「フェイト!」

 彼は私の元へ駆け寄った。暖かな光を背にした彼は、とても眩しく見えた。
 彼の逞しい腕にそっと抱き起こされる。

「えへへ……やっぱり、来てくれたんだね……」

 思わず笑みが零れる。信じていた。だけど、本当に来てくれるか、不安だった。彼にとって私は、どんな存在なのか。知りたいけど知り

たくない。そんな、不思議なジレンマ。
 でも、彼は来てくれた。それが本当に、本当に嬉しかった。

「バカヤロウ……ヒロインのピンチには必ず駆けつけるのがヒーローだぜ?」
「ふふ……うん、そうだよね。私、ヒロインだもんね」
「今更なに言ってんだよ。タイトル見ろよ。お前の名前だぜ? お前以外誰がいるってんだよ?」

 彼の言葉に、私は笑いかけるだけで精一杯だった。
 力が抜けていく。もう終わりが近いのだと、私は理解していた。
 迫り来る死に、不安はなかった。深い闇は、そこにはなかった。ただ、陽だまりの中に寝転んだような安らぎだけがあった。暖かな腕の

中、愛した人の温もりに包まれて、私はそっと、眠るだけなのかもしれない。
 ――ああ。そうだったのなら、どれほど良かっただろう。
 けれど、止まる事のない血は、着実に私の体から命の温もりを奪い去っていく。
 霞む視界の中で、彼は子供のように不安げな顔をしていた。

「泣かないで」
「誰が泣くかよ」

 泣きそうな、でも決して泣くまいとした意地を張った笑み。
 いつもよりずっとずっと重い腕を上げて、私は彼の頬に手を伸ばす。
 私の手に重ねられた彼の手は、大きくて、暖かい。

「あのね……私、ね……」
「喋るな。すぐに助けてやる。続きは病院のベッドの上で聞いてやる」

 彼の言葉に、私は首を振った。
 もう時間がないことは、私が一番分かっていた。きっと彼も、そのことに気付いているだろう。
 だからこそ、私は言わなければいけない。まだ、言ったことのない、本当の気持ちを。

「私、ね……幸せ、だったから……あなたのおかげで、とっても、幸せだった……だから、ありが、とう……」
「おいおいおい、なんだよその遺言みてェのは。ドラマじゃねェんだぜ?」
「すっごく、楽しかった……あなたの隣は、暖かくて、心地よくて……ずっと、ずっと、隣に居たいくらいだった……」
「はは……そりゃいい。ああ、そうしようぜ? 俺も丁度、隣が寂しいと思ってたところだ。俺のとなりで、ずっと笑っててくれよ、なあ?」

 彼の声が、少しだけ震える。
 ああ、悲しんでくれてるのかな。泣かしちゃうのかな。ごめんね。ごめん……。
 彼の顔も、もう霞んで見えない。彼の声も、もう遠く聞こえない。彼の手の温もりも、もう分からない。
 ねえ、あなたはそこにいる?
 私のことを、見てくれてる?
 私の声を、聞いてくれてる?
 私の想いは――届いてる?

「あのね……内緒に、してたんだけど……」

 もう、何も分からない。自分の体も、自分の存在も。生きているのかさえ。
 でも、この胸にはまだ、残ってる。最後に伝えるために、大事に守っていた、大切な言葉。

「あなたのこと、ずっと、ずっと……」

 この想いが、彼に届きますように。


「――――好きだったよ」


 それが、私の最期。
 ごめんね、ひとりにして。
 ごめんね、勝手にいって。
 ごめんね、一緒にいられなくて。
 ごめんね、最期まで我がままで。
 でも、もうひとつだけ、我がまま言ってもいいかな?
 ねえ、どうか、私の分まで、


