「………?」
その人は、まるで扱いに困るような目で、僕を見つめていた。見覚えがある……ような、気がする。
誰、だっただろう。
その思いが伝わったかのように、その人ははぁ、とため息をつく。
「忘れちゃってるのね、私の事……夢だったから、しょうがないのかもしれないけど」
夢?
「今はいいわ。それより、もう一度聞くわよ? いつまでそうしてるつもりなの、綾音」
「……わからない。僕は……」
「何のために今まで戦ってきたのか?」
「え………」
僕の考えを見透かしているかのように、その人は言う。そして、
「ランカちゃんのため、ね。少なくとも、その意味では徒労だった……これは事実よ」
「………」
そうだ、その通りだ。ランカのために今まで戦って来た。なのに、その全てが徒労に終わった。
僕は、シドウさんを見つけ出す事も、ランカに謝らせることも出来なかった。
何より、前提自体が間違ってたじゃないか。
「………なら、わかるだろう? もう、僕を放っておいてくれ」
「わからないし、そうも行かないわよ」
至極あっさりと、その人は僕の言葉を拒絶する。
「……どうして」
「放っておいたら、あなた、このままずっと眠ってるつもりでしょ?」
それの何がいけないんだ? 歩いて来た道が、して来たことの全てが無意味だった。
なら、それに支えられていた「僕」という存在の意味はどこに、いや、そもそも意味があったのだろうか。
(そんなもの、ないんだ。多分、どこにも)
だったら、こうして沈んでいくことが一番いいんだ。多分、それが一番なんだ。そうすれば、
「そうすれば、何? 自分勝手はダメよ、綾音」
「自分……勝、手?」
「そう、自分勝手。自分の中に閉じこもって、周りから目を背けて、届く言葉に耳をふさいで、それで何が解決するの? それに何の意味が在るの?」
―――今更僕に何をしろと。僕のして来たことは無意味だった。誰も助けられなかった、誰も守れなかった。
僕の方が助けられて、いらない世話ばかり焼かせていた。
それに、昨日はランカを優先して、命の危機に瀕していたスイネを見捨てた。こんな僕が今更目覚めたところで、一体何が待っているというのだろう。
「もちろん、あなたを待っている人よ」
それはどっちの意味で?
「それこそどういう考え? まさか、みんなが自分を疎んでる、とか思ってない?」
違うとでも?
「ええ、全然違うわ。心配してるのよ、みんな。あなたがこうなったことを知ってる人は少ないけど、ね。今も、あなたの近くに」
「…………」
……それでも、僕は。
「それに、さっきから勘違いしてるみたいだけど」
「え?」
またさらりと、その人は僕の「間違い」を指摘する。
「あなたのして来たことが無意味だなんてことは、絶対にないわ。それは、絶対に、絶対」
「………」
マナに似た言いまわしに、少しだけ心が動く。……でも、それならどんな意味があったと?
その疑問に、その人は何の躊躇もなく言ってのける。
「そこまではわからないわ。でも」
指を立て、注目を促し。
「確実に、あなたが戦ったおかげで助かった人はいるわ。あなたの戦いに、あなたの道には、少なくともそれだけの意味がある」
「………」
「それに、あなたが戦って来たのは、あなたが歩んで来たのは、本当にランカちゃんのため『だけ』?」
「!」
最後を強調しつつ向けられた言葉に、脳裏を誰かの笑顔が過ぎる。
赤い髪。小さな体。そして、狂気と純粋さを併せ持った、邪気のない笑み。
それは――――。
「そう」
その人は、言う。
「その子のためでも、あるでしょう?」
(トキコの、ため……?)
そう、だった、だろうか。
「そうよ、わかるんだから。それに、ランカちゃんのための戦い、絶対に無駄じゃなかったわよ」
「……どうして、そう言える?」
「だって、あなたが戦って生き抜いて来たことが、ランカちゃんに元気をあげてたじゃない。そのおかげで、あの子、やっと退院できたのよ? それだけでも、意味はあると思うわよ」
「………」
理由になっているような、なっていないような、不思議な感覚だ。
「いーい、綾音?」
その人は、僕の目の前まで歩み寄ると、肩に手をかけて立たせ、少し下から見上げて来た。改めて見るとこの人、僕より少し背が低い。
「あなたは、シドウさんが『自分の意志で帰って来た』せいで、ランカちゃんのためにと思って進んで来た道が無駄だったと、そう思ってここに逃げ込んだ。そうでしょ?」
……確かに、それは事実だ。
「言ってあげる。それは、違うわ」
その人は言う。逃げ込んだことではなく、過去が無意味だと考えることが違うのだと。
「確かに、戦ってきたのはランカちゃんのためかも知れない。でもね、その戦いのおかげで守れたものだって、いっぱいあるでしょ?」
「……それは」
言われてみれば、ある、ような気がする。仲間の命? 街並み? 日常?
