空は無い。
 大地もない。
 ただ存在のみが存在として存在し、心が、肉が、否定される世界。
 魔が蠢く異世界の最下層で、一人の青年と一人の悪魔が戦っていた。

「おぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 吐血を吐き出し、左腕は折れ砕け、凄惨な状態にも関わらず右手のみで大剣を振るう黒髪の
青年。
 その剣は這い寄る漆黒の異形を切り裂き、青白い鮮血を浴びて、なお凄惨に咆哮を上げる。
 刻む。
 刻む。
 刻む。
 異形を切り裂き、大剣を突き立て、その首を刎ねる。手足を切り裂く。血肉をぶちまけさせる。
 それは嵐の如き猛攻。

「アー、ヒャハハッハハハ!!!」

 されど、それを受ける異形は嗤い続ける。
 首がもげた瞬間それは瞬時に復元し、手足が千切れた瞬間それは新しく生え、それでも
なお猛攻を続ける青年の顔を目にも留まらぬ速度で掴んだ。

「無駄だと言っているのが判らないのですかっ!」

 異形の手に掴まれた青年の顔面が大地に叩き伏せられる。
 壊れた人形のように地面と激突し、弾む青年の身体。さらに蹴り上げられた異形の一撃に宙
を舞い。

「堕ちろ!」

 狂笑と共に振り下ろされる手と連動するように漆黒の閃光が中空から降り注ぎ、宙を舞う青年
の身体を打ち抜いた。
 燃える。
 砕ける。
 引き裂かれる。
 咄嗟に放った膨大な魔力で拒みながらも、青年の身体は吹き飛んで、異空間の大地の上を
滑る。
 だがしかし、それでも青年は痙攣しながらも立ち上がる。

「がぶっ!」

 血を吐き零し、何十、何百回と憶えていない回数を立ち上がる。
 先ほどの一撃で全身に刻まれた裂傷は開き、流れ出る出血量で顔面は蒼白になり、呼吸は
既に虫の息にも劣る。

「まだ立ち上がるのですか? 勝てぬ戦いに」

 異形は不愉快げに眉を潜める。
 異形には成したいことがあった。やりたいことがあった。
 されども、目の前の青年がそれを拒む所為でそれが実行出来ない。
 それが腹立たしい。

