「あ~知らないねぇ~」
「アイゼンの奴なんか知るはずないだろ!」
「だ~れ? そのおにぃちゃん? ねぇそれよりさぁ~♪」
「ウホッ! いい男」
ネパンプレス帝国に着いて三日間。四人は手分けして情報収集に勤めた。
一人は酒場で、一人は城で、一人は街中で、一人は広場でそれぞれ探したが、何の情報も得ることなく今日も日が暮れる。
四人は疲労――走り回った者もいれば、子供と遊んだ者もいて、何故か尻を押さえた者もいた――しながら、宿へと戻ってきた。
「あ‥‥お帰りなさい‥‥どうでした‥‥?」
四人共首を横に振る。
「そう、ですか‥‥。私の方もダメでした」
彼女は各店を聞いて回っていたが、そこでも何の情報を得ることは出来なかった。
「お店の方は‥‥最近、殆ど冒険者(ハントマン)は来ていないそうです」
彼女の耳が元気無さそうに垂れる。それを見て、やはり一人はにやけ、やはり隣りの仲間が背中を抓った。
「彼‥‥どこにいるんでしょうか‥‥? もしかして‥‥魔物に‥‥?」
彼女は不安からか、最悪の結末を口にする。四人は各々それは無い、と励ました。
「だって‥‥キャンプでは誰かが見ていたのに‥‥ここでは‥‥誰も‥‥」
悪い方向へと考えてしまう彼女の悪い癖は旅の途中幾度もあった。そのたびに、流砂を抜ければ、キャンプに行けば、砂漠に行けば、ネパンに行けばと延ばしてきた。が、どうやらそれも限界みたいだ。
彼女は疲弊からか、泣き出した。静かにしかし止めどなく溢れる涙を止める術を四人は持っていない。
困り果て、一旦戻った方がいいかと思い、宿を出る支度をする。その途中。
「アレ? もしかして‥‥アンタ達‥‥」
誰かが後ろから声をかけてきた。一人、自分の事かと振り向く。すると、どこかで見た三人組がいた。
「やっぱり! 覚えてる? ほら、カザンで会った!」
その言葉に四人全員がかつて、リタという女性の為に仲間を集めた懐かしい記憶を思い出す。
「いやーあの時は世話になったわね! おかげで最高の旅が出来てるわ! 本当にありがとう!」
元気よく、ハキハキと喋るリタに四人は少しばかりの元気をもらったような気がした。
リタは三人で行動しているのを一人が思い出して、他の人はと尋ねる。
「ん? あぁ買い出しに行っているわ。
三人ってのは辛いけど、何とかやっているわよ。でもたまにだけど、一人旅の人と一緒に行動する事もあるから多分ずっと三人でやっていくと思うわね。だってそっちの方が面白いもの!」
その向日葵のような満面の笑みに疲れがどっかに行ってしまったのか四人とも微かにだが微笑んだ。
ふと、一人が気付く。『一人旅と一緒に行動する』。まさかと思い、真剣な表情で問う。
「え? その男なら確かに会ったけど‥‥何で?」
その答えに他の三人もリタに詰め寄り、どこに行った!? いつ会った!? 自殺とか考えていなかったか!? 好きなタイプは!? と各々問いただす。
「ちょっ、落ち着いて! え、えーと‥‥確か三日前に出会って、今日の朝別れたの。
ネパンに行かないの? って聞いたら『あの耳を見たくない』って言うけど生まれがアイゼンだって聞いてたから深く言及しなかったわ。
自殺とかは考えていなかったと思うけど‥‥今思うと、ちょっと心配かも‥‥。
行き先は‥‥えーと、確か‥‥何だっけかな‥‥確か‥‥余り聞かない名だからちょっと覚えてないけど‥‥確か‥‥そう、ヒューロとか、そんな感じだった筈よ」
その言葉に一人だけ、ヒューロ氷洞‥‥! とまるで帝龍来襲の報を聞いた兵士のような顔をし、別な一人が知っているのか!? と、険しい表情で聞く。
――ヒューロ氷洞。極寒の洞窟であり、己が武を極めんとする者達が行く修練場でもある。
だが、ヒューロ氷洞は常に氷点下を下回り、初代剣聖から始まる代々剣聖の愛用した剣が収められている場でもある故か魔物は愚か人間にまで狂暴化する。
その為重傷者、死亡者は勿論。その狂気に当てられ、元々の自分を見失う者が出てくる。
激痛により痛覚が麻痺し、身が滅ぶまで戦おうとする者。
恐怖の余り近づく者全てを殺そうとする者。
友の死という悲しみ、又は怒りに身を委ね、自暴自棄になりながらも剣を振るう者。
自らの終焉を悟り、自決をする者。
果ては戦う事ではなく、殺すことに喜びを感じ、殺人鬼として生きる者までもが産まれる場。それがヒューロ氷洞。この世の地獄とも言われる悪魔の地である――。
ヒューロ氷洞を知っている一人が皆に知っている全てを話した。
しかも、その狂気溢れる場は今やフロワロで埋め尽くされているものの、立ち入り禁止にならずに今でも修練する者が籠もっているらしい。
四人――三人とリタ――は冷や汗をかいた。
理由は三つ。一つ、行った場所がヒューロ氷洞という最悪の場。一つ、ここからだと山を越えなくてはいけないが、そのためには一週間を要すること。一つ、彼が――失恋して、死にたがっているのではないかということ。
全員が一瞬にして静まった。暫くして、リタがゆっくりと口を開く。
「‥‥え? えーと‥‥それじゃあ、何? もしかして貴方達が探している人があたし達と出会った人で、その人は誤解から失恋したと思い込んで、その‥‥ヒューロ氷洞ってとこで憂さ晴らししようってこと?」
一人が静かに頷く。
「そんでもって、そこは危なくて、死亡者も出てくる場所ってことで、その人はそれを知っていたんだから‥‥つまり‥‥自殺志願、の‥‥可能性、大?」
同じく、頷いた。
「‥‥じょ、冗談じゃないわよっ!」
リタは拳を握りながら、誰に言ったのかよくわからないが誰かに向かって叫んだ。
「あたし達は人助けがモットーのギルド! 自殺する人の手助けなんか絶対にさせないんだからね!
