以下人名対象一覧(前回まで登場分)
コレル:第一人称。骨の髄まで奴隷根性の日和見青年。
ニコレット:にこやかな給仕の女性。優しいお姉さん。
ハンコツ:前回名前の出てこなかった『先輩』。偉い奴は大嫌い。
ガーベラ:同じく前回名前の出てこなかった少女。あるいは幼女。
どの語尾に「ですの」を付ければいいのか迷う。
この星に暮らす二つの知的種族。
この二つの種族には、地域によって様々な呼び名がある。
例えば、
『ヒト』と『ルシェ』。
『人間』と『ルシェ』。
『人間』と『亜人』。
『ルシェ』と『他民族』。
『戦う民』と『東の民』。
『ヒト』と『半獣の民』。
……こんな具合に。
どの呼び方をしているかでその人の出身地が判ると言われるくらい、二つの種族に対する呼び名は多い。
異邦人同士の揉め事があればその半分は種族の呼び方に関することだというのも頷ける話だ。
ちなみに僕は、『人間』と『ルシェ』という呼び方を使っている。
お国柄ヒトのことを人間と呼ぶが、自分の事を亜人と呼ぶほど卑下するつもりは無いというわけだ。
(亜人というのは『人間に次ぐもの』という意味らしい。僕としては『ヒトとルシェ、合わせて人間』だと思っている。)
で、僕はルシェであることを特別にこそ思っていないが誇りには思っている。
自分を構成するアイデンティティーのひとつでもあるわけだし。
……だから、
「あんたなんか、これっぽちもルシェを名乗る資格なんてないわよ!!」
……なんてことを言われると、ものすごくヘコんでしまうのだ。
――――――――――――――――――――
あれから少し経った。
相変わらず僕はこのニギリオの宿で、日夜こき使われる日々を送っている。
まあ『仕事を楽しむ』すべを取得している僕にとってはこれくらいなんでもない……
……なんて言うと一気に仕事量が増える気がするので言わないが、それなりに気楽にやっている。
もちろん肉体的にはまだまだ負荷が激しいが仕事も少しずつ覚えてきたし、
口は悪いが根は良い先輩であるハンコツさんとも仲良くなって今のところここでの生活は順調だ。
このままいけば……いけば?
若いうちにした苦労は人格を磨き、肉体を強くする。
このまま経験を積み重ねていけば、何十年か後には僕も良い感じにくたびれた頼もしい使用人になれるだろう。
朗らかで親しみやすくそれでいて有能な、そんな使用人になることが僕の目標なのだ……お嫁さんも欲しいかな。
後者の目標は達成できるか分からないが、出会いはひょんなところに転がっているもの、
運を天に任せてそのときが来るように祈ろう。
「さてと!」
そんな事を考えているうちに客室に箒をかけ終わり、僕はちりとりを手に立ち上がった。
履物入れの方を掃除していたハンコツさんを見るとあちらもブツクサ言いながら片付け終わったようだ。
「よし、じゃこの部屋で終わりですよね」
「ん、おぉ」
ハンコツさんとは楽しそうに仕事をしているのが気に入らないと因縁をつけられたところからの仲だが、
分かり合ってからは一緒に仕事をすることも多く、性格は違えど親友と言っていい付き合いを続けている。
彼と共に部屋を出ると、すぐそこでこれまた最近すっかり顔馴染みとなった女の子と出くわした。
「お疲れ様ガーベラちゃん」
「お疲れ様ですの」
水桶運びを手伝って以来親しくなったこの女の子は、
最近人に仕事を頼むということを覚えてスムーズに仕事を進められるようになったようだ。
「客室にお花をかざりに来たんですの」
「ふぅん……浴場入り口のチェックは?」
「今はお掃除中ですたっふおんりーですの」
「あ、そっか」
「で?こりゃ色の違うのを一本ずつ挿しゃいいのか?おーい!マンザラ!」
「んー?なんだ?」
