・エロなし
・ハントマンもドラゴンも(今のところ)でてきません
・ネタバレはニギリオの宿まで。
いつもと変わらない朝。
いつもと変わらない目覚め。
いつもと変わらない一日を始めるために僕は粗末な寝床を後にした。
コレルという名の使用人がいる。
若くて健康で性格も良く、使用人としての適正に溢れた優良物件だ。
本人がそう言うんだから間違いない。
所はアイゼン、貴族街の周辺部に、僕の住み込むその小さな家はあった。
まずは箒を担いでそう広くもない庭と玄関を掃き清め、それが終わったら洗濯にとりかかる。
そろそろ買い換えなきゃダメかなとボロい物干し竿を見ながら洗濯物を干し終わると、
次は水汲みと雑巾がけに入らなきゃいけない。
家の要所をカラ拭き水拭きし終え、それじゃ洗濯物が乾くまで休憩でもするかと
本棚に寄りかかって一冊拝借しそのページを開こうとしたところで旦那様から声がかかった。
「おーい、コレル!」
一行も読むことなく本を戻し、書斎へ向かう。
広げた書簡にせわしく筆を走らせ、次々と文を書き連ねるのに合わせて
眼鏡越しの視線を言ったり来たりさせる長い黒髪で僕と同年代の青年は、
僕が戸を開けると目を向けてくる暇も無いように仕事を続けながら言った。
「来たか?悪いけどそろそろ昼にしてくれ、忙しすぎて腹が減ってきた」
「はーい」
あれが僕のご主人だ。
一家代々旦那様の家の使用人をしてきたその息子である僕は、幼い頃から旦那様と共に育ってきた。
とあることで旦那様の両親と僕の両親を一辺に失う悲劇に見舞われつつもどうにか二人でやってきたのだ。
とまあ、もし僕たちが異性同士だったらなんらかのロマンスが生まれていたかもしれないが、
あいにく僕も旦那様も男なのでそういったことはなかった。断じてなかった。
……ともかく台所へ行き材料の確認をする。
ご飯の残りとくず野菜が少々。前もらってきた鶏肉の残りもそろそろ使ってしまおう。
火を起こして簡単に味付けしたお粥を作り、肉団子を入れる。
待つことしばし、よし完成。
出来たお粥を取り分ける。このとき肉団子は全て旦那様の方に入れるのが大人の常識というやつだ。
お椀を二つお盆に載せ、書斎へと取って返す。
「お待たせしましたー」
「お、じゃ昼にするか」
ずずー。
旦那様の前にお椀を置き、僕もそばにある小さな物書き机にかけて食べ始める。
……うん、もうちょっと味が濃くてもよかったかな?
無言で食べ続ける旦那様は、その内ふと思い出したように口を開いた。
「ああ、そういや忘れてたけど言おうと思ってたことがあるんだが」
「はい?」
ずずー。かつかつ。
聞き返す間にも食事を続ける旦那様は、また少しお粥をすすり、そしてお椀を口から放してこう告げた。
「お前クビ」
こうして僕は、かの悪名高いニギリオの宿の門を叩くことになった。
森の中にただ一本通っている道を歩きながら考える。
人生なにがあるか分からないもんだなあと。
感慨に耽りつつ歩き続けているうち、やがて本当にこの先に何かあるのかと思ったほどの静かな一本道の先から
木々の匂いとは違う匂いが漂い、開けた土地が見えてくる。
程なく、僕の眼前に落ち着いた意匠のいかにも温泉宿といった建造物が現われた。
あれが今日からの僕の職場、ニギリオの宿だ。
その庭先に佇む従業員らしき女の人に、僕は近付いていった。
「あの」
「いらっしゃいませ~人類最後の桃源郷、ニギリオの……あれ?ルシェの……お客さん?」
「いえ、新しい使用人ですけど」
「ですよねー!」
「……」
ですよねーって。
まあ船に乗ってここまで来れたという分を差し引いても身なりを見れば丸分かりなんだけどさ。
「まあそういうことで来たんですけど……まずはどちらに伺えばいいですか?」
「そうですねー、入って左の受付に断ってから二階のご主人の部屋へ伺うといいと思いますよ」
「あ、丁寧にありがとうございます」
「いいえ~、これから同僚になるわけですし。お仕事は辛いですけど脱そ……めげないで一生懸命頑張ってくださいね~」
今脱走って言おうとしませんでした?
