最近ますます仕事に身が入るようになってきた。
きっとここで働くことを通していろいろ楽しいことがあるからだと思う。
ところで、これを読んでいる君の時代、君の住む国には主にルシェか人間、どちらが住んでいるだろうか。
あるいは両方?
君の時代にはどうだか知らないが、少なくとも今現在ルシェと人間の男女が添い遂げることはかなり大変なことだった。
二種族が平等じゃない国に生まれたら高確率でアウトだし、
そもそも種族が違うゆえに本能的なストッパーがかかるせいで恋愛感情を持つ場合自体が少ないと言われている。
おまけに例え結ばれても、ルシェと人間との間には子供が生まれない。
いや、生まれないことはないのだが極めて生まれにくいというべきか。
奇跡的に子供が出来たとしても、ルシェとも人間とも違う姿をしたその子は
どこの国でも好奇の目で見られることになる。
ルシェと人間とが結ばれるということは、そういう茨の道なのだ。
……だけど。
それでも、どんな苦難が待ち受けていたとしても愛さえあれば……
そう思わせてしまうのが愛という物なのかもしれない。
――――――――――――――――――――
コレルです。
今日もこのニギリオの宿で低賃金重労働に励む僕の生活は、
最近とみに張り合いが出てきて楽しいことこの上ない。
その原因は、今僕の隣で同じように掃除用具を抱える彼女だ。
バレッタさん。
はるばるアイゼンにやってきたところ詐欺に遭い、ここに置き去りにされた生粋のネバン・ルシェだ。
そんな不幸にもめげず、今は帰国の旅費を稼ぐためにここで働いている。
若干気性が荒いのが玉にキズだが、その威勢のよさからは思いつかないくらい物分りがいい人だし、
何より生来のさっぱりした性格がうけてネバン人にもかかわらずここの人たちにもすんなりと受け入れられた。
ちなみに僕としては。
ここで働くことになったのも不本意そうながら、やることになった以上はしっかりやると
不慣れな様子で一生懸命仕事に励む彼女を見ていると、なんというか、こう……
できれば二人でお茶したいです。
休日何それ食べられるの?な僕には縁のないことではあるのだけれど。
「今日から私も正規シフトね」
「そうだね」
彼女の新人研修も終了し、今日からは正式な戦力としてフル回転してもらう。
仕事に関しての基本的なことは僕とニコレットさんとクタベさんの三人がかりで教え込んであった。
「よっし、やるからには徹底的に、ここのベテランにも負けない手際を見せてやるわ。
ネバン式の掃除を目に焼き付けることね」
「それはいいんだけど。掃除の仕方が乱暴で床に傷がつきそうなんだよなぁ……」
「ええ?あのくらいやんなきゃ汚れも落ちないし、磨けないんじゃない?」
「ネバンプレスとは建築様式も床材も違うんだよ、もっと丁寧にやってもらわないと」
「むう。仕方ないわね」
口を尖らせる彼女に少し笑いをこぼし、
それからもう一つ注意しておくことがあったのを思い出して笑いを引っ込める。
「ああ、それと。いくら掃除・雑用方面の従業員だって言っても、
バレッタさんは給仕服を着てるからお客さんから話しかけられることがあると思うんだ」
「そういえばそうね。……分かった。任せといて、接客だってバッチリこなして――」
「いや、そういう時は無理せず僕を呼んで」
「……………」
げしっ。
ローキックが飛んできた。
ちなみに、先程彼女の事を若干気性が荒いと評したけど実際どのくらい気性が荒いのかというと、
本来彼女は女性なので給仕として接客に回されるはずが
(建前上は男女平等ってことになってるけど、実際野郎より女の子に給仕してもらった方が嬉しいよね)
ジェン爺の『こんな奴をお客様の前に出せるか』という理由で使用人に回される事になったという程度だ。
ただ、使用人用の制服で彼女に合う物が無かったため格好だけは給仕服だったりする。
ついでに言うと彼女は割と脚癖が悪く、怒らせると高確率でキックが飛んでくる。
ネバンプレスにいた頃はコミュニケーションの一つと言ってもいいくらいだったそうだが、
最近僕がネバン・ルシェほど屈強ではないということを理解してくれたらしく
当たってもそんなに痛くないくらいには手加減してくれるようになった。
ただ、彼女にはそれとは別に思いもかけないことがあると反射的にキックを見舞うという悪癖があり
(この前はモップの持ち方を指導しようとしたらうっかり手を握ってしまい蹴り倒された)
この場合は無意識なので手加減の仕様もなく大概ノックアウトされる羽目になる。
正直なんとかして欲しい。
「今日も元気そうだな」
とまあそうこうしているうちにクタベさんがやってきた。
改めてこれから初仕事ということで、バレッタさんが真面目な顔で気をつけの姿勢をとる。
「バレッタは今日から本格的に仕事開始だな」
「はい」
「まあ、特別に気負う必要はないから教えたとおりにやりなさい。頼んだぞ?」
「はい!」
「それと、コレル」
「なんですか?」
「コレルにはバレッタと組んで貰おうと思う。先輩として色々手助けしてやるんだぞ」
「えぇっ!?」
「……何よ、嫌なの?」
「え!?う、ううん!そんな事ないよ」
そんな事はない。むしろ願ったり叶ったりだ。
でも、なぜ?