ハンコツさんに呼ばれてもう一人の青年が顔を出す。
この人がマンザラさん、髪を刈り込んであるとこなんかはハンコツさんとそっくりだが
性格は似ても似つかない穏便主義でどちらかというと僕と気が合うタイプだ。
「花だとよ。花瓶だしとけ花瓶」
「おう」
ちなみに仲良くなる人仲良くなる人皆お互いに親しいので不思議に思ってはいたが、
なんのことはない。どんな職場でもなかよしグループというものは出来るらしく、
僕がそのグループの一つに入っていこうとしているだけだった。
思えば会った時から僕の情報も伝わっていてあっさり仲良くなれたなあと思わないでもない。
「じゃ、僕達は庭の掃除に戻りましょうか」
「かったりぃなあ……」
「またそんなことを。……ん?」
それに気付いたのはそのときだった。
ここは二階の、吹き抜けに面した客室前なのだが一階がなにやら騒がしい。
手すりから身を乗り出して下を覗くと、階下ではちょっとした騒ぎが起こっていた。
「なんだぁ?」
どこか死角の奥の方から言い争う声が聞こえてくる。
周りの騒ぎを聞きつけた人たちの話し声で良く聞き取れないが、
一際大きく聞こえるのは若い女性がなにか知らない言葉を交えてまくし立てる声だった。
そのままひとしきり言い争いを聞き続ける。と、やがて眼下を一人の少女が賭け抜けて行った。
すぐに彼女は死角に入ってしまい、そちらの方からまた騒がしく声が聞こえてくる。
「とりあえずあの女が騒ぎの原因みてーだな」
「そうですね」
階段を下りていくと、途中でまたちらりとあの少女が見える。
金色に少し茶を混ぜたような髪と、同じ色をした耳。
一瞬しか見えなかったが彼女が旅人らしい服装をしていることも分かった。
(旅行中のお客さんかな?……それにしても)
「……あの子、可愛かったなぁ」
「そうかぁ?」
思わず口に出てしまったが仕方ないので彼女に意識を戻そう。
先程見えた彼女が一般的にみて美人とカテゴライズされるかは疎いので分からないが、
少なくとも分かったことは、僕は彼女のような女性がタイプらしかった。
(もしかしてこれが世に言う出会いの機会、というやつなんだろうか)
「……なんて、そう都合よく出会いがあるとも思えないけど」
「おいおい本気かよ……お前あーゆーのが好みなのか?」
「うっさいですね」
しかしまあ、運がよければ知り合いになれるかもしれないチャンスだ。
とりあえず行ってみるだけ行ってみることにして、僕は騒ぎのあった吹き抜けのほうに近付いていく。
近い。
どうやら現場はすぐそこらしく、僕は戸の無い入り口からそちらのほうへ顔を出した。
そして、
見えたのは靴の裏だった。
「どっけえええええぇぇぇぇぇ!!!」
……ええ、そりゃもう見事な浴びせ蹴りだった。
入り口の上枠を掴み身体を振り子のようにスイングさせながらの一撃は、
パワー、スピード、角度ともに必殺の一撃と呼ぶにふさわしい威力で僕の真芯をきれいに捉え、
その意識を即座に刈り取りエデンの果てまでぶっ飛ばしてくれた。
…………惚れたよ。
――――――――――――――――――――
気が付くと天井を見ていた。
「知ってる天井だ……」
屋根と、壁と、床しかない従業員宿舎の天井だ。
僕はその従業員宿舎(男子用)で布団に寝かされていた。
ハンコツさんが声をかけてくる。
「よう、頭は大丈夫か?」
「いきなりご挨拶ですね……」
「冗談言ってんじゃねーよ、ほんとに頭の方は問題ねーのか」
「うーん……」
若干くらくらするが特に問題はなさそうだ。
立ち上がってみると平衡感覚も異常はないようだった。
「大丈夫みたいです」
「おう。ま、今日はゆっくり休んどけ」
「仕事は?」
「お前な……ああ仕事な、なんというか、その、いろいろあってな」
