―――捨てられる 捨てられた人間
 ―――彼らは悲しみ、苦しみ、嘆くしかないのでしょうか
 ―――いいえ、それはちがう ちがうと思う

 壱 新暦六十九年

 そこには雑音が満ちていた。
 研究員たちの怒号、ざわめき、悲鳴。狼狽した無数の足音。金属のつぶれる音。
 頑健に造られたはずの研究施設の構造材が倒壊し、その破片をぶちまける音。
 そして、それらを焼き焦がす炎の音。

 匂いが満ちていた。
 嗅ぎなれた、眼を醒ますたびに希望なんて無いのだと自分を暗鬱にさせた薬品臭。
 無機質で冷たい金属と壁の匂い。窓の無い部屋にこもったカビの匂い。
 そして、それらを焼き焦がして燃えあがる炎の匂い。

 彼は衰弱していた。弱り切っていた。
 苛酷な扱いを受けた幼い身体は、もとが何とも知れない細長い金属の構材を杖にしてようやく歩を進めていた。
 疲労と熱とで、全身から汗がふき出す。身体が金属の杖につかまったまま、くずおれる。
 いっそこのまま冷たい床に横たわりたいと身体と心が悲鳴をあげている。
 空間を満たす金属と薬品の焼ける刺激臭と黒煙に、思わず彼はむせ返った。
 逃げ惑う研究員たちの誰も、彼を気にかけなかった。怪我を負っている者も大勢いた。
 瓦礫の下から伸びる手の主などは、生きているか死んでいるかも彼には分からない。
 暗く濁った瞳に浮かぶのは、いつのまにか生まれついてからの伴侶であるかのように染み付いた諦観と、この状況への困惑と怯え。

 ―――そしてほんのわずかだが、確実に、泥のように沸く感情。喜悦。
 それが口を突いて出る『ざまあみろ』と。

「ハハッ……いい気味だ」

 音となった言霊は、力を持って彼の心を黒い喜びにひたした。
 だがそれは、心をざらつかせた。
 生まれて初めて感じた胸のすくような喜びと、それを上回る不快感。
 彼の幼い精神はそれを持て余した。

 だから、気づかなかった。すぐそばで、瓦礫に半身を埋もれさせている男に。

「チクショウ! なんでこんなことにっ!」

 知っている男だった。研究と言って、散々に自分に痛苦を味あわせた研究員。
 その声が激しく大きな語調で響くだけで、彼の小さな身体はすくみあがった。
 逃げ出したかった、だが逃げ出すことすら怖かった。だから眼が合ってしまった。

「NP3228、なぜお前がここに……。いや、それより。助けてくれ」

 すがるような視線。声。付近に研究員の仲間はいない。
 自分をモルモットとして扱った男の無力で、無様なさま。
 だが、幼い心に刻まれた恐怖は、強制力を働かせた。
 杖を支えに立ち上がる。
 気だるい身体を引きずるように歩を進める。

 男に近づいた。男は自身の身の丈の倍ほどもある瓦礫にすっかり挟まれ身動きをとれずにいる。
 持ち上げる。高く、高く。

 ――――杖を。凶器と変じた金属の塊を。

「おい、、、やめろ。あんなに世話をしてやったってのに。この恩知らずが!」

 世話。研究員たちは、この男は、実験動物を扱う以上の扱いを彼にしたことは無い。
 死なぬように、モノのように、動物のように。ただそうしただけ。
 燃えるように泥が沸く。幼い心はそれが殺意だとは理解できなかった。
 ただ振りあげた手のなかの凶器に、己の魔力がなかば無意識に流れた。
 彼の生まれ持った資質に従い、それは魔法術式を通すことなく電気へと、致死の雷撃へと変換された。
 限界を超えて注ぎ込まれた魔力は、弾けるように空中放電を起こすそれは周囲の空気を焼いた。
 血のにじむほどに握りしめた金属が熱を帯びている。
 手のひらを焼く音がした。肉の焦げる匂いがした。
 痛みを無視することには慣れてしまっていた。
 いや、その痛みは自分のモノではないのだと、他人のモノだと、そう思うことに慣れていた。そうでなければ壊れていた。
 そして威力をいや増す雷撃は先端に収束し、彼の殺意にふさわしい形を具現化した。

