そこは静寂のみの空間だった。機械のみが駆動音を持って己の躍動を示すが、しかし人とそれが生み出す躍動の無いこの大部屋では、それこそ静寂を掻き立てる意味しか持たない。
 そこには人がいた。否、それを人と行って良い者だろうか。歩まず、語らず、思わず、席に座してただ指先と目線を動かして機械達を操作する。それが人たる者の挙動だろうか。
 それは青年だった。我等第三者がその挙動を見て人足りえんと感想したのと同様に、その青年もまた自分が人に足るとは思っていなかった。
(――僕は機械だ)
 それが青年の自己評価だった。ただ有機物の体を持ったというだけの機械だ、と。
 彼に親は無かった。――何故なら彼は試験管より生まれたから。
 彼に友は無かった。――何故なら誰も彼と語らわなかったから。
 彼に心は無かった。――何故なら誰も育もうとしなかったから。
 ただ彼にあるのは、与えられた仕事を完遂せよ、という役目だけだ。
 そんな日々がどれだけ続いたのか、青年は知らない。希望も絶望も無く、ただただ仕事をこなす彼に時間感覚など有りはしない。延々と、ただ延々と、青年は計算をこなす。
 だがある日、大部屋の扉が開かれた。
(――誰だ?)
 扉を開いてやってくるのは、いつも完遂した仕事を受け取る者だけだ。だが今回やってきたのは、どう見ても受取人とは思えない容姿だった。
 子供である。それも大きな眼鏡をかけ、脇には大きな本を抱えた、二桁も歳を数えない様な。
「――だれ?」
「ウワ――、すっごい機械だね!」
 猛烈に無視された。子供は目を輝かせて大部屋の機械群を眺め、こちらの問い掛けに答えない。
「こーんな沢山の機械に囲まれて、お兄さんは何をしてる人なの?」
「……僕は」
 人、と呼ばれたのは始めての事だった。そして、何をしているのか、という質問も。
 いつもなら、仕事を、と答える所だ。だが口をついたのは別の言葉。
「――何もしていない人さ」
 何故そう答えたのか、
(――仕事もしている。計算もしている。設計もしている)
 何故その事実を答えなかったのか、
(――何で僕は正確に答えなかったの?)
 青年にとってこれは始めての事だった。自分の挙動が理解出来ないのも、そして、誰かと“話す”という事も。
「ねえ、お兄さん」
 子供は抱えていた本を青年に差し出した。灰色の本はどういう原理なのか、そのハードカバーや挟まれたページから煌々と光を放っている。
「…これは?」
「僕の本。僕を王様にしてくれる、パートナーの為の大事な本なんだよ。――そして、本はお兄さんを選んだんだ」
 それは青年にとって初体験だった。
「ねえお兄さん、お外に出ようよ。それで僕を王様にしてよ」
 そして次に飛び出した言葉が、停滞していた青年の心を揺るがした。

「こんなすごい機械を動かせるのに、何もしてないなんてもったいないよ!」

(……もったいない)
 何かが、青年の心から溢れてきた。
(…もったいない)
 それはどうしようもなく熱くて、
(もったいない)
 それはどうしようもなくくすぐったくて、
(――もったいない、か!)
 そしてどうしようもなく、笑ってしまいたくなる“感情”。
「……ハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
 青年は笑った。背を曲げ、口を開き、目尻に涙を浮かばせ、大声で笑った。
 どうしようもなく下品で、どうしようもなく馬鹿で、どうしようもなく意味不明な行動。だが同様にそれは――どうしようもなく爽快な姿だった。
「子供よ! 君は名を何と言う!?」
「……キッド、キッドだよ!!」
 青年の豹変に、しかし子供は同じ様に楽しげに答えた。
「そうかキッド! よくぞ僕……否、私を見つけ出したな! ――これで君は、確実に王となるだろう!! 私の名前は……」
 言った所で青年は考えた。自分にまともな名前は無かったからだ。周囲の存在は自分を“無限の欲望”と呼んだが、今の自分はそれとは別の呼び名が欲しかった。
 だから青年は別の名前を口にした。それは思いつきで決めるという、今までやった事も無いバカな行動だった。
「――ジェイル・スカリエッティ!! パートナーを必ず王様にする最高の存在だ!!」
「本当!?」
 子供は頬を赤らめて食いつき、
「――ウ・ソ」
 壮絶な顔で驚愕した。



