一人の騎士がいた。
強大な敵を相手に決して退かず、戦い続けた騎士がいた。
決して敵に背を向けず、その大きな背中に小さな主を守り続けた騎士がいた。

――――誇り高き、一人の騎士がいた。



女神カルドラにより作られた創造の書「カルドセプト」。
一筆書き加えれば、その通りの世界が創造される森羅万象の書。


かつて、その創造の書を巡り世界が滅びかけた日があった。

――邪神バルテアス。
邪神は女神カルドラより創造の書を奪い、世界を己の恣に書き換えようとした。

大空を埋め尽くし全てを腐らす蝿の王にして風の王「ベールゼブブ」
大地を喰らい毒を撒き散らす巨人の骸にして地の王「ダークマスター」
大海を制し大陸さえも沈める八つ足の異形、水の王「ダゴン」
旧世界の全てを焼き滅ぼす破壊の神にして火の王「フレイムロード」
これら四属の王に仕える屈強な戦士の一族「ミゴール族」

バルテアス神が作り上げたクリーチャーにより、世界は流血と混沌に満ちていった。
空は風の王に埋め尽くされ、もはや昼と夜の区別も無く。
大地は毒で汚染され、奇形の動物で溢れ。
大陸もろとも数え切れぬの命が海に沈み。
森林、山地、平野、あらゆる場所にミゴール族が現れた。

世界の守護者たる古竜たちが立ち向かい、数多の敵を屠ろうとも、バルテアスが創造の書に一筆書き加えるだけで邪神の軍勢は数万に増える。
古竜たちは絶望的な戦を繰り広げ、一匹また一匹と大地に墜ちていった。
古竜たちに落とされた風の王は、その死骸ですら毒を撒き散らし大地を汚す。

――――世界は滅びへと向かっていった。


歪んでいく世界を見つめ、女神カルドラは決断を下す。
女神は大地の邪神バルテアスに光の剣を振り下ろし、邪神を創造の書ごと、さらに数百万の地上の命を巻き添えしながら討ち倒した。

自らの創造物の命を奪った女神は、その日を最後に世界から離れ、二度と姿を現すことはなかった。


砕かれた創造の書は、無数の欠片となって世界に降り注いだ。

創造の書の断片。
断片となっても尚、力を失わぬソレは魔力やクリーチャーを呼び出すことを可能とし、カード状の断片から力を引き出せる人間は「セプター」と呼ばれるようになった。


カードの研究が行われる中、ある錬金術師が一つの仮説を立てた。

『創造の書の断片であるカード。これらを全て集め、創造の書を復元した者は神の力を手に入れる』

かくして動乱の時代が幕を上げた。
カードを手に入れるためにセプター同士が争い、魔物を従え自然現象を操る人智を超えた力は無力な民の脅威となり、セプターを忌み嫌う民により罪無きセプターが処刑される。


戦乱の世の中、ある集団が現れる。
『黒のセプター』
本来単独で行動するセプターとしては異例の、統制されたセプター集団。
カードを奪取するために幾つもの都市を、その住民ごと滅ぼす無慈悲なる集団。
カードコンプリートまで残り三枚となった彼らは、最後の拠点へと侵攻する。

――エンダネス島
民との衝突を良しとしないセプターたちの隠れ里であり、唯一のセプターのためのギルド。
賢者ホロビッツら「三賢者」が、唯一の生き残りとなった水の王と契約し、水の王たる『彼女』がギルドマスターとして守護する島であった。
セプターたちの天国であった里は、黒のセプターの襲撃により原形を留めていなかった。
黒のセプターによって復活、繁殖された風の王。
魔具により強化されたミゴール族。
そして黒のセプターが長、ベルカイルによって放たれた広域殲滅魔法「メテオストーム」
もはやエンダネス島は死骸と瓦礫、魔物で溢れる魔都と化していた。



――――己の槍は届かなかった。
セプター・ナジャランの最も忠実なクリーチャー『ナイト』は、その4m近い巨体を壁に打ち付けられたまま、茫洋とした思考の中で、その言葉だけが浮かんだ。

専心の一撃であった。
黒のセプターが長、ベルカイルに対し放った一撃。
だが、それが奴に届く直前、己は弾き返され壁に打ち付けられたのである。

槍を握っていた右腕は、その鎧装の全てを粉砕され、胸部装甲の一部が崩壊している。
内部機関にも重大な破損が見られた。
身体のあちらこちらから不快な噴出音がする。
蒸気が流れ出るように、魔力が流出し続ける。

「……馬鹿な!ドワーフ鋼製の俺の刃が……砕かれた!?」
相棒の槍――リビングウェポンの声が聞こえる。
身体の半分を砕かれたが、何とか生きているようであった。

かすむ視界の中、己を鎧袖一触で打ち払った相手を見る。
己と同様、人には在らざる巨体。
威容を誇る漆黒の鎧。
業物と一目で分かる剣と盾。
――――『首無し騎士デュラハン』
『ナイト(騎士)』などという一兵卒である自分などでは到底適わぬ『魔将軍(ジェネラル)』であった。