それに‥‥あんた達には借りがあるんだから益々見過ごせないわよっ!」
すかさず、自分の荷物を取り、出発の準備をする。
「あたし達は一足先にそのヒューロってとこに行くわっ! じゃあねっ!」
叫ぶなり、リタは走り出した。階段を下りようとした時、止めようとしたが、声すら届かなかったのだろう、わき目もふらず走っていく。
リタの目は本気だった。彼女のこの一直線の性格は、彼女が仲間を作るのに苦労した最大の要因であり、今の仲間を惹きつける最大の要因であるのだろうと、改めて納得した。
◇◇◇
「ったく‥‥迷子になるから俺から離れんじゃねーよってあれほど行ったろうに‥‥」
「す、すみません‥‥あれ? あれってリーダーじゃ‥‥」
「ん? 本当だ。オーイ、リーダー。宿とってく「それどころじゃないっ!」
「え! あ、おいリーダー! ちょっ、そんな急いでドコ行く「ヒューロよ! 山越えよっ!」
「は? リーダー説明を‥‥「良いから来るっ!」
「‥‥はい」
「うぅ‥‥久しぶりのベッド‥‥」
◇◇◇
四人はすぐさま、支度をするため、振り向いた。そして、止まった。そこには彼女がいた。手が微かに震え、口は僅かに開閉しつつ短い間隔で呼吸し、目を見開いていた。
彼女は静かに言葉を紡ぐ。
「‥‥うそ‥‥だ‥‥」
彼女は静かに言った。それだけ言った。そのまま彼女は涙を流し、何も言わなかった。
「ここは‥‥」
黒。ただ暗い闇の世界の中。彼女は何故、ここにいるのか分からなかった。
『大丈夫か?』
『‥‥い』
声が聞こえる。振り向くと、そこは夜の路地。一人の少年が一人の少女に向かって、手を差し伸べていた。
「あれは‥‥」
この光景に彼女は見覚えがある。これは自分の記憶だ。同時にこれは夢であることが分かった。
だが、この先を思い出せない。自分の記憶なのに何故思い出せないのか分からない。
疑問は解消されないまま、少年と少女は動く。
『ここにいると危険だ。早く‥‥』
『‥‥さい』
あの少年は【彼】だ。そして、あの少女は私だ。紛れもない。これは彼との出会いだ。客観的に見ているが、これは私と彼の出会いだ。
そこまで思い出して、だがこの先の事が思い出せない。
疑問は解消されないまま、少年と少女は動く。
『どうした、早く『うるさい!』
少女は吠える。その声に彼女はビクリとした。
これは自分の記憶だ。あの少女は自分だ。では何故彼に対してあんな声をするのか。
「‥‥あ、あぁ‥‥あぁ‥‥!」
そこまで考えて、全部思い出した。この先に起こることも全部。
――駄目。駄目‥‥! 駄目!
彼女は叫んだ。いや、叫ぼうとした。だが、声はでない。さっきまではあんなに簡単にだしていたのに。
『何を――』
『うるさい! だまされない‥‥! もう、わたしはだまされないっ!』
少女はいつの間にかナイフを持っていた。どうして持っていたのか、そんな疑問すら彼女は浮かばずに必死に止めようと走る。だが、幾ら走っても彼女は少女の元に辿り着けない。
少年と少女は動く。
『落ち着いてくれ! 俺はそんなつもりはない!』
『だまれっ! そういってちかづく‥‥! もうだまされないっ!』
――違う。彼は、彼は本当に私の為にしてくれた。だから、だから‥‥!
『‥‥』
『! く、くるな!』
『俺は‥‥お前を手当したいだけだ』
――止めて。止めて止めて止めて止めて止めてっ‥‥!