知っての通り僕もせいぜい勤務数ヶ月で、新米もいいところだ。
彼女の付き添い役としては不適当なんじゃなかろうか。
……もしかして、気を回されてる?
いやいやいや。クタベさんは気のいい人だけど、そんな理由ではさすがにないだろう。
だけど……願ってもない機会なのは事実だ。
ここはひとつ、好感度アップを狙ってみようかな?
というわけで僕は自分の仕事をこなしつつ、積極的に彼女のサポートをしてみることにした。
掃き掃除では細かくアドバイスを出し、水汲みのときは彼女の分まで少し多めに運ぶ。
他の作業でもあれこれここはこうするといいだとかこれはそうすれば楽だとか一々世話を焼いた。
……そして。
水を替えに行くついでに彼女の手にある花瓶を渡してもらおうと手を出したところで彼女が顔を上げた。
「……あのさ」
「うん?」
「私って、見ててそんなにトロい?」
「え」
「それとも危なっかしくて見てられない?それならはっきり言ってくれる」
「いや、そんなこと」
「だったらそんなに一々構わないで。
そりゃ、あんたと比べたら手際が悪いのは分かってるけど。さすがにこれじゃやる気が失せるわ」
「……ごめんなさい」
僕がうなだれると彼女は顔を戻し、また黙々と掃除の続きに入った。
……………
前途は多難なようです。
――――――――――――――――――――
そのお客さんがやってきたのは僕達が玄関先の庭を掃いているときのことだった。
「誰か来たわよ」
ニギリオの宿を背にして真っ直ぐ見た先に細く伸びる、森の外へと続く長い小道。
その小道から二人連れのお客さんがやってくる。
「ほんとだ」
いらっしゃいませと声をかけるにも微妙な距離だったので、
そこはかとなく気付かない振りをして掃除を続けつつ横目で確認する。
珍しいことに、それは質素な旅行用のコートを来たルシェの青年だった。
その後ろにはマントを羽織り、大きなフードを被った女性らしき人が歩いている。
時折後ろの女性を気遣うように振り返りつつ、青年はこちらに近付いてきていた。
十分距離が近付いたところで、僕は改めて顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませー」
僕とバレッタさんが続けて挨拶すると、二人は少し逡巡した様子で立ち止まった。
「あ……はい、どうも」
「どうも。……あの、つかぬ事をお聞きしたいんですが」
女性の方がおずおずといった感じで返事をし、青年の方が軽く頭を下げてから問いかけてくる。
「なんですか?」
「あの……こちらではルシェだけで泊まることもできるでしょうか?」
ああ、なるほど。
封建的なアイゼンにおいて、特に本国に伝わっているだろうニギリオの評判を聞いていれば
門前払いを食わされないかどうか心配になっても仕方ないというものだ。
僕は二人の心配を吹き飛ばすべく、とびきりの営業スマイルを浮かべつつ言う。
「はい、大丈夫ですよ。うちの主人はお金さえ払えばドラゴンでも泊める人ですので」
「……………」
いかん、ジョークを飛ばしすぎたか?
