闇の書。
正式名称・夜天の魔導書。
次元世界を旅し、各地の技術を収集するために生み出された、情報蓄積型ストレージデバイス。
世代を重ね、改変を加えられ、やがて破壊の書と化したロストロギア。
転生と無限再生の力を持つ、最悪の魔導兵器。
拾ったのは、1人の男だった。
立ち寄った洞窟の中、ページをめくる。
何も書いていなかった。
転生直後の闇の書は、その反動で全てのページが白紙になってしまう。666ページの膨大な情報が、残らず解読不能になってしまうのだ。
(数百ページはあるだろうに、それらが全て白紙か…)
紙の無駄遣いだな、と男は評する。
(…だが、あるいは…)
と、そこで男は考え直す。
この本には、何か特殊な処理がされていて、それが文字を消しているのではないかと。
何やら物々しい装飾に、鎖の封印まで施された本だ。何の意味もないと考えるのは早計だった。
仮にこれが読める形になって、それが希少な古文書か何かだとしたら…
(…路銀の足しにはなるかもしれんな)
そう思って、男は半ば気紛れも同然な様子で、闇の書を洞窟から持ち出した。
そして、その洞窟を出た瞬間、
「っ!」
闇の書が光を放った。
スターオーシャン・リリカルストーリー~シグナム外伝~
まぶたを開く。
また闇の書を手にした者が現れたらしい。すなわち、次の主ということ。
いつものことだ。シグナムにとってはそうだった。
闇の書とその主を守ること。いつだってそれが使命であり、存在理由。
シグナムは新たな主の姿を認める。
長身の男だ。20代半ばといったところか。
シグナム自身、自分の背が高いことは自覚していたが、男の背はそれよりもかなり高かった。190センチはあるだろうか。
細身の身体にフィットした黒い服を、深緑色のマントが包んでいる。
青い髪は、男性のそれにしては長い。正面からではマントに隠れてよく見えないが、腰まではあるだろう。
そして、その腰には一振りの剣。
「…何者だ」
低く威圧する声が誰何する。どうやら、今回は闇の書を知らない人間が主となったらしい。
にも関わらず、この男は、本から人間が出てくるという状況に全くうろたえていない。
射抜くような視線。
久しぶりに見る、戦士の目だ。それも、歴代の主に限定すれば特に、である。
シグナムは状況を説明するため、その口を開いた。
「我々は守護騎士ヴォルケンリッター。私はシグナムといいます」
丁寧な口調でその名を名乗る。当然、シグナムもこれだけで自分達の素性を伝えきれるとは思っていない。
向こうからかけられてくるであろう問い(「何を守護する騎士なんだ?」「この本は何なんだ?」等)に備える。
しかし、男の問いは、それらいずれでもなかった。
「…我々?」
何かを探すように辺りに視線を向けながら、男はそう言った。
「は? …ですから、我々は…」
訳の分からないシグナムは、隣にいるはずのヴォルケンリッターの仲間達へ視線を飛ばす。
しかし、その瞬間、否応なしにシグナムは男の疑問を理解せざるを得なくなった。
「なっ…」
彼女の左右には、誰もいなかった。
参謀シャマルも騎士ヴィータもザフィーラもいない。
4人のはずの守護騎士達のうち、シグナムだけがそこに立っていたのだ。
「…他に誰かいるのか?」
と、男が再びシグナムに問いかける。
「あ…申し訳ありません。本来なら、あと3人いるはずなのですが…」
「お前だけが出てきた、というわけか…」
眉一つ動かすわけでもなく、男は淡々とそう言った。
その後、シグナムは男に自分達――と言うより、自分のことを説明した。
男が拾ったのは、闇の書と呼ばれる、異次元から来た本だということ。
自分は闇の書によって生み出された魔法生命体だということ。
自分の使命が、闇の書とその主の守護、並びに書のページの復元であること。
書のページを埋めるには、リンカーコアが必要であること。
「…別の世界から来た、か…」
手近な木にもたれかかるようにしてあぐらをかく男の顔からは、何も読み取れない。
「信じていただけたのですか?」
シグナムは一応尋ねてみた。
普通なら、そのような常識外れな話は信じられるはずもない。だから、不思議に思ったのである。
「…興味がない。信じる信じない以前にな」
「はぁ…」
「そもそも俺に関係があるのは、この本とお前だけだ。俺に関係ないことにいちいち興味は持てん」
僅かに目を伏せながら、男はそう言い放った。
「…それよりも…俺を守るのが役目と言ったな」
伏せた目を再びシグナムに向け、男は確認する。青い瞳が、睨むように彼女を見据えていた。
「はい」
シグナムもまた、怖れもせずに平然と返した。
この程度で平静さを欠くほど、シグナムは矮小な存在ではない。
「………」
男の瞳は、しばらく無言でシグナムを見つめる。
そして、ある時ふっと立ち上がると、その口を開いた。
「…剣を取れ」
「は…?」
唐突だった。思わず、シグナムは間抜けな声を上げる。
「それで俺を斬ってみろ」
シグナムが持つレヴァンティンを見て、男はそう言った。
「私がですか? しかし、主を斬るなど…」
「できないのか」
短く、男は問う。
主人を斬ることはしてはいけないことか、ではなく、俺を斬る実力もないのか、と。
これには流石にシグナムも折れた。
常勝のベルカの騎士が嘗められては名折れもいいところだ。
「…やむを得ませんか…分かりました」
ため息混じりにそう言うと、シグナムは愛刀レヴァンティンを構える。
男もまた、腰から無骨な長剣を引き抜いた。
「…はあっ!」
シグナムはそこへ全力で斬り込む。
男には悪いが、下手に手を抜いては機嫌を損ねかねなかった。
「…ふんっ!」
「!?」
しかし、予期せぬことが起こった。
男は真っ向から、シグナムの全力の剣を受け止めたのだ。
それまでのポーカーフェイスのまま、顔色も変えずにである。
しかも、それだけではなかった。
(…っ…この私が、押されている…!?)
