エロ微小(強姦)・虐待表現・グロ表現あり・欝です。
――花が、咲いている。
私が故郷を追われたのは、もう14年前のことだ。森の木々が薄紅の花を咲か
せる頃、ごく普通の人間の両親から生まれた私の頭には、柔らかな毛で覆われ
た獣の耳があった。私の姿を見た父親は動転して家を飛び出し、母親はうろた
えて泣き続けた。そしていつしか、母はすべての原因が私にあると考え、私は
寒い家の中で、たった1人で生きた。母の怨嗟の視線を常に感じながら。
今ならわかる。私の両親の双方に、ルシェ族の血が混じっていたのだ。薄い、
薄いその血は、奇跡的な結びつきの果てに、私の頭の耳として結実した。こう
いった「取替え子(チェンジリング)」は、珍しい事例ではあるが、まったく
ないわけではない。だが私の住んでいた無垢なる田舎の村では、それは単なる
不貞の証しでしかなかった。
12年、好奇と侮蔑の目に耐えながら生きた。
12年、無視と怨念を背に生きた。
12年目が終わろうかというある冬の日、私は村のワル気取りな連中に開店前
の酒場へと呼び出され――その場で犯された。6、7人の男たちは、何も知ら
ない私を好き放題に貫き、汚し、思うが侭に快楽を貪った。私はただただ痛み
に耐えながら、この地獄が過ぎ去ってくれることを祈り、同時に、これからの
日々はこの地獄とともにしかないことを悟った。
ああ、でもそれだけであったなら。それだけであったなら、私はきっとあの
地獄をも平穏な日々として受け入れ、男どもの性欲解消人形として毎日を過ご
しただろう。どんなに悔しくても、どんなに苦しくても、彼らは私が存在して
いることを認めてくれる。たとえそれが肉の奴隷でしかなかったとしても。
私の家には、「私」がいない。
甘美な屈辱に塗れた私の目の前に、鈍く光る刃が見えた。
――こいつ、耳の裏を触られるといい声で鳴くのな
――すっげえ笑える。うちの猫と一緒じゃん、それ
――ってことはあれか、こいつ、恥ずかしい場所をブラブラさせて歩いてるっ
てことか
――いかんなあ。いかん。不道徳だなあ
――こいつに、女の貞淑さってのを教えてやらんといかんだろ
全身にねばねばした体液を浴び、息も絶え絶えだった私は、自分の耳の後ろ
に冷たい刃の感触を覚え、そして次の瞬間、言葉にできない痛みが全身を突っ
走った。
ぼたり。ぼたり。
私の顔を覆う粘液とは違う熱さを持った液体が、私の頬を伝り、目に入り、
口のなかに鉄っぽい味がこみ上げる。私は悲鳴をあげた気がしたが、自分の声
はどこまでも遠かった。そもそも、声が出ていなかったのかもしれない。ただ、
視界が真っ暗に閉ざされていくのだけが分かった。
気がつくと、私は雪道を歩いていた。頭はジンジンと痛み、粗末な靴の中で
足の指が刺すような痛みを訴えていた。私は、歩かなくてはならなかった。行
くあてはなくても、歩かなくてはいけなかった。私のすべてを否定した故郷か
ら、一歩でも遠くに、歩かなくてはならなかった。
歩かなくてはいけない。自分の膝が崩れるのが分かる。
歩かなくてはいけない。頬に凍った地面を感じる。
歩かなくてはいけない。頭はなおも痛み続ける。
歩かなくてはいけない。歩かなくてはいけない。
歩かなくてはいけない。
