第七章『初めての再会』

はじめまして
また逢いましたね

     ●

 夕日に照る尊秋多学院の普通校舎がその影を長くし、その中でブレンヒルトは黒猫を見下ろした。
「で、学食に行こうとした私を何で引き止めたの? 理由を言いなさい三秒以内で」
「何でいきなり尋問形式なのさ。……ちなみに言えなかったら?」
「自分の胸と経験に訊きなさい。――あと二秒」
「……もし引き止めるに値しなかったら?」
「そう聞くって事は値しないのね? ――処刑決定」
 一歩進み出たブレンヒルトに黒猫が飛び退き、
「お、王城派の事について! 全員で大城・一夫を襲撃したけど負けたの!」
 身を伏せつつの報告にブレンヒルトは歩みを止めた。
「全員出たのに? 管理局からは誰が?」
 その疑問に黒猫は、解ってるでしょ、とこちらを見上げる。
「ギル・グレアム。……闇の書と一緒に現れたよ、あの人は」
「――そう」
 ブレンヒルトは沈黙し、黒猫は俯いた彼女に報告を続けた。
「でも彼等はゲストだった。主力はまた別」
 そこで一度区切り、
「この学校の生徒会四人組、彼等が全竜交渉部隊みたい。……どうする?」
「どうする、って……有事でも敵なら戦うだけよ」
「出来る? いくらブレンヒルトでもあの子達に恨みは無いでしょ」
 答えるのにブレンヒルトは一拍を要して、
「……敵として現れるなら、仕方ないでしょう」
 黒猫は応じない。ただ目を細めた心配そうな表情でブレンヒルトを見るだけだ。
「でも全竜交渉部隊ってまだ編成中でしょう? グレアムと違ってまだ敵になるとは決まってないわ」
「――そう。なら良かった」
 その言葉に喜色を感じ、気遣われた、とブレンヒルトは思う。気恥ずかしさを誤摩化す為にも話題を戻す。
「王城派は和平派に戻されるでしょうね。私達と交渉するには仲介役の増強が必要だもの」
「…こんな戦いで満足するなら最初から戦わなきゃ良いのに」
「それが誇りだもの。敵わないとしても現状出来る限りの戦いを挑み、自分達の主義を貫く事を望んだのよ」
 ブレンヒルトは自嘲した様に笑う。
「だから彼等を嗤う事は出来ないわ。滅びによって私達が失ったものを、少なからず取り戻したのだから」
 そう言って、ブレンヒルトは一つの音を聞いた。言葉を成さない響きだけのそれは、
「鳴き声?」
「あ、あそこ」
 影の外に立つ並木へ黒猫が走った。ブレンヒルトもそれを追い、根元で踞ったそれを見る。
「――小鳥」
 羽の揃った、しかしまだ幼い野鳥。それが飛翔に至らぬ羽ばたきを繰り返していた。
「どどどどうしよう!? 可哀想だよえらい現場見てるよこのままだと大変だよ食べていい!?」
「最後のが本音?」
 錯乱する黒猫を蹴ってブレンヒルトは溜め息。
「関わっちゃ駄目よ? 自然の摂理に反するんだから。……上を見なさい」
 ブレンヒルトが指差した先を黒猫が目で追う。並木の枝にあるのは器型の固まり、鳥の巣だ。
「鳴き声がしないでしょう? 他の子も親鳥も飛び立ったのね。――きっとこの子は飛べなかったのよ。その事を忘れたのか、力が足りなかったのかは解らないけど」
