澄んだ青い空、綿菓子のようにふっくらとした白い雲。
邪魔するものが存在しない世界。そこで彼は手を空に奔らせる。
大空をキャンバスに、絵筆は今は無き翼。そこに馳せる思いは今も変わらず。
昔はあれだけ近くにあったものが、今は絶望的に遠い。
だが、そんなことは彼にとって些細な問題。
彼はその程度で空を諦められるような素直な人間ではないのだから。
「中尉、出発準備が整いました」
「お、もうそんな時間か。了解」
もう一度だけ空を見て、子供のような笑みを浮かべた。
そこに待っている“夢”に向けて。
本来の歴史では存在しなかったピース。
彼の名は『イサム・アルヴァ・ダイソン』
禁断の果実を齧ったとき、彼らはエデンを追放される。
ここに来て、楽園は回帰を始め、欲望の蛇は楽園林檎の毒に侵された。
ガジェットドローンに紛れてやってくるX-9、通称ゴースト。
その機動性は人では追いつけず、魔法