 CHILDREN MEMORIAL Case キッド



《ゼガルガ!》
 スカリエッティの詠唱によってキッドの口から大砲が出現、閃光を放った。
「うわあああああああっ!!」
「ひいいいぃぃぃっ!?」
 鋭角な一撃は地を割り、敵対する人間と異形の一組の間を駆け抜けた。交差の瞬間、人間の持っていた本を削り燃やして。
『あ、ああ、あああああああ―――――――』
 本の炎上と共に異形の姿が薄らぎ、やがては陽炎か何かの様に消えていく。それと時を同じくして本を燃やされた人間は背を向けて逃げ出していた。
「勝った勝ったー! やったね、ドクター!」
「ハハハ、勿論だとも! ……だが惜しい事をした。私が目からビームを出していればもっと早く決着したのだが……っ!!」
「え!? Dr.目からビームが出るの!?」
「――ウ・ソ」
 ガーン、という効果音がつきそうな程キッドは驚愕した。スカリエッティの方はただただ呵々大笑。だが笑ってる場合ではない。地平線の向こうから何台もの小型車が現れたのだ。
 車体に“時空管理局”という字が書かれた、パトカーにも似た小型車の群が。
『――次元犯罪者ジェイル・スカリエッティ! 大人しく捕まりなさーい!!』
 操縦席の窓から身を出して拡声器越しに叫ぶのは金髪の女性、スカリエッティやキッドとは数年越しの付き合いがある人物だ。
「はっはっは、フェイト執務官のしつこさは折り紙付きだね」
「ホントホントー! きっとヒマなんだねー!」
『貴方達が捕まれば本当に暇になるんですー!!』
 そうこう言ってる間に小型車群は迫ってくる。
「おやいけない! 逃げるぞ、キッド!!」
「うん、Dr.!!」
『あ、こら! 待ちなさーい!!』
 最早何度目なのか、スカリエッティ達とフェイト達の追い掛け合いが再び始まった。



 出会いからどれ程の時間が流れただろうか。
 キッドと出会った青年、ジェイル・スカリエッティは大分……、否、かなり変わった。
 彼は歩み、笑い、語り、そして……戦う。
 自分に心を与えてくれた恩人、キッドの願いを叶える為に。
 キッドは未確認の次元世界から、その世界の王候補としてやって来たと言った。その手段は、他の王候補の本を燃やす事だ、と。
 スカリエッティにとってそれは容易い事だった。
 生まれながらに常人以上の知能を与えられた彼と、魔物が持つ力を合わせれば何だって出来るのだ――。



「な、何だお前は!! 敵か!?」
 黒のマントを着込んだ金髪の少年を引き連れ、彼の少年は自宅から飛び出してきた。
 事前の調査によってスカリエッティは彼等が何者なのかを知っている。
(天才少年、高嶺清麿。そして赤い本の魔物、ガッシュ・ベルか……)
 ガッシュ・ベルの方は魔界では落ちこぼれだったと聞くが、この人間世界での闘いにおいては優秀な戦績をおさめている。実に興味深いコンビだ。
「ふふふ、お初にお目にかかるね、高嶺清麿君とガッシュ・ベル君。私の名はDr.ジェイル・スカリエッティ、何でも知ってる不思議な博士だ! ――勿論、君達の事もよく知っているよ?」
「何だと……?」
 清麿は目つきも鋭く戦闘の構えを取る。ガッシュの方も同様だ。
(回転の速い少年達だ。それだけの実戦を超えて来たという事か)
 二人は臨戦態勢をとるが、スカリエッティとキッドは至って自然体のままだ。
「ハハハハハ、そう身構えるな清麿君。――戦うのは私ではない!!」
 スカリエッティは身を大きく振って背後へと腕を回す。
「君達の相手は我が娘達だ! 我がラボで生まれた不思議集団、マジョスティック・ナンバーズが!!!」
 そうして出現するのは12人の少女、いずれもキッドと出会う以前からスカリエッティと共にあった者達だ。
「12人!? だが……普通の人間なら相手もならないぞ!!」
「不思議集団と言っただろう!? この子達は全員がそれぞれ超能力を持ったスーパーガールなのだ!!」
 紹介しよう!! というスカリエッティの叫びで少女達が順々に飛び出してくる。
「常に冷静で全体指揮を担当!! コマンダー・ウーノ!!!」
 薄紫の長髪をした鋭利な美貌の女性が進み出た。
「変装と隠密ならお手の物!! アサッシン・ドゥーエ!!!」
 金髪に妖艶な笑みを浮かべた女性が鋭いかぎ爪を舐めた。
「最大速度はマッハの領域!! グッドスピード・トーレ!!!」
 逞しい体つきをした短髪の女性が飛び出した。
「幻影と電子機器の魔術師!! イリュージョン・クアットロ!!!」
 白いケープを羽織った眼鏡の女性が微笑む。
「物陰から忍び寄る奇襲の達人!! クノイチ・チンク!!!」
 眼帯をした小柄な少女が電柱の上から飛び降りてきた。
「自在に物体をすり抜ける!! ダイバー・セイン!!!」
 水色の髪に陽気な笑みの少女が地面から出現した。
「巨大なブーメランで周囲を一掃!! スイング・セッテ!!!」
 一対の巨大なブーメランを持つ少女が立ち誇る。
「閃光の渦は全てを葬る!! シャイニング・オットー!!!」
 少年の様な姿をした少女が歩き出した。
「鉄拳健脚の格闘家!! ファイター・ノーヴェ!!!」
 赤髪の少女が清麿達を睨みつける。
「どんなに遠くても百発百中!! スナイプル・ディエチ!!!」
 長髪をリボンで結わえた少女が巨大な砲身を地に下ろす。
「高速飛行で楽々スイスイ!! フライヤー・ウェンディ!!!」
 盾に似た巨大な機械を持つ少女が空から舞い降りた。
「く……どいつもこいつも何て力を持ってやがる……!」
 清麿が焦りに冷や汗を流した直後、
「末っ子なのにスタイル抜群!! ボイン・ディード!!!」
 双剣を持った長髪の少女がおずおずとした様子で出てくる。
 清麿の表情は凍り付いている。対照的にスカリエッティは赤らむ程に血行の良い笑みで、
「さあ!! 『この中で仲間はずれは誰』!!!?」