「随分詳しいね」
「覚えてないみたいだけど、あの時助けたのはアンタだけじゃなかったのよ」
 ブレンヒルトは思い出す。まだ1stーGがあった頃の事を。
「昔、暴走した機竜が森に突っ込んだ事があってね。その後機竜はとある男によって倒され…そして傷ついた動物達が保護された。その内の一匹がアンタで、当時の私が世話したのが小鳥だったのよ」
「その男って……」
 黒猫は続きを言いかけ、しかしそれを飲み込む。
「じゃあ、また助けたら?」
「駄目よ」
「何で? 前は助けてくれたんでしょ?」
 その問いかけにブレンヒルトは激昂しかけた。
……そうよ! そして1stーG崩壊であの小鳥は……!!
 それを胸の内だけに止め、うるさいわね、と呟く。
「来なさい、食堂に行く途中だったんだから。アンタの餌も貰ってこないと」
 ブレンヒルトは踵を返そうとして、
「いいよ、餌ならここにある」
 届いた声に身が止めた。
「どういうつもり?」
「自然の摂理ってこういう事でしょ? お腹空かした猫が動けない小鳥を前にしたら、食べるのは当たり前じゃん」
 黒猫は小鳥へと前足を伸ばし、だが戻ってきたブレンヒルトに飛び退いた。
「……もし私がいなくなったらどうするの」
「本能に従って食べちゃうね」
「つまり私がこの子を見守らない限り、アンタはそうする機会があるって事ね」
 ブレンヒルトが見下ろす先で小鳥はこちらを見ている。
……また助けて、また喪うの……?
 どうだろう。今回はあの時の様な危機があるわけではない。しかし死とはそれ以外にも有り得るものだ。
……この子を喪わさせない事が私に出来るの……?
 無理だろうか、と思い、そこでブレンヒルトは聞いた。小鳥の鳴く声を。
「…………」
 その声にブレンヒルトは息を吐き、そして黒猫に視線を向ける。
「あのね……いい?」
「うん、いいよ」
「何も言わない内に肯定しないの!」
 肩を落として、
「……ものすごく責任がかかるのよ? 軽い事じゃないんだから」
「じゃあブレンヒルトはその責任を果たせない人なの?」
 黒猫の返しに、問いに問いで答えないの、とブレンヒルトは注意する。そしてしゃがみ込んで手を伸ばし、すくい上げる手付きで小鳥を掌に乗せた。その動作に対して呟く事は一つ。
「……やっちゃった」
「あーあ自然の摂理を破っちゃった! いっけないなぁブレンヒルトちゃん?」
 はしゃぎ回る黒猫をどうしてやろうかと思うが、あいにく両手はふさがっている。
「ひゃっほぅ人生で初めて勝利した気がするぅわぁっ!?」
 全力で踏みつけようとしたが躱された。舌打ちしつつブレンヒルトは歩き出し、黒猫がそれを追い掛ける。
「どこ行くの?」
「食堂。この子用の餌とか段ボールとか、多分貰えるでしょう」
 そう告げた所でブレンヒルトは眉を下げる。困った様な口調で小鳥を見つつ、
「でも本当にいけない事なのよ? 放っておくのが自然の摂理なのに」
「だから自然の獣がそれを遂行しようと」
「よく考えたらアンタは自然の動物じゃないでしょうがっ!」