故に、これは必然であった。
敵手と己では能力に歴然たる差がある。
さらに完全な不意打ちで行われたカウンター。
損傷は致命的だった。
外部装甲だけでなく、内部機関への重大な破損。関節部位にも影響が見られる。
恐らく今の状況では歩行するだけで、己の身体は破損し崩壊していくだろう。
止まらない魔力の流出で意識が深い闇へ沈みかけた――――その時

『助けて――――父ちゃん』

声が聞こえた。
己の主である、少女の声が聞こえた。
どんな修羅場であろうとも、決して諦めない少女だった。
人ならざる黒のセプターと対峙した時も、風の王と対峙した時も、地の王と対峙した時も、人とは比較にならぬ魔力を持ったエルフと対峙した時も、つい先ほど、魔都と化したエンダネス島を駆け抜けた時も、決して臆することなく立ち向かっていった少女だった。
いつだって笑顔で前を向いていた少女の、初めて聞く、弱弱しい、今にも泣きそうな、助けを呼ぶ声だった。


――――――心臓に火が灯った。


沈みかけていた意識を無理やり叩き起こし、役立たずだった目を開かせる。
『敵』を見た。
巨体である己よりも巨大な体躯。肉の塊に巨大な目がついた醜い化け物。
『デスゲイズ』
命を奪うのではなく、存在を構成する『創造の書』の記述を抹消することにより、相手の存在そのものを宇宙の因果から永遠に抹消する邪眼。
邪眼が、主を、少女を視界に捉えた。
身体を起こす。
急激な動きに耐えられず、装甲が崩壊する。魔力の流出が一層激しくなる。

――それがどうした。

邪眼から放たれた光が少女を包む寸前に、己の身体を少女の前に割り込ませる。

「ナイト!?」
驚愕と共に放たれた主の声には返答できなかった。
これから己が為すことは、きっと彼女を傷つける。
それでも尚、この場を退く訳にはいかぬ。

未だ鎧装の残る左腕を盾にするものの、装甲は光を受けた端から崩れ、消えていく。

――それがどうした。

――――デスゲイズ?デュラハン?到底適わぬ?

――――――それがどうした!それがどうしたというのだ!!

――――――――己の主を守るという誓いの前に、そんなものが障害足り得るか!!!

だが、予想していたより光の奔流の圧力が強い。
氾濫した濁流のような光は、容赦無く己の巨体を押し流そうとする。
このままでは己は盾にさえ成れない。己を飲み込んだ後、光は少女を飲み込むだろう。
それだけは容認できぬ。それだけは、決して容認できぬ!
前に進まなくては。前へ、一歩でも前へ。
しかし、己の足は動かない。デュラハンによる一撃が、脚部に深刻な損傷を与えている。
己の意思通りにすら動かぬ身体に殺意にも似た怒りを覚えた時。

「だめ……やめてナイト!あなたが消えちゃう!!」
今にも泣きそうな少女の懇願の声。
己が退けば、次に消えてしまうのは自分だというのに。
ストン、と今まで意識を占めていた怒りが、あっけなく消える

――嗚呼、いつもそうだった。
力あるセプターである少女は、どこにでもいるような、天真満欄な年頃の少女だった。
ただ、誰かの悲しみに涙を流すことができ、誰かの不幸が許せない少女だった。
――いつもそうだった。
少女が力を振るう時、彼女が怒りを見せる時、それはいつだって誰かが、友が傷つけられた時だった。
そして、その誰かの、友の中には己たちクリーチャーも入っていた。
セプターにとって、カードのクリーチャーなど道具でしかないのに。
少女にとっては大切な、共に暮らす仲間だったのだ。
――――少女は、自分よりも少しだけ、他の誰かが大切に思えることができる人間だった。

ズシン、と鈍い音が聞こえた。
一歩、足が地面を踏みしめた音だ。
先ほどまでの苦難が嘘のように身体が動く。
一歩、また一歩と前に、着実に前に進む。
身体が消える。
既に装甲は全て消滅し、鎧の無くなった己の素体まで消えていく。

記憶が消える。
己という存在が消えていく。
己が経験した記憶が、思い出が消えていく。
――いつの頃だったろう。まだ幼い少女が己の鎧に頭をぶつけ、大泣きしたのは。
――いつの頃だろう。師に酷く叱られ、己の鎧の隙間に逃げ込んだのは。
――少女に言われ、最後に己がジャガイモの皮は剥かされたのは、いつの頃だろうか。主は家事がことさらに苦手だった。あれではいつか苦労するだろうに。
暖かい、穏やかな、愛しき記憶。
だが、たった今思い浮かべようとした情景さえ、次に一歩進めば消えてしまう。
それを哀しく感じながらも、前に進むことは止めなかった。

一歩進む度に空っぽになる。
ガラクタになっていく己。
しかし、一番大切なことだけは覚えていた。
――――あの日の誓いだけは、忘れない。
一番大切な想いだけは――――決して。

「やめなさいナイト!!命令よ!」
もはや少女の声は涙を隠せなくなっている。
後ろを向くことはできないが、きっと少女の顔は涙でグチャグチャになっているだろう。
しかし、止まるわけにはいかぬ。
今回ばかりは己の我侭を貫かせてもらおう。

