私は狩りに臨んでいた。
一般的に考えて剣を持つには少し早い年齢だった。
それはこの星にドラゴンがやってくるより前のこと。
相手は近頃家畜を襲いに来る痩せ細った狼だった。
初の実戦、初めての人間でない相手だったけど緊張は無かった。
俊敏さで負けている、飛び掛られたら押し倒される、
だけど構えさえしっかりして武具を手放さなければ十分に渡り合える。
凶暴な種でなく弱りきっていた狼は当時相手にできるギリギリのレベルだったと思う。
襲ってきたら剣で受けて、離れたら小さく突く。
それを何度か繰り返すうち、やがて狼は手傷を負って動けなくなった。
普通なら獣はある程度傷つけば逃げ出したと思う。
でも、飛び掛ってくるのを剣で受けた時、狼は足に傷を負っていた。
そのせいで狼は逃げることが出来ない。うずくまって威嚇するだけだ。
自然と私は狼に止めを刺すまで戦うことになった。
手負いの獣を前に、私は躊躇った。
(殺、す……)
甘えがあった。生き物を殺したことなんて無かった。
子供だったこともあったけど、何より現在まで続いている性質として私は、
死が怖かった。命のやり取りそのものが恐ろしかった。
だから、自分を見ている相手の目を見ながら剣を突き立てるなんてことが出来なかった。
だから、私は剣を落とさせられた。
「あ……!」
手負いの獣は、壮絶なほど死に物狂いになる。
それからあとは散々だった。
命のやり取りをするということの凄まじさを突きつける恐ろしさだった。
「や……ちょっと、待って、待ってよ!わ……こ、来ないで!」
もとより言葉の通じない獣に伝わるわけはなく、
命の危機に晒されて逆上した獣は激しく攻撃しながら迫ってくる。
攻撃の手段を失った私に、だけど狼は攻撃の手を緩めない。
むしろ自分の命を脅かすものを排除しようと明確な殺意を浮かべる。
「いや……来ないで、来ないでよおっ!!ごめんなさい、もうしないから、謝るからあっ!!」
もはや冷静さなど微塵もない声で私は泣き喚き、逃げ回った。
もしこれが実戦訓練としてやらされたことでなく、私一人だったなら
確実に私は大怪我を負っていただろう。もしかしたら死んでいたかもしれない。
傍観者に徹していた祖父は、ここまでだと判断して私を助けた。
泣きじゃくる私に、祖父はしばらく考え込み、そしてこう言った。
「すまなかった。やはり早すぎたな。……しかし、それを差し引いても。
お前には、命の奪い合いとかそういうことは向いていないのかもしれないな」
それから十年後。弱虫だった私はその十年に、
弱い自分など許せないわがままで高慢で接するもの全てに強がった、そんな時期を経て、
やがて誇りを持った騎士へと成長した。
……少なくとも、表面上は。
――――――――――――――――――――
大荷物を背負って草原を歩くナイトの目に、ミロスの城壁が見えてくる。
間もなく城門前に到着した彼女と彼女の主は、一息ついて装備を外し、荷物にしまいこんだ。
「さすがミロス、前より更にフロワロが減って歩きやすかったわね」
「ここの騎士団の防御力と環境整備活動には定評がありますから」
ナイトの言葉に頷き、彼女の主……女装の紳士(?)であるところの『姫』は伸びをする。
ミロスの美しい町並み、その手前にある城門に二人ほど見張りの騎士団員が立っているのが見えた。
「そうね。さてと……まずはギルドオフィス支部に行って仕事を貰わないと」
「……」
返事をしないナイトに姫は首をかしげた。
「ナイト?」
「あ、はい。それじゃ、私は宿を取りに行きます」
「まだ宿を取るには早いんじゃない?それより、カザン国籍でないハントマンは
オフィスでの手続きが色々面倒だから、手伝って欲しいんだけど」
「はぁ……」
何故かあまり気乗りしなさそうなナイトは、仕方なく了承して城門を通ろうとする。
と、そこで彼女は自らの荷物を探り、何かが見当たらない、といった仕草をした。
「あれ?えーと……」
「どうしたの?」
「ちょっと。……すいません、やっぱり先に行ってください。すぐ、本当にすぐ行きますから」
「またなの?もう……」
姫は不服そうに首をかしげ、仕方ない、というように歩き出す。
その面白くなさそうな背中を見送ると、ナイトは急いで城門に取って返す。
カザンを出てきたときも姫を先に行かせた。適当な理由をつけて先に行かせたのが
分からないような主ではないから、気を悪くしたのではないかとナイトは内心冷や汗をかく。
随分きれいに『掃除』してあるせいで、フロワロの茂みに行き着くにはかなり走らなければならなかった。
「ほら、出てきなさい」
ナイトが声をかけると、その茂みから小さな人影が頭を出す。
黒髪に黒い服を着たその子供に、ナイトは肩をすくめながら話しかけた。
「……やっぱり入りたいの?」
「えへへ……うん」
黒服の子供――人竜がばつが悪そうに笑った。
ナイトがもう一度大きなため息をつく。
「仕方ないわ。ほら、着いてきなさい」
「うん、ごめんね?」
「もういいわよ。……だけど、毎回ああやって姫をごまかすのもきついし、
次からはあとで迎えに行くから外で待ってなさい」
「はぁい」
人竜を連れてナイトは城門に近付く。
何食わぬ顔でちょっと会釈をしていくと、門番は怪しむことなく二人を通した。
「じゃ、私は姫を追いかけるから。前にも行ったけど騒ぎを起こすんじゃないわよ」
「分かってる。人前には出ないから」
「うん」
そう言うと人竜は音もなく路地裏の暗がりへと消えていく。
その姿を見送る間もなく、ナイトは姫を追ってギルドオフィスへと駆け出していった。
これが今現在の、人に言えない事情を抱えるナイトの日常の一旦である。
――――――――――――――――――――
「ねえ、ナイト。私に何か隠し事してない?」
「え」
そんなある日のこと。
宿の部屋で姫が不意に言った。
武具の手入れをする手を止め、不自然に硬直するナイトに彼は続ける。
「別に詮索するわけじゃないけど。でも、最近何か、
何か隠し事をされているような気がしてならないんだけど」
「う、いや……」
「してない?」
どう言い訳しようかと頭をめぐらせたナイトは、
姫のまっすぐな視線に射竦められて目が離せなくなった。
目を見て嘘をつくというのは、意外なほど難しい。
「……ううん、やっぱりなし。返事もしなくていいわ」
と、打ち切ったのは姫のほうだった。
「……」
「ごめん。気にしないで、本当にごめん。
もし隠し事があるならもう聞かない、忘れて頂戴。
隠し事がないなら、あっても当然のことだもの、私を気にする必要はないからね。
うん、それだけ」
「……」
返事もしなくていい、といわれた以上ナイトのほうからは何も言えない。
少しだけ気まずい沈黙が流れた。
姫が、ベッドに腰掛けて窓枠に肘をついた。
「あの……お茶、いりますか」
「そうね。お願い」
「ただいま」
ナイトがお茶を入れる準備を始める。
カップの立てる音を聞きながら、姫は青く晴れ渡った空とその下のミロスの町を眺めた。
「……あの辺りに」
「?」
「あの辺りに、父が住んでいるのよね」
ナイトが一瞬目を見開いて手を止めた。
「懐かしく……はもはやないわね。いろいろ変わっちゃってるし、かれこれ十年と少し前かしら」
「はい。その頃に、あの方が家の実権を握って……」
「母は私を連れてマレアイアに逃れた。貴女達も一緒に」
すぅ、と目を閉じて、その頃を反芻するように姫はした。
彼がマレアイアに連れて行かれ、女として生活しなければならなかったその始まりのこと。
そのときの事を、姫は思い出しているようだった。
「あの人に実権を奪われても、長子である私が向こうの手に渡らなければチャンスはある。
……きっと、奪われたものを取り返したかったのね。
父を、憎んでいたんだわ」
そう、静かに姫が呟く。
その表情に返す言葉もなくて、ナイトはただ黙り込んだ。
深く空気が沈みこむかと思われたとき、そこで再び姫は口を開く。
「……でも、それも最後には、今思えばあれが自然なことだったと言ったのよね。
もう父の事を憎んでいない、だから自由に生きていいと言ってくれた。
年月は、憎しみや悲しみを洗い流すんだわ」
その言葉にもう一度姫の横顔を見ると、その表情は穏やかだった。
きっと晩年の、何か悟ったような彼の母の事を思い出しているのだろう。
「あの家に戻るつもりは、もうないんですか?