     ●

 佐山は休憩所の席から広場を眺めていた。そこに崩落の跡やそれによる被害は一切存在していない。
……全ては概念空間の中で起きた事、か……
 代わりにあるのは無数の制服と輸送車だ。屋台や植木屋、警備会社や野外ライブのトレーラーが点在する。
「ははは、見てくれんか御言君。美味そうじゃろ」
 片手に焼き鳥を持った大城が近寄ってきた。
「ご満悦だな御老体。……管理局が夜店にも通じているとは驚きだ」
 佐山は、戦闘後の概念空間に車両群が現れた時の事を思い出す。その乗員が広場の補修や自分達への治療を行った事も。
「一般職に偽装した管理局の出張部隊か」
「後始末とか被害の縮小とか、まあそんな所だなぁ。一応わしら、秘密組織だし」
「しかし護送車両をデコトラにするのはどうか。……騎士達が死に物狂いで抵抗していたぞ」
 考え方の古そうな者達だったからな、と言って佐山は口を閉ざした。
……あの戦いは無かった事に、か……
 本気の行き交ったあの戦いが隠される。日常の維持に必要な事だと知りつつも、あの場で唯一本気になれなかった自分として思う所がある。だがそれは胸の内だけにして、
「彼等が1stーGの過激派か?」
「の一つ、王城派じゃな。彼等は明日、暫定交渉を予定しとる和平派に合流してもらう」
「その和平派だが……そこでも今回の様にフィーバータイムかね?」
「大丈夫、和平派は話し合いを望んでおるよ」
 そこまで言って大城は佐山の隣に腰を下ろした。
「わし等も、なるべく争わない、というのが方針でなぁ。目的はあくまで概念解放、拒む者も多いだろうが……かつて他Gを滅ぼした我々は、二度も戦争を起こしたくないんだなぁ」
 乾いた笑みの大城を佐山は一瞥、大人は思いを多く持つものだな、と思い、
「つまり、遺恨を収めつつ概念解放を確約して世界が滅ぶのを防げ、と? 随分と都合の良い話を押し付けるな」
「全竜交渉とはその為のものでな」
 そこで大城は腕を上げて拳を作る。
「全竜交渉には佐山・薫、君のお爺さんから五つの条件が立てられておる」
 人差し指を立て、
「一つ、佐山・御言の探索に対して各G代表は自G以外の情報を伝えぬ事。またG崩壊に関する情報は原則的に佐山・御言自らが調査・判断するものであり、他者が指導する事を禁ずる」
 中指も立て、
「二つ、管理局関係者は全竜交渉の前提と各G代表の紹介以外、全Gの情報指導・公開を禁ずる」
 薬指も立て、
「三つ、協力者の補充は不問とするが強制は不可とする」
 小指も立て、
「四つ、管理局は佐山・御言が自ら行動する際に全力を持って支援する」
 最後に親指も立て、
「五つ、6thーGと10thーGの交渉は既に終了しているので、他Gとの交渉を火急速やかに行う事」
 そこまで言って大城は腕を下ろした。
「どうだろうなぁ?」
 窺う大城に対して佐山は鷹揚に頷く。
「正直に言うと弊害があるので遠回しに言うが、――やはり奴の脳は猿並みか」
 その言葉に、きびしいなぁ、と大城は苦笑、佐山は発言を止めない。
「交渉しろと言いつつ教えるのは前提と紹介だけ、後は手探りで進めろ、と? 間違いが起きたらどうするつもりだ猿爺め」
「まぁ落ち着け。……多分佐山翁は、御言君に過去を知識ではなく経験として得て欲しいと思ったんじゃないかなぁ。貘も佐山翁のアイデアでな?」
 佐山は頭上の重みを確認、見えはしないがそこに貘が乗っている事を意識する。
「と言われても私は未だこの状況が半信半疑なのだが」
「今すぐ結論を出す事もないでな。取り合えず事前交渉までは付き合ってもらえんかなぁ?」
 大城の対応を聞いた所で、佐山は自分の中に熱意がある事を自覚した。
……文句を重ねながらもやる気になっているのか……
 まだ関わるかどうかを決める序の口だ、と自分に言い聞かせて思考を落ち着かせる。
「――確かに昨日の今日だしな。……ならばとっとと1stーGの情報を吐きたまえ」
 佐山の答えに大城は肩を落とし、
「それについてはわしよりも適任者がおるでな、そっちから聞いてくれ」
 同時に背後で足音が生じる。振り向いた佐山が見るのは銀髪の男女だ。
「リインフォース君とギル・グレアム、……君達が私に説明を?」
 そうだ、と肯定してグレアムは佐山と向き合う席に座り、リインフォースもそれに倣う。
「聞いているかな? 1stーGの概念核は二分されている、と」
「何やらデバイスと、後は機竜なるトンデモ兵器に収められているとは聞いたな」
 それにリインフォースが頷き、
「一つは管理局西支部に収められた氷結の杖デュランダル、もう一つは所在不明の過激派、市街派の持つ機竜ファブニール改の中だ」
 覚えのある単語に佐山は首を傾げた。
「ファブニールとは……確か欧州の叙情詩に登場する竜だったな?」
「そう“ニーベルンゲンの指輪”だ。正しく言えば……その原盤となる北欧伝説、ヴォルスンガ・サガだね」