もう、歩けない。
歩かなくてはいけない。
もう、歩けない。
歩かなくてはいけない。
もう、歩けない。
――もう、歩けない。
そのとき、遠くで馬の蹄の音が聞こえた。
それから14年がたち、田舎の雪道を任務先へと急いでいた師匠――カザン王
国の騎士だ――に拾われた私は、従者としての訓練を終え、騎士の称号を受け
た。他人に比べて耳があまり聞こえないというハンディキャップはあったが、
それは私にとってモチベーションを高める材料でしかなかった。
私は、歩かねばならないのだから。私は、戦わねばならないのだから。
王国は危急存亡の時を迎えており、騎士団にはいくらでも仕事があった。だ
から初の出陣となる私が、1人でそっと騎士団の建物を出たのを、見咎める者
はいなかった。
もっとも、どこに行くのかと問いただされても、私は答えられなかっただろ
う――私自身、なぜ自分が歩いているのか、説明できない。
ただ、気がつくと私は歩いていた。14年前に歩いた、あの道を。
私の頭のなかで、さまざまな風景が回転した。まずは、夜を待つ。人々が寝
静まったところで、最初に駐在の衛視を殺る。これで予備の剣が確保できる。
次に村長の家に侵入して、村長一家を殺る。村長の家にしか、馬はない。馬の
手綱を切って、馬は森に追いやっておく。これで逃げる人間は走る以外の手段
を持たなくなる。
それから、一軒ずつ、慎重に仕事をする。幸い、酒場は村の中央の広場にあ
る。酒場から人が出たようなら、そいつを先に片付ける。最初に酒場に飛び込
んだら、多対一になるし、騒ぎになれば逃げ出す奴もでてくるだろう。
そして――私は確実に捕らえられ、師匠は厳しく問責され、簡単な裁判の後、
師匠自らが私の首を刎ねるだろう。それまでに師匠が自決していなければ。私
の名前は騎士団の恥、カザン王国始まって以来最悪の大量殺人犯として歴史に
残るに違いない。
村が見える高台に立ったとき、太陽は山の端にかかろうとしていた。すべて
が茜色に染まっていて、私は自分がこの風景を懐かしく思うことに驚いていた。
でも、何かが違った。
私は、自分の動悸が高まるのを感じた。そんな。そんなことって。
14年は。私の14年は。
気がつくと、走り出していた。茜色に染まる花を蹴散らしながら、走った。
故郷に向かう道を、走った。
こんなことって。こんなことって。こんなことって!
村は一面、水晶に覆われていた。広場も、家々も、あの酒場も。人も。
「不貞の娘」「悪魔っ子」の14年ぶりの帰郷を迎えたのは、ゆっくりと夜色に
染まり始めた水晶だけだった。
私は、何も考えられなかった。気がつくと、私は自分の家のドアを開けてい
て、気がつくと、私はいつものように暖炉の前の揺り椅子に座って、いつもの
ように編み物をしている女の――形をした、水晶の彫像の背中に立っていた。
ゆっくりと、剣をかざした。
深呼吸をする。
14年。この風景を、心の奥底で燃やしてきた。
14年。これだけを、念じてきた。
でも、剣を振り下ろすことはできなかった。カラリと手から剣が落ち、私は
泣いていた。ひたすら、泣いていた。物言わぬ水晶の像にすがって、あの頃の
ように、声を殺して泣き続けた。
おかあさん。
おかあさん。
おかあさん……!