『くるなぁ!』
『‥‥刺したければ、刺せよ』
『あ、うぁ‥‥!』
少女は、動いた。
少年は、動かなかった。
『うぁああああああああ!』
「止めてぇええええええ!」
肉を抉り、骨をも削り、生暖かい血の音と感覚。それらを彼女は『思い出した』。
「はぁ! はぁ‥‥はぁ‥‥」
彼女は起きてすぐ、自分が何か、硬いところで寝ていた事に気が付いた。
すると横からここ数日見慣れた顔があり、その人は喜んだように他の人の名前を呼んだ。
「‥‥あ」
彼女は思い出した。彼に関する情報を。余り声は大きくなかったが、ルシェ族特有である発達した聴覚は聞こえていた。
聞きたくなかった。それが彼女が聞いてしまった情報の感想。
――彼は自殺をしようとしている。
知りたくなかった。そこまで彼を追いつめてしまっただなんて。
知りたくなかった。自分の臆病さ故にこんな事になってしまっただなんて。
知りたくなかった。彼が死のうとしているだなんて。
「私の‥‥せいだ‥‥」
全ては自分の臆病さから始まった。
全ては自分の卑怯さから始まった。
全ては自分の無力から始まった。
全ては自分の生まれ――ルシェである事から始まった。
「‥‥私が‥‥ルシェだから、だ‥‥私が‥‥!」
そう考えた彼女は近くにあったサバイバルナイフを取り、自分の頭上にある忌まわしき耳へと刃先を向け、力を込める。
一瞬だった。
◇◇◇
気付いたら、誰かが泣いていた。何故泣いているのか彼女は分からなかった。
しかし、握ったナイフが側に落ちていて、それは血が付いていて、それが自分がさっきまで持っていたナイフだと気付いて彼女は理解した。
「‥‥ごめんなさい」
この人は自分の為に泣いているのだ。自分の身勝手で軽はずみな行動がこの人を泣かせてしまったのだ。彼女はそれを理解した。
ふと、自分の耳はどうなったのか気になった。動かしてみると痛みが襲ってくる。
それに気づいた別な一人――ヒーラーだろうか。応急処置程度のキュアを教えてくれた人――が答えてくれた。
右耳が中ほどまで切られているが大事には至らないこと。念の為、後一日だけ、包帯は巻いておくこと。丁寧に教えてくれたその人に対してごめんなさいと、彼女再度謝った。
「私の‥‥私の話、聞いてくれますか‥‥?」
彼女の問い掛けに全員が肯定した。
彼女は言わなければならないと知っていたし、彼らも聞かなければならないと思っていた。
彼女と『彼』の話には矛盾があった。
彼は彼女の想い人ではない。なのに彼女は彼が想い人だと言っていた。それがまず一つ。
二つ目に彼女の話に肝心の場面――彼との出会いが無い。最も大事で、最も話したがる場面を彼女は隠していた。
そもそも何故、彼女は彼が想い人だと知っているのか。愛の力だとかそんなので決め付けるのはおかしいし、第一初めて出会ったのはアイゼンで次に会ったのはゼザだ。幾ら何でも気付くとは思えない。
計三つの矛盾は全員が気付いていた。だが、彼女が喋りたくなければそれでもいいと思っていた。
しかし、ここまで彼女と彼を追い詰める事となれば、流石に事情を知らなければいざという時危険である。
最悪、何か出来たのに、何も出来ない事態になる事だってある。
彼らは彼女の話を聞くため、そこら辺へ座る。
「私と彼の関係‥‥使用人と貴族と‥‥以前は言いました」
彼女は自らの過去を、真実の過去を話す。
「本当は‥‥違うんです‥‥私は‥‥私は‥‥!」
――奴隷、なんです。今も‥‥あの男の‥‥。
ゆっくりと、しかし確かな声で彼女は話し始めた。
◇◇◇
男は考えた。
今、やって来たのは人だった。男が殺したのはその人だ。その人は自分を殺しにかかってきたのだから。
男は考える。
何故この人は自分を殺そうとしたのだろうか。どうして敵意もない自分を殺そうとしたのだろうか。そもそもこの人は誰なのだろうか。もしかしたら知人かもしれない。
男は悩んだ。
どうしようか。これは殺人だ。殺人は犯罪だ。故郷を捨て、家族を捨て、全て八百万の神々の名の下に誓ってまで捨て去った自分の一切が、今自分の頭の中を駆け巡る。
男は気付いた。
殺気が自分に向けられているのが。それが『人』であることに。そして自分の周りに魔物までがいることを。
男は動いた。
ただ、死にたくないと思ったから。ただ、一度でいいから彼女に謝りたかったから。
男は武器を取り、その殺気へと、自ら歩み寄った。
男は動くことだけは止めなかった。だが、『動くこと』意外は一切止めた。
男は何かを失った。大事な何かを失った。男は気付いたが、それが何なのか分からない。暫くして――男は、考えるのを止めた。
◇◇◇
◆◆◆
彼女に父親は存在しない。彼女に母親は存在しない。生まれは貧民街。育ちは孤児院だった。
物心付いたとき、彼女は黒髪の男に暗いところへつれて行かれ、こう言われた。
――私の名はジェン。ようこそ、欲望の溜まり場へ。
記憶に残っている内、一番最初に口にくわえたのがペニスだった。一番最初に貰ったのが首輪だった。一番最初の人はその黒髪の男だった。初めて泣いたのも、その日だった。
六歳の頃、彼女は首輪をつけたまま箱に入れられ、誰かの家に運ばれる。
そこは彼女の『主人』となる者の家。そこからが、彼女の本当の地獄だった。
朝起きて、犯される。幼い彼女の体は中年男性の肉棒により、何も出来ずに弄ばれた。
朝食はパンと水。昼までは彼女は地下牢に入れられる。地下牢の中では水に混ぜられた媚薬により、性の快楽に狂いながら自慰をし続ける。
昼になり、彼女は仕事から戻ってきた男に鞭で叩かれる。
彼女にそんな性癖は無い。喜ぶはずがない。だが、媚薬いや、『躾』により、無理矢理彼女は悦ばされる。男はそんな彼女を縄で縛ってまたどっかへと行った。
夜になり、彼女は首輪だけをつけたまま、夜の『散歩』をさせられる。途中、変な薬を性器に塗られ、犬と交わらされた。
そして、体を井戸水で洗った後で彼女はまた犯される。
どんなに嫌がろうが、男は嫌がる彼女を寧ろ楽しみ、疲れるまで犯した。無論、彼女はそうなる前には既に失神しているが。
そんな日々が一週間続き、いきなりピタリと止んだ。
彼女は思った。
――たすかった‥‥わたし、たすけられたんだ‥‥!