「立ち上がる……さ」

 進ませぬと、勝てない戦いに挑み続ける青年は鉄臭い血の味しかしない口を震わせて、大剣
を支えに構える。

「お前はここから先には行かせない。決して進ませない、あいつが、あの人が、あの子がいる世
界には行かせられないんだ!!」

 折れた左手。
 もはや感覚もない左手に握られた結晶体。
 その手に握られた蒼き石と紅き石が光を放ち、青年の叫びと咆哮に応え――

【来たれ】

 蒼き天使の翼を持つ竜が、宝玉を携えた天を司る竜神が、顕現する。
 人を超えた魔力を持つ青年の願いに応えて、力を発す。

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「ぁあああああああああああああああああああああ!!!」

 それは通常とは異なる異空間。
 天使と悪魔の住まう異界サプレス。

 その最下層の地が、次元を揺るがす激突に飲み込まれた。





 荒れ果てた世界。
 知るものも少ない管理外世界の片隅で見つけた青年はまるで死体のようだった。

「生きて……る?」

 紫色の長髪に、紅の瞳を持った少女が感情の感じられぬ声で呟く。

「微かに……息はあるな」

 茶色のコートを纏い、左腕にガンドレット、両足に金属の脚甲を身に付けた男が青年の脈を取
りながら呟く。

「しかし、如何なる戦いを潜り抜けたのだ? この地域で騒乱が起きたという情報は聞かぬ
が……」

「旦那、旦那! コイツどうするんだい?!」

 燃え上がるような赤い髪と紫の瞳、そして人の身にあるはずのない翼を生やした小さな少女がパタパタと男の傍を飛びながら問う。

「無意味な殺生は好かん。敵であるならばともかく、救える命は救うべきだ」

 左腕が折れ、もはや傷を負っていない場所を見つけるほうが困難な重症を負った青年を、男
は慎重に抱えると、二名の少女と共にその場から消失した。





「時空管理局? レリック? ここはサプレスでも、リインバウムでもないのか?」

 瀕死の重傷から命を取り留めた青年。
 折れた左腕に包帯を巻き、身に付けていた鎧と大剣のない服装のままの青年が呆然とした
表情を浮かべる。

「管理外世界の人間には理解し兼ねるだろうが、事実だ。この地はお前の居た世界ではない」

「そんな……まさか名も無き世界に飛ばされたっていうのか?」

 茫然自失。
 まさしくそう告げるに相応しい表情を浮かべる青年に、男は告げた。

「そういえば名を居なかったな、俺の名はゼスト。お前は?」

「マグナだ」

 罪深き血族の末裔。
 青年は静かに自身の名を名乗った。



「ルーテシアって言ったっけ?」

 行き所もなく、ただゼストたちと行動を共にするマグナは一人佇む少女に声をかけた。

「?」

「アギトに聞いたんだけど、君も召喚術を使うんだってね」

 その言葉に、ルーテシアは少しだけ感情を瞳に浮かべた。

「……あなたも?」

「ああ。もっとも君とかとはかなり違うものなんだけど……」

「……見せて」

「え?」

「召喚魔法」

 相変わらずの無表情。
 けれども、マグナは腰のポーチを探り、あの戦いでも失わなかった数少ない蒼の石を取り
出した。

【来たれ】

 短い祈りと共に、光が灯る。
 そして、マグナの握った手の先には小さな帽子を被った召喚獣――ポワソが浮かんでいた。

「プ?」

 ふわふわと浮かぶポワソ。
 その姿にルーテシアは静かに手を伸ばして、抱き留める。

「かわいい」

「よかったな」

 そして、それを見るマグナは静かに微笑んで、言った。

「俺には……妹がいたんだ」

「え?」

「君よりもずっとずっと大きいけど、昔は君とそっくりだった」

「……今どうしてるの?」

「別れた。いや、俺が遠ざけてしまったんだ」

 寂しげにマグナは笑う。

「泣き叫ぶあの子を置いて、俺はここに来てしまったんだ」



 平穏な日々。
 旅をしながらも、マグナは静かにゼストたちの中に己の居場所を見出していた。
 だがしかし、平穏は長くは続かなかった。

「戦いに行くのか?」

「ああ」

 一人の白衣を着た男。
 そいつから齎された情報が、ゼストを、ルーテシアを、アギトを戦いへと誘う。

「相手って、前に言っていた管理局なんだろ? ゼストたちが強いのは分かる、けれど勝てると
は思えない。下手すれば死ぬかもしれない、いやそれ以前に――ゼスト、アンタの身体は!」

「俺には目的がある。ルーテシアにもだ。ゆえに戦いをやめるわけにはいかん」

「そうか……」

「安心しろ、マグナ。万が一俺たちが帰還しなかった場合、スカリテッティに面倒を見るよう手筈
している。だから――」

 しかし、その言葉は最後まで言い終えることは出来なかった。

「俺も戦わせてくれ」

「なっ」

「俺にも戦う力はある。それになによりも――アンタたちを失いたくないんだ」

 大切な人たち。
 異世界で助けられ、心を通わせた人。
 それを護るために、青年は異世界で戦うことを決断する。



「見つけた! あれが召喚主だ!!」

 空を舞い、中空から魔力反応を追っていた鉄槌を掲げた少女が降下してくる。

「ガリュー!」

 ルーテシアは声を上げ、己の信頼する召喚獣を呼び出そうとするも。

「遅え! ラケーテンハンマー!!」

 それより早く、鉄槌の騎士は掲げた鉄槌から魔力光を噴射し、少女の体を殴り飛ばそうと加速
する。

【来たれ】

 その瞬間だった。

【鋼の双盾 アーマーチャンプ】

 甲高い金属音を奏で上げ、ルーテシアと鉄槌の騎士の間に割り込むように、鋼の巨人が現わ
れたのは。

「なっ?!」

「悪いが」

 気付かぬ場所、鉄槌の騎士から死角となる場所で漆黒の光を吹き上げる黒い結晶体を握り
締めたマグナは告げた。

「俺の仲間には手出しさせない」





 白き竜。
 その力を解放し、万物を灰燼と帰る火炎の吐息をマグナは鉄壁の巨人兵で遮る。

「この威力――シルヴァーナクラスか!?」

「私と同じ召喚魔法の使い手! 話には聞いていたけど――」

 白き竜を操り、心を通わせる少女。
 その姿に、マグナはかつての仲間の少女を思い出しながら――

「だけど、やめるわけにはいかないんだ!!!」

 手に携えた大剣。
 デバイスなどではないただの鉄の塊。
 だがしかし、その柄に埋め込まれた灰色の石が閃光を放ち――

「打ち砕け! 光将の剣!!」

 召喚反応と可視化した召喚術式を迸らせながら、マグナは剣を振るう。
 異界の彼方より呼び出された伝説の武具たちの軌跡を描くように。





「中々に、いい具合ですねぇ」

 集まりゆくレリック。
 その成果を見て、白衣を靡かせた男が亀裂のような笑みを浮かべる。

「聖王の器。レリック。機動六課。ナンバーズ。舞台は整い、観客は慌てふためき、役者たちは
描いた通りに役を演じていく」

 無数に浮かんだディスプレイ。
 そこに映し出される戦いと人影の一つ一つを、“同時に認識しながら彼は嗤う”
 人の身で出来るはずもない亀裂のような笑みを浮かべながら、彼はある一点を見て嗤った。

