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「駄目ぇええ! ‥‥あ」
朝。彼女は跳ね起きた。
「あれ‥‥なん、で‥‥?」
別に悪夢を見たわけではない。だが、彼女は嫌な――それこそ、自分の半身を根こそぎ奪われた苦痛のような、深い嫌悪感に見まわれた。
「うっ‥‥! うぐっ‥‥」
それに気づくと、彼女の目からは涙が溢れんばかりに流れてくる。
当然、彼女は何故涙が出てくるのか分からない。しかし、それでも涙は溢れてくる。まるで涙を流すことが罪かのように。
横で寝ていた四人は先の声で既に起きていたが、いきなり泣き始めた彼女に声をかけることすら出来ずに、ジッと何もしないで待っていた。だが、しびれを切らしたのか。一人が思い切ってゆっくりと起き上がる。
虚空を見つめたままポロポロと涙を流す一人の少女は一人が起き上がったことに気付くと、急いで涙を拭い、「どうかしましたか?」と聞いた。
自分の涙に気付かれないように、出来るだけの最上の笑顔で。
四人は四人共、それがどことなく、無力たる自分を痛感させるような寂しさを感じられたが、四人は何も言わずに「何でもない」と返答した。
彼らは思う。
そうやって誤魔化すことが彼女に対して優しいことかもしれないが、そうじゃないかもしれない。
本当は何度も誠意を持って尋ねれば、詳しい事情を知ることができたかもしれないし、それによって何か彼女の心の支えになれるかもしれない。
――そういった【選択】をすれば、何か事態は好転するのかもしれない。
しかし、そう思っても、何も知らない彼らには、何も関係ない彼らには所詮――彼女は赤の他人であり、その過去には何も関わっていない第三者なのだ。
そんな人間が、一体何を理解できるのだろうか。彼女の痛みすら知らないのに。同情し、抱きしめたら、彼女は救われるのだろうか。
否。そんなの自己満足に過ぎない、ただの偽善である。
だから今はこうして、誤魔化しながら進んでいくことしか、彼らには出来なかった。
そういった点では彼らも彼女と同じ愚者であり、卑怯者なのだろう。
それでも――彼らは彼女の味方である。
いつか本当に、この哀れなる少女に救いの手を差し伸べれるように。いつか彼女を闇の底からすくい上げれるように。
彼らはいつまでも彼女の助けの声を待つ。

◇◇◇

ネパンプレスを発って一週間。彼女たち一行は、ヒューロ氷洞へと辿り着いた。
「ここに……彼が……」
彼女はヒューロ氷洞を見る。
自然な寒さとは違う、体の芯まで届く、嫌な――とても酷く、おぞましい冷気を彼女は感じた。
彼らもそう思ったのだろう。顔の表情も、一段と険しくなっていく。
「だから……! 通せって、言ってんでしょうがあぁあああ――――!!」
そこへ、洞窟の中から響き渡って聞こえる女の怒声。彼らはこの声に聞き覚えがあった。
先行したはずのリタの声だ。五人はすかさず、洞窟内へと入る。
◇◇◇

洞窟を入って少しの所にリタはいた。
「ですから、まず許可を……」
「えーい、うるさい、うるさい、うるさ――い! 人の命、いえ! 何よりも深く、それこそ、北海の底より深い! 二人の、愛!」
彼女の言葉は、言えば言うほど芝居がかっていき、混乱状態なんかじゃないのかと思うほどに、ドンドン熱を帯びていく。
「そう、尊き愛! 真実の愛! TRUE LOVEが! 今、あたしの行動にかかっているのっ! それがわからないあんた達なんかに、愛が邪魔だという無粋な奴なんかにはっ! 一切、合切! 用は、無い! さぁ、今すぐそこをどけぇえぇええ――――!!」
ドガッシャーンという音が洞窟内に響く。リタが何か(通常攻撃か、スキルなのか)したのだろう。それでも、見張りは退かない。
「り、リーダー! 一回落ち着いて! 一旦ここは退こう! な!?」
「そ、そうですよぉ~! きっとすぐ彼らが来ますから、それまで待ちましょうよぉ~!」
お供の二人は、今にもショックのグラフ十個まとめて使いそうなリタを、半ば泣きそうな感じで必死に止めていた。そんな二人をリタはキッ、と睨みつけ、叫んだ。何かに取り付かれたかのように、リタは力いっぱい、叫んだ。