少し心配になったが、青年の方が気を取り直した様子で「そ、そうですか」と返したので流すことにした。
「では、どうも」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
「……」
青年が歩き出し女性の方もぺこり、と頭を下げて青年に続く。
僕はそのまま見送ろうとした。
と、そのとき、脇を通り過ぎる女性の横顔を見たバレッタさんが『あれ?』という顔をした。
釣られて僕も女性の顔に目を向ける。
……おや、ほんとだ。
少し迷ったが、結局僕はその二人を呼び止めた。
「あの」
「はい?」
なんだろう、と行った感じで二人が振り向く。
「大変不躾な質問をさせてもらいたいのですが……」
「なんですか?」
「その……お二人はどのような関係で?」
その質問をすると、当然のことながら二人の顔にはいぶかしむ表情が浮かんだ。
「……それがなにか」
おっと、警戒心を呼び起こしてしまっただろうか。
そう思った僕は、慌てて弁解するように両手を振った。
「あ、いやその深い意味はないんです!ないんですけど、その……
……
人間とルシェのお客様の組み合わせの場合、一応お二人の関係を聞いておかないと
ご不快な思いをさせる場合がありますので!」
ぴたり。
二人の反応が止まった。
「……あれ?」
何かまずいことを言ったかな?
戸惑う僕達。
しばしの沈黙の後、やがて女性の方は、ゆっくりと、頭を覆っていたフードを外した。
「……………」
ツヤのある黒髪が流れ、側頭部にその髪の中から覗く耳が見える。
ああ、やっぱり。
よかった、うっかり見違えてルシェの人を人間と呼んでしまったのかと思った。
女性が口を開く。
「……何故、分かったんですか……?耳は隠れていたと思うんですが……」
なるほど。
どうして二人が絶句したのか、ようやく納得がいった。
耳を隠した状態でいれば、連れからして自分もルシェと見られると思っていたのか。
しかしどう答えたもんだろう?僕とバレッタさんは顔を見合わせた。
「何故、って言われても……、ねえ?」
「なんとなく、としか言いようがないわよね」
「なんとなくで分かるものなんですか……?」
二人が困ったように顔を見合わせている。
思いもよらないところでつまづいた、そんな感じだ。
少しの間重く沈んだ沈黙が流れ、青年の方が顔を上げた。
「あの……」
「って、ああ、いや、問題があるわけじゃありませんよ!?
事情がお有りでしたらこれ以上詮索もしませんし、他の人にも黙っておきます!
なんでしたらあの、受付とか僕が代わりに部屋を指定しましょうか……?」
「え、ああ……じゃあ、お願いできますか?それと私たちのことも一応」
「はい、何も知らなかったことにします、ね?」
「あ、うん。じゃなかった、はい」
「それじゃこちらへどうぞ。えと、できるだけ人の集まるところから離れた部屋でいいですか?」
青年の方が肯き、女性がフードを被りなおす。
そして僕は二人を先導し、宿の中へと案内していった。
――――――――――――――――――――
「なんだったんだろうな、あの二人」
僕は仕事に戻りつつ、あの二人の事を考えていた。
人目を忍ぶようにやってきた年若い二人連れ。
「なんだか世間慣れしてない感じだったよな」
普通人には国ごと、あるいは民族ごとにある程度共通した外見の特徴があり、
その人がどこの人なのかは顔つきを見れば大体分かるものだ。
同じように人間とルシェも大体見れば分かるもので。
それが分からないとなると……あまりたくさんの人に接することのない上級貴族。
あとはあの青年の女性の扱い方からするに、貴族の娘とその専属使用人といったところだろうか。
それならあの二人に漂っていた微妙な箱入り感にも頷ける。
と、その組み合わせで考えられることといえば。
「駆け落ちかな?」
確証はないが、なんとなくそんな気がした。
あの二人の世を儚んだような雰囲気がそう思わせたのかもしれない。
と、気が付けば手が止まっていた。
いけないいけない……そういやバレッタさんは?