「よく分かんないですけど……そのどさくさに紛れてハンコツさんもサボってるという予感がヒシヒシします」
「うっせえ」
図星か。仕方ないなと思いつつ、僕はもうひとつ気になることを思い出していた。
さっそく横を向いているハンコツさんに聞いてみる。
「あの……あの女の子は?」
「あいつか?まだここにいるぜ」
「!ほんとですか?」
気を失っている間にいなくなってしまったかと思っただけに、少し嬉しかった。
我ながら懲りないとは思うが、ハンコツさんに頼んで彼女のもとに連れて行ってもらうことにする。
宿舎を出るともう夕方だった。
「……はぁ?あの女が気に入っただぁ?」
「えぇと、まあ」
「お前を出会いがしらに蹴り飛ばした奴だぜ?……お前もしかしてそっちのケがあったとか」
「違いますよ!」
「じゃ、強い女が好きなのか?」
「そーゆーのとも違うような」
「じゃなんでだよ……」
「そこが自分でも分からないところが不思議とゆーか」
「わかんねえ奴だな、ほれ、いたぞ」
指差す方に目を向ける。
するとそこに、ニコレットさんとマンザラさんの傍らに、確かに彼女はいた。
金色にぱさついた茶色を混ぜたような髪。
気の強そうな目。
不満を表して膨らんだ頬にぴりぴりとせわしなく震える耳。
彼女がそこにいた。
「だーかーら!私はお金が無くてここに売り飛ばされてきたんじゃなくて……」
「分かったから落ち着きなさい。ね?」
「落ち着けるわけ無いでしょ!?こっちは騙された挙句散々コケにされたのよ!?」
「よう、相変わらず喚いてんな」
「あぁ!?」
ご機嫌斜めのようでどう声を掛けたものかと逡巡する僕を尻目に、ハンコツさんがあっさりと声を掛ける。
超反応で飛んできた殺人的な視線を受け流し、ハンコツさんは親指で僕を指し示た。
「ふん。おい、目を覚ましたから連れてきたぜ。とりあえずこいつになんか言うことはねーのか?」
「ああん?……誰だっけ、あんた」
覚えてない!?
若干ショックにとらわれる僕を見てマンザラさんが助け舟を出してくれる。
「お前さんが蹴り飛ばした男だよ、覚えてないか?」
「……あぁ!」
追加説明でようやく僕の事を思い出したらしく、納得したように手を打って彼女は僕に近付いてきた。
「ふーん……そっか、あんただったんだ。
ごめん、蹴り飛ばしたりして悪かったわね」
「気にしないで、このとおり元気だから」
そう答えながら僕は目の前の少女を観察した。
若干気性は荒いが、少なくとも悪い人じゃなさそうだ。
そっけない言い方だがいいかげんな謝罪じゃない。
「それより、僕が蹴られたときの事の経緯が知りたいかな。
あ、僕はコレル、ここで働いてる使用人だよ」
とりあえず話の糸口はつかめた。
ついでに名前も聞き出したいところだけど……
僕の思いを知ってかしらずか、ニコレットさんが絶妙な援護射撃をしてくれた。
「そういえば名前も聞いてなかったわね。私はニコレット、あなたは?」
「……バレッタよ。ネバンのバレッタ」
「ネバンプレス?」
ネバンプレス帝国。
『孤高の戦団』と呼ばれた異国の地。
彼女――バレッタさんの口から出た言葉を聞き、
僕は彼女の名前を記憶に刻み込むとともに自分の持っているネバンプレスの知識を展開した。
ちなみに、僕の情報源は元旦那様の家にあった本だけなので
持っている知識も受け売り状態であるのはわかって欲しい。
ネバンプレスは西大陸に築かれたルシェの国だ。
アイゼンとの仲は悪い……を通り越して断絶状態だったりする。
その理由の一つは過去の経緯。
カザンができるより、ミロスがアイゼンから独立するより昔、
それこそ千年単位の昔に、東大陸で迫害を受けたルシェは東大陸に残ろうとする同胞と袂を分かち
自由な土地を求めて西に旅立った。