「貴様ら、それでいいのか!? 本当にそれでいいのか! 彼らはただ依頼人というだけで! あの女性を救おうとしていたんだ! 「規則だから」のたった一言で、ハイそうですねとおめおめ引き下がるのか!?」
「リーダー……」
「リーダー……!」
リタの熱弁に、二人は段々と何か熱いモノが自分の胸にこみ上げてくるのを感じた。
「友との約束破って! あたしらの友を見捨てて! それでもお前ら! 明日食う飯がうまいかよぉっ!!」
「リーダー!」
「リーダー!!」
リタはあの不幸な二人の行動に感動しているのだろう。泣きそうで、それを堪えながら、叫ぶ。
そんなリタに、もうここが極寒の地だということを忘れているんじゃないか、というほどに熱くなっていく二人。無論、後ろの五人には気づいていない。
その五人は動かなかった。動けなかった。何故だかわからないが。動く気にもなれなかった。動くべき気もしたが、それでも彼らは動かなかった。
そして、そんな彼らを尻目に白熱していく三人は、いつの間にか円陣を組んでいた。
「あたしらのモットーは!?」
「「竜から逃げても友は見捨てず!」」
「なら今やるべきなのは!!」
「「人の恋路を邪魔する馬鹿を! 馬に代わって、地獄へ落とす!!」」
ギンッ! と三人は同時に目標である、“見張り”へと狙いを定めた。
「え?」
もう、彼らは――止まらない。



「玄人のハリス!」
ハリスはバッと帽子に手を当て、ポーズをとる。さながら、昔、絵本で読んだヒーローのように――。
「夢幻のエミリ!」
エミリはフワリとマントをなびかせ、ポーズをとる。さながら、昔、紙芝居で見たあの魔法使いのように――。
「疾風のリタ!」
リタは武器を見張りに向かってビシリと向け、ポーズをとる。さながら、昔、幾度も夢に出て、幾度も夢見た、英雄王のように――。
「我ら!」「三人の心を!」「今こそ、合わせ!!」
あの幼き日々から、冒険者に憧れ、今日まで辛く、険しい旅をしてきた三人は今、紛れもない、奇跡を起こす――!
「「「必・殺ッ! エグゾースト……! ファイナルッ! アタッ――――――クッ!!」」」
「な、何!? そんな、馬鹿なぁああああぁぁぁあああっ!?」

チュドーンという音が聞こえた。気がした。気がしただけだった。ついでに、何らかの閃光も見えた気がしたが、やはり、気がしただけだった。
 
 
 
「や、やりましたぁ~!」
「すげぇ……。人間、やればできるんだな……」
「ま、まぁ。あたし達にかかればこれ位、有って無いに等しい! さぁ、いつまでも呆けてないで、探しに行くわよ! いざ行かん! 二人の愛を守るため!」
「「Yes! リーダー!」」
しかし、見事リタ一行は見張りを倒し、そのハイテンションのまま洞窟の奥へと悠然と、そして雄々しき姿で駆けて行く。英雄王の愛馬『レムス』のように。
そして、何となく、あの場に入りづらかった五人と、必殺技(?)によって倒された見張りが、何ともやりきれない思いで残された。
十分後。気を取り直した彼らは、再び気合いを入れて、洞窟へと足を踏み入れた。




◇◇◇

洞窟内は、恐ろしいほどに静かであった。
聞いた話が本当なら、魔物で溢れているはずだ。しかし、そんな様子が一切見受けられず、よもすれば魔の巣窟だという事さえ忘れそうである。
洞窟内に生える禍々しいフロワロさえ、無ければの話だが。
無論、奥に進むと幾体かの小型魔物が行く手に現れた。その様子は、フロワロによる凶暴化の他にも何らかの要因が加わっているのだろうか。今まで見た魔物より、攻撃性いや、明確な“殺意”が増している感じだった。
四人は、戦いの後、ある考えが浮かんだ。別に話し合った訳ではない。だが、自然とそのことを考えてしまう。

――もし、これが魔物ではなく、人間だとしたら。

彼らは止めることができるのか。ここまで殺意に目覚めた人間を。止めることは果たして可能なのか。
その答えは考えるより早く、経験が教えてくれた。

『不可能』。彼らは、それしか思いつかなかった。
どんな状況をもってしても、どんな要素を取り入れても、無理だと分かってしまう。最悪、逆にこちらが全滅させられることだってありうる。
一度それを考えると、悪い方向にしか考えがいかなくなる。
 
しかし。

「あの……どうか、しましたか?」
突然の彼女の言葉に、思考が中断され、そして気付いた。

――そうだ。考えるより、まず行動しなくては。
この人を。過去に囚われ、時間が止まったままの少女を、一刻も早く彼に会わせるのだ。
それが何よりも大切で、何よりも優先させることなのだ。他の事は二の次だ。そう思い、彼らは四人とも、笑顔で大丈夫だと告げた。
彼女はそれを見て、そうですか。と笑顔で返した。それはおそらく、幼少のままの笑顔で。見れば誰もが安心しそうな、柔らかな笑顔だった。
その笑顔を見て、何となく――。何となくだが、やはりこの少女こそ、大切な要素(ファクター)になるのだと。彼らは確信した。