「申し訳ありません。我が君」
初めて少女に答える。
それは、初めて、そして最後に『彼』が少女の命令に逆らった言葉だった。

「ですが今こそ……前の主君の命を果たす時です」
――女神カルドラよ、まだ声が発せることに感謝します。ですが、出来うれば後もう一言。

邪眼まであと10m、右腕で剣を抜く。
もう、左腕は無い。

「先代の主君……ナジャラン様の御父上が、最後に私に命じられました」
少女の父もまた、セプターであった。
力あるセプターでありながら、力の在り様を間違えなかった。
力あるセプターでありながら、一人の人間、一人の父で在り続けた。

セプターとしての在り様を、世界との付き合い方を少女に教えたのは彼であった。

――誇らしかった。
それまで幾人かのセプターに使われてきたが、道具でなく、一人の騎士として己を扱ったのは彼が初めてだった。
気高きセプターを主君とし、その主君に騎士と認められたことが誇らしかった。

だからこそ、己が憎い。
あの日、主を守ることができなかった己の無力が憎い。

あの日、あの時、主君は敵に囲まれ自身も深手を負いながらも、決して戦うことを諦めなかった。
その戦場のなか、主君はいつもと変わらない、人好きのする笑みで己に託したのだ。

――――あの日の誓いを今、ここに。

駆ける。
もはや身体など半分も残っていない。
だが駆けることはできた。
駆けながら剣を大上段に構える。

消えていく身体。
消えていく記憶。
だけど――これだけは憶えている。


『ナジャランを守ってやってくれ』


――――誓いと守るべき人の名、これだけは憶えている。


剣が振り下ろされる。
落下にまかせた駄剣などではない。
精確かつ鋭い斬撃として、邪眼を袈裟懸けに斬り裂いた。
斬り裂かれた邪眼が、断末魔の叫びの如く雷光を撒き散らす。

――断言しよう。私は幸せなカードだ。

二代に渡り、気高き主君に仕えることができた。
道具でなく、クリーチャーですらなく、騎士として生きることができた。
主君を守れなかった駄剣であったが、それでも最後の最後には守ることができた。

――断言しよう。私は、世界で最も幸せな騎士だ。


後悔は無い。
己は転生すら許されぬ道を辿るだろう。
だが、誓いを果たすことはできた。

――――後悔はない。

――――だけど。

――――だけれども。


太陽のように笑う少女の、悲痛な泣き顔だけが――――いつまでも心に残った。



そして、邪眼を斬り裂いた剣が落ちるよりも早く、騎士の身体は消滅した。

これが、ある宇宙、ある世界での、誇り高き騎士の最期であった。




  『リリカルなのはCuldcept ―Belkan Holy Knight―』



「…………?なんだろうコレ?」
学校帰りの裏路地で、高町ヴィヴィオは不思議な物を見つけた。

ちょっとした冒険のつもりだった。
いつもとは少しだけ違う帰り道、いつもと少しだけ違う街角、いつもと少しだけ違う雑踏。
少女にとっては十分冒険であった。
少女の通う学校は規則に少々うるさい傾向にあり、また少女の御目付け役であるシスターは、それに輪をかけて口うるさいのである。
そんなガミガミシスターも今日は別の用事があるらしく、少女の帰宅には付き添わない。
千載一隅のチャンスであった。
出かける直前にシスターは
『いいですね。寄り道は駄目です、買い食いも駄目です。真直ぐお家に帰るんですよ』
と言っていたが、そんなの関係ねぇ!と言わんばかりに少女は燃えていた。
いざ行かんヴァルハラへ!というテンションである。いや、ヴァルハラは駄目だろ。
かくして少女の日帰り冒険が始まったのであった。
とは言え、大岩が転がるでもなく天井が落ちてくるわけでもなく、野良猫を撫でようとして逃げられた辺りが彼女の冒険のクライマックスであった

そしてエンディングを向かえ、スタッフロールが流れる辺りで、少女は『それ』を見つけたのだ。

道端に落ちていた『それ』はカードのようだった。
表に円の中に4色の丸が入った模様。そして、裏には騎士の絵が描いてある。
学校の男子たちが夢中になっているカードに似ているようだったが、男子たちが遊んでいるカードは紙で出来ているのに対し、『それ』は石や鉄で出来ているようだった。
カードというよりも、むしろ板と言った方が近い。
『それ』をヴィヴィオは一目で気に入った。
男子たちがカードに夢中になっている姿を見て、何が楽しいんだろ?男の子って変なのー、などと思っていたが、それは撤回しよう。
カードに描かれた騎士
それがヴィヴィオを強く惹きつけた。
古びたカード。
だが、そこに描かれた騎士は、何者にも屈さぬよう雄雄しく見え、そして誰よりも優しく見えたのだ。
カードを上着のポケットに仕舞い込む。
宝物を見つけた時は、決して落とさぬ様そこに入れるのだ。
思いがけない宝物の発見に、ヴィヴィオは上機嫌で自宅への道を歩いていった。