さて。結局のところ僕はここに来ているわけだがもちろん黙ってクビになってきたわけじゃない。
『……クビ?今クビって言いました?』
『ああ言った、確かにお前クビと言った』
『……な』
『な?』
『なんでまたいきなり!?クビになるようなことをしでかした覚えはありませんよ……?』
『……まあな。そもそもお前がどうこうじゃなくてこっちの都合だからな』
『はあ……』
ちなみにこの間二人ともお粥をすすりながらの会話なので緊迫感もなにもありゃしない。
『とりあえずお前、ウチがしがない貧乏貴族だってことは知ってるな?』
『はいまあ、お金も地位も力も無いうだつのあがらない貧乏貴族であるという程度には』
『張っ倒すぞ。ともあれまあそういうことだ、……ぶっちゃけお前を雇っておくほどの金がなくなった』
『給料なんてもらった覚えがありませんよ』
『金があっても俺がお前に給料をやると思うか?』
『いいえ、全く』
『本当のことだがムカついてきたぞ。まあ、これ以上お前を食わせていけないのも本当だけどな』
『でもですね、でもですよ?いくらなんでも二十年近く連れ添ってきた僕を、
いきなりクビってのはあんまりじゃないかと!今まで築いてきた絆というものを考慮して頂けないですか』
『絆じゃ飯は食えない』
『うっわひどい!友情はプライスレス』
『……下らないことを言うな。』
『だってそうでしょう!ああこれまで僕が信じてきたものはなんだったんだろう。こんな鬼や悪魔のごとき所業を受けようとは』
『……食わせておけなくなったとはいえお前の再就職先だけはなんとか見つけておいたんだがな』
『神様仏様旦那様。やっぱ絆を信じてよかった』
『現金すぎるだろお前……まあ、とにかくそこへ行きゃ飯だけは何とかなるだろ。ニギリオの宿ってとこだが』
『………
……え?ニギリオ?』
とまあ、そういうわけだ。お金が無いと言われちゃ居座っているわけにもいかない。
共倒れしたってしょうがないしね。
さて、受付も通っていよいよここの主、ジェンジェン爺とご対面だ。
使用人ネットワークの産物として僕もジェンジェン爺の噂は色々と耳にしている。
曰く、裏の世界の覇王。金の亡者。元マフィアの頭。
そのくせ根城に引っ込んで金儲けに勤しむ温泉宿の主人としての顔を持ってたりする偏屈ジジイ。
その裏の実態を知っているものは本人を除き一人もいない……
……温泉宿の使用人として呼ばれたわけだし、そんなに心配しなくていい、はずだ。うん。
深呼吸を一つ、僕は支配人室に踏み込んだ。
「失礼します……」
「おおいらっしゃいま…………ってなんだ!」
部屋の中にいた黒髪の老人が振り返り、さっそくお小言が飛んできた。
「お客様かと思えば薄汚いルシェではないか!さっさと用を済ませて仕事に戻……
……うん……?たしかお前の顔はまだ見たことが……」
いきなり叱咤モードに入りそうになった老人は、新顔である僕を見て一旦停止する。
人の出会いは最初が肝心、僕は背筋を伸ばしてはっきりと自己紹介した。
「あ、はい!以前こちらに伺いましたショウジュの家から新しくご奉公に参りました、コレルと申します。
至らないところもあると思いますが、一生懸命働かせていただきますのでどうぞよろしくお願いします!」
「……ふん。最近の者にしては多少躾が出来ているようだな。ショウジュ……?たしか……」
振り返った黒髪の小柄な老人は、再び机に戻って何か帳簿のようなものをめくり始めた。
これが、ジェンジェン爺。……驚くほどイメージどおりでちょっと怖い……
「ショウジュ!そうか、あの糞生意気な若造だな!……そうか、お前か!