「だーかーら!ここは禁煙だって何回言えば分かってくれんのよ!!」
「げ」
言わんこっちゃない。
お客さんとトラブルの真っ最中だ。
「固いこと言うなって、ここには他に客もいないしよ、迷惑をかけてるわけじゃねえだろ?」
それは壮年のお侍さんだった。
廊下のベンチに腰掛け、地団太を踏んで憤る彼女をよそに煙管をふかしている。
そして言葉を交わすたび彼女のボルテージは上がっていく最中だった。
「他に客がいようがいなかろうが、ここでタバコはダメなの!」
「お前さんなぁ……こっちが煙草を吸う権利だって考えてくれてもいいだろうよ」
「禁煙場所での喫煙権なんて知ったこっちゃないわ!とにかく……」
「ったく……これだから話の通じない亜人層の下働きはよう……」
「な、ぁ、ん、で、す、っ、て……!!」
やばいっ!
ネバン・ルシェに『亜人』は禁句だ!
「ふざっ……!」
「ストーップ!落ち着いて、下がって!」
「コレル……」
「申し訳ありませんお客様、働き始めて間もないんでうまくご案内できないんです!
ここではではおタバコを吸うお客様も吸わないお客様も快適に過ごしてもらえるように、
喫煙場所と禁煙場所を分けてあります。あちらが喫煙場所になりますので、ご協力願えませんでしょうか!?」
彼女を背中に押しやりつつ必死で弁解をまくし立てる。
幸いお客さんは大して腹も立てずに納得してくれた。
「ん、ああ、喫煙所があるのか……分かったよ、最初ッからそういってくれりゃ……」
「ありがとうございます……」
のしのしと喫煙場所に向かって歩いていくお侍さんをホッとしつつ見送る。
がるるると唸りつつきっ!と中指を立てるのを慌てて下ろさせると、彼女は憤然とそっぽを向いた。
「ふんっ!」
「……………」
「……何よ?」
「別に……」
どうして僕が彼女と組まされたのか、分かった気がした……
――――――――――――――――――――
「……ってことがあったんだ」
「そりゃお前、確実に押し付けられてるだろ」
「やっぱそう思います?」
夕方の休憩時間、僕達は使用人控え室にいた。
ちょうどそこにいたハンコツさんも交え、座って休みながら雑談する。
「僕だって新米でとてもバレッタさんをカバーしきれないのに。
でも、使用人頭の仕事だけじゃなくてジェン爺に反抗的なメンバーのご機嫌とって
働かせるのもクタベさんの仕事だしなぁ、文句つけるにはちょっと可哀想だし」
「そうだよな、あの人いっつも苦労ばっかしてよ」
「反抗的なメンバーの代表格みたいなハンコツさんが何を言うか。
どうせならニコレットさんを見習ってくださいよ、
きちんと働きがてら経営のノウハウを盗んでいつか独立してジェン爺を見返してやるとか、
ハンコツさんもあんなんならクタベさんも楽なのに」
「わかっちゃいるけどよ。なんかあのジジイに指図されるとやる気無くすんだよな」
「もう……と、バレッタさんはまだ機嫌悪いまんまだし」
「当たり前よ」
「客に殴りかかりそうだったってくらいだからな……って、いつものことか」
「なんですって」
「落ち着いて」
本当にやれやれだ。
バレッタさんの肩を抑えつつ、ふとそこで僕はあることを思い出した。
「あ、そうだ。そろそろあの二人に食事の事を聞きに行かないと」
「うん?……ああ、あの二人ね。私も行くわ」
二人連れでやってきた男女のお客さんの事を思い出して席を立つと、彼女も続いて立ち上がった。
残ったハンコツさんが首をかしげて聞いてくる。
「誰のことだ?」
「ちょっと」
「ん、おう」
と一旦納得してから、
「……なんだ、もう二人の秘密を作る仲になったのか」
意地悪げな顔でニヤニヤとした笑いをハンコツさんは向けてくる。
おのれ、人の気持ちは知ってるくせにからかったな。
「そういう悪趣味な冗談は……」
僕は苦い顔で文句を言おうとする。
言い終わるより先に、彼女がフロントキックで椅子ごとハンコツさんを蹴り倒した。
唖然とする僕の目の前で派手な音とともに椅子が倒れ、何かを打ちつけたようなゴンという音が響く。
「私、そういう冗談は嫌いなの」
「いつつつつこの暴力女……」
「ふんっ。いくわよ、コレル」
「え……い、イエッサー」
ハンコツさんのことは気になったが、僕は彼女について部屋を後にした。
ずんずんと先に進む彼女の背中を追いかける。
それにしても、さっきのは少しだけ驚いた。
口より先に手が出るを体現するような彼女のこととはいえ椅子ごと蹴り倒すなんて……
もしかして、相手が僕だったからとか?
