家永教科書訴訟(三次)地裁判決

東京地裁平成01年10月03日判決

  〔教科書検定制度の合憲 性・国賠法1条・行政裁量-教科書検定第三次訴訟第一審〕


 昭和59年(ワ)第348号・損害賠償請求事件/家永 教科書検定第三次訴訟第一審判決
一部認容控訴
控訴審・東京高等裁判所平成05年10月20日判決(平成2年(ネ)第2633号)
上告審最高裁(第三小)平成09年08月29日判決(平成6年(オ)第1119号)

原告 家永三郎 右輔佐人 保坂廣志 ほか五名(別紙輔佐人目録記載) 右訴訟代理人弁護士 森川金寿  ほか四二名(別紙訴訟代理人目録(一)の記載)
被告 国 右代表者法務大臣 後藤正夫 右訴訟代理人弁護士 秋山昭八 ほか三名(別紙訴訟代理人目録(二)記載) 右指定代理人 飯村敏明 ほか一 〇名(別紙指定代理人目録記載)

 訟務月報36巻6号895頁、判例タイムズ709号63頁


目次
主文
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
二 請求の趣旨に対する答弁
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者について
2 教科書検定制度の変遷
3 現行教科書制度の概要
4「新日本史」に対する従前の検定の実態
5 昭和五五年の申請に係る検定処分の経過と内容
6 昭和五七年における正誤訂正申請不受理の措置
7 昭和五八年の申請に係る検定処分の経過と内容
8 本件検定処分等の違憲・違法性
9 公務員の故意又は過失
10 損害
11 結論
二 請求原因に対する認否
第三 証拠〈省略〉
理由
第一 教科書検定制度と本件各検定処分に至るまでの経緯
一 原告の経歴及びその著作
二 本件各検定処分に至るまでの経緯
三 教科書検定制度の沿革
第二 現行教科書検定制度の概要
一 教科書の意義
二 教科書検定の権限
三 教科書検定の組織
四 本件各検定処分当時の検定基準
五 教科書検定の手続と運営
第三 本件各検定の経過
一 昭和五五年度検定について
二 昭和五七年度正誤訂正申立てについて
三 昭和五八年度検定について
第四 教科書検定制度の違憲違法性
一 教育の自由・自主性違反の主張について
二 憲法二一条違反の主張について
三 憲法二三条違反の主張について
四 法治主義違反の主張について
五 憲法三一条違反の主張について
第五 本件検定処分における適用違憲の主張について
第六 本件検定処分における検定権限濫用の違法
一 原告の主張の要旨
二 当裁判所の総論的判断
三 昭和五五年度検定における裁量権濫用の違法
1 親鸞及び「日本の侵略」に関する記述について
2 草莽隊に関する記述について
3 南京事件に関する記述について
四 昭和五八年度検定における裁量権濫用の違法
1 朝鮮人民の反日抵抗に関する記述について
2 日本軍の残虐行為に関する記述について
3 七三一部隊に関する記述について
4 沖縄戦に関する記述について
五 昭和五七年度正誤訂正申請について
第七 損害賠償義務
第八 結論


 主 文

一 被告は、原告に対し、金一〇万円及びこれに対する昭和五九年二月一一日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。


 事 実

第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五九年二月一一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者について
原告は、昭和一二年、東京帝国大学文学部を卒業し、爾来、日本史の研究に従事し、昭和一六年以降新潟高等学校教授を、昭和一九年以降東京高等師範学校教 授をそれぞれ歴任し、昭和二四年の学制改革以後昭和五二年まで多数の教員志望者を擁する東京教育大学教授として歴史教育に携わり、昭和五三年から今日まで 中央大学教授の地位にある歴史学者である。その間、原告は、昭和二三年には「上代倭絵全史」の著述により日本学士院恩賜賞を受賞し、昭和二五年には論文 「主として文献資料による上代倭絵の文化史的研究」により文学博士の学位を得た。その著書には、右のほかに「日本道徳思想史」、「日本近代思想史研究」、 「植本枝盛研究」、「司法権独立の歴史的考察」、「歴史と教育」、「戦争と教育をめぐって」、「歴史と責任」、「太平洋戦争」など日本史及び歴史教育に関 するもの数十冊がある。また、原告は、昭和二一年に戦後最初の国定の日本史教科書が編纂されるに当たって、文部省の編纂委員に任命され、「くにのあゆみ」 の編纂に従事し、昭和二七年以降は、株式会社三省堂(以下「三省堂」という。)発行の高等学校用検定教科書「新日本史」の執筆・改訂を行い、高等学校にお ける歴史教育にも尽力してきたものである。
被告は、教育行政を所管する行政機関として文部大臣を置き、文部大臣は、国の教育行政を分担管理する主任の大臣として(国家行政組織法五条)、文部省の 所管事務(文部省設置法五条参照)を統括し、職員の服務について、これを統督する地位にあり(国家行政組織法一〇条)、主任の行政事務について、法律若し くは政令を施行するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基づいて、文部省令を発する権限を有し(同法一二条一項及び四項)、右の一般的権限のほか、 学校教育法その他により、教科用図書の検定等の権限を有するものである(学校教育法二一条、四〇条、五一条等)。
2 教科書検定制度の変遷
(一)教科書検定制度とは、学校教育においての教材の一つとして使用される教科書の発行に関し、一般図書とは異なり、これを教育行政機関による規制のもと に置く制度である。
それは、教科書発行権を国家が独占するいわゆる国定制とも異なると同時に、一般図書と同様に発行の自由を認める自由発行制とも異なっている。
(二)我が国においては、明治五年の「学制」発布に始まる近代的学校制度の導入当初においては、すべての段階の学校に関して教科書の自由発行制が採用され ていたが、明治政府の教育統制強化の背景のなかで、明治一四年以降小学校の教科書について届出制が、明治一六年以降小学校及び師範学校の教科書について文 部省による認可制が、また明治一九年以降は、小学校、中学校及び師範学校の教科書について文部省による検定制がそれぞれ導入された。そして、明治三六年以 降は小学校教科書が国定制(一部の教科については例外的に検定制を併用)になり、戦時中の昭和一八年以降は中等学校及び師範学校の教科書についても国定制 に移行した。他方、戦前においても実業学校の教科書、盲学校・聾唖学校の教科書は、地方長官による認可制が採られており、学校の種類によって規制の方式は 一様ではなかった。しかし、このように戦前の教科書国定制・検定制・認可制などの教科書統制制度は、国策遂行の手段としての教育に対する内容統制手段とし て重要な役割と機能を果たしてきたのである。
(三)戦後、わが国の教育制度は、その理念、制度において、根本的な改革が行われた。憲法は、教育を受ける権利を国民の人権として保障し(憲法二六条)、 この権利の実現のために、教育基本法を初めとする教育関係法が制定された。教育の自主性・自律性の確保(教育の自由の保障)、教育行政の教育内容への権力 的介入の排除(教育基本法一〇条等)、その他民主的な教育制度の確立など、教育を受ける権利の実現のための諸保障が準備された。教科書検定制度は、学校教 育法のなかに存置されたが、検定の教育制度上の前提は全く異なるものであった。
(四)右のように戦後制定された学校教育法(昭和二二年法律第二六号)は、教科書国定制を排し、初等、中等段階の学校教科書をすべて「監督庁」の検定のも とに置いた。ここに「監督庁」とは都道府県教育委員会を指すものであったが、新聞出版用紙が極度に不足し、これが国家機関による割当制のもとに置かれてい る間は、「当分の間」、文部大臣が教科書検定権を行使するものとされた(学校教育法一〇六条)。しかし、新聞出版用紙割当制が昭和二六年に撤廃された後も 文部大臣は検定権を超法規的に行使し続け、この状態が昭和二八年八月の学校教育法一部改正によって追認されることにより、文部大臣の検定権が恒久化されて 現在に至っているのである。
(五)学校教育法の下での検定制度の第一回目の制度内容の大幅な変更は、昭和三〇年の政権党からの教科書攻撃を契機として行われた。
(1)昭和三〇年八月、日本民主党は、「うれうべき教科書の問題」と題するパンフレットを公刊して、宮原誠一(東京大学教育学部教授)、宗像誠也(東京大 学教育学部教授)、周郷博(お茶の水女子大学教育学部教授)、日高六郎(東京大学文学部教授)、長田新(広島大学教育学部教授)などわが国有数の学者の定 評のある社会科教科書を「偏向」した「赤い教科書」であると非難し、その直後の同年九月、文部省は、検定を「厳重にする」ことを理由に検定審議会委員の入 替えを行った。そして、実際にも、この時以降、「偏向」というレッテルを貼られ不合格になる教科書が多くなった。
(2)昭和三一年には、「検定に合格する見込がないと認められる図書」に対する検定の門前払い、教科書出版業者の登録拒否、その事業場への立入検査などの 権限を文部大臣に与えること等を内容とする教科書法案が国会に提出された。同法案は、教育の国家統制を図るものとして、学者・教員その他の世論の強い批判 を浴びて廃案となったが、文部省は、それにもかかわらず、同法案の目的を実質的に実現するため、教科書調査官制度を同年秋から発足させ、従来からあった調 査員(非常勤)に加えて、常勤の文部省職員を教科書調査官として、教科書の内容審査にも当たらせることとし、検定強化の態勢を整えた。
(3)教科書調査官制度の導入以来、個々の検定処分が厳しくなった(条件付合格に際して拘束力のある条件を付すという運用も、それ以後確立された。)ばか りでなく、調査官たちの研究成果に基づき検定基準も改悪されて、教科書の内容を学習指導要領と一致させることが検定基準に初めて盛り込まれた(昭和三三年 告示第八六号による検定基準の全面改正〔高等学校学習指導要領については、昭和三五年一〇月の全面改正〕による。ちなみに従前の昭和二七年告示第八八号に よる検定基準においては、教科書の内容が学習指導要領と対比して過不足があっても差し支えない旨が明記されていた。)。それまで単に指導助言文書として取 り扱われていた学習指導要領に告示としての形式を与え、これに伴って学習指導要領は法規であって法的拘束力を有するとの行政解釈がにわかに高唱されるよう になったのが、この段階であった。
このように、教科書調査官制度を導入して戦前の図書監修官制度を実質的に復活させ、法規であるとする学習指導要領との一致を要求して検定基準を改悪し、 これらの制度のもとで、検定処分は飛躍的に強化された。
(六)検定制度の戦後第二回目の大幅な変更は、昭和五二年の検定規則の制定であった。検定規則は、このとき戦後初めての全面改正を受けたのであるが、検定 申請の機会を文部大臣が制限することができるとする法令上の根拠は、戦前戦後を通じてこのとき初めて導入されたものである。
また、従前、検定基準の法的位置付けは、明確でなかったところ、右検定規則三条において初めて省令上の根拠が与えられた。
(七)昭和五四年一〇月、旬刊「世界と日本」に「新憂うべき教科書問題」が掲載され、昭和五五年一月から「自由新報」が、「いま教科書はー教育正常化への 提言」の連載を開始したこと等を契機として「偏向教科書キャンペーン」が開始され、教科書問題が大きな社会問題となった。そのような中で、文部省は、偏向 教科書キャンペーンに便乗する形で従来以上に検定を強化するようになり、昭和五五年に検定申請を行った高等学校用「現代社会」及び「日本史」の各教科書に 対しては、何百箇所にも及ぶ修正意見、改善意見が付されるに至った。その検定で指摘された箇所は、愛国心、防衛問題、平和問題、国民の権利と義務、公害問 題、福祉問題、原子力発電所と安全問題等いずれも極めて重要な問題が中心であった。また、検定手続の面では、極めて多くの箇所に修正意見、改善意見が付さ れ、長時間にわたりこまごました指摘が繰り返されるようになり、そのため見本本の印刷が遅れ、教科書としての発行が事実上不可能となりかねない事態となっ ている。
更に、昭和五六年の検定が、日本の帝国主義的侵略や戦争犯罪に関する記述を隠蔽し又は弱める方向でなされ、そのことを新聞・放送が報じたことにより、日 本国内のみならず中国・韓国を中心とするアジア近隣諸国からも大きな批判が加えられ、教科書問題は国際問題にまで発展した。この点については、外交的には 「政府の責任で是正する。」ということで決着がつけられた。
(八)以上の変遷に関する原告の主張の詳細は、別添(一)(第一章第一節第二戦後教育改革と教科書検定制度、同節第三教育行政全体の「反改革」と検定強化 の実態)記載のとおりである。
3 現行教科書制度の概要
(一)法律上の根拠
昭和二八年八月の法改正により学校教育法二一条一項の条文は、「小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部省が著作権を有する教科書を 使用しなければならない。」となった(同条項は、同法四〇条により中学校に、五一条により高等学校に、七六条により特殊教育にそれぞれ準用されてい る。)。
この条項が、文部大臣の教科書検定権限を根拠付けるいわゆる行政作用法上の唯一の規定である。これ以外に検定の意義、趣旨又はその限界を定める法律上の 規定は一切存在しない。実質的な制度内容は、すべて文部省令以下の行政立法によって規定されている。
(二)検定規則の内容
教科書検定制度に関する行政立法の基本は、教科用図書検定規則(昭和五二年文部省令第三二号。以下単に「検定規則」という。)である。
右規則によれば、「検定の基準は、文部大臣が別に公示する教科用図書検定基準の定めるところによる。」(三条)ものとされ、右条項に基づき、義務教育諸 学校教科用図書検定基準(昭和五二年文部省告示第一八三号)及び高等学校教科用図書検定基準(昭和五四年文部省告示第一三四号)が定められており、右各告 示を補充するものとして、それぞれの実施細則(昭和五二年九月二二日文部大臣裁定及び昭和五四年七月一二日文部大臣裁定)が定められている。
検定基準は、いずれも第一章総則において、検定の観点が「以下に掲げる基本条件の条項目を満たしているかどうか、また必要条件の各項目に照らし適切であ るかどうかを審査するもの」であることをうたい、第二章において、基本条件として、1教育基本法・学校教育法に定める教育の目的・目標との一致、2学習指 導要領の示す当該教科の目標との一致、3政治・宗教についての取扱いの公正の三項目を掲げ、第三章において、各教科毎に必要条件として、1内容の範囲、2 内容の程度、3内容の選択と扱い、4組織・配列・分量、5正確性、6表記表現、7体裁、8創意工夫の八項目を掲げている。
そして、右基本条件の2の項目において学習指導要領所定の教科の目標との一致を求めるほか、右必要条件においても、1内容の範囲の項目において学習指導 要領所定の内容との一致、4組織・配列・分量の項目において学習指導要領所定の標準単位数との対応、8創意工夫の項目において学習指導要領の目標達成の観 点を挙げるなど、学習指導要領(高等学校については「昭和五三年文部省告示第一六三号高等学校学習指導要領」を指す。)との関連付けを強調しており、右検 定基準に援用されることにより学習指導要領も検定における審査基準の一部を構成しているといえる。
検定には、「新たに編修された図書について行う」新規検定と、「検定を経た図書の改善を図るために加えられた個々の改訂箇所について行う」改訂検定との 二種類があり(検定規則四条)、検定申請は図書の著作者、発行者のいずれからもすることができる(同六条一項)が、各年度において申請を行うことができる 図書の種目及び期間を制限する権限が文部大臣に与えられている(同六条四項)。文部大臣は、別に発した告示により各教科科目毎の検定受理機会をおおむね三 年に一回に制限している。
そして、「新規検定」、「改訂検定」のいずれについても、検定の審査過程としては、「原稿本審査」、「内閲本審査」及び「見本本審査」の三段階を経るも のとされている(検定規則五条)。右三段階のうち、「原稿本審査」がもっとも基本的なものであるが、この審査は、文部大臣の諮問機関である教科用図書検定 調査審議会(以下第二において「検定審議会」という。)の答申に基づいて行われる(同九条一項)。この段階で、文部大臣は、単純な合格・不合格の処分のほ か、修正意見つきの合格処分、すなわち修正意見に従うことを条件とする合格処分をすることができ(同九条二項)、実施例としては、この条件付合格処分が圧 倒的に多い。この検定審議会は、教科用図書検定調査審議会令(昭和二五年政令第一四〇号)に基づいて設置されているものであり、実際上原稿審査の衝に当た るのは、右審議会の中に置かれた教科用図書検定調査分科会の下部機構に当たる教科別部会と、更にその下部機構に当たる科目別小委員会である(高等学校の日 本史教科書の場合は、第二部会日本史小委員会がこれに当たる。)。
次の「内閲本審査」は、右の修正意見に従った修正が施されているか否かを審査、認定する手続であり(検定規則一三条二項)、この審査段階については検定 審議会の関与は必要とされていない。但し、修正意見それ自体に対し検定申請者から意見(異議)の申立てがあれば、文部大臣は、検定審議会の議を経て、当該 修正意見を取り消すか否かを決するものとされている(同一〇条二項)。修正意見に即した修正が施されたと認定する主体は、実質的には教科書調査官であり、 この点をめぐり著作者、発行者の側と見解が対立することが多く、「内閲本審査」の過程は、実務上、「内閲調整」とも呼ばれている。
最後の「見本本審査」は、前の二段階と異なり、「図書として必要な要件を備え完成されたと認め」られるかどうか、すなわち主として図書の装丁・印刷等の 外観について審査するものであり(検定規則一四条二項)、この段階についても検定審議会は関与しない。