 ――幸せになって。



 女の亡骸を胸に抱き、男は静かに涙をこぼした。
 その涙を拭ってくれる愛しい人は、もうこの世にはいない。
 抱きしめた体は、ただ温もりを失っていくだけ。
 安らかな、眠っているだけのような女の顔。
 けれど、彼女はもう起きてはくれない。
 暖かな笑みを、自分に向けてはくれない。
 耳心地の良い声も、もう、響くことはない。
 フェイトはもう――いない。
 最期の別れを告げるように、男はそっと唇を重ねた。
 最初で最後のキスは、とても柔らかくて、そして冷たかった。
 命の灯火が消えたフェイトの体を、男は優しく横たえた。清流のような金色の長髪が、無機質な地面を彩る。
 彼女が眠るには、ここは相応しくない。もっと、そう、一面の花畑でも探してやろう。ひとりだと寂しいだろうから、自分が毎日行けるような、そんな場所を。
 だが、その前に。

「――てめェら、覚悟はいいか?」

 こう騒がしくては、フェイトがゆっくり眠れない。
 男はフェイトの頬を愛しげにひと撫でし、おもむろに立ち上がった。その眼に、深い感情を宿して。

「レクイエムには騒がし過ぎるが……まあ、辛気臭いのよりはいいだろうよ」

 男を葬らんと殺到する者達を前に、男は不敵に笑ってみせた。敵と、そしてなにより、愛した女を守れなかった自分自身への堪えようの

ない怒りを携えて。

「ああ、そうだ。フェイト、俺も言い忘れてたんだけどな」

 フェイトを守るように。ここから先へは一歩たりとも踏み込ませないとでも言うように。
 男はそこに立ちふさがった。

「俺も――」

 そして、駆け出す。女のために。自分のために。


「愛してたぜ!!」


 男の叫びは、天に響くだろうか。フェイトの元に、届いたのだろうか――――



「……あの、はやて? なに、これ」

 読み終わった紙面を前に呆然としながら、フェイトは頭に響く鈍痛に襲われていた。

「なにて、フェイトちゃんと噂の彼氏を題材にした恋愛小説。良い出来やろ?」
「まあ、良く出来てるとは思うけど……。あのね、私、彼氏とかいないんだけど」
「またまたー。フェイトちゃんが親しくしてる男がおるってことは調べがついてんねんで? ほら、キリキリ白状しーや。今なら許したる


 ……どこで調べがついたんだろうか。というか、親しいという表現を否定するつもりはないが、それがなぜ男女の仲に発展するのか。
 しかも、微妙に彼に重なるのはなんの偶然だろうか。いや、自分が死ぬ話の時点でちょっと待てと言いたいのだけど。
 フェイトの心中に渦巻く感情は、しかしはやてを相手にしては無駄だということは分かっていた。
 知らず、ため息が漏れた。

「……はあ」
「ほれほれ、言えっ、ひと思いに言うてしまえ!」

 なんだろう。こんなことの為に数少ない休日を費やしたのだろうか。
 親友に会えたのだから後悔はしていないが、どこか間違っている気がしないでもないフェイトだった。

「フェイトちゃん……」
「? どうしたの、なのは?」

 何故か紙を握り締めてぷるぷると震えるなのはに、フェイトは首を傾げた。
 しかし、上げられたなのはの顔に、唖然とさせられる。

「だめ……死んじゃだめーっ!」
「ええーっ!?」

 瞳一杯に浮かんだ涙を飛ばしながら、なのははフェイトへ抱き付いた。胸に顔をうずめて「だめだめーっ! フェイトちゃんはわたしが

守るから! 絶対、絶対、守るからー!!」と何故か錯乱するなのは。
 それを前にし、「おお!? なんちゅー百合展開や!! カメラカメラ! 誰かカメラ持ってこーい!!」とか叫んでるはやて。
 出来上がったのは、理解に苦しむ混沌空間だった。

「……友達、間違えたのかな」

 フェイトの呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。
 そんな光景も、一応は平和な日常のワンシーンである。

「フェイトちゃーん!!」
「はいはい、私はここにいるよ、なのは」
「おお! 甘い、これはめちゃくちゃ甘いでぇ!!」

 ……平和な日常、である。多分。


 おわり

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最終更新:2008年02月17日 21:30