うう、そんなに嫌われているつもりはないんだけど……
「コレル」
「っ!」
と、急に彼女が立ち止まってこちらを向いた。
「な、何?」
どぎまぎしながら答える。
「……………あの二人の部屋って、どっち?」
「……こっち……」
彼女を連れて、僕はニギリオの宿の端っこのある部屋に向かう。
「お風呂からも裏庭からも離れたところを選んだのね」
「できるだけ人と会いたくないみたいだったから。受付にも食事のお伺いとかは不要みたいだって
伝えておいたから、変わりに僕達が行っておかないとね。あ、そこだよ」
やがて見えてきた一室を指差し、僕は立ち止まった。
「ここ?」
「そう。って、あ」
「ここね」
その僕が指差した部屋の戸に、彼女がためらいなく手をかける。
「ちょっ、ノックが先……」
「失礼しまーす」
制止する間もなく彼女はその勢いのまま戸を開け、
そして凍りついた。
まあ、なんというか。
『自分の部屋に恋人を連れ込んで、取り留めのない話をしているうち空気が桃色に、
だんだんそんな気分になってきて、そしていざ事に及ぼうとしたところで
空気の読めない姉が部屋のドアを開けた』
そんな状況だった。
凍り付いているのは向こうも同じ、とてつもなく長く思える数瞬が流れる。
「……失礼しましたっ!!」
いち早く我に返った僕は彼女の襟首を引っ掴んで引き戻すように戸を閉める。
フリーズしたままの彼女を支えつつ待っていると、部屋の中からは身繕いのごそごそと言う音が聞こえてきた。
しばらくして、音が聞こえなくなったところを見計らって声を掛ける。
「この部屋へご案内した者です、入ってもいいですか?」
「ほんっとうにごめんなさい」
「いえ……鍵をかけ忘れたこちらにも非はあるので」
少しして、僕達は気まずい空気で向かい合っていた。
僕の隣ではバレッタさんが、こちらに来てから知った土下座の知識をフル活用して畳に耳を伏せさせている。
それをどうにか顔を上げさせ、女性の方が口を開いた。
「……私達、駆け落ちしてきたんです」
もう隠す意味もないだろうということで、僕達は二人の事情を聞かせてもらっている。
案の定この二人はアイゼン本土のさる名家の一人娘とその元使用人だった。
「引き取っていただいた恩を返すため、この十年と少々身を粉にして奉公させていただきました。
使用人としてならないことをしたのはお嬢様を好きになったことくらいでしょうか」
「私はいけないことだとは思わないわ」
「まあアイゼンの、それも上流貴族じゃね」
「はい……私の父や母も、彼と結ばれることを許してはくれませんでした」
「それで駆け落ちか……昔はあったみたいですけど、今時はなかなか聞かないですよね。
古典にも身分違いのために結ばれることを許されなかった男女が心中する話が……あ」
途中で失言に気付いて二人の様子を窺う。
幸いなことに、青年はやや照れくさそうにこう言ってくれた。
「はは……私達は死にませんよ。生きて、添い遂げて見せます。
旦那様や奥様を裏切ってお嬢様を連れてきた以上、きっと幸せにしてみせる。そういう意味でも」
「ふふっ。嬉しいです、そう言って貰えて。
ただ、どうせなら『お嬢様』はもうやめて、名前で呼んで欲しいのですけど。
もう私はお嬢様じゃなくて、貴方に呼び捨てで呼んでもらえる存在になりたくてここまで来たんですから」
「あ……。そう、ですねお嬢様……じゃなかった、その……」
まったくもって。
僕はこの二人に心から幸せになって欲しいと思った。
隣ではバレッタさんも同じ意見らしく、両手を固く胸で握り合わせながらうんうんと頷いている。
僕達からの視線に気付くと、二人は今更ながら少し照れた。
しばらく暖かい空気を漂わせた後、やや改まって二人はこちらを向く。
「それで……ですね。図々しいとは思うのですが」
僕達は再び控え室に取って返した。
今度は二人を連れて。
「ただいまー」
「お帰なさ……っ!?そ、そそそそちらの方は?」
そこにいたのはハンコツさんだけでなく、出迎えたのはヒキエさんだった。
ヒキエさんは同僚の中でも顔見知りの一人で、ニコレットさんと同じ接客担当だ。
極度の人見知りという、接客業では致命的なんじゃないかと思える性格をしていて
お客さんに話しかけられるたびに噛みまくっているが、案外普通に仕事をしていたりする。
そのヒキエさんが僕達の後ろの二人を見て竦みあがってしまったため、一応二人を紹介することにした。
「はぁ……駆け落ちしてきたんですか」
「そ。人目を忍んで来たんだから言いふらしたりしたらダメよ?」
「ははいもちろんです!」
自分の方が年上にもかかわらずおどおどするヒキエさんだが、一旦落ち着いて席に座りなおすと
少し落ち着いたのかそれで、というように口を開いた。
「で……それは分かったんですけど、どうしてわざわざこちらに?