取り返しに行くのではなく、ただ息子として」
幾分軽くなった空気にほっとしながらナイトは問う。
と、その何気ない質問に、姫は珍しく本気で引きつった苦笑いを返した。
「さすがに……ちょっとね。
大体、『息子』がこんな格好で帰ってきたらひっくり返っちゃうわよ」
「……………」
確かに、と思わず口に出そうになる。
押しとどめるのにナイトはかなりの労力を要した。
そしてまたしかし、とナイトは思う。
家に戻らないとするなら、それこそ自分と姫の関係はなんなのだろう。
お互い一介のハントマンに過ぎないなら、従者なんて必要ない。自分の存在意義は……?
ふと気がつくと、姫も何か考え事をしているようだった。
何気なく上げた目と目がぶつかり合う。
「……ねぇ」
「はい?」
そして、姫はナイトのあごにそっと指をかけてキスをした。
「っ……!?」
脈絡のない行動にナイトは顔を赤くしてわたわたと慌てる。
「ひっ、姫!?いきなり何を……
あ、あのそんな、まだ日も高いですし……!」
「え?」
予想に反して不思議そうな表情をした姫の反応に、
どうやら『その気』になってやったわけではないと理解したナイトは
逆に勘違いした自分の恥ずかしさに更に真っ赤になった。
「あ、あー……」
「違います勘違いしないで下さい!」
「はいはい」
わかったわかったと姫が軽く手を振り、ナイトはいつから自分は
こんなに頭の中が色ボケしてきたのかと顔を覆って唸る。
「大体そのつもりじゃないなら何でいきなりそんな事……」
少々責任転嫁気味の恨むような視線に、姫はもう一度軽く首を傾げた。
「ただ、貴女とキスをしたいと思っただけなんだけど……」
再びナイトに顔を寄せ、その瞳をまっすぐ覗き込む。
「ねぇ」
後ずさるようにしながらも目が離せないナイトに姫は聞いた。
「私にキスをされるのは、嫌?」
「……っ」
見開いたオレンジの瞳が揺れる。
「……………困ります」
是と否とも言わず、ナイトは辛うじてそう答えた。
姫がその頬に手をかけ、またそっと口付ける。
そうして唇を離し、姫は少し笑った。
ナイトは顔を赤くしながら困ったように下を向く。
「ところで」
身体を離し、姫はまた窓際に座りなおしてから。
話を変えようとしたのかは定かでないが、姫が口を開いた。
「私の知っている限りミロスの周りは安全だった筈なんだけど、
最近妙にドラゴンによる被害が多いらしいの。ナイトも気をつけてね」
「はい」
「それでね。ギルドオフィス支部に行ったら、ちょっとプリンセスを
貸して欲しいところがあるらしくて、少しそっちに助っ人に行くことになったの」
「ミッションのですか?」
「ええ。海岸線の方の広範囲のフロワロを掃うそうよ」
「フロワロを……」
「長くはないけどその間は貴女一人になるから、ね」
「そうですか……分かりました」
「フロワロ踏みくらいしか回ってこないと思うけどね」
「はい……」
歯切れの悪いナイトに姫は少し首を傾げたが、気を取り直して時計を見る。
「さて、こんな時間。そろそろ行かないと」
「あ、はい。お気をつけて」
「うん」
装備をまとめ、姫は部屋のドアに手をかける。
そのドアを開ける前に、姫は振り返ってナイトに言った。
「……今夜は、何もしないから一緒に寝てくれる?」
「……っ、はい……」
子供ですかとか、なんなら子守唄でも歌って差し上げましょうかとか、
そんなことを言えばよかったとナイトが気がついたのは姫が部屋を後にしてしばらく経ってからだった。
――――――――――――――――――――
「フロワロ踏み、か」
一人で部屋にいても仕方ないのでナイトは外に出た。
「そして姫はギルドの指示で未奪還地の制圧……ドラゴンを、狩るってこと」
ナイトの脳裏に、白い虹彩と爬虫類のような瞳孔を持つ子の瞳が浮かぶ。
今の彼女の中には、ドラゴンを無条件で敵と見なせなくなる何かがあった。
「人竜……どうしてるかな。あれ以来見てないけど」
ふと姿を見せない人竜のことが心配になる。
よもやドラゴンとして狩られてはいないだろうが、
やはり小さな子供でしかない人竜の消息がつかめないのは心配だった。
「……少し探してみようかな」
そう呟き、ナイトは足を止めて路地裏へ歩き出す。
しかし。
「ここにも」
人のあまり通らない裏通りにも、
「ここにも」
人の流れを覗ける高台や城壁の上にも、
「ここにもいない」
まさかと思って行った沢山の子供が集まる公園にも人竜の姿は無かった。
はぁ、とナイトはため息をつく。
人竜のこういうところはまさにドラゴンそのものだと思った。
ドラゴンは丸きり影のように音も無くフロワロの中を移動する。
そして獲物が居ると分かれば壁をもすり抜けて接近し、接触すると
一気に姿を現して襲い掛かる。(人竜が言うには前者を『幻体』、後者を『真体』というらしい)
人竜もまた、完全に姿を変えることこそ無いが一旦意識から外してしまえば
いつの間に、どこに行ったかわからないということがあった。
そんな人竜を探し出すのは困難を極める。
「それにしても、向こうから見つけて出てきてくれてもいいのに……」
そうぼやき、ナイトはまた次の場所を探すために歩き始めるのだった。
結局、彼女が人竜を見つけたのは城門前広場の隅だった。
外に行ったのではないかとやってきて何気なく壁を一瞥し、
ふと感じた違和感にもう一度見直すとそこに座り込んでいたのだ。
「探したわよ、こんなとこでどうしたの」
「……あ」
人竜が憔悴しきって泣きそうな顔を上げた。
ただならぬ様子に心配になってナイトはその肩に手をかける。
と、その感触の異常さに思わず彼女はすくみあがった。
「……!?」
まるで形を保てなくなっているような。
それがナイトの感じた率直な感想、異様な感触に対して思ったことだった。
思わず肩を掴むと、力の抜け切った人竜の身体が倒れこんできて、