「この世界にね、無意味なものなんて何一つないの。少なくとも、そこにいるという意味があるんだから。どんなに小さくても、本当に無意味なものなんてないのよ」
「それが例え、誰にもわからなくても」
「……………」
言っていることはわかる。だけど、答えは出ない。だから目覚めなければならないというのなら、僕は何のために、何を以って自分を支えればいいんだろう。答えを求めるようにその人を見ると、その人は僕の口を指で押さえ、言う。
「その答えは、私にはあげられないものね。あなた自身が見つけないと」
「でも……」
「不安がらなくてもいいの、綾音。だって、自分が何のためにいるのかなんて、わかる人の方が珍しいんだから」
何でもないことのように言って。その人は、微笑む。
「そうじゃなくても、あなたが目を覚まさないと、悲しい気持ちになる人が、いるでしょう?」
「………」
いた……だろう、か。……………………そう、だ。
「アオ、イ……ランカ……みんな……」
そうよ、とその人は頷く。
「その人達を泣かせないためにも、あなたはいつまでもここにいてはいけないの」
「……でも、どうすればいいんだ?」
それが正しいとしても、ここからどうやって出ればいいんだろう。
「綾音………いいえ、今のあなたは、『スザク』って呼べばいいのね?」
「……うん」
「なら……スザク、あなたは今、自分の中の『弱さ』を受け入れてるわね?」
「うん」
「あなたがここから出られないのは、そしてここに墜ちて来たのは、今までうまく使い分けてた『強さ』と『弱さ』が一緒になって、『自分自身の扱い方』がわからなくなって混乱してるところに、予想外の事実をぶつけられたから。土台がぐらついてる時に下から揺さぶられたようなものね」
わかりやすく、噛み砕いて説明してくれた。今、僕がどうなっているのか、を。
「本当は自分で気付かなきゃダメなんだけど……今のあなたにそれは酷だもの」
それに、自分自身って意外に見えないものなのよね、とその人は笑う。
「だから、教えてあげる」
「うん」
「スザク、弱さを受け入れたからと言って、表に出そうとしなくてもいいの。弱さは、あくまで一面。強さも同じ。それぞれ補い合って、ようやく一人前なんだから。使い分けるのも悪くないけど、それだとどこかで破綻しちゃうから。だからあなたは、あの夢で一つになったんでしょ?」
………そうだ。それに僕はあの時、「綾音」に言われたじゃないか。
『ランカの父親を見つけたい。全てを奪った
ホウオウグループを倒したい。それは、『綾音』が……私と一緒だった頃のキミが、望んだこと。だけどキミは、弱さと一緒に、その願いをも封じ込めてしまった』
『キミは、『私』だった頃の願いに縋っているだけ。そうしなければ、自分を保てないから』
「綾音」として決意しながら、僕は弱さを切り捨てて「スザク」になった。だけど、使い分ける内に二つは解離し、その願いは弱さである「綾音」が持って行ってしまった。残された「スザク」の方には、自分を支えるだけの柱がなかった。だから、「綾音」としての願いに縋り、自分を保っていた。
それが限界に来て、「綾音」と「スザク」は一つになった。だけど、それはまだ不完全だった。
主軸になった「スザク」の方からすれば、突然抱え込んだ「弱さ」をどう扱うべきかわからず、半ば放置していた。そして、「スザク」でも「綾音」でもない、今在る僕を支えるものを見つけられず、無意識にその「願い」に縋っていた。
そこに来てシドウさんの帰還と明かされた真実……自分自身が不安定なところに、辛うじてそれを支えていた「願い」自体がなくなり、果てない自己否定に墜ち込んでしまった。
――――見つけたはずの、大切なものさえ見失って。
「……情けないなぁ、僕」
「そうでもないわ。誰もが一度は通る道……あなたのは、ちょっと極端だけどね」
そして、その人は、言う。
「弱さも強さも、やたらに表に出すものじゃないわ。忘れるものでも、押し込めるものでもない。心の中に、詰め込んでおくものよ」
「詰め込む……」
「しまっておく、でもいいわね。そして、時に応じて互いに顔を出すの。どちらを出すかは、もちろんあなたが決めるのよ」
……けど、それなら。
「その『僕』は、何のために……」
最初の疑問に戻ってしまった。けれど、その人は最初には戻らない。
「それは、自分で探さないと。これがそうだ、って与えてあげるのは簡単だけど、選択するのはあなたよ。それも、目を覚まさないと、探せないわよ? それとも、ずーっとここにいるの? こんな、何もない場所に」