 コロすための形―――槍の形。槍の穂先を。

「やめろ。殺すつもりか。この、できそこない、、、、デッドコピーめ!」

 始め黒くにごり、次に血のように禍々しい赤い炎を宿した彼の心は、最後に白熱化した。
 それを映すように、彼の槍もまた極限まで圧縮された雷撃を白い刃と成す。
 空中にあふれた雷撃が抉るような物質的破壊力すらともなって、周囲の壁といわず床といわず、周囲の空間を荒れ狂う。
 彼の心には、もう怒りも憎悪も、殺意もなかった。


 ――――ただ振り下ろした。思い切り。


*  *

 彼は走っていた。
 左右の手のひらがひどく痛む。
 焼け爛れ、癒着した皮膚を無理やり引き剥がしたそれは絶えず血をにじませ、耐えがたい激痛を彼に送り続ける。
 どこを目指しているかなどもうわからない。
 立ち止まればくずおれて、もう二度とは立ち上がれないという恐怖にただ突き動かされる。
 様々な思念が、彼の心の表層に浮かびかけては沈んでいく。
 そして徐々に、なにも浮かばない虚ろとなっていく思考。

 最後に、ふと残った思念があった。『星を見たい』。
 最後にそれを見たのはいつだったか。時間の感覚も、記憶も、ひどく曖昧だ。
 ただそれが希望だと、自分にそう思い込ませてとうに尽きた体力を振り絞る。
 酸素不足にあえぐ脳は、眼は、すでに前を見ていない。
 自分が今ぶつかったのは壁なのか、それとも床なのか、本当に自分は走っているのかさえわからなかった。
 だがそれも限界。意識もなにかもが闇に溶けようとしていた。


 そんなときに、ふと。感じたのだ。風を。

 「あァ……」

 それは何と言い表すべきか。
 これは弾道だと、そう思った。
 彼を閉じ込めていた研究施設。檻を。彼の心を縛りつけていた闇を。
 全てをまっすぐに、まっすぐに貫いていた。風穴を開けていた。
 直径で数メートルほどあろうかというその大きな大きな弾道は、床を砕き、天蓋を割り、ぶ厚い壁をも貫いて、空につながっていた。

 ただきれいだと思った。そこからさしこむ光は、そこから見える空は、そこから見える瞬く星たちは。

「……きれいだ」

 その星たちの中に、ひときわ強く、虹色に瞬く星があった。
 普通の星ではない。流れ星だって、円弧を描くように空を旋廻したりはしない。
 なにより七色の虹を無秩序に撹拌して凝縮したような、そんな異様なモザイクとなった強い強い光。
 そんな光を灯す星は、自然にはありえない。

 その虹色の流れ星が動きを止めた。眼が合った。いや、合ったと思った。そんな気がした。

 次の瞬間、星が激しく瞬いた。
 網膜を焼かんばかりに輝くそれを、しかし瞬きもせずに目に焼き付けた。
 その虹色の輝きが最高潮に達した瞬間。
 星が、疾走した。虹色の光を炸裂させ、それを推進力に変えて。
 速い。本当に速い。眼で追うことは叶わなかった。知覚すらできなかった。

 ただ、あの異様な虹色に輝く光の尾の軌跡だけが、星の瞬く空を我が物顔で。
 まるで星空を二つに割るように鮮やかに描かれていた。

 次に感じたのは衝撃。
 それは大気を震わせ、大地を震わせた。繊細な皮膚や筋繊維などものともせず、内臓にまで重く響く衝撃。

 その次に感じたのは風だ。
 澱んでいた空気と、白煙黒煙、瓦礫までが空へと巻き上げられた。もちろん彼の身体も。何もかもが世界全てが吹き飛ばされたようにすら感じた。

 最後にもう一度、衝撃。
 宙を舞ったそのままに、半ば崩れた壁に叩きつけられていた。

 不思議と、痛みは感じなかった。
 ただ何故か、熱かった。心が振るえ、そこから力が溢れてくる感覚。
 それは、心の奥底に焼きついたあの虹色の光から与えられたものだと感じた。
 そう信じたかった。そう信じた。


 ならば自分も、こんなところで這いつくばってなどいられない!
 世界には、あんなにも見たことのないものが、あふれるほどにちらばっていると知ったのだ。
 それに気付いたならば、もうこんな見飽きた場所にいる時間は一瞬でも惜しい。
 行くんだ。速く。もっと速く!


