「ダンテェ~~~ッ、起きてるか!?」

 数少ない馴染みの来客に、ダンテは口を歪めながら振り向いた。
 といっても、親しい相手に対する笑顔ではない。顔を顰める代わりに浮かべる皮肉の笑みだ。
 付き合いの長い相手ではあるがビジネスに関してのみだし、黒いものを溜め込んだビヤ樽腹の情報屋なんてプライベートでは歓迎したくない。しかも男だ。

「お前のダミ声は妙に頭に響きやがる。腹違いの弟にエンツォっていねえか、レナード?」
「酔ってんのか? だったら、朝っぱらからそんな妙な格好してるのも頷けるな」

 慣れた軽口の応酬をしながら、レナードは事務所の姿見の前で普段の服装とは違うダークグレーのスーツに着替えるダンテを見て顔を顰めた。
 あのド派手な真紅のコートを好む目立ちたがり屋の色男が、こんな普通の格好をするなど、今日は何か特別な事が起こるのだろうか?
 その予想は、ある意味当たっていた。

「どうだ、似合ってるか?」
「お前さんは何着ても様になるよ」
「男に褒められても嬉しくないぜ」
「なら聞くな。
 その格好は何の真似だよ? まあ、お前さんの服装と性格が少しでも落ち着いてくれるんなら、大歓迎なんだが……」
「今日は大切なデートの日なんでね」
「なにィ!?」

 予想外の返答に、レナードは思わず素っ頓狂な声を上げていた。
 ダンテの容姿なら女の引く手は数多だが、事務所に母親らしい美女の写真を置くようなマザコンがここ数年、女と真面目な交際をしたことなどなかった。
 そんな男が週末の休日にここまで準備を整えて女と会う予定があることに驚愕したのもそうだが、今日の予定を覆されたレナードはまた別の意味で狼狽していた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 今日は仕事を持ってきたんだ!!」
「そうかい、なら他所を当たってくれ。今日はもう先客があるんでね」
「お前をご指名なんだよ! しかもタダの相手じゃねえ、あの<時空管理局>からなんだ!!」

 まるで気のない返事をしながら手櫛で寝癖を整えるダンテを見て、慌てたレナードは咄嗟に依頼先の名前を出した。
 予想外な大物が目の前の小悪党から飛び出したことに、ダンテは『ヒュゥ♪』と口笛を吹き―――そして、最後にスーツの襟を正すとレナードの横をすり抜けて事務所の扉へ向かった。

「お、おいっ! 断るのかよ!?」
「言ったろ? 先約があるのさ」

 目の前の男がミッドチルダの法である組織を相手にしてたった一人の女との約束を選ぶ神経を、レナードは疑った。

「待てよ、相手もそうだが依頼の内容もノーマルなヤツじゃねえ! ほら、例のお前さん専門のヤツさ!!」

 レナードは<デビルハンター>という謎の裏家業を自称する男が好みそうなキーワードを持ち出してきたが、それすら尚ダンテは笑い飛ばして見せた。

「そうかい、なら<合言葉>は?」
「バカヤロウ! 本当に相手が誰だかわかってんのか!?」
「俺が気分屋なのは知ってるだろ?
 それによく知ってるさ。お強い魔導師様の軍隊なんだ、化け物の一匹や二匹、こんなスラム街の何でも屋に頼まなくても一網打尽に出来る。相手が気の毒なくらいだね」

 取り付くしまもないダンテの態度にレナードは絶望した。この男は受けないと決めた依頼は、相手が誰であろうとどれだけ金を積もうと絶対に引き受けないのだ。
 だからといって、無理矢理押し付けることも出来ない。本気になれば、天下の管理局より目の前の男一人の方がよほど恐ろしいのだから。
 いつか、ダンテを怒らせた時の事を思い出して、レナードは寒気を感じた。
 その時の記憶を蘇らせるように、ドアノブに手を掛けたダンテが振り返る。

「おい、最近様子を見てねえが、アイツの金に手は出してないだろうな?」
「わ、分かってるよ。しっかり管理してる、この前で懲りたさ……」

 数年前、唐突に押し付けられた一人の少女の財産や戸籍などの管理を、レナードはその少女が成人するまで行っているのだった。
 ダンテの事務所に時々顔を出すようになったその少女は、彼の妹分と言ってよかった。
 何を思ってその少女の世話をするようになったのか? もちろんレナードにはこの変わり者考えなど分かるわけがない。ただ凄腕の彼からの恩と報酬を得る為に頼まれた事をこなしていた。
 魔が差したのは、少女の亡き兄が残した遺産を管理していた時である。
 ―――レナードは遺産の一部を着服した。
 その事が偶然か故意か、ダンテの知る所となった時、レナードが見たものはまさしく地獄だった。
 ゴロツキどもや犯罪者相手の情報屋家業を始めて長くなるが、その日ほど強烈な<死の恐怖>を体感したことはない。
 馴染みの飲み屋で少し贅沢な酒を飲んで女と遊んでいる所へ、馬鹿でかい剣を担いだダンテが突っ込んで来て、開口一番に言った。

『お前を二つに割って盗んだ金の分だけ酒を搾り出してやるぜ。それとも、食い物じゃなく女を二度と食えない体にした方がいいか?』

 暖かく濡れた股座に突きつけられた剣先には殺意が纏わり付いていた。
 脅し文句としてはありふれたものだったが、それを言うダンテの放つ気迫にはかつて経験したことのない威圧感があった。同じ人間をあれほど恐れられるものなのか。
 あの姿は今でも脳裏に焼き付いている。まるで<悪魔>だった。
 以来、レナードはダンテに対して恐怖に裏付けられた真摯さで対応するようにしている。彼を騙す事は、自分の寿命を縮める事に繋がると痛感したのだから。