あ、いえ、詮索するつもりじゃないんですごめんなさいごめんなさい」
「落ち着けよ」
「それを今から話すから」
お茶を一口すすり、女性がここに来た理由を話し始めた。
「アイゼンを出ようにも、私達二人だけではトドワの丘を越えるなどとてもできません。
それ以前に竹林すら抜けられるかどうか……
となれば船で出るしかないのですが、民間船や商業船では北海を越えて北へはいけませんし」
「そこで思い当たったんですが、こちらならこっそりと北へ密航させてくれる方も現われると
以前聞いていて……それでこちらへ来たんです」
そうなのだ。
先程僕達に二人が聞いた事というのは、ここに出没する裏業者の情報だった。
生憎そちらには詳しくない僕達は、誰か知っている人がいないかとご飯を食べさせるのもかねて二人を連れて来たわけだ。
「実を言うと、アイゼンからここまでは正規の船で来たのです。
旦那様がお嬢……彼女を連れ戻そうとしたなら、私達がここに来たのはすぐ分かってしまうでしょう。
そしてほぼ間違いなく旦那様は彼女を連れ戻そうとします」
「ですからできるだけ早く、父の手の者がここに来る前にミロスに入りたいのです。
ミロスに入ってしまいさえすれば、おいそれと連れ戻されることもないでしょうから」
その通りだ。
アイゼン育ちには少し慣れない国ではあるが、あそこほど弱者に味方になってくれる国も他に無い。
僕が頷くと、そこでバレッタさんがおもむろに肩をすくめた。
「ただ、ね。急ぐのはいいけど、気を付けた方がいいわよ?
密航させてくれるってだけならいいけど、そうやって人を騙して売り飛ばすような輩もいるんだから」
「そうです!人攫いはすっごく怖いですよ!」
珍しくヒキエさんが身を乗り出し大声で同意する。
「ヒキエさんは、確か……」
「はい……かれこれ十年位前に人攫いにあって、売られてきたんです。
どうされるのか、どこへ連れて行かれるのか、怖くて怖くてたまらなかった……
だから、絶対人攫いには捕まっちゃダメです」
真剣で重みのある言葉に二人が重く頷いた。
「そもそも、売る方も売る方なら買うほうも買う方だよな。
ここの強欲ジジイといいホイホイと人攫いなんかから人を買うなってんだ」
「はい、ここに連れて来られて、働かせられるのは辛いです。
でも、もしここに買われなくて済んだら、っていう条件でやり直せたとしてもそんな勇気もないです。
もしかしたらここよりひどい、身体を売らされるようなところに売られていたかもしれないし
最悪買い手がつかずに足手まといで殺されていたかも……」
「ふざけてるわ!」
バレッタさんが激昂した様子で吐き捨てる。
そのままイライラと指で組んだ腕を叩き、彼女は不満をこぼし始めた。
「大体、そこの二人が付き合うのを許さなかった両親といい
人身売買といい、どうしてこうもアイゼンではルシェへの蔑視がまかり通ってるのかしら!?
