魔法少女リリカルなのは 闇の王女 前編
次元の海。
空間それ自体がうねり、ねじくれている場所を、数隻の次元航行艦が移動していた。
一隻の輸送艦とそれを護衛する戦闘艦から構成される時空管理局の船団だ。
護衛の船には、二隻のL級艦船のほかに時空管理局の所有する最新鋭艦であるXV級の姿があった。
この物騒といえる護衛も、輸送船の積荷を考えれば不十分と言えるものだった。
ロストロギア。
滅びた文明の危険極まりない遺産。
それが輸送船の積荷である。
とある次元世界で発掘されたそれは、次元世界を丸々ひとつ吹き飛ばしかねないエネルギーを秘めていたため管理局が封印することとなり、
半日前管理世界から引き渡されたばかりだった。
この護衛の物々しさには事情があった。
近年ロストロギアを狙った強奪事件が多発し、次元の海の安全が損なわれているためだ。
強奪者は次元航行艦を所有している何者かであり、その戦闘能力が未知数のため今回のような護衛がしかれることとなったのだった。
次元の海を航行していた船団が次元世界ミッドチルダにジャンプする。
後に残ったのは静寂と――擬態し隠れていた一隻の船。
ロストロギアを載せた輸送船の中で、眼鏡をかけた理知的な顔の青年――ユーノ・スクライアは溜息をついた。
こうしてロストロギアの近くにいると、どうしても10年前のことを思い出してしまうからだ。
10年前――ユーノはジュエルシードと呼ばれるロストロギアを掘り当てた。
それが、全ての始まりだったのだと思う。
管理局に引き渡されたジュエルシードは何者かの襲撃により第97管理外世界「地球」にばら撒かれたのだ。
それを追い降り立った先で、ユーノは一人の少女と出会った。
少女の名は高町なのは。
管理外世界では珍しく、魔法の才に優れた娘だった。
彼女は優しく、傷ついたユーノを看護してくれたのも彼女だった。
ユーノは今でも彼女を魔導師の世界へ導いたことを後悔している。
彼女にデバイス「レイジングハート」を持たせ、戦いの世界に引きずりこんでしまったのだ。
やむおえない、緊急避難的な措置だったが――なのははユーノの思っていた以上に素晴らしい資質を秘めていた。
繰り返される激闘の中で彼女の魔導師としての資質は開花していき、
魔導師として一流の実力を持った少女――フェイト・テスタロッサを打破るほどに成長した。
そして「PT事件」と呼ばれる一連の事件を、管理局に協力する形で終結させたのである。
その後、なのはは「闇の書事件」も解決し、魔導師としての未来を約束されているかに思えた。
それから少し経った時の、なんでもないような仕事を終わらせ、母艦アースラに帰還する途中のことだ。
高町なのはは撃墜された。
任務が終わり気を抜いていたときの、突然の砲撃。直撃を食らったなのはは姿勢を崩し地上に落下。
激しい弾幕に、当時同じ任務についていたヴィータはなのはの回収ができなかった。
後にガジェットドローンと呼ばれることになる自律機械による、初の犠牲者が彼女だった。
ヴィータからの通信により、事態を把握した管理局L級艦船アースラは武装局員を派遣、なのはの捜索に当たったが彼女が見つかることはなかった。
数週間の捜索は打ち切られ、高町なのはは任務中の行方不明から死亡へと扱いが変わった。
この扱いにアースラ艦長、リンディ・ハラオウンは本局に抗議したが、扱いが変わることはなかった。
当初はなのはの生存を信じていた仲間達も、数年の月日が経つにつれ、なのはの死をそれぞれが受け入れ始めていた。
親友だったフェイト・テスタロッサと八神はやては、管理局に残りなのはの遺志を受け継ぐと言う形で。
かつて自分達が救われたように、誰かを助けるために。
クロノやリンディは以前にも増して仕事に打ち込むようになった。
まるでそれが贖罪であるといわんばかりに。
地球の彼女の家族や友人達は、最初あまりに現実感のない出来事に呆然としていた。
遺体のない葬式の会場で、ユーノはなのはの兄、高町恭也にぶん殴られた。
結局なのはの父がそれを止めるまで、ユーノは恭也に殴られ続けた。そのときのユーノの心はひどく虚ろで、ぼんやりとしていた。
世界で起こっていることが他人事のような感覚だ。痛みも、叫びも、涙も空虚にしか感じられない。
しかし高町家の人々の表情を見た瞬間、急に全てが反転した。
娘の死を悼む両親の顔。憤りで狂わんばかりの兄の顔。妹の死が信じられない姉の顔。
なのはは死んだのだ――という現実がユーノを打ちのめし、虚無に満ちていた心が裂かれたように痛んだ。
その日、ユーノは人生で一番泣いただろう。
まるで赤子のように止むことを知らぬ泣き声。
それが己のものだと気づくのに、ユーノは数時間を要した。
乾いた心が現実を見据える。
全ては過去のことだ。
ユーノはロストロギアを封印している結界を見ながら再度溜息をついた。
もう、自分の好きだった――それは恋だったのだ――高町なのははいない。この世界を離れて遠くへといってしまった。
だからユーノはここにいる。
もう二度とあんなことを繰り返させない為に。
ロストロギアを狙う強奪犯――それが何者であれ、ユーノは強奪を防ぐつもりでいた。如何なる手段を使ってでも、これだけは奪わせない。
その時、部屋の自動ドアがシュッ、と音を立てて開いた。
誰かが入ってきた。
振り返ると、そこにいたのはよく見知った顔だった。揺れる長い金髪。引き締まった身体。