くしゃりと形を失った影がその足に引きずられるようについてくる。
「ど、どうなってるの……?」
その呟きに、人竜が億劫そうに口を動かし、何とか次の言葉を出した。
「お……」
「お?」
「お腹すいた……」
「はあ?」
大事ではないことが分かりほっとしつつも、ナイトは納得し難そうな声を上げる。
「……お腹は空かないんじゃなかったの?」
とりあえず人目につかない突き当りのベンチに座らせ、蜂蜜を固めた菓子を与えてやる。
もごもごとそれを口の中で転がしながら人竜は答えた。
「んーとね、フロワロと同化してるときはフロワロから養分を貰ってられるんだけど、
人間の町の中じゃそれができないの」
「ああ……でもここを出ればすぐフロワロがあるじゃない」
「だって門番さんが、子供が一人で出るのは危ないって通してくれないんだもん。
ボクがね、すぐ戻ってくるから大丈夫ですって言っても通してくれないんだよ」
「そりゃあね。でも幻体……?になれば気付かれずに出られないの?」
「ダメ」
「どうして」
「いくら幻体になって隠れてても、
隠れてるだけでそこからいなくなるわけじゃないから……
人の目の前を通ったりすればさすがに気付かれて、その瞬間に
幻体じゃいられなくなっちゃう。そしたらもう幻体には戻れないし」
「そう……難儀ね」
ナイトは額を押さえながら手を振り、ひとまず人竜を黙らせた。
人竜は特に気にした様子も無く講釈を中断し、蜂蜜の甘さを味わう作業に戻る。
「おいしい」
「そ。よかったわね」
「でも……」
「何?」
「あ、ううんなんでもない」
「?」
ナイトは首を傾げて人竜を見た。
人竜は、一応なんでもないとは言ったもののやはり何か言い出したげに
自分の手元とナイトの顔を交互に見ながら何事か考えている。
「……その、ほんとはなんでもなくはないけど、あ、でもその……」
「だから何よ?」
「……怒らない?」
「?」
「その、もういっぱい迷惑かけてるし、これ以上お願いしたら……」
ナイトはきょとんと人竜を見つめた。
気ままだと思っていた人竜が人に気遣いをみせるようになっているのだ。
人間に慣れてきたのか成長なのか、なんにせよそう思うと不思議な感慨が湧いた。
ふっと笑って人竜の頭に手を乗せる。
「……いいわよ。言ってみなさい」
「うん……」
そして、人竜は蜂蜜の菓子を見て言った。
「あの、ね?せっかくナイトがくれたんだから申し訳なくて言えなかったけど」
「嫌いだった?」
「ううん、本当においしいんだけど……栄養にならないの」
「え」
「ボク、ドラゴンだから人間と同じものを食べてもあんまり……」
「あ……!そっか」
ナイトはまいったなあ、とばかりに首をひねった。
「じゃあ、何が食べたい?っていうか何を食べて……」
そこまで言いながら、
(ドラゴンって何を食べるんだっけ……?)
なんとなく嫌な予感に苛まれる、そんな暇もなく人竜は言った。
「それは、やっぱり……」
「やっぱり……?」
「……人間の魂が食べたいな」
「……………」
「?」
返事がないことに首を傾げて人竜は顔を上げた。
「……って、
違う、違うよ!そういう意味じゃなくて!」
冷や汗を浮かべながら後ずさり、あまつさえ剣に手をかけるナイトに
人竜は大慌てでぶんぶんと手を振った。
「本当に……?」
ゆっくりと剣から手を離したナイトが恐る恐るといった感じで戻ってくる。
「本当だってば!」
「じゃあどういう意味なのよ」
「んとね、確かに魂が食べたいのは本当なんだけど、丸ごとじゃなくて
魂が生んだ感情の発露だけでいいの。それでボクたちには栄養になるから」
「発露?」
「うん。喜び、悲しみ、憎悪、怒り、欲望、快楽、感謝、嫉妬、恨み、苦しみ、恐怖そして絶望
どれもが美味、極上のスパイスなんだって偉いひとが」
(誰よ……)
「だから、ね?ちょっとだけナイトの感情を食べさせて、お願い」
「食べさせてって……」
「ダメ……?」
誰かに教わったわけではないから天然なのだろうが、
人竜は上目遣いの完璧なポージングでナイトを見る。
「う……」
庇護欲を刺激されてくらりとなりかけながら、それでも即答はしかねた。
「悪影響は無いんでしょうね?」
「そんなにたくさん貰わないから大丈夫」
「そう……」
(言って見なさいって言ったのはこっちだし……
ここで断ったらこの子が成長する上でも悪影響があるかも)
なぜかそんなことまで心配した末、ナイトは決断した。
「分かった、少しだけよ?」
「!いいの!?ほんと!?」
「気が変わらないうちにしなさい。で?具体的にはどうすればいいの?」
「んーとね、ちょっと屈んでくれる?」
「?」
一体何故屈む必要があるのか、分からないながらも言われたとおりに体勢を低くする。
「もうちょっと」
「……?」
言われるままに上体を屈めたナイトの顔が人竜の顔の傍にまで来る。
そして人竜は自分より少し上くらいの高さに来たナイトの顔に向かって背伸びし、
ちゅっ
「っ!!?」
唇が触れたか触れないか、その瞬間にナイトは反射的に仰け反った。
「な、なな何を!?」
「うぅ……」
苦しげな声にはっと気が着いて人竜を見る。
見れば仰け反った拍子に後ろに転ばされた人竜がひっくり返っていた。
「あ、ごめ、大丈夫!?」
慌てて人竜に駆け寄る。
「また存在が削れちゃった……そろそろ消えちゃうかも……」
「ちょっ……そもそもいきなりあんなことするからでしょ!?」
一応助け起こしてやりながらも逆ギレ気味に言う。が、
当の人竜はくらくらした様子であまり耳に入っている様子は無いようだ。
「大体、なんであんなことする必要があるのよ?
いきなり、その、キスとか……」
赤くなった頬をごまかすようなナイトの若干荒っぽい言い方に、ようやく起き上がった人竜が答える。
「だって!そりゃ幼体なら漂う感情に触れてるだけで十分かもしれないけど、
ボクもう成体のドラゴンだからそれじゃ足りないんだよ!?