 補足したグレアムが一冊の本を机上に置いた。見覚えのあるそれは、
「これは…騎士の長銃から落ちた本か」
「その通り、そして――」
 更にグレアムは懐からカードを出して本に乗せる。すると佐山の意識に、読めない字で記された題名の意味が流れ込んできた。これも概念か、と思うがそれよりも重要なのは題名の方だ。
……ヴォータン王国滅亡調査書……?
 それはファブニールと同じく北欧伝説に登場する名だ。
「何故、異世界である1stーGがこの世界の叙情詩と同じ名を持つ?」
「どうしてそれをこの世界のものだと思う?」
 リインフォースの問いは微かに笑みを含んだもの。言葉を失う佐山にグレアムは、
「護国課設立の折、各地から有能な研究者やテストパイロット達が集められた。英国からも術式使いがやって来て、皆で地脈改造に乗り出した。だが改造施設が起動して以降、日本各地で異変が生じた」
「どのような?」
「世界各地で伝説上とされていた化物や世界が、地脈で繋がった地方に現れたのだよ。地脈改造は他Gとの接点を広げ、概念空間が日本の十カ所を中心に次々と展開、時に我々とも戦った」
 そうして解った事は、と言う所でグレアムは一息。
「改造施設を置いた十カ所、そこに現れる他Gの文明は地脈で対応する国の伝説や神話、文明に相似するという事だった」
「では……」
「そうだ。LowーGは発生して以来、各Gと交差して接点を得ていた。交差の折に他Gの負荷が捨てられる吹き溜まりとしての接点を」
 返されたリインフォースの言葉に佐山は思考する。
……各Gの負荷が廃棄され、故にその文化の特性も得たという事か……
 ならばLowーGから見た他Gはそれこそ神話の世界と言える。今まで以上に荒唐無稽になったな、と佐山は思い、そこで新たな足音を聞いた。
「あ、いた! リインフォースさーん!」
 駆け寄ってくるのは白服の高町だ。何事か、と皆が彼女に視線を向け、
「はやてちゃんが倒れちゃったの! “史上初の12色ドレッシングやー”とか言ってホットドックに沢山ソースをかけて!」
「……何をやっているのだ? うちの生徒会長は」
 顔色が信号機みたいにー、という叫びに佐山は溜め息をつく。
「高町、今は全竜交渉についての説明を受けている最中で――」
「な、何だと!?」
 佐山が言い終えようとした瞬間、リインフォースが突然立ち上がった。
「主はやて、今貴女を救いにーッ!!」
 突然の奇行に佐山が呆然、そうする間にリインフォースは走り去った。その方向を見つつ佐山は首を傾げ、
「……主はやて?」
 佐山の呟きに、説明していなかったな、とグレアムが応じる。
「彼女はデバイスだよ」
「デバイスとは器具の類ではないのか?」
「殆どはそうだがね、彼女はユニゾンデバイスという特別な機種で――元々は1stーG概念核の制御器として造られた者だよ」
「それが八神を主としているとすれば……」
 最早1stーGではなくLowーGを主としているという事だ。
……“大罪人と裏切り者”とはそう言う意味か……
 先の戦いでそう叫んだ騎士を佐山は思い返して、
「――何を見ている? 高町」
 こちらを凝視する高町に声をかけた。だが高町は佐山を見ず、周囲の老人達へと視線を向ける。
「…グレアムさん、大城全部長、ちょっと席をあけてもらえますか?」
「あっれぇ? 高町君、御言君と二人っきりになりたのがぶっ」
 囃し立てる大城を手刀で沈め、グレアムが高町を見据えた。
「伝える事が?」
「――はい」
 短い応答にグレアムは頷いて起立、大城を引きずって休憩所を去る。そうして残ったのは佐山と高町だけだ。
「それで、崇高なる私とタイマンで話したい事とは何かな? 下らない事なら即刑罰だね?」
「……うん、あのね」
「下らん。刑罰執行」
「まだ何も言ってないよ!?」
 と叫んだ所で高町は嘆息、僅かな静止を経て佐山を見つめる。
「佐山君、全竜交渉に関わっていくの?」
「君もそれを訊くのかね? ……まだ未定で、それを考えている最中なのだが」
「もし関わるなら、それに足る理由を得ていた方が良いよ?」
 佐山が見る先で高町は数分違わずこちらを見返す。
「昨日ね、佐山君達がいた森に私もいたんだよ。そして最後の狙撃を決めたのは、私」
「…何?」
 高町の告白に佐山は疑問を呟く。
……高町が、他者を自害に追いやった?
 彼女が敵を定め、加えて自害に追い詰めた、その事に佐山は驚く。自分が知る限りの高町ができる事ではない、と。
「高町…」
「私は成り行きと付き合いで管理局の一員をやってるけど、そこまで深入りしてる。――考え直すなら今の内だって事を覚えておいてね?」
 高町は佐山の追求を遮る。張り詰めた表情が佐山を見据え、
「この世界では、死んでなければどうにかなる。……だから、死んじゃったらどうにもならないんだよ」