人を馬鹿にしくさった態度で使用人を紹介しましょうかなどといらなくなった穀潰しを押し付けてきおって!」
「す……すいま……」
なんて言い草だろうか。
当たってるだけに。
予想通り過ぎる人柄に毒を抜かれつつも、僕は次の言葉を待った。
「まったく……で、ここの使用人になりに来たとか言っておったな……」
「は、はい」
ジェンジェン爺は後ろを向いて何か別の冊子をめくって行く。
遠めに見る限り使用人の、名簿?……のようだ。
「ふん」
「……」
「小僧」
「はい!」
「働きに来たと言ったな」
「はい、どうぞよろしくおね」
「いらん、帰れ」
「ご無体なっ!!」
それはもう突然かつ完璧な宣告だった。
か・え・れ。帰れ。
……前述の通り、僕には帰る場所がない。
帰れといわれて帰るわけにはいかないのだ。
【粘りますか?】
……もちろん『YES』だ!
「なんじゃその目は!?
ウチにはすでに十分な数の使用人が働いておる!
無駄な人員に払う金などないわ!」
【それでも粘りますか?】
『YES』
「帰れと言っとろうが!
何か?自分がよければこの零細経営の宿が苦しくなってもいいというのか!?
なんと自分勝手な、ああこれだから近頃の若い奴は嫌なんじゃさっさと帰れ!」
【負けずに粘りますか?】
『YES』
「ええい……しつこいやつめ!
これでもやるからさっさと帰れ!」
【パロの実を手に入れた!】
【…………死ぬ気で粘りますか?】
『……YES』
「なんじゃと!?これでも帰らないのか!
ええい、それならやったものを返せ!」
【パロの実を取り上げられた!】
「……ふん、そこまで言うなら雇ってやってもいいぞ?
その代わりここの使用人が一人泣くことになるがな、それが資本主義というものじゃしな!」
「!?」
「やれやれ、そうと決まればクビにする奴を決める作業にかからなくてはな。
心が痛むが仕方ないわい、一人を救えば一人が救われない、それが世の中というものじゃ。
諸行無常、盛者必衰、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
後から来た奴が諦めれば万事丸く収まるのにな」
「……」
【……本当に、全力で、恥も外聞もなく、土下座して粘りますか?】
『YES』
「……心の底から申し上げます、どうぞ、これ以上、酷いこと仰らずここへ置いてくださいませんでしょうか」
「!?」
「どんな仕事でも喜んでやりますので、ほんとに、どうか、ちょっとでいいんで哀れみの心をお願いします、いやマジで……」
……粘ること30分。どうにか僕は生きていく場所を手に入れた。
――――――――――――――――――――
これが、僕がニギリオの宿で働くに至るまでの経緯だ。
ここらで一つ閑話休題を入れて頭をリセットしたいところではあるけれど、
残念ながらそんな話題もないので現在の僕の様子に移ろうと思う。
宿泊施設の朝は早い、めっちゃ早い。
日が昇る前に起きだし、僕は同僚達と共に仕事に取り掛かった。
ちなみに、僕たちが寝起きする宿舎についての描写は特にしないので自由に想像して欲しい。
たぶんそれで大体合ってる。
僕達の最初の作業は露天風呂の掃除だ。
お客さんの中には朝風呂という奴がめっぽう好きな人もいるわけで、彼らが起き出してくる前に
夜の間に落ちた葉っぱやらなんやらを片付けてぴかぴかに磨き上げておかなければならないのだ。