もっと直に!きゅーっと吸い取らないと……」
「だ……だから……」
「いじわる……うぅ……お腹空いたよぅ……」
「ちょっ……私が駄々をこねてる訳じゃないでしょ!?」
空腹の極限でお預けを喰らっている状態らしい人竜に恨みがましい涙目を向けられ、
ナイトの心を理不尽な罪悪感が突き刺した。
「だって……じゃあ、なんでしてくれないの……?」
「え……だって……」
実際のところ、なんとなく理解できない話ではない。
ナイトの脳裏に美しい女性の姿で旅人の精気を奪う妖花の話が思い浮かんだ。
が、しかし、ナイトは指を突き合わせる。
「その……キスだし……」
「うー、女の子同士だしいいでしょ……?」
「女の子なの?」
「今は女の子ってことにする」
「くっ……」
ナイトは悩む。が、しかし、目に涙をためた人竜の眼差しに見つめられると、
すぐにでもナイトのNoと言える心はぐずぐずになって膝を屈するのであった。
「分かった、分かったわよ。キスすればいいんでしょ」
「!」
目に見えて嬉しそうになる人竜とは裏腹に、ナイトの脳裏には自らの主が浮かんでいた。
(すいません姫……でもこれは人助けだし、見捨てるわけにもいかないし、
それに相手は子供だし、少なくとも男の子じゃないし……だから許してください)
と、そこまで考えて一拍おき、
(って、なんでここで姫が出てくるのよ)
自分の考えたことに自分で反発する。
半ばヤケ気味になったナイトはがっと人竜の顔を手で挟んだ。
「じゃ、するわよ」
「すぐ離されると吸えないから、少なくとも三秒以上はお願いね」
「っ、分かったわよ」
「舌は入れなくていいからね?」
「入れないわよ!」
「入れてくれてもいいけど」
「入れないっていってるでしょ!?」
そして、
ナイトは屈みこんでそっと人竜の薄い唇に自分のそれを触れさせた。
……いち、に、さん。
かっきり三つ数えて、ナイトは顔を離す。
「っ、これでいいでしょ」
恥ずかしいのをごまかすようにナイトはぶっきらぼうに言った。
さすがに本人の目の前で拭うのは失礼だと思い、唇に残るくすぐったい感触は我慢する。
「……」
「人竜?」
何故か返事が無かった。
怪訝に思ったナイトは人竜のほうを見る。
「ほうっ……」
「!?」
人竜はうっとりとした表情で恍惚のため息をついていた。
「これが……人間の魂……」
「じ……人竜……?」
「あまぁい……………♪」
まるで夢遊病者のように危なっかしい足取りで人竜がたたらを踏んだ。
誰がどう見てもトリップしているその様子にナイトは絶句する。
「あぁ……」
幼い顔に似合わぬ声を上げ、人竜がぞくぞくと身を震わせる。
ナイトが止めた方がいいのか迷っている間にも人竜の身体はふらふらと泳いでいき、
そしてそのまま向こうの壁に『ごん』という音とともに衝突して止まった。
「……」
「……」
「ちょっと変になっちゃった」
「そうね……」
それ以外になんと返せばいいのか分からなかった。
が、ともかく人竜は回復したらしい。
全体に生気が満ちて生き生きと表情が輝き、
その足元に澱む影が黒をいっそう濃くしてざわざわと蠢いた。
試しに人竜の頭に手を置いてみると、人間と同じはっきりとした感触が返る。
「えっと……色々どうなってるの?それにこの『影』は何?」
「んー」
ひとまず体調がよくなったのを確認して、ナイトは聞いた。
人竜は自分の影を見て、
「幻体みたいなもの……かなぁ。ボクの本当の姿を映し出しちゃうみたい。
ボクが人間の形をしてるのは外側だけだから、内側がこんなふうに出ちゃうの。
自分に適応した姿を選ぶんじゃなくて最初からこの形を選んだのがいけなかったのかなぁ」
と返す。
「それっていけないことなの?」
「いけないよ、いくら人間そっくりにしても表面だけだから影とかが不安定だし、
さっきみたいにお腹がすいたら実体が保てなくなっちゃう」
「さっき触ったとき変に柔らかかったのはそれか……」
先程触ったときと、つい今触ったときの感触の違いを思い出しながらナイトは一人ごちた。
「他のドラゴンみたいに完全に真体になれれば
普通の食事をしてももう少し栄養になるし、人間みたいな生活が出来るのに……」
「……でも、仕方ないじゃない。その身体でいいことはないの?」
「んー」
人間のように生活が出来ない、という人竜の言葉に、
ナイトは努めて前向きに人竜に考えさせようと聞いた。
人竜は自分の手を、次に影を見て首をひねる。
「いいことか……どうせなら『黒影』様みたいに影で物が掴めたりしないかな」
「黒影?」
「そう。アイゼンのあたりに大きな黒いドラゴンがいたでしょ?
人類の間ではなんて呼ばれてるんだっけ、デッ……デッ……」
「デッドブラック?」
「そうそれ。……ひどい名前つけたね」
「つけた人に言ってよ、プレロマにいるそうだから」
そのとき世界の南方にある学都で、メガネを首に三つも提げた
緑髪の学士がくしゃみをしたかどうかは定かでない。
「『黒影』みたいに影を動かせたりしたらかっこいいんだけどな」
「……」
それをやれたらますます人間離れするわよ、とナイトは思ったが言わないでおいた。
「まあいいや。ありがとう、ナイト」
「あ、うん、どういたしまして」
それを知ってか知らずなのか、人竜はさして気にしたふうもなくあっさりとそう言った。
一息つき、人竜が生気の満ちた身体を確かめるように手を握りながら、
「そうだ、『姫』さんは元気?」
と聞いた。
「まあね」
「仲良くしてる?」
「……少しはね」
「ふーん……」
「何よ」
「さっきナイトとちゅーしたときに姫さんの移り香が……」
「ーーーっ!!」
ナイトの脳裏に今日の出掛けのことがフラッシュバックする。
思わず振るいそうになる拳を押さえ、ナイトはふるふると身体を震わせた。
「だか、ら、なんなの、よ」
「こ、怖いよナイト……ただ、仲良くしてるみたいでよかったなーって」
「はぁ……前にも言わなかった?あんまり人のそういうことに口出しちゃダメなの。
それに、まあ、確かに少しは仲良くするのもいいかなって思うようにはなったけど
あなたが期待するようなことはないわよ」
「ええ?」
「あのね、人間関係はそう単純なものじゃないの。
好きにも色々あるし、好きや嫌いだけでもないのよ」
「うーん……」
人竜が納得したようなしないような顔でナイトの周りをうろうろしながら唸った。
「んーと、ナイトがそれでいいならボクもそれでいいんだけど……」
ぽす。
人竜がおもむろにナイトに背を預けるように後ろ向きによりかかる。
その状態で見上げてくる人竜に、ナイトはどうするということもなくその顔を見下ろした。
「……例えば姫に何かあって死んじゃったらどうする?」
「え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
ようやく理解が追いつくにつれ、その突拍子もない発言に乾いた笑いが浮かぶ。
「は、はは……いきなり何言うのよ」
「どうして?」
「どうしてって、普通そんなこと考えないわよ……」
「だから、どうしてって、思うんだけどな」
気を悪くしたようでもなく、ふざけているようでもなく、純粋に人竜が首を傾げる。
「だって、二人ともハントマンなんでしょ?」
「……」
そう言われても、ナイトはまだひきつりかけた笑みを浮かべながら諭す言葉を探した。