 溢れる心の熱が身体を突き動かす。
 それは力となり、力はみなぎる魔力となり、それは魔法になった。
 魔力による単純な肉体強化。れが彼を加速させる。もっともっと速くと。穿たれた弾道の中を駆ける。
 それはいびつな破孔だ。とても歩ける場所など無い。足場など無い。
 だがそれがどうしたと。駆ける。走る。
 床だったもの、壁だったもの、天井だったもの。それらを蹴り飛ばし、重力にも囚われずに、縦横無尽に駆け抜けた。

 もうそろそろ弾道の先、空へと達しようというとき。呼ぶ声が聞こえた。
 聞き覚えの無い、困惑と焦燥を滲ませるまだ若いだろう女の声。
 だが彼に聞く気はさらさら無い。さらに加速する。

 呼び声の主は対応を変えたようだ。
 呪文。いや、デバイスに圧縮された呪文の解放を命じる声だ。
 金色に輝く魔力光が収束し、疾走する身体を捕らえるべくバインドを結実しようとしている。
 捕まってたまるか。
 最後の加速。彼は渾身の力で、撃ち抜かんばかりに最後の一歩を蹴った。
 結実したバインドが虚空を掴む。
 そして彼は弾道から、文字通りの弾丸のごとくに飛び出した。

 その瞬間、閃光が左右に走った。閃光の中心が青白い半球となって膨れ上がる。
 強烈な光球だ。直視できないほど。
 研究施設はその閃光に呑み込まれ、間も無く原形を留めぬ大崩落を起こした。

 彼は空中でその爆風に揉まれながらも歓喜の感情を噛み締める。
 広い広い空へと。世界へと踊り出たのだ。
 その事実に、無理な強化により酷使された身体の痛苦よりも、自分をつないだ牢獄同然の研究施設から解放されたことよりも。
 まだ見ぬ世界への期待と渇望が心を満たした。胸が躍った。
 そのときにはもう、彼を――彼にはあずかり知らぬ事だが――保護しようとして閃光に呑まれた相手のことなど頭の中から消えていた。


 ――――そのすれちがいが、彼と彼女の初めての出会いだった。
 ――――――そして彼は、暫くの後ある世界の片隅でもう一つの出会いを経験することとなった。





*  *


 弐 二年後 新暦七十二年

 あそこを逃げ出してからどれぐらいが経ったのだろうと彼は考える。
 昨日のような気もするし、十年以上の昔にも感じられた。十年前に彼は生まれてもいないが。
 実際は三年にも満たない時間なのだが。

 彼は今、荒涼とした大地のド真ん中にいた。
 そこに停められた仕事上のパートナー――相棒――の車の中で、相棒のド-ナツを無断で頬張っていた。
 今は仕事中で、かつ待機中だ。相棒からの合図はまだ無い。
 要するに未だ幼い彼は暇を持て余していた。

「―――懐かしい味がするなぁこのドーナツ。
 ドーナツ……ドーナツかぁ」

 懐かしい味に記憶が刺激される。彼は眼をつぶり思案にふけった。
 このまま何もせず待機していたのでは眠ってしまう。


「そういえば、そうだった。
 あの日あのとき、あの雨の日。ボクは一人で生きていた。誰にも頼らず。
 いや、頼る相手も無く、一人で、ずっと……。
 そこに、現れたんだ。
 あの人が」





*  *


 参 新暦七十年

 研究施設を逃げ出してからしばらくの時間が過ぎた頃。
 あてもなくさまよった何者でもない少年は、この荒涼とした世界に流れ着いていた。
 日々を生きるのも厳しい、そんな世界の片隅に。

 その男は前触れなく現れた。
 赤いシューティンググラスに、コート、髪型。浮かべた笑顔まで。
 そのどれもがどこか鋭角的なイメージを抱かせた。

「よぉ、坊主。一人でなにしてる? こんなところで食事かぁ?