それは運命だったのかもしれないし、ただの偶然だったのかもしれない。
ただ、言えることは
――――その小さな冒険には、意味があったのだ。



「……脱走者?」
昼を過ぎ、客足もまばらになった喫茶店のテーブル。
意外な単語を聞き、高町なのはは親友である八神はやてに思わず聞き返していた。
「そや、今月だけで既に十人を越えとる。しかも脱走者にはAAAランクの空戦魔導士までおったみたいでな、上じゃ大騒ぎになっとる」
「AAAランクまで!?」
基本的に志願制である管理局で、脱走は非常に稀である。
さらにAAAランク。ミッドチルダでも有数の高給であり、本人が望めば後方勤務も可能。
臆病風や待遇への不満では到底説明できない異常事態であった。
不満でなければ別の理由が。明確な理由がある筈である。
なのはの、そんな内心を汲み取ってか、はやては話を続ける。
「脱走者には皆、共通点があってな」
――共通点。この異常事態において、おそらく唯一の手掛かり。
「――ベルカや。脱走者は皆、なんらかの形でベルカに関わっとる。ベルカ系移民の末裔、近代ベルカ式の使い手やったりとかな」
「カリムんとこの聖王教会でも脱走者が出とる。向こうはもっと深刻みたいでな、シャッハと一緒に本部で缶詰や」
「フェイトちゃんも、この案件を追うとる。うちも古代ベルカ式を使うとるせいで、上から睨まれて碌に動けん状況や」
そこまで一気に言い切り、はやては真直ぐな瞳で親友を見つめ、言った。
「気をつけてな、なのはちゃん。この事件、きっと厄介なことになる」
昼下がりの喫茶店。
その穏やかな静謐、それが酷く不気味だった。


八神はやての予感は、現実のものとなる。

ミッドチルダ首都、クラナガン市内各所で唐突に発生した無差別テロ。
故レジアス・ゲイズ中将が鎮圧に成功して以来10数年ぶりの、そして空前絶後の大規模テロであった。
各基地同士の連絡は絶たれ、さらに別の基地を襲撃する陸士・空士部隊まで登場。
味方からの攻撃。連絡を絶たれた状況で、誰もが疑心暗鬼に陥る。

クラナガンは戦場と化した。


戦火の中、なのはは一人の騎士と対峙していた。
襲撃を受けた基地へ救援に向かう途中、突如として襲い掛かってきたのだ。
自分より少しだけ年上と思われる、青年と言って差し支えない騎士。
手に持った片手剣、三角の魔方陣、身に纏った魔導甲冑。
どこか烈火の将にも似た、まぎれもないベルカ騎士であった。
先日の、親友との会話が思い出される。
答えは直ぐ導き出された。

「君が脱走者の一人だね。――何で?何でこんなことが出来るの?」
眼下には燃え落ちる街並。
本来は人々の笑顔で溢れている筈だったのに。
そして、その笑顔を守るにが自分たちの、管理局の役目だった筈だ。
許容できない。決して許容できない。
彼女にしては珍しい、明確な怒りを持って相手の答えを待つ。
彼女の怒りに、感情の抜け落ちた瞳で、騎士は淡々と答える。
「最初に質問は否だ。だが、彼らは俺たちの同志だ。次の質問については――」
一度、騎士は言葉を区切る。
瞳に感情が宿る。
――意志。
狂気にも似た、鉄のような意志が宿った。

「――――ベルカ復興。我らが祖国に、再び栄誉を」

一瞬、彼の言っていることが理解できなかった。
魔法技術としてのベルカでも、自治区としてのベルカでもない。
かつて栄華を誇った次元世界。ロストロギアの暴走で滅びた国。
それを復活させる。青年は、そう宣言したのだ。
「そんな……、そんなことのために!!」
罪無き人々を傷つけたというのか。
「これ以上ない理由だ。俺たちと君では、根本的に立ち位置が違う」
なのはの怒りに満ちた瞳を前にしても、騎士の語り口は変わらない。
淡々と、自明の理だと言わんばかりの口調。
それが、さらになのはの心を逆撫でにする。
そのせいだろうか。彼女の次の言葉は、無意識の内に、騎士にとって最も触れてはならない場所に触れてしまっていた。
「そんな……! 滅びた国のために、当の昔に自滅した国のために――」