いや、だって、ねえ。
そんなこと。
……………
先の見えない曇り空の下に放り込まれたような気がした。
ハントマンなら誰だって直面している、ありふれたと言ってすらいい問題だ。
しかしどうして自分がそんなことを考えなかったのかといえば、
どうして他のハントマンがそんなことを話し合わないのかといえば、
……考えたくもないからだ。
半ば逃避するように、それがナイトの出した結論だった。
ふと気付けば相変わらず人竜がナイトを見上げている。
「あ……ああ」
首を振って、ナイトは言った。
「大丈夫……だと思いたい。手柄より安全を重視してミロス方面を選んだんだし、
そういう事態にはならないって」
「うん」
少し強く人竜の頭に手を乗せて、ナイトは続けた。
「正直なところ、考えたくもないの。考えても、答えが出ないのが分かってるから」
「そっか……。じゃあ、考える必要がないように、したいね」
「?」
どういう意味なのかと、白い瞳を覗き込む。
「ドラゴンと人間が仲良くなれば……きっと、心配することはまず無くなるよね。
戦わなくてよければ、死ぬ人だって出ないんだもの」
「ん……」
到底実現不可能に思えるそんなことを、人竜は子供にだけ許された
何にも縛られない純粋な希望でもって言ってのけた。
「……」
その目をもう一度覗き込む。
唯一つ分かったことは、人竜がそれを不可能だと思っていない、ということだった。
「ねえ、人竜」
ナイトは聞いた。
「ハントマンがドラゴンを殺すのをどう思う?」
「どうって……」
思いもかけない質問だったのか、人竜が怪訝な顔をする。
しかしその表情をすぐに若干暗いそれに変え、人竜は呟いた。
「ドラゴン同士に仲間だって感覚はあまりないけど……
でも……あんまり嬉しくない、かな……」
「そう、そうよね。でも実際問題、ドラゴンを狩らないと人間は生きていけないわ。
私だってこれまでに襲ってきたドラゴンを倒してきた。
そんな私と、人竜は仲良くできる?」
「仲良く……できないの?」
身を離し、悲しそうに見てくる人竜に「ううん」とナイトは返す。
「私は少なくともあなたと仲良く出来ないと思わない。
でも、襲ってくるドラゴンは倒さないといけない。
人竜は……それでも私と仲良くしたいと思ってくれるか、そう思ったの」
「そっか」
否定されているわけではないと知り、人竜の表情が幾分和らいだ。
そしてナイトの手をとり、人竜はまっすぐ目を見て言う。
「あたりまえだよ?」
「人竜」
「……きっと、ドラゴンと人間は仲良くできるよ。
今はまだ、戦う以外に接する方法を知らないけど、でもきっと。
ドラゴンは、人間が嫌いなわけじゃないもの」
「そうかな」
「自信はないけど、でもボクはナイトと仲良くしたいよ、ずっと。
だから、ドラゴンと人間が仲良く暮らせるようになって欲しい。
人間の生み出す喜びや、幸せを糧に生きていくことだって出来るって、ボクが証明するんだ。
そうすればきっと……だから、ね、ナイト、これからも仲良くして」
「……」
しばらくして、ふっと優しく笑って彼女は人竜の前にしゃがんだ。
「分かった。これからも仲良くしてあげる」
「……うふふっ」
これ以上なく嬉しそうに、そして照れくさそうに人竜が笑った。
自分と同じ高さに目線を合わせたナイトに向かって、人竜は言う。
「嬉しい。……じゃあ、ね。ボク絶対ナイトに嘘はつかない。信頼の印。約束するね」
「うん……私も約束する。倒す必要のないドラゴンは倒さない。共存できるか、確かめよう」
「じゃあ、指きり!」
互いの小指を絡め、ナイトと人竜は古くからの約束のしるしをする。
ゆーびきーりげんまん、歌いながら手を揺らすと心も不思議と上向くようだった。
(そうよね、きっと)
戦わなくていいなら、それは人竜にも自分たちにとっても望むべき世界だ。
誰もが望む平和な世界を、ナイトはそんなふうに想像した。
そしてそれは、ナイトがこの子と会えてよかった、そう思い始めたことの表れでもあった。
――――――――――――――――――――
「そろそろ姫も戻ってくる頃かな」
ナイトと人竜は城門前広場に戻ってきた。
「さあ、私も戻ってなんかしないと……ご飯でも作ってみようかな」
思い返せば今日は仕事らしいことなどなに一つしていないことに気付き、
元来が生真面目なナイトは何かしないとという気持ちになって考える。
「料理できるの?」
「まあね。でも料理なんて野宿のときしかしてないし……食べに出たほうがかえって
安く上がるかも?でもそれだと……うーん」
「たまには作ってあげたら喜ぶんじゃないかなあ」
「おいしく作れるならそうなんだけど」
とりとめのないことを話しながら二人は歩く。
門の方で何かあったのか人が集まっているのが見えた。
「それにしても」
少し、声のトーンが落ちる。
先程人竜と話した不吉な仮定をまた思い出したからだ。
もし姫がいなくなってしまったら。
そんなことにはさせないと思っても、それを考えただけで心が沈んでしまう。
「どうしたの?」
「なんでもない」
そう、なんでもないのだ。
再びナイトは思考を切り替えた。
「……で、ミロスでは色々と装飾に凝ったケーキも食べられるんだけど
その他ならぬミロスの風習であるケーキでもなんでも平等に分ける文化が仇になってね。
どう考えても平等に分けられない装飾のケーキが……」
「あはは」
談笑しながら二人は歩いた。
ともかく今は楽しく話していようと思う。
心配してもどうにもならないことなら、今を充実させるほか無いのだから……
「……それにしても向こうが騒がしいね?」
人竜の言葉でふと我に返ったような気がした。
城門の方を見ると相変わらず人々が集まり、ハントマンらしき人影も出入りしているのが見える。
「そうね。場所を移す?」
「ええ、何があったか気にならないの」
「なる……にはなるんだけどね。あなたをハントマンに近付けるのは避けたほうがいいし、
この場合は近付かないほうがいいと思って」
「あ、そっか。忘れてた」
「心配ね……まあいいわ。じゃあ向こうの方に……」
「……なんでも海岸線のほうで……」
そのとき、確かにその単語を聞きつけて、ナイトは足を止めた。
「どうしたの?」
「いや……」
なぜだかとても嫌な予感がして他の話が聞き取れないか耳をすますが、
どうもざわざわとした雑音ばかりで欲しい情報がつかめない。
「ごめん、ちょっと行って来なきゃ」
振り返って人竜にそう言い走り出す。
ナイトの様子を見て取った人竜はどこからか以前買ってやった、
大きな黒い帽子を取り出して目深に被ってついて来た。
小走りに集団に駆け寄ったナイトは、そこらを歩いていたヒーラーの男を捕まえる。
「すいません、何があったんですか?」
「ああ、ギルドの方から緊急でミッションの立て直しや怪我人の治療に引っ張り出されてね。
意外と大規模な増員なんでてんてこ舞いなんだよ」
「っ、だから、なにがあったんですか!」
聞きたい情報が知りえず、ナイトは自分でもわけの分からぬ焦燥に急かされて
イライラを隠し切れずに問い直した。
男が面食らった様子で、しかしナイトの質問に答える。
「いや、その……海岸線の方にフロワロを掃いにいったパーティーがいたんだがね。
最近ここらのドラゴンが何故か凶暴化してるって聞いてるだろ?
