第一戦闘詳報関連

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この戦闘詳報だが原本は現存していない。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/
歩兵第六十六聯隊第一大隊「戦闘詳報」 昭和12.12.10~12.13 (『南京戦史資料集1』P560)
「歩兵第六十六聯隊戦闘詳報」原本 所蔵:藤沢藤一郎・第3中隊所属
※昭和61年8月台風10号で汚損・破棄(「城塁・兵士たちの南京戦史」連載19回P209-210より)
※防衛研究所戦史資料室にコピーあり(タイトル「歩兵第六十六聯隊第一大隊 南京附近戦闘詳報」)

さらに、これがいつから第一大隊のものとされたのかは不明。


「捕虜は全部殺スベシ」と明確に記録する戦闘詳報が発見された。それを初めて発掘したのは児島襄氏(日中戦争)である
1998年の東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』p97

この戦闘詳報の部隊名は不明であり、記述の中にある旅団名もわからない。
したがって、命令自体が、旅団の独断命令であるのか、それとも、上級の師団、軍、方面軍からの下令であったのかも、判然としない。
1984年児島襄『日中戦争 3』p194

さらに、この捕虜に関しては、南京突入前後のある部隊の戦闘詳報に次のような事実が記載されているという・
午後二時零分、連隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク(以下略)
1985年の吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』p106

「部隊名不明」「旅団名不明」「ある部隊」「記載されているという」

しかし1986年の秦郁彦『南京事件』p156-160では、
「第一大隊の戦闘詳報によると・・・」
と第一大隊のものだと確定してるように書いてる。

さらに1989年の『南京戦史』では、「第一大隊の戦闘詳報」だという前提で書かれている(p211-215)
しかし「隣接部隊等の戦況の進捗状況とチグハグ」「軍事的慣例と異なる記述」
「全文を通じてその表現は極めて異様」 (p317)
と、疑問点があるように書かれている。

つまり秦郁彦の『南京事件』以降「第一大隊の戦闘詳報」とされているが経緯は不明。

614 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/06/30(水) 14:33:34 ID:ABvgOlHQ
③原本を持っていた藤沢藤一郎は単なる所有者であって作成者ではない。
まして戦闘詳報の作成は副官または書記といった軍曹や伍長以上の下士官が行う。
藤沢藤一郎は副官でも書記でもない。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/sosikizu/D114.htm
藤沢藤一郎上等兵第1小隊
「小隊」や「中隊」の戦闘詳報ならともかく中隊どころか小隊の副官でも書記でさえない上等兵がどうして「大隊」の戦闘詳報を所有していたんだw

東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』P108
戦闘詳報は文字どおりこの戦闘に関するすべての事実を詳報するもので、【副官または書記】が作製し、【大隊長】の決済を経て連隊に報告するもので、責任者は【大隊長】ということになります。

調べてみると、当時、第66連隊第1大隊本部には、小野文助、木村徳延軍曹、稲沢伍長、菅沼伍長という下士官の書記が確認できる(『野州兵団奮戦記』より)。

【副官または書記】大根田副官、小野文助、木村徳延軍曹、稲沢伍長、菅沼伍長
【大隊長】渋谷大隊長代理
第1大隊長一刈勇策少佐、(代理)・渋谷仁太大尉、副官・大根田陵少尉
第1中隊 岡部元三郎大尉、(代理)増井清七少尉
第2中隊 岡田恒房中尉
第3中隊 西沢弁吉中尉
第4中隊 手塚清(代理)、平沢新次郎少尉

なんで第66連隊に提出済みの大隊の戦闘詳報をただの上等兵が所有していたんだw
しかも内容は>568w
南京戦史
『戦況の進捗状況とチグハグ』『了解し難い部分』『その表現は極めて異様である』
板倉由明氏
「この戦闘詳報が信頼性の低い、後日改ざんされた疑いのある文書なのである。」
東中野修道氏
「つまり、処刑命令なるものは阿羅氏も消去法で推定するように、第一大隊戦闘詳報執筆者の創作であった。これが唯一考えられる可能性のように思われる。」

しかも、すでに戦史資料室にコピーが存在し、表紙には「歩兵第六十六連隊第一大隊南京附近戦闘詳報と明記されている」にもかかわらず裁判所は
「○○号証」として証拠採用していないw

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最終更新:2011年11月16日 06:06
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