かき集めた落ち葉などを捨てに行くと、ちょうどゴミ出しに来ていた給仕の女性が声を掛けてきた。
「あ、おはよう。どう?そろそろ仕事には慣れた?」
「おはようございます。はい、しっかり教えてもらえるおかげでバッチリです」
「うん、クタベさん面倒見がいいもんね」
この人がニコレットさんだ。
僕より少し年上で、担当は違えど仕事に関することを色々と教えてくれる。
とても明るくいつも笑顔を絶やさないので皆から親しまれていて交友関係も広い。
ちなみに、さっき話の中に出てきたクタベさんというのは……
「おぉい、立ち話もいいがきちんと仕事を片付けてからにしないとダメだぞ」
噂をすれば影。振り向けばクタベさんがデッキブラシを持って苦笑している。
「あ、すみません。じゃニコレットさんまた」
「私も仕事しなきゃ」
「さ、行こう」
そうしてニコレットさんは戻っていき、僕はクタベさんの後について歩き出した。
クタベさんはここの使用人達の中では年長の、ややくたびれた感のある男性だ。
けれど僕は、その小柄だけどがっしりした体躯や積み重ねた苦労が刻まれたかのようなシワをかっこいいと思ったりする。
後輩や新入りにも優しく、新入りである僕を同じ班に入れて色々面倒を見てくれるいい人だ。
「それにしてもなかなか飲み込みが早くて、助かるよ」
「あ、ありがとうございます。ずっと使用人だったんで、掃除とかは自然と分かるみたいです」
「ああ。だが、ここは大勢のお客様を相手にするところで家付きの使用人とはだいぶ違う。
そのあたりのことはやはりニコレットに教えてもらうといいかもしれないな」
「はい」
そう。生まれたときから使用人になることが決まっていたような人生を送ってきたおかげで
仕事自体はそう苦にならないが、やっぱりお客さんを相手にするというのは違う。
使用人としてはともかく接客業のスキルがない僕はまだまだ仕事を任せられるレベルじゃないということだ。
少しでも早く仕事を任せられるレベルにならねばと誓いつつ、後は黙々と作業をする。
掃除しなければいけないところはいくらでもあるし、水を汲んだり食材を運んだりとやることは尽きないのだ。
ただでさえ無理やりここの使用人に納まったことでジェンジェン爺からいい目で見られていない僕は、
評価向上のためにそりゃもう馬車馬のように働くほか無かった。
ただ、今だから思えることがある。あの時『働きたい』と言ったからあんなに帰れ帰れ言われたのであって
もし『働きたくない』と言っていたら速攻で働かせてもらえたんではなかろうか。
……そんな訳無いよね。そんな訳無いと思うことにしよう。
「……ふぅっ」
とりあえず仕事は一段落着いた。
もちろん掃除なんてのは一日中やってたって足りないわけだし一日の仕事はまだ始まったばかりだが、
とりあえずお客さんが起きて来るまでにやらなければいけないことは終わった。
この後は朝食を取った後、いくらやっても終わりの無いエンドレス掃除タイムに入ることになる。
それにしても。
一つ一つの仕事が苦にはならないとは言ったが、全体的なキツさとしては相当な感がある。
まだ仕事はいくらでもあるのに、足腰の筋肉は微妙にだるい。
この調子で身体を酷使していけば、行く末は『貧相なくせにガチガチ』と揶揄される
典型的な小作人体格になっていくこと請け合いだ。ま、今でも微妙にそうなんだけどさ。
しかし、こうしているとなんだかまんざらでもない感覚と共にこんなフレーズが浮かんでくる。
……労働って、いいね!