「なら、いいさ。
 お偉いさんにはせいぜい上手く断れよ、明日からなら喜んでやるぜ。なんせ、まだこの事務所の借金だって残ってるんだからな」

 利かせていた睨みをいつもの笑みに変えて、ダンテは事務所を颯爽と出て行った。
 一人取り残されたレナードは肩を落としたまま呆然と閉まる扉を見つめる。

「……だったら今引き受けてくれよ。チクショウ、どんな女があの気分屋の気をここまで引いたってんだ?」

 悪態も弱弱しく、所在無さに気に寒々しい事務所内を見回す。相変わらず仕事場とは思えない乱雑な装飾だ。
 そこでふと、レナードは机の上に封の切られた手紙を見つけた。
 紙の便箋はアナログな通信手段だが、都市機能の半分が沈黙しているこの廃棄都市で確かな連絡方法と言えばこれくらいしかない。
 この場末に手紙など届くものか、と純粋に驚きながら広げられた文面を眺めているうちに、レナードは頭を抱えそうになった。
 ダンテが今回の仕事をキャンセルした理由が、まさにそこに書かれていたからだ。

「なんだよ、そりゃあ……。アイツの何処を押しゃあ、こんな家族サービス精神が出てくるんだ?」

 手紙の差出人欄―――そこには、つい先ほど回想していたばかりの、あの少女の名前が書いてあった。

「マザコンの次はシスコンかよっ!? やっぱり、あの野郎の考えることは俺にはわからねえ!」

 オーマイガァッ、と絶叫するレナードの声が事務所の中で寒々しく響いた。

 

 

魔法少女リリカルなのはStylish
 第三話『Strawberry Sunday』

 

 

「BLAME」

 炸薬を使わない銃型デバイスの銃声の代わりに小さく呟く。無意識の事だった。
 空気を裂いて、構えた両手のデバイスから魔力弾が発射された。二発の光弾は前方の木々に向かって高速で飛来する。
 魔力で形勢された光弾は、軌道上の木を回避するような動きで突き進み、その奥にある的の中心へ吸い込まれていった。
 鉛の弾丸では不可能な弾道の操作こそが、魔法の利点である。

「ふーむ……よし、いいぞ。32番」
「ありがとうございます」

 背後に控えた教官の言葉と同じ訓練生達の感嘆の声を受け、ティアナは二つの銃口を下ろした。

「見事な腕だ」
「結構、ギリギリでしたけど」
「弾道操作に限ってはな」

 その言葉に、さすがに教官はよく見ている、とティアナは素直に感心した。この訓練の中で自分が行ったことを理解しているらしい。
 見ての通り、この訓練は標的までの障害物を利用して魔力弾の操作性を高める為のものである。
 ティアナが放った魔力弾は二発。うち一発はセオリー通り、射線上にある木々を避けるように動かして命中させた。
 しかし、もう一発の魔力弾は、本来不可能に見える標的まで直線で繋いだわずな隙間を縫うように放ったのである。
 もちろん、結果は二発とも命中だった。

「デバイスの種類のせいか……しかし、そのタイプの銃でよくそこまで精密な射撃が出来るものだ。慣れているな。その能力を武器にするといいだろう」
「ありがとうございます」

 一つの目的を達するのに、セオリーと同じ手段をとる必要はない―――現場での臨機応変さを、この教官は理解しているようだった。それは尊敬に値する。
 ティアナは評価された喜びを普段どおりの鉄面皮に隠して、手の中で踊るデバイスをガンホルダーに突っ込んだ。

「……だが、その妙なパフォーマンスは減点だな。何の戦術的利点(タクティカルアドバンテージ)もない」

 自分の無意識の行動にツッコまれ、ティアナは羞恥で顔を真っ赤にした。
 未だに、このクセは抜けていないのだ。相棒や一部の同僚にはウケがいいが、元来真面目なティアナはその指摘にとてつもなく恥ずかしくなる。

「それと、撃つ時のポーズもどうにかならんか? もちろん、撃って当たるんなら、そんな細かい点まで指摘する必要はないし……まあ、人それぞれ好みもあるだろうしな」
「す……すみません……」

 ティアナはもう消え入りそうな声で、かろうじて答えた。
 二挺の銃で『左右を交互にカバーする』のではなく、『同時に二つの射線を確保出来る』ことが今のティアナの強みである。その為、ティアナは主に眼で狙わずに感覚で狙いを定めていた。
 それはそれで希少なスキルなのだが、目線と射線を合わせる必要がない為か、体が自然と無茶な姿勢で撃ってしまうのだ。
 肩越しや脇の下から銃身だけを向けて背後を撃ったり、左右の的を撃つのにわざわざ両手をクロスさせたり―――不利な点はないだろうが、特に必要性もない。
 しかし、感覚で撃っているせいか、下手に姿勢を正そうとすると途端に当たらなくなる。
 これは自分が銃を扱う参考にした男の影響だと、ティアナは理解していた。
 同時に恨みも募っていく。あんな曲芸染みた撃ち方を好む派手好きの兄貴分のせいで、こんな人前で恥をかくのだ。