なお、検定規則においては、検定済の図書についても、「誤った事実の記載があることを発見したとき」など一定の場合に、文部大臣の承認を受けて「正誤訂 正」することを発行者に対し義務付けている(同一六条、一七条)が、同条項は、三年に一回と制限された正規の検定の機会のほかに教科書に対し修正を施す必 要を満たすため、また、しばしば検定済教科書に対し他の行政機関や財界から寄せられた批判に基づき、文部省が追加的な修正を要求する際の根拠規定として一 般的には緩やかに解釈運用されている。
(三)検定手続の問題点
(1)検定権者に対する制約の欠如
検定規則は、検定申請者に対しては、申請の機会を制限したり(同六条四項)、原稿本審査終了後「内閲本」提出までの期間を制限したり(同一三条一項)、 内閲本審査終了後「見本本」提出までの期間を制限したり(同一四条一項)、原稿本審査段階で付せられた修正意見に対する意見申立ての期間を制限したり(同 一〇条一項)、様々な制限を一方的に課しているが、検定権者に対しては、原稿本審査、内閲本審査及び見本本審査の各期間についてなんらの制限を設けていな い。
教科書は文部大臣の検定に合格しただけではこれを学校の現場において自由に使用することができる状態になるわけではなく、採択手続を経なければならない のであるが、この関係を規制するものとして「教科書の発行に関する臨時措置法」(昭和二三年法律第一三二号)がある(小・中学校教科書に関しては、このほ か「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」(昭和三八年法律第一八二号)第三章により特別な採択規制がある。)。右臨時措置法は、採択を求 めようとする教科書についての書目の届出制(同法四条)、教科書展示会制度(同法五条)等を定めており、書目の届出の時期も、展示会への教科書見本の出品 期限も制限されている(同法施行規則八条)。これに対し、検定権者には審査期間の制限が全く設けられていないために、申請者はいわば教科書を人質に取られ た状態で検定権者の各種意見に対応せざるをえないのである。
このように,申請者に比して検定権者に比する制約が欠如していることが、修正意見の趣旨の解釈を巡って申請者と教科書調査官との間でされる「内閲調整」 の過程での議論が対等なものとなり得ず、また、本来拘束力のないはずの改善意見が事実上強制力を持つ結果をもたらす原因となっている。 
(2)改善意見の実質
検定規則上、文部大臣は、合格処分の条件として修正意見を付すことができる(九条二項)が、改善意見は、これとは区別されるもので、本来は単なる行政指 導にすぎないものである(「改善意見」という用語及びこれが「改善を加えることが適当と判断される箇所について付する」ものであることは、昭和五四年一〇 月一七日付各教科書発行者宛文部省初等中等教育局長通知「教科用図書検定規則の実施の細目」においてのみ明らかにされている。)。
しかし、実際には、文部省の過剰介入として社会的批判を浴びやすい意見は、改善意見として付せられ、これを「内閲調整」の過程で事実上強制するという手 法が最近においては好んで用いられている。これは、一方において統制の実をあげ、他方においてこれに対する社会的批判を申請者の自由意思による修正である と言い抜けるための官僚的知恵である。
検定申請者は、原稿本審査の結果を伝達するに際し、文部省から付せられる改善意見について、これを拒否する場合には、一つ一つの意見に対して「拒否理由 書」なる文書を提出することを義務付けられている。改善意見それ自体が法令上の根拠を持たないものである以上、「拒否理由書」の提出を義務付ける法令上の 根拠もまた存在しないのであるが、運用上「拒否理由書」を完備しないままに提出された内閲本は、適式な内閲本審査申請として取り扱われず、したがって、そ の追完があるまでは内閲本審査は、いつまでも終了しないものとされることにより「拒否理由書」の提出が義務付けられる仕組である。提出された「拒否理由 書」の内容が教科書調査官の承服し得ないものであるときも同様であり、検定申請者は、教科書調査官が承服するまで「拒否理由書」を追加するか、さもなけれ ばいかに不本意でも改善意見に従うかのいずれかを選択しなければならないのである。
(3)検定基準の包括性
検定基準は、規定の内容が多面的であって、教科書の内容と外観、質と量にかかわるすべての側面を規制の対象としており、しかも、一つ一つの規制条項はす べて包括的・多義的・抽象的であって、どのような意見もなんらかの条項に基づく意見としてこじつけることのできる性質を持ち、あらゆる角度から無制限に検 定権者が介入することを可能ならしめている。
(4)教科書調査官の実権
文部大臣が検定権限を行使するに際し、原稿本審査の段階では検定審議会の議を経ることが検定規則上要請されているが、検定審議会の機能は、各教科書原稿 についてあらかじめ教科書調査官が作成した調査意見書・評定書を追認し、これに多少の補充をする程度のものであって、教科書調査官の作業をチェックする役 割は全く果たしていない。また、調査意見書・評定書は、教科書調査官のみならず検定審議会自体の補助者である調査員(一点の教科書につき概ね、大学の教員 一名と現場教師二名の調査員がその都度委嘱される。)からも提出されるが、これには全く重きが置かれていない。
検定審議会の作成名義に係る教科用図書検定審査内規(昭和五三年六月一五日審議会決定)及び同実施細目(同)によれば、原稿本審査における合否の分かれ 目は、一〇〇〇点満点中八〇〇点を取るかどうかにかかることが窺われるが、採点の前提は、あくまでも個々の記述の「欠陥」を何点と評価するかにかかってい る。そして、この評価は、あげて教科書調査官に委ねられているのであり、「内閲調整」の主体が教科書調査官にあることと合わせてみると、検定手続上の実権 は、教科書調査官にあるといって差し支えない。
(四)以上の各点に関する原告の主張の詳細は、別添(一)(第一章第一節第四諸外国の教科書に対する法規制、同節第五 現行教科書検定制度の内容と問題 点)及び別添(二)(第二章第一節三いわゆる八〇年代検定と本件教科書に対する検定の全体的特徴)記載のとおりである。
4「新日本史」に対する従前の検定の実態
(一)原告の教科書執筆の動機と執筆に当たっての配慮
(1)原告は、戦前世代の一人として、小学校では天照大神・神武天皇から始まる国定教科書により、また、中学校でも国定教科書同様の画一化された検定教科 書により歴史教育を受け、大学で日本史を専攻し、その後表現の自由が厳しく制約される中で研究・教育に従事し、敗戦を迎えた。原告は、これらの体験を通じ 身をもって、天皇絶対、国家万能、戦争賛美、民主主義の否定等を内容とする戦前教育ー特に歴史教育ーが国民を無謀な侵略戦争に駆り立て、その結果幾百万の 同胞を死に追いやったことを痛感するとともに、無謀な戦争を阻止するために何一つ有効な働きをなし得なかった自己の無力さを深く反省し、日本史の研究・教 育に従事する者として、日本国憲法前文でうたっている「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやう」にする決意を新たにした。そして、原告 は、右のような決意に基づき、敗戦直後に、新制度の下で発足するであろう中等学校の教科書のために、自己の能力の及ぶ限り良心的な教科書を作ろうとして 「新日本史」を執筆したが、当時は国定教科書を使用する方針が採られていたので、教科書としては使用できず、昭和二二年に一般用図書として公刊した。その 後、原告は三省堂から高等学校用日本史教科書の執筆を依頼されたため、右「新日本史」を台本とし、戦後数年の間に長足の進歩を遂げた学界の成果と原告の研 究成果に基づいて、これに全面的な改訂・増補を加え、高等学校用日本史教科書「新日本史」を執筆した。
(2)原告は、右「新日本史」執筆に際し、次のような点に配慮を加えた。
第一に、教育は、学問の成果に基づき真実に立脚したものでなければならないとの観点から、客観的史実を尊重し、正視するとともに、日本が犯した過ちは率 直にこれを認め、再び同じ過ちを繰り返さないような態度を持つことができるようにした。
第二に、これまでの歴史教育がただ事実を数多く覚えるという傾向にあったのに対し、一般国民として必要な教養という観点から、歴史の大筋をその時代の歴 史的特質を踏まえて的確に理解できるよう記述の対象を精選した。
第三に、日本国憲法、教育基本法の理念、すなわち国民主義、平和主義、基本的人権の保障の理念を配慮して執筆に当たった。
第四に、それまでの日本史の教科書が政治権力者中心の視野の狭い政治史中心のものであったのに対し、政治史も踏まえると同時に、生活史、文化史も等しく 重視した。
(二)「新日本史」に対する検定の経緯
(1)原告は、昭和二七年に「新日本史」を高等学校用教科書として検定申請したところ、一たんは不合格となったものの、再度の申請で合格し、昭和二八年度 から「新日本史」は教科書として用いられることになった。その後、昭和三〇年に改訂申請したところ、二一六項目にわたって検定意見が付されたうえ条件付合 格となった。昭和三一年度申請において不合格となったが、昭和三二年度に再度検定申請したところ、多数の項目にわたって検定意見が付されたうえ条件付合格 となった。
(2)原告は、右のような検定を経験する中で、教科書検定制度が表現の自由、学問の自由を侵害するものであることを実感していた。また、検定強化により多 くの良心的な教科書執筆者が教科書執筆を断念するようになった中にあって、より良い教科書執筆を続けることが日本史の研究・教育に従事する自己の責務であ ると考え、良心的な教科書を作るべく努力してきた。しかしながら、検定制度が存することから、自己の学問的良心に基づいた記述をしても検定により不合格に なることが明らかと考えられる場合は、最初に教科書を執筆するに当たって自己規制せざるをえなかった。
(3)原告は、昭和三七、三八年度の検定を受けた時点で、これ以上検定制度の違憲・違法性を看過することはできないと考えるに至り、昭和四〇年に、昭和三 七年度検定での不合格処分と昭和三八年度の条件付合格処分における不当な修正指示とについて国家賠償法に基づく損害賠償請求訴訟(いわゆる「第一次訴 訟」)を提起し、次いで昭和四二年には、同年いわゆる四分の一改訂で不合格となった三件六箇所について不合格処分取消訴訟(いわゆる「第二次訴訟」)を提 起した。右第一次訴訟は、昭和四九年七月一六日、東京地方裁判所民事第三部(裁判長高津環)において、昭和六一年三月一九日、東京高等裁判所第五民事部 (裁判長鈴木潔)においてそれぞれ判決が言渡され、現在最高裁判所に係属中である。右第二次訴訟は、昭和四五年七月一七日、東京地方裁判所民事第二部(裁 判長杉本良吉)においての原告勝訴の、昭和五〇年一二月二〇日、東京高等裁判所第一民事部(裁判長畔上英治)において控訴棄却の、昭和五七年四月八日、最 高裁判所第一小法廷において原判決破棄差戻のそれぞれ判決が言渡され、現在東京高等裁判所第八民事部に係属中である。
(三)右(一)(二)に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第一節一 本件検定前の経過)記載のとおりである。
5 昭和五五年の申請に係る検定(以下「昭和五五年度検定」という。)処分の経過と内容
(一)検定処分に至る経緯
(1)原告は、その執筆に係る高等学校用日本史教科書「新日本史」の原稿について、昭和五七年度以降に使用されるべき教科用図書として、昭和五五年九月五 日付で発行者たる三省堂を通じて、文部大臣に対し、検定申請を行った。原稿の内容が従前の教科書の全面改訂であるため、検定の種類は、「新規検定」であっ た。
右原稿に対する原稿本審査での処分は、昭和五六年一月二六日付でなされたが、その内容は、約四二〇項目にわたる修正意見及び改善意見を付した上で合格と する条件付合格処分であった。右修正意見及び改善意見の伝達は、教科書調査官から口頭で同年二月二日及び同月三日の両日にわたり合計約一一時間をかけて行 われた。
(2)原告は、三省堂を通じ、同年三月九日付で内閲本を文部大臣に提出し、その際、改善意見中承服し難い部分に関する「拒否理由書」をも提出した。修正意 見については、原告は、検定規則所定の意見の申立てをしたところ撤回された一項目を除く総てについて、原記述に最小限の修正を施すことによって対応した。
これに対する「内閲調整」は、教科書調査官と原告ないし三省堂編修担当者との間で、第一次(同年三月二三日、二四日、二五日)、第二次(同年四月二〇 日、二一日)、第三次(同月二七日)、第四次(同月三〇日、同年五月四日、六日)、第五次(同月一二日、一三日)にわたって行われ、同月一六日に至ってよ うやく内閲本審査終了となった(なお、
原告は、同年四月二〇日改善意見に対する再度の「拒否理由書」の提出を余儀なくされている。)。
(3)右の経緯にみるとおり、内閲本審査の終了が異常に遅れた結果、その後直ちに見本本の印刷に取りかかったにもかかわらず、見本本審査が終了となったの は、教科書展示会開催の二日前である同年七月八日のことであった。
(4)右(1)ないし(3)に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第一節二2昭和五五年度検定)記載のとおりである。
(二)検定処分の内容
被告は、以下のとおり、原告の原稿本の記述に対し、修正意見及び改善意見を付し、修正意見については、これを合格の条件とすることによって原告の意思に 反する記述の変更を強制し、改善意見については、内閲本審査段階においてこれに固執し、繰り返し「拒否理由書」の提出を強いて記述の変更を事実上強制しよ うと試み、これらによって原告に対し著しい精神的苦痛を被らせた。
(1)新仏教の出現(原稿本七七頁)
a 原稿本の記述
さらに重要なのは、新仏教の開祖たちがみな、現実の人間世界を超えた高次元の精神的境地に到達することにより、これまで国家権力や支配層のための現世利 益祈願に奉仕してきた旧仏教の姿勢を根本的に否定し、宗教の世俗勢力にたいする自主独立の立場を明白にしたことであった。
そのために、かれらは権力と結びついていた旧仏教教団の憎しみをかい、法然・親鸞らは朝廷から弾圧をうけたが、親鸞はこれにたいし、堂々と抗議の言を発 して屈しなかった。
b 被告の改善意見 原告の右記述について、朝廷の弾圧に対し親鸞が「堂々と抗議の言を発して屈しなかった」との部分を変更せよという趣旨の改善意見が付 された。
右改善意見の理由は、「親鸞が教行信証の中で朝廷を批判しているのは、後日になって当時を追憶する中でそう述べているにすぎないのに、原稿本の記述はあ たかも親鸞が弾圧を受けたときに朝廷批判を行ったように誤解されるので表現が不適切である」というのである。
c 原告の対応
原告は、右改善意見に対し、昭和五六年三月九日付で拒否理由書を提出し、その中で、古田武彦の研究成果により問題の教行信証の後序の一節は朝廷の弾圧の さなかに作成された抗議文を挿入したものであることが明らかにされており、これを否定するに足りる史料や学説が存在しないことを指摘した。しかし、教科書 調査官は、第一次「内閲調整」の際も引き続き右改善意見に固執し、原稿本の記述の「親鸞は」と「これにたいし」の間に「流されたのちも」の一句を挿入する ように要求した。
そこで、原告は、同年四月一四日付で再度拒否理由書を提出し、教科書調査官の要求する字句を挿入することは、問題の焦点をぼかし、旧仏教と違って鎌倉新 仏教が有した反権力的特質を生徒に理解させる上でかえって適切でないことを指摘した。
その結果、改善意見が撤回され、原稿本の記述は、そのままの形で教科書となることとなった。
d 右に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第四節第二「親鸞」の記述への昭和五五年度検定)記載のとおりである。
(2)草莽隊(原稿本二〇〇~二〇一頁)
a 原稿本の記述
朝廷の軍は年貢半減などの方針を示して人民の支持を求め、人民のなかからも草莽隊といわれる義勇軍が徳川征討に進んで参加したが、のちに朝廷方は草莽隊 の相楽総三らを「偽官軍」として死刑に処し、年貢半減を実行しなかった。朝廷による新政府の出現に期待をかけていた農民は、それが必ずしも期待どおりのも のでないことを知り、幕末以来の農民一揆の波が明治にはいってからもつづき、一八六九(明治二)年にはとくにたかまった。
b 被告の修正意見
右原稿本の記述に対し、「年貢半減」の方針を示した主体を「朝廷の軍」とした部分を再検討せよとの修正意見が付された。
修正意見の理由は、「朝廷は年貢半減を約束していない。相楽総三が勅諚を得た上で年貢半減の方針を打ち出したとする史料は不確実なものである。この記述 ではあたかも朝廷が自ら約束しながら実行しなかったように読める。」というのである。
c 原告の対応
原告は、右修正意見に対し、「内閲調整」の過程で、相楽総三らの「赤報隊」が官軍の一部であり、年貢半減の方針は同隊が勅許を得て発表したものであるこ とについては学界に異論がなく、年貢半減を朝廷の軍としての約束と表現することは妥当であると主張したが、教科書調査官の容れるところとならず、後記dの とおり記述を変更せざるを得なかった。
d 変更後の記述
徳川氏追討の軍には、人民のなかから草莽隊といわれる義勇軍も参加した。その一つである相楽総三らのひきいる赤報隊は旧幕府領の当年の年貢半減などの方 針を高札に掲げて人民の支持を求めたが、朝廷方は進軍途中の相楽らを「偽官軍」として死刑に処した。年貢半減は実行されず、新政府の出現に期待をかけてい た農民は、それが必ずしも期待どおりにならないことを知った。幕末以来の農民一揆の波が明治にはいってからもつづき、一八六九(明治二)年にはとくにたか まった。
e 右に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第四節第三「草莽隊」の記述への昭和五五年度検定)記載のとおりである。
(3)南京大虐殺(原稿本二七六~二七七頁)
a 原稿本の記述
〔本文〕
中国では、西安事件をきっかけとして、国民政府と共産党の抗日統一戦線が成立し、日本の侵略に対抗して中国の主権を回復しようとする態度が強硬にあらわ れてきた。
一九三七(昭和一二)年、蘆溝橋の衝突をきっかけとして、日本と中国とは全面的な交戦状態にはいった。(日中戦争)。日本軍は首都南京その他の主要都市 や主要鉄道浴線などを占領し、〔4〕、中国全土に戦線をひろげたが、蒋介石の国民政府は重慶に移り、イギリスなどの外国の援助をうけつつ、共産党の第八路 軍とともに、抗戦をつづけた。
〔脚注〕
〔4〕南京占領直後、日本軍は多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。
b 被告の意見
(イ)右原稿本の〔脚注〕の記述に対し、修正意見が付された。意見の趣旨は、「このままでは、占領直後に、軍が組織的に虐殺をしたというように読みとれる ので、このように解釈されぬよう表現を改めよ。」というものであり、更に、具体的には「多数の中国軍民が混乱にまきこまれて殺害された。」と記述して、殺 害の主体に言及しないようにするか、あるいは、「混乱のなかで、日本軍によって多数の中国軍民が殺害されたといわれる。」と記述して、日本軍の行為である というのが単なる伝聞にすぎないことを明らかにして、日本軍の行為であるとの評価を避け、かつ、それが「混乱のなか」での出来事であったことに必ず言及せ よというものであった。
(ロ)右原稿本の〔本文〕中の「侵略」という用語に対し、改善意見が付された。意見の趣旨は、「『侵略』という言葉は否定的な価値評価を含む用語であり、 自国の行為につき、このような否定的な価値評価を含む言葉を教科書の中で用いることは、次の世代の国民に対する教育上このましくないので、例えば、『武力 進出』というような言葉を用いるべきである。」というものであった。
c 原告の対応
(イ)修正意見については、教科書調査官が、これを主張して譲らないので、原告は、やむをえず原稿本の記述を後記4のとおり変更した。
(ロ)改善意見に対しては、原告は、昭和五六年三月九日付の拒否理由書の中で、日本による中国「侵略」は客観的事実であって、単なる評価ではないから修正 しない旨を申し述べたが、教科書調査官は、日本のみが中国を侵略したのではないといってこれを容れず、第一次内閲調整の際も引き続き改善意見に固執した。
そこで、原告は、同年四月一四日付の拒否理由書の中で、国際法思想においていわゆる「戦争の違法化」が確立した第一次世界大戦以降の時期の侵略とそれ以 前の侵略を同じ表現にしなければならない必然性はないこと、あるいは「侵略」を「侵略」と教えることにより、祖国の誤りを正視し、再び同じ過ちをくり返さ せないよう自戒することこそが、真の愛国の道であると信じることを、田畑茂二郎の「国際法」や、横田喜三郎の「戦争犯罪論」などを援用しつつ指摘した。
この結果、教科書調査官は、第二次内閲調整以降改善意見の蒸し返しを断念するに至り、原稿本の記述は、そのままの形で教科書となった。
d 変更後の記述
日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺アトロシテイーとよばれる。
e 右に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第四節第四「侵略」の記述への昭和五五年度検定、同節第五「南京大虐殺」の記述への昭和五五年度検 定)記載のとおりである。
6 昭和五七年における正誤訂正申請不受理の措置
(一)正誤訂正申請までの経緯
(1)昭和五五年及び昭和五六年における申請に係る歴史教科書の記述中の日本の対外侵略等にかかわる部分についての検定に対し、関係諸外国からの厳しい批 判が相次ぎ、内閣官房長官は、昭和五七年八月二六日、談話を発表して「わが国としては、アジア近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳 を傾け、政府の責任において是正する」旨を約束し、これを受けて文部省は、同年一〇月二五日、教科用図書検定調査審議会第二部会歴史小委員会において、今 後の検定方針の変更を明らかにした。
右方針変更の内容には、「南京事件については、原則として同事件が混乱の中で発生した旨の記述を求める検定意見を付さない」こと及び「主として満州事変 以降における日中関係の記述については、特に不適切な場合を除き、『侵略』、『侵攻』、『侵入』、『進出』、『進攻』等の表現について検定意見を付さな い」ことが含まれている。
また、これに引き続き、同年一一月二四日付で教科用図書検定基準が一部変更され、社会科の必要条件〔教科用図書の内容とその扱い〕3(選択・扱い)の項 目に「(15)近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」の規定が追加された。
(2)このように検定方針が変更されたことに伴い、原告は、昭和五五年度検定において前記5(二)(3)のとおり修正意見によって変更を余儀なくされた南 京大虐殺に関する脚注の記述の中から、「激昂裏に」の一語を削除した教科書を発行したいと考え、右記述を、「中国軍の激しい抵抗にもかかわらず、ついに南 京を占領した日本軍は、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」と訂正することの承認を求める旨の申請を、昭和五七年一二月二日、三省堂を通 じて行った。
(3)右申請は、検定規則一六条に則したもので、「正誤訂正」の申請といわれるものであり、これは、単なる誤記、誤植、訂正の域を越えて、教育的配慮から 教科書内容の速やかな適正化を図るための手段としても用いられているのである。
昭和五二年の検定規則の改正により、各年度において検定申請を行うことができる種目及び期間を文部大臣が指定し得ることとされ(同規則六条四項)、昭和 五七年度に関しては、高等学校日本史の教科書は新規検定に限り、かつ、同年五月三一日から六月三日まで及び八月三日から九月二日までの間に限って申請を受 理する旨の制限が加えられていた(昭和五六年九月二八日文部省告示第一五一号)。原告が右申請を行ったものは、右のように教科書に改訂を加える本来的機会 が厳重に制限されているために、原告としては所期の改訂を直ちに施すためには、「正誤訂正」の申請によるしか方法がなかったからである。

(二)正誤訂正申請の不受理
ところが、文部省は、右正誤訂正申請を受理することを拒否し、これを文字どおり門前払いにした。申請の受理を拒否することは、とりもなおさず全面的な不 承認処分と同視すべきものである。
原告は、この正誤訂正申請不受理により、自己の学問研究の結果及び教育的配慮に基づく教科書記述の実現を妨げられ、多大な精神的苦痛を被った。
(三)右(一)(二)に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第一節二3 昭和五七年における正誤申請不受理の措置、同章第四節第六 正誤訂正不 受理の違憲違法性)記載のとおりである。
7 昭和五八年の申請に係る検定(以下「昭和五八年度検定」という。)処分の経過と内容
(一)検定処分に至る経緯
(1)昭和五五年度及び昭和五六年度に新規検定を受けて発行された教科書に対する改訂を施そうとする者に対する改訂検定の申請受理の機会は、文部省の当初 の方針では、昭和五九年度とされていたが、前記6(一)(1)において述べた外国からの批判を契機として、文部省は、右改訂検定申請の受理年度を一年繰り 上げ、昭和五八年度においてこれを受理することとした(昭和五七年一二月一六日文部省告示第一五八号)。
(2)原告は、その執筆にかかる高等学校用日本史教科書「新日本史」の原稿について、昭和五五年以降の研究成果をもとに,教育現場からの要望を踏まえ、ま た。さきに6(一)
(1)において述べたとおり検定基準が変更されていたことをも考慮して、昭和五五年度検定合格本の記述中、八四箇所について改訂を加え、昭和五八年九月八 日、発行者たる三省堂を通じて、文部大臣に対し改訂検定申請を行った。
右原稿に対する原稿本審査での処分は、昭和五八年一二月二一日付でなされたが、その内容は八四箇所中六〇箇所については合格とし、他の二四箇所について は約七〇項目にわたる修正意見又は改善意見を付した上で合格とする条件付合格処分であった。右修正意見及び改善意見の伝達は、教科書調査官から口頭で同年 一二月二七日に合計約三時間をかけて行われた。 
(3)原告は、三省堂を通じ、昭和五九年一月一七日付で文部省に対し、修正意見を付された箇所のうち、本件提訴にかかる記述箇所(沖縄戦を除く)四箇所を 含む八箇所について検定規則一〇条所定の「意見申立書」を文部大臣に提出した。同年二月一日、右意見申立てに対する文部大臣の決定がなされたが、右決定で は八箇所のうち二箇所(シンガポールでの非戦闘員の処刑、フィリピンでの住民虐殺の各記述箇所)は意見申立てが容れられたものの、本件提訴にかかる四箇所 を含む六箇所はいずれも意見申立てが容れられなかった。
原告は、三省堂を通じ、同年一月二四日に内閲本を文部大臣に提出し、第一次(同年二月一〇日)、第二次(同月一七日)、第三次(同月二九日)、第四次 (同年三月五日)、第五次(同月九日)の「内閲調整」を経て、同年四月一三日にようやく内閲本審査が終了し、同年五月二四日に見本本審査合格となった。
(4)右(1)ないし(3)に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第一節二4昭和五八年度検定)記載のとおりである。
(二)検定処分の内容
被告は、以下のとおり、原告の原稿本の記述に対し、修正意見を付し、これを合格の条件とすることによって原告の意思に反する記述の変更を強制し、もって 原告に著しい精神的苦痛を被らせた。
(1)日清戦争中の朝鮮人民の反日抵抗(原稿本二三〇頁本文)
a 原稿本の記述
一八九四(明治二七)年、ついに日清戦争がはじまった。その翌年にわたる戦いで、日本軍の勝利がつづいたが、戦場となった朝鮮では人民の反日抵抗がたび たびおこっている。
(従前の記述では、開戦のきっかけになった「東学党の乱」の名称を挙げておいたが、開戦後の朝鮮人民の反日抵抗の存在については全く言及がなかった。原告 は、最近の研究成果を踏まえ、「戦場となった朝鮮では……」以下の一句を補充しようとしたものである。)