「……なに爽やか気取ってやがんだか……」
見られてたよ。
若干バツの悪い思いをしながら振り返ると、そこには
不機嫌そうな視線を投げる短髪の青年が一人座り込んでいる。
「……えと、すいません」
とりあえずなんだか気に障ったらしいので謝っておくが、
どうやら先輩殿の機嫌は思ったより悪いらしかった。
「けっ、別に謝ってもらわなくたっていいけどよ。
あのクソジジイにこき使われてんのに、それを喜んでやってる奴がいると思うと嫌になんだよ」
「はぁ」
……成程。これが無理やりつれてこられたクチか。
知っての通り、ここで働いている人達の事情には二種類ある。
一つは僕のようにこの不況で勤め先が無くなり、ここに身を寄せて来るタイプ。
そしてもう一つが、詐欺に遭ったり借金のかたに売られたりしてここで働くよりなくなったタイプだ。
目の前にいる先輩はどうやら後者のようだった。
「……先輩は、どうしてここに?」
今思えばここで黙ってればよかったのだろうが、僕は地雷原に続く一歩目を踏み出してしまった。
案の定先輩は険悪度を上げた視線を向けてくる。
「……騙されて連れて来られたんだよ。んなこと聞いてどうするってんだ」
「いや……ここで働いているのが不満なような感じだったんで、なんとなく」
「ここで働くのが、だ?いちいちすっとぼけたこと言ってイラつかせてくれる野郎だな……
いいか?俺はな、金持ちだの権力者だのそういう奴らが皆だいっ嫌いなんだよ。
俺達みたいな底辺層を踏み台にして自分が得することばかり考えてやがる、
そーゆー奴らに尻尾振ってる奴も俺は大嫌いだ」
「……」
むう。
さすがの僕でも『尻尾振る奴』が誰を指しているのかは分かった。
随分と嫌われてるなあ。
さて、こんなところでケンカ腰になるほど分別が無いつもりは無いけどここで引き下がって
それこそ尻尾を振るしか能のないやつだと思われてもつまらない。
一応説得を試みては見よう。
「……これでも尻尾振ってるつもりは無いんですよ?
ただなんていうか、性格的に仕事はきっちりしないと気が済まないっていうか」
「仕事、ね」
「…………
いけませんか?自分の仕事ちゃんとやるってのはおかしいことじゃないと思いますけど」
「いけねえなんて言ってねえよ、ただ使う側の奴らに良い顔してんのが気にいらねえだけだ」
「良い顔したいんじゃなくて仕事をちゃんとしたいだけだって言ってるじゃないですか……!」
まずい、険悪な雰囲気になるのが止められない。
だけどここで引き下がるわけにはいかなかった。
好むと好まざるとに関わらずずっと使用人をやってきて、それなりに使用人であることの誇りも美学もある。
それを根底からぶち壊されるようなことを言われて、黙っているわけにはいかないのだ。
「大体、聞いてれば使う側の人をよく思ってないことは分かりますけど。
元々が使用人なんて使う主人がいて初めて成り立つ商売じゃないですか。そのことを踏まえた上で
使用人としての誇りを持ってやってるんだから、他人にとやかく言われることじゃないと思います」
「誇りだ!?使用人の?そんなもんが本当にあると思うか?
雇う側の都合であれだこれだ指図されて所有物として扱われて、牛や馬とどこが違うんだよ!」
「牛、馬、所有物で結構です!自分の財産を大事にしない人がいますか!?
働かせるために雇った人材にわざわざ意地悪して働けなくしたり長続きしないようにさせる人がいますか!
自由が少ないのは事実ですけど、少なくとも使用人だって真面目にやってりゃそれなりに幸せになれるじゃないですか!