「気にすんなよ! 映画みたいでカッコいいぞ!」
「なあ、むしろ撃った後のポーズとか考えてみたくね?」
「ランスターさん、素敵っ!」

 何故か同じミッド式の訓練仲間にはすこぶる好評だった。ミーハーな連中が多い。
 最初に感じていた変則デバイス持ちへの奇異の視線は今や薄れ、純粋な憧れの視線や同性からの黄色い声を受け流しながら、ティアナは疲れたようなため息を一つ吐いた。


 ティアナ=ランスターが陸士訓練校に入校して、はや三ヶ月。
 訓練は順調である―――。

 

 

 ティアナが訓練後のシャワーから戻ると、珍しくスバルが自室のデスクに向かっていた。

「なんだ、もうアンケート書いてるの?」
「あ、ランスターさん。おかえりー」

 机の上には、卒業後の配属希望先を記入する為のアンケートが置かれている。

「……まあ、どーせ提出するわけだしね。あたしも書いちゃおう」

 自分もペンと紙を持ち出したティアナの行動に、人知れずスバルの瞳が光った。
 机に向かうティアナとは反対に席を立ち、書き終えたアンケートを仕舞う動きを見せながら、素早く背後に回り込む。
 足音と息を殺し、不自然なほど静かに接近しつつ、ティアナの書くアンケートを肩越しに覗き込もうと画策した。
 しかし、それはあっさり失敗に終わった。

「BLAME! ―――はい、死んだ」

 唐突に硬い感触が顎を持ち上げ、冷や汗を流しながら視線だけ下に向けると、いつの間にか下から突き上げるように向けられたアンカーガンの銃身が見える。
 肩越しに向けられるティアナの冷めた視線を受け、スバルは苦笑いを浮かべた。

「いや、あのー……その、興味があるっていうか…………コンビとして?」

 初の訓練時から好んで強調するようになった<コンビ>という言葉に、ティアナは『何故ここまで懐かれたものか?』とため息を吐いた。
 お返しとばかりに、驚異的なハンドスピードでスバルのアンケート用紙を奪う。

「あんたには関係ないでしょ。まったく……そーゆーあんたはナニ希望よ?」
「あっ、早!? かえしてー!」
「備考欄『在学中はティアナ=ランスター訓練生とのコンビ継続を希望します』? やめてよね、ぞっとしない」
「みーなーいーでー!」

 必死に妨害しようとするスバルの攻撃を、ティアナはアンケートを読みながらヒラヒラかわしていく。
 理詰めの動きを好む割りに、こういった攻撃への勘は驚くほど働く相棒の能力にスバルは改めて戦慄し、そして涙目になった。

「だいたいね、在学中のコンビなんて一時的なものなのよ。必要以上に馴れ合ってどうするの?
 卒業してそれぞれの配属が決まった時、後腐れなく別れることが出来る。同僚として不安なく互いを見送って往ける―――それが訓練生として理想的な付き合い方よ。あんたもちょっと独立する意思を持ちなさい」

 もはや恒例となったティアナの説教がスバルを厳しく叱責する。
 しかし、こっそりとティアナのアンケートを覗き込んだスバルは瞳を輝かせた。

「あ、でもランスターさんも災害担当志望になってるよ。わたしと一緒だね!」
「えっ、あんたもなの? どこまで続くわけ、この腐れ縁……」
「そんなつれないこと言わないでよー。ああ、でもランスターさんと一緒なら心強いなぁ。頑張って名コンビを目指そうね!」

 何故にそこまではしゃぎまくるのか。スバルにここまで好意を抱かれる理由にとんと思い当たらないティアナは、僅かに嬉しく思いながらもそれ以上の苦労を見越して再びため息を吐いたのだった。
 定番となった二人の温度差のあるやりとりを続け、やがて話題は週末の休みの予定になった。訓練場整備の為、普段は週末も練習に費やす二人も久しぶりの休みを取る事になる。

「ランスターさん、週末のお休みどうする?」
「あたしは……いつも通りよ。あんたと違って、帰る家も待ってる家族もいないしね」

 何食わぬ顔で返そうとして、一瞬脳裏に浮かんだ赤い影に少しだけ言葉が詰まった。
 肉親は一人もおらず、住んでいた安アパートは入校と同時に引き払った。嘘は言っていない。しかし、黙っていることはあった。
 休みの日に、実は一つだけ予定があるのだ。
 しかし、その予定をこの騒がしいルームメイトに話すつもりは毛頭なかったし、何よりその予定をキャンセルすべきか今も悩んでいる最中だった。
 人と会う約束がある。
 ―――しかし、手紙まで出しておいてなんだが、当日が近づくにつれて気が進まなくなってきていた。
 別に大した理由ではない。
 恥ずかしいからだ、特に意味もなく。

「―――じゃあさ、じゃあさっ」

 そんな葛藤による沈黙をどう受け取ったのか、唐突にスバルは切り出した。

「じつはあたし、おねーちゃんと遊びに行く約束をしてるのね。それで、ごはんとおやつおごってくれるって話だから、ランスターさんもよかったら……」
「冗談やめてよね。馴れ合う気はないって、何度も言わせないで」

 ある意味予想できた内容を、ティアナは普段どおりの冷めた声で遮った。他人の事情に干渉する気はないし、ましてそれが家族ならば尚更だ。
 しかし、スバルもそんなティアナのツンとした対応には慣れたもので、聞いてないかのように話を続ける。