いつもならいない数のドラゴンがそこにいて、ひとたまりも無く壊走したんだそうだ」
「っ」
ひゅっ、とナイトの喉が鳴った。
予想だにしなかった事態にぞっと寒気が走り、冷たい汗が流れる。
しかし、本当にナイトを蒼白にさせる一言はこの次だった。
「それで怪我人の治療にも駆り出されたんだけど、今回はいつもに比べて被害も大きくて……
……男の人が一人、死んだらしい」
気がつけば走り出していた。
何か言いかける人竜を後に残し、中央通りを疾走する。
ハントマンの宿命。いつ来るか分からない不幸。
心配してもきりが無い以上、どこかで割り切らなければならない。
――そんなことを考えていた先程の自分を斬り殺してやりたい!
そうとさえナイトは思った。
心配しても仕方がないことだと思った、それが、今来るなんて聞いてない!
ミッションの怪我人が運び込まれるとすれば宿の治療院ではなくヒーラーギルドだ。
本気の全力疾走に、何事かと振り返る街の人を時に半ば突き飛ばしかけながらナイトは走る。
悪夢が現実になった気分だった。
ヒーラーズギルドの廊下を走っている時点ですでに酷使されたナイトの呼吸器は限界を向かえ、
ナイトは呼吸する一動作ごとを苦しげに行いながら無理やり走りを維持して前に進んでいた。
「姫……!!」
――――――――――――――――――――
弱虫だった少女時代。
それから十年後。弱虫だった娘はその十年に、
弱い自分など許せないわがままで高慢で接するもの全てに強がった時期を経て、
やがて誇りを持った騎士へと成長した。
……少なくとも、表面上は。
さて、では内側はどうだっただろうか。
胸に浮かぶのは考えないようにした疑問。
自分の元から姫がいなくなったら何が残る?
ずっと、姫のいないときを知らずに、生きてきた自分に何が?
どんな答えが出るか本当は分かっていた。
……何も残らないに決まっている!
ここに至って彼女は一つの絶望的な考えにぶち当たった。
(私は、ずっと姫のために訓練を受けて、仕えてきた。そんなの嘘だ)
彼は自分なんていなくたって自分の道を決めて生きていける。
それに比べて自分はどうだろう?
騎士として決められた道にすがり付いて、自分では何も決めないままここまで来た。
依存してるのはどちらだろう?
もし、
もしそんな自分から、
姫がいなくなったりしたら―――!
――――――――――――――――――――
「……姫っ!!」
掠れて裏返ってしまいそうな声とともに、ナイトは壊さんばかりの勢いでドアを開けた。
「なあに?」
そして、正面の椅子に座る、左腕を包帯に覆われた人物――姫がのんきに返事を返した。
「あ……」
目の前に、確かに姫がいて、返事をしたのだと確認して……
ナイトはへなへなとへたりこんだ。
「ちょっ、どうしたの?」
「姫……」
慌てて歩き寄った姫が、消えてしまいそうな声音とともにナイトが握り締めた
服の襟に引っ張られてそのままつんのめりかける。
「よかった……」
「……ナイト?大丈夫?」
完全に把握はしなくとも、震える手できつくきつく襟元を握り締める
彼女の状態を理解した姫は優しく頭を撫でてやりながら聞いた。
「ね、ほら、どうしたの」
姫にすがりついた状態のまま、小さな声でナイトが喋り始める。
「海岸線の方で何かあったって、パーティーが
ドラゴンの大群に襲われて敗走しったって聞いて……」
「うん」
「姫も、海岸線の方でパーティーに参加するって聞いてたから」
「うん」
「それで、男の人が一人死んだって……
心配で、心配で……………!」
「うん……え?」
ひとつひとつ相槌を打っていた姫が、最後だけ怪訝な顔をして首を捻る。
「ええと……ナイト。これは別に言わなくてもいいことだけど」
「……?」
「対外的には、私は女よ?」
「あ」
ぐったり、と。
今度こそナイトは両手を着いてへたり込んだ。
そんなナイトに姫がそっと話しかける。
「でも、心配してくれたんだ、ありがとう。それと、ごめんね?」
「……………」
「さ、立って」
ナイトの手をとって立たせると、それにつられて
力の入った左腕が痛むように姫が顔をしかめた。
「つつ……。大事にはならなかったけど、それでもざっくりやられちゃって」
「大丈夫、なんですか」
「まあね。重傷を負った人もたくさんいるし、それに比べればマシなほうだわ。
あれだけの数のドラゴンに襲われて、総崩れになって、
それでこの程度で済んだんだもの、本当に……
……本当に……幸いなほう……だった」
言葉の最後のほうで声のトーンが暗くなり、
姫は額に手を当てて首を振りながら憔悴したため息をついた。
「姫」
「あ、ううん。そろそろ戻りましょ」
手を引かれるまま、ナイトは姫に連れられて廊下にでる。
「そんなに、酷かったんですか」
「ええ。……私は、彼に比べれば、命があっただけ」
姫が不意に立ち止まり、そこにあった部屋の入り口からそっと中を見た。
同じように顔を出して部屋を覗きこんだナイトは、そこにある一つの悲劇を見る。
「あ……」
寝台に寝かされ、白い布を被せられた人影。
入り口からはよく見えないが、それが誰なのかはナイトにも分かった。
想定外の強襲で命を落とした彼の周囲には、彼の仲間と思しき面々が沈痛な空気を作り出している。
その中で一人、やはりハントマンと見える女性が彼の枕元にすがり付いて泣き崩れていた。
(ああ)
彼女の気持ちが痛いほど分かるとナイトは思った。
もし自分が同じ立場だったら耐えられない。
きっとあそこに横たわっている人は彼女にとって大切な人だったのだろう。
愛する人を突然に失い、その悲しみを思うと胸が痛くなるとともに
それは想像しても想像しきれない程のものだとも思う。
(……)
自分が考えたことの意味に気付かぬまま、
その女性と自分をシンクロさせてナイトは悲痛な感情に沈み込んだ。
その腕を誰かが引く。
顔を上げると姫が、もういこう、と表情で示してもう一度ナイトの腕を引いた。
再び引かれて歩き出しながらもう一度ナイトは振り返る。
聞こえてくるすすり泣きに悲しげな表情をして、彼女はその場を立ち去った。
――――――――――――――――――――
「しかしまあ、また破れちゃったわね」
ようやく帰り着いた部屋で、姫が脱いだドレスを見ながら言った。
その傷がかなり大きい事を確認すると一つため息をついてそれをぞんざいにベッドに放り投げ、
続いてティアラも同じ運命を辿らせる。
輪にした三つ編みを解き、インナー姿の青年になった姫は左肩をかばいながらぱきぱきと首を鳴らした。
「早いとこ縫い直したいけど……お裁縫道具なんて荷物にあったっけ?」
「……」
「ナイト?」
「あ、はい」