フェイト・テスタロッサ。今や管理局で知らぬものはいない若き女性執務官である。
「ここにいたんだ……」
涼やかな声が響いた。
「うん。昔を、思い出していてね……」
「そっか」
沈黙が二人の間に流れたが、気まずくはなかった。なのはと時間を共有していたもの同士として、二人は浅からぬ付き合いをしていた。
たまに昔のことを互いに語り合う、そんな関係。
緩やかな時間が二人の間に流れかけたとき、警報が鳴り響いた。
「敵襲?!」
XV級のブリッジは突然の攻撃に混乱していた。
既に所属不明艦からの攻撃でL級艦船一隻が戦闘不能になっていた。護衛の三分の一がやられたことになる。
XV級の魔力探知機が敵艦の位置を探る。敵の位置――次元の海。先ほど自分達が通過した座標だ。
解析。
船の種類がはじき出された。
「敵艦――ッ!L級次元航行艦です。データベースに照合。艦籍は――アースラ?!」
驚愕に染まる観測員の声。
アースラは退役が決まり廃艦処分が実行された筈の歴戦の老艦だ。
それが何故自分達の敵となっているのか。
ブリッジの混乱を艦長が一喝する。
「今は敵だッ!対艦戦闘用意!」
アースラのブリッジで、女はスポーツドリンクを飲み終え、容器を投げ捨てた。味などわからない。
結構な量の砂糖が入っている筈のそれも、女の舌には無味無臭の水同然だ。
自動制御になっているアースラに、女は敵艦からの砲撃の回避を命じた。
自分があの男――ジェイル・スカリエッティに「壊されて」から何年が経っただろう。
暗い実験室で繰り返された、筆舌し難い人体実験の数々は女の身体から味覚というものを奪い取っていた。
否。
それ以上に大事なものを女から、男の非人道的な――この表現すら生温い――行いは奪い去っていた。
自分が信じていたもの――管理局と言う幻想を、男は打ち砕き、嘲笑った。
男に女を弄るよう、命令を下したのが時空管理局の最高評議会――脳髄だけになって生きながらえる老人達――だと知ったときの絶望は今でも忘れられない。
管理局という正義は少女の中で潰え、優しさも枯れた心の中では萎んでいくのみだった。
かつて少女だったときの全ては女の中で死に絶え、今ここに残るのは過去の記憶と、復讐の焔を身に宿した修羅。
自分を裏切った世界に牙をむくことだけを生きがいとする、狂った人間の残滓だった。
ブリッジの中央に座り込んでいる少女に声をかける。少女の紫色の髪がさわ、と揺れた。
「行ってくるね、ルーテシア」
少女が無表情に答えた。
「行ってらっしゃい、なのは」
女――かつて高町なのはだったモノは、黒い防護服を身に纏う。漆黒の闇の如き騎士甲冑が、女の全身を覆う。
その顔をのっぺりとした仮面が覆い、黒い復讐の鬼は完成した。
「レイジングハート・セットアップ」
『はい、マスター』
「敵艦から機影。これは――魔導師ですッ!数は一。」
なんのつもりだ――とXV級の艦長は思う。たかが魔導師一人に何ができる。
「撃ち落せ!対空射撃開始」
数百の魔力弾がXV級及び僚艦のL級から放たれる。魔力弾の雨が、黒い騎士甲冑の魔導師へ向けて放たれるが、ことごとく回避される。
第二射。
槍衾のような光景だった。
今度は十数発の攻撃が魔導師の騎士甲冑に直撃する。しかし、無傷。
ありえないことだった。非殺傷設定とはいえ、一発一発が人間一人を気絶させられる威力を持っているのだ。
考えられることはひとつ。装甲が異常に分厚いのだ。
「くそ、副砲用意!」
「相手は人間ですよッ!」
XV級の艦長が怒鳴った。
「このままでは懐に潜り込まれる!今撃ち落さずに何時落とすのだッ!」
艦砲のエネルギー充填が完了する。目標、敵魔導師。
「撃てぇ!!」
太い光の柱が砲門から解き放たれた。
XV級の副砲がこちらを向くのを、女は無感動に見ていた。
為すべきことはただ一つ。砲撃、砲撃、砲撃。
カートリッジがレイジングハートについたドラムマガジンから供給され、使用される。排出される十数発の薬莢。
魔力光が杖状のレイジングハートの先端で集束し、膨れ上がって射出された。
「ディバイン」
『バスター』
桃色の光の奔流が、檻から出された狂犬の様に走った。
ぶつかり合う二つのエネルギーの奔流。閃光が辺りを覆い尽くし、あまりの眩しさにXV級のクルーは一瞬目を閉じた。
空間が歪む。
ぎりぎりと押し合っていたエネルギーのぶつかり合いは、桃色の光の勝ちに終わった。
副砲のエネルギーを飲み込み、桃色の光がXV級のバリアに突き当たった。弾ける火花。きゅおおん、とバリアが軋みをあげていった。
障壁を突き破って艦の装甲に魔力光が直撃する。
衝撃。
破砕音とともにXV級の左舷装甲が崩壊していく。
「左舷被弾!駄目です、戦闘続行不可能!」
「くそったれッ!」
激昂のあまりXV級の艦長は立ち上がり口汚く罵った。
モニターに映る黒い魔導師を睨みつける。
まるで――黒い――。
「悪魔め………」
呟きが口から漏れた。
閃光。悪魔の放った砲撃が僚艦のL級にぶち当たり、その装甲を撃ち抜き半壊させる。
沈黙するL級。
ぽつり、ぽつりと驚愕と畏れに満ちた声が漏れ始める。
「人間の火力じゃない……」
「化け物……」
「本当に人間なの……?」
それは超越者へ向けた言葉。既に人をやめているモノに対する畏怖の祝詞。
悪魔は輸送船に向けて飛翔した。
最終更新:2008年02月23日 11:14