「――――違う」
騎士の様子が豹変する。
今までの感情の抜け落ちた声とは全く異なる、暗闇から這い登るような、暗い声。

「自滅などでは無い……自滅などでは断じて無い!」
騎士の言葉に、絶望と狂気が入り混じった瞳に、なのはは声を失う。
騎士の声は止まらない。

「俺は……俺たちは見た! 祖国が! 守るべき民が! 友が! 家族が! 愛する人が、次元の狭間に消えていくのを!! 死体すら残らなかった!!!」

「俺たちは、『あの日』『あの丘』で見続けることしかできなかった!!!」

――――慟哭。

「……それしかできなかった。貴様らミッド人共の作戦を止めることが出来なかった俺たちにはな」

――――懺悔。

騎士は慟哭と懺悔と共に語った。
ベルカは滅びたのでは無い。他ならぬ、ミッドチルダの手によって滅ぼされたのだ、と。
それを自分たちは見届けたのだ、と。

「それじゃあ……あなたは」
生々し過ぎる慟哭。
ただ理想を語るだけでは到底達し得ない言葉の重み。
導き出されるのは一つの結論。

「――そうだ、我らは聖ベルカ騎士団。聖王陛下の忠実なる騎士にして愚かな敗残兵。君らの言う古代ベルカの騎士、150年前の騎士だ」

絶望は、憎しみは連鎖し、継承される。

「俺たち騎士団は誓ったのだ、あの丘で。再びベルカを再興させると」

「ある者は生き残りを集め組織を作った、誓いを後代に継承させるために。ある者は怨敵に恭順した、敵地で再起を伺うために。ある者は地下に潜り同志たちを募った」

「そして俺たちは永い眠りについた。再起の折、同志たちの剣となるために」

「地獄だったよ。永すぎる冷凍睡眠と、不完全な装置は重大な障害を発生させる。二度と目覚めなかった同志がいた。老化が止められず朽ちていった者もいた。半ばで意識が目覚めたものの、カプセルが開かず餓死した者すらいた。40人近くいた同志は、半分以下になっていたよ」

――妄執。
国を、理想を、家族を、友を、恋人を、大切なものを何一つ守ることができなかった騎士たち。
彼らの絶望は、後悔は、無念は、150年に渡り消えることは無かったのだ。
150年の時をかけて受け継がれ、広がり続けた想いは、黒泥が如き妄執と化し、クラナガンを覆う戦火となっていた。

声が出ない。
青年の絶望が、後悔が、無念が、痛いほど伝わる。
人々の笑顔を奪われ激怒した自分。
だが、もし自分が彼と同じ状況に陥ったら?
親友を、家族を、『あの子』を、大切な人たち全てを奪われたら?
――そんな自分を棚に上げ、彼を否定できるのか?
これ以上、彼の瞳を見ることができない。
きっと、考えてはいけないことを考えてしまう。

「だが、そんな地獄も終わりだ。俺たちが待ちわびた御旗は立ったのだ」

だが、聞き逃せない言葉に顔を上げる。
青年と眼が合う。
先ほどまでの狂気はなりを潜め、今はただ、静かな瞳をしていた。

「この状況が理解できたか? そう、俺たちの目的は唯一人。我らが唯一にして無二の主君、聖王高町ヴィヴィオを迎えることだ」

大切な人の、名前がでた。

「彼女を迎え、戴冠させることによって御旗は立つ。聖王の御旗のもと、俺たちはミッドチルダに宣戦布告を行う」

騎士は宣告する。
高町なのは。聖王の保護者であり、Sランク魔導士。最も懸念すべき不確定要素。
彼は、自分一人を足止めするために来たのだと。

「……私には、君のことをとやかく言う資格は無いのかもしれない」
彼らの想いは理解できる。理解できてしまう。

――だけど。

レイジングハート。
不屈の名を冠する相棒を構える。
彼の瞳を真直ぐ見据える。

「あの子には――ヴィヴィオには手を出させない! あの子は私が守る!!」
これだけは断言させてもらう。
彼に大切な人がいたように、自分にも大切な、譲れない人がいるのだ。


砲口を向けられながらも、青年は僅かに笑った。
それは憧憬だったのかもしれない。
――出来れば、そういう風に戦いたかった。
だがそれは、もう手遅れだ。
心も、身体も、何もかもが遠い。

許されるならば、最期の敵手に敬意を。

「すまないが、高町なのは一等空尉。俺は君とは戦わない」
予想外過ぎる言葉に、構えた砲口が揺らぐ。

「一体何を言って!?」
「言っただろう、永すぎる冷凍睡眠は重大な障害をもたらすって。俺も例外じゃなった。戦闘に、リンカーコアが耐えられないんだ」
青年は自嘲するように笑った。

「だったら投降し……」
て、と続けようとした時。
周囲の風景が変わる。
結界魔法。それも外界と遮断する隔離結界。


そして、青年が剣を自身の胸先に突きつける。
気まずさを隠すかのような苦笑。

「昔話に付き合ってくれて感謝する。それと、対峙がこのような結末で、すまない」

苦笑と感謝と謝罪。
それだけを残し、青年は己の胸へと剣を突き刺した


「なっ……なんで!なんでそこまで!!」
突然の自害、彼の意図が分からず、また先ほどまで会話していた相手の死に混乱するなのは。
だが、彼の意図はすぐに判明した。

結界が、魔方陣が紅く染まる。
術者が死亡したのに、結界は未だに存在し続ける。
未だ空中に浮かぶ『彼』の遺骸から流れ落ちる血が、魔方陣に飲み込まれていく。

「レイジングハート!?」
《大量の血液を媒介に結界を維持しています。該当データ無し。おそらく古代ベルカの秘術かと》
これが『彼』の役目だったのだ。
大切なもの全てを失い、永い眠りの果てに戦う術まで失った『彼』は、己を命のみをカードとして、なのはの前に立ち塞がったのだ。