海を越え砂漠を越え、雪原を渡り彼らは苛酷な環境を切り開いて一つの国を造り上げる。
それが後のネバンプレスだ。
そんな彼らが東大陸の民を良く思っていたわけが無い。
特にその昔から現在に至るまで存続しているアイゼンなどはなおさらだ。
対立感情こそ何百年という時が洗い流してくれたが、
今でもアイゼンにとってネバンプレスは辺境の蛮族の国だし、
ネバンプレスにとってアイゼンは変わろうとしない古い考えに凝り固まった者たちの国だ。
最近ドラゴンに対抗するために開かれた世界協定のときも双方の代表者は一言も口を聞かなかったらしい。
まさに好きの反対は嫌いではなく無関心……を体現するような関係だが、
まあお互いに遠ざけあうことで余計な争いが生まれないならそれはそれでいいのかもしれない。
世界に六つしか国家のないこの星で、もし戦争なんかしても馬鹿馬鹿しいしね。
もう一つの理由は、単純に地理的な関係。
二国はエデンの北西と南東、まさに世界の反対側だ。
世界の北と南、西と東は繋がってるんじゃ?なんてツッコミは却下する。
アイゼンからネバンプレスに向かおうと思ったら、アイゼンの公式船団にでも便乗しない限り
北上してトドワの丘を越え、ミロスに入り、西に向かってカザンに到達、船で南下して
プレロマを経由しつつ西の玄関口ゼザに向かい、そこから砂漠と雪原を越えてようやくネバンに到着となる。
そもそもネバンプレスはその地理的な関係からゼザを経由してプレロマと多少交流がある程度で、
その他の国に対しては殆ど交流が断絶しているまさに『孤高の戦団』なのだ。
……とまあ、彼女の故郷、ネバンプレスとアイゼンの関係はそんな感じか。
「で、そんな遠いところから何しに?」
「旅行よ」
「……」
ま、まあ断絶しているというのは国家レベルの話であって、
諸国漫遊を一種のたしなみとするアイゼン貴族なんかもたまにネバンプレスに行ってたりはする。
ネバンプレスからの旅行者がいたとしても驚くことじゃない、うん。
「どうせだから思いっきり文化の違うとこに行ってやろうと思って、
貯金をはたいて世界の反対側のアイゼンくんだりまでやってきたのよ。
……そしたら、そしたらよ!?」
「どーせ怪しいボッタクリの店に引っかかったとかだろ?」
「違うわよ!おいしいカニが食べられるって言うから、そいつに付いてここまで来たら
いつの間にかお金を盗られ荷物を盗られ、ご丁寧にここの従業員に登録されて
その上連れて来た奴はあたしのチケットで船で逃げててここに置き去りにされてたのよ!
追っかけようにもチケットすらないからどうしようもなくて……!」
「「………」」
「なおさらバカだろ」
「よくもまあそこまで……」
「きいいぃぃ!!」
哀れみの視線(呆れ含む)を向けられて彼女は地団太を踏んだ。
僕はといえばそんな彼女の一挙一動足を微笑ましく見守っていたが、
あまり見つめているのも失礼かもしれないと思い直し、話を進めることした。
「ここにいる事情は分かったけど……そこから僕を蹴り飛ばすまでの間にどんな経緯が?」
さしあたって次の疑問を向けてみる。
……すると、彼女の様子に変化があった。
なんとも嫌そうな顔というか、じと目で恨めしい視線を送ってくる。
何か変なことを言っただろうか。少し逡巡したが、答えはすぐに出た。
「……あんた、もしかして蹴ったこと根に持ってんの?」
「え?あ、いやごめん!そんなつもりじゃ」
あんまり僕が蹴り飛ばした蹴り飛ばした言うもので気になったらしい。
反省しつつ僕は先を促した。
ちなみにニコレットさんとマンザラさんは仕事が残っているらしく、
ここで僕達に断りを告げてから戻っていった。
「先って言っても……あとはそう、そうよ!