彼女はきっとどこかのヒーローが助けてくれたと思った。思いたかった。
首輪が繋がれたままでは逃げられないが、きっとヒーローが解いてくれるはずだ。それは現実になるはずなのだ。
だがそれは現実にはならなかった。
次の日の早朝、彼女は男の顔を見て、ヒーローは来ないことを悟り、絶望した。
男は言った。
『一番偉いのは誰だ?』
彼女は答える。
『‥‥あなたさまです』
『そうだ! 俺はいつか皇帝になる男だ! 分かったらとっとと舐めろ!』
横暴な男が差し出したのは肉棒ではなく、靴だった。
彼女は舐めるしかなかった。
男は命令する。
『もういい! とっととケツを差し出せ!』
彼女は従う。男は彼女の頭をベッドへと押し付け、その時首輪が首に当たり痛かったが、直ぐに彼女は別の痛みに声を上げる。
『くそっ! あの若僧‥‥リッケンとか言ったな‥‥! 俺が皇帝になればあんな奴‥‥! あんな奴如きぃ!』
男は何か叫んでいたようだが、彼女にとってどうでも良かった。
もしかしたら、その『リッケン』という人が助けてくれるのかもしれないが、彼女はそんな人知らないので、考えるのを止めて、意識を手放した。
幼き彼女の日々は筆舌しがたいほどの苦痛の連続で、男の性格は筆舌しがたいほど最低だった。
春、彼女は『休ませて下さい』と願った。
男は彼女の手首を荒縄で縛った後、その余った荒縄で彼女を宙吊りにして、半日程鞭で叩いた。
その後、塩水を彼女にかけて、丸一日放置した。それが休暇だと言って。
夏、彼女は『暑い』と言った。
男は風呂に冷水をためて、手首を繋がれた彼女に『飲め』と命じた。言われるまま飲もうとするといきなり髪を抑えつけられ、冷水へと入れられた。
息が出来ずもがいていると、急に上げられ息をしようとせき込んでいると愛撫も無しに挿入され、また冷水へと入れられた。それを何度か繰り返すと、男はボヤいた。
『こういうのもいいな』と。
以降暑い日は、彼女はこれをされるようになった。
秋、彼女は『お腹が空いた』と口にした。
男は地下牢に彼女を首輪だけの姿で入れて、同時に裸の男を4、5人入れた。
彼女は輪姦されながら、男の声を聞いた。
『たらふく精液でも飲んでろ。雌豚』
週に一度、彼女は輪姦されることなった。
冬、彼女は『寒い』と呟いた。
男は彼女の首輪の鎖を自分の犬の首輪と繋ぎ、外からは見えない庭へと放した。彼女は何も着ていないので震えが止まらず男に『服を下さい』と言った。男は応えた。
『寒いならそこの雄と交わればいいじゃないか。薬で発情させたから安心してヤりたまえ』
彼女は男の言葉に従い、男はそれを見ながら酒を飲んでいた。
彼女が何を言っても、男はそれを口実に彼女で遊び、犯した。
彼女は何か言えば、男にヒドい目にあわされると知ったので、彼女は七つの頃には余り喋らなくなり、八つの頃から、何も言わなくなった。
男はそれさえもネタにして、どうやったら喘ぐかゲームをし始めた。彼女は何も喋らなくなってから半月で、何もしなくなった。
◇◇◇
九つの頃、彼女は買い物を命じられた。他の使用人が風を拗らしたらしい。彼女は雪降る中、上下それぞれボロボロの服を一枚ずつ着て、買い物へと向かった。
その道中、彼女は路地裏へと連れ込まれる。男が三人、そこにいた。
一人が彼女の喉元にナイフを突きつけながら、動くなと言う。
彼女は言われた通りに何もしなかった。言われるがまま彼女は犯さた。
次に目が覚めるのは路上で、帰ったら今度は何をされるのだろうか。出来れば痛く無いのがいい。そんな感じの事を考えていた。
誰かが助けに来る何て希望はもう持たない事にしていた。どうせ絶望してしまうのだから。
ふと、彼女は気付いた。触られている感触が無い。不思議に思い、目を開ける。
そこには誰かがいた。
暗くて顔がよく見えないが、身なりから貴族だと言うことは分かる。その貴族の足下には先程の男達三人全員が倒されていた。
【彼女】と【彼】はこうして出会った。
それは神の気まぐれか、悪魔のイタズラか。
彼と出会った彼女は、初めて人の【温もり】を知り、同時に一生背負う【罪】を犯した。
◆◆◆
『はぁ‥‥! はぁ‥‥はぁ‥‥』
『ぐっ‥‥!』
何故彼女は彼を刺したのか。それは初めての【温もり】が皮肉にも、彼女にとって恐怖だったのだろう。
今までみたいに『何をされるか』が分かれば何も考えずにすむ。だが彼の『助ける』という行動は初めてだった。
そこから何をされるかわからない。もしかしたら本当に助けてくれるかもしれない。だが希望を持てば裏切られた時の絶望感が如何に大きいか、彼女は幼いながらも知っていた。
だから彼女は希望を持たなかった。なのに心の何処かでは助けて欲しかった。
それは痛みであり、悲しみであり、にもかかわらずに悦んでしまう自分自身から。彼女は解き離れたかった。誰でもいいから助けて欲しかった。