「レイジングハート、破れる?」
《申し訳ありませんが不可能です、構成内容すら不明。魔力量は限られてますので、時間経過による結界の弱体化を待つしかありません》
「……どれくらいかかるの?」
《二時間は》
唇を噛む。
150年に渡る妄執は、その手を広げ続け、狂気じみた周到な計画を作り上げたのだ。
二時間という時間を稼ぐためだけに、若き騎士の命を捧げるような計画を。
一刻でも早く、あの子の元に行かなければならないのに。

「…………ヴィヴィオーーーーっっっ!!!」
紅い天空を見上げ、大切な人の名前を呼ぶ。
それが意味の無い行為だとしても、止めることはできなかった。
いつかの日、『彼』もそうしていたのかもしれない。

口の中で、血の味がした。


ヴィヴィオは震えていた。
朝起きたら、世界の全てが変わってしまったのだ。
街並が赤い。
つい昨日冒険した街並が、炎と黒煙に包まれていたのだ。
轟音。
遠くで炎が上がるのが見えた。

今、彼女は装甲車の中にいた。
眠っていたとき、突然アイナに起こされたのだ。
変貌した世界。
それに泣き出す暇もなく、突如部屋に押しかけた教会騎士たちによって連れ出されたのだ。
自分を助けるためだ。そう騎士たちは説明していたが、アイナを一緒に連れて行ってはくれなかった。
ぐずる自分を無理やり自宅の前に停めていた装甲車に乗せ、赤と黒に染まった街を疾走する。

震えが止まらない。
不安で押し潰されそうになる。
管理局に務める母達は、自分の傍に居ない。きっと誰かを助けるために、あの赤い街を飛び回っている。
アイナは一緒に来てくれなかった。
装甲車に空きは無く、アイナ自身も管理局から召集がかかったのだ。
震えが止まらない。
誰かに一緒に居て欲しかった。
大切な人たちに一緒に居て欲しかった。

小さな身体を、小さな腕で抱く。
そうでもしないと、不安で押し潰されてしまいそうだった。
震えが止まるよう、ギュっと強く、精一杯の力で身体を抱きしめる。
――腕に何か、硬い物の感触がした。
上着の胸ポケット。
とりあえず着て来たジャケット。昨日冒険した際に着ていたジャケットだ。
そのポケットには唯一の戦利品が入っている。
戦利品を取り出す。
昨日と何一つ変わらない、古ぼけたカード。
何一つ変わらない。
全てが恐ろしく変わって世界で、そのカードは、カードに描かれた騎士は昨日見つけたときと変わらず、まるで怖い物全てから自分を守ってくれるように雄雄しく、優しげだった。

カードを胸元に抱きしめる。

少しだけ、身体の震えが止まった。


車が止まる。
瓦礫が道を塞いでいる。
一人の教会騎士が傍に寄り、諭すように言う。
「ここから先は車じゃ行けない。でも、シスターシャッハの居る場所はすぐそこだ。それまで歩くことになるけど、大丈夫だね?」
その問いに、ヴィヴィオは黙って頷く。

カードを一層強く抱きしめた。

赤い街並。黒煙。瓦礫の山。
間近で見るそれは少女の心を掻き乱す。
時折視界に入る、炎ではない赤。黒い人型のナニカ。
それらを見ないよう、必死になって歩く。
教会騎士たちも、ヴィヴィオを中心に散開しながら進む。
彼らの緊張が、自分にまで伝わってくる。
しばらく歩き続けたその時。
突如、教会騎士たちが陣形を組む。
ヴィヴィオを守るように組まれた陣形で、騎士たちは各々の武器を前方に向ける。
直後、前方から声が飛んできた。
「よせ!味方だ!!こちら教会騎士団第三小隊、シスターカリムの命で援護に来た!」
それを証明するかのように教会騎士団の甲冑を着た男たちが五人、武器を頭の上に掲げて歩いてくる。
陣形を組んでいた騎士たちから安堵の吐息が漏れる。
向こうの騎士たちが合流する。
「すまない、気が立っていてな」
「この状況が仕方ないさ。通信網があらかた死んでいる、シスターカリムから直接命令書を受け取ったくらいだ」
そう言い、合流してきた騎士が命令書を見せる。
「この一帯の安全は確保した、二ブロック先の通りに車両を用意してある」
「助かった。こんな状況で、これ以上ハイキングは続けたくないからな」
騎士たちから緊張が解ける。
いつ、どこで襲撃されるか分からない状況での護衛任務は、彼らの精神を酷く磨り減らしていたのだ。
「これから楽しいドライブさ。……ところで護衛はこれだけか?」
「ああ、通信の遮断が痛かったな。俺を含めて四人、即席の混成小隊だ。何か問題でもあるのか?」

「――――――いや、好都合だ」

護衛の騎士たちの身体から刃が伸びる。
丁度二拍。その間を置いて、騎士たちは声も無く地面に倒れ伏した。
立っているのは五人。
たった今、合流してきた騎士たちだった。
その手に血で濡れた剣が握られている。

――ベルカの妄執
脱走者だけではなかった。
150年に渡る妄執は管理局にみならず、聖王教会の内部深くまで及んでいたのだ。

その光景を、ヴィヴィオはまるでテレビの中の出来事のように感じていた。
つい先ほどまで、一緒に居た人たちが倒れている。
たった今、話していた相手を殺す。
それを、その行為を、少女は理解できない。心が理解を拒む。