     ●

 夕日が赤く彩る皇居東側、濠を渡る橋の欄干に佐山は新庄と腰掛けていた。高町やグレアム達は既に帰り、管理局の偽装車両群も撤収を始めている。
……御老体はまだか……
 佐山が帰らなかったのは撤収前の大城を待ち、明日の事前交渉に関する話を聞く為だ。だが、
……新庄君が帰らなかったのは何故だろう?
 隣に腰掛ける新庄は何をする風も無く、ただ全身を夕日に浴びている。
「…もし新庄君も待たせているのだとしたら、あの老人には極刑が必要だね」
「な、何? 突然の危険発言は駄目だよっ」
 こちらを見る新庄の表情は驚き、だが僅かな間でそれは消沈へと変化した。
「――あの、御免ね? 今日も昨日と同じ事をしちゃったよね」
 自分の指示通り騎士を撃てなかった事を言っているのか、と佐山は思う。だとすれば、
「後にフォローもしてくれている、謝る事はない。君は高町とは違う、前に出る事だけが能ではないさ」
「そこで高町さんを引き合いに出す意味は何……? ていうか、僕フォローなんかした?」
「昨日は膝を貸してくれたし、今日はこうして私と話してくれている」
 それを聞く新庄は深く溜め息。
「何だか、向いてないのかな? ボク」
「そんな事はない」
 と、それが昨日と同じ台詞だと佐山は気付く。
……どうやら私は、時折この人の言う事を否定したくなるらしい……
 その理由を佐山は悟りつつ、しかし追求はしない。
「……あのさ、どうして佐山君は今日ここに来たの?」
「どういう意味かね? あれだけの情報を与えて、来て欲しかったのでは?」
「だって、佐山君はまだ全竜交渉の権利を得てないでしょ? 昨日の事もあるし…ここで退けば危険な目には遭わないんだよ?」
 小さく首が傾げられ、
「――どうして?」
 問いに対して、高町も似た様な事を言っていたな、と佐山は思う。
……自分がここにいる理由、か……
 どうしてなのか、というその理由は解っている。だがそれが伝わるか、それが解らない。
「――――」
 何故か、と佐山は思う。生徒会選挙では大勢を前に演説し、勝利した自分がどうしてこの人の前ではそれが出来ないのか、と。そんな中、こちらの答えを待つ新庄に変化が生じた。
「……あ」
 欄干に乗る新庄の手に佐山の手が重なっていた。自覚せぬ動き、だがそれを拒まれていない事に佐山は頷く。
「私の掌はどうなっている?」
「…熱いよ。鼓動もある」
 重ねられた佐山の手をもう一つの新庄の手が包む。表裏にその柔らかさを感じつつ佐山は告げる。
「先の戦いで得た残滓だよ。……そして」
……昨日の君に感じた熱と鼓動は、こんなものではなかった……
 高鳴りと強い熱を持ち、しかしもっと落ち着いていて深いものだった。その違いを思い、
「私はこれ以上のものを得たいと思っている」
「さっきあれだけ暴れてまだ足りないの?」
「足りないね。そして思うのだよ……私は本気になっていいのか、と」
「……どうしてそれを迷うの?」
 向けられた表情から我知らずと視線をそらして佐山は答える。
「佐山の姓は悪役を任ずる。私はそれを行う様に育てられ、そして自らが定めた悪や敵に対してそれ以上の悪で叩き潰す事を望んでいる。…だが」
 思うのだよ、と佐山は呟いた。