―――――クワァァァァァァァッ!!!!!

 清麿が一瞬、猛烈な形相を露出し、
「………」
 双剣を持つボイン・ディードを見た。
「……………」
 双剣を持つボイン・ディードを見た。
「…………………」
 “双剣を持つ”ボイン・ディードを見たッ!!
「――A(アンサー).ボイン・ディード」
「正解!!! 流石は世界屈指の天才少年だ!!」
 スカリエッティは大いに笑い、マジョスティック・ナンバーズも沸き立つ。
「今日は私の完敗だ! また会おう、清麿君! ガッシュ君! ハハハハハハハハハ!!」
 そしてスカリエッティはマジョスティック・ナンバーズを連れて帰っていく。その後ろ姿に清麿は一言。
「――あいつら、またくるのかな……?」



 変わったのはジェイル・スカリエッティだけでは無かった。
 命令を受けたスカリエッティによって肉体を改造された戦闘機人、ナンバーズ。
 不遇の中に生まれ、一生笑みも無く生きていく筈だった少女達。
 そんな彼女達もまた、キッドによって笑みと感情を得る事が出来た。
 スカリエッティ達にとって、キッドが大きな存在になるのに長い時間は要らなかった――。



「ジェイル・スカリエッティ! ようやく追い詰めましたよ!!」
「……ふ、執念だな、フェイト執務官。よもやこの基地が見つけられるとは思わなかったよ」
「貴方が犠牲にした戦闘機人達も全員捕縛しました! 貴方の野望も……これまでです」
「犠牲、か。……私は無理強して彼女達を戦闘機人にはしていないが」
「それ以外の可能性を教えなかっただけでしょう! 命を弄び、そうじゃなかった筈の未来を改変した貴方は……最悪の犯罪者です!!」
「違う! 違うよ!! Dr.は最悪なんかじゃない!!そんなんじゃないよ! 僕達は好きでDr.と一緒にいるんだ!! 可能性を知らなかったとか、弄ばれたとか……そんなんじゃないよ!!!僕は……僕達は、Dr.が大好きなんだ!!」

「――ありがとう」



 捕縛されたスカリエッティやキッド、ナンバーズ。
 だが事態は急変する。



「――1000年前の魔物?」
「はい。前回行われた魔物達の闘い、……それに取り残された者達がロードなる魔物に操られて他の魔物達を襲っているんです。このまま収監所にいれば、いずれは貴方とキッド君も……」
「だから私とキッドもロード討伐に協力しろ、と?」
「――そうです」
「時空管理局も随分と狡い事を言う様になったものだ。……良いだろう、だがナンバーズも出してやってくれ。彼女達は優秀だ、私達の補佐になるだろう」
「…解りました」



 そうして始まる機動六課とスカリエッティ一派の共同戦線。
 突入した遺跡の中、彼等はロードの策略によって分断されてしまう。
 スカリエッティとキッド、補佐のセインとディエチが出会ったのはベルギム・E・Oを名乗る魔物。
 その余りにも強大な力が猛威を奮い、猛攻の前にスカリエッティが倒れてしまう――