なによあいつ、あの強欲ジジイ!人が騙されたんだって言ってるのに
こっちも金を払ったんだからその分は働いてもらわないと困るとか!」
「あー、言いそうだ」
ってかやっぱり僕のときは天邪鬼だったのだろうか。
「私を騙した奴から取り返せって言ってもふん捕まえて連れ戻してくるから待てって言っても
全然話にならないからしまいには一旦逃げるしかないと思って……」
「で、出て来たこいつを思わず蹴り飛ばしたわけだ」
「……そうよ」
「ふぅん」
「ハンコツさん……だからあんまり蹴り飛ばす蹴り飛ばす」
「別にいいわよ……
……ふん!さて、どうやってここを出て行くか考えないとね。
さっきは止められたけど、あの強欲ジジイ
次になんやかんやふざけたことを言ってきたらこうして!こうして!
こうっしてっ叩きのめして、堂々と出て行ってやるわ!」
「勇ましいね……」
「当然でしょ!」
空を切ってシャドーボクシングやらキックやらしている彼女は、
ちょっぴり気後れの入った声を掛けると得意げに胸を張った。
「勇猛なるはルシェの魂、いかなるときも恐れを知らず!
どんなときも勇敢であってこそのルシェ、あんな耄碌なんて怖くもなんとも無いわ!」
「……はぁ」
ふふん!とばかりに胸を張るのに同調するように耳が誇らしげにぴんと立つ。
僕はそれを可愛らしいと思いつつ、だけど彼女のセリフに少しだけ違和感があった。
――さて、事情を聞くのは大体済んだ。
後はお金も荷物も無い彼女が今後どうするかだ。
とりあえず僕としてはこれ以上彼女とジェン爺がぶつかるのは避けたい、どうにか穏便な解決を承諾してもらわないとね。
そう思って僕は、それが後に頭を抱える事態への導火線とも知らずにその話題を出した。
「ところで、これからどうするの?ジェン爺のこともあるし……
出来れば話し合いで何とかして欲しいんだけど」
「私だって別にケンカしたいわけじゃないわよ?
ただ、あいつが次もあの態度なら確実にぶちのめしてやることになるけどね!」
「あの……あれでも僕らの主人なんだけどな」
「は?」
振り返った彼女は、何を言ってるのか分からないという顔をした。
「主人ったって、契約上の話でしょ?」
「そうなんだけど、まあどっちにしろ主人であることに変わりはないし」
「ちょっと待ってよ……何?あんたあいつになんか良くしてもらってんの?」
「へ?まさか!目の敵にされてしょっちゅう怒られてるよ」
「ならなんで庇うのよ……ちょっと見たけどあいつ、従業員に高圧的な態度ばっかじゃない」
「まあ、仕方ないことだし……それにそれとこれとは別でしょ?