アイゼンに来た頃だって理由もなく見下されて片っ端から蹴り飛ばしてやろうかと思ったわよ!」
「アイゼン人の立場から弁護させてもらうと、そんな人ばかりでもないよ……」
「そんな奴だっているじゃない。あんたもねー、どうしてそういう連中に腹が立たないわけ?」
「お、それは前から俺も思ってた」
「どうしてって……そうだなあ、ジェン爺も含めてそういう人ってさ、
別に僕達がルシェだから見下してるわけじゃなくて社会的に階級が下だから見下してると思うんだ。
そう思えば腹も立たないかなと」
「……………」
なんか可哀想な人を見る目で見られた。
「え、あの」
「そう……よね。うんまあ、そのとおりよね」
「そうだな。社会的な階級だからだよな」
「ちょっと待ってなんでそこだけ優しくなるのさ違う誤解だって!
確かに分かりにくかったかもしれないけどそんな、ああなんかいい例えはないかな……
……あ、そうだ!こんな例えはどうかな!?」
「ん……どんな例えよ?」
同僚に可哀想な人だと思われる最悪の事態を避けるため、必死に考えて案を搾り出す。
まだ若干疑惑の目で見てくる二人に僕は、その例えを出した。
「血液型占いでさ、そういう占いに凝ってる人に
あなたはB型だから自己中心的です、そうならないように注意しなさいって言われたら殺してやりたくなるけど
統計をとった結果B型は比較的自己中心的な人が多いことが分かりました、だからあなたも注意してくださいって
言われたらそんなに腹は立たないでしょ?」
「あー分かる分かるその例えなら分かるぞ!!すっげえムカつくもんなあれ!」
「え゛……そ、そう……?そんなにムカつくの……?殺したくなるくらい……?」
「当たり前だろ!こっちはそんなもん信じてもないってのにさもそれが世の中の常識ですみたいな顔して偉そうに
根拠も何もないガセ話を垂れ流すんだぞ!?あげく毎回毎回B型に恨みでもあんのかってくらいこき下ろしやがって……」
「で、でも、たかが占いだしそんなに目くじら立てることもないんじゃない?
えと、あんたは?コレルはどうなの?あんたもその、血液型占いやってる奴は……嫌い……?」
「……確かにたかが占いだけど、そういうのを信じてもない人に押し付ける人とは僕は仲良く出来ないかな」
「あう」
「だよな!こっちは信じてもねえのにお前らのカルト宗教を押し付けるなってんだ!
お前らは仏教徒に、食事前のお祈りをしなさいとでも言うのかよ!」
「ブツブツ……知らなかった……コレルは血液型占いは……そっか……」
幸いなことに、どうやらこの例えで二人の共感を得られたようだった。
なんか二人して微妙にずれた反応を返してきている気もしないではないけど。
と、お客さん二人の視線に気付いて振りかえる。
「……………」
「あ、ごめんなさい置いてけぼりにしちゃって」
「いえ」
「ニコレットさんとかなら知ってるかなと思ったんだけど、仕方ない、こっちから探しに行こうかな。
ちょっと探してくるんでご飯食べて待っててもらえますか」
「すいません。お手数おかけします」
「ニコレットなら休憩所で見ましたよ」
「どうも」
僕が立ち上がると、バレッタさんも席を立ってきた。
「気が削げたわ……私も行こうかな」
「また一緒に行くのか。こりゃ案外的外れでも……」
「シッ」
後ろ回し蹴りでまたもハンコツさんを蹴り倒し、彼女は僕に顔を向けた。
「さ、行きましょ」
休憩所への道を歩きつつ、僕は少し考える。
「どうせなら、ニコレットさんじゃなくて情報通のアリエッタ姐さんに聞いてみようかな……」
「アリエッタ?」
アリエッタ姐さん。『薄幸少女アリエッタ』『抱きしめたくなる可愛さ』『無垢なる刃』など様々な二つ名を持つ
ニギリオ一の情報通だ。無口で交友関係も狭いが、人に愛される才能に優れた人でもある。
「私あの人根暗で苦手なのよね……」
「宿中のアリエッタファンを敵に回すよ」
「分かってるって、苦手なだけよ」
「いいけど。ニコレットさんとアリエッタ姐さんは同じシフトだからそばに居るはず……
あの二人のためにも信用できる人を見つけたいね」
「そうね。この時代に駆け落ちなんてなかなか出来ることじゃないわ。
それにあの女の人のセリフもかっこよかっ……
……ところで、さ」
言葉の途中、何かを思い出したように彼女は僕に振り返る。
なんだろう?さりげなさを装って普段言わないことを言おうとしてるようにも見えるけど。
「何?バレッタさん」
「それよ。その……いつまで私のことさん付けで呼ぶのよ?」
ちょっとバツが悪いように目を背けながら彼女が聞いた。
僕は首を傾げる。確かに僕は彼女をさん付けで呼んでいる、そこを聞かれるとは思わなかったなあ。
「えーと……」
「いや、その、一応同じ場所で暮らしてる仲間なんだし?あんたならまあ、
呼びたいなら呼び捨てにしてもいいかなって……あ、いや別に大した意味は無いのよ?別に――」
「あー、そうなんだよね」
「そう呼んで欲しいわけじゃ……え?」
「いやさ、確かに僕もさん付けはちょっと他人行儀かなって思ってたんだ。
けど呼び捨てはさすがになれなれしいし、かといってちゃん付けじゃあんまりでしょ?