「私の悪は本当に必要なのか、と。――本気になる事は出来る、だが今の私は自分の選択に恐れを感じている」
「自信が無いの?」
 答えない佐山に新庄は続けてる。
「確かに佐山君は結構いけると思う。でも大城さん達は誘ってるよ、死ぬかもしれないがやってみろ、って。そして佐山君は自分の本気が恐ろしいんだよね?」
 だったら、と繋いで、
「全竜交渉に関わるのは……止めた方が良いんじゃないかな」
 こちらの手を包む新庄の両手が強ばる。
「正直な話さ、見ててちょっと怖いんだよ佐山君って。初めて会った時も前に出て戦って、今日だって……」
「戦い、負ければ死んで、勝てば自分を恐れてしかも敵に恨まれる、か。だが案外それは望まれているのかもしれない」
 え? と目を丸くする新庄に佐山は答えた。
「私一人が恨みを背負い、そして死ねばその分世界は軽くなる。時空管理局は無傷でね」
「だ、駄目だよそんなの! ……佐山君が風になったら、ボクは嫌だよっ!」
 その叫びに身を響かせて佐山は思う。君は有り難い人だ、と。いつの間にか消えた胸の痛みに心地よさを感じ、
「まあ、死ぬぞというなら私も君に言いたいよ新庄君。必要な時に攻撃が出来ず、隙も作ってしまうような君にね」
 切り返されて新庄は小さく唸り、やがて嘆息をついた。
「…そうかもしれないね。少し思ってるよ。両親を探す為に戦闘に関わって、でも全然役に立ってないって」
 自責に表情を曇らせる新庄は佐山を見つめる。
「佐山君は勝つ事を狙って戦っているの?」
「ああ、そういう風に叩き込まれている。…戦うのなら損失分の代償を勝ち取れ、悪役として己が敵や悪だと定めたものを排除しろ、と」
「ボクもそれ位言えたらな。…ボクには佐山君みたいな、どういう風に戦おうかっていう姿勢が無いから」
「それを言ったら、私には君の両親探しの様な……自分の判断を支える自信の元がない」
「――逆だね、ボク達」
 佐山の言葉に聞いた新庄が苦笑を零した。
「本当にボクとは逆だね。ボクなんかはどうすれば必死にならずに済むのか、っていつも考えるのに。もっと力が、余裕が欲しいって」
「確かに私達は正逆だね、新庄君。――その事を覚えておこう」
 え? と窺う様に新庄がこちらを見て、応じるように佐山は彼女に包まれた手に力を込めた。
「君の私に対する意見は、私では望んでも手に入らないもう一つの答えだろう」
「……どういう事?」
「深く考える事は無い。絶対的な逆があっても意に介さねば無いも同然だ。だが、私達が自然体のままでお互いの逆を望んでいると、その事実を覚えておきたい。どうかね?」
「どう、って……どう扱ったものかなぁ……」
 新庄は困った様に笑み、そこで佐山から視線を外す。追った先にこちらへと手を振る人影があった。
「大城さんが呼んでるよ」
 新庄は欄干から降り、佐山も同様に降り立つ。そうして再度向き直った新庄は俯いて何かを思案する様な様子。
「……新庄君?」
「あのさ、これから寮に戻っても……驚かないでね」
「何か贈り物でも?」
 佐山の問いを新庄は肯定する。
「今決めたんだ。……色々と悩むだろうけど、そうしなきゃ駄目だって」
「何が贈られるのかは解らないが、有り難く受け取る事にするよ」
 その答えに新庄は面を上げて笑みを見せた。それを彩るのは夕日と暗がりの空、時は夜に近付いている。