◇◇◇
 
洞窟奥深くに行くと、そこは地獄だった。
通常、竜と人が同じ空間にいれば、待っているのは竜と人との命をかけた戦いだ。
しかし、ここ――ヒューロ氷洞は違った。
なんてことはない。言葉にすれば、一言で済むようなこと。しかしそれ故に、普通の人にとってそこは、“危険”等と言う、生半可なものではなく、絶対的な“不可侵”の領域。

――ここで行われているのは、ただの殺し合い。それ以外の、何物でもない。本当にただの“殺し合い”なのだ。

憤怒。強欲。傲慢。怒り。嫉妬。色欲。怠惰。暴食。
ありとあらゆる罪もそこに入るのもおこがましい。

ただただ人は人を殺し、獣を食らい、竜を貪り。
ただただ獣は人を食らい、獣を貪り、竜を殺し。
ただただ竜は人を貪り、獣を殺し、竜を食らう。
誰かが誰かを殺せば、すぐさま血に飢えた獣が肉を求めて食らいつく。
竜はその獣を殺して優越感に浸り、その竜を別な竜が食らいつく。
人はまるで本能かのように、竜に剣を刺し、その力を取り込もうとするかの如く貪りつくす。
そして、その人を竜は横から更に貪り、その竜を獣が貪る。
終わりなき殺しの連鎖。そこに悲しみは無い。痛みはない。怒りも、恐怖さえもない。
ただただ、“何か”が“何か”を殺して、“何か”が“何か”を殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、――殺す。
それだけ。それだけなのだ。
 
その修羅道に、地獄に彼女と彼らは足を踏み入れる。
瞬間、四方から人だか獣だか竜だか分からないモノが一斉に襲い掛かってきた。
四人は即座に反応し、その“何か”を叩き伏せる。
彼女がこれは何なのかと見れば、何てことはない。それはただの生き物である。
しかし、彼女はそう知った瞬間。同時に理解した。

それは人であり、獣であり、竜であることを。
人の体に竜の皮膚、獣の顔と、もはや何と言っていいのか分からない。
生き物と言っていいのかどうか分からないものになっていた。


彼女のその様子に、彼らの内、一人が説明する。
――【ロスト】化。人としての“理性”を失い、行きつくその先に待つ。一種の、【進化】。元は人であるとされているが、よくは分かっていないらしい。
 
進化と言うには余りにもおぞましいその姿に、彼女は吐き気がこみ上げてくる。獣が死んだその姿はもう見慣れた。今では解体だってできる。
だが、“アレ”は違うのだ。もはや生き物として見なさない。いや、ダメなのだ。“アレ”を生き物として肯定してはいけないと、彼女の本能が告げている。
先の一人が静かに言葉を続けた。
 
――これらはあってはいけない。あってはならない姿。しかし、ヒューロ氷洞では当然の帰結。だと。 
彼女はその言葉にもう一度だけ、“アレ”を見た。
未だわずかに息があるのは、堅牢たる竜の皮膚のおかげだろうか。それとも人であるから彼らが手加減したのだろうか。
血のような紅い目で息絶え絶えにこちらを見ていた。
人でもなく、獣でもなく、竜でもない。生き物としての一切を否定するその姿。
彼女は思う。
これが……彼が、望む姿……?)
彼はヒューロ氷洞を知っていた。ならば、この事だって知っていいたはずなのだ。そう考えても正しい。
いやむしろそれは正解なのだろう。彼はこの事を知っていた。知らないでこんな山奥の村に来られるわけがない。彼らだって、一人を抜かして知らなかったのだから。
なればこそ、これが彼の望む最後なのだ。人としての姿を捨て、いつ死んだか分からないような死を、彼は望んでいたのだろう。(こんな……こんな姿に、彼もなる、の……? ダメ! そんなの、絶対ダメ! 助けなきゃ……! 私が――)
そこまで考えて、彼女の脳裏にある光景が映った。
それは、昔の思い出の内、思い出とは呼べないもの。それは彼女の記憶であり、忘れてはいけない汚れであり――罪であった。
彼女は震えが止まらなかった。思い出したくない光景がありありと思い出してしまう。
(――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 思い出したくない! 思い出したくない! こんなの……思い出したくない!)
それでも、彼女は思い出してしまう。どんなに否定しても、それは現実に起こった過去であると告げるかのように。