呆然として座り込むヴィヴィオに、男たちが迫る。
血に濡れた刃。
その鈍い光を見て、ヴィヴィオは初めて状況を理解した。
座り込んだ姿勢のまま、必死で後ずさろうとする。

「……っ!いやぁ……やだぁ来ないでぇ」
視界が歪む。
周りを囲む赤い世界。
誰もいない。
自分を助けてくれる人なんて一人もいない。
鼓動が異常な早さを刻む。
起き上がり、逃げ出そうとした瞬間。

「我々と共に来て頂きます。――聖王陛下」

足が止まる。
呼吸が止まる。
心が止まる。
聞いてはいけない言葉を聞いてしまった。
『聖王』
そんなものを望んだわけじゃい。
それが彼らにとって、どれだけ重要な事なのかも知らない。
だけど自分にとって、それは。

――傷つけた。たくさんの人を傷つけた。
ほんの一年前のことなのだ。
忘れるわけがない。
自分は、今思えばどうでも良いような理由で、数え切れない人々を傷つけたのだ。
大切な人たちを傷つけたのだ。
忘れようとしていたのに。
耐えられないから、とても耐えられなかったから忘れようとしていたのに。

でも、追いつかれてしまった。
いくら忘れようとしても、それは向こうから追いかけてきたのだ。
その結果が、目の前の世界。
炎と瓦礫の赤い世界。血を流し倒れ伏す騎士たち。
自分のせいで、また誰かが傷つく。
自分のせいだ、世界が変わってしまったのは。

だから、これは罰なのだ。
自分の周りに誰も居ないのも。
アイナが居ないのも。
シスターが居ないのも。
誰も、自分を助けてくれないのも。
――母が、助けに来てくれないのも。

涙は流さない――そんな資格は無いから。
逃げださない――そんな資格は無いから。
助けは呼ばない――そんな資格は無い。
喉が、胸が冷たいナニカで詰まる。
男たちが迫る。
それを少女に似つかわしくない、諦めの眼差しで迎えながら。


ふと、胸元で握り締めていたカードを見た。
騎士は変わらず、そこに佇んでいる。

――やめて。あたしは助かっちゃダメなんだから。

――騎士は変わらない。変わらず、少女の瞳を見つめる。
赤い世界で、ちっぽけな少女に、ちっぽけな勇気をくれた騎士。
だから、少女は少しだけ縋ってしまった。

「………………………………たすけて」

小さな、蚊の鳴くような声。
たとえ、すぐ傍にいても聞こえないような幽かな声。
それは無意味なものに終わるはずだった。


――――――――だが『彼』には、それで十分でだった。


大切なものを、何一つ守れなかった騎士たちの無念。
人が、人として生きるために必要な想い。それが奪われた人間の想い。
それは150年の時を経て、蟲毒が如き妄執と成り果てた。
それに、唯の人では太刀打ちできない。
人であるが故に辿りついてしまった感情の極致は、容易く人を飲み込む。

ならば何が、誰がこの妄執を討ち果たせる?
妄執に囚われた騎士たちと、正面から斬り結べるのは?

――答えはここに、少女の小さな掌に。





『ソレ』は何も無い空間に漂っていた。
何も無い空間。
夜と昼も区別も無く、白と黒の区別も無く、上と下の区別も無い。
ただ、『在る』だけの空間。

『ソレ』は何者でも、何かでも無かった。
形も無く、声も無く、思考も無い。
ただ、何も無い空間を何もせずに漂うだけのもの。
何も無い空間。
ただ時折、何かが聞こえるのだ。
それが聞こえる時、『ソレ』は『彼』になった。

聞こえてくる、声のようなもの。
何故か『ソレ』は、その声に強く惹かれるのだ。
聞こえてくる声。それが何なのか、何故自分はこの声に、こんなにも惹かれるのか。
そう思考する時だけ、『ソレ』は『彼』になるのである。
何故、自分はここにいる?
一体自分は何処から来た?
あの声は誰のものなのだ?
答えの出ない思考。思い出せない記憶。
だが、そのときだけ『彼』は形を持つのだ。
少なくとも両手と両足はある。
そして、その右腕には何かを握っていた。
捨ててしまえば良いのに、何故かそれを捨てる気にはなれなかった。
捨ててしまえば、今度こそ自分は戻れなくなる。
一体何に戻りたいのか。
それすら分からず『彼』の意識は再び何も無い空間へ沈んでいく――


『――――――――たすけて』


声が聞こえた。
幽かな声が聞こえた。
少女の、弱弱しい、今にも泣きそうな声が聞こえたのだ。


――――――心臓に火が灯る。


霧散しかけた形が戻る。いや、新しい形となっていく。
急速に集まりつつある身体で、『彼』をそれを握り締める。
右腕に握っていた何か。それは剣であった。


自分は何処から来たのか?
此処は一体何処なのか?