「おねーちゃんもランスターさんにぜひぜひ会ってみたいって」
「む……」

 なかなか小賢しい切り出し方だと思った。自分ではなく家族を引き合いに出す辺り、ティアナの性格を分かっている。これでは無下に出来ない。

「午前中から夕方まで、半日だけだから。ね?」
「―――あんたのお姉さんには申し訳ないけど」
「ね?」

 見上げる視線をやめろ。まるで子犬だ。
 ティアナは不屈の精神でその懇願を切り捨てる。

「お断りするわ。ほっといて」

 

 

「……あたし、思うんだ」

 翌日。ティアナはスバルと共に待ち合わせ場所であるミッドチルダ東区の<パークロード>にいた。

「あんたのその異様なワガママさと強引さだけは見習うべきところがあるって!」
「ほめられたー♪」

 私服まで着飾って、完全にスバルのペースに巻き込まれたティアナは慣れ親しんだ諦めの感覚に歯軋りする。
 あの男もそうだった。強引で、ワガママで、理由や理屈なく自分の行動に自信満々で―――しかし、何故か憎めない。
 巻き込まれ型の自分としては、これ以上厄介な相手はいないだろう。どうやらこういうタイプには縁があるらしい苦労体質の自分を呪った。
 もちろん、この強引さには休日に予定のない自分を気遣うスバルの思いやりがあったのも確かだろう。
 これで、本当は予定があったのだと気付いたらどうなるだろうか?
 無駄な仮定だと思った。あのお人好しをわざわざ気まずくさせるつもりなどない。
 何より、今日の予定をキャンセルはしていないのだから―――。

「それで、お姉さんどこ?」
「えーとねー……あ!」
『スバル!』

 休日で人々が行き交う中、スバルは手を振る姉の姿を見つけた。
 訓練生のスバル達にとって一足先に進んだ、現役陸戦魔導師である<ギンガ=ナカジマ>だ。

「ギン姉~!」
「スバル~♪」

 子犬のように駆け寄るスバルの手を取るギンガ。互いの顔に浮かんだ満面の笑みを見れば、この姉妹の仲がどれ程良いか傍で見るティアナにも理解出来た。

「1ヶ月ぶり~、元気だった?」
「もちろん! スバルも元気そうね」

 お次は熱い抱擁シーンか、と傍観してたティアナだったが、二人が笑顔で交わしたものはハグなどではなく、パンチの応酬だった。
 もちろん敵意を持ったそれではなく、スキンシップのレベルで軽く拳を合わせている程度のものだが、それでも鍛えているだけあって一般人には洒落にならないくらい鋭く速い。
 これが体育会系のノリか……と、ティアナは妙な納得をしていた。

「そうだギン姉、こちらランスターさん」
「はじめまして、スバルがいつもお世話になってます」
「ど、どうも……」

 ちょっと変わった姉妹のやりとりに半ば呆気に取られていたティアナは我に返って会釈する。
 ギンガの落ち着いた物腰はスバルとは似ても似つかない。ただなんとなく『この人も天然入ってるんだろな』という印象だけは感じた。やはり姉妹なのだ。
 軽い自己紹介を交わしながら、ティアナは仲のいい二人の絆に少しだけ羨ましくなる。
 ああやって笑い合うはずの兄は、もうこの世にいない。
 目の前の光景を妬むほど卑屈に生きているつもりはないが、それでも天涯孤独の身に染みるのは仕方のないことだった。
 内心の思いを笑い飛ばすようにティアナは苦笑した。

「―――自慢するだけあって、いいお姉さんね。大事にしなさいよ?」
「え……う、うん!」

 唐突に掛けられた言葉と微笑みに、スバルは戸惑いながらも嬉しそうに頷いた。

「あら、スバルったらランスターさんに何言ったの? 恥ずかしいわ……」
「手紙が届くたびに、喜んで話してくれましたよ。お会いできて光栄です」
「そんなに固くならないで。ごめんなさいね、いつもうちのスバルが迷惑かけちゃってるみたいで」
「いえ……妹さんは優秀ですよ。訓練校でも年少組ですけど、よくやってますし、何より努力しています」
「ほんとに? よかった」
「……ラ、ランスターさんが褒めてくれた!? やったよぉー!」
「まあ、こういう風に調子に乗るのがタマにキズですが」

 珍しいティアナの褒め言葉にフィーバーするスバルを冷静にツッコむティアナ。
 そんな二人の慣れたやりとりを、ギンガは優しい笑顔で見つめていた。

「―――ランスターさん。ご家族は?」

 そして、それは何気ない話題の広げ方だったのだろう。
 ごく自然に切り出したギンガの言葉に、ティアナは気まずげに笑った。
 素直に言えば気を使わせてしまう。しかし、だからといって嘘をついてこの場を取り繕っても意味はないだろう。
 少しだけ考えて、ティアナは結局言うことにした。

「私、ひとりです。両親は私が生まれてすぐの頃、育ててくれた兄も三年前……天涯孤独ってやつですね」

 出来るだけ自然に言ったつもりだったが、果たしてそれが表情にも伝わっていたか、自信はなかった。兄の死は、今でも心の痛みを伴う。
 ギンガとスバル、この優しい姉妹の顔に悲しみが映るのを、ティアナは見てしまった。