使用人は主人の役に立つように働くもんだし」
「あんた……おかしいとは思わないの?」
彼女が眉をひそめて理解できない、という顔をする。
それだけでなく、確かに僕の答えは彼女の不快さを刺激しているらしい。
それが分かっていながらも、僕はこう答えるよりなかった。
「……特に」
「…………」
彼女は今度こそ不快さを顔に表した。
ため息を一つ、そしてただ一言。
「……飼い慣らされてんのね……」
「……!」
「何よ、違うの?」
「……否定はしないよ」
「しないの」
「……」
なんだか嫌になるような沈黙が落ちる。
「ちょっと聞くけどあんた……ルシェの誇りは無いの?」
「……」
「何よ?」
「なんでもない。……ルシェであることを誇りには思ってるけど、ルシェの誇りとかは無いと思う」
「何言ってんの……!?」
「そんなことより、」
「そんなことよりじゃない!」
彼女はついに怒鳴った。
困った。どうも僕は、彼女の退くことのできない場所に踏み込んでいるようだ。
どうにか話を逸らそうとするのが、またしても彼女の険に触れる。
「ルシェの誇りよ!?それを、あんたはそんなことで済ますわけ?」
「……僕は、せっかく人間とルシェと二つの種族があるんだし、
片方にこだわらなくてもいいかななんて。それに……」
「ちょっと待ちなさいよ……」
「え?」
「なんであんたは東の民を人間って呼ぶの?ルシェだって同じ人間でしょ……!?」
「あ」
……完全に不意打ちで、僕は自分の失言を知る。
まさに続けざまに地雷を踏んでいる状況だった。
そうだ。ネバン出身の人の前で、ヒトを人間と呼ぶべきでないなんてことは知っていたのに……
「アイゼンでは……そういう風習なんだ。確かに僕もルシェだって同じ人間だとは思うけど……」
「……もういいわ。でもね、これだけは言うわよ……!」
そして彼女は、満身の怒りと軽蔑を込めて言い放った。
「あんたなんか、これっぽちもルシェを名乗る資格なんてないわよ!!」
……ものすごくヘコんだ。
さて、ヘコんだことはヘコんだがこのくらいはここに来てすぐの頃にもあった。
ハンコツさんに自分が見ないでいた現実を突きつけられ、ヘコんだ事だ。
だけど今回はこれで収まらない。
僕が精神的なダメージを受けている間に、事態はすでに動き出していた。
「……おい、その辺にしてやれ。そいつは平和主義なんだからよ」
ずっと口を出せないでいたハンコツさんがさすがに口を挟んできた。
僕を見下ろしていた彼女がそちらを向く。
「だって……私はね、ルシェの魂を侮辱する奴だけは大嫌いなの。
特にアイゼン人なんて大嫌い、ルシェの誇りを踏みにじる連中だもの!
それなのにこいつは、」
「で、そんなこと言うためにわざわざアイゼンまで来たのか」
……ハンコツさんがやや強引に遮った。
あの違和感が原因だ。
さすがに遮られたことには気付いたらしく、彼女は訝しげにハンコツさんを睨んだ。
「……何よ?」
「なんでもねえよ」
「何なのよ!」
「なんでもねえって言ってんだろ!それよりこいつはな、……ん?」
僕はハンコツさんの肩をつかんだ。
ここは、僕に言わせてほしい。
さて、前にもヘコんだと言ったが、前とは違うことが一つある。
僕は反省していない。反省してはいけないのだ。
ハンコツさんは僕が現実を見ていないことを怒ったが、彼女は違うところを怒った。
そう、彼女にはネバン人であるがゆえに許せないことがある。
だけどこれは納得するところではない。ハンコツさんは口に出すのをためらったが、
僕はあえて口にしてみようと思った。なによりこのままじゃ僕の評価はどん底のままだしね。
「ちょっといいかな」
「……!何よ?」
へこんでいたはずの僕が話しかけたことで、彼女は少し動揺したらしい。
「君の言うとおり僕は飼い慣らされてるし、強く物を言えないし、
僕が情けない奴だってことは弁解もしようが無いくらい確かだけど、
でも、僕にルシェを名乗る資格がないってのと、アイゼン人が嫌いだってのは取り消してほしいんだ」
「は……なんであたしが?ううん、あんた、自分が何言ってるのか分かってんの?」
「わかってもらわなきゃならないのはそっちだ」
「……!」
わざわざ気に障るような言い方をしてしまったなと思いつつ
彼女の様子を伺えば、案の定激高して猫のように毛が逆立つのがわかるようだ。
だけどこれを納得してもらわなければ僕の評価も回復しないし、なにより余計な軋轢の原因になりかねない。
それを忠告する意味でも言っておかなければ。さて、どう切り出したものだろう?