b 被告の修正意見
原告の右記述に対し、右の補充しようとした一句を削除せよという趣旨の修正意見が付された。
右修正意見の理由は、「朝鮮人民の反日抵抗とは何を指すのかわからない。たとえ特殊な研究に発表されていても、啓蒙書によって十分に普及されている事例 以外は取上げるべきではない。」というのである。
c 原告の対応
原告は、修正意見に対し、昭和五九年一月一七日付で意見申立書を提出し、その中で、現在日清戦争についての研究の最高水準を示すものとしてあげられる中 塚明の「日清戦争の研究」、朴宗根の「日清戦争と朝鮮」の中で朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている事実が根本史料に基づき詳細に立証されている ことを指摘したが、右申立ては認められなかった。意見申立てに対する文部大臣の決定には、「申立人の列挙している文献は、『人民の反日抵抗』を例えば『甲 午農民戦争の再蜂起』(中塚)、『農民戦争の再発』(藤村道生)、『第二次農民戦争の展開』(朴)などと呼んでおり、いずれもいわゆる東学の再挙を指して いることは明らかであるから、この原稿のような改訂は東学の乱の発生を削除して再挙のみを記述する結果となるので、改善されたとはいえない。」旨の理由が 付されている。そのため、原告はやむをえず「人民の反日抵抗」との記述を維持することは断念し、後記dのとおり記述を変更した。
d 変更後の記述
一八九四(明治二七)年、ついに日清戦争となり、その翌年にわたる戦いで日本軍は勝利を重ねたが、戦場となった朝鮮では労力・物資の調達などで人民の協 力を得られないことがたびたびあった。
e 右に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第四節第七 「朝鮮人民の反日抵抗」の記述への昭和五八年度検定)記載のとおりである。
(2)日本軍の婦女暴行(原稿本二七六頁脚注)
a 原稿本の記述
日本軍は南京占領のさい、多数の中国軍民を虐殺し、日本軍将兵のなかには中国婦人をはずかしめたりするものが少なくなかった。南京大虐殺とよばれる。
b 被告の修正意見
原告の右記述に対し、「日本軍将兵のなかには中国婦人をはずかしめたりするものが少なくなかった。」の部分を削除せよ、との修正意見が付された。右修正 意見の理由の要旨は、「軍隊において士卒が婦女を暴行する現象が生ずるのは世界共通のことであるから、日本軍についてのみそのことに言及するのは、選択・ 配列上不適切であり、また特定の事項を強調しすぎる。」というのである。
c 原告の対応
原告は、右修正意見に対し、昭和五九年一月一七日付で意見申立書を提出し、その中で、植村正久が明治二九年六月二六日の「福音新報」に書いた「よく自国 の罪過を感覚し、その逃避せる責任を記憶し、その蹂躙せし人道を反省せるは愛国心の至れるものにあらずや。
(中略)良心を痴鈍ならしむるの愛国心は亡国の心なり。これがために国を誤りしもの、古今その例少なからず。」の一文を引用し、恥ずべき過去を隠蔽するこ とは恥ずべき過去をもつことによりさらに恥ずべきことであることを指摘したが、右申立ては容れられなかった。文部大臣の決定には、「申立人の主張するよう に他国の例を援引したのではなく、実例を捨象した認識を示したものであり、また最も重大な殺害行為について削除を求めたものでもなく、事実の選択と扱いに ついて個性記述的であることを本質とする立場(ヴィンデルバント『歴史と自然科学』)からみて、この場合にのみ、『古代以来の世界的共通慣行列』(家永三 郎著『太平洋戦争』二一五ページ)を記すことは、適切でないと判断したものである。」旨の理由が付されている。そこで、原告はやむをえず後記dのとおり原 稿本の記述を変更した。
c 変更後の記述
日本軍は南京占領のさい、多数の中国軍民を殺害し、日本軍将兵のなかには暴行や略奪などをおこなうものが少なくなかった。南京大虐殺とよばれる。
b 右に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第四節第八 「日本軍の残虐行為」の記述への昭和五八年度検定)記載のとおりである。
(3)七三一部隊等(原稿本二七七頁脚注)
a 原稿本の記述
とくに第八路軍は華北などに広大な解放地区をつくりだし、住民の支持をえて、点と線をたもっているにひとしい日本軍にくりかえし攻撃を加え、ゲリラ戦の 経験のない日本軍をなやませた。このために、日本軍はいたるところで住民を殺害したり、村落を焼きはらったり、婦人をはずかしめるものなど、中国人の生 命・貞操・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。またハルビン郊外に七三一部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人 を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。
b 被告の修正意見
原告の右記述に対し、「婦人をはずかしめるものなど」の一句及び「貞操」の語並びに「またハルビン郊外に……」以下いわゆる七三一部隊に関する記述の全 部を削除せよという趣旨の修正意見が付された。
右修正意見の理由の要旨は、右「婦人をはずかしめるものなど」の一句及び「貞操」の語については、前記(2)bと同一の理由によるものであり、また、い わゆる七三一部隊に関する記述については、「七三一部隊のことは現時点ではまだ信用にたえうる学問的研究、論文ないし著書などが発表されていないので、こ れを教科書に取り上げることは時機尚早である。事実関係が必ずしも確立していないので、もう少し固まったものが出るまで待つべきだ。」というのである。
c 原告の対応
原告は、右修正意見に対し、昭和五九年一月一七日付で意見申立書を提出し、その中で、「婦人をはずかしめるものなど」の一句及び「貞操」の語については さきに(2)cにおいて述べたものと同趣旨のことを指摘し、七三一部隊のことは学術書である家永三郎著「太平洋戦争」の中で記述され、同書は英訳、スペイ ン訳にもなって世界各国で広く読まれていること、当時の軍幹部、軍医、同部隊員らの証言としての性格を持つ雑誌論文等の文献やテレビドキュメント等に照ら し明らかな客観的事実であること、七三一部隊の行為に関する記述を真理教育の場において用いられる教科書から排除すべきでないことを指摘したが、右申立て は認められなかった。
「婦人をはずかしめるものなど」の記述部分についての決定に付されている理由はさきに(2)cにおいて述べたと同様である。七三一部隊の記述部分について の決定には、「申立人の列挙している関係文献を精査したけれども、学界の状況は史料収集の段階であって、専門的学術研究が発表されるまでに至っていないと 判断されるし、申立人もまた『学術書に記載されていない』状況を明確に認めているのであるから、教科書に取上げることは時機尚早である。なお、申立人の著 作物における関係記述はB六判二ページ足らずであるし、事実認定の手続きに全く触れていない。」旨の理由が付されている。
そこで、原告は、やむをえず、「婦人をはずかしめるものなど」及び「貞操」の記述部分を削除するとともに、七三一部隊に関する記述部分を全文削除して、 原稿本の記述のうち、「このために、」以下の記述を後記dのとおり変更した。
d 変更後の記述
このために、日本軍はいたるところで住民を殺害したり、村落を焼きはらったりして、中国人の生命・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。
e 右に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第四節第八 「日本軍の残虐行為」の記述への昭和五八年度検定、同節第九 「七三一部隊」の記述へ の昭和五八年度検定)記載のとおりである。
(4)沖縄戦(原稿本二八五頁脚注)
a 原稿本の記述
沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死をとげたが、そのなかには日本軍のために殺された人も少なくなかっ た。
b 被告の修正意見
原告の右記述に対し、「沖縄県民の犠牲のなかには、日本軍のために殺された人も少なくなかったことは事実であるが、集団自決が一番数が多い」ことを理由 に沖縄戦の全貌を明確にするため、「集団自決の記述を加えなければならない」旨の修正意見が付された。

c 原告の対応
原告は、右修正意見に対し、「内閲調整」の過程で、集団自決は「非業の死」の記述に含まれており、日本軍のために殺された事実は自国軍隊にあるまじき行 為として特別に記述したものである旨反論するとともに、原稿本の記述を「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女がアメリカ軍の攻撃 や、集団自決や、あるいは日本軍によって壕から弾丸が飛びかう地上に追い出されたり、壕内で泣き声を立てる幼児やスパイと目された人たちが殺害されたりす るなど、戦火のなかで非業の死をとげた。」と修正した。
しかし、右記述に対しても、「他を削ってまで新しいことを入れるのは修正意見に基づく修正の範囲を超えているので認められないし、『……や……や……た り……たりするなど』では文章として続かない。」旨の意見が付され、教科書調査官の容れるところとならなかった。そこで、原告はやむをえず、後記dのとお り原稿本の記述を変更した。
d 変更後の記述
沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が砲爆撃にたおれたり、集団自決に追いやられたりするなど、非業の死をとげたが、なかには 日本軍に殺された人びとも少なくなかった。
e 右に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第四節第一〇「沖縄戦」の記述への昭和五八年度検定)の記載のとおりである。
8 本件検定処分等の違憲・違法性
(一)教科書検定制度の違憲・違法性
学校教育法(昭和二二年法律第二六号)二一条一項(四〇条・五一条・七六条が二一条を準用する部分を含む)、教科用図書検定規則(昭和五二年文部省令三 二号)、高等学校教科用図書検定基準(昭和五四年文部省告示第一三四号)等からなる現行の教科書検定制度は、憲法・教育基本法に違反するものであり、した がって、そのような制度に基づき行われた本件検定処分等も憲法・教育基本法に違反する。
(1)表現の自由の侵害(憲法二一条違反)
現行の教科書検定制度は、教科書という出版物の発行の自由を制限するものであるから、憲法二一条一項が保障する表現の自由を侵害するものであるととも に、教科書という出版物の発行に先立ち公権力がその内容を審査し不適当と判断した記述の発表を禁止するものであるから、憲法二一条二項が禁止する検閲に該 当するものである。
(2)学問の自由の侵害(憲法二三条違反)
現行の教科書検定制度は、著作者の学間的研究の成果に基づく教科書の記述に対して、その内容を審査し不適当と判断した記述の発表を禁止するものであるか ら、憲法二三条が保障する学問の自由を侵害するものである。
(3)教育の自由の侵害(憲法二六条等違反)及び不当な支配(教育基本法一〇条一項違反)
国民が教科書を執筆し又は発行する自由は、教育の自由の一環として、憲法二六条若しくは二一条に基づき、保障されているところ、現行の教科書検定制度 は、国民の右自由を制限するものであるから、憲法二六条ないし二一条に違反するものである。教育基本法一〇条一項は、憲法が教育の自由を保障したことに基 づき、教育行政が教育の自主性を損なうことを禁じたものであるが、現行の教科書検定制度は、教科書の記述に対して詳細かつ大幅な介入をして教育の自由、自 主性を損なうものであるから、教育基本法一〇条一項に違反するものである。
(4)適正手続違反(憲法三一条違反)
現行の教科書検定制度は、検定審査に極めて重要な関与をしている教科用図書検定調査審議会委員、教科書調査官などの選任について、その中立公正を保障す る仕組がなく、また、処分理由の告知・聴聞手続が極めて不十分にしか行われていないなど、国民の重大な権利・利益を制限する手続としては適正を欠くもので あり、憲法三一条に違反するものである。
以上のほか、教科書検定制度が違憲、違法であることについての原告の主張の詳細は、別添(一)(第一章第二節教科書検定制度の違憲違法性)記載のとおり である。
(二)本件検定処分等の違憲・違法性
(1)現行の教科書検定制度が直ちに憲法・教育基本法に違反しないとしても、その解釈適用を誤ってされた本件検定処分ないし検定意見は、憲法・教育基本法 に違反する。
右に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第三節第一適用違憲の主張とその内容、同章第四節本件検定処分の違憲違法性)記載のとおりである。
(2)本件検定処分等が憲法・教育基本法の解釈適用を誤ってされたものでないとしても、本件検定処分ないし検定意見は、法により検定権者に付与された裁量 の限界を逸脱し、検定権限を濫用したもので違法である。
右に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第二章第三節第二裁量権濫用の主張とその内容、同章第四節本件検定処分の違憲違法性)記載のとおりである。
9 公務員の故意又は過失
本件検定処分ないし検定意見は、当時の文部大臣及びその補助者であった事務次官、初等中等教育局長、同局教科書検定課長、同課教科書調査官らがその検定 権限を行使するに当たり、右各検定処分及びその根拠法条である学校教育法二一条及びその下位法令が違憲違法であることを認識し、又は認識すべきであったに もかかわらず、これを怠った故意又は過失により、違憲・違法な本件検定処分ないし検定意見をなしたものである。
右の点に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第三章第一 本件損害賠償の意味、同章第二 本件不法行為における文部大臣らの故意または過失)記載の とおりである。
10 損害
前記8のとおり、原告は、文部大臣の違憲・違法な本件各条件指示及びそれに基づく修正等の要求により、自己の学問研究の結果及び教育的配慮に基づく教科 書記述を禁止され、執拗にその修正等を迫られるなどして、多大の精神的苦痛を被った。
また、前記のとおり違憲・違法な正誤訂正申請不受理により、原告は、自己の学問研究の結果及び教育的配慮に基づく教科書記述の実現を妨げられ、多大の精 神的苦痛を被った。
右各精神的苦痛は、合計金二〇〇万円を下らない額をもって慰藉するのが相当である。

右の点に関する原告の主張の詳細は、別添(二)(第三章第三 本件不法行為における原告の損害)記載のとおりである。
11 結論
よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条に基づき、文部大臣の違法な検定権限の行使による損害賠償金二〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の 翌日である昭和五九年二月一一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する認否
1 当事者について
前記一1の事実のうち、
(一)「原告は」、から「歴史学者である。」までの事実は認める。
(二)「その間」から「尽力してきたものである。」までの事実のうち、原告が、昭和二三年に「上代倭絵全史」の著述により日本学士院恩賜賞を受賞し、昭和 二五年に論文「主として文献資料による上代倭絵の文化史的研究」により文学博士の学位を得たこと、原告に列記されたような著述があること、原告が、戦後文 部省の編纂委員に任命され「くにのあゆみ」の編纂に従事し、昭和二七年以降は、三省堂発行の高等学校用検定教科書「新日本史」の執筆・改訂を行ったことは 認め、その余は不知。
(三)「被告は、」以下は認める。
2 教科書検定制度の変遷について
(一)前記一2(一)の事実のうち、教科書検定制度が原告主張の国定制ないし自由発行制と異なるものであることは認めるが、その余は争う。
「教科書検定」は、民間で著作・編集された図書について、文部大臣が教科書として適切か否かを審査し、これに合格したものを教科書として使用することを認 めることをいい、その法的性質は、申請図書に対し一般の図書が本来は有しない教科書としての資格を付与する講学上の「特許行為」である。また、「教科書」 とは、小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校において、教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、教授の用に供せられる児 童又は生徒用図書であって、文部大臣の検定を経たもの又は文部省が著作の名義を有するものをいう(教科書の発行に関する臨時措置法二条一項)。
(二)同(二)の事実のうち、わが国において、明治五年に「学制」が発布されたこと、明治一四年以降小学校の教科書について届出制が導入されたこと、明治 一六年以降小学校、
中学校、師範学校の教科書について文部省による認可制が導入されたこと、明治一九年以降小学校、中学校、師範学校の教科書について文部大臣による検定制が 導入されたこと、明治三六年以降小学校教科書が国定制(一部の教科については例外的に検定制を併用)になったこと、昭和一八年以降中等学校、師範学校の教 科書についても国定制に移行したことは認める。また、実業学校の教科書、盲学校・聾唖学校の教科書については、戦前の一時期に地方長官による認可制が採ら れたこともあったことは認め、その余は争う。
(三)同(三)の事実のうち、戦後、わが国の教育制度はその理念、制度において根本的な改革が行われたこと、憲法が教育を受ける権利を保障している(憲法 二六条)こと、教育基本法(昭和二二年法律第二五号)を初めとする教育関係法が制定されたことは認め、その余は争う。
(四)同(四)の事実のうち、昭和二二年に制定された学校教育法(昭和二二年法律第二六号)において、「小学校においては、監督庁の検定若しくは認可を経 た教科用図書又は監督庁において著作権を有する教科用図書を使用しなければならない。」(同法二一条一項)とされ、中学校についてはこの規定が準用され (同法四〇条)、「高等学校に関する教科用図書、……その他必要な事項は、監督庁が、これを定める。」(同法四九条)とされ、同法一〇六条本文において、 「……第二一条第一項、……第四九条……の監督庁……は、当分の間、これを文部大臣とする。」とされたこと、同年に制定された学校教育法施行規則(昭和二 二年文部省令第一一号)において、「高等学校の教科用図書は、文部大臣の検定を経たもの又は文部大臣において著作権を有するものを使用しなければならな い。」
(同規則五八条一項)とされたこと、翌二三年に制定された教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号)において、都道府県教育委員会の事務として「文部大臣 の定める基準に従い、都道府県内のすべての学校の教科用図書の検定を行うこと」(同法五〇条二号)及び(教科用図書は、……第五〇条第二号の規定にかかわ らず、用紙割当制が廃止されるまで、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣において著作権を有する教科用図書のうちから、都道府県委員会が、これを 採択する。」(同法八六条)とされたこと、昭和二八年に制定された学校教育法等の一部を改正する法律(昭和二八年法律第一六七号)により、従前の学校教育 法二一条一項の「監督庁の検定若しくは認可」が「文部大臣の検定」に、「監督庁において」が「文部大臣において」に改められ、同法五一条の「第二八条第三 項」が「第二一条、第二八条第三項」に改められるとともに、教育委員会法五〇条二号及び八六条の各規定がいずれも「削除」されたことは認め、その余は争 う。
(五)同(五)の冒頭の事実(「学校教育法の下での検定制度」から「行われた。」まで)は争う。但し、昭和三一年に教科書検定制度の一部に変更が加えられ たことはある。
同(五)(1)の事実のうち、昭和三〇年八月、日本民主党が「うれうべき教科書の問題」と題するパンフレットを公刊したことは認め、その余は争う。
同(五)(2)の事実のうち、昭和三一年三月、教科書法案が国会に提出されたが、参議院において廃案となったこと、同法案に検定の拒否(七条)、登録の 拒否(三二条)、報告及び立入検査(三六条)の規定があったこと、同年一〇月、文部省設置法施行規則の一部改正省令によって、従来から教科用図書検定調査 審議会に置かれていた調査員(非常勤)とは別途に、常勤の文部省職員である教科書調査官が設置されたことは認め、その余は争う。
同(五)(3)の事実のうち、昭和三三年文部省告示第八六号によって教科用図書検定基準が全面改正されたこと、高等学校学習指導要領が昭和三五年一〇月 全面改正されたことは認め、その余は争う。
(六)同(六)の事実のうち、昭和五二年、検定規則が全面改正されたこと、これが全面改正として戦後初めてのものであったことは認め、その余は争う。
(七)同(七)の事実のうち、昭和五四年一〇月、「じゅん刊・世界と日本」に「新・憂うべき教科書の問題」が掲載され、昭和五五年一月から「自由新報」が 「いま教科書はー教育正常化への提言」を連載したことは認め、その余は争う。
(八)以上に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第一部第一章戦後教育の発展)記載のとおりである。
3 現行教科書制度の概要
(一)法律上の根拠
前記一3(一)のうち、「昭和二八年」から「準用されている。)。」までは認め、その余は争う。
(二)検定規則の内容
同(二)のうち
(1)「教科書検定制度」から「掲げている。」までは認める。
(2)「そして,右基本条件の」から「構成しているといえる。」までのうち、学習指導要領との関連付けを強調していることは争い、その余は認める。 
(3)「検定には」から「制限している。」までのうち、教科用図書検定規則三条、四条及び六条一項において原告主張の内容の定めがされていること、文部大 臣が同規則六条四項の規定に従って各教科科目毎の検定受理機会を告示を発することにより定めていることは認め、その余は争う。
(4)「そして、『新規検定』、」から「これに当たる。)。」までは、認める。但し、条件付合格処分が圧倒的に多いのは、新規検定であり、また、検定審議 会の設置の根拠は文部省設置法(昭和二四年法律第一四六号)である。
(5)「次の『内閲本審査』は、」から「呼ばれている。」までのうち、内閲本審査は修正意見に従った修正が行われているか否かを審査、認定する手続である こと、修正意見それ自体に対し検定申請者から意見の申立てがあれば、文部大臣は、検定審議会の議を経て当該修正意見を取り消すか否かを決するものとされて いることは認め、その余は争う。
(6)「最後の『見本本審査は、」から「関与しない。」までのうち、見本本審査は図書として必要な要件を備え完成されたと認められるかどうかについて審査 するものであること、その際に図書の装丁・印刷等の外観についても審査をすることは認め、その余は争う。
(7)「なお、」から「解釈運用されている。」までのうち、検定規則において、検定を経た図書について誤った事実の記載があることを発見したときなど一定 の場合に、発行者に対し文部大臣の承認を受けて「正誤訂正」をすることを義務付けていることは認め、その余は争う。
(三)検定手続の問題点
同(三)のうち、
(1)検定権者に対する制約の欠如
検定規則において、申請を行うことができる図書の種目並びに各年度において申請を行うことができる図書の種目及び期間は文部大臣が定める(同規則六条四 項)、原稿本審査合格の通知を受けた者は、文部大臣が定める期間内に内閲本を作成し提出する(同規則一三条一項)、内閲本審査終了後に文部大臣が定める期 間内に見本本を作成し提出する(同規則一四条一項)、原稿本審査終了後一五日以内に修正意見に対する意見申立書を提出し得る(同規則一〇条一項)こととさ れていること、原稿本審査、内閲本審査及び見本本審査の各期間については定めがないこと、教科書の採択・発行に関する法律として、教科書の発行に関する臨 時措置法(昭和二三年法律第一三二号)及び義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律(昭和三八年法律第一八二号)が制定されており、右臨時措置 法において、発行しようとする教科書書目の届出及び教科書展示会の時期は文部大臣が指示する旨定められている(同法四、五条)こと、同法施行規則(昭和二 三年文部省令第一五号)において、教科書展示会への見本本出品のための都道府県の教育委員会への届出につき定められている(同規則八条)ことは認め、その 余は争う。
(2)改善意見の実質
検定規則において、文部大臣は原稿本審査合格の条件として修正意見を付することができる旨定められている(同規則九条二項)こと、「教科用図書検定規則 の実施の細目の全部の改正について」(昭和五四年一〇月一七日付け文初検第二九八号、各教科書発行者あて文部省初等中等教育局長通知)の別添「教科用図書 検定規則の実施の細目」において、改善意見は改善を加えることが適当と判断される箇所について付するものである旨定められていることは認め、その余は争 う。
(3)検定基準の包括性
争う。
(4)教科書調査官の実権
文部大臣が検定権限を行使するに際し、原稿本審査の段階では検定審議会の議を経ることが検定規則上要請されていること、教科書調査官及び教科用図書検定 調査審議会に置かれる調査員(一点の教科書につき概ね、大学の教員一名と現場教師二名の調査員がその都度委嘱される。)がそれぞれ調査意見書及び評定書を 作成し、これが教科用図書検定調査審議会に提出されて同審議会における審議の参考資料にされること、教科用図書検定審査内規(昭和五三年六月一五日審議会 決定)及び同実施細目(同)が存在し、原稿本審査における合否の分かれ目が一〇〇〇点満点中八〇〇点を取れるかどうかにかかることは認め、その余は争う。
(四)右(一)ないし(三)に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第一部第二章教科書検定制度の概要、同部第三章教科書検定の手続)記載のとおりであ る。
4「新日本史」に対する従前の検定の実態
前記一4のうち、
(一)原告の教科書執筆の動機と執筆に当たっての配慮
原告が昭和二二年に「新日本史」を一般用図書として公刊したことは認め、その余は不知。
(二)「新日本史」に対する検定の経緯
同(二)(1)の事実は、認める。但し、いずれの年度においても検定申請者は原告ではなく、三省堂である。
同(2)は、不知。
同(3)のうち、原告がその主張のとおり訴訟を提起したこと、右訴訟の経過が原告主張のとおりであることは認め、その余は争う。
5 昭和五五年度検定処分の経過と内容
前記一5のうち、
(一)検定処分に至る経過
(1)「新日本史」原稿について昭和五五年九月五日付けで文部大臣に対する検定申請が行われたこと(検定申請者は三省堂であり原告ではない。)、原稿の内 容は従前の教科書の全面改訂であったため、検定の種類は新規検定であること、右原稿に対する原稿本審査での処分が昭和五六年一月二六日付けでなされ、条件 付合格処分であったこと、修正意見及び改善意見の伝達が教科書調査官から口頭で同年二月三日に行われ、意見の項目数、意見の伝達に要した時間が原告主張の とおりであることは認める。なお、伝達が行われた日は、同年二月三日及び同月四日であった。
(2)昭和五六年三月九日付けで内閲本が文部大臣に提出され、その際一部の改善意見に基づく記述の改善を図るための修正を行わない理由を記載した一覧表が 提出されたこと、修正意見について二項目に関し検定規則一〇条一項所定の意見の申立てがなされ、文部大臣はそのうちの一項目について意見の申立てを認めた が、残りの一項目についてはこれを認めなかったこと、内閲本提出後内閲本審査が行われ、この間数次にわたって教科書調査官と三省堂編集者(一部は原告も出 席)との間で、内閲本の記述が修正意見に従って適切に修正されたものとなっているかどうかなどについて意見の伝達・聴取が行われたこと、同年五月一六日、 内閲本審査合格となったこと、同年四月二〇日、修正を行わない理由を記載した一覧表が再度提出されたことは認め、その余は争う。内閲本、改善意見に対する 修正を行わない理由を記載した一覧表及び修正意見に対する意見申立書を提出したのは三省堂であり原告ではない。
(3)見本本審査合格となった日が昭和五六年七月八日であることは認め、その余は争う。但し、見本本が文部大臣に提出されたのは同月三日である。
(4)右(1)ないし(3)に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第二部第一章第一昭和五五年度申請に係る検定について)記載のとおりである。
(二)検定処分の内容
「被告は、」から「被らせた。」までは争う。
(1)原稿本にa主張の記述があったこと、右記述に対しb主張のような改善意見及びその理由が付されたこと、右改善意見に対し、c主張のような趣旨の修正 しない理由が二度にわたって一覧表により提出されたこと、原稿本の記述がそのままの形で教科書記述となったことは認め、その余は争う。
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第三部第一章第一節親鸞に関する記述について)記載のとおりである。
(2)原稿本にa主張の記述があったこと、「新日本史」昭和四七年度新規検定本にも同様の記述があったが、これに対しては検定意見が付されなかったこと、 昭和五五年度新規検定に当たりb主張のような修正意見及びその理由が付されたこと、右意見に対しc主張のような原告の意見が内閲本審査段階で教科書調査官 に述べられたこと、原稿本の記述がd主張のように変更され教科書記述となったことは認め、その余は争う。
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第三部第一章第二節戊辰戦争に関する記述について)記載のとおりである。
(3)原稿本に1主張の記述があったこと、原稿本の〔脚注〕〔4〕に対し、修正意見が付されたこと、右修正意見の趣旨が概ね「このままでは、占領直後に、 軍が組織的に虐殺をしたというように読みとれるので、このように解釈されぬように表現を改めよ」というものであったこと、原稿本の〔本文〕の中の「侵略」 という用語に対し改善意見が付されたこと、右改善意見の趣旨は概ね原告主張のような趣旨及び表記・表現の統一が望ましいというものであったこと、右〔脚 注〕〔4)の部分がd主張のように変更され教科書記述となったこと、「侵略」についての改善意見に対しc主張のような趣旨の修正を行わない理由が二度にわ たって一覧表により提出されたこと、右〔本文〕の記述がそのままの形で教科書記述となったことは認め、その余は争う。
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第三部第一章第三節「日本の侵略」という記述について、同章第四節南京事件に関する記述について)記載のと おりである。
6 昭和五七年における正誤訂正申請不受理の措置
前記一6のうち、
(一)正誤訂正申請までの経緯
(1)昭和五七年八月二六日、「歴史教科書」についての官房長官談話が発表されたこと、同年一一月二四日付けで教科用図書検定基準が一部改正され、原告主 張の規定が追加されたことは認め、その余は争う。
(2)同年一二月二日に三省堂従業員が原告主張のような正誤訂正の申請書を持参したことは認め、その余は争う。
なお、正誤訂正の申請をなし得るのは、検定規則上発行者とされている。
(3)検定規則一六条に「正誤訂正」についての定めがあること、昭和五二年の検定規則の改正により、各年度において検定申請を行うことができる種目及び期 間を文部大臣が定める旨の規定(同規則六条四項)が設けられ、昭和五七年度に関しては、高等学校日本史の教科書は新規検定に限り、それぞれ同年五月三一日 から六月三日まで及び八月三〇日から九月二日までの間に申請を受理する旨定められた(昭和五六年文部省告示第一五一号)ことは認め、その余は争う。
(二)正誤訂正申請の不受理
昭和五七年一二月二日、三省堂従業員が正誤訂正の申請書を持参したものの、文部大臣がこれを受理するに至らなかったことは認め、その余は争う。
文部大臣が三省堂従業員の持参した正誤訂正の申請書を受理するに至らなかったのは、文部省側が同従業員に対し、正誤訂正の要件に該当しない申請は適切で ないので検討されたい旨を話したところ、同従業員がこれを了承して右申請を自ら持ち帰ったためである。