 その男は少年の手元を覗き込み、さらに言葉を続けた。

「ドーナツか。うまそうだな」
「……ほ、欲しいの?」

 男の言葉に幼い体が身構える。
 少年の返したその言葉と防御体勢に対してさもおかしそうに笑うとこう言った。

「だとしたらァ、どうする?」
「欲しいなら、奪ってみろ。
 体の大きいあなたにはかなわないかもしれないけど、ボクはこの食べ物を離さない!」

 その勇ましい反応に、さらにおかしそうな顔をすると男は笑った。大声で。

「フフッ、ハッハッハッハッハッハッ!
 じょぉだんだよ。俺は物盗りなんかじゃねー」
「わかるもんか!
 そうやって優しい声をかけてくるやつに、何度も痛い目に合わされたんだ」

 男は顔に笑みを張り付かせたままその抗弁に応えた。
 馬鹿にされたのかと思うと面白くなかったが、その笑顔は不思議と不快には感じられなかった。

「痛いのも裏切りも、どこにでも転がってる。そういうもんだろ?
 その食いものをどうする? お前はどの道を選ぶ?」
「渡さない。三日ぶりの食事なんだ」
「だったらそうしろ。それでいいんだ。そういう気持ちでいいんだよ。
 ―――坊主、お前の名前は?」

 唐突で意外な問いに面食らった。自分が人間ではないと知らされて以来、人に名前を聞かれる
 それを顔に出すのもなにか悔しくて。精一杯の虚勢を張って答えた。




「坊主なんかじゃない。ボクの名前は、エリオだ」
「エルオか」




 さらっと間違えた。『やっぱり嫌いだ、こんな人』。

「エリオです!」
「だから、エルオだろ?」
「エリオだって言ってるでしょ!?」

 男は手をひらひらとさせてエリオを制する。
 ますます愉快そうな顔をするものだから、エリオは面白いわけもなく。
 きっと誰にもこんな調子なんだろうと、憤懣やるかたない思いが募る。
 完全に乗せられている。

「わかったわかったぁ。ところで・・・
 ―――そのドーナツ、うまそうだなァー」
「や、やっぱり狙ってるんじゃないですか!」

 エリオは手のドーナツを庇うようまた度身構えるが、男はやはりそれに頓着しなかった。
 人懐こい笑みを浮かべたままだ。


「知り合いだから、頼んでるんだよ」


 本当にそれは、知り合いや友達に言うような軽い口調で。
 それはとても懐かしいような、そんな感覚で。
 だからだろうか、いつのまにかエリオは目の前の風変わりな男に気を置けなくなっていた。

「うー……、もう、しょうがないなぁ。
 少しだけなら分けてあげます」

 よく見れば、男も自分と同じぐらいにやつれていることに気付いた。
 だから、つい、心を許してしまった。
 同情とも共感ともしれぬ感覚から発せられたその言葉に対する男の反応は、ある意味でエリオの予想を大きく逸脱するものだった。

「助かる。実は俺も三日食ってないんだぁ……。
 いやな、愛車に乗って気ままな一人旅を続けていた俺なんだがな
 道中か弱い女性がアーレーなんて悲鳴をあげつついわゆるやられ役みたいな奴らに追われてたんで俺の中にある正義感がふつふつと湧き上がってきたしか弱い女性を助けるのは精神的にも肉体的にもお礼があるかなと思って最速で登場したわけだ!
 なんせ俺はGOODSPEEDだからな!
 それでやられ役の男たちが俺に向かってなにか言おうとしてきたんだが最速であることを信条としている俺は会話もせずに奴らを蹴り飛ばして女性を助けることに成功したのさァ!
 そしたらか弱い女性が俺にお礼を言ってCHUーの一つでもしてくれるかと思ったらいきなり怒り出してよ、よく聞いてみたらやられ役の男たちは彼女の使用人で鬼ごっこをして遊んでたらしいんだよ!
 おいおいそんな誤解を招くような遊びをしてるんじゃないと思ったけど愛と最速を信条としている俺はすぐさま誤って即座にトンズラしたわけだがその女性の兄貴がなんと魔導師でな!
 仲間の魔導師を集めて追いかけてきたもんだからさァ大変!
 食うや食わずの逃亡劇が始まって早三日!
 嗚呼そんなこんなしてる途中で今ここにいる○×△□?!」
「あーーーーー!うるさぁーーーい!!」