「ごめんなさい……」
「お気になさらず。―――肉親はもういませんが、代わりに騒がしい知り合いがいますんで」

 ギンガの謝罪に、ティアナは努めて軽い口調で返した。
 それは沈んだ空気を緩和させる為の気遣いもあったし、丁度そのタイミングを見測ったかのように近づく知った顔を視界に捉えたせいもあった。
 ソイツはいつもの派手なコートではなく、何のつもりかスーツで着飾って、普段歩き慣れたスラム街を歩くように賑やかな道を違和感なく進んでくる。
 正規の市民権も持たない人間なのに、この街中で『彼』はモデルが決められた道を歩くように自然だった。
 人通りの中から頭一つ分飛び出す長身に長い足と美しい銀髪。たとえ服装が普通でも、いい意味で目立つ男だ。
 そして『彼』は、人ごみの中で僅かな迷いもなくティアナを見つけ出すと、不敵に笑っていつもの軽口を言った。

「―――人を探してるんだが、あんた知らないかい? 今日のデートの相手でね、勝気な眼つきにそっくりな性格をしてるんだが、本当はただ素直になれないだけの可愛い奴なんだ」
「私も探してるの。ソイツは普段自己主張の激しい派手な格好が大好きな子供っぽい奴で、ちょうど顔はあんたソックリだったわ」

 三年間続けてきた憎まれ口のやりとりに、ティアナも笑いながら応じた。
 突然声を掛けてきた長身の美形と、スバルも初めて見るような『悪そうな笑み』を浮かべたティアナの反応に姉妹が呆気に取られる中、二人は声を合わせて笑い合う。

「……感動の再会って言うらしいぜ、こういうの」
「まだ半年も経ってないでしょ?」
「手紙一つも寄越さないからな、恋しかったのさ。さあ、まずはキスの一つでもしてくれ。それとも熱烈なハグがいいか?」
「バカ」

 冷めた言葉にも、知らず苦笑が混じってしまう。交わし慣れた会話のリズムが懐かしい。
 手紙を出し終えて今日までの緊張は嘘のように無く、ティアナはダンテとの数ヶ月ぶりの再会を素直に楽しんだ。

 

 

 そこはごく普通の喫茶店だったが、その一角だけは一際異彩を放っていた。
 四人掛けのテーブルに座る少女三人、男一人のグループ。
 ギンガ、スバル、ティアナはそれぞれタイプは違えど例外なく美少女の容姿レベルを持っている。
 それだけでいい意味で注目される集団だが、加えて頭一つ分飛び出たダンテの存在が奇妙なインパクトを与えていた。
 十代半ばがせいぜいの少女達の輪の中に、開いた襟元からシルバーアクセサリを光らせるホストみたいな美形が妙な色気を振り撒きつつ混じっていたら、それはもう違和感丸出しである。
 そんな奇異の視線を集めながら何食わぬ顔でテーブルを囲む四人に、注文の品が届いた。

「お待たせしました。トリプルアイスパフェとストロベリーサンデー、コーヒー二つになります」

 見た目麗しい四人の客―――特に愛想良くウィンクまでしてくるダンテに対して緊張気味のウェイトレスは、頬を赤らめながらそれぞれの目の前に品物を置いた。
 ダンテとギンガの年長者にコーヒー、スバルとティアナにはそれぞれアイスパフェとストロベリーサンデーが配られる。
 積み上げられた三色のアイスに目を輝かせるスバルとは対照的に、ダンテは鼻腔を付く香ばしい匂いに顔を顰めていた。
 ティアナはため息を吐きながら、自分の目の前にあるストロベリーサンデーとコーヒーを交換した。

「ありがとよ。やれやれ、注文した品物はちゃんと渡してほしいぜ」
「いい年こいた大の男が、こんな甘ったるい物好き好んで食べるとは思わないでしょ」
「そりゃ悪かった。だがな、そう馬鹿にしたもんでもないんだぜ、こいつはな。一口いってみるか?」
「遠慮しとくわ」
「結構イケるのにな……」

 そう言って、クリームと苺を口に運びこむ作業に没頭し始めるダンテの隣では、まったく同じことをスバルがしていた。
 それぞれの好物を美味そうに頬張る姿は、全く似ていないのに親子か兄妹のように錯覚してしまう。
 向かいに座るティアナとギンガは思わず顔を見合わせて苦笑した。

「でも、ランスターさんも言ってくれればよかったのに、今日トニーさんと会う予定だったんでしょ?」

 口の周りをクリームで彩ったスバルが困ったように呟く。
 一般人の手前、ダンテは<トニー=レッドグレイヴ>を名乗っていた。

「あ、ひょっとしてわたしが強引に誘ったせいかな……?」
「違うわよ。待ち合わせ場所は同じだったし、結構大雑把な男だから来ないかもって思ってたし……正直、正装してる点だけでもビックリだけどね」

 素っ気無い態度で憎まれ口を叩くティアナに対して、しかしダンテは心得ているとばかりに笑いながらスバルとギンガ見る。

「まあ、本当のところは手紙を出した後で急に怖気づいたんだろうぜ。一人で会うのが恥ずかしくなったとかな?」
「う、うっさい!」
「こんな風に図星を突くと分かりやすい奴なんだ。普段は素直じゃないが、一つ余裕を持って付き合ってやってくれ」
「はい、分かりました!」
「あたしを無視して話を進めるな! あと、あんたも何即答してんのよ!?」
「いいじゃねえか、これを機にもっと友好を深めろよティア。お前、友達いないんだから」
「あんたに言われなくないわよッ!」
「スバル、もっと押していないかないとダメよ。三ヶ月も一緒なのに、未だに『ランスターさん』なんて他人行儀な呼び方なんでしょ?」
「うん……ランスターさん、ここは一つわたしも『ティア』って呼んでいい!? わたしのことは『スバル』でいいよ!」
「一気に馴れ馴れしすぎ! あーもう、だから気が進まなかったのよ……!」