(三)右(一)(二)に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第三部第二章昭和五七年度・正誤訂正申請について)記載のとおりである。
7 昭和五八年度検定処分の経過と内容
前記一7のうち、
(一)検定処分に至る経緯
(1)文部大臣が昭和五五年度及び昭和五六年度に新規検定を受けて発行された教科書についての改訂検定の申請を昭和五八年度において受理したことは認め、 その余は争う。
(2)昭和五五年度検定合格本「新日本史」の記述中八四箇所について改訂を加えたものについて、昭和五八年九月八日に三省堂から文部大臣に対し検定規則四 条に基づく改訂検定申請がなされたこと、文部大臣は右申請について原稿本審査を行い昭和五八年一二月二一日付けで処分をしたこと、右処分の内容は、右八四 箇所中六〇箇所について条件を付さずに合格とし、他の二四箇所については約七〇項目にわたる修正意見及び改善意見を付した上で条件付合格とするものであっ たこと、右修正意見及び改善意見が同年一二月二七日に教科書調査官から合計約三時間をかけて伝達されたことは認め、その余は争う。
(3)原告が修正意見を付された箇所のうち本件提訴にかかる記述箇所(沖縄戦を除く)四箇所を含む八箇所について昭和五九年一月一七日に意見申立てをなし たこと、同年二月一日、右意見申立てに対し文部大臣は八箇所のうち二箇所は意見申立てを認めたが、本件提訴にかかる四箇所を含む六箇所はいずれもこれを認 めなかったこと、本件改訂検定の日程等が原告主張のとおりであったこと、原告が本件箇所の記述に対し修正をなし、昭和五九年四月一三日内閲本が合格となっ たことは認める。
なお、文部大臣が教科用図書検定調査審議会の議を経て意見申立てを認めて修正意見を取り消す場合には、従来からその理由を示していない。
(4)右(1)ないし(3)に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第二部第一章第二昭和五八年度申請に係る検定について)記載のとおりである。
(二)検定処分の内容
「被告は、」から「被らせた。」までは争う。
(1)昭和五五年度検定合格本二三〇頁にある「日清戦争」の項の本文の記述の一部についてa主張のとおりの改訂の申請があったこと、従前の記述では、開戦 の重要な契機となった「東学党の乱」の記述があったが、開戦後の朝鮮における反日抵抗に関する言及は全くなかったこと、右改訂の申請に対して概ねb主張の ような修正意見及びその理由が付されたこと、右修正意見に対し検定規則一〇条所定の意見申立書が昭和五九年一月一七日付けで提出され、その内容がc主張の ようなものであったこと(但し、右意見申立書を提出したのは三省堂であり原告ではない。)、右意見申立てが認められなかったこと、文部大臣が意見申立てを 認めなかった理由がc主張のとおりであること、原稿本の記述がd主張のとおり変更され教科書記述となったことは認め、その余は争う。
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第三部第三章第一節「朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている」という記述について)記載のとおりで ある。
(2)昭和五五年度の検定合格本二七六頁にある南京大虐殺に関する脚注の記述についてa主張のとおりの改訂の申請があったこと、これに対して概ねb主張の ような修正意見及びその理由が付されたこと、右修正意見に対しc主張のような内容の意見申立書が提出されたこと(但し、右意見申立書を提出したのは三省堂 であり原告ではない。)右意見申立てが認められなかったこと、文部大臣が意見申立てを認めなかった理由がc主張のとおりであること、原稿本の記述がd主張 のとおり変更され教科書記述となったことは認め、その余は争う。
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第三部第三章第二節南京事件に関する記述について)記載のとおりである。
(3)昭和五五年度の検定合格本二七七頁にある脚注の記述についてa主張のとおりの改訂の申請があったこと、これに対して概ねb主張のような修正意見が付 されたこと、右修正意見に対しc主張のような内容の意見申立書が提出されたこと(但し、右意見申立書を提出したのは三省堂であり原告ではない。)、「婦人 をはずかしめるものなど」、「貞操」の各記述部分及び七三一部隊についての記述部分についての意見申立てが認められなかったこと、文部大臣が右意見申立て を認めなかった理由が、前者については前記一7(二)(2)c主張のとおりであり、後者については同(3)c主張のとおりであること、原告が前者について は内閲本審査において「婦人をはずかしめるものなど」と「貞操」との記述を削除し、後者については七三一部隊の記述を全文削除し、原稿本の記述のうち、 「このために」以下の記述をd主張のとおり変更したことは認め、その余は争う。
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第三部第三章第二節南京事件に関する記述について、同章第三節いわゆる七三一部隊に関する記述について)記 載のとおりである。
(4)昭和五五年度の検定合格本の記述中二八四頁にある脚注の記述についてa主張のとおりの改訂の申請があったこと、これに対して概ねb主張のような修正 意見が付されたこと、条件等告知の際右修正意見に対しc主張のような原告の意見が教科書調査官に述べられたこと、内閲本審査においてc主張のとおり原稿が 修正され提出されたこと、右記述について内閲本審査において概ねc主張のような内容を原告に伝えたこと、原稿本の記述がd主張のとおり変更され教科書記述 となったことは認め、その余は争う。
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第三部第三章第四節沖縄戦に関する記述について)記載のとおりである。
8 本件検定処分等の違憲・違法性
(一)教科書検定制度の違憲・違法性
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第一部第四章教科書検定制度の合憲性、適法性、同部第五章 学習指導要領と教科書検定)記載のとおりであ る。
(二)本件検定処分等の違憲・違法性
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第二部第二章教科書検定における適法性の判断基準、同部第三章 本件各検定処分等の適法性、第三部 本件各 検定の適法性)記載のとおりである。
9 公務員の故意又は過失
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第二部第四章故意・過失の不存在について)記載のとおりである。
10 損害
右に関する被告の反論の詳細は、別添(三)(第二部第五章損害の発生について)記載のとおりである。
第三 証拠〈省略〉


理   由

第一 教科書検定制度と本件各検定処分に至るまでの経緯
一  原告の経歴及びその著作
原告が、昭和一二年東京帝国大学文学部国文科を卒業して以来、日本史の研究に従事し、昭和一六年から新潟高等学校教授を、昭和一九年から東京高等師範学 校教授をそれぞれ歴任し、昭和二四年の学制改革に伴い、昭和五二年まで東京教育大学教授として歴史教育に携わり、昭和五三年以来中央大学教授の職にあった こと、その間、原告が、昭和二三年に「上代倭絵全史」の著述により日本学士院恩賜賞を受賞し、昭和二五年に論文「主として文献資科による上代倭絵の文化史 的研究」により文学博士の学位を得たこと、原告の著書には、右のほかに日本史及び歴史教育に関するものとして、「日本道徳思想史」、「日本近代思想史研 究」、「植木枝盛研究」、「司法権独立の歴史的考察」、「歴史と教育」、「戦争と教育をめぐって」、「歴史と責任」、「太平洋戦争」などがあること、原告 が、戦後文部省の日本史教科書の編纂委員に任命され、日本史教科書「くにのあゆみ」の編纂に従事したこと、昭和二七年以降は、三省堂発行の高等学校用検定 教科書「新日本史」の執筆・改訂を行ってきたことは、いずれも当事者間に争いがない。そして、原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和五九年三月に中央大 学を停年により退職したことが認められる。
二 本件各検定処分に至るまでの経緯〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる(当事者間に争いのない事実を含む。)。
1 原告は、昭和二一年に戦後最初の日本史教科書「くにのあゆみ」の古代の部分を分担起草し、「神代」の物語に代わり客観的史実としての石器時代から始ま る日本史を小学校に提供する仕事に従事したが、その後、旧制高等学校教師の経験が活用でき、かつ、学問研究の成果を相当程度に反映されることの可能な高等 学校日本史教科書の執筆によって日本国憲法・教育基本法下にふさわしい日本史教育に寄与したいと思うに至り、三省堂から新学制による高等学校用の日本史教 科書の執筆依頼を受けて執筆し、三省堂が昭和二七年に同社発行の「新日本史」として高等学校用日本史教科書の検定申請をした。
原告は、戦前の日本史教育が、神話や伝説をあたかも客観的事実の如く教えたことにみられるように非科学的であり、また、政治権力者中心の視野の狭い政治 史中心であった点を反省し、右教科書では、まず何よりも客観的事実を歴史教育の中心に置き、日本国憲法及び教育基本法の理念に従うこと、民衆の生活史、文 化史を重視し、女性の活動や家族生活にも目を向け、従来ともすればいわゆる暗記物になりがちな網羅主義を避けて、統一的、重点的に歴史の流れを生徒に把握 させることなどに特に配慮した。また、従来の歴史教科書は、数人の著者が分担して執筆したものが多かったのに対し、右「新日本史」は、総て原告一人が執筆 し、全冊を一貫した統一ある通史としてまとめたことに特色を有した。
ところが、右「新日本史」は、当初検定不合格とされたが、当時の検定制度では再度申請すれば別の調査員らに再評定させることとされていたので、原告が無 修正のまま再度検定申請したところ、合格し、昭和二八年度から教科書として発行された。
2 右「新日本史」については、昭和三〇年、三省堂の要請により原告が前記初版本に全面的な添削を加えて、同社において検定申請をしたが、これは条件付合 格となり、全部で二一六項目に上る修正意見が付された。この原稿は、原告と文部省との間の再三にわたる折衝を経て最終的には検定に合格し、「新日本 史」(改訂版)として昭和三一年度から使用された。
3 昭和三〇年には、高等学校社会科の学習指導要領が改訂され、教科書もこれに準拠したものを使用しなくてはならくなったため、三省堂は、原告が新しい学 習指導要領に合わせて書き改めた「新日本史」(三訂版)につき昭和三一年一一月二九日付で検定申請したが、昭和三二年四月九日不合格処分の通知を受けた。 その不合格理由の中に「過去の史実により反省を求めようとする熱意のあまり、学習活動を通じて祖先の努力を認識し、日本人としての自覚を高め、民族に対す る豊かな愛情を育てるという日本史の教育目標から遠ざかっている感が深い。」との部分もあり、原告は、文部省あての抗議書を提出したが容れられず、三省堂 において同年五月再申請したが、これも同年八月不合格処分となったため、同年一一月修正の上三たび検定申請をしたところ、右教科書は、昭和三三年三月よう やく合格し、昭和三四年度から三訂版として発行された。
4 その後、数年を経て、原告は、右三訂版に部分的改訂を加え、三省堂において四分の一改訂として検定申請をし、昭和三六年二月、これに合格したので、昭 和三七年度から四訂版として発行し、これは昭和三九年度まで使用された。
5 昭和三五年に高等学校学習指導要領が全面的に改訂され、教科書改訂の必要が生じたので、三省堂は、昭和三七年八月一五日付で原告執筆に係る「新日本 史」(五訂版)原稿につき検定申請したところ、昭和三八年四月一二日不合格の通知を受けた(以下「昭和三七年度検定」という。)。そこで、同社は、同年九 月、若干の修正を加えて再申請したところ、昭和三九年三月に条件付合格となった(以下「昭和三八年度検定」という。)。原告は、右の検定がこれまでの検定 体験をはるかにしのぐ強烈な権力的介入であると感じたため、昭和四〇年、右昭和三七年度検定不合格処分及び昭和三八年度検定条件付合格処分の修正指示及び 修正意見告知につきその違憲違法を主張し、国に対する損害賠償請求訴訟を提起した(いわゆる「第一次訴訟」)。
6 次いで、原告は、昭和三八年度検定において条件付合格となった「新日本史」に部分的改訂を加え、これに基づき、三省堂から、昭和四一年一一月に四分の 一改訂として改訂申請したところ、昭和四二年三月、そのうちの一部は合格処分あるいは条件付合格処分となり、他の一部は不合格処分となった。そこで、原告 は、右不合格処分について、検定処分取消訴訟を提起した(いわゆる「第二次訴訟」。)
7 昭和四四年九月、右改訂版につき、原告が部分的改訂を加え、三省堂から四分の一改訂として改訂申請したところ、同年一二月に条件付合格となり、昭和四 五年度から発行した。
8 昭和四五年に高等学校学習指導要領が全面的に改訂され,教科書改訂の必要が生じたので、三省堂は、昭和四七年四月に新規検定として検定申請したとこ ろ、同年九月に条件付合格となり、昭和四八年度から「三省堂新日本史」として発行した。
9 昭和五一年九月に、三省堂は、右教科書につき、部分的改訂を加え、四分の一改訂として改訂申請したところ、昭和五二年二月に条件付合格となり、昭和五 三年度から改訂版として発行し、更に、昭和五四年八月に同じく四分の一改訂として改訂申請したところ、昭和五五年二月に条件付合格となり、昭和五六年度か ら三訂版として発行した。 
三 教科書検定制度の沿革
〈証拠〉を総合すると(以上掲記の各証拠中後記認定に沿わない部分を除く。)、次の事実を認めることができる(当事者間に争いのない事実を含む。)。
1 戦前の制度
明治五年、学制(同年九月五日ー太陰暦八月三日ー文部省布達第一三号別冊)が発布され、学校を小学、中学、大学の三段階に分け、これをもって我が国の近 代化教育が発足したのであるが、明治一二年、学制を廃して教育令(同年太政官布告第四〇号)が公布され、これによって、学校は、小学校、中学校、大学校、 師範学校及び専門学校その他の各種学校とされ、特に国民教育の基礎である小学校教育の整備に重点が置かれることとなった。