やっぱりないよね、どうしようと姫はドレスに目を戻す。
その背中を、ナイトは見つめていた。
じっと、ずっと、見ようによっては据わっているようにも見える目で見ていた。
「……姫」
「ん?」
いてもたってもいられずナイトは姫を呼んだ。
しかし、続く言葉が出てこない。
言葉にしたいものを言葉に出来ない歯がゆさを堪えるように、ナイトは胸の前で手を握り締めた。
「……、」
胸の内側で何かが燻っている。
例えるなら全力疾走した後の胸の苦しさがずっと続くような感覚。
それはあの凶報を聞いた瞬間に刻み付けられた恐怖だった。
こうして彼の無事を確認しても拭いきれない残滓が、
汗ばむほどの熱い動悸とぞっとするような薄ら寒さを同時にナイトに味あわせ続けている。
この感覚を消し去りたい。
姫がここにいることを確認して安心したい。
しかしそれを伝える言葉をナイトは持たず、
考えて、考えて、考えた末彼女は一つの答えを見つけた。
静かに手を自分に備わった長い金の髪に運ぶ。
それを纏めている白と黒のリボンを、指がそっと掴んだ。
「っ、」
以前姫が自分にしたように。
今度は自分で、ナイトは長い尾を作っている金の髪を解く。
それを見た姫が微かに目を見開いた。
もう片方の髪も解き、ナイトは心細げに目を伏せる。
そして、
彼女は黙って彼に自分の身体を押し付けた。
「……………」
顔を伏せたナイトの背中が小刻みに震える。
少しの間を置いて、やがてその肩に優しく姫の手が乗せられた。
「ごめんね」
姫が静かに声をかける。
ナイトはより強く彼の服を掴んだ手を握ることで答えた。
「おいで」
無言のメッセージを間違えずに理解した姫が、ナイトの手をとってそっとひく。
――――――――――――――――――――
「ん……」
寄り添ってベッドに身を投げ出すと、ナイトは自分から口付けをせがんできた。
優しく答えてやりながら、姫はナイトを抱きしめる。
ぎゅっとしがみついてくる彼女に、彼は愛おしく思いながらその髪を梳いた。
そして思う。
(……服を脱がせない……)
ひしと身を寄せるナイトは、その一心さのあまり姫の思惑など
露とも知らずにただ服の端を握り続ける。
(ま、それでもいいか)
「ちょうど今日は何もしないなんて言ってたとこだしね」
それはそれでいいか、といった感じの姫の言葉に、一方のナイトは
はっとしたように姫の胸に押し付けていた頭を起こした。
特に不満そうでもないその表情に、ナイトは自分が彼を意図せず拘束している間に
彼が何を考え、どういう結論に達したのかを理解する。
「あ、違」
「?」
「今……今、脱ぎます」
「別にいいのよ?」
「いえっ」
言い切って一旦離れ、あせあせと服を脱ぎ始めるナイトのいつに無い行動に
姫はしばしこめかみを掻き、それから自分もシャツのボタンを外しはじめた。
「……」
服を脱ぎ終わったナイトが姫の裸の胸に頬を寄せる。
預けられた頭を優しく姫は抱いた。
結局服を脱いだだけでさっきと同じようになんのアクションもとれない状態なのだが、
姫にはそれを言う気はなかった。ただ、何も言わずに抱いている。
しばらくそうして、不意にナイトは姫の顔を見上げた。
「……」
いつもの一歩おくような表情はどこにもなく、潤む眼がひたすらに何か訴えた。
そしてどん、と、今度は肩に額を押し付ける。
「怖かったんです」
言葉を探すように呟く。
ゆっくり、ゆっくりと、姫の反応を恐れるかのように視線を上げながら、
にじり寄るように近い身体を更に寄せる。
おずおずとズボンに手をかける。
「凄く、怖かったんです」
はしたないと、あるいは興醒めだと、拒絶されることを恐れる眼でナイトは姫を見た。
拒絶しないでほしい、見捨てないでほしいと全身で表現している。
「だから……お願いします、だから」
泣き出しそうな視線を一瞬たりとも逸らさずに彼女は懇願した。
「だから……!」
「ちょっと……待って」
気圧された様子で姫が制止した。
ぴたりとナイトの動きが止まる。
悲劇的なまでの速度で絶望に染まる表情に、慌てて姫はそうではないと首を振った。
「落ち着いて、拒んだりしないから。……ね?」
包むように頬に手を当て、そっと手のひらで擦る。
ぐずるような顔でナイトがもう一度自分の顔を見ると、彼は少し落ち着いて話し始めた。
「急に止めてごめんね、望むようにしてあげたかったんだけど。
急すぎて追いつかなかったの……
突っ走り過ぎなくて大丈夫だから、落ち着いて。
その、えと、私にも準備が必要だし…………濡れてない」
「あ」
言われて初めて、ナイトは自分の身体が準備が出来ていないことに気付いた。
頭だけが目的だけ考えて、身体はその気になっていなかったのだ。
彼女は恥ずかしくて、情けなさにうつむいた。
そんな彼女を抱き寄せて、ぽんぽんと彼は背中を叩いた。
「どこにも行かないから。のんびり、準備が出来るまで待とう」
その腕に抱かれたナイトは、やがてゆっくりと自分も腕を姫の背中に回した。
姫が耳元で問う。
「怖かったの?わたしがいなくなるのが」
「……はい」
「そっか」
「……」
「そっか」
「……」
「そうだよね。
私も、貴女がいなくなったら耐えられない」
「……」
「ねえ、ナイト。
次から、クエストやミッションは必ず二人で行くことにしよっか……?」
「……はい……」
掠れるような声しかでなくて、馬鹿みたいに首を縦に振るしか出来なかった。
あらためて姫がナイトの背中に腕を回し、腰を引きよせるように抱き寄せた。
額辺りに顔を寄せて、うつむくナイトの表情を窺ってくる。
ちらりと目を上げた彼女は、伸び上がるように口付けをせがんだ。
ナイトの耳のあたりに手を当てて、姫がそっと応えてやる。
唇が離れると、ナイトは陶然と息を吐いた。
少しだけ安心した彼女は、ずり、と姫の顔を上から見るようにさらに伸び上がった。
「……姫」
やや上ずった声で、ナイトは呼んだ。
「……やっぱり、しましょう」
「ナイト」
「駄目……ですか……?」
少し身体をくねらせて、悲しげに今は少し下にある姫の顔を覗き込む。
姫の手がそっと彼女の細い腰に触れた。
「いいよ……しよう」
肩をつかまれて、たった今起こしかけた身体をベッドに押し倒された。
覆いかぶさるようにせり上がってくる姫に、ナイトは両手を伸ばす。
「……」
姫の顔の両脇を通って、頭の後ろで指を組む。
向き合った彼の顔をまっすぐに見て、彼女はやや挑発的に微笑んだ。
少しだけ面食らったように止まった姫の顔が、すぐに笑みへと変わる。
嬉しそうに微笑むと、彼はこつん、と額をナイトのそれに軽く当てた。
二人でくすくすと笑う。