階段で、カタンと音がする。私は咄嗟に剣を拾い、背中の楯を構えた。油断
なく、周囲を見回す。訓練で叩き込まれた動きだ。ごく自然に、涙は止まって
いた。
階段の上には、両手で杖を構えた、ローティーンの少女がいた。赤毛が印象
的だ。
おびえた瞳が、おどおどと私を見る。本人としては、睨みつけようと思って
いるのだろう。でも私が彼女の視線を真正面から受け止めると、彼女の目はき
ょろきょろと踊った。
「お嬢さん、私はカザン王国の騎士だ。安心してほしい。国王陛下より、生存
者がいれば救出せよとの命令を受けている。ともあれ、降りてきてはくれまい
か?」
「出て行け! 何が騎士だ! ここは、あたしの家だッ!」
私は軽い衝撃を受けた。混乱した頭を整理する。14年あったのだ。そういう
ことがあっても、不思議ではない。母は、お世辞にも素行が良いとは言いがた
かったし、なによりこんな辺鄙な村でいわくつきの女が1人で生きていくとなれ
ば、できる仕事には限りがあった。
私は苦笑して、妹に呼びかける。
「お嬢さん、落ち着いて。お嬢さんのほかに、まだ生きている人は?」
「あたしの母さんは生きてる! まだ生きてる! 死んでなんかいないッ!」
「貴女の言うとおりだ、修正しよう。まだ水晶化していない人は?」
「……あたし以外、みんな……」
妹の顔がぐしゃりと歪んだ。泣き出しそうなのを、必死で堪えている。私は
剣をしまい、楯を背負いなおすと、階段を上がった。妹は、はっとして杖を構
えなおす。
私は構わずに階段を上る。妹は、大上段から大振りで私に殴りかかった。か
わす必要も、受ける必要もない。杖が私の額を打って、一瞬だけくらりとした。
額から血が流れるのを感じる。
大丈夫。こんなのは、痛みじゃない。
唐突に、妹は自分がとんでもないことをしでかしたのを悟り、杖を取り落と
した。真っ青になって震えている。
「大丈夫。安心して」
へたり、と妹の腰が落ちた。最後の数段を上って妹の頭をそっと抱き寄せる。
「怖かったね。ひとりで、よく頑張ったね。もう、大丈夫。大丈夫だよ」
火がついたように、妹が泣き始める。こんな小さな子が、この死者の森のな
かで、どれくらいの時間を耐えねばならなかったというのか。おそらくは私と
同じように冷たくあしらい続けた母の、憎んでも憎み足りない背中を眺めなが
ら、どれだけの感情を押し殺してきたというのか。
妹は、ひたすら泣き続けた。私は腕の中のぬくもりを逃がさぬよう、彼女を
抱きしめていた。
「あたしはッ! 絶対に、みんなを助けるんだからッ! あんたも協力してよ
ねッ! 騎士なんだから、困ってる善良な村人を助けるのは当然でしょッ!」
私は苦笑しながら、背後でわめきたてる妹の声を聞く。
「分かってる。これで何度目だ、いったい――。とにかく、まずは街まで行く。
状況を報告しなくてはならないし、私だけではできることにも限界がある」
「あんただけじゃないッ! 何度目だッ! あたしも戦うんだからッ! 村長
さんに、治療の魔法を習ったんだからッ! あたしだって役にたつんだッ!」
肩をすくめ、妹のわめき声を受け流す。ダメだと言ったら、彼女は確実に1人
で旅に出ようとするだろう。それくらいなら、つれて歩いたほうがマシかもし
れない。その治療の魔法とやらが、どれくらい使い物になるかわからないが。
「フン、また無視かッ! あんた、騎士のくせに、すっごい鈍感。頭に耳つい
てんの?」
ちくり、と心が痛む。振り返って、私は妹を睨んだ。
「ちゃんと二つ、頭についてる。わめきながら歩いていると、疲れるぞ。昨日
みたいに背負って歩くハメになるのは、御免だ。一緒に旅をしたいというなら、
なおさらだ」
「フン!」
妹が鼻息あらくそっぽを向く。負けん気だけは一人前だ。私たちは、しばら
く黙って道を急いだ。
「――ねえ、あんた、なんであのとき泣いてたの?」
沈黙に耐えられなくなったのか、妹がまたわめきだした。
「ねえ! 聞いてるのッ?」
私はため息をついて、振り向かずに答える。
「あの女性は、私の――古い、知り合いだった。それだけだ」
「フーン。あのクソ婆が、騎士なんかと知り合いだなんてね」
「人の世には、不思議な縁というものがある」
「縁ねえ。じゃあ、あんたとあたしが出会ったのも、何かの縁ってこと?」
「そうなるな。わかったら、歩け」
縁。それ以外、あり得ないだろう。なおもわめきたてる妹を無視して、私は
道の先に視線を送る。
街までは、もう一息だ。
最終更新:2013年05月04日 21:11