「目的を亡くした地獄の審判」
脚を引きずるように、彼は人気の少ない路地裏を歩いていた。
深手を負った右腕を押さえ、壁に寄りかかって歩く。
その姿はまさしく「満身創痍」。
敗れた黒いコートを羽織り、乱れた髪を晒し、頬についた傷の泥を払った。
彼のたどる道に赤い跡はつかない。
「人外」の彼の中に、血は流れていないのだ。
人間にとっての「当然」がない彼は、人間に助けを求めようとはしなかった。
怖がられるのは眼に見えてるからである。
考えてみれば全ての原因は自分の僅かな油断にあった。
明らかなまでの優勢に油断が生じ、その隙に「武器」を奪われたのだ。
特殊な作りとなっている彼の武器は、彼の力を引き出す鍵の役目を果たす。
それを奪われ、一気に力を抑え込まれたのだ。
そこからがあっという間だった。
直接的ダメージを能力で与えられなくなり、形成は逆転され、完膚なまでに叩きのめされた。
ただ、彼にとって問題はそこではない。
その相手は、自分たちを恐れるはずの「人間」だったからだ。
僅かな段差につまずき、抵抗なくアスファルトの上に倒れ込んだ。
起き上がる体力ももう残されていない。
限りなく黒に近い灰色の風景を見ながら、彼の意識は何処かに消えていった。
――どのくらい時間がたったことだろうか。
眼を開けると、ぼやけてはいたが焦げたような茶色の空間が見えた。
ここは何処だろう。回らない頭で考えられるのはそのくらいだった。
だんだんとはっきりしてきた意識は、周りの空間に輪郭を縁取り、そこが暗い洞窟であることを教えた。
もっと周りを見よう。そう思って体を起こそうとしたその時だ。
全身に切り裂かれるような痛みが襲いかかり、また地面に伏してしまった。
仕方がないので首だけを動かし、あたりを見回した。
人の手が加えられていない、自然そのものの洞窟だろう。
左側から光が差し込み、月明かりに照らされた漆黒の空が見える。
やや高い位置にできているのだろう。麓に深い森と思しきものが見えた。
そして彼は右側に首を傾け、あることに気がついた。
壁の色がやや薄いのだ。
それだけではない。削れ方も自然のものではないと見えた。
近すぎてよくわからないが、恐らく遠くから見れば…。
彼は思考を巡らせる。そもそもここに自分を連れてきたのは誰だと。
「裏路地に倒れていた人外」を態々「人の眼のつかないところに」運んだのは一体と。
急に強い風が洞窟内を駆け巡った。
彼のやや長い髪が煽られ、視界が塞がれる。
その風が止み、彼がもう一度首を左に向けた時。
入口には紫の傘をさした女性がたっていた。
「あら、眼が覚めてたのね。」
女性はそういい、動けないこちらに近づく。
「ごめんね、遅くなってしまって。痛かったでしょう?今、薬草とって来たの。」
「…。」
彼はぽかんとして、彼女を見上げた。
自らの腕に巻いていた紫色の包帯を取り上げ、薬草を塗った傷口に巻いていく。
「こんなことしかできないけど、仕方ないと思って我慢してね。」
女性はそういうが、面白い風に痛みが引いていく。
「ああ、ありがとう…。」
彼はお礼を言いながらも、疑問を持った眼で見ていた。
「…怖がらないのね、私のこと。」
「え?」
「貴方、やっぱり『妖怪』でしょ?」
「!!」
彼はそう言われて初めて気がついた。
女性の眼も、自分と同じ血の色をしていたのだ。
「ここはね、身寄りのない妖怪が集まってくるところなの。貴方みたいに連れてくることもあるけどね。」
「そうだったんか…。」
「私は『雨と憂鬱と引籠り』。ヒキコって呼ばれてる。貴方、名前は?」
「…名前?」
『名前』というものに、彼はぴんとこなかった。
今まで名乗ることもなかったし、必要もなかったからだ。
強いて名乗るなら『怪談名』なのだ。
そんなことを考えていると、ヒキコが察したのか、片手を振った。
「あ、いいのよ、名乗らなくても。名前を持たない妖怪も結構いるから。」
「…のう、ここに居る妖怪は、お前だけじゃないんじゃろ?」
「あ、分かる?そうよ。ここにいるのは貴方を含めて4人。」
ヒキコは立ち上がった。
「この洞窟の奥に一人。『がしゃどくろ』のガラクさん。とても大きな骸骨の妖怪だから、もともとここに住んでたの。そして。」
彼女は立てかけてあった傘を取り上げた。
「それでもう一人がこの傘。『忘れられた古傘』の
ブレラさん。この麓で見つけてね。」
親しみをこめて話すヒキコに、最初は警戒をしていた彼も、徐々に心を開いていった。
ヒキコは過去「人間」だった頃酷い虐待にあい、その影響で引きずられるようにして死んだという。