そうしてから、姫は自分の顔のすぐ脇にあるナイトの腕に触れた。
彼女の手をとって、外側から包むように自分の頬へと当てる。
彼は目を閉じてしばしの間、その手に自分の頭を預けていた。
「……」
ナイトがそれを眺めていると、姫はおもむろに目を開け、頬に当てていたナイトの手を
自らの顔から離して握りなおした。
彼の指は細くて長い、とナイトは思う。
男性にしては細く優美で、しかし筋張った男性らしさも混じったきれいな指だ。
手のひらを合わせ、その指に自分の手が絡め取られてベッドに押し付けられるのを
彼女はうっとりと見つめた。
見下ろした姫は顔を近づけて口づける。
まず唇に、あごの下に、喉に、そしてもっと下へ。
「……あっ」
吸われてナイトは思わず小さな声を漏らした。
胸の上で姫が紫の髪を揺らすたび、あ、あ、と細く声が上がる。
「……っ」
やられっぱなしはしゃくだとナイトは思った。
「?」
頭を抱きかかえるようにされた姫が疑問の声を上げる。
そのままナイトは彼の体を引き倒し、上下を入れ替わるように体を起こした。
引き倒された姫はきょとんとした表情で見上げている。
それを今度はナイトが見下ろした。
「……」
身体をすり寄せるようにしてぞくぞくと震える。
姫の顔をはさむように手を当てたナイトは、じっとその瞳を覗き込んでいた。
「ナイト」
不意に彼が彼女を呼んだ。彼女は顔を寄せる。
唇へ、でなく頬へ。そのまま首筋へ口付け、食むような愛撫を加える。
「くすぐったいわ」
姫が身をよじって笑った。
ひとしきりの場所へ唇を這わせ、ナイトが体を起こす。
どことなく気だるげな表情を浮かべ、彼女の口からほうと吐息が漏れた。
ぺたんと姫に乗っかってもの言いたげにするナイトと、姫の目が合う。
少しの間見つめあうと、彼女はたどたどしく動き出した。
「ん……」
腰を上げ、両足をゆるく開いて先端を自らにあてがう。
「大丈夫?」
「大丈夫、です」
姫が体を起こしてナイトを支えた。
その胸に身体を預けて、ナイトは不慣れな様子で正しい位置を探る。
ようやくその位置を見つけ出すと、彼女はおもむろに体重をかけ始めた。
「う、あ……」
ナイトの白い喉がか細く鳴いた。
押し殺した呻きの中に、微かに甘さを含んだ声を上げながら、
ナイトは自らの身体にゆっくりと杭を打ち込んでいった。
――――――――――――――――――――
「……………………」
ナイトがようやく人竜を見つけたとき、人竜は拗ねていた。
「……あの」
「ボクのこと置いていった」
「ええと」
「ボクのことなんてすっかり頭からなくなってた」
「ご、ごめん」
「……ふん、だ」
人竜の『影』がこれ見よがしにドラゴンの形をして、
尻尾でしたんしたんと地面を打っているような動きを繰り返す。
ナイトは困り果ててそっぽを向く人竜の顔を覗き込んだ。
当然のごとく反対側に顔を向けて拒否され、彼女は肩を落とす。
「ね、悪かったってば。どうしたら許してくれる?」
「……」
す、と影が人型に戻った。
「……ん」
人竜が目を瞑り、黙って顔を上に向けた。
ナイトが戸惑う。
「え、と」
「お腹すいた」
「う゛」
意味を理解したナイトが呻いた。
困ったように辺りを見回すが、都合の悪いことに、あるいは都合のいいことに
あたりを歩いている人影は見当たらない。
たとえ人影があっても人竜が要求を撤回したかは分からないが。
「……わかった、わかったわよ」
「ん」
目を瞑ったままの人竜の顔から、少し険がとれた。
「……」
神妙な顔で見下ろしたナイトは、喉の奥でしばし小さく唸ってから
やがて諦めたようにそっと口付けした。
しようとした。
「ナイト、そこにいるの?」
ナイトが硬直した。人竜が一瞬で気配を消し、影のようにその場から消え失せる。
一人だけそこに残されたそのおよそ二秒後くらいに、後ろの路地から姫が姿を現した。
「こんなところにいたのね」
「あ、ひ、姫」
「?」
首を傾げる彼に、ナイトはぶんぶんと首を振って平静を装った。
普段通りの自分を取り戻して聞く。
「いえ、なんでも。なにかご用ですか?」
「用はないんだけど、ね」
「……私の傍を勝手に離れちゃだめじゃない」
「っ!」
不敵かつ悪戯げな笑みを浮かべ、唐突に姫がナイトの腕を取って引き寄せた。
「ふふ……やっぱり貴女、可愛い。素敵。どこだって行かせたくない」
「……っ!!」
発せられた言葉は、ナイトを絶句させるに十分な威力を持った。
「な、な」
「どうしたの?私の我侭はいつものことでしょう?」
「や、いや、変です!今日はどうしてそんな……」
「再確認したから……かしら。
長らく貴女が傍にいることの幸せさを忘れてたみたいだけど、
心配してもらって、心配かけちゃって、思い出した。
……
改めて思った。私、貴女のことが大好き。愛してる。
傍に、いてほしいな?」
「あ、う」
至近距離に顔を寄せ、低く囁かれる言葉にナイトは思わず頬を染めた。
口をぱくぱくと動かしながら、あ、とかう、とか声にならない声を出す。
そして――ナイトはふと、向こうの路地を見てしまった。
「……………………」
――建物の陰から半分だけ姿を覗かせ、人竜がじっとこちらを見ていた。
「……!」
一気にナイトの頭の中が冷えた。
まずい、と思ったがそこはそれ、ナイトの心中など与り知らない姫が追撃をいれる。
「いやなの……?」
「え、あ、いえ!」
慌てて返事をする。
静かに、しかしこの上なく嬉しそうに姫が微かな笑みを浮かべた。
「ほんとに?」
「あ、はい」
「……ふふっ」
今度こそ嬉しそうに微笑んで、姫がナイトの首筋に手を回した。
「え――」
と思う間もなく、姫がナイトに口付けた。
愛おしくてたまらないというように優しく、熱を帯びた口付けにくらりと視界が揺らぐ。
名残惜しげに唇を離し、姫が珍しくはにかんだ。
ナイトもまた真っ赤になって、それでももじもじと何か口を開こうとした。
「……………………」
――再び見たその視界で、人竜の辛うじて人型を保っている『影』が静かに攻撃色である赤に染まる。
「……」
「?」
「あ、あの、場所を変えましょう!」
「え」
いきなり様子を変えたナイトに姫が面食らう。
「どうしたの、急に?」
「ここんなところで突っ立っててもなんですし、ね!?
買い物とか行きましょう!少し服とかも補充しないといけませんし!」
「分かったけど……って、わ、ちょっと」
「さあ!」
困惑する姫の腕を引っ張って、ナイトは急いで商店街のほうへ歩き始める。
早足で急ぎながらもナイトは心の中で、更にへそを曲げたであろう人竜が
空腹も手伝って凶暴化し、人を襲わないように祈るのだった。
最終更新:2011年05月28日 15:33