 女が三人よれば姦しく、そこに色男が加われば賑やかさに輪をかける。
 それまでギンガに対して一歩引いていたティアナもいつの間にか歩み寄っていた。
 当初、スバルとギンガに対して別段距離を取っていたわけではないが、仲の良い姉妹の再会の横で一人佇むティアナが異端であることは否定できないことだった。
 しかし、そこにダンテが加わることで自然と遠慮していた分の距離が縮まっている。
 傍から見れば、二組の兄弟が談笑する姿がそこにあった。

 

 

「―――でね、ランスターさんってスゴイんだよ!」
「私達の<シューティング・アーツ>も魔導師では異端だけど、銃を使った格闘というのもまた珍しいわね」
「別に普通ですよ。魔法もミッド式で射撃しかできない凡人ですし、その格闘も見よう見まねの付け焼刃みたいなものですから」
「そのワリにゃ、体に染み付いちまってるみたいだな。お前、俺に『無駄な動きが多すぎる、素直に狙って撃てばいい』とか言ってなかったか?」
「まあ、トニーさんが師匠なの?」
「いや、もう全然こんな奴に師事した覚えはないですから。根っからのダメ人間なんで」
「えー? でも、ランスターさんって、よくわたしの知らない言葉で喋ったりするじゃない。あれって、トニーさんの国の言葉でしょ?」
「よ、余計なこと言うな!」
「Slow down babe? 慌てんなよ。詳しく聞かせてくれ」
「そう、それ! そういうのですよ!」
「わーわーわーわぁーっ!
「あらあら」

 性格的にどこか似通ったところのある三人に、ティアナが孤軍奮闘し―――。

「トニーさんって魔導師なんですか?」
「いや、ちょいと危険な事も扱う何でも屋さ。あまり学はなくてね」
「ランスターさんとはどういう関係なんですか?」
「……そこのお二人さん、矛先変えないで。ソイツ、ある事ない事喋るから」
「ティアの兄貴とは友人でね、あとは色々あって今見ての通りの関係さ」
「血の繋がっていない家族、って感じですね」
「うんうん、本当の兄妹みたいだよっ」
「冗談、こんな奴と……」
「こいつの兄貴は一人だけさ、それは変わらない。だが、こいつといる時間は結構嫌いじゃないぜ」
「……」
「ランスターさん、顔あかーい」
「うるさい!」

 笑い声と共に充実した時間は過ぎていく―――。

「あ、お会計は私が……」
「オイオイ、俺に女に奢らせる気か? いい女は男に貢がせるもんさ」
「そんな、いい女だなんて……」
「大丈夫? 万年金欠でしょ」
「いや、最近結構儲かってるんでね。週休六日からはおさらばだ」
「……ねえ、それって」
「そらそら、俺に格好をつけさせてくれよ、お嬢さん」
「あ、はい。ではお願いします」
「……」

 そして、日が沈み、再び別れの時が来た。

 

 

 公的交通機関であるレールウェイの駅は、休日ということで多くの人が行き交っていた。
 一日の終わりに人を見送る者、休日出勤から帰り着く者をゲートが忙しくなく吐き出し、受け入れる。
 その一角に、ダンテと見送る側であるティアナの姿もあった。

「安心したぜ、なかなか上手くやってるみたいじゃねえか」
「まるっきり保護者の台詞ね」
「違いねえ、俺のキャラじゃあないな」

 エントランス中央にはボルトで固定された長椅子が配置されていたが、その全ては満席状態であり、家族連れで空いたスペースまで占領した者達が子供の溢したジュースで隣の客に頭を下げるなどの光景が見られる。
 そんな愚劇に参加する気を端から放棄した二人は、素直に案内板の貼られた壁に背を預けて暇を潰していた。
 ギンガとスバルは切符を買いに行っている。
 これはティアナが頼んだことだった。ダンテと二人で話すことを暗に願った為に。

「―――ねえ、仕事が儲かってるって言ったわよね?」

 ダンテの『本当の仕事』を他人に教えるつもりはない。ティアナは手短に話を切り出した。

「ああ、事務所の借金もそろそろ終わりそうだぜ。冷たいシャワーはもうウンザリだし、払い終わったら次はリフォームでも……」
「<合言葉>の仕事なんでしょ?」

 台詞を遮って、ほとんど断言するティアナの勘の良さにダンテは閉口した。
 彼女だけが知っている、ダンテの専門とする裏家業<デビルハンター>―――その名の如く、『悪魔を狩る仕事』だ。
 かつて、ティーダ=ランスターの命を奪い、その名誉を地に落とした憎むべき存在達と戦う事だ。

「最近、首都でも奴らの存在を匂わせる事件が増え始めてるわ。だったら、あの街ではもっと増えてる筈。だって、アイツラはそういう存在だから……」

 <悪魔>―――そう呼ばれる者達を、ティアナは知っている。
 憎んでも憎みきれぬ相手だが、同時にその恐怖も知っている。
 まるで魔法のように現れる存在達。場所も自由、時間も自由、形すら不定だ。
 人間であるティアナにとって、奴らの存在は計り知れない。もし、真に奴らが自由なら人は抗いようがないのではないか?
 無限を見ているような不安を、決意と憎悪で押さえ込んできた。
 しかし、だからこそ―――。