その間、文部省は、教科書に関し明治五年九月「小学教則」を公布して、各教科別の教授要領を定めるとともに、小学校における教科用図書を例示した。しか し、当時は教育体制が備わっていなかったため、教科書についても特別の制度はなく、欧米の教科書を翻訳したもの、寺子屋時代の往来物、藩校の漢籍などが多 く用いられ、また、啓蒙書もよく使用された。その後、文部省や東京師範学校が編集した教科用図書も出版され、右例示図書中に追加されたが、実際にどの図書 を教科書に使用するかは、各府県、各学校の自由選択に委ねられていた。
ところが、明治一二年にいわゆる「教学聖旨」(教学大旨)が公にされたのを契機に教科書制度も改変されていった。
明治一三年、文部省は、使用中の教科書を取り調べた結果小学校教科書の使用禁止書目を発表した。明治一四年には、小学校の教科書について開申制度(届出制 度)が、明治一六年には、小学校、中学校、師範学校の教科書について文部大臣による認可制がそれぞれ導入された。そして、明治一九年には、小学校、中学校 及び師範学校の教科書について文部省による検定制が導入された。その後、明治三六年には、教科書疑獄事件を直接の契機として、小学校教科書について国定制 (一部の教科については例外的に検定制が併用)が実施されることとなり、昭和一八年には中等学校及び師範学校の教科書についても国定制に移行した。もっと も、実業学校の教科書、盲学校・聾唖学校の教科書については、戦前の一時期に地方長官による認可制が採られたこともあった。
2 戦後の制度
(一)文部省は、昭和二〇年九月「新日本建設ノ教育方針」を発表したが、そこに示された新教育の方針は、「今後ノ教育ハ益々国体ノ護持ニ努ムルト共ニ軍国 的思想及施策ヲ払拭シ平和国家ノ建設ヲ目途トシ……」というものであった。他方、連合国軍総司令部は、同年一〇月「日本教育制度ニ対スル管理政策」と題す る覚書(指令)を発し、a軍国主義及び極端な国家主義的思想の教育内容からの排除、b議会政治、国際平和、基本的人権思想の教授及び実践の確立、c教育関 係者の資格審査などを求め、また、同年一二月には、国家神道、神社神道に対する政府の保護の禁止、神道教義の教育内容からの排除を命ずるとともに、修身、 日本歴史及び地理の三科目の授業停止並びに使用中の教科書の回収を指示した。そして、右のうち、地理については昭和二一年六月、日本歴史については同年一 〇月、文部省が編集し総司令部の認可を経た教科書のみを使用することを条件として右二教科の授業再開が許可されたが、修身科についてはそれが許可されず、 昭和二二年新案足した教科である社会科の中に地理、日本歴史のほかに公民が加えられることとなった。
ところで、戦後の我が国の教育を方向付けたものとして、昭和二一年三月に来日した第一次米国教育使節団の総司令部あて報告書がある。そこでは、日本の過 去における教育の問題点が克明に指摘され、これに代わるべき民主的教育の在り方として、個人はその能力と適性に応じた教育の機会均等が与えられなくてはな らないこと、また、教育内容、方法及び教科書の画一化を避け、教育における教師の自由と関与をより広く認めるべきこと、中央集権的制度を改め、地方分散的 制度を採用すべきこと等が提言されている。
右教育使節団に対して日本の情報を提供し意見を交換するため、我が国の学識経験者による教育家委員会が編成され、同委員会は、右活動にとどまらず、更に 教育勅語に代わる教育理念の樹立、教育行政の地方分権化や学制の六・三・三・四制など独自の改革案を提唱したが、その後同年八月、内閣に新しく教育刷新委 員会(昭和二四年に教育刷新審議会と改称。)が設置されるに及んで発展的に解散した。
昭和二一年一一月三日に日本国憲法が公布され、翌二二年五月三日から施行された。そして、教育に関する基本的な理念及び諸原則を法律をもって定めようと いう意向が憲法審議の過程において表明されていたが、更に教育刷新委員会の建議を受けて、同年三月三一日、かかる法律として教育基本法(同年法律第二五 号)が公布施行された。同法では、民主的で平和的な人格の完成を教育の目的とし、教育の自主性で尊重することなどを骨子とし、これにより我が国の基本的教 育体制が確立された。日本国憲法、教育基本法などの制定に伴い、昭和二三年六月一九日に衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」を、参議院は「教育勅語等 の失効確認に関する決議」をし、政府に対し直ちにこれら詔勅の謄本を回収、排除する措置を講ずるよう要請した。
また、昭和二二年三月三一日、学校教育法(同年法律第二六号)が公布されたが(ただし、施行は同年四月一日)、同法は、小学校及び中学校においては「監 督庁の検定若しくは認可を経た教科用図書又は監督庁において著作権を有する教科用図書を使用しなければならない。」(同法二一条一項、四〇条)、「高等学 校に関する教科用図書……その他必要な事項は、監督庁が、これを定める。」(同法四九条)、「第二一条第一項……第四九条……の監督庁は、当分の間、これ を文部大臣とする。」(同法一〇六条)と規定し、高等学校の教科用図書に関する定めとして「高等学校の教科用図書は、文部大臣の検定を経たもの又は文部大 臣において著作権を有するものを使用しなければならない。」(学校教育法施行規則ー昭和二二年文部省令一一号ー五八条)とされ、ここに戦後の教科書検定制 度が発足することになった。もっとも、当時、教科書については、国定制の廃止に主たる眼目があり、自由発行制でなく検定制を採用するについての十分な論議 はなされなかった。
なお、昭和二三年七月制定公布された教育委員会法(同年法律第一七〇号。「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の制定に伴い、昭和三一年九月三〇 日限り廃止。)五〇条によって、教科書検定の事務は、都道府県教育委員会の権限に属する事項(私立学校については都道府県知事に属する。)とされたが、当 時の国内の用紙事情悪化のため、同法八六条により「用紙割当制が廃止されるまで、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣において著作権を有する教科 用図書のうちから、都道府県委員会が、これを採択する。」と定められた。右の規定及び前記学校教育法一〇六条の規定から明らかなように、戦後の教育改革に おいては、文部大臣の検定権限は、暫定的なものとされていた。
文部省は、右教科書検定制度の発足に備え、教科書制度に関する諮問機関として教科用図書委員会(昭和二四年七月に教科用図書審議会と改称。)を設け、そ の審議の結果に基づき、昭和二三年四月、教科用図書検定規則(同年文部省令第四号)を公布し、昭和二四年四月、教科用図書検定基準を文部省告示として公に した。これに先立ち、文部省は、「教科書検定に関する新制度の解説」を発表しているが、その中で、教科書につき執筆者の資格を問わないこととして検定の門 戸を広く開き、教科書執筆者の創意工夫に期待し、自由な競争によりすぐれた内容を持つ多様な教科書が確保されるべきことを強調している。

この間、文部大臣の諮問を受け教科用図書原稿を調査する機関として、教科用図書検定委員会が昭和二三年五月に設けられた。その後、同委員会は昭和二五年 五月に右教科用図書審議会と一本化され、教科用図書検定調査審議会と改組され、現在に至っている。
ところで、学校教育法二〇条の「小学校の教科に関する事項は、第一七条及び第一八条の規定に従い、監督庁がこれを定める。」との規定(中学校につき同法 三八条、高等学校につき同法四三条)にいう「監督庁」については、当分の間これを文部大臣とし(同法一〇六条)、また、学校教育法施行規則(昭和二二年文 部省令第一一号ー昭和三三年文部省令第二五条による改正前のもの)二五条によれば、「小学校の教科課程、教科内容及びその取扱いについては学習指導要領の 基準による。」(中学校につき五五条、高等学校につき五七条)と定められたが、既に文部省は、前記教科書検定制度の発足に先立つ昭和二二年三月に、新しい 教育課程の基準として学習指導要領一般編及び各教科編を作成している。しかしながら、これはかなり早い時期に作成されたものであって、その表紙にも「(試 案)」と明記され、その一般編の序論には、教育課程につき教師自身が自分で研究していく手引きである旨の記載もあった。
戦後の教育改革の中で、教育行政制度も大きな変革をみた。前記教育刷新委員会の建議を受けて、昭和二三年七月前記の教育委員会法が制定されたが、同法 は、教育行政の地方分権化のため地方自治体にそれぞれの地域の教育に関する責任行政機関として教育委員会を置き、その委員を公選制として教育行政の民主化 を図り、また、教育委員会を一般行政機関から独立した委員会とすることにより教育の自主性を確保することとした。同法五〇条二号は、都道府県委員会の事務 として「文部大臣の定める基準に従い、都道府県内のすべての学校の教科用図書の検定を行うこと」を挙げており、戦後の教育改革における教科書検定制度の在 り方として、地方の実情に応じて一般行政機関から独立した教育委員会が検定を行うこととする一方、それを文部大臣の定める基準に従って行うこととして教科 書の内容の全国的な一定の水準の確保を図るという構想が存在したのである。
(二)昭和二七年四月二八日、講和条約が発効して占領状態が終結したが、翌二八年八月、「学校教育法等の一部を改正する決律」(同年法律第一六七号)によ り教科書の検定権限は、それまで建前として都道府県教育委員会(私立学校においては都道府県知事)に属するとされていたのが改められ、恒久的に文部大臣に 属することとなった。
ところで、衆議院行政監察特別委員会は、昭和三〇年六月から一二月にかけて、教科書の不公正取引、偏向等の問題を取り上げ、証人喚問を行い、各方面か ら、検定に関与する機関、検定の手続、審査方法その他教科書を巡る制度及びその運用全般につき問題が指摘されたが、同委員会は、偏向問題に関する石井一朝 の証言等を重視し、「一部教科書のうちには事象に対する叙述の誤っているものや、教育基本法にもとり一方的見解におわっているものがあ」る等として、検定 制度の再検討を政府に要望した。一方、日本民主党は、同年二月の総選挙において、その選挙綱領の中で「文教の刷新・施設の整備・国定教科書の統一」を公約 し、同年八月から一一月にかけて「うれうべき教科書の問題」と題するパンフレット(全三集)を出版し、その第一集で、「教科書にあらわれた偏向教育とその 事例」として、「四つの偏向タイプ」すなわち、(1)教員組合をほめたてるタイプー宮原誠一編の高等学校用「一般社会」(実教出版)、(2)急進的な労働 運動をあおるタイプー宗像誠也編の中学校用の「社会のしくみ」(教育出版)、(3)ソ連・中共を礼讃するタイプー周郷博、高橋★一、日高六郎の小学校六年 用の「あかるい社会」(中教出版)、(4)マルクス=レーニン主義の平和教科書ー長田新編の「模範中学社会」三年用下巻を指摘した。
その後、同年九月には教科用図書検定調査審議会委員会の交替があり、その直後に行われた昭和三二年度用教科書の検定においては八種類の社会科教科書が不 合格となったが、なかんずく中教出版株式会社発行岡田謙監修、日高六郎、長州一二他編著「日本の社会」は当時発行部数五〇万部を超えていただけに斯界に波 紋を投じた。
このような時代的背景のもとに、中央教育審議会(以下「中教審」という。)の答申を受けて、文部省は「教科書法」案を立案した。そして、昭和三一年の第 二四回国会に「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」案とともに「教科書法」案が提出された。前者は、教育委員の直接公選を改め、地方公共団体の長が 議会の同意を得て任命するものとし、
後者は、教科書の検定、採択、発行、供給の全般にわたって法制を整備しようとするものであったが、右二法案に対しては、教育に対する国家統制の復活を促す ものであるとして、矢内原東大学長のいわゆる「十大学長声明」を初め多くの批判が出され、結局、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」は成立したも のの、教科書法は成立せず、廃案となった。しかし、文部省は、同年中に行政措置により中教審の委員を従来の一六名から八〇名に増員し、新たに同省に専従の 教科書調査官四〇名を設け、検定申請のあった教科書原稿の調査等に当たらせることとなった(昭和三一年文部省令第二六号による文部省設置法施行規則の改 正)。
教育課程の基準とされた学習指導要領は、昭和二二年作成以降本件検定処分当時までに一〇回の改訂、すなわち、(1)昭和二六年小・中学校及び高等学校用 の全面改訂、(2)昭和三〇年一二月小・中学校の社会科のみ改訂、(3)昭和三一年高等学校用のみ全面改訂、(4)昭和三三年一〇月小・中学校用の全面改 訂、(5)昭和三五年一〇月高等学校用のみ全面改訂、(6)昭和四三年七月小学校用のみ全面改訂、(7)昭和四四年四月中学校用のみ全面改訂、(8)昭和 四五年一〇月高等学校用の全面改訂、(9)昭和五二年七月小・中学校用の全面改訂及び(10)昭和五三年八月高等学校用の全面改訂(本件検定処分に適用の もの)を経由した。これらの改訂は、いずれも教育課程審議会の答申に基づくもので、昭和三三年の小・中学校の各学習指導要領改訂以降は、文部省の告示を もって公示されるようになった。また、教科用図書検定基準も同年に改訂されたが(同年文部省告示第八六号)、高等学校社会科(「地図」を除く。)の必要条 件をみると、「(内容の選択)内容には、学習指導要領の示す教科の目標および科目または学年の目標の達成に適切なものが選ばれているか。(1)教科の目 標、科目または学年の目標および学習指導要領に示す内容に照らして、必要なものが欠けていない。(2)とりあげた内容には、教科の目標および科目または学 年の目標を達成するうえに適切でないものはない。(3)注・さし絵・写真・地図・図表・問題などには、教科の目標および科目または学年の目標を達成するう えに必要なものがえらばれており、適切でないものは含まれていない。」とされており、改訂前の同基準と比較して、学習指導要領との一致を要求するものと なっている。
昭和三八年「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」(同年法律第一八二号)が成立し、小・中学校教科書の無償給与制が確立するとともに、 小・中学校の教科書については都道府県教育委員会が採択地区設定権をもち(同法一二条一項)、いわゆる広域統一採択制(同法一二条一項、一三条三項)が採 られ、文部大臣が教科書発行者を指定できるようになった(同法一八条)。
教科用図書検定調査審議会は、昭和五二年一月二六日、文部大臣に対し、「教科書検定制度の運用の改善について」建議し、これを受けて、文部大臣は、同年 九月二二日教科用図書検定規則を改正し(同年文部省令第三二号)、更に、義務教育諸学校教科用図書検定基準(昭和五二年文部省告示第一八三号)、高等学校 教科用図書検定基準(昭和五四年文部省告示第一三四号)、義務教育諸学校教科用図書検定基準実施細則(昭和五二年九月二二日文部大臣裁定)及び高等学校教 科用図書検定基準実施細則(昭和和五四年七月一二日文部大臣裁定)を定めた。右検定基準について高等学校社会科(「地図」を除く。)の必要条件をみる と、(範囲)教科用図書において取り扱う範囲は、学習指導要領に示す目標及び学習指導要領に示す内容によっていること。(1)学習指導要領に示す内容を取 り上げていること。(2)学習指導要領に示す目標及び学習指導要領に示す内容に照らして、不必要なものは取り上げていないこと。」とされており、更に一層 学習指導要領との一致を要求するものとなっている。
(三)自由民主党の機関紙「自由新報」は、昭和五五年一月二二日から同年八月一二日まで一九回にわたり、「いま教科書はー教育正常化への提言」と題する連 載記事を掲載して教科書批判のキャンペーンを展開したが、その後、同党は、教科書制度を含む戦後教育の見直しに取り組む方針を明らかにした。これと前後し て、石井一朝の「新・憂うべき教科書の問題」、森本真章らの「疑問だらけの中学教科書」、財団法人経済広報センターの「経済教育1・2」など教科書を批判 する著作が相次いで出版された。右のような批判を容れて、昭和五八年四月二四日、教科書発行業者の組織である教科書協会は、同月から全面改訂されて使用を 開始した中学校社会科「公民」を三年後に再び全面改訂することを文部省に申入れた。他方、同年七月一〇日、高等学校用教科書についての昭和五五年度の検定 結果が公表されるのと前後して、右検定は、右教科書批判を容れた厳しい運用であるとして、これに対するジャーナリズム等の批判も高まった。
こうした時代的背景のもとで、昭和五七年六月二五日に、昭和五六年度に検定申請がされ、昭和五八年度から使用予定の高等学校の社会科教科書等についての 検定の結果が発表されたが、これに対し、検定を一層強化するものであるとするジャーナリズムを中心とする国内の批判が広がるとともに、とりわけアジア諸国 からの批判も相次ぎ、問題化した。そして、同年七月二六日、中国政府から、日本の新聞の報道からみて、「侵略」、南京事件等の検定例のように、検定で日本 軍国主義が中国を侵略した事実が改ざんされ、歴史の事実が歪められているとし、これらは日中共同声明の精神等に反するので、日本政府により教科書の誤りが 正されることを切望するとの公式の抗議の申入れがあり、次いで同年八月三日、韓国政府からも同様の申入れがなされ、ここに、日中、日韓の歴史の記述を巡る 教科書検定問題は外交問題に発展した。そこで、日本政府は、同月二六日に、「歴史教科書」についての官房長官談話を発表したが、同談話は、「今日、韓国、 中国等より……わが国教科書の記述について批判が寄せられている。わが国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を 傾け、政府の責任において是正する。
」とし、更に政府による是正の内容として、「今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現する よう配慮する。すでに検定の行われたものについては、今後すみやかに同様の趣旨が実現されるよう措置するが、それまでの間の措置として文部大臣が所見を明 らかにして、前記……の趣旨を教育の場において十分反映せしめるものとする。」としている。なお、右談話中の「政府の責任において是正する」ことの意味に ついて、官沢官房長官は、同月二七日に衆議院文教委員会において「よりよいものに改めたい、こういうことでございます。」と、同年九月一四日に参議院決算 委員会において「歴史教科書の記述におきまして、アジアの近隣諸国との友好親善の精神がより適切に反映されるようにするということであると理解をいたして おります。」と答弁した。
そして、文部大臣は、同年九月一四日、教科用図書検定調査審議会に対し、「歴史教科書の記述に関する検定の在り方について」諮問し、同審議会は、同年一 一月一六日に答申を行った。文部省は、右答申に基づき、同月二四日、義務教育諸学校教科用図書検定基準及び高等学校教科用図書検定基準をそれぞれ改正し、 社会科の必要条件の[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)の中に、「(15)近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国 際協調の見地から必要な配慮がされていること。」との規定をそれぞれ追加するとともに、この基準を昭和五七年度の検定から適用することとし、また、昭和五 六年度に検定を終えた高等学校の歴史教科書について、次期改訂検定を一年繰り上げて昭和五八年度に実施することとした。更に、文部大臣は、昭和五七年一一 月二五日付の文部広報において談話を発表し、右の措置を明らかにするとともに、昭和五六年度に検定を終えた高等学校の歴史教科書については、正誤訂正の手 続によって修正することはしない旨明言した。また、文部広報の右記事は、右談話の説明として、「昨年度に検定を終えた高等学校の日本史及び世界史の教科書 は、学習上支障があるものではないので、その修正は改訂検定によって行われるものであり、正誤訂正の手続によって行われるものではないことを示す」もので あるとしている。
第二 現行教科書検定制度の概要
一 教科書の意義
教科書の意義について、法律上は、教科書の発行に関する臨時措置法(昭和四五年法律第四八号による改正後のもの。以下同じ。)二条によれば、「『教科 書』とは、小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校において、教育課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、教授の用に供せられ る児童又は生徒用図書であって、文部大臣の検定を経たもの又は文部省が著作の名義を有するものをいう。」と定義付けられている。他方、学校教育法(昭和四 五年法律第四八号による改正後のもの。以下同じ。)二一条一項、四〇条、五一条によると、小学校、中学校及び高等学校では、文部大臣の検定を経た教科用図 書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならないと定められている。
右の各規定及び後記四の検定基準と〈証拠〉に照らし考察すると、現行法制下での教科書の特質として、次のような点を指摘することができる。
1 教科書は、前記諸学校においてその授業に使用する教材の中で中心的役割を果たすべき「主たる教材」であって、他の副読本、参考書など「教科用図書以外 の図書その他の教材で、有益適切なもの」(学校教育法二一条二項)、すなわち補助教材と称されるものと区別される。
2 教科書は、右諸学校において心身ともに発達の過程にあって教育内容に対する批判能力に乏しい児童・生徒に対して教授用として使用されるものであって、 児童・生徒の発達段階に応じた適切な教育的配慮が必要である。
3 教科書は、教科の主教材としてその系統的、組織的な学習に適するように各教育課程の構成に応じて組織配列されたものでなければならず、単なる知識や技 能の羅列されたものではなく、また、学問的、学術的研究発表の場を提供するためのものでもない。
4 教科書は、右諸学校において教授に当たりその使用を義務付けられているものである。
以上の各点に公教育たる学校教育においては国民の教育を受ける権利を保障するために教育の機会均等と教育水準の維持向上が要請されるものであることなど を合わせ考えると、教科書については、その内容について一定の水準が保たれる必要があり、内容の正確性,立場の中立・公正(教育基本法八条二項にも、その 趣旨の一端が現れているといえる。)が要求されるとともに、子どもの発達段階に応じた理解能力に合わせて、教科の系統的組織的な学習に適するように、各教 科課程の構成に応じた内容の選択及び組織配列が求められるなど教育的配慮が必要であるというべきである。もっとも、戦前における教育にあっては、教科書は 暗記の対象とされ、教育とは教科書を教えるものとされていたのに対し、現在の教育制度においては、戦後の教育改革を経て、教科書も一つの教材であるとさ れ、教育についての観念も教科書をもって教えるというように変化しているということができるが(文部省調査普及局編「日本における教育改革の進展」ー甲第 二四号証ー一〇頁、昭和二六年改訂版中学校高等学校学習指導要領社会科編ー甲第四二二号証ー一一頁参照)、このことをもって、教科書についての右の教育的 配慮の要請が必要性を失ったとすることはできない。また、教育の機会均等や教育水準の維持を強調することは、教育内容の画一化をもたらし、教育を硬直さ せ、かえって子どもの個性的発達を阻害する結果を招来する虞がないわけではないけれども、このような虞があるからといって、教育内容の一定水準の保持の必 要性自体を否定することはできない。更に、小・中学生と高校生とでは、その心身発達の程度や授業内容に対する理解ないし批判能力に相当の差異が存し、他 方、高校生と大学生、とりわけ教育課程のそれとの間においては、右の点での差異は、質的に画然としたものではなく、段階的なものにすぎないといい得るが、 このことから高校生の発達段階に応じた教育的配慮の必要性が否定されるものでもない。高等学校は、小・中学校がそれぞれ「初等普通教育」・「中等普通教 育」を施すのを目的とする(学校教育法一七条、三五条)のに対して、その目的を「中学校における教育の基礎の上に心身の発達に応じて、高等普通教育及び専 門教育を施すこと」(同法四一条)としており、高等学校教育も、普通教育の一環として、高等普通教育の分野では、小・中学校教育の共通の基盤の上に立ち、 その延長線上にあるものであるから、それが義務教育に属さないとはいえ、教育の機会均等の確保のため、地域・学校別等の如何にかかわらず、全国的にある一 定の水準を維持することが強く要請されるというべきである(最高裁昭和五一年(あ)第一一四〇号同五四年一〇月九日第三小法廷判決・刑集三三巻六号五〇三 頁参照)。もとより、右のような教育的配慮が要請される教科書制度を採用するかどうかは、立法政策の問題であって、教科書が教育の教材としての図書である から直ちに右のような教育的配慮の必要性が導かれるものではないが、現行の教育関係法令は、教科書について右のような教育的配慮を要請する教科書制度を採 用しているということができ、これが憲法及び教育基本法の各規定に違反するものではないことは、後に第四において判示するとおりである。 
二 教科書検定の権限
学校教育法二一条一項は、「小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。」 と定め、この規定は、同法四〇条で中学校に、同法五一条で高等学校に、同法七六条で盲学校、聾学校及び養護学校にそれぞれ準用されている。ただし、同法一 〇七条は、「高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校並びに特殊学級においては、当分の間、第二一条第一項(第四〇条、第五一条及び第七六条において準用す る場合を含む。)の規定にかかわらず、文部大臣の定めるところにより、同条同項に規定する教科用図書以外の教科用図書を使用することができる。」と定めて いるが、これは、高等学校については検定済教科書又は文部大臣が著作権を有する教科用図書のない場合をいうのであり、この場合には、当該高等学校の設置者 の定めるところにより、他の適切な教科用図書を使用することができるものとされている(同法施行規則五八条)。
後に第四、四において詳述するように、教科書検定の権限、検定の基準、手続等について直接規定した法律の明文は存しないが、右の学校教育法の諸規定は、 小・中・高等学校等において使用する教科書が、原則として文部大臣の検定を経たいわゆる検定済教科書か、又は文部省が著作の名義を有する教科書でなければ ならないことを定めるとともに、教科書検定を行う権限を文部大臣に付与したものと解することができる。
また、文部省の職務権限を明らかにしている文部省設置法(昭和五八年法律第七八号による改正前のもの。以下同じ。)五条一項は、「文部省は、この法律に 規定する所掌事務を遂行するため、次に掲げる権限を有する。ただし、その権限の行使は、法律(これに基づく命令を含む。)に従ってなされなければならな い。」とし、右権限としてその一二号の二に「教科用図書の検定を行うこと。」を掲げており、学校教育法八八条及び一〇六条一項に基づく省令として定められ ている教科用図書検定規則(昭和五二年文部省令第三二号)において、教科書検定の具体的手続が規定されている。更に、教科書の発行に関する臨時措置法二条 一項も、「この法律において『教科書』とは、(中略)文部大臣の検定を経たもの又は文部省が著作の名義を有するものをいう。」と規定しているところであ り、以上の諸規定は、いずれも文部大臣が教科書検定の権限を有することを前提とするものと解し得るのである。
三 教科書検定の組織
1 文部大臣の補助機関
教科書検定は、文部省の所掌事務に属し(文部省設置法五条一項一二号の二)、同省内部では初等中等教育局の担当とされ(同法八条一三号の二)、更に同局 には教科書検定課が置かれ、同課において、教科用図書検定基準の作成及び改訂等初等中等教育用教科書の検定並びに教科用図書検定調査審議会(ただし教科用 図書分科会及び教科用図書価格分科会に関することを除く。)に関すること等につかさどることとされている(文部省組織令ー昭和五九年政令第二二七号による 改正前のもの。以下同じ。ー一二条)。同局には、検定申請のあった教科用図書及び通信教育用学習図書の調査に当たる者として、教科書調査官(文部省設置法 施行規則ー昭和五九年文部省令第三七号による改正前のもの。以下同じ。ー五条の二)が置かれているところ、教科書調査官は、昭和三一年一〇月の文部省令第 二六号をもって新たに設置されたものであって、その員数は、別に定める定数の範囲内でこれを置くこととされており(同施行規則五条の二第一項)、弁論の全 趣旨によると、昭和五五年度検定当時においては教科書調査官四三名であり、そのうち社会科担当の調査官は一一名で、昭和五八年度検定当時においては教科書 調査官四九名で、そのうち社会科担当の調査官は一五名であったことが認められる。そして、全調査官のうちから一四名以内の者を担当する教科を定めて、当該 教科につき調査官の事務の連絡調整に当たる主任教科書調査官とすることができるものとされている(同施行規則五条の二第三項)。
2 教科用図書検定調査審議会
教科用図書検定調査審議会(以下「審議会」という。)は、検定申請の教科用図書を調査すること等を目的として文部省に設置されたもので(文部省設置法二 七条一項)、その内部組織、所掌事務及び委員その他の職員に関しては、同条二項により政令に委任され、教科用図書検定調査審議会令(昭和五九年政令第二二 九号による改正前のもの。以下「審議会令」という。)がこれを規定している。
(一)審議会の所掌事務は、文部大臣の諮問に応じ、検定申請の教科用図書及び通信教育用学習図書を調査し、及び教科用図書に関する重要事項を調査審議し、 並びにこれらに関し必要と認める事項を文部大臣に建議することとされている(審議会令一条)。
(二)審議会には、その所掌事務を分担させるために、教科用図書検定調査分科会、教科用図書分科会及び教科用図書価格分科会の三分科会が置かれている(審 議会令六条)。
このうち教科用図書検定調査分科会は、検定申請の教科用図書及び通信教育用学習図書に関する事項を分担し、同分科会で右教科用図書の調査・審議が行われ るが、同分科会は、更に各教科を分担する第一部会から第九部会まで(日本史を含む社会科は第二部会)と、各部会の分担事項の総括的事項及びこれらの部会の 分担事項のいずれにも属しない事項に関することを担当とする総括部会とに分かれている(審議会令一〇条一項、教科用図書検定調査分科会の部会の設置および 議決事項の取扱に関する規程ー昭和四五年一二月九日教科用図書検定調査分科会決定。以下「分科会規程」という。ー一条)。また、部会においては、調査審議 の上に専門的な調査の必要があると認めるときは、小委員会を置くことができるものとされている(分科会規程二条)。
そして、検定基準の作成及び改訂その他の重要事項で、会長において審議会の議決を経る必要があるとあらかじめ認めた事項と文部大臣に対する建議に関する 事項とを除き、分科会の議決をもって審議会の議決とされ(審議会令九条、教科用図書検定調査審議会規則ー昭和三一年一月三〇日教科用図書検定調査審議会決 定。以下「審議会規則」という。ー一四条)、更に、分科会長において分科会の議決を経る必要があるとあらかじめ認めた事項に関するものを除き、部会の議決 をもって分科会の議決とするものとされている(審議会令一〇条四項、分科会規則三条)。したがって、通常、個々の教科書検定に関する右部会の合否の決定 は、すなわち審議会の決定とされ、そのまま大臣に答申されることになる。
(三)審議会の委員は、一二〇名以内とされ(審議会令二条一項)、教育職員、学識経験者及び関係行政機関の職員のうちから文部大臣が任命するものとし(審 議会令三条一項)、特別の事項を調査審議するため必要があるときは、文部大臣は、審議会の意見を聴いて、右審議会事項の継続する期間に限り、学識経験者の うちから臨時委員を任命することができるものとされている。(審議会令二条ないし四条の各二項)。審議会の委員及び臨時委員は、文部大臣の指名により、三 分科会のいずれかに分属し、各分科会に属する委員により分科会長として互選された者が、各分科会の会務を掌理するものとされている(審議会令七条、八条一 項)。各分科会に属する委員及び臨時委員をいずれの部会に所属させるかは、各分科会長の指名により決められる(審議会令一〇条二項)。なお、弁論の全趣旨 によれば、教科用図書検定調査分科会に分属する委員は、昭和五五年度検定当時は八四名、昭和五八年度検定当時は八五名であり、第二部会に所属する委員は、 昭和五五年度検定当時は一八名、昭和五八年度検定当時は一九名であったことが認められる。
また、審議会には、検定申請のあった教科用図書及び通信教育用学習図書の原稿を調査させるため、調査員が置かれ(審議会令二条三項)、専門の事項を調査 するため必要があるときは専門調査員を置くこともできる(同条四項)。右調査員及び専門調査員は、文部大臣が学識経験者のうちから審議会の意見を聞いて任 命するものとされている(審議会令三条二項)。
(四)審議会の庶務は、文部省初等中等教育局において処理するものとされ(審議会令一二条)、審議会には幹事若干名を置くが、幹事には、文部省の職員で審 議会会長が委嘱した者がなるものとされている(審議会規則一五条一項)。幹事は、会長の命を受け、審議会の会議の資料及びその結果を整理し、その他庶務を つかさどるとともに、審議会の議事の概要を記載した議事録を作成する任に当たるものとされている(同条二、三項)。そして、証人木谷雅人の証言及び弁論の 全趣旨によると、運用上、教科書調査官が幹事の委嘱を受けていたことが認められる。
四 本件各検定処分当時の検定基準
教科用図書検定規則(昭和五二年文部省令第三二号)三条は、「教科用図書の検定の基準は、文部大臣が別に公示する教科用図書検定基準の定めるところによ る。」と規定しており、右規定に基づき、文部大臣は、高等学校教科用図書検定について、高等学校教科用図書検定基準(昭和五四年文部省告示第一三四号。以 下「検定基準」という。乙第二号証)
を定め、更に検定基準第四章の規定に基づき、高等学校教科用図書検定基準実施細則(昭和五四年七月一二日文部大臣裁定。乙第三号証)を定めている。
検定基準は、全教科に共通な三項目の基本条件と各教科別に定められた必要条件から成り立ち、その内容は次のとおりである。
1 基本条件
教科用図書原稿が、以下の各項目を充たしているかどうか審議するもので(検定基準第一章)、このいずれかを欠くときは、当該原稿は教科書として絶対的に 不適格となる性質のものである。
「1(教育の目的との一致)
教育基本法に定める教育の目的、方針などに一致していること。また、学校教育法に定める高等学校の目的及び教育の目標に一致していること。
2(教科の目標との一致)
学習指導要領に示すその教科の目標に一致していること。
3(取扱い方の公正)
政治や宗教について、その取扱い方が公正であること。特定の政党や宗派又はその主義や信条に偏ったり、それらを非難したりしていないこと。」
2 必要条件
教科用図書原稿が、以下の各項目に照らし適切であるかどうかを審査するもので(検定基準第一章)、各教科ごとに定められ、これに適合しないときは欠陥の ある教科書とされるが、基本条件を充たさないときのように絶対的に不適格となる性質のものではない。その内容は、実質的には各教科ほぼ共通であるが、社会 科(「地図」を除く。)の場合は次のとおりである。
「[教科用図書の内容とその扱い]
1(範囲)
教科用図書において取り扱う範囲は、学習指導要領に示す目標及び学習指導要領に示す内容によっていること。
(1)学習指導要領に示す内容を取り上げていること。
(2)学習指導要領に示す目標及び学習指導要領に示す内容に照らして、不必要なものは取り上げていないこと。
2(程度)
程度は、生徒の心身の発達段階に適応していること。
(1)本文、問題、資料、注などには、生徒の能力からみて、程度が高過ぎるところ又は低過ぎるところはないこと。
(2)さし絵、写真、地図、図、表などには、生徒の能力からみて、理解が困難なものはないこと。
3(選択・扱い)
選択及び扱いは、学習指導を進める上に適切であること。
(1)本文、問題、資料などの選択及び扱いには、学習指導を進める上に支障を生ずるおそれのあるところなどの不適切なところはないこと。
(2)学習指導を進める上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。
(3)本文、問題、資料、さし絵、写真、注、地図、図、表などは、いたずらに網羅的・羅列的になることなく、精選されていること。
(4)全体の扱いは調和がとれており、特定の事項を特別に強調し過ぎているところはないこと。
(5)統計などの資料は、信頼性のあるものが選ばれていること。
(6)本文、問題、資料、さし絵、写真、注、地図、図、表などにおいて、生徒の生活や経験及び興味や関心に対する配慮がなされており、自主的・自発的な学 習をするように指導する上にも適切であること。
(7)現代の社会生活や科学技術の進歩に対応したものが、生徒の発達段階に即し、必要に応じ適切に選ばれていること。
(8)他の教科及び科目並びに特別活動との関連が必要に応じて配慮されており、これらにおける指導との矛盾や不必要な重複はないこと。
(9)心身の健康や安全について必要な配慮を欠いているなど、学校教育全般の方針や慣行に反しているところはないこと。
(10)健全な情操の育成について必要な配慮を欠いているところはないこと。
(11)特定の地域だけに適するようになっていないこと。
(12)目次、索引、凡例などは、必要に応じて適切なものが用意されていること。
(13)引用された資料には、必要に応じて出所や出典が示されていること。
(14)特定の営利企業、商品などの宣伝や非難になるおそれのあるところはないこと。