 それは、聞いているだけで頭痛がしてくるかのような言葉の洪水だった。
 エリオはそれをなんとかせきとめた。
 でなければどれだけ付き合わされるか分かったものじゃないと、そんな確信にも似た感覚があった。
 きっとこういう反応が返ってくるのは初めてじゃないのだろう。愉快そうに手を叩いて男は謝罪を述べる。

「アッハッハッハッ! すまんすまん!
 悪気は無かったんだ、エルオ」
「エリオです!!」
「あ~あァ~、すまんすまん!」

 そのやりとりに男はやはりというべきか、さらに喜色を浮かべるばかりだった。

「あんたって人は・・・」
「あんたなんかじゃねぇ、俺は……おっと。悪い悪い、俺の方こそ名乗ってなかったな。

 ―――俺の名前はな、ストレイト=クーガー。
 ―――――――――――誰よりも速く走る男だ」



 そう、どこか気取った調子で話したその男。
 その出会いは。その名前は。その姿は。その在り方は。
 エリオの幼い心に深く刻まれることになった。

*  *


 四 再び新暦七十三年

「ストレイト……クーガー……。
 そうだ、そういう出会いだった」



 自然と、笑みが浮かんでいることに気付いた。
 彼の前ではけして口にしなかったが、尊敬していた。憧れていた。
 だから、今の自分があるのはあの人のおかげだと、そう思えた。

 そんなとき、相棒の奇妙なでどこか嬉しそうな奇声が聞こえた。
 合図ではないが、餌―――よく言って囮。であるところの相棒に、獲物であるところの強盗がかかったのは間違いなさそうだ。

 そして“一瞬”で相棒と獲物との間に割り込む。
 その獲物に慌てた様子は無い。余裕も見て取れる。
 手練れと見ていいだろう。
 女性で、エリオから見ても美人の部類だった。

 相棒が奇声を上げた理由はこれか。美人に眼が無い。

「あなた! そう、そこのあなたです!
 あなたですか? 最近この辺りに荒らしをかけているという魔導師は」
「そうだとしたら、どうするの? 坊や?」

 大人な雰囲気に内心では少々気圧されながらも、精一杯にクールな虚勢を整えた。

「その人のおかげで、ボクの依頼人がお困りでしてね。人助けをすることにしたんです」
「ついでに報酬も頂く?」
「当然!」
「それじゃあ、あなたも魔導師なの?」
「そう思ってもらってかまいません。
 さぁ、こちらの事情は話しました。あなたのここにいる訳を聞かせてください」

 女性はほんの少し思案する様子を見せてから、多少神妙な調子で答えた。

「時空管理局が最近開拓したっていう街を目指してるの。
 ほら。近頃、よそ者たちのせいで物騒になってきたでしょ? 
 あそこはか弱い女子供を保護してくれるって聞いたから」

「―――なるほど。いかにも、もっともらしい理由ですね」
「どういう意味かしら?」

 女の余裕は崩れない。きっとこのやりとりを楽しんでいるのだろう。
 確かに方角はあっているし、夜の一人歩きも魔導師であると考えればそれほど問題ではない。
 辻褄は合っている。
 しかしエリオは、彼女がそうだと確信を深めていた。
 この問答自体、彼の誠実さからくる一応の追認に過ぎない。

 だから、精一杯に挑発的な笑みを相手に突きつけて。

「嘘はよくありませんよ?」
「あら、どうしてそう思うの?」
「どんなに嘘を隠そうとしても、どうしようもなく視線は動くものです。
 ボクはそういう人たちをごまんと見てきた。
 あなたは嘘をついている。
 これは勘なんかじゃない、ボクの確信です」


「―――ふぅん。相当な手練れのようね?」
「―――まだ魔法を見せていないのに、ボクの力量を推し量るあなたも」


 女性の纏う雰囲気が変質している。
 まがりなりにも被っていた猫を脱ぎ捨てた、獰猛なそれに。
 これじゃ猫どころか虎だ、とエリオはなんだかおかしな気分になった。
 戦いの予感に、高揚している自分を意識する。
 そんな二人の間にある危うい均衡を楽しむように、その虎であるところの女性は問いを発した。