だけど彼は貴族だった。彼女に危害を加え続けてきた貴族だったのが、彼女を凶行に向かわせてしまったのだ。
『痛く、ねぇ‥‥!』
『! ひっ‥‥!』
彼女は彼を刺した。だが奇跡的にも急所は免れた彼は彼女の持つナイフを掴んだ。
『は、はなせ!』
『ぐっ! ‥‥断るっ!』
暴れる彼女によって刺さるナイフに腹を抉られ、激痛が彼を襲う。だが彼は決して彼女に暴力は振るわなかった。
『なんで‥‥! なんでなぐらないっ!』
彼女は喋っただけでも殺されかけた。だから彼女は何もしなくなった。なのに彼はここまでされて何もしない。
何故ここまでするのか。理由は単純だった。彼にはただ一つの信念があるからだ。
『それは‥‥俺、は‥‥』
その信念とは――
『俺、は‥‥アイゼンの、民‥‥だから、だ‥‥!』
『アイゼンの民は、決して‥‥女性に暴力を、振るわない‥‥!』
彼の父母は最低だった。権力を盾に好き放題していた。だから彼は父母が嫌いだった。
『アイゼン、の‥‥民は、決して、人を‥‥見捨ては‥‥しない‥‥!』
彼の祖父母も最低だった。昔の栄光だけを語り、その時の悪習を平気でしていた。だから彼は祖父母も嫌いだった。
『アイゼン‥‥の、民、は‥‥たと、え‥‥死ん‥‥でも‥‥絶対に、守、る‥‥』
彼が好きだったのは、この国だけだった。
『国とは人だ』と、偉人は言う。確かにそうだ。国は人が造ったのだから。人がいない国など国ではない。
だが、彼の言う国とは【国家】ではない。【国風】なのだ。
彼は父母が、祖父母が、アイゼンの貴族が、全てを諦めた貧民達が嫌いだった。
彼は【アイゼン】が好きなのではなく、【アイゼンの民】が好きなのだ。
彼が命懸けで彼女を助けたのはただそうありたいと思ったから。それだけなのだ。
当時、彼はまだ十二。アイゼンではその年ではもう立派な大人としてのその心構えは身につけられていた。
だが、だからと言って、彼のような行動をとれる人間は果たして何人いるだろうか。
助けたのに、ナイフで刺され、それでもその信念を貫く彼こそ、世の人が言う【アイゼンの民】であろう。
『だ、から‥‥安、心‥‥し‥‥』
『あ‥‥』
彼はそれこそ【気合い】だけで立っていた。たが、痛みと出血により、とうとう倒れてしまった。覆い被さるように崩れてきた彼を抱きしめて、『あ、あぁ‥‥ぁあああああああああ!』
理解した。彼女はここまで来て、やっと自分の犯した【罪】の大きさを理解した。
『いや‥‥! いかないで‥! いやだ‥‥いやだぁああああ!』
彼は自分を初めて助けようとしてくれた人であること。
彼こそ、彼女を苦しみから解き放ってくれるであろう人であること。
そして、その彼を、自分が殺そうとしていたこと。
彼女は償うように、彼の魂が逃げぬように、幼く小さい手で彼を抱きしめた。
『いや‥‥! いかないで‥! いやだ‥‥いやだぁああああ!』
彼は自分を初めて助けようとしてくれた人であること。
彼こそ、彼女を苦しみから解き放ってくれるであろう人であること。
そして、その彼を、自分が殺そうとしていたこと。
彼女は償うように、彼の魂が逃げぬように、幼く小さい手で彼を抱きしめた。
◆◆◆
そこから先、彼女は覚えていない。
気がつけば男の屋敷の地下牢でうずくまっていた。男が何か言ってきたのだがそれさえも無視する。
ただ、彼が無事なのか。それだけを想っていた。
しかし、もし助かったとしたら一番立場が危ういのは彼女である。
血まみれの服を着て、無気力に座っている彼女の姿を見れば、誰が見ようが犯人が彼女というのは一目瞭然だった。
彼女自身の保身を考えれば、彼を助けるのは得策ではない。ならば何故、彼女は彼を助けたのか。
――独りになりたくない。
今、彼女の願いは、ただそれだけである。
彼は彼女の味方をした初めての一人であると同時に、彼女にとって唯一の【人間】なのだ。
彼によって彼女は【独り】であることの【寂しさ】を知り、【誰か】といることの【温もり】を知った。
もし、彼が彼女の前に現れなかったら、彼女はずっと生きようとしただろう。何を犠牲にしてでも生きようとしただろう。
だが彼女は味方がいることの温もりを知った。独りきりでいることの寂しさを知った。
だから彼女は決めたのだ。
自分の全てを彼に委ねる、と。
彼がいなくなれば彼女の味方はいない。独りになる。
そうなれば寂しさという名の【絶望】に、彼女は自殺するだろう。いや、『する』。確実に彼女は、どんな手を使ってでも死のうとする。
彼女にとってはもはや、独りで生きることが苦痛になるのだ。
――同じ死なら彼に委ねたい。
そう考えた彼女は自然に、笑顔になった。生まれて初めて――皮肉にも、喜びを表す【笑う】という単語を教えてたのは、彼女を初めて犯した黒髪の男だったが――彼女は笑った。