(15)近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。(但し、この項は、昭和五七年文 部省告示一五一号による改正に伴い、追加されたものである。)
4(組織・配列・分量)
組織、配列及び分量は、学習指導を有効に進める上からみて、適切に考慮されていること。
(1)全体として系統的・発展的に組織されていること。
(2)本文、問題、資料などの配列や関連は適切であること。
(3)さし絵、写真、注、地図、図、表などの位置及びこれらと本文との関連は適切であること。
(4)組織及び配列において、不統一や無用の重複のないこと。
(5)分量及び配分は適切であること。
(6)全体の分量は、学習指導要領に示す標準単位数に対応する授業時数で、ゆとりをもって指導できるものであること。
[教科用図書の内容の記述]
1(正確性)
誤りや不正確なところはないこと。また、一面的な見解だけを、十分な配慮なく取り上げているところはないこと。
(1)本文、資料、さし絵、注、地図、図、表などに誤りや不正確なところはないこと。

(2)本文、資料、さし絵、注、地図、図、表などに相互に矛盾しているところはないこと。
(3)一面的な見解だけを十分な配慮なく取上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述していたりするところはないこと。
(4)誤植、脱字などはないこと。
2(表記・表現)
文章、さし絵などの表現に冗長又は粗雑なところなどはないこと。また、漢字、用語などの表記は適切であり、これらに不統一はないこと。
(1)語句、文章、さし絵、写真、地図、図、表などには、生徒がその意味を理解するのに困難であったり、誤解したりするおそれのある表現はないこと。
(2)文章は冗長又は拙劣でないこと。また、さし絵、地図、図などは粗雑でないこと。

(3)漢字、仮名遣い、送り仮名、ローマ字つづり、用語、記号などの表記は適切であり、これらに不統一はないこと。
[教科用図書の体裁]
判型、分冊、印刷、製本などは適切であること。
(1)判型及び分冊は適切であること。
(2)表紙、見返しなどの図書の各部の表示は適切であること。
(3)文字、図版、写真などの印刷は鮮明であること。
(4)文字の大きさ、字間・行間及び書体は適切であること。
(5)用紙並びに製本の様式及び材料は適切であること。
(6)その他の体裁に欠陥はないこと。
[創意工夫]
学習指導要領に示す目標を達成する上において、教科用図書として適切な創意工夫が認められること。
(1)教科及び科目の目標とする能力や態度を育成する上に適切な創意工夫が認められること。
(2)精選が十分なされており、基礎的・基本的事項の理解や修得の徹底を図る上に適切な創意工夫が認められること。
(3)選択、扱い、組織、配列、表現などに適切な創意工夫が認められること。」
五 教科書検定の手続と運営
教科書検定の手続については、教科用図書検定規則(昭和五二年文部省令第三二号。以下「検定規則」という。)がこれを規定するほか、その実施細目として 「教科用図書検定規則の実施の細目」(昭和五四年文部省初等中等教育局長通知。以下「実施細目」という。乙第五号証)が定められている。
1 検定の種類
検定には、新たに編修された図書について行う「新規検定」と、検定を経た図書の改善を図るために加えられた個々の改訂箇所について行う「改訂検定」とが あるが(検定規則四条)、検定を経た後に改訂を加えた図書のうち、その改訂がページ数の四分の一以上にわたる図書については、新たに編修したものとみなさ れ、新規検定の申請を行うものとされている(検定規則六条二項、三項)。
以下においては、まず新規検定の手続と運営についてこれをみることとし、後記5において改訂検定の手続と運営について特にこれが新規検定と異なる点をみ ることとする。
2 検定の受理
検定規則は、「図書の著作者又は発行者は、その図書の検定を文部大臣に申請することができる。」(六条一項)、「第一項の申請を行うことができる図書の 種目並びに各年度において申請を行うことができる図書の種目及び期間は、文部大臣が別に定める。」(同条四項)と規定しているところ、〈証拠〉を総合する と、次の事実を認めることができる。
文部省は、各年度において申請を行うことができる図書の種目及び期間を定めるについて、教科書発行業者の組織である社団法人教科書協会を通じてあらかじ め検定申請予定者の意見を徴した上で、その年度に検定を受理する種目及び受理の時期等の事項について検定受理計画を立て、これを遅くとも当該年度の前年度 の一一月頃までに告示し、教科書発行業者に示すこととしている。このようにして定められた受理計画に基づき、各発行者は、教科書を編修して検定申請を行う こととなるが、その検定、採択、使用開始は、三年周期で行われている。
更に、初等中等教育局長は、教科書発行業者あてにあらかじめ小・中・高等学校別の検定申請上の必要事項を書き送り、審査に必要な書類(原稿本及び添付書 類)等を通知しているが、その中で、検定申請の際、原稿本の編修趣意書を添付すべきこととしている。これは、学習指導要領に示された内容と原稿内容とを対 比できるように示すとともに、編修上特に意を用いた点や特色などの編修上の配慮事項を記載することになっているものである。
次に、検定規則五条によれば、教科用図書の検定は、原稿本審査、内閲本審査及び見本本審査を経て行うこととされているところ、新規検定の際、申請者から 提出する原稿は、著作者又は発行者が誰であるかにとらわれることなく、審査を公正にするため、著作編修関係者の氏名、発行者の氏名、発行者のマーク、発行 者を表すカット又は図書の名称が記載されていない白表紙のもの(通常これを白表紙本と呼んでいる。)を提出すべきものとされている。
3 審査
〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一)原稿本審査
(1)誤記、誤植又は誤字に関する審査(検定規則八条、実施細目一章二節)
文部大臣は、教科用図書原稿の検定申請の受理後、申請者立合いの下に、原稿本から無作為抽出により連続する一〇ページを選定して誤記、誤植又は誤字に関 する審査を行い、その中に、国語科及び外国語科については五箇所、その他については日本工業規格A列五番の図書で一〇箇所、日本工業規格B列五番の図書で 一五箇所を超えて、客観的に明白な誤記、誤植又は誤字が存在するときは、原稿本審査手続を停止し、その旨を申請者に通知する。通知を受けた者が、一定期間 内にその原稿本に必要な修正を加えた後、再提出しなければ、文部大臣は、審議会の議を経て、検定審査不合格の決定を行うことができる。
(2)原稿本の調査
右の審査の後、文部大臣は、申請に係る教科用図書原稿について、教科用として適切であるかどうかを審議会に諮問する(検定規則九条一項)。「教科用図書 検定審査内規」(昭和五三年六月一五日教科用図書調査審議会決定。乙第七号証)によれば、原稿本の調査は調査員及び教科書調査官が行うものとされており、 文部大臣から申請原稿本について諮問があると、直ちに調査員及び教科書調査官にそれぞれ調査依頼がされる。
申請原稿本が高等学校の日本史である場合には、社会科担当の全調査官(前認定のとおり昭和五五年度当時一一名、同五八年度当時一五名)の調査に付され、 各調査官の調査後、右全調査官により調査官会議において調査の結果を検討し、各原稿本ごとに決められた主査及び副査がその結果をまとめて、各申請原稿本に つき調査意見書及び評定書を作成する。他方,あらかじめ各都道府県教育委員会や大学から推薦された者の中から無作為抽出により各申請原稿本につき調査員三 名(大学教授等の専門学識者一名、教員等二名)が選ばれ、それぞれが同一の申請原稿本につき調査した上、各自調査意見書及び評定書を作成する。

