第一戦闘詳報関連

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第一戦闘詳報関連 - (2011/05/23 (月) 18:49:02) のソース

2chコピペ

この戦闘詳報だが原本は現存していない。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/
歩兵第六十六聯隊第一大隊「戦闘詳報」 昭和12.12.10~12.13 (『南京戦史資料集1』P560)
「歩兵第六十六聯隊戦闘詳報」原本 所蔵:藤沢藤一郎・第3中隊所属
※昭和61年8月台風10号で汚損・破棄(「城塁・兵士たちの南京戦史」連載19回P209-210より)
※防衛研究所戦史資料室にコピーあり(タイトル「歩兵第六十六聯隊第一大隊 南京附近戦闘詳報」)

さらに、これがいつから第一大隊のものとされたのかは不明。


「捕虜は全部殺スベシ」と明確に記録する戦闘詳報が発見された。それを初めて発掘したのは児島襄氏(日中戦争)である
1998年の東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』p97

この戦闘詳報の部隊名は不明であり、記述の中にある旅団名もわからない。
したがって、命令自体が、旅団の独断命令であるのか、それとも、上級の師団、軍、方面軍からの下令であったのかも、判然としない。
1984年児島襄『日中戦争 3』p194

さらに、この捕虜に関しては、南京突入前後のある部隊の戦闘詳報に次のような事実が記載されているという・
午後二時零分、連隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク(以下略)
1985年の吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』p106

「部隊名不明」「旅団名不明」「ある部隊」「記載されているという」

しかし1986年の秦郁彦『南京事件』p156-160では、
「第一大隊の戦闘詳報によると・・・」
と第一大隊のものだと確定してるように書いてる。

さらに1989年の『南京戦史』では、「第一大隊の戦闘詳報」だという前提で書かれている(p211-215)
しかし「隣接部隊等の戦況の進捗状況とチグハグ」「軍事的慣例と異なる記述」
「全文を通じてその表現は極めて異様」 (p317)
と、疑問点があるように書かれている。

つまり秦郁彦の『南京事件』以降「第一大隊の戦闘詳報」とされているが経緯は不明。 
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