他にも色々考えたんだけどどれもイマイチで」
「……………」
「で結局総合的に考えればやっぱりさん付けが無難かと……どうしたの?」
「……………」
ごすっ。
脛の真横につま先が入った。しかも今回は痛い、地味に痛い。
「あいたたた……いきなり何するのさ」
「うるさい」
きっぱりと吐き捨て振り返りもせずに彼女は歩き出す。
そして三歩もいかずに止まる。
「?」
その背後から顔を出して前を覗くと、僕達の行く先、数メートル先にあの見覚えのある人物がいた。
あのお侍さんだ。
彼女の顔には最初っから隠す気のカケラも無く『嫌なときに嫌な奴に会った』という表情が浮かんでいる。
きょろきょろとあたりを見回していたお侍さんは、僕達を見つけるとすぐ近寄ってきた。
彼女が即座にUターンして僕の背後で止まる。
「おう、お前らちょうどいい所であったな。ちょっと聞きたいことがあってな」
「……なんですか?」
「便所の場所だ!いやな、ちぃと食いすぎたのか食ったものが押し出してきてよ」
「トチニカイニ・・・」
「……向こうの角です……………」
「おう」
彼女ほどじゃないが若干呆れながら向こうを指差す。
お侍さんが歩き出すとともに、僕達もまたその場を去ろうとした。
「ところで」
ふいに後ろから飛んできた声に足が止まる。
振り返ると、腕を組んで意味深な笑いを浮かべたサムライの男性が顔だけ向けてこちらを見ていた。
「なんですか?」
「いや、なに」
不敵な表情のまま、ただ一言。
「ここに、人間の女と亜人の男の二人連れは来てないか?」
「っ」
声は殺した、と思う。表情も出さなかった、と思う。
内心の焦りを押し殺して、僕は努めて平素を装って言った。
「いえ、知りません」
「本当に?」
「はい。
……あの、どうしてそんな事を?お知り合いですか?」
怪訝な顔を作って首をかしげ、妙な質問にいぶかしむふうを演技してみせる。
内心の緊張を抑えようとして右手を固く握り締める。
「いや、なに。……っと、便所に行くんだった。漏れちまうな」
と、そこで侍の男性は話を打ち切った。
そのまま向こうを向き、お手洗いの方に歩きだす。
僕と彼女はそこに留まってじっとその背中を見送り、その姿が角に消えるや顔を見合わせた。
「……大変だ!」
どちらからともなく振り返り、もと来た道を駆け足で戻りだす。
「今のって」
「間違いないよね?」
「え、ええ……それを聞いてんのよ」
わからない。
ただ、雰囲気からしてあの人が何かを知っているのは確かだった。
確証を得ないまま僕達は控え室に駆け戻り、食事を取っている二人を呼ぶ。
「どうしたんですか?」
慌てて戻ってきた僕達を見て、男性が怪訝な顔をした。
「急いで食べ終わって!もしかしたら追っ手がもう来てるかも知れない」
「!!」
「壮年の髭を生やしたお侍さんなんだけど……二人とも、知ってる人?」
かいつまんで今あったことを話し、ついでにその人の特徴を簡単に伝えて知人か聞く。
二人が首を横に振った。
知人ではないということだ。
「じゃ、ここを離れたほうがいいわね」
困惑した顔をしながら二人が立ち上がる。
立ち上がって、しかし、と男性が立ち尽くした。
最終更新:2009年11月10日 14:46