「あなた、名前は?」
「エリオです」

「ああ」と女は声をあげる。「聞いたことがあるわ。確か、レアスキル持ちの雷撃使い」

「へぇ、ボクも有名になっちゃったな。
 そうですね、そのエリオで間違いないと思います」
「若いとは聞いていたけれど、まさかこんなちっちゃくてかわいらしい坊やだったとはねぇ」

 どこか人懐こい、そんなきれいな笑顔に見入りそうになる自分を叱咤して。
 エリオは問いを返した。

「ボクのことは話しました。次はあなたのお話を聞かせてください」
「―――私? 私、私は……。そうね。私を倒せたら教えてあげる」

 空間に魔力の流れを感じる。
 リンカーコアが周囲の空間に漂う魔力を吸い上げているのだ。
 この世界の魔力は濃い。
 生まれついて強力な魔導師が多いのと、それは無関係ではないだろう。
 エリオが応戦のための魔力結合と変換を開始しようとしたそのとき――――横槍が入った。
 エリオの相棒―――いや、単なる仕事上のパートナーだ。と内心で訂正する。

「待て待て待てぇ! エリオ、そいつが例の荒らしなのかぁ?」
「は、はい。そうみたいですけど……危ないから下がっててください!」

 間に割って入ろうとする男をエリオは手で制止しようとするが、男はまるで気にした様子は無かった。

「でもよぉ、お前みたいな強い魔導師の相手をしたんじゃあその綺麗なお姉さんがただじゃすまねぇ!
 エリオ! ここは俺に任せろ!」

 サムズアップしながら彼の言ったことは、なんというか、少年の予想の斜め上だった。

「え、えぇえェ!? で、でも、キリシマさんは魔法なんて使えないんじゃ?」

 この世界なら裏ルートを当たれば、魔導師としての才能が無い彼でも扱える質量兵器が手に入ることは知っていた。
 実際、彼が銃型のそれをいくつか持っていることも知っている。
 知っていたが、それは極めて原始的なもので魔導師相手に通用するとはエリオには思えなかった。
 だがその男―――キリシマは軽い調子で続けた。
 その顔は下心丸出しだった。鼻の下がこれでもかと伸びている。

 正直エリオは大人に幻滅しそうになった。

「なぁに、お兄さんのやり方を見てなさい。そして思う存分目上の人間を敬うがいい~!」
「あら、あなたが相手をしてくれるの? 私はどちらでもいいわよぉ♪」
「はぁーい綺麗なお姉さぁーん! それじゃ男キリシマいっきま~っす♪」

 そんな調子で彼女に大きく飛び上がって飛びかかっていくものだから、「あれじゃただの変態だよ……」エリオは頭を抱えそうになった。
 彼らのそんな様子にはかまわず、女性魔導師であるところの彼女は、長杖型のストレージ・デバイスを構えた。
 魔力によって編まれる防護装備――バリアジャケット――と環状の魔方陣が一瞬で展開される。
 ミッドチルダ式の使い手だ。

「さぁ、かかってらっしゃい。これが私の魔法。 ―――シュート!」

 複数が展開された環状の魔方陣。強い輝光を放つそれら全てから、同時に魔力弾が放たれる。
 その射出数。速度。魔力量。集束率。誘導の正確さ。そして判断と思い切りの良さ。
 その全てが彼女がこの無法の荒野の魔導師にふさわしい技量の持ち主であることを示している。

 男キリシマがそれに対抗するする術は――――あるわきゃ無かった。
 全弾を綺麗に直撃された彼は心持ち黒焦げになって吹っ飛ばされた。

「どぅわぁああああーーーー!!」
「だ、大丈夫ですかっ!?」

 吹き飛ばされ、ゴミクズのようになった彼の元にエリオは駆けつける。
 ―――黒焦げになった男キリシマは、なんというか、幸せそうな、満ち足りたような顔をしていた。
 すごくたるみきったなさけない顔だ。

 今度こそエリオは大人に幻滅した。

「すまねぇ、どじっちまった……。
 き、気を付けろエリオォ。あの女、噂どおりすげぇ魔導師だっぜ……ゴホッ」
「わかってるなら行かないでくださいよ!?」
「期待しちまったんだよぉぉ!」
「何を!?」
「薔薇色をぉ」
「あなた絶対バカでしょう!?」