(3)検定合否の判定
審議会は、右教科書調査官及び調査員の調査意見書及び評定書に基づき、申請原稿本の合否を判定することになるが、その手続は、以下のとおりである。 
高等学校の日本史の教科用図書原稿については、審議会の第二部会(社会科)が、まず日本史小委員会を開き、そこで審議を行う。同小委員会では、前記調査 意見書及び評定書について審議会の幹事である教科書調査官から報告が行われ、右調査の結果に基づき、審議を行う。小委員会の審議が終了すると、第二部会が 開かれ、同部会では、小委員会の審議の結果について報告が行われた後、審議が行われ、教科用図書原稿の合否が決せられる。
そして、通常は部会の議決をもって分科会及び審議会の議決とするものとされているので、第二部会の審議の結果が、審議会の審議の結果となる。
合否の判定は、前記「教科用図書検定審査内規」に従って行われるのであるが、その内容は、次のとおりである。
「第一 新規検定の申請に係る原稿本の調査及び合格又は不合格の判定について
1 原稿本の調査
(1)原稿本の調査は、受理単位ごとに行う。
(2)調査は、調査員及び教科書調査官(以下「調査者」という。)が行う。
(3)調査を行う調査員の数は、同一の原稿本について原則として三人とする。
2 原稿本の合格又は不合格の判定
教科用図書検定調査審議会(以下「審議会」という。)は、調査者の調査に基づき、次により合格又は不合格を判定する。
(1)基本条件の判定方法
調査者の調査の結果を検討し、三項目のそれぞれについて合否を判定する。
(2)必要条件の判定方法
調査者の調査の結果を検討し、次の方法により合否を判定する。
ア 別表1の評定尺度により、創意工夫の項目以外の各項目の調査結果に一つでも「×」の評定記号があれば、「否」と判定し、その他の場合には、イ以下に定 めるところによる。
イ 創意工夫の項目以外の項目については、総点一〇〇〇点を別表3のとおり配点し、別表1の評定記号に応じて、別表4により評点を算定する。
ウ 創意工夫のの項目については、別表2の評語に応じて別表5により評点する。
エ 上記イ及びウの評点の合計が八〇〇点以上のものは「合」と判定し、八〇〇点に達しないものは「否」と判定する。
(3)原稿本に対する合格又は不合格の総合判定
基本条件の三項目及び必要条件がいずれも「合」と判定されたものは「合格」とする。その他のものは「不合格」とする。
別表1~5
3 原稿本審査合格の条件として付する修正意見等の指摘
審議会は、原稿本を「合格」と判定した場合、これに訂正、削除又は追加などの措置をしなければ教科用図書として不適切であると認められるときは、これを 修正意見として指摘し、必要な修正を加えることを「合格」の条件とする。
なお、修正意見として指摘するには至らないが、訂正、削除又は追加などの措置をした方が教科用図書としてよりよくなると認められるときは、これを改善意 見として指摘する。
4 原稿本審査の不合格理由の指摘
審議会は、原稿本を「不合格」と判定した場合、欠陥箇所及びその理由を検定基準の項目に従って指摘する。
第2 改訂検定の申請に係る原稿本の調査及び合格又は不合格の判定について
1 原稿本の調査は、調査者が行う。ただし、特に必要と認められる場合のほかは、調査者の調査を欠くことができる。
2 審議会は、調査者の調査の結果を検討し、個々の改訂箇所ごとに合格又は不合格を判定する。
3 第1の3(原稿本審査合格の条件として付する修正意見等の指摘)及び4(原稿本審査の不合格理由の指摘)の規定は、改訂検定に準用する。この場合にお いて、「原稿本」とあるのは「個々の改訂箇所」と読み替えるものとする。
第3 修正意見に対する意見の申立てに関する調査及び認否の判定について
1 修正意見に対する意見申立書の調査は、教科書調査官が行う。
2 審議会は、教科書調査官の調査の結果を検討し、申し立てられた意見の認否を判定する。
創意工夫の項目の評点
評語 普 良  良上 優  優上 秀
評点 0 10 20 30 40 50
第4 不合格となるべき理由に対する反論書の提出があった場合における原稿本の合格又は不合格の再判定について
1 不合格となるべき理由に対する反論書の調査は、教科書調査官が行う。
2 審議会は、教科書調査官の調査の結果を検討し、反論の認否を判定する。
3 反論の一部又は全部について認める場合は、第1の2及び第2の2により改めて合格又は不合格を判定する。また、反論の全部について認めない場合は、 「不合格」と判定する。」
更に、右内規の実施細目として、「教科用図書検定審査内規の実施に関する細目」(昭和五三年六月一五日教科用図書検定調査審議会決定。甲第八八号証末尾 参照。)が定められているが、その内容は、次のとおりである。
「第1 原稿本の調査について
「教科用図書検定審査内規」(昭和五三年六月一五日決定。以下「内規」という。)の第1の1の原稿本の調査を行うに当たっては、次の箇所を指摘するものと する。
1 欠陥と判断される箇所で、原稿本に訂正、削除又は追加などの措置をしなければ教科用図書として不適切であると判断されるもの(以下「修正意見相当箇 所」という。)
2 修正意見相当箇所として指摘するには至らないが、原稿本に訂正、削除又は追加などの措置をした方が教科用図書としてよりよくなると判断されるもの(以 下「改善意見相当箇所」という。)
第2 原稿本の合格又は不合格の判定について
1 内規の第1の2の(2)により、必要条件の合否を判定するに当たっては、必要条件の項目ごとに次により評定記号を求めるものとする。
(1)項目ごとに、修正意見相当箇所の欠陥の程度に応じ、次の表により欠陥の点数を求め、それを合計して欠陥の総点数(以下「項目点」という。)を算出す る。
欠陥の点数
欠陥の程度が普通である箇所  5
欠陥の程度が軽微である箇所  1
ア 欠陥の程度が「普通である箇所」及び「軽微である箇所」の中間であると判断されるものについては、その程度に応じ、欠陥の点数を両者の中間の点数とす ることができる。


イ 欠陥の程度が大きなものについては、その程度に応じ、欠陥の点数をこの表の2倍、3倍などとすることができる。
ウ 同一の欠陥と判断される箇所が繰り返してあるときは、それらの箇所を一括して一つの欠陥とし、その程度に応じて欠陥の点数を求めることができる。
エ(省略)
オ 修正意見相当箇所のうち、その欠陥が制度の改正その他やむを得ない事情に基づくものであって、申請者の責任とすることが適切でないと認められるものに ついては、欠陥の点数としては算出しないものとする。
(2)前項により算出した項目点のその図書のページ数に対する割合に応じ、次の表により項目別に評定記号を求める。
(図一)
(3)次の各項の一に該当する場合には、前項により評定記号を求めた結果について調整を行う。この場合、前項により求めた評定記号より一段階下のものに調 整することを原則とする。
ア 修正意見相当箇所による評定の結果が当該評定記号にようやく達してはいるが、改善意見相当箇所の数が多いため、総合的に判断してその評定記号に決定す ることが著しく不適切であると認められる場合
イ アの場合のほか、改善意見相当箇所数が非常に多い場合など、総合的に判断して、修正意見相当箇所のみによる評定によっては評定の結果が著しく不適切に なると認められる場合
(注)前2項の改善意見相当箇所のうちには、その欠陥が制度の改正その他やむを得ない事情に基づくものであって、申請者の責任とすることが適切でないと認 められるものは、含めないものとする。」
右内規及び内規の実施に関する細目によれば、要するに、検定の際の評定は、基本条件については、「合」「否」いずれかに判定し、また、必要条件について は、検定基準所定の項目のうち創意工夫の項目を除く各項目について別表1所定の七つの評定尺度によって検討したうえ、欠陥度の最も高い「×」記号が付され た項目が一つでもあるときは他がいくらよくてもその項目の欠陥だけで「否」と判定し、「×」記号が付された項目がないときは、創意工夫を除く項目につい て、総点を一〇〇〇点とし、これを別表3のとおり配点して、別表1の評定記号に応じて別表4により評点し、創意工夫の項目について別表5により評点し、双 方の評点の合計が八〇〇点以上のものを「合」と右の点の未満のものを「否」と判定するものとされ、更に、申請原稿本に対する合格又は不合格の総合判定は、 基本条件の三項目及び必要条件のいずれもが「合」と判定されたものを合格と判定するほか、原稿本に更に訂正、削除又は追加などの措置をしなければ教科用図 書として不適切であると認められる事項がある場合は、これを「修正意見」として指摘し、原稿本に必要な修正を加えることを合格の条件とすることができるも のとされている。また、修正意見として指摘するには至らないが、訂正、削除又は追加などの措置をした方が教科用図書としてよりよくなると認められる事項が ある場合は、これを「改善意見」として指摘するか、これは、修正するかどうかを最終的には申請者の意思に委ねるものであり、改善意見に従った修正をしなく ても検定不合格となるこはないとされるが、検定実務上、改善意見に従った修正を拒否する場合には、拒否理由書の提出が求められている。
なお、証人木谷雅人の証言によると、従前検定実務においては、修正意見に当たるものをA意見、改善意見に当たるものをB意見と呼び、B意見の中に、評定 記号の決定に当たり、減点の対象とされるいわゆる「欠陥B」と、減点の対象とはされないが修正した方がよりよくなるいわゆる「ベターB」との区別がされて いたが、本件検定当時には、改善意見についてかかる区別はされていなかったこと、但し、改善意見が相当箇所にわたる場合には、評定記号の決定に当たりこれ を斟酌し、評定記号を一段階下のものとする場合もあることが認められる。
(4)文部大臣への答申と文部大臣の決定
証人木谷雅人の証言及び弁論の全趣旨によると、審議会の審議結果は、申請原稿本の合格・不合格の判定及び修正意見の指摘をして、文部大臣に対し、答申さ れること、文部大臣は、審議会の答申に基づき、原稿本審査合格(原稿本審査合格の条件として修正意見を付したものを含む。)又は検定審査不合格の決定を行 い、その旨を申請者に通知する(検定規則九条一項)が、この場合、文部大臣は、審議会の意見を尊重し、その答申どおり合格(合格の条件として修正意見を付 したものを含む。)又は不合格の決定をするのが通例であることが認められる。
なお、新規検定の申請にかかる教科用図書原稿について、検定審査不合格の決定の通知を受けた申請者は、その原稿に必要な修正を加えた上、不合格となるべ き理由を通知した日の翌日から起算して原則として七五日以内に再申請することができる(検定規則一二条、実施細目一章四節第二)。
(5)理由の告知
文部大臣が、原稿本審査合格の条件として修正意見を付する合格(以下「条件付合格」という。)又は検定申請不合格の決定を行う場合には、当該決定の理由 を申請者に告知することとしており、教科書調査官がその任に当たっている。すなわち、証人木谷雅人の証言及び弁論の全趣旨によれば、教科書調査官は、申請 者に対し、条件付合格の場合には、口頭をもって修正意見・改善意見の付された箇所全部につき逐一告知し、不合格の場合には、事前に不合格理由の総括的な概 要及び個々の欠陥の主なものを記載した文書を交付するとともに、口頭で補足説明を行うこと、また、右の口頭告知の際、調査官の説明を正確に録取することが できるように、速記、録音機などの使用が許されることが認められる。

