黒い宵闇の中、岩場を歩く白い人影が1人。
栗色の髪をツインテールにし、右手には桃色と金で塗られた、魔導師の杖。
防護服・バリアジャケットを身につけたまま、その女は手頃な石に腰かけた。
「…はぁ、はぁ…はぁ…」
ずっと歩き詰めだったのか、女の息は荒い。
女はそんな息を整えると、1人夜空を仰ぎ見る。
いくつもの星々。そしてその中でも一際目立つ、異様なまでに巨大な彗星。
(どれだけ経ったんだろう…)
女は思う。
この奇妙な世界に飛ばされ、帰る手立てもなく、仲間達ともはぐれた、1人の旅。
いつになったら皆と再会できるのだろう。いつになったら帰れるのだろう。
否。
果たして皆に会った時、自分は彼らと共に歩めるだろうか。果たして帰る機会が生まれた時、自分はそのまま帰れるだろうか。
(…できるはずないか…)
今の自分に、ぬけぬけと仲間達の隣に立つことはできそうにない。
今の自分に、ぬけぬけと皆の待つ世界へ帰ることはできそうにない。
何故なら、

「――何だ、お前?」
「っ!?」

いつ頃からそこにいたのだろうか、女の目の前には、1体の悪魔が現れていた。
ミストデーモン。攻撃力2400の上級モンスター。
「見たところ魔法使いみたいだが、見慣れねぇ顔だな…」
漆黒のデーモンは、爛々と輝く赤い目で、女の顔を覗き込む。
(このモンスター、パッと見ではかなり強そうだけど…)
ただでは逃れられないと悟った女は、反射的に相手の力量を計る。
そしてその瞬間、「しまった」、と思った。
しかし、そう後悔した時には、既に遅かった。
「お前、ひょっとするとデュエリストじゃないだ…」
「ねぇ」
女の声が、ミストデーモンの詰問を遮る。
「あん?」
不意に話しかけてきた女に対し、ミストデーモンは不満気な声を上げる。
目の前の女からは、いつの間にか、先ほど空を見ていた時までの物憂げな表情が消えていた。
その代わり、淡々と相手を見定めるような無感情な視線と、冷酷な冷たい微笑みが貼り付いていた。

「貴方、強いの?」

その顔には、「虐」の一文字が赤々と輝いていた。

「何だ急に?」
いきなり訳の分からないことを尋ねられ、ミストデーモンは逆にその意味を問う。
相手の豹変は特に気に留めていないようだ。もとより今会ったばかりの人間の変化など、分かるはずもない。
「言葉通りだよ。私は貴方が強いかどうか、それが知りたいの。ねぇ…貴方は強い? 弱い?」
対する女は、手にした杖を槍のような形に変え、その穂先を悪魔に向ける。
「ヒャハハハハ! 見くびるなよ! 俺は覇王軍でも指折りの悪魔だぜ」
敵対の意志ありと判断したミストデーモンは下品な笑い声を上げると、その太い腕を持ち上げる。
「少なくとも、お前みたいな細っこい女1人へし折るぐらいはわけな…」
「…そう」
閃光が走った。
轟音と共に、ミストデーモンの腕が吹き飛ばされる。
「ギ…ギャアアアアアアッ!」
直後に襲ってきた激痛に、ミストデーモンはその身をよじらせた。
「なんだ、それぐらいか…じゃあ…」
相手の底が見えた瞬間、女の品定めをするかのような目に、嗜虐的な光が宿る。
「好き放題いたぶらせてもらうね」
邪悪な笑みを浮かべ、女は杖から、尚も砲撃魔法の光を放った。

黒い悪魔が原型も分からぬ形までその身を崩され、命の消えた身体が自壊した後、女は杖を元の姿に戻す。
「…ぷっ…くくく…」
そして、不意に口元を歪ませ、そこから抑えた笑い声が漏れたかと思うと、先ほど見上げた夜空に向かい、思いっきりその口を開いた。
「…あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
白いバリアジャケットの女は、狂ったように笑い出す。
加虐心を満たしたのか、その美しい顔から、「虐」の文字がすっと消えた。
「あはははははははははははははははははははは! あははははははははははははははははははははははははははは!」
女の頬を涙が伝ったのは、それが消えた直後だった。
それでも女はそれを拭うこともなく、ひたすらに声を上げ続ける。
「あはははははははははははは! 私…またやっちゃったよ! あはははははははははははははははははははははははははははははは!」
狂喜の声は、いつしか悲しい笑いに変わっていた。

ひとしきり笑い終え、落ち着いた女は、元の石へと座り込んだ。
「………」
しばらくの間、女は無言だったが、再びその目に涙が込み上げてくる。
「…くっ…うう…っ…」
抑えた嗚咽が、無音の闇の中に溶け込んでいった。
こんな自分に、一体何が望めようか。
誰か敵に会う度に、感情が爆発する。
強ければ強いほど、戦いを楽しみたくて仕方なくなる。弱ければ弱いほど、虐殺を楽しみたくて仕方なくなる。
「う…ぁ…あああああああああ…っ…!」
遂に堪えきれず、女は思いっきり泣き出した。
こんな自分が、仲間達と共にいられるものか。こんな自分が、元の世界に帰れるものか。
(こんな私が…)
高町なのはを名乗れるものか。
やがて女――なのはは、笑い疲れたのか泣き疲れたのか、そのままゆっくりとまどろんでいった。

明くる日も、なのはは1人だった。
暗い空の下を、1人歩いていた。
今のなのはにできることは、せいぜいそれぐらいだった。
と、不意に上空から、巨大な羽音が鳴った。
「!」
降りてきたのは、金の身体を持つ異形の竜・カース・オブ・ドラゴン。
そして、その背中に跨がっていたのは…
(覇王…十代君…)
一目で理解できた。豪華な彫金の施された漆黒の鎧に、背中に羽織った見事な赤いマント。
何より、見知った少年の冷たい瞳が、その存在を物語っていた。
「お前か。我が兵士を次々と殺しているのは」
十代の言葉には何の感情もない。伝わるのは、覇王の覇王たる所以――圧倒的な闘気のみ。
なのはの身が震える。
そこらの低俗なモンスターとは明らかに異なる、高潔かつ絶対的な力。
戦いたい。
胸が疼く。
戦って試したい。
なのはの心が叫ぶ。
自分の攻撃にどう応えるのか、それを見てみたい。
その冷徹なまでの自信を、完膚なきまでに叩き壊してやりたい。
(駄目…)
仲間だった十代を嬉々として手にかけるなど、なのはには到底許せることではなかった。
なのは必死に己の内なる激情と戦い、抑え込もうとする。
戦いたい。
(駄目…!)
戦わせろ。
(駄目、駄目、駄目…ッ!)
しかし、そんな抵抗など無意味だ。
闘争を求める負の心は本能。闘争を抑える正の心は理性。
どちらが強いかは明らかだ。何より、抑えられるのなら、今まで苦労していない。

「…ねぇ」

あの声が響いた。
冷たく、相手に問いかける、あの声が。
「虐」の一文字が、冷酷な笑顔に貼り付いた。

「貴方…強いの?」

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最終更新:2007年12月08日 09:10