それ以来洞窟…もといガラクの「掌の上」に引籠って過ごし、夜にしか外に出なくなった。
人間に心を開くことはなく、ガラクやブレラとしか話さなくなったそうだ。
しかし、話を聞かせるヒキコは明るくふるまっており、とても生前虐待されたような人には見えなかった。
「昼間はこの入口が閉じられるから、誰にも見られないの。良いところでしょ?」
「確かにのう…。」
「…ねぇ、暫くここで過ごさない?」
思いついたようにヒキコは提案した。彼は素っ頓狂な声をあげてしまった。
「へっ?;」
「その段じゃ誰かにボロボロにされたんでしょ?絶対復讐とか考えてそうだけど、段取り全くたってそうにないし。」
「う;」
痛いところを突かれた。
「それに怪我が治るまではどこにも動けないだろうし。」
「確かに…。でも、わしなんかがおってもいいんかの?」
「勿論よ?ね、ガラクさん?」
洞窟が僅かに揺れ、低い音が奥底から響き渡った。
「洞窟そのものがガラク」。成程、確かにうかがえる。
「ねぇ、ブレラもいいでしょ?」
ヒキコは傘を開きながら訊いた。
開かれた傘の柄の部分に切れ目。そこが動き、声を発した。
「…まぁ、そうね。せいぜい治るまでは、ね。」
「じゃあ、決まりね!」
ヒキコは彼に微笑んだ。
彼の怪我は順調に回復していった。
献身的なヒキコは、身の回りの世話を何でもこなしていった。
彼はそんなヒキコを、黙って見ていることしかできなかった。
ある日のことだ。ヒキコはブレラを置き、麓まで降りて行った。
彼は洞窟の壁に寄りかかり、ぼんやりとこの先どうするかを考えていた。
武器を奪われた以上何もできないわけだが、このままヒキコに頼るわけにもいかないのだ。
ならばどうしようかと考えるのだが、何も方法が浮かばなかった。
「…何ぼーっとしてるのよ。」
不意に声が聞こえた。そちらを向く。
壁に立てかけられたブレラが、こちらの話しかけてきていた。
「あんたらしくないんじゃない?」
「…のう、ブレラ。これからわしは、どうすればいいんじゃろうか?」
「そんなこと考えてたの?良いんじゃないの、どうでも?」
「このまま頼りっぱなしじゃ、ちいとの…。」
「…何?あんた『地獄の審判』なのに罪悪感感じてたわけ?」
ふっとブレラは息を吐いた。
「罪悪感持ってたら、魂なんて裁けないんじゃないの?」
「…そうじゃけど…。」
「…分かった。自分の存在理由が分からなくなってるでしょ。」
「!」
言われてみて初めて気がついた。
この世に降り立った目的も何もわからないまま模索し、自分自身を失っていたのだということに。
彼ははっとしてその傘を見た。
表情の隠れた傘が、微笑んでいるように見えた。
「それならもうしばらくぼんやり待ってみれば?もうすぐ、時間だから。」
「『時間』?」
「私たちはね、「主」の保護の元ここで生活しているの。月に一度、ここに来てもらえるのよ。彼女ならきっと、生きる意味と役目を教えてくれる。」
そう言った時、遠くから足音が聞こえてくるのを彼はきいた。
「ほら来た。顔合わせておきなさいよ。」
彼は、巫女服に身を包んだ幼い少女を見た。
夜風に吹かれながら彼は空を見た。
「鉄槌を見つける」という、自分の目的の一つを達成し、安心した気持を静かに表していた。
肩にかけていた傘はその口を開き、遠慮がちに彼に訊いた。
「…ねぇ。結果的に鉄槌は、見つかったのよね?」
「…そうなるのう。」
「…貴方、この先私をどうするつもり?」
かねてからの疑問を、彼女は言った。
「とりあえず私が協力するのは、鉄槌が見つかるまででしょ?この後、ヒキコの元に、返すの?」
その声にはどこか、寂しさが紛れていた。
「…のう、わしから一つ頼みごとがあるんじゃ。」
彼はすこし考え、答えた。
「これからも暫く、わしといてくれんかの?」
「…え?」
「鉄槌を見つけたとはいえ、今預かってもらって手元にないのは変わらん。幻覚しか使えない落ちこぼれに変わりない。」
彼は傘の柄を見た。
「落ちこぼれの手伝い、お前は嫌いじゃないじゃろう…?」
「…たく。しょうがないわね。」
笑い声を含みながら、傘は答えた。
「いいわ。あんたが落ちこぼれじゃなくなるまで付き合ってあげる。でも、たまにはヒキコとガラクの所に連れて行きなさいよ?」
「わかっとる。わしにとっちゃ、主以前の「家族」じゃけぇのう。」
彼はもう一度夜空を見上げ、口を動かした。
「このまま、何も起きんことを祈るだけじゃ。わしはできれば、力を使いたくないしのう…。」
最終更新:2011年05月24日 03:29