男の剣は、ジリジリとシグナムのレヴァンティンを押し返してきているのである。
純粋な腕力では男に分がある。そう判断したシグナムは、強引に剣を払うと、後方へと飛び退いた。
「それだけではないはずだ」
男は特にシグナムを嘲笑うわけでもなく、淡々と言い放つ。
「魔法生命体だというのに、紋章術の1つも使えないということはないだろう」
紋章術とは、この世界の魔法か何かのことだろうか。
シグナムは理解する。要するに、必殺技を出せということか、と。
主に技を向けなければならないことに罪悪感を浮かべながらも、彼女の胸には、別の感情が込み上げてきた。
(強い)
この男は強い。一対一なら負けなしの自分を押し返すほどの相手は久しぶりだ。
試してみたい。自分の剣を。この新たな主は、それにどう対応し、どう自分に斬りかかってくるのか見てみたい。
欲望に忠実に、シグナムはレヴァンティンのカートリッジをロードする。
炎の魔剣が、その名の通りの炎を放った。
「紫電…一閃っ!」
気合いと共に、シグナムは猛烈な勢いで男に肉迫する。
この主は、この一撃にどう応えるのか。シグナムが胸は高鳴る。
だが、男の攻撃は、彼女の想像の斜め上をいっていた。
「弧月閃!」
これまでのどの声よりも大きな声を上げ、男は自らの得物で虚空を薙ぐ。
次の瞬間、シグナムの剣に何かが激突した。
「っ!?」
飛んできたのは、黄色い光の塊。
あたかも三日月を思わせるかのような、光の刃だった。
(魔力が感じられない…まさか、気孔のみでこれを!?)
気孔とは、魔力とはまた異なる、肉体的な力の要素だ。
どの世界でも、鍛え抜かれた達人の専売特許で、
その割には魔法ほどの万能性のない力だった。あくまで腕力や脚力の上乗せ程度の力のはずだった。
だがこの剣はどうだ。
男の放った技は、シグナムの紫電一閃と正面からぶつかり合い、互角の力をもって拮抗している。
魔法もなしにこれほどの力を発揮するなど、シグナムは聞いたことがない。
「疾風突きっ!」
男の雄叫びと共に、シグナムの身体は後方に飛んでいた。
「かは…ッ!」
文字通り風のごとき瞬速の突きが、彼女の腹に叩き込まれたのだ。
BJこそ無事だったが、その衝撃は容赦なくシグナムを殴りつけ、その身を吹っ飛ばした。
負けた。
シグナムは瞬時にそう理解した。
実力はほぼ互角。僅かに相手が勝っているだけである。だからこそ、一瞬の攻撃がその命運を分けた。
相手を「強い男」程度にしか認識できなかった自分の油断が、予期せぬ一撃への驚きを生み、結果敗北したのだ。
「…十分だ」
何事もなかったかのような顔で、男はそう言い放った。
手を抜いていたわけではない。それぐらいシグナムには分かる。単に戦う時間が短かったからああなのだ。
それが一層、彼女の敗北意識を駆り立てる。自分は遊びで適当にあしらわれたのではない。真剣勝負の末に負けたのだと。
一対一で、初めて負かされたのだ、と。
男は剣を鞘に収め、そのまますたすたと歩いていく。
「お…お待ちください、主!」
シグナムは起き上がると、男の傍へと駆け寄った。
「…お前、ついてくる気か?」
視線のみを向け、男はシグナムに問う。
「当然です。私は貴方と闇の書の守護騎士ですから」
「俺より弱い護衛など要らん」
しかし、男は取りつく島もない。
「それでは私の使命が果たせません! 私は他にも闇の書のページの…」
「…お前、この本について回る気か?」
「え? はい…」
シグナムの返答を聞くと、男は無表情のままため息をついた。
「読む手立てが見つかったら、行商にでも売る予定だったんだがな…」
「売る!? そんな、危険です! 闇の書は、この世界では持ち主である貴方の操作しか受け入れないのですよ!?」
「…要するに、これが他所に飛べるようになるまで、俺が持つしかないということか…」
声色は変わらないが、男の声はやや面倒くさそうな雰囲気があった。
「ともかく、私は貴方に同行します」
強い口調でシグナムが言う。
「…余計な食い扶持がかかるか…」
「主にご迷惑はおかけしません。自力で調達します」
「既にこの状況が迷惑だ」
そう言うと、男は再びその歩を進めた。観念したのか、シグナムがついて来ても、もう何も言わない。
「…そういえば、主…貴方のお名前は?」
シグナムはそう尋ねる。
男は視線すら向けず、背中越しに、ぶっきらぼうに名乗った。
「…ディアスだ」
最終更新:2007年11月21日 17:27