 しかしキリシマはそんな、ハンカチを噛み締めているような表情から、急に神妙で真面目な表情を見せた
 それを見て性根から生真面目なエリオはハッとして、もしかしたら彼は自分に彼女の魔法を見せるためにわざと囮になったのかもしれないと。
 揉まれてなお純粋な部分を多く残す少年エリオの脳裏にはそういった考えが浮かんだ。

 キリシマは息を絞り出すようにしてエリオに語りかける。
 彼の身体から力が抜けているのに気付いたエリオは顔を青褪めさせる。

「エ、エリオォ。頼む、俺のかた……かた…きを……うぐぁっ!ガクッ」
「キ、キリシマさん……。キリシマさぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 空に荒野に、エリオの慟哭が響き渡る。
 だが。
 キリシマはケロっと再度顔を上げた。

「ハーイ♪ 生きてマース☆」
「わかってますよ!!!」

 放たれた射撃魔法はきっちり非殺傷設定だった。

 しばらくは指一本ろくに動かせないだろうが、間違っても死ぬことはない。
 魔導師でもない相手を殺すのは気が引けたのか。いや、ただ単に彼女もあきれたのかもしれない。
 そんなキリシマの様子にあきれ半分で―――もう半分ではこっそりと安堵して―――彼を土の地面に放り出す。
 ゴツゴツとした石の覗く地面に投げ出されたキリシマはカエルのような悲鳴を上げるが、エリオは今度はまったく同情しなかった。

「あーもうっ! しょうがないな! やられるくらいなら行かないでくださいよ!」

 そしてやっと女性魔導師に向き直る。
 どうやら待ってくれていたようで、愉快そうな顔をしてこちらを見ている。
 あのバカっぽいやりとりをずっと見られていたのかと思うと、エリオは顔を真っ赤にした。

「あらぁ、かわいい。それで、次はあなたが相手をしてくれるの?」
「……ええ、そうなりますね」
「私の魔法の威力は見たはずよね?」
「ええ、見ました。かなりのものです。でも。
 ―――そういうぶ厚い壁を見るとどうにも打ち砕きたくなるんですよ!」

 魔力を雷に変換し全身に纏う。さらに呪文を唱える。我流の自己ブースト。
 ブーストの加護を受け最高速度で肉薄し直接雷撃を相手に叩き込む近接格闘型。
 それが彼のスタイルだった。

「いいわ。それじゃあ相手をしてあげる。さぁ、かかってらっしゃい! 坊や!」
「ええ、かかります! 当然そうしますとも! ――――行きます!!」

 片膝を屈してしゃがみこむ。クラウチングスタートの要領だ。
 四肢で大地を掴まえる、獣の戦闘体勢のような姿。
 腰を突き上げ、それが静止する。
 周囲の空間から吸い上げた魔力と、彼自身の魔力とが身体の内側で荒れ狂う。
 それら全てを雷撃に変換し、限界よ超えろとばかりにエリオの小さな身体にそれが圧縮される。
 身体からこぼれて荒れ狂い大地を舐め焼く雷撃の余波はまるで無数の電気の蛇だ。

 そして唱える。
 呪文ではなく、彼に速さを与える覚悟の言葉。尊敬するあの人から伝授された技。
 相手を打ち倒すという決意の具現。
 それに応えて彼の背中で極限まで圧縮された雷撃が解放され爆発的な推進力へと変換された。

 「受けろよ! ボクの速さを!」

 荒ぶる雷光の尾を曳いて。その身に宿す雷を拳に乗せる愚直なまでの一点突破。



 「衝撃のォォォォッ!ファァーストブリットォォォォォォォォォォォ!!」




 ――――それが荒涼とした大地が広がるばかりの世界にたどりついた彼の見つけた在り方。

 彼の人生を変えた出会いがあった。
 出会った一人の男に教えられた。生き方。戦い方。そして走り方。

 そして、それからさらにしばらくの後に。
 彼は再び彼の人生に大きな影響を与える出会いをすることとなる。


 ―――強く、だがどこか脆く儚い。そんな光を宿した瞳と月に照らされ光輝く金色の髪を持つ女性と―――



魔法少女リリカルなのはGoodSpeed...Chapter1<<Erio>>...End
To Be Continued... ->

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最終更新:2008年02月28日 21:05