そんなことも考えられないんですか?」
「……」
「……」
「……ああそうかよ」
彼は立ち上がった。
こちらを真っ直ぐに睨みながらつかつかと歩み寄ってくる。
「そうだろうな。お前の言ってることは間違ってねーだろうさ。
で、悪口ばかりで真面目にやらねー俺はたるんでるだけだと。結構だよ。
でもな」
そして彼は、右手で向こうを指差した。
「あいつに同じことが通じるか?」
彼が指差したのは、重そうな水桶を運ぶ小さな女の子だった。
その身体に見合わない大きな桶を提げ、懸命に運んでいる。
「あいつだけじゃねえ。ここには小さい奴も身体の弱い奴もいるのは知ってんだろ。
そいつらはな、使用人が向かないからってやめるわけにはいかねえんだよ。
その自由が無いことは大したことじゃねえのか?俺は納得いかねえんだよ」
「……ぅ」
「確かにお前みたいな健康で良く働く馬なら大事にしてもらえるだろうけどな。
病気の馬やヨボヨボになって働けなくなった馬はどうだ?下手すりゃ処分されるだけじゃねえか!」
……ヘコんだ。
完膚なきまでにヘコんだ。
あのあとまた仕事に戻り、今は昼の休憩だ。
どうも僕が精神的にやられたことは顔に出ていたらしく、クタベさんにかなり心配されてしまった。
「……はぁ」
「どーしたの、そんな暗い顔して」
「ニコレットさん」
本当に余程ダダ漏れらしい。ニコレットさんまで声をかけて来た。
「いえ……なんでもないです」
「なんでもなくないでしょ。ま、無理に話せとは言わないけど」
「……すいません。どう言えばいいのか分からなくて」
「気にしない気にしない。さ、元気出して。もう休憩終わりよ」
(……反論できるだろうか)
あの先輩の言ったことは事実だ。
僕にとっては従属なんて苦痛でもなんでもないが、それはあくまで『僕にとっては』だ。
思えば僕はいい環境に恵まれて居たのだろうが、そうでない人だっている。
そんな人たちが居るということを踏まえた上で僕はどう振舞うのが正しいだろうか。
世を嘆きながらなるべく嫌そうにしているとか?
そんなわきゃ無い。
………。
(……なんかだんだん腹が立ってきたぞ)
そもそも僕は何でこんな事で頭を悩ませてなきゃいけないのだろうか。
これは社会の問題であって、一介の使用人である僕が考えなきゃいけないことじゃないはずだ。
せっかく温泉宿なんて珍しいロケーションでの使用人ライフを送れると思ってたのに……
(……あ)
あの子だ。
相変わらずその小さな身体では無理のある仕事を懸命にこなしている。
「……」
僕は黙って彼女に近付いた。
「あ」
「よっと」
水桶を引き取り、ポカンとして見上げてくるその子に聞く。
「どこまで持っていくの?これで終わり?」
「え?え、えと、お風呂の入り口に置くんですの。それで、お客さんが使って無くなったらまた……」
「分かった。じゃ早く戻してお客さんのチェックに戻ろう」
それだけ言って駆け足で浴場入り口へと向かう。
呆気に取られていた女の子も一拍遅れて付いてきた。
「……ここでいい?」
「は、はいですの、あの」
「じゃあ、また無くなったら呼んでくれる?
桶を運ぶのは僕のほうが向いてるから、その間お客さんの相手をしてて」
「でも、あの、それじゃお兄さんの仕事が」
「大丈夫、僕は働き盛りだからその分たくさん仕事をしなきゃいけないんだもの」
じゃ、と言い残して自分の仕事場へ戻る。
「……」
デッキブラシを手に取った。
気合いが漲る。
傍目からはさぞ間抜けに見えるだろうが、今の僕の心は巨大なドラゴンに立ち向かうハントマンのようだ。
「いくぞ」
そうだ。なんかもう吹っ切れた。
さっきのことは我ながらなかなかの偽善っぷりだった。
他人を手伝ってる暇があったら自分の仕事をしろという嘲りが聞こえるようだ。
……なら自分の分と他人の分を引いてもお釣りが来るくらい仕事すれば問題なしだ!