「Dr.!!!」
 叫んだのはキッドだったのか、ナンバーズだったのか、はたまた全員だったのか。流血のままに倒れ伏すスカリエッティには解らなかった。
(……うご、かない)
 肘一つ、膝一つ、指一つ、何一つとして動かない。
(……ここで、うごけないで、どうする)
 攻撃され、倒れ、そのままでいるのか。そうなればナンバーズは、キッドはどうなる。


(私は…………僕は、キッドを王にするんだ)
(――僕の心を救ってくれたキッド)
(――ナンバーズの心を救ってくれたキッド)
(――笑えなかった僕らを、笑わせてくれたキッド)
(――そうとも、僕は最悪の犯罪者だ。人間として生きれた筈の彼女達を、機械に変えてしまった)
(けどキッドはそんな僕を、彼女達を幸せにしてくれたんだ)
(そんなキッドが、もっと多くの人を救える様に――僕は戦わなきゃいけないんだ!!)


《ギガノ・リュウス!!》
 ベルギム・E・Oのパートナーが呪文を唱え、攻撃が放たれた。
 密度ある巨大な闇の塊、それが一直線にスカリエッティに向かう。


(……立てよ)
 ―――――――――迫る。
(…立てよ)
 ――――――迫る。
(立てよ)
 ―――迫る。
(立てよ!!)
 迫る。
(立てよおおおおおおおおおおおッッ!!!)
 迫


「いやだDr.!!! ――死んじゃいやだあッ!!!!」



 瞬間、キッドがスカリエッティと攻撃の間に割り込んだ。そして、爆発。爆音と威力が叩き付けられる。



(――僕は、どうなったんだ?)
(生きているのか……? 死んでいるのか……?)
(キッドはどこだ? 守らなきゃ……。みんなは、どこに……)
「―――――――!!」
(……叫び? 誰の?)

「これ以上Dr.にひどい事してみろ!! 許さないからな―――――!!!」

(……キッド?)
 それはキッドだった。
 優しく、純粋で、生意気で、臆病で、いつも怯えてはスカリエッティやナンバーズに抱きついていた筈の、キッドだった。
「二人とも、今だよ!! 奴の本を奪うんだ!!」
「セイン、ディープダイバーで月の石だけでも奪うんだ!!」
「ディエチはその間にヘヴィーバレルの威力を溜めるんだ!!」



(……キッド? 本当にキッドなのか? いつも僕に泣きついていた、キッドなのか……?)

 ――Dr.、Dr.

(…おかしいな。戦っているキッドの他に、僕の中に直接語りかけてくる声がある……)

 ――Dr.、今でありがとう。……僕の本、さっきの攻撃で燃え始めちゃったんだ

(キッド、なのか? あそこで戦っているキッドとは別の、……これは、キッドの心の声?)



「やったよキッド! 月の石を取った!!」
「よし、今だディエチ! 砲撃を!!」
「――ヘヴィーバレル、ファイヤッ!!!」
 ディエチの砲撃とベルギム・E・Oの最大呪文がぶつかる――


 ――僕がこんな指示を出せる様になったのも、Dr.のおかげなんだよ?

 ――ねえ、僕は成長出来たかなぁ……?

 ――Dr.の様に、賢くて、格好良くて、優しくなれたかなぁ? ……ドクターは、今の僕を見て喜んでくれ
てる? ……僕は、Dr.のようになれた?

 ――もしそうなら嬉しいな。僕は王様になれたんだ

 ――いつも遊んでくれたDr.

 ――いつも笑わせてくれたDr.

 ――いつも、いつも優しかったDr.

 ――僕ね、Dr.と一緒にいるだけでいつも楽しかった

 ――僕の王様はね……ずっと、ずっとずっとDr.だったんだ!!!


 ――だからDr.。唱えてよ、最後の呪文を

 ――僕の本、新しい呪文が出たんだ。……きっとこの呪文はDr.達を護ってくれるよ

 今までありがとう。……僕の大好きな、Dr.ジェイル・スカリエッティ


《――ミコルオ・マ・ゼガルガ》



 放たれた呪文が、敵を最大呪文や本ごと消し去った。
 否、消えたのは彼等だけではない。
 キッドと、その本も無くなっていた。



「……Dr.、Dr.……っ!」
「…ごめんない、キッドが、キッドがぁ……」

「――解ってる。何も言わなくていい。…………何も」

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最終更新:2007年12月07日 22:55