『‥‥? あぁ‥‥わらう、って‥‥こう、するんだ‥‥』
彼女は笑い続ける。静かに、笑い続ける。
余りにも異常な彼女の笑い声は、彼が聞けば、それは『たすけて』と叫んでいるように聞こえただろう。
だがしかし、
彼はまだ、目覚めない。
◆◆◆
翌朝。彼女は男に呼ばれた。
覚束ない足取りで男に髪の毛を掴まれ、ある部屋の前へと連れて行かれた。
そこで彼女は置いていかれ、男だけが部屋に入る。
『おはようございます。お体の方はどうでしょうか?』
『あぁ‥‥大丈夫だ』
その部屋にいたのは彼だった。
そう思うと、無表情だった顔がたちまち崩れる。頬は火照り、目は潤い、頭上の耳はピクリピクリ、とせわしなく動いた。
もし、ここに男がいたのなら久々の感情を出した彼女を問答無用に犯していたのだろうが、ここにいるのは彼女だけ。その心配は皆無である。
『そうですか。ところで、あなた様にお見せしたい物がありまして‥‥』
『何?』
『少々お待ち下さい‥‥おい! 早く入ってこい!』
男の怒声が耳に入り、おそらく、自分のことだろうと彼女は思い、部屋に恐る恐る入った。
『君は‥‥』
『あれはウチの使用人が捕らえた貧民でして‥‥血まみれの服を着たまま徘徊していたのを偶然、見つけたのです。
いやー運がよいのは日頃の行いの賜物でしょうかねぇ! はっはっはっ!』
『‥‥!』
男はどうやら、責任逃れをするだけではなく、あわよくば褒美を貰おうとしているのだ。 何て図々しい奴なんだと、彼女は憤りを感じるが、ここで何を言っても後で【お仕置き】されるのは目に見えていたので、彼女は何も言わなかった。
『そうか‥‥』
『そうです! 私があなた様の代わりに罰を入れてもよろしかったのですが、それではあなた様の気が晴れないと思いまして‥‥。
どうでしょうか? いっそのこと、この女は見せしめの為に首を落として‥‥』
『いや、その必要はない。‥‥少し、彼女と二人にしてくれ』
『は? はぁ‥‥ですが、『一つ、言っておこう』
『え?』
彼はゆっくりと呼吸し、目を閉じ、溜め息を吐いた。そして――
『 出 て い け 』
――威厳。齢わずか十二である彼の眼光は鋭く、声の一言一言が鉛のように重く、聞こえただけの彼女でさえ、まるで蛇に睨まれたカエルのように身体が麻痺した。
『はっ、はいぃ! いい今出て行きますっ!』
一体、男にはどのように聞こえたのだろうか。男は見て分かるほどに冷や汗をかき、あたふたと急いで出て行った。
『こっちに来てくれ』
男が出て行って暫く。彼は口を開いた。
――さっきの声は一体何なのだろうか。
そう、疑問が残るほどの優しい声で彼は言う。
『‥‥』
『聞こえているんだろう? こっちに来てくれ』
彼女は動かなかった。
その様子に再度彼は話しかける。
『別に君に危害を加えるつもりはない。話がしたいだけなんだ』
そんな次元の話では無いのだ。彼は名実共に、天の人である。(実際、彼女自身にとって別な意味で天の人なのだ)
無論、彼女は断った。
『‥‥だめ、です』
『言っとくがな、身分とかそんなのは関係ない』
本当は彼の側へ行きたいし、彼と話したい。
しかし、そもそも彼は貴族で彼女は奴隷で、しかも彼女は彼を刺した張本人。
彼の下へなど行けるはずがなかった。
『‥‥そうか。なら、動かなくていい』
『はい‥‥』
彼女は肯定しながら、残念そうに俯き、耳を垂れる。
彼女自身、その態度が無礼なのは分かっていたが、いくら頭で分かっていても、こればかりはどうしようもなかった。
その彼女の姿を見て、何を思ったのか(あるいは最初からそうするつもりだったかもしれない)。
彼はまだ痛む腹を右手で抑え、着物を整えると、
『君は、な』
ベッドから出て、彼女へと歩いていった。
『え‥‥? !?』
彼の発言に最初、理解出来なかった彼女の目に映ったのはあの時――彼と初めて出会った時よりも、はっきりと分かる彼の姿。
分かるや否や、彼女は後ずさろうとした。が、
『おい、動 く な よ ? 鬼ごっこは好きじゃないんだ』
やや強い口調の彼の言葉に彼女はまた麻痺した。
彼の不思議な喋り方もあるのだろう。だがそれよりももっと根本的な理由があった。
彼女はルシェ族である。
獣の因子を残したまま人へと進化したルシェ族は、その名残からか、より強い者へと惹かれる傾向がある。
彼女も例外ではなかった。
だが、彼女の頭の中では最も弱いのは自分であると定義していたが、最も強いのが誰なのかはまだ分からなかった。
男は強いか。という問いに関しては答えは『ノー』である。
それは威厳ある行動が――強者故の威風堂々たる姿が見られなかったからだ。
弱者を虐げるしか出来ない小者だというのは幼き彼女でも理解できた。
しかし、彼はどうだろうか。まだ幼さのある顔に未発達の身体。