 
◆◆◆
 
『助けて……誰か……助けて……』
それは彼女の声だった。それは記憶の声だった。それは彼と出会ってからの叫びだった。
誰も助けたくれなかった。誰も救ってくれなかった。誰も。誰も、だ。
だけど彼女は助かった。
同時に彼女は失った。
彼との日々を。彼との平穏を。彼との未来を。全部。その日に捨てた。捨てざるを得なかった。
捨てたくなかった。ずっと、ずっと彼といたかった。
でもいられなかった。いてはいけなかった。
だから、彼と再び会った日は死んでもいい位に嬉しかったが、決して自分だと気付かれない様にすると、心に誓った。 
全ては、彼のため。


彼がいたから、彼女は生きてこれた。
彼が生きていたから、彼女は生きようと思った。
彼が幸せであるならば、と思ったから、彼女は自らを殺せた。
だから彼女は彼から逃げた。汚れないと誓ったのに、汚れてしまった自分が許せなかったから。


彼女は、誓う。
――捨てたのに。全部全部捨てたのに。
――何故彼を突き放さなかったのだろう。何故彼と親しくなってしまったのだろう。何故。何故。何故?
――捨てなければ。こんな自分を捨てなければ。
――捨てなければ。彼のために全部捨てなければ。邪魔なものを全部、捨てなければ。
――今まで培った倫理も。道徳も、正義も、仁義も、愛も。全部。全部、全部、全部捨てなければ。
――何を恐れるのだろうか。私は一度捨てた。あの時に。全部捨てたんだ。
――あの日。私が【殺人】でこの手を染めた、あの日に。
――全部、捨てたんだ。

――捨てるんだ。もう、自分なんか……いらないんだ。
 

◆◆◆
 
体の震えが止まると彼女は自然と、腰のナイフに手を伸ばす。そして、
「……こんなの」
“アレ”に力を込めて、刺した。そのまま引き抜き、もう一度、ナイフを刺した。
「こんなの……こんなの、こんなの!」
彼女は護身用のナイフで“アレ”を思い切り刺す。何度も。何度も何度も何度も何度も何度も。
その光景に、彼らは一瞬何が起きているのか分からなかった。
「こんなのに、こんなのにっ! 彼を奪われるものかっ! 私が彼を助ける! 私が彼を助けるんだ!」
“アレ”の皮が裂け、肉を潰し、骨が砕けても、彼女はやめない。この“アレ”は別に彼を殺したとかいうのではない。
しかし、何故か彼女はまるで百年来の敵とばかりに何度もナイフを振り下ろす。
まだ息があったために凝固していなかった“アレ”の血が、彼女の服を紅く染めていった。
「そうだ、助けるんだ……。今度こそ……! 今度こそ、彼を! 私が彼を! 絶対……! 助けるんだ――!」
何十度刺したのか分からなくなったところで、とうとう“アレ”は動かなくなった。
彼女の眼は血走り、息は荒く、よもや鬼かと間違えるほどの憤怒の表情。その表情は、ピクリとも動かなくなった“アレ”を見て、徐々に狂喜の笑顔へと変わっていく。
「あは、あはは、あははははははははははは!! 死んだ! 死んだ! 私が! 私が殺したんだ! また殺したんだ!
気持ちがいい! 気持ちがいい! あぁ……今すごく、すごくすごくすごく――気持ちがいい! あはははは! あははははははははははははははははははははははははは!!」


彼女の狂った叫びと笑い声が洞窟内に響く。彼らは突然の彼女の変貌に動きを止めていた。止めざるを得なかった。
彼女はふと、笑いを止め、焦点の合っていない瞳で彼らを見る。
「どうしたんですか? ……あぁ、そうですね。ふふふ、すいません。つい、足を止めてしまって。久しぶりなものですから、つい」
抑制の無い彼女の言葉に、洞窟に入る前の温かい感じは一切感じられない。むしろ、氷のような冷酷さが見て取れた。
彼女はやんわりと笑いながら、彼らへ近づいていく。しかし、その笑顔には今までの癒しの色はない。代わりに、無邪気な意識――悪意が感じられた。
「ふふふ、本当。簡単そうなのに、意外と難しいものなんですよね」
彼女が彼らの目の前まで来て、彼らは後悔した。自らの愚かさを嘆いた。
彼らは忘れていたのだ。ここがどんな場所か。
最初にするべきだったのは、彼を助けることではなく、洞窟に入ることではなく、彼女を洞窟の手前に残すべきだったのだ。
「さぁ、行きましょう? 彼がきっと待っていますから。私の助けを待っているんですから」
全てを捨てた彼女の目は、既に――血のように紅くなっていた。

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最終更新:2013年04月28日 22:05