覚すら、ない。上も下もない、果てさえもない暗闇の中、ただうつろうばかりだ。
(僕は……)
僕は―――何だっただろう? 思い出せない。
僕は―――何をしていただろう? わからない。
僕は―――何のために、戦っていただろう? 理解できない。
(僕は……何が、出来た……?)
ランカのためと信じて戦ってきた。いつか、いつかきっと、あの子に家族を取り戻すために。
その全てが無意味だったというのなら、僕の存在は何のために在るのだろう。
僕の戦いは、僕の道は、何の意味があったのだろう。
(僕は何も出来なかった……ランカのために、何も出来なかった……)
まるで、道化芝居の人形だ。空回りばかりして、見当違いなことばかりやって、観客を笑わせるだけの、喜劇の主役。あるいは、主役ですらないのかも知れない。
何をしても、何を言っても目に留まらない、端役。果たして、僕の今までに、どれほどの意味があっただろうか。
いや、多分ないだろう。今までずっと、自分を隠して生きて来た。強さと弱さ、その二つを使い分けてうまく立ち回って来た。それを今更一つに戻すなんて、都合のいい逃げに走った、その報いがこれだろう。
そんな生き方をしていて、本当の僕を一体誰が知っているだろう?
(誰も僕を知らない……僕は誰も知らない……)
本当の僕を誰も知らないように、僕も他の人の本当なんて知らない。それなのに、わかったふりをして、自分勝手な考えばかり口にして、それでいったい何が掴めただろう。
(何も知らない……何もわからない……)
ああ。そんな僕が、今更「戻る」権利があるのだろうか。いや、出来れば戻りたくない。
戻ればまた、苦しいことが待っているだけだ。誰のためにもならない、誰を助けることも出来ない、ただ傷つくだけの世界だ。
(僕、は………)
それなら、いっそこのまま――――。
「―――そうやって」
「……?」
ふと、声が響いた。
「そうやって、あなたは知ろうとしない……耳をふさいで、目を背けて、何も知らないふりして、向き合おうとしない」
聞いたことはない……いや、今となっちゃ、もう誰だろうとどうでもいい。
――――なのに、どうしてかな。その声は、妙に胸に響いた。
「自分の中に逃げ込んで、出来ることから、やるべきことから目を逸らして」
これは、まるで――――。
気付くと、足が地についていた。そして僕の前には、声の主である「誰か」が立っていた。
その人は、腰に手を当てて、ため息とともに、
「いつまでそうしてるつもりなの? ホントに困った子ね……」
僕より少し背の小さなその人は、鈴を転がしたような声で、そう言った。山吹色の綺麗な髪を、揺らしながら。
願う者、信じる者、導く者
(悲劇の引き金を踏み台に)
(彼女は己の務めを果たす)
(15年分の空白を、埋めるために)
最終更新:2011年04月06日 23:59