何一つ分からない。
何一つ憶えていない。

でも――これだけは憶えている。


太陽のように笑う少女の悲痛な泣き顔――――――自分は、その涙を止めたかったのだ。




ヴィヴィオの持っていたカードから光が溢れる。
突然のことにヴィヴィオも男たちも動きを止める。
唖然とする周りを尻目に、カードの変化はさらに激しくなる。
カードは、まるで機械仕掛けのように分解し、周囲に魔力を撒き散らす。

光が収まった後、その場には一体の異形がいた。
巨大な、4m近い鋼鉄で出来た体躯を持つゴーレム。
否。
全身を包む重厚な鎧。
右腕には、その巨体に見合った巨大な剣
――――『騎士』がいた。

ある宇宙、ある世界から放逐された騎士がいた。
全てを失おうとも、身体が消えようとも、記憶が消えようとも。己が消えようとも。
一番大切なものだけは守り抜いた――――誇り高き騎士がいた。

――――その『騎士』が今、少女を守るかのように男たちの前に立ち塞がっていた。

ヴィヴィオはただ呆然と『騎士』を見上げていた。
カードに描かれていた騎士。それが今、現実として目の前にいる。
『騎士』は自分と男たちの間に立ち塞がり、無言で男たちを見据えている。
不意に『騎士』が自分へと振り向く。
まるで男たちの存在など知らぬ、と言わんばかりに堂々とした動作で振り向いた。
『騎士』と眼が合う。
人間では無いということは一目で分かる。だけど怖くはなかった。
兜の隙間から覗く瞳に、明確な意思を持った瞳に、視線が吸い込まれる。

「私を喚んだのは君か? 少女よ」
低い、鉄のような声。だけど、どこか優しげな、穏やかな声。
その声を聞いた瞬間、視界が歪んだ。
さっきまで胸を占めていた冷たいナニカが消え、代わりに熱いものが込み上げる。
握り締めた手の甲に、温かい滴が落ちる。

赤い世界。
誰も来ない筈だったのに。
助けを呼ぶことなど許されなかった筈だったのに。

「助けを呼んだのは君か? 少女よ」
――――助けは来た。
途端に、涙が堰を切って溢れる。
嗚咽が止まらない。
恐怖のせいではない。
未だ世界は赤く、『騎士』の背には男たちがいる。
だけど、もう大丈夫なのだと。
幼いながらも、それだけは理解できた。

『彼』は黙したまま少女の答えを待つ。
少女は、あの声の主とは違った。
だが、涙を流すことすら耐えている少女の顔を見たとき、懐かしさを憶えたのだ。
何かのために、誰かのために涙することすら耐えようとした少女。
その姿が、記憶の奥底にある、いつか見た少女の表情に似ていたのだ。
少女の瞳から、堰を切ったかのように涙が零れる。
己が何者なのか。何処から来たのか。それは未だに分からない。
だが、為すべきことは決まった。
――――この少女の涙を止めよう。
――――この少女を傷つける、あらゆる害悪から守ろう。
きっと己は、そういう風に生きてきたのだろう。
ならば、これからもそうで在り続けよう。

『騎士』は少女の答えを待つ。
それは儀式であった。
新たな誓いを立てるための儀式。
炎と瓦礫で埋め尽くされた街。
そこで泣きじゃくる少女と、少女の傍らに佇む機械仕掛けの騎士。
どこか絵画を思わせる光景だった。


少女が口を開く。
今度は、ハッキリと、『騎士』に聞こえるように。
「―――――――――助けてっ!」

「―――――――――承知!!!」
『騎士』が吼えた。
瓦礫の街全てに響き渡るような咆哮だった。
その直後、『騎士』が振り向き様に剣を振り下ろす。
4m近い巨体から、捻りを加えて放たれた斬撃は暴虐じみた威力となり、『騎士』の背後に迫っていた男を叩きのめした。
文字通り人外の威力と精確さを兼ね揃えた一撃は、男を魔力障壁と魔導甲冑もろとも粉砕し地面にめり込ませる。

鎧袖一触。
その有様に男たちの警戒が跳ね上がる。
全員が得物を取り出し『騎士』へと向ける。
四つの刃に身を晒されながらも、『騎士』は身じろぎ一つしない。
ただ、少女を守るように一歩前に出て剣を構える。
一歩たりとて退かぬ。
そう言わんばかりの、泰山が如き構え。
常に、その背中に守るべき人がいた。その人を守るための剣だった。

「来い、下郎共」
『騎士』が言い放つ。
その言葉に男たちが殺気立った。
「下郎と呼んだか。我らがベルカ騎士を、下郎と呼んだか!」
男たちの一人が、殺気と共に言い返す。
「そうだ。少女一人に武器を持ち、多勢で取り囲む。それで騎士とは笑止!!」

『騎士』は一度たりとて理想を語るようなことはしなかった。
ただ、守るべきものがなんであるか、それだけは常に理解していた。

「来い。この子には指一本とて触れさせぬ」
殺気が膨れ上がる。
『騎士』もまた、剣先を妄執に向ける。



何も守ることが出来なかった騎士たちの妄執。
都市を飲み込み、たった今、少女を飲み込もうとした妄執の前に。

―――― 一人の騎士が立ちはだかる。



――――この日、戦場と化した街で。
――――幼き聖王は、世界を放逐された気高き騎士と出会った。

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最終更新:2007年12月09日 20:29