     ●

 尊秋多学院の一角に建つ食堂棟、その地下階にブレンヒルトはいた。春休みでは利用者も少なく、故に彼女が段ボールに入れた小鳥を持ち込んでも、
「ぶぇっ不味っ! ねーブレンヒルト、鳥は何が良くてこんなの食べてんの?」
 黒猫が人語を話していても、
「食えもしないつまみ食いしてんじゃないわよ」
 それが悲鳴をあげても誰一人として気がつかない。痙攣する黒猫をブレンヒルトは無視、眼前の段ボールを見た。布巾が敷かれた内部には水とトウモロコシの粉末を乗せた小皿があり、中央に小鳥が踞っている。
「ほら見なさい、アンタが手を出すから怯えて動かなくなったじゃない」
 当の黒猫はそれを無視して大の字、その無反応を見たブレンヒルトは卓上の割り箸を取って、
「最近バーベキューってやってないのよね。ほら、獣の肉を刺し貫く奴」
「わー元気元気、とっても元気ーっ! 何言われてもすぐに答えられるよーっ!!」
「一般人のいる所で喋ってんじゃないわよ」
 急速で立ち直った黒猫に割り箸を叩きつけた。仰向けに倒れる黒猫は一声。
「どうかこの魔女に天罰が下ります様に……っ!!」
「そう言う事は当人のいない所で祈りなさい」
 ブレンヒルトは告げるが黒猫は再度それを無視した。同じ目に遭いたいのかしら、と思った所で黒猫が何かを見ている事に気付いた。何を、と視線を上げれば、
「………!?」
 英国風の老人が段ボールの小鳥を覗き込んでいた。その人物をブレンヒルトは知っている。
「――ギル・グレアム」
「君は……ブレンヒルト・シルト君だったか」
 こちらを見た老人に名を呼ばれて小さく息を飲む。僅かに身が震えるのを自覚しつつ、
「何故、私の名を?」
「司書をしていれば図書カードを見る事も多い。それに君は図書委員に礼を言っても、私には言わないからね」
「責めるんですか?」
「これは君の名を覚えた理由だ、謝りを強要するつもりはないよ」
 そう言って向けられた笑み、それに対してブレンヒルトは胸を軋ませる。
「……失礼します」
 ブレンヒルトは段ボールを抱えて起立、黒猫と共にグレアムの横を抜けて階段を目指し、
「図書室は開けてある。生物関係の書架に飼い方の本があるから行くといい」
 グレアムの声が届いた。それを背に受けたブレンヒルトは立ち止まるが振り向かない。
「命令ですか?」
「その小鳥の為だよ。……猫のいる環境で鳥を飼うのは感心しないがね」
「ご心配なく、この猫は私に忠実ですので」
 言うと黒猫が足首を叩いてきたので蹴り返し、再起するのも待たずにブレンヒルトは歩き出した。急ぎ足で食堂を離れて階段を上り、やがて地上階に至る。そのまま玄関に差し掛かった所で、
「ちょ、ちょっと待ってよブレンヒルト!」
 黒猫が追い付いた。小柄な体を酷使したのか呼吸は荒い。
「……意識し過ぎ」
「解ってるわよ」
 黒猫が見上げるのを感じつつブレンヒルトは空を見上げた。夜更けの天を月光が仄かに照らしている。
「……明るい夜ね」
 その情景にブレンヒルトが呟いた。
「私達の世界に月なんてものは無かったわ。余計なものの多いGよね」
「ブレンヒルトが何か喋り出した。センチメンタル入ってる?」
 うっさい、と黒猫に言を飛ばしてブレンヒルトは思う。地下階で出会った男の事を。
「…ギル・グレアム。60年前、LowーGからやって来た術式使い。デュランダルを奪い、1stーGの天地を滅ぼした男。そして私にとって家族の様だった人達を殺して逃げた敵」
 ブレンヒルトの独白が夜空に散る。
「――私達にとっての、最大の仇」
 見るとも無しに視線を泳がせた先、ブレンヒルトは未だ灯りの灯る学生寮を見た。

     ●

 佐山は自分の寮室を前にして立ち尽くしていた。自分しかいない一人部屋、そこにもう一人の姿を見た為だ。
……いや、新たな寮生についてはここに来る途中で聞いた……
 寮母からその人物が同居人になる、という事は先ほど知らされた。だが目前に立つ黒い長髪の人物は、
「――新庄君?」
 佐山の声に相手は、あ、と声をあげて振り向く。服装は男物だが、その声や顔は新庄のものだ。
……まさか、それだけで誤摩化せたのか……?
 ここは男子寮、女性の新庄が入れる筈は無い。だが現に彼女はここにいるし、手続きも済んでいるらしい。自分に全竜交渉を受けさせようとする管理局の差し金か、とも推測する。
……どうするべきだ……!?
 凄まじい速度で思考が展開し、やがて佐山は新庄が別れ際に言っていた事を思い出す。寮に戻っても驚かないでね、という言葉を。
……無理だ、これは驚愕に値する……っ!!
 これが新庄の贈り物なのだろうか。だがそうだとしたら、佐山が取るべき行動は自ずと定まる。
……有り難く受け取ると、確かに私は言った!!
 そうとも、と佐山は頷く。既に答えが出ていたのだ、と。ならば自分は彼女が望み、そして約束した事を遂行すべきだ。故に佐山は腕を広げ、満面の笑顔を新庄に向けた。
「――さあ、私の胸に飛び込んで来たまえ!!」
 対する新庄は安心した様な顔で一息、そして広げられた腕を無視して一礼した。
「聞いた通りの不穏当な言動を有り難う。――新庄・運の弟で、新庄・切って言います」






―CHARACTER―

NEME:高町なのは
CLASS:生徒会会計
FEITH:無自覚型恐怖の大魔王

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最終更新:2008年04月02日 23:23