それは、ミユカが小学4年に進級してから、1ヶ月経った時の事。
バシッ!
「つぅ…」
「あなた!もういいでしょう!?」
「黙れッ!」
ソウマの態度が急変したのだ。
正確に半月前から。
明るく大雑把で、家族のことを常に考えていたソウマが、人が変わった様に冷酷になってしまったのだ。
「お前みたいなガキが、俺の部屋に勝手に入るんじゃねえ!」
ミユカはすっかり口調も荒くなった父を一度見上げた後、
「……ごめんなさい」
と、謝罪の言葉を述べた。
「もう二度と入るなよ、いいな!」
「うん…」
そう言って、ソウマは自分の部屋に戻って行った。
「あの人ったら…只ミユカがコーヒー持って来ただけなのに」
「いいよ、お母さん」
つい先程、父に叩かれた頬を、痛みを拭うかのように摩るミユカ。
「お父さんがいない時に入ったから…」
「でも…」
「それに!」
アミの言葉を遮るように、ミユカが叫んだ。
「きっとお父さん、研究が上手くいかなかくてイライラしてるんだよ」
「
ミユカ…」
ソウマの職業は生物研究者。
とは言え、権威がある訳でもなく収入も多くは無い為、他の仕事とアミのパートの給料で生活を賄っている。
「その内、いつものお父さんに戻ってくれるよ」
「…そうね」
ミユカの笑顔に励まされたかの様に、アミもまた笑みを浮かべる。
「そろそろ、お風呂入って寝るね」
「分かったわ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
母の笑顔に見送られ、ミユカは入浴を済ませた後、自分の部屋で眠った。
その絵画を見るのが最後になるとも知らずに。
「…お、かあ、さん…?」
翌朝、起床したミユカは目の前の光景に硬直する。
頭から血を流したアミが、リビングの床に眠る様に横たわっていた。
「お母さん、お母さん…お母さんッ!」
ミユカは何度も母を呼んで揺すってみるが、一向に目を覚ます気配は無い。
何度もそれを繰り返した後、ミユカは『その事実』をようやく受け入れた。
いや、受け入れざるを得なかった。
『母の死』を―――。
「お母さん…っく、ひくっ」
大好きだった母の死にショックを受け、涙を溢すミユカ。
その時。
「ミユカ」
「!」
突然、自分の名前を呼んだ声に驚きつつも、声の方へ振り返るミユカ。
そこには無表情のソウマが立っていた。
「お父さん…?」
「来い」
「わっ」
腕を引っ張られ、引き摺られるようにソウマの後をついていくミユカ。
連れられた先は、ソウマの部屋だった。
中には様々な機械や薬品、科学備品等があり、部屋というより研究室だ。
「中へ入れ」
「え?」
「早く入れ」
いつになく落ち着いた口調と声の父。
不思議に思いながらも、ミユカは言う通りに部屋の中へ入る。
そしてソウマも。
「ちょっと待ってろ」
「? うん」
すると、ソウマは部屋の中にあった一つの箱をミユカの前に持ってくる。
「お父さん、その箱は?」
「今に分かる」
と言って、ソウマは箱を開けた。
その中身は―――。
「!?」
蛇。
それも毒々しい色をした、50cmぐらいはある蛇だ。
「いいか、そこでじっとしてろ」
「え…ちょ、お父さん!?」
状況を飲み込めずいるミユカを部屋に残し、ソウマはその場を去る。
今部屋にいるのは自分と、蛇。
「シャアアーーッ!」
「ひぃ…ッ!」
突如上げた蛇の威嚇の声に、ミユカは思わず怯む。
ミユカ自身、蛇は好きではないが、恐怖の対象では無かった。
たまに見つけてはいたずらしたぐらいだ。
だが、今時分の目の前にいる蛇は―――。
「こ、怖い…」
他の蛇には無かった、只ならぬ恐怖を感じていた。
何より一番恐怖に感じたのは、自分に向けられている強い敵意。
「こここ、来ないでぇえーーッ!」
たまらず、ミユカは部屋から出ようとドアノブに手をかける。
だが。
「あ、開かない…!?何でェ!??」
何度もガチャガチャと回すが、ドアはミユカを拒むように開かない。
ふと、背後へ視線を向けたミユカ。
そこにはあの蛇が―――。
「ひぃいい!!」
ミユカはドアから離れ、部屋を這い回る。
しかしもう既に逃げ場など無かった。
部屋の隅に身を寄せたミユカに向かって、蛇が再び威嚇の声を上げる。
「……!」
もう声も出ない。
今のミユカには、歯をカタカタと震わせる事しか出来なかった。
蛇が牙を向く。
そして―――。
ガブゥッ!
「っうわぁぁぁあああぁぁああぁあ!???!!」
―――痛い痛い痛いいたいいたいイタイ。
ミユカの体に、蛇の牙から傷口に染み込んだ毒が一気に廻る。
「熱いよぉ…痛いよぉ…」
ミユカの意識はそこで闇に堕ちた。
* * *
死んだのかな、私。
…やっぱ死んだんだ。
でも私が死んだら、お父さんが1人になっちゃう。
神様、お願いです。
お父さんが心配だから
もう一度、私に生きるチャンスを下さい。
* * *
「な…んだと?」
自分の娘の声が収まった後、部屋のドアを開いたソウマは、驚きを隠せなかった。
何故なら蛇の猛毒で息絶えた筈の娘が、こちらを見つめているからだ。
しかもその蛇は体に小さな穴を開けられて死んでいる。
「お父さん…」
「っ…何故だ」
「?」
「俺が作った毒蛇なんだぞ!?何故死なないッ!!」
「え?」
―――お父さんが作った?この蛇を?
その時、ソウマの両手がミユカの首を掴んだ。
「!? おとうさ…っ」
ミユカの言葉を遮るように、ソウマの手に力が入る。
「おと…うさん…」
「言うな!」
「え…」
「俺を『お父さん』などと言うな!」
ソウマは拒絶するように続ける。
「俺は研究者なんだ!それも才能のある研究者だ!!なのにあいつらは、世間は俺を認めない!!」
「……」
「でもアミとお前といる時はそれを忘れられた」
「!」
気づけば、目の前にいる父の顔には微笑が浮んでいた。
最終更新:2011年05月01日 23:07