「……ネバンプレスの人たちは、自分達の事を呼ぶとき
ネバンの民とは言わずに『ルシェ』って呼ぶよね。いつだって、いつだって」
「……?だから……何よ……?」
「……アイゼン人は嫌い?」
「嫌いよ、大っ嫌い」
「そう……
……僕は」
そのとき彼女がかすかに怯えているように見えたのはきっと気のせいだろう。
「僕は、『ルシェ』で、『アイゼン人』だ」
「……
………
…………………………!!!!!!!」
彼女が凍りついた。
そして、まるで追い討ちをかけるように次の言葉が紡がれる。
「だから僕は、ネバン人が嫌いだ」
――――――――――――――――――――
……なんてことはもちろん言わないけどね。
でも、ネバンプレスが言うルシェとアイゼンのルシェが違うってことは分かって欲しい。
ネバンプレスとは違う誇りだから分かってもらえないとは思うけど、
でも違う誇りを持っているってことは分かってくれるでしょ?
僕らは皆アイゼン人だ。
それを嫌がる人だって当然いるけど、それを誇りに思う人だっていっぱいいる。
僕は、ネバンプレスの『ルシェの誇り』はとても気高くて崇高なものだと思うよ。
だから、君もこういう生き方もあるんだって少しでも認めてくれたらとても嬉しいな。
……って言おうとしたら天井を見ていた。
「……あれ?」
夢オチ?
しけた布団から頭をめぐらせて横を見ればそこにハンコツさんがいる。
「よう、頭は大丈夫か?二重の意味で」
「えーと……どこからが夢ですか?」
「はぁ?
……とりあえずお前があの女に蹴られたとこまでは現実だぞ」
「えと、客室の掃除をして一階に降りたときですか?」
とすると、あれから先のことは全部夢だったのだろうか。
それはさすがにキツイと思ったが、そうではないとハンコツさんが教えてくれた。
「あ?違う違う、二回目の方だ」
「二回目……」
「覚えてねえのか?」
「はい」
「はぁ……顎はどうだ」
「顎?」
言われて気付いた。
なんか……鈍痛というか痺れるというか……
「なんていうか、顎がきしむような……」
「あれをもらっちゃなあ」
ま た 蹴 ら れ た の か !
「……何されたんですか僕」
聞くのが怖いが聞かないわけにもいくまい。
ハンコツさんは顎をさすりながらなんとも言えない顔で、
「何って、俺も目では追えなかったけどな。いやもう、あの時は色々凄かったし。
お前がいきなりとんでもねえこと言い出して、一体こりゃどうなるんだと焦ったら突然、
バチン、って音がしてよ。何事かと思ったらもうすでにあの女の足が180°上を向いてて……
そりゃもう見事だったぞ?お前少し宙に浮いてたしな」
「……」
「ま、あの女も思わず反射的にやっちまったみたいだし、舌を噛まなかっただけ幸運だろ」
「そうですね……って、え」
なにか聞き逃せないことを聞いたような気がする。
思わず反射的に……とんでもないこと?
「え、あの、ハンコツさん?」
「ん?」
「僕がとんでもないことを言ったって……何言いましたっけ?」
「へ?それも覚えてねえのか?ええと、自分はルシェでアイゼン人だから……」
――僕は、『ルシェ』で、『アイゼン人』だ。
―――だから僕は、ネバン人が嫌いだ。
「……あああぁぁああぁぁあ!?」
そこで!?
そのタイミングで切られたのか!?