「てやああぁぁー!」
気力満点、僕は猛烈さの中にも丁寧さを忘れない心構えで一気に仕事の殲滅にかかった。
「……ふぅっ!」
非常に疲れたがそれもこの充足感を思えば吹っ飛んでしまおうというものだ。
受け持った掃除箇所をいつもより一時間ほど早く掃除し終え、
余った時間で夕食の準備でてんてこ舞いの厨房へ材料を運んだり水汲みを手伝ってきた。
仕事がはかどったという事実はこうも自尊心を満足させる。
「……今度はなんなんだ」
あの先輩が箒を手に立っていた。
その表情はどことなく呆れているようにも見える。
ぎろりとねめつけ、僕は言った。
「…………こうしないと、自分のスジが通せないんですよ!何か文句ありますか?」
「何も言ってねえだろ!?なんでつっかかってくんだよ!」
「朝方散々つっかかって来たのはそっちじゃないですか!」
びっ!と人差し指を突きつける。
「ええ、ええ、そりゃ世の中いい人ばかりじゃないし僕と違って辛い思いしてる人もたくさんいますよ!
じゃあどうしろってんですか!百歩譲って不愉快なのは分かりますけど、
それなら一緒にいやーな顔してれば満足なんですか?違うでしょう!?
じゃあどうしろってんですか!!僕に何が出来ます?何も出来やしませんよ!!」
「逆切れかよ!?」
「逆切れでなにが悪いんですか!人の使用人ライフに水を挿すようなことばっか言って!」
「悪かったな!でもな、これだけは譲れねーぞ!
仕事のためだろーとなんだろーと、それで無理に仕事させられる奴らのことを仕方ないなんて」
「誰が言うんですか!そういうときは助け合うでしょう!?」
「ん、おう」
「だいたいどうにもならないことがあるからってウジウジしててもしょうがないじゃないですか、
それならそれなりにせめてマシな環境を作れるように知恵を絞るのが前向きな生き方でしょう」
「ああ、で……」
「別にお互いに支えあっちゃいけないとか言われてる訳でもなし、
最終的に仕事さえできてりゃここの主人なんかは満足するんだから
適当にこっちで工夫すればいいんですよ!大体……」
「だから、その……ちょっと待て」
「与えられた……はい?なんですか?」
「えと、あの、な?
……俺は別にお前があのクソジジイの手駒になるんじゃないかと心配してるだけで、
お前のポリシーを否定したいわけじゃないってかむしろどうでもいいというか……」
「……
…………ええーーーーー!?」
「ええーって言われても」
「え、だって、それじゃ僕は何のためにあんなに悩んだり……」
「知るかよそんな事」
……なんということだろう。
あまりのことに僕はがっくりと膝をつき、思いっきり脱力してへたりこんだ。
ああ、気力が尽きた。
あからさまにやる気のなくなった僕に、先輩は念を押すように聞く。
「で、もういっぺん聞くぞ。身体の弱い奴調子の悪い奴、立場の弱い奴を監視する方になったりは……」
「しませんよ、そんなこと」
「……そうか」
一拍、間が空く。
「……じゃ、お前もちゃんとした『仲間』なんだな。疑って悪かった」
「あ」
差し出された手を見る。
やがて、段々と、僕は理解することができた。
新しい友達ができたのだ。
たった今失われた気力がもう戻ってきた。
我ながら分かりやすいと思いつつも、その手をしっかりと握り返す。
「……どうも。これからよろしく」
「へっ」
そうして僕の仲間は一人増える。
ここへ来たときはどうなるかと思ったが、ニコレットさん、クタベさん、そしてまた一人分かり合える人ができた。
この分なら新しい生活にもきっとすぐなじむことが出来るだろう。
そう信じるのに十分なこの一日は、後に他にも色々な人たちと仲良くなるのに大きな自信を与えてくれた。
……
眠くなってきた。
まだ彼女のことを書くところまでいっていないが、明日も早いし今日はこの辺でやめにしよう。
所はアイゼン、東の半島。そこにある温泉宿で、僕は明日も働いているだろう。
最終更新:2013年05月04日 23:49