なのに確たる自信に満ち溢れ、威張るのでもなく、諂うのでもなく、悠々自適に不自然にならずに胸を張って歩くその姿。
それはまるで王のよう。彼女の本能はそれを感知した。
故に彼女はもう逃げられない。
彼女の脳が、心が、足が、指の先に至るまでの身体全てが、彼の言葉によって支配された。
その間に彼は彼女の目の前にいた。
『さて、まず言って欲しいことがある』
『あ‥‥?』
彼は問いかける。
『君は、俺に何をしたっけ?』
『! ご、ごめんなさいっ! あわわたし、あの、その‥‥! な、なんでもします! なんでもしますから!』
何と自分は無礼なのだろうか。彼を傷つけ、あまつさえ殺す一歩手前だというのに謝罪もせず、あまつさえ呆けていたとは。
『ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!』
彼女は自分の愚かさを酷く恨んだ。
『ん。よし、いい子だ』
しかし、それでも彼は彼女を笑って許す。
それがまた一層、彼女にとっては魅力的に見えた。
『さて‥‥少し、お願いがある』
『おねがい‥‥?』
彼は彼女の手を引き、ベッドへと腰掛けるよう促した。
『今から君に質問する。『はい』か『いいえ』で答えてくれ。答えたくないならそれでもいい。いいか?』
これから何を聞かれるのか彼女は不安だった――もしかしたら男との情事を気いてくるかもしれない――だが、彼女は彼の頼みならいくらでも聞きたいし、応えたい。
『‥‥はい』
彼女はゆっくりと首を縦に振った。
◆◆◆
『お、お話はすみました、かな‥‥?』
部屋から出てきた、二人の姿を見て、薄ら笑いを浮かべた男が近付いてくる。
『えぇ、話もすみましたし、これ以上お世話になるのもご迷惑になるでしょうから、そろそろ家に戻ろうかと思います。誠にありがとうございました』
『そ、そうですか。ご遠慮なさらずにゆっくりしても構いませんが』
先程とは打って変わった彼の態度に少々違和感を感じた男だったが、特に疑問に思うことなく会話する。
『ところで、少しお尋ねしたいのことがあるのですが‥‥』
『? 何ですかな』
『彼女‥‥確か、貧民街の者なんですよね?』
彼の質問に男はドキリとした。
――よもやこのガキ、『ホントはあなたのでしょ』とか言うんじゃ‥‥!?
そう考え、男は先の問いに対して肯定する。
『そ、そうですが‥‥』
『あぁ、なら良かった』
『良かった?』
彼の言うことに疑問が浮かぶ。
何が『良かった』のか。まさかアイツを殺しても足がつかないからとかか。
男は訳が分からない。そして、彼の言葉に男は一緒、時が止まった。
『えぇ、貧民街の者というなら私が雇っても何の問題も無いな、ということで良かったと言ったのです』
『!?』
男は驚愕する。彼女を雇う。つまり自分を刺した相手を自分の家に招き入れるというのだ。常軌を脱した彼の言葉に男は反論した。
『や、雇う!? いや、だって、その、アイツは貴方様を‥‥』
『アイツ? まるで前々から知っていたような物言いですね』
彼の言葉に男は冷や汗をかいた。
『い、いいいいえ! そんな奴知りません! それよりアイツ‥‥いえ! あのルシェを雇う何て危険です! 貴方様を殺そうとしたガキですよ!?』
『えぇ、刺されました。で、それが何か?』
『○★△■!?』
彼は平然として言った。それを聞いた男は何を言っているのか分からない声を出す。
彼は続けて言う。
『彼女を狂気に駆り立てたのは環境です。よほど荒んだ日々を送っていたのでしょう。
私個人としてはその環境に追いやった人物を見つけ次第、さらし首にしてやりたいところです』
男はゾッとした。彼はまだ子供とは言え、彼の立場は自分より上なのだ。
つまり、彼が男を無礼者と言えば、ホントにさらし首になりかねない。
怯えた男は同意の言葉を発する。
『そそそそうですねぇ~! 全くもってけしからん!』
『そうです。と、言うことでより良い環境で育む為、私が使用人として雇おうと思いまして』
その言葉に男は焦る。高い金を出して買った奴隷を一文の金も貰わずに手放すなんてそんな馬鹿な話があってたまるものではない。
『いやはや、確かに貴方様の心構えはご立派。ですが、凶暴なルシェを貴方様と一緒にして怪我でもなされたら危のうございます。
どうか私めにお任せを‥‥』
男の提案に彼は当然のように反論する。
『いや、これも教育だ。何より私は彼女ともう約束した』
『ですがルシェなぞ当てには‥‥』
男のしつこさにいい加減ウンザリした彼はため息をつき、言葉を紡いだ。
『伯爵殿』
『な、何ですかな?』
『私が彼女を雇うのが、そんなに気に食わないか? なぁ、 伯 爵 殿 ?』
空気が変わる。
瞬間、男はガタガタと震えだした。
『ひっ‥‥! あぁああ‥‥!』
『そもそも私に意見を言ったのか? 成金上がりの伯爵風情が、私に? 公爵家の私に意見を申し立てるのか?