(6)意見申立手続
教科書検定制度においては、申請者に次のような意見申立手続を設けている。
第一に、条件付合格の通知を受けた者は、修正意見の内容に異議のある場合には、右通知のあった日の翌日から起算して一五日以内に当該修正意見に対する意 見申立書を文部大臣に提出することができ、右意見申立書の提出があった場合において、文部大臣は、審議会の議を経て、申し立てられた意見を相当と認めると きは、当該修正意見を取り消すものとしている(検定規則一〇条)。
第二に、文部大臣は、検定審査不合格の決定を行おうとするときは、事前に検定審査不合格となるべき理由を申請者に通知し、右通知を受けた申請者は、通知 のあった日の翌日から起算して二〇日以内に反論書を文部大臣に提出することができる。右反論書の提出があったときは、文部大臣はこれを添えて当該原稿本に ついて、再び審議会に諮問し、その答申に基づいて原稿本審査合格(条件付合格を含む。)又は検定審査不合格の決定を行うものとしている(検定規則一一 条)。
なお、検定申請不合格処分に対し行政不服審査法六条に基づく異議の申立てが許されることはいうまでもない。
(二)内閲本審査(検定規則一三条、実施細目一章三節第二)
条件付合格の通知を受けた者は、内閲本審査願書とともに原稿本に修正意見に従った修正を加えた内閲本を文部大臣に提出する。内閲本では、修正意見ないし 改善意見に従った修正のほか、誤記、誤植、脱字又は誤った事実の記載を発見したときの修正、客観的事情の変更に伴い、明白に誤りとなった事実の記載を発見 したときの修正、表記の統一を行う修正等の場合に自己修正を加えることができるとされている。なお、前記(一)(6)の修正意見に対する意見の申立てが行 われている場合には、とりあえず、その箇所に「意見申立中」と赤色で付記して内閲本を提出することができ、申し立てられた意見を相当と認めない旨の通知が あったときに、その時点で修正意見に従った修正を行うものとされ、意見申立てをしても内閲本審査手続には支障がないように配慮されている。また、証人木谷 雅人の証言及び弁論の全趣旨によれば、改善意見に従った修正を行わない場合には、修正を拒否する理由について記載した書面を提出することを求めるのが通例 であること、内閲本審査は、右の内閲本について主として教科書の内容につき再審査を行うものであって、審査に当たっては、申請者の意見申立てを検討して修 正意見を取り消す場合や、修正された箇所につき適切でないと認めて再考を促すこともあること、また、申請者の行った修正が審議会の意見に従ったものである と認められるか否かの判断については教科書調査官がその任に当たるのが通例であるが、審議会が申請者の行った修正内容の当否について再審査することもある ことが認められる。
(三)見本本審査(検定規則一四条、実施細目一章三節第三)
見本本審査は、教科書検定の最終段階部分であって、申請者に実際の教科書と同一の造本を施したものを提出させ、内容はもとより表紙、奥付、印刷、造本等 全般にわたって教科用図書として必要な要件を備え完成されたかどうかについて審査を行うものである。
(四)審査期間
検定関係法令中には、検定のいずれの段階の審査についても一定の期間内にこれを終了すべき旨を定めた規定はない。
他方、申請者については、原稿本審査合格の条件として修正意見が付されていない場合には、四月一日から七月三一日までの間に受理した図書(以下「前期受 付本」という。)については、原稿本審査合格の通知を受けた日の翌日から起算して七〇日以内に、八月一日から三月三一日までの間に受理した図書(以下「後 期受付本」という。)については、原稿本審査合格の通知を受けた日の翌日から起算して六〇日以内にそれぞれ見本本を提出すべき旨、原稿本審査合格の条件と して修正意見が付されている場合には、原稿本審査合格の通知を受けた日から起算して前期受付本については三〇日以内、後期受付本については原則として二〇 日以内にそれぞれ内閲本を提出し、更に内閲本審査終了の通知を受けた日の翌日から起算して四〇日以内に見本本を提出すべき旨定められている(実施細目一章 三節第二、第三)。
4 発行・採択
以上の三段階の審査に合格した教科用図書原稿は、検定済教科書となり、文部大臣により官報にその名称、判型、ページ数、目的とする学校及び教科の種類、 検定の年月日、著作者の氏名並びに発行者の氏名及び住所が告示される(検定規則二〇条二項)。発行者は、毎年、文部大臣の指示する時期に、発行しようとす る教科書の書目を文部大臣に届け出るものとし、この届出に基づき文部大臣は、教科書目録を作成して都道府県の教育委員会に送付するものとされている(「教 科書の発行に関する臨時措置法」四条、六条一項)。証人木谷雅人の証言によると、右文部大臣の指示する時期は、通常その年の四月一日から一〇日間とされて いること、また、発行者による右届出は、検定合格済図書についてのみならず、届出時には現に検定申請中のもので既に原稿本審査に合格しているものについて も、これをすることが認められており、採択には支障がないように配慮されていることがそれぞれ認められる。
都道府県教育委員会は、右教科書目録に基づきそれぞれ教科書展示会を毎年文部大臣の指示する時期に開催する(同法五条一項)が、発行者は、同法四条によ る届出済みの教科書に限りその見本を出品することができる(同法六条三項)。なお、証人木谷雅人及び同小原大喜男の各証言によれば、教科書展示会は、毎年 七月一日から約一〇日間開催されるのが通例であること、見本本審査合格が遅れて、右教科書展示会への出品が間に合わないと、事実上採択を受けることが不可 能となることが認められる。
そして、教科書目録の検定済教科書の中から、採択権者である各教育委員会(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」二三条六号)によって使用される べき教科書の採択が行われ、翌年度から学校で使用されることになるのである。
5 改訂検定の手続
改訂検定とは、検定済教科書の改善を図るために加えられた個々の改訂箇所について行う検定をいうが、改訂がページ数の四分の一以上にわたるものについて は、新たに編修されたものとみなして、新規検定の手続によることとされていることは、前記1のとおりである。〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めること ができる。
改訂検定申請の場合の原稿は、新規検定の場合のように白表紙本を提出するのではなく、既存の検定済教科書をそのまま用いて、改訂を加えようとする各箇所 に、改訂文、改訂を加えようとするさし絵等を記載した別紙を、新旧の区別が明らかに対照できるように貼付し、更に、書き換え、挿入、削除、移動、置き換え 等記述内容にわたる改訂については「赤色」付せんを、それ以外のものについては別の色の付せんを貼付して作成することとされ、これを改訂理由書等の添付書 類とともに提出して改訂検定の申請をするものとされている。
改訂検定の申請があると、まず調査官の調査に付されることは、新規検定と同様であるが、特に必要と認められる場合を除き、調査員の調査は省略することと されている。審議会は、調査官の調査の結果に基づき申請原稿本を検討し、その合否を判定するのであるが、その審査は、改訂を加える個々の箇所ごとに検定基 準に照らしてその適否を判断し、合否の決定も個々の改訂箇所ごとに行うこととされている。
以上のほかは、新規検定の手続及び運営とほぼ同様である。
6 正誤訂正手続
正誤訂正手続は、検定済教科書の記述について、訂正を要するものがあるときに、これを行うための手続として、昭和五二年の検定規則の改正(同年文部省令 第三二号)により設けられたものである。すなわち、検定済教科書について、(一)誤記、誤植、脱字又は誤った事実の記載があることを発見したとき、(二) 客観的事情の変更に伴い、明白に誤りとなった事実の記載があることを発見したとき、(三)統計資料の更新を必要とするとき又は(四)その他学習を進める上 に支障となる記載で緊急に訂正を要するものがあることを発見したときのいずれかに該当する場合には、発行者は、文部大臣の承認を受け、必要な訂正を行わな ければならないとされている(検定規則一六条)。証人木谷雅人の証言によれば、正誤訂正手続は、検定手続と異なり、審議会の議を経ないで文部大臣の判断に より、教科書の記述の変更を承認するものであって、正誤訂正の事由に該当するか否かの判断については、教科書調査官がその任に当たっていることが認められ る。
第三 本件各検定の経過
一 昭和五五年度検定について
1 昭和五五年度検定の経緯につき、次の事実は、当事者間に争いがない。
三省堂が、昭和五五年九月五日付で文部大臣に対し、原告の執筆に係る「新日本史」原稿について従前の教科書の全面改訂を内容とする新規検定の申請を行っ たところ、これに対し、文部大臣は、翌年一月二六日付で合計約四二〇項目にわたる修正意見又は改善意見を付した条件付合格の決定をし、同年二月三日前後の 二日間にわたり、教科書調査官から、合計約一一時間をかけて、右修正意見及び改善意見が伝達された。
三省堂は、同月一八日、修正意見を付されたもののうち二箇所について、「修正意見に対する意見申立書」(甲第五号証)を提出して、意見の申立てをしたと ころ、文部大臣は、同年三月六日、そのうち一箇所については意見申立てを認め、一箇所についてはこれを認めないとの決定をし、その旨を三省堂に通知した (甲第六号証)。
三省堂は、同年三月九日付で文部大臣に対し、内閲本審査願書と内閲本を提出し、その際、一部の改善意見について修正に応じ難いとする拒否理由書(甲第八 号証)を提出した。内閲本提出後、内閲本審査が行われ、数次にわたって教科書調査官と三省堂編集者ないし原告との間で意見の伝達・聴取が行われ、同年五月 一六日、内閲本審査合格となった。その間、三省堂は、同年四月一四日に再度改善意見に対する拒否理由書(甲第九号証)を提出し、同月二〇日にも同様の書面 (甲第一〇号証)を提出した。
その後、三省堂は見本本を提出し、同年七月八日、見本本審査合格となった。
2 右の争いのない事実と〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。
(一)原稿本審査
三省堂から検定申請された原稿本(甲第一号証)は、直ちに社会科担当の教科書調査官及び三名の調査員の調査に付されたが、右調査の主査は時野谷滋主任調 査官で、副査は森茂暁調査官であった。文部大臣は、昭和五五年一〇月一六日、右原稿本について、教科用図書として適切であるかどうかを審議会に諮問した。
同年一二月下旬までに、右各調査員からそれぞれ調査評定結果の回答があったが、その評定点数は、それぞれ創意工夫点を加え九五〇点、八六四点及び八六八 点で、その評定結果は、三名とも合格であった。また、昭和五六年一月上旬ころ、日本史関係の調査官会議が、次いで社会科担当調査官全体の会議がそれぞれ開 催され、社会科担当の全調査官の検討の結果、約四〇〇項目にわたる欠陥が指摘されたが、評定点数は、創意工夫点を加え八一六点となり、条件付合格が相当と された。
同月一九日、日本史小委員会が開催され(総員四名、出席者四名)、調査員及び調査官の各調査意見書及び各評定書が提出されるとともに、主査である時野谷 主任調査官からこれらの説明が行われ、審議の結果、条件付合格が相当とされた。更に、同月二二日、第二部会(社会科)が開催され(総員一八名、出席者一三 名)、日本史小委者員会の委員長小島鉦作から同委員会の審議結果が報告され,同部会における審議の結果、修正意見及び改善意見相当のもの合計約四二〇項目 の欠陥が指摘されたが、評定点数は、創意工夫点を加え八四六点となり、条件付合格と判定された。
そして、同日、本件原稿本につき審議会会長名取★二から文部大臣に対し、右修正意見を付し条件付合格と判定する旨の答申がされ、これに基づき文部大臣 は、同月二六日、右答申どおり条件付合格の決定をし、同年二月三日、文部省において、時野谷調査官を通じて、条件付合格決定通知書(甲第三号証)が三省堂 従業員に交付された。 
右通知書の交付に引き続き、同日及び翌四日の二日間にわたり、時野谷調査官及び森調査官から、原告、三省堂従業員の小原大喜男及び近藤登彦並びに編集協 力者の青木美智男及び吉田夏生に対し、修正意見及び改善意見の付された箇所及び理由を原稿本に転記したものに基づいて、口頭をもって右合格条件等が告知さ れた。右告知については、これを録音機により録音することが認められた。これに先立ち、原告は、同年一月三〇日、三省堂を通じて、文部大臣に対し、意見の 付された箇所等の口頭告知に代えて、検定処分にかかわる文書のコピーを求める申入れ(甲第四号証)をしたが、これは受入れられなかった。なお、右条件等の 告知においては、教科書調査官の告知に不明確な点があるときは、適宜、その場において、原告、三省堂従業員又は編集協力者から質問等によりその趣旨を確認 することができたし、後日、電話又は教科書調査官との面接を通じて確認することもできた。
(二)内閲本審査
昭和五五年度検定における内閲本提出期限は、昭和五六年二月二三日とされていたが、修正指示が多数に及んだため、三省堂において十分に対応することがで きなかったこともあって、同月二一日、三省堂から右期限を三月七日まで延期するよう求める内閲本提出期願が提出された。
同月九日に内閲本が提出された後、教科書調査官と三省堂従業員との間で、同年三月二三日から二五日までの三日間にわたり、いわゆる内閲調整と呼ばれる内 閲本の修正を巡る折衡が行われた(なお、内閲本審査段階での教科書調査官の指示又は意見については録音が認められておらず、三省堂従業員は、筆記によって 録取している。)。右内閲調整において、文部大臣の修正指示に沿った修正がいまだなされていないことを理由として教科書調査官から再度の修正指示がなされ たが、その数が多かったため、三省堂は、その対応に手間取り、同年四月一四日に至り、文部大臣に対し、再度修正を加えた内閲本を提出した。
この間、教科書調査官は、三省堂従業員に対し、内閲本の提出を幾度か電話で催促した。原告は、同日、三省堂従業員を通じて、重ねての修正要求を拒否する理 由書(甲第九号証)
を、更に同月二〇日にも、同様の書面(甲第一〇号証)をそれぞれ提出したが、右各理由書の冒頭には、「改善意見は検定に関する法令規則によれば、修正しな くても検定手続を完了する上になんらさしつかえないはずです。改善意見の理解にくいちがいがあったとすれば、そのかぎりでは著者として再検討を加えます が、学問的、教育的配慮の当否にわたるものにあっては、結局は見解の相違というほかなく、そのような論争に応ずる法律上の義務は存しないはずですから、そ の類の事項について、これ以上修正を求めて手続きを遅滞させることは職権乱用のきらいなしとしません。」旨記載されている。その後、同月二〇日及び二一日 の二日間にわたり、教科書調査官と三省堂従業員との間で、同月二七日には教科書調査官と原告との間で、右拒否理由書を巡り折衝が行われた。更に、同月三〇 日、同年五月四日及び六日に教科書調査官と三省堂従業員との間で折衝が行われ、実質的にはこの頃までに内閲本審査は終了した。同月一二日及び一三日に教科 書調査官と三省堂従業員との間で最後の微調整が行われ、同月一六日に内閲本審査合格との間で最後の微調整が行われ、同月一六日に内閲本審査合格となっ た。(なお、以上の内閲本審査の各期日は、教科書調査官と三省堂従業員との間で取り決めたもので、教科書調査官の方で一方的に指定したものではなかっ た。)
(三)見本本審査
見本本提出期限は、同年六月二五日とされていたが、修正意見ないし改善意見に応じた修正箇所が多数に及んだため、三省堂は、同月二四日、右提出期限を同 年七月三日まで延期するよう求める見本本提出延期願を提出した。同年七月三日に見本本が提出され、同月八日に見本本審査合格となったが、同年の教科書展示 会は、例年に比較して一〇日遅れて開催されたため、教科書展示会に見本本の提出が間に合わない事態には至らなかった。
二 昭和五七年度正誤訂正申立てについて
1 昭和五七年度正誤訂正申立ての経緯につき、次の事実は当事者間に争いがない。
三省堂従業員は、昭和五七年一二月二日、昭和五五年度検定済「新日本史」について、二七六頁脚注〔4〕の記述を「中国軍の激しい抵抗にもかかわらず、つ いに南京を占領した日本軍は、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」と訂正すること等の正誤訂正の承認を求める正誤訂正申請書(甲第一三号 証。以下「本件正誤訂正申請書」という。)を文部省に持参したが、文部大臣は、これを受理するに至らなかった。
2 右の争いのない事実と〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。
三省堂出版局長久司高朗及び社会科教科書出版部次長渡辺孝映は、昭和五七年一二月二日、本件正誤訂正申請書とともに、別の教科書である「三省堂日本史」 及び「高校世界史」についての正誤訂正申請書をも文部省に持参し、検定課検定調査第一係長岸継明に対し、右各正誤訂正申請書の提出を申し出た。しかし、右 「三省堂日本史」及び「高校世界史」についての正誤訂正申請書中には「進出」を「侵略」に改めるものが含まれていたため、岸は、久司らに対し、正誤訂正制 度の目的、さきに第一、三2(三)において認定した文部大臣の談話、国会答弁の趣旨等に照らし、右申請書が正誤訂正の要件を具備していない旨を説明すると ともに、本件正誤訂正申請書中の南京大虐殺に関する部分についても、同様に正誤訂正の要件を充たさない旨説明し、右部分の申請の再考を示唆した。
そこで、久司らは、それ以上右各申請書の受理を求めることなくこれを持ち帰り、本件正誤訂正申請書については、南京大虐殺に関する正誤訂正申請部分を削 除した上、同月九日、再度正誤訂正申請書を提出したところ、文部大臣は、これを受理し、右申請書に沿った正誤訂正を承認したが、原告ないし三省堂は、その 後、右南京大虐殺に関する部分について再度正誤訂正申請をしなかった。
3 原告は、岸が正誤訂正申請の受理を拒否したと主張し、証人小原大喜男の証言中には、右主張に沿う証言部分があるが、正誤訂正事由の有無の実質的な審査 は教科書調査官が行っていることは、前記第二、五6の認定のとおりであり、また、小原が右申請に当たったものではないことは、前記2認定のとおりであっ て、右証言部分は小原の伝聞を述べるにすぎないものであるところ、証人岸継明の証言中には、岸は、久司らに対し、南京大虐殺に関する記述部分の正誤訂正の 申請の再考を促したものであり、教科書調査官の調査に付することを要請されたにもかかわらず申請の受理を拒否したことはない旨の証言部分があるのであっ て、これに照らし、証人小原大喜男の右証言部分は採用することができず、他に岸が正誤訂正申請の受理を拒否したことを認めるに足りる証拠はない。
三 昭和五八年度検定について
1 昭和五八年度検定の経緯につき、次の事実は、当事者間に争いがない。
三省堂は、昭和五八年九月八日に、文部大臣に対し、昭和五五年度申請に係る検定済教科書「新日本史」(後掲甲第一四号証)の記述中八四箇所について改訂 を加える改訂検定の申請を行ったところ、文部大臣は、同年一二月二一日付で右八四箇所のうち六〇箇所について合格とし、他の二四箇所に条件を付し、合わせ て約七〇項目にわたる修正意見又は改善意見を付した上で条件付合格とする決定をし(後掲甲第一六号証)、同月二七日に、教科書調査官から、合計約三時間を かけて、右修正意見及び改善意見が伝達された。
三省堂は、昭和五九年一月一七日、修正意見を付されたもののうち本件提訴に係る記述箇所(沖縄戦を除く)四箇所(同趣旨の二箇所を含む。)を含む八箇所 について「修正意見に対する意見申立書」(後掲甲第一八号証)を提出したところ、文部大臣は、同年二月一日、八箇所のうち二箇所(シンガポールでの非戦闘 員の処刑、フィリピンでの住民虐殺の各記述部分)については意見申立てを認め、本件提訴に係る記述四箇所を含む六箇所についての意見申立ては認めないとの 決定(後掲甲第二一号証)をした。
三省堂は、同年一月二四日付で文部大臣に対し内閲本審査願書(後掲甲第一九号証)と内閲本を提出し、その後、同年二月一〇日、同月一七日、同月二九日、 同年三月五日及び同月九日の五回にわたり教科書調査官と三省堂従業員ないし原告との間で意見の伝達・聴取が行われ、同年四月一三日、内閲本審査合格となっ た。
その後三省堂は、同年五月一六日に見本本を提出し、同月二四日、見本本審査合格となった。
2 争いのない事実と〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。
(一)原稿本審査
三省堂から検定申請された原稿本(甲第一四号証)は、直ちに社会科担当の教科書調査官の調査に付されたが、右調査の主査は時野谷滋主任調査官で、副査は 照沼康孝調査官であった。文部大臣は、昭和五八年一〇月一八日、右原稿本について、教科用図書として適切であるかどうかを審議会に諮問した。
同年一一月下旬ころ、日本史関係の調査官会議が、次いで社会科担当調査官全体の会議がそれぞれ開催され、社会科担当の全調査官による検討の結果、申請の あった八四箇所のうち二四箇所については修正意見を付して条件付合格とし、六〇箇所については合格とするのが相当であるとされた。同年一二月一三日、第二 部会(社会科)が開催され(総員一九名、出席者一五名)、調査官の調査意見書及び評定書が提出されるとともに、主査である時野谷主任調査官から説明が行わ れ、審議の結果、前記の調査官の会議と同旨の結論が相当であると判定された。
そして、同日、本件原稿本につき、審議会会長名取★二から文部大臣に対し、同旨の答申がされ、これに基づき文部大臣は、同月二一日、右答申どおりの決定 をし、同月二七日、文部省において、時野谷調査官を通じて、合格及び条件付合格決定通知書(甲第一六号証)が三省堂従業員に交付された。
右決定通知書の交付に引き続き、時野谷調査官及び照沼調査官から、原告、三省堂従業員の小原大喜男及び武内朗、編集協力者の青木美智男及び吉田夏生に対 し、修正意見及び改善意見の付された箇所及び理由を原稿本に転記したものに基づいて、口頭をもって右合格条件等が告知された。
(二)内閲本審査
内閲本提出期限は、昭和五九年一月二二日とされていたが、同月二三日、三省堂から右期限を同月二六日まで延期するよう求める申出がされた。
三省堂は、同月二四日に内閲本を提出したが、原告は、同日、文部大臣に対し、改善意見に対する拒否理由書(甲第二〇号証を提出した。そして、同年四月一 三日に内閲本審査合格となった。
第四 教科書検定制度の違憲違法性
一 教育の自由・自主性違反の主張について
1 教育の自由・自主性違反に関する原告の主張の要旨は、次のとおりである。
憲法一三条、二三条、二六条及び教育基本法一〇条の各規定により、教育という営みに関与する国民の行為が公権力により妨げられないという教育の自由が国 民に保障されており、このような教育の自由は、具体的には、子どもの学習の自由、親の家庭教育・学校選択の自由、教師の教育の自由、国民の私立学校設置の 自由及び国民の教科書等の教材の作成・発行の自由等として現われる。その結果、国の公教育への関与には、憲法及びその趣旨を具体化する教育の根本法たる教 育基本法によって限界が存在することが承認されなければならず、国は、教育の外的条件の整備と指導助言に努めるのが本則であって、教育に対する国家の権力 的介入は、学校教育の法制度化に伴って必要とされる最小限度の国家的画一化ないし規制にとどめられるべきであり、具体的には、学校制度的基準として法定さ れている学校体系、学校種別、修業年度、学年及び学期、教員資格、学校環境基準、学校設置基準などの事項や入学・卒業資格、各段階の学校の教育の目的・目 標、教科・科目の種類・名称、単位数、教育課程の構成要素、標準授業時数などの事項に限られると解すべきであって、大綱的基準を超えて教育の内容・方法に 介入することは許されない。これを教科書検定についてみれば、その審査の範囲は、(一)誤記、誤植その他の客観的に明らかな誤り、(ニ)造本その他教科書 についての技術的な事項及び(三)教科書のごく大まかな構成・全体としての分量等個々の記述内容の当否とは直接かかわらない事項にとどめられるべきであっ て、それ以外は指導助言の方法によるべく、右の限度を超えて教科書の記述内容の当否に及ぶ審査は、憲法及び教育基本法一〇条等によって保障される教育の自 由を侵害するものとして許されない。
しかるに、現行教科書検定制度の唯一の法律上の根拠とされる学校教育法二一条にいう「検定」の語義については法律上なんらの定義規定も存在しないとこ ろ、同法条に定められた「検定」なる概念が教科書の内容に関する包括的かつ権力的な審査を本来の目的とするものであるならば、同条(同法五一条により高等 学校に準用)は、教育の自由を侵害するものとして憲法二六条、二一条及び二三条に違反するものである。
仮に、学校教育法二一条が合憲であるとしても、同条を受けて制定された検定規則は、文部大臣が申請原稿本に対し不合格処分又は修正意見を付した条件付合 格処分をすることができることを規定しており(九条)、教科書の内容に関する包括的かつ権力的な審査を前提とするものであるから、前記(一)ないし(三) の限度を超えた教育内容への介入を予定しているものとして、規則全体が違憲であるとともに、教育基本法一〇条にも違反するというべきである。更に、検定規 則が合憲であるとしても、その下位に属する検定基準は、多岐にわたり過度に広範であり、学習指導要領との厳格な一致を求めている点において、これによる著 作者に対する規制の程度が必要最小限度の枠を超えているというべきであり、また、個々の内容が極めて抽象的で基準が不明確な点において、教育的配慮はもと より学問的見解にかかわる領域に至るまで権力的な審査を可能にしているというべきであって、同基準は、教育の自由を侵害するものとして違憲であるととも に、教育基本法一〇条に違反するものである。
仮に、学校制度的基準を超えた教育内容への国の介入が許されるとしても、教育の自由が精神的自由権の一つであることから、当該介入を根拠付ける法令につ いて表現の自由の場合と同様の「厳格な審査」基準による違憲審査が行われるべきであって、まず、教科書検定制度の目的において、著作者の教育の自由を制限 してもやむをえないほどの必要性が存在することが立証されなければならず、また、現行制度のような手段が必要最小限度のものであるかが審査されなければな らないのである。更に、教育の自由においては、表現の自由の場合より緩やかな審査によることが可能であって、「厳格な審査」基準が適用されないとしても、 少なくとも「厳格な合理性の基準」に基づく審査が行われるべきであって、まず、教科書検定の規制目的が重要な公共の利益のために「必要かつ合理的な」もの であるか否かについて検討されなければならず、更に、これが右の「必要かつ合理的な」目的であるとしても、その規制手段が事後規制(教科書として出版され たものについて推薦あるいは認定をする規制手段)のようなより緩やかな規制によっては右の目的を達成することができないという実情があるか否かが審査され なければならないのである。
2 子どもの公教育と国家の関与
子どもの公教育における教育内容及び教育方法の決定につき国家が関与し得るか否か、国家が関与し得るとすればどの程度関与し得るか並びにこれらにかかわ る憲法及び教育基本法の解釈については、最高裁昭和四三年(あ)第一六一四号同五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号六一五頁の判示するところであ るので、以下右判例の判示を基にしつつ、これをふえんして説示することとする(なお、右判例を引用する部分は、以下括弧を付することとする。)。
「子どもの教育は、子どもが将来一人前の大人となり、共同社会の一員としてその中で生活し、自己の人格を完成、実現していく基礎となる能力を身につけるた めに必要不可欠な営みであり、それはまた、共同社会の存続と発展のためにも欠くことのできないものである。」子どもに対する教育の目的は、単に人類が到達 した文化的成果を次代の担い手である子どもに伝達するにとどまらず、右のとおり、一人一人の子どもの潜在的な能力を十分に開発し、個別的で多様な発達をし ていく子どもの成長をその個性に応じて促していくことにある。
「この子どもの教育は、その最も始原的かつ基本的な形態としては、親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育、監護の作用の一環としてあらわれる のであるが、しかしこのような私事としての親の教育及びその延長としての私的施設による教育をもってしては、近代社会における経済的、技術的、文化的発展 と社会の複雑化に伴う教育要求の質的拡大及び量的増大に対応しきれなくなるに及んで、子どもの教育が社会における重要な共通の関心事となり、子どもの教育 をいわば社会の公共的課題として公共の施設を通じて組織的かつ計画的に行ういわゆる公教育制度の発展をみるに至り、現代国家においては、子どもの教育は、 主としてこのような公共施設としての国公立の学校を中心として営まれるという状態になっている。
ところで、右のような公教育制度の発展に伴って、教育全般に対する国家の関心が高まり、教育に対する国家の支配ないし介入が増大するに至った一方、教育 の本質ないしはそのあり方に対する反省も深化し、その結果、子どもの教育は誰が支配し、決定すべきかという問題との関連において、上記のような子どもの教 育に対する国家の支配ないし介入の当否及びその限界が極めて重要な問題として浮かびあがるようになった。このことは、世界的な現象であり、これに対する解 決も、国によってそれぞれ異なるが、わが国においても」、戦前の我が国の教育が国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な 国家主義的傾向を帯びる面があったことに対する反省から、右の問題は、「戦後の教育改革における基本的問題の一つとしてとりあげられたところである。」
そこで、まず、我が国において憲法以下の教育関係法制が右の基本的問題に対していかなる態度をとっているかという全体的観察を行うこととする。
3 憲法と子どもに対する教育権能
(一)「憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法二六条であるが、同条は、一項において、『すべて国民は、法律の定めるところにより、 その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。』と定め、二項において、『すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育 を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。』と定めている。この規定は、福祉国家の理念に基づき、国が積極的に教育に関する諸施設を設けて 国民の利用に供する責務を負うことを明らかにするとともに、子どもに対する基礎的教育である普通教育の絶対的必要性にかんがみ、親に対し、その子女に普通 教育を受けさせる義務を課し、かつ、その費用を国において負担すべきことを宣言したものであるが、」右の規定からは、このような教育の内容及び方法を、誰 がいかにして決定すべきか、また、決定することができるかという問題、すなわち、子どもに与えるべき教育の内容等は、国の一般的な政治的意思決定手続に よって決定されるべきか、それともこのような政治的意思の支配、介入から全く自由な社会的、文化的領域内の問題として決定、処理されるべきかという問題に 対する一定の結論は、直接一義的には、導き出されない。しかしながら、「この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、 発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足 するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者 の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているので ある。」このことは、憲法以下の教育関係法制の解釈・運用に当たっても、中心に据えられるべき点である。
(二)「思うに、子どもはその成長の過程において他からの影響によって大きく左右されるいわば可塑性をもつ存在であるから、子どもにどのような教育を施す かは、その子どもが将来どのような大人に育つかに対して決定的な役割をはたすものである。」それ故、子どもが自ら教育を受ける権利ないしは学習をする権利 を十全に実現できないものである以上、「子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者が、それぞれその教育の内容及び方法につき深甚な関心を抱き、それぞ れの立場からその決定、実施に対する支配権ないしは発言権を主張するのは、極めて自然な成行きということができる。子どもの教育は、前述のように、専ら子 どもの利益のために行われるべきものであり、本来的には右の関係者らがその目的の下に一致協力して行うべきものであるけれども、何が子どもの利益であり、 また、そのために何が必要であるかについては、意見の対立が当然に生じうるのであって、そのために教育内容の決定につき矛盾、対立する主張の衝突が起こる のを免れることができない。」
前記のとおり、憲法の規定中にこのような矛盾対立を一義的に解決すべき一定の基準が明示されていない以上、「憲法の次元におけるこの問題の解釈として は、右の関係者らのそれぞれの主張のよって立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するのが、最も合理的な解釈というべきである。」
(三)「この観点に立って考えるときは、まず親は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場に ある者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学 校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられる」。
(四)次に、「私学教育における自由や」学校において現実に子どもの教育の任に当たる「教師の教授の自由も、それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯 定するのが相当であ」り、とりわけ教師のそれは一般的でその影響するところも大きいが、これらの者が公権力による支配、介入を全く受けないで、完全に自由 に子どもの教育内容を決定することができるとも解し得ない。
「確かに、憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由を含むと解されるし、更にまた、専ら自由な学問的探求と 勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、」教師の専門的知識、経験が重要な役割を果たすのであっ て、その職務の遂行に当たり教師の専門的判断が尊重されなければならないことは当然の事理であり、また、「子どもの教育が教師と子どもの間の直接の人格的 接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし,教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければな らない」し、「例えば教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、」「一定の範囲における教授の自由が保障され るべきことを肯定できないではない。しかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えている」ことを前提にすることが可能であるのに 対し、高等学校以下の普通教育においては、児童生徒にこのような能力がないか又は不十分であることを前提とせざるを得ないため、一般的には「教師が児童生 徒に対して強い影響力、支配力を有する」といわざるを得ないこと、「また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、」子ども が授業への出席・退席の自由もない、いわば〈囚われの聴衆〉の立場に置かれていること、「教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき 強い要請があること等」の普通教育の本質と特殊性を考慮すると、「普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、」許されないのである。
(五)更に、教科書の著作者(編集者を含む。以下同じ。)についてみても、教科書著作者が憲法二三条により学問の自由を保障され、自らの学問研究の成果を 発表する自由を有すること、教科書が学問研究の成果に基づいて作成されなければならないこと、また、かかる教科書が普通教育においてその使用が義務付けら れていることからすると、教科書著作者は、各教科内容に関する専門的知識等を有し、子どもの学習する権利の充足を図り得る立場にある者として(教科書発行 者も、学習権の充足を図り得る点では同様の立場にあるといえる。)、教師とは異なる形で(教師のような資格要件を必要とされないし、子どもとの直接の人格 的接触も存しない。)教育にかかわりを持ち、前示判例のいう「子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者」に含まれ、教育内容につき発言権を有する者で あることは、否定し難い。 
しかしながら、教科書は、普通教育における主たる教材としての使用を目的とするものであって、学問的、学術的研究発表の場を提供するためのものでないこ とは、さきに第二、一3に判示したとおりであり、後記三2に判示するような普通教育の本質と特殊性に照らし、教科書著作者に教科書という形で自己の研究成 果をそのまま発表する自由が存することを肯認することはできないことは、後に三2において詳論するとおりである。
(六)最後に、「子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者」として、国家が考えられるところ、民主主義政治体制を採る我が国のような国家が、国民に対 する公教育につき憲法二六条が規定するような責務を負担するのは、国会を通じて表明された国民の意思に基づくものであり、国政の一部として国民の信託を受 けた結果であるというべきであるが、「一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適 切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、」前記(三)ないし(五)にみたような親、教師等の一定の範囲の教育の自由の領域を除くそれ以外 の領域においては、「憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当 と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせな い」。
もっとも、「政党政治の下で多数決原理によってされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によって左右されるものであるから、本来人間の内面的価 値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考える ときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、」「子どもが自由かつ独立の人格として成長すること を妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三 条の規定上からも許されない」というべきである。

最終更新:2011年01月18日 00:51
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