「………………………………………、だ」
「そんな、の…………嫌、だ」
辛うじて、それだけ声が出た。喉がからからになって、言葉が出ない。ただ、こうなってから初めて、思った。
生きたい、と。もう一度、あの子の傍に行きたい、と。
それを汲み取ったかのように、その人は微笑む。山吹色の髪を揺らし、すっ、と身を引いて。
「それでいいのよ、スザク。誰のためか、何のためか。そんな大袈裟なこと考えなくても、生きたい、歩きたい、それだけでいいの。そうやって歩いていれば、やりたい事も、やるべきことも見つかるわ」
「…………うん」
「いい返事ね。差し当たっては……トキコちゃんかしら? あの子、何か色々とおかしなことになってるわよ」
「え?」
次にその人が語った内容は、僕にとってかなり衝撃的で、しかしある意味予想された結末だった。
最後に語られた、トキコの「選択」。どうしてこの人がそれを知っているのかは置いておいて、その内容は、僕にとっては予想の範疇ではあった。ただ、
「弱さを殺して、強く……それって、こうなる前の僕と一緒じゃないか」
「というか、あなたが正人君に勘違いで恋したきっかけの方ね。その頃のあなたから言えば、『鏡』ってやつ」
そう、強くなっているつもりで、実は弱さをまったく振り切れていない、矛盾した自分。それを見せつけられるようで、あの頃はトキコが嫌い、というか苦手だった。
「それをどうしろ、とは言わないわ。あなたが決めなさい。あなたの道なんだから」
優しく穏やかに、しかし決然と、その人は僕を突き離す。自分で選択し、その結果に責任を負え、と。
だけど、それなら僕の答えはひとつだ。
「……何も変わらせない。トキコがどう選択しようと、僕はそれを受け入れる。結果も、当然。だけど、それをきっかけに僕らの今を変えようなんて奴がいたら、絶対に許さない」
トキコもまた、自分の道を選択した。僕はそれを受け入れるだけだ。けど、それだけじゃ終わらない。
「支えが必要なら僕が支える。道に迷うなら手を引いてやる。行きたい場所があれば連れてってやる。トキコがトキコのままでいられるなら、僕は力を尽くすことを躊躇わない」
「……ふふっ。ホントに『捕まっちゃってる』のね、あの子に」
そうかも知れない。いや、そうなんだろう。違う、その通りだ。
いっそ見事なまでに、トキコにベタ惚れ状態だ。
「当面は、それでいいのかしら?」
「当面じゃない。出来れば、ずっとこのままでいたい」
約束を果たす、その時までは。それが僕を支え得る柱になるかどうかわからないけど、今の僕にはこれが全てだ。
その人が、言う。
「……いい答えね。さあ、もう起きる時間よ」
「……わかった」
意識が浮上する。少しずつ、視界が明るくなる。遠ざかるその人の声が、届く。
「私は、いつでもあなた達を見守っているから……だから、また会いましょう、綾音」
返す言葉は、一つ。
「うん。また、いつか、ね…………母さん」
「……ん、んぅ……」
何だか頭がぼーっとしますわ……わたくし、何をして……。
「……はっ!?」
一瞬で意識が覚醒しました。そうです、姉様に寄り添っていて、そのまま眠ってしまったのでした。視界の隅の掛け時計を見ると、朝8時を少し過ぎていました。
「姉様………」
呟き、身を起こそうとする――――その頭が、何かに優しく押さえられているのにやっと気付きました。
(え、っ?)
撫でられているような、この感覚は……。恐る恐る顔を上げ、そこに見たものは、
「どうしたんだ、アオイ?」
優しく微笑む、姉様の姿。視界が瞬く間に歪み、求めていたその姿が掻き消えてしまいます。ああ、もっと見ていたいのに。いえ、でも、それを確かめる方法は。
「姉、様」
「ん?」
震える手を伸ばすと、姉様も手を出して、すっ、と手を取って下さいました。
「姉様……姉様ぁっ!」
頭が一瞬真っ白になって、気が付いたら身を起こした姉様に飛び付いていました。おっと、と受け止められ、抱きしめられて、悲しみでは決してない涙で、視界が滲んでなりません。
ようやく口に出来た言葉は、
「……おはよう、ございます……スザク姉様」
「……おはよう、アオイ。心配、かけちゃったな」
もう一度、自らの翼で
(闇の底より朱雀は還り来る)
(母の言葉を心に刻んで)
(誰より愛しい少女のために)
最終更新:2011年04月12日 23:24