なぁ、ど う な ん だ ?』
男は震えたまま動けない。
『い、いぃえ、そそれは、そ、その‥‥』
『言い訳の前にする事があるだろう? なぁ?』
『! ‥‥も、申し訳ありません!』
彼の後ろにいた彼女は信じられなかった。
あんなに自分に対して横暴な男が、彼の前ではまるで奴隷のような振る舞いなのである。
『では、私はこれで‥‥世話になった』
彼は彼女を呼び寄せ、屋敷を出た。
『クソ‥‥クソったれがぁ! あんなガキがッ! 図に乗りやがって‥‥皇帝になるのは俺だ‥‥! 俺のはずだ! あんなガキ‥‥あんなガキ如きぃいいい!』
喚く男の声に怯える人間はもういない。男の憎しみを受ける人間はもういない。
ただ男のやり場のない憎しみの声が、屋敷に響きわたるだけであった。
◇◇◇
「私は‥‥彼に助けられ、仕え、生きてきました」
彼女の話は、全てを語ったわけではない。もっと酷いことや辛いこと、それこそ、地獄のような日々を彼女は過ごしてきた。
だからこそ、彼女は全てを語れない。もし言ったら、彼女はその苦痛を思い出しては泣き出し、また彼らに迷惑をかけると思ったからだ。
彼女は冒険者ではない。
ただの店員で、心も身体も鍛えてない弱者だ。
悪夢に怯える一人の少女だ。
それを分かっている彼らは何も言わずに、ただ彼女の話を聞く。しかし、
「‥‥今、話せるのは‥‥ここまでです」
彼女はここで話を止める。
彼らはどよめいた。ここまで話して、今更何を隠そうというのか。
彼らの内、一人が何故と問いかける。
助けられた後どうなったか。彼と何故別れたのか。何故彼は彼女を知らなかったのか。
様々な疑問と不満が残る彼らに彼女は答えた。
「すいません‥‥本当は話すべきでしょうけど‥‥話すわけにはいきません」
彼女は続ける。
「ただ‥‥これだけは言えます。
喋れないのは私の保身のためです。
言いたくないのは私が臆病だからです。
そして、何より私には――拭いきれない『罪』が、あるからです‥‥」
静寂が一瞬生じた。
「これは‥‥彼も知りません」
だから許して下さいと言わんばかりに、彼女は押し黙った。
彼らは仕方がないと思ったのか、自分の寝床へと戻っていく。
「‥‥ごめんなさい」
彼女は一人、呟く。それは形だけの謝罪だった。
彼女は臆病者である。彼に拒絶されるのを何よりも怖がった。
彼女は卑怯者である。自分が傷つくのを恐れ、何かを盾にしてきた。
彼女は無力である。どんなに彼女が頑張ろうが、不可能なモノは不可能だった。
そして、彼女はルシェである。それを口実に彼に怯え、諂い、逃げてきた。
彼女はそんな自分を理解してたから余計に自分が嫌いだった。
ここまで状況が悪化しているのに自分の保身の為に信用してくれた彼らから隠し事をしている。
「(分かってる‥‥けど‥‥けど‥‥)」
それが最低な行為だと分かっていたが、彼女は喋るわけにはいかない。何故なら、彼女の罪とは――。
◇◇◇
――【彼】は、そこにいた。ただ何かを探していた。
ナイ。
ナイ。
ドコニアル。
【アレ】ハドコニアル。
ナイ。
ドコニモナイ。
【アレ】ハ、タイセツナモノダ。
カノジョニヨクニタ、アノコカラモラッタ、タイセツナ――
「ナンダ‥‥?」
【アレ】トハナンダ?
ワカラナイ。
ワタシハ、ナニヲスレバヨカッタノカ。
ワカラナイ。
「シネ‥‥シネ、シネェエエエ!」
「!」
――血にまみれた男が一人、そこにいた。男は何かを悩んでいた。
コロシタ。マタコロシタ。コンナンジャ、カノジョニキラワレル。キタナイト、カノジョニキラワレル。
カノジョノタメニ、ワタシハスベテヲステタノニ。カノジョニキラワレタラ、シヌシカナイ。
コロサナイト。ミタヤツゼンブ、コロサナイト。
「ミタナ‥‥?」
コロス。ミタヤツゼンブコロス。
「ワタシヲ、ミタナ‥‥?」
コロセ。コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセッ!
「コロス。コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスッ!」
――鬼神が一体、そこに生まれた。人の影は、今はもうない。
◇◇◇
最終更新:2013年04月28日 21:59