「さあ、もっともっと足掻いてください――“調律者” 私の手の平の中で、喜劇を演じなさい」

 無限の欲望。
 そう名づけられた“化け物”は誰にも予想出来ない悪意と狡猾さを持って、世界を嘲笑う。






 戦いは続く。
 思いと思いが。
 願いと願いが。
 混沌の坩堝のように様々な思惑が絡みつき、まるでロンドを踊る舞踏会場のように戦士たち
が戦い、傷つき、挫折し、願いを叶え、或いは見失っていく。
 されど終わりのないものはなく。
 舞台は最終幕へと駆け上がる。

「――ジェイル・スカリエッティ。あなたを逮捕します」

 金色の刃。
 光り輝く閃光の戦斧を構えた女性――フェイト・T・ハラオウンの言葉を背中で受けるのは、
白衣を纏った細い男。
 無限の欲望と名づけられ、一連の事件を起こした実行犯である狂科学者。
 そう、それが誰もが認識していた事実だった。

「ほう? 私を逮捕すると?」

「ええ。素直に投降してください、さもなければ手荒な手段を取らしていただきます」

「なるほど、なるほど」

 未だに椅子に腰掛け、背中を向けるスカリエッティの態度に、フェイトは込み上げる怒りと共に
どこか言い知れぬ違和感を覚えた。
 何故この男はこの状況に恐れない?
 狂っているのか? 否、単なる狂気よりもなにか――

「ああ、そうだ」

 クルリと椅子が回転し、フェイトの前にその男が姿を現す。
 笑みを浮かべた白衣の男。
 だがしかし、その笑みは――“人知を超えた亀裂のような笑み”

「なっ?!」

「一言誤解しているようだから、言っておこう」

 フェイトがその顔に驚愕の言葉を上げるよりも早く、“ソレ”は彼女の眼前に立っていた。
 常時這っているはずのプロテクションも、バリアジャケットも無視して、その首を掴んだ閃光とい
うのも生温い速度で、フェイトは床に叩き伏せられて。

「君たち程度が、私に勝てると思っている時点で間違っている」

 自動修復するはずの聖王のゆりかご。
 並大抵の砲撃では貫けぬ強固な装甲。
 だがしかし、それを素手で砕いて、悲鳴すら上げる暇もなく、フェイトを下の階層へと連れ去る
無限の欲望は狂笑の笑い声を響かせていた。





 事件は解決したはずだった。
 戦いは終わり、後は首謀者を捕らえるのみ。
 そう誰もが信じていた、その瞬間だった。

『あー、テステス』

 ゆりかご内部に、響き渡る声。
 その声は笑っていた。

『聞こえているかね?』

 声が響く。
 それと同時にゆりかごが揺れた。
 もはや動力炉は動きを止めて、制御すべき聖王の器は解放され、ただ落ちるだけだったゆり
かごが震える。

『聞こえているならば、伝えよう』

 震えるそれはまるで咆哮のようだった。
 壁が脈打ち、白く荘厳だったはずの壁は、建物は異形と化して行く。

『これより絶望を始める』

 その声をただ一人の人間を除いて理解することは出来なかった。
 同時に映し出される一人の女性が血まみれの光景に、目を奪われて、誰もが言葉の意味を
理解しなかった。

『楽しい楽しい芝居劇はもう終わり。これから新しいゲームを始めよう』

 そして、その中心に移る無数のパイプに繋がった亀裂のような笑みを浮かべる男を見て、マグ
ナは叫んだ。

「お前は、いや、貴様は――」

『さあ足掻け、調律者! ここで終わる貴様らの運命を乗り越えようと足掻いて足掻いて足掻いて、泣き叫べ!!!!』

「メルギドスゥウウウウウウウウウウウウウウ!!!」

 人知を超えた戦い。
 運命を超える激闘。
 世界を護るための死闘。

 人は何故戦うのだろうか。



 召喚戦記 リリカルナイト――始まりません。

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最終更新:2008年01月21日 20:13