「……なんだ、らしくもなく心配か?」

 一笑に伏すダンテに虚勢など見えないし、事実彼が悪魔を狩る戦士として最高の力を持っていることは理解している。

「…………心配よ」

 それでも、身を案じることは理屈ではないのだ。

「ヘイ、お嬢さん(レディ) 今更、変な考え直しなんかするなよ? 戻って来て、こんなヤクザな商売に本格的に足を突っ込もうなんて考えてるなら、顔を洗って目を覚ましてきな」
「……あの悪魔と戦えるなら、管理局でもあんたの傍でも変わらないでしょ?」
「なら、ティーダの夢はどうする? あの日の誓いは嘘か?」
「それは……」

 ダンテは壁から離れると、ティアナに向き直った。

「―――ティア、お前が選んだお前の戦い方だ。そいつは間違っちゃいないさ」

 見上げれば、時折魅せる優しい笑みが浮かんでいる。

「復讐って点じゃ、俺も変わらないけどな……お前のおかげで何が大切なのか分かった。失った人間から受け継ぐべきものは、力なんかじゃない。誇り高い、魂だ」

 あの日、少女が一人の男と出会い、その行く末を替えた日―――幼い少女の誓いに、男もまた変化を得たのだ。
 冷めた表情の下に涙脆い一面を持つ少女が必死に堪える肩に触れ、少しだけ躊躇うように鼻の頭を掻くと、ダンテはティアナを抱き締めた。
 腕の中でティアナの体が驚きで小さく震える。

「やれやれ、こういうホームドラマは苦手なんだがな」
「……あたしだって、好きじゃないわよ」
「もう少し色気が出てきたら、こういうハグも喜んでやってやるんだがね」
「こっちから願い下げだわ。もしやったら、体に穴増やしてやるんだから」
「三年で口だけは悪くなりやがって……ティーダに殺されるな」

 憎まれ口を叩き合いながら、少なくとも駅の一角にあるその光景は、仲の良い兄妹が抱き合うシーンとして違和感なくそこに在った。

 ―――すでに切符を買い終わっていたギンガとスバルが、その抱擁シーンをこっそり見守っていることにティアナ『だけ』は気付いていない。

 


 それからギンガとスバルが合流した後、それぞれを改札口で見送り、スバルと主に訓練校の寮へ戻る。
 ティアナ=ランスターの休日はこうして終わった。
 それが充実したものであったかどうかは、もちろんいつものように馴れ馴れしいルームメイトに明かす事はないのだが……。

「おやすみ、スバル」
「おやすみー、ランスターさん」
「……」
「……」
「……」
「…………ランスターさんッ、今!? 今ーーーッ!!」
「うっさい、早く寝なさいよ!」
「もう一度! もう一度、さっきのおやすみの挨拶をっ! 名前付きで!!」
「寝ろっ!」

 後日、二人の訓練生の仲が少しだけ進展した事だけは確かである。

 

 

 ラボのバリアケージに固定された『それ』を二人は神妙に見下ろしていた。

「―――これが例の?」
「ああ、この状態を保ったまま確保できた初めてのサンプルさ。でも、これまでのデータからして、後数時間もすれば跡形もなく消滅してしまう」

 厳密にはそれは物質とは呼べないものだった。
 血のように赤く、歪な球状に固まったそれの表面には苦悶に満ちた人の顔にも見える歪みが浮かんでいる。全体が淡く輝く石のようにも見えるが、しかし肉眼でも捉えられるこれは実際には実体を持たない物なのだ。

「検分の結果は?」
「何せ、どれだけ厳重に保存しても半日で消滅してしまう代物だからね。解析は難攻さ。
 分かっている範囲では、物質でなければ何らかのエネルギー体というワケでもない。数値として観測は出来ても、それが何なのか過去に例を見ない奇妙な<石>さ。未だにカテゴリーすら出来ないんだからね」
「……整理しよう」

 薄暗いラボの中、その<石>を照らし出すライトの光がクロノの顔の輪郭を浮かび上がらせた。
 そして彼が促すと、向かい合って佇むヴェロッサが小さく頷いて応えた。

「―――<奴ら>の存在が初めて確認されたのは、記録を遡る限り四年前。
 古代遺物(ロストロギア)の探索任務を行っていた陸士の一団が謎の襲撃を受け、謎の死を遂げた。それからもたびたび謎の襲撃は起こっているが、頻度が低い上に何の痕跡も無い為に公にはならなかった」
「だが、最近になって頻度は上がり続け、過去の事件は見直され始めている。わずかな生還者の証言から、襲撃者に共通点はない。動き出した動力源不明の人形、実体を持たない巨大な頭蓋骨、人の形を持った砂の化け物……」
「どれもこの世のものとは思えないね」

 祈るように呟くヴェロッサをクロノが視線で諌めた。
 これらは現実だ。現実は正しく認識しなければならない。それがどれ程、非現実的であったとしても。

「これらが未知の魔法生物である可能性は?」
「何とも言えないね。何せ、そいつらの肉片一つ手に入らないんだから」

 見た目や種類にあらゆる違いを持つ襲撃者達の、奇怪な共通点の一つだ。
 襲われた者達の中には、逆に敵を返り討ちにした場合もあったが、いずれも例外なく相手は跡形も無く消え去ってしまうのだ。

「僅かな共通点と言えば、やはりこの<石>か……」

 多種多様な襲撃者達は、消滅する時に皆例外なくこの赤い石を残していく。しかし、それさえも時間と共に完全に消えてしまうのだ。
 これが人為的な事件なのか、それとも事故なのか、カテゴリーすら出来ない。あらゆる事が不鮮明だった。

「まるで、本当に血みたいだね」
「これが<奴ら>の血痕だと?」
「違うかい? コレは<奴ら>を撃退出来たケースでのみ現れる。襲撃者の種類に関わらず、全てに。
 この石が便宜上とはいえ何て呼ばれてるか知ってるかい? <レッドオーブ>もしくは<デモンブラッド>さ」
「<デモンブラッド>?」
「共通点がもう一つあったね。<奴ら>と遭遇した魔導師が例外なく同じ表現を用いている事さ―――『悪魔だ』ってね」

 バカバカしい、そう思いながらもクロノは閉口した。
 場所も、時間も、姿形さえ定かではない存在。そんな者を人はなんと呼ぶだろうか?
 いや、バカバカしい。改めて感情的になりつつある思考を切り替える。理性的な行動を重んじるクロノは、抽象的な表現に踊らされる自分を諌めた。

「身の丈を超える爬虫類を、知らない者は<悪魔>と呼ぶ。それがドラゴンだと知る僕達にとって、どれだけ滑稽に見えるか知らずに」
「存在する以上、定義することも出来るって? 相変わらず現実主義者だねえ」
「呼び方なんてどうでもいい。問題なのは、<奴ら>もこの<石>も手掛り一つ無い、未知の物でありすぎるという点さ」

 神妙に呟くクロノを見て、ヴェロッサが思いついたように口を開いた。

「そういえば……大分前から<奴ら>と交戦してたらしい、廃棄都市の何でも屋? 当たってみるって言ってたけど、どうだったんだい?」
「交渉決裂したよ。独自の自治が出来上がってしまっているあそこでは、無理も通せないからな」
「残念だねぇ、貴重な証言者だと思ったのに」
「デマの可能性もある。過度な期待はしてないさ」
「結局、状況は一進一退もせずか……」

 ヴェロッサの呟きには、僅かな失望の色が滲んでいた。
 今はまだ、この状況を深刻に受け止める者はいなければ、疑問に思う者すらいない。
 しかし、何かがこのミッドチルダを浸食しつつある―――そんな漠然とした不安が二人の中には燻りつつあった。
 目の前のおぞましい<石>こそ、その不安が形となった物であるような気がしてならないのだ。

「しかし、情報が本当だとしたら、いずれその何でも屋は確保する必要があるね。多少強引な方法でも……」

 <石>を眺めながら、ヴェロッサが呟く。

「この<石>が単純な魔力の塊ではない以上、人体にどういう影響を与える物なのかは分からない。ただ『生物が摂取可能』な物である事は確かだ」
「現場で何人かの魔導師が、この<石>を『吸収した』という報告があったな。何か分かったのか?」
「いや、最初の魔導師は摂取して数ヶ月経ってるが、未だに検査で異常は見られないそうだ。他も同じ―――でも、いずれも戦闘中に<石>に触れて、少量が体に吸い込まれるようにして消えただけなんだ」
「大量に吸収すれば、どんな影響が出るか分からない?」
「多分ね。でも、もしそうならイコール<奴ら>を大量に倒す必要がある……」

 それだけ多くの敵を遭遇する例はこれまでになく、また魔導師に被害を出す程の敵の大群を相手にして戦い抜けるだけの戦闘力を持った者がいるものか―――?
 今の段階では、全てが推定であり仮定でしか成り立たないものばかりだった。

 結局、その日の二人の会合は実りある結論を出す事無く終わる。
 それから約三年もの間、謎の襲撃の遭遇率と被害者数をゆるやかに増加させる以外の進展は起こらなかった―――。

 

 時はまだ満ちず、わずかな者達がその一端に触れただけ。

 陽光が生み出した影の中、人ならぬものたちの息吹。
 夜の闇が天を覆うたび、ひそやかに舞い狂う黒い影。
 光の差さぬ黒い影にうごめく、怪しい気配。


 ……その全貌を知り得る者はまだ誰もいない。ただ一人、あの男を除いては……。

 

 

 

 to be continued…>

 

 

<ダンテの悪魔解説コーナー>

 

フュリアタウルス(DMC2に登場)


 牛肉の炭火焼ローストは俺も大好物だ。しかし、コイツほど不味そうな牛はいないだろうな。
 神話で有名なミノタウロスの親戚みたいな姿をした、なかなか強力な火の悪魔だ。
 本来は炎で熱した牛型の炉で罪人を焼き殺す刑具だったらしいが、そういういわく付きの代物に悪魔が宿るのは珍しいことじゃない。
 今もその四肢には炎が通い、刑死者の断末魔の絶叫と極限の激怒が渦巻いている。
 人の負の感情を積み重ねた呪いを力にする悪魔は例外なく強い。油断は禁物だぜ。
 見た目通り、ハンマーを利用したパワーは半端なもんじゃないが、動きがスローなのも見た目通りだ。
 熱いものは冷やすに限る。長年燃え続けた炉の火を、そろそろ落としてやろうぜ。

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最終更新:2008年06月28日 11:47