「おい、なんだどうした?」
「そんな……それじゃ嫌われるどころの話じゃ……」
「おーい、しっかりしろ」
「――はぁ、で、本当はその後にも続けようとしたんだけど
蹴られてそこしか伝わらなかったのね」
これはニコレットさんだ。
ものすごく落ち込む僕を、ハンコツさんはとりあえず食事だと皆が集まる裏庭へ連れてきたのだった。
「そうなんです……」
「俺もネバンの奴らは気に食わねえけどよ、それにしたってよくもあそこまで真正面から
言ってのけたもんだと思ったくらいだぜ?ありゃもう宣戦布告とかそういうレベルじゃねーな」
「そんなに」
「あぁ……」
「まぁ、その、なんというか、お前も大概バカだよな」
仰るとおりです。
「とりあえず元気出しなさい。ほら、食べて食べて」
「はい……」
玄米パンをもそもそと食べながら今回の件でどれほど嫌われたかを計算する。
食欲が失せそうなので即座にやめた。
とりあえず謝罪だけはしておこうか。
そんな事を思いながら蒸かしたパンを半分ほどかじったとき、ガーベラちゃんがやってきた。
「お疲れ様ですの。私にもひとつください」
「はい、どうぞ」
「ありがとう……コレルお兄さんはどうしたんですか?元気がなさそうですの」
「そんなに元気ないかな?」
「いつもやる気に満ち溢れてるからね。あのね、あの旅人さんのことで……」
「そうだったんですか……。
ああ、だからあのお姉さん泣いてたんですね」
「「「!?」」」
泣いてた?彼女が?
思いもしなかった情報は僕達を少なからず驚愕させた。
「ちょ……それ、本当なの?」
「ばーって走ってすれ違っていったからよく見えなかったですけど……たぶん間違いありませんですの」
「それにしたってよ……あれがちょっとくらい悪口言われたくらいで泣くタマかよ!?」
「でも……」
「……世界の反対側まで来て」
「?」
一言もしゃべらずにいたマンザラさんが口を開いたのはこのときだった。
僕達が目を向けると、ちょっと考え、またしゃべりだす。
「故郷を離れ、世界を半周するような距離を旅して文化も風習も違う異国に、
それもルシェが差別されると評判のアイゼンにやってきて、心細くとも
表面上は毅然としたふうを装い、そしたら今度は騙されて金も荷物も奪われた挙句
見るからにルシェの差別されるこんなところに置き去りにされ、
あまつさえ仲間だと思っていたルシェに……その子は典型的なネバンのルシェ民族主義だったんだろ?」
「え、はいたぶん」
ネバンプレスの人たちにとってはルシェであることは特別な意味を持つ。
それは単に種族的な意味ではなく、民族的な意味だ。
そして彼らはルシェであることを重要視するあまり、時にルシェという種族であることと
彼らにとっての『ルシェ』という民族であることとを同一視することがある。
「ああ、で、その子にとってはルシェ、同属がいるということが最後の心の拠り所だったんだろうな。
それがその仲間だと思っていたルシェに真正面切って拒絶どころか敵意を向けられたら……
……そりゃ、泣いても仕方ないかもしれん」
「うわ……」
「確かに……」
「……あ、ああああぁぁぁぁ…………」
ドツボにはまるとはこのことだろうか。
そうだ。彼女はどんな思いでここへやってきて、どんな思いでいたのだろう。
それを考えれば僕の仕打ちはあまりにも酷すぎたかもしれなかった。
どうしよう?
頭を抱え込んだ状態から見上げれば、帰ってきたのはドンマイ、という視線だった。
「やっちゃったことはしょうがないわよ。せめて謝りに行ったら?で、仲直りしてきなさいよ」
「あ、はい……」
謝って仲直り。何もしないよりはいいだろう。いや、そうすべきだ。
ただ、もう一度彼女に会いにいけるかというと……
「……あの、だれかに付いてってもらったりは」
「ダメよ」
「ですよねー……」
「頑張れ」
「はい……」
……はぁ。仕方ない、一人で行こう。
重い足を引きずるように、僕は彼女を探して歩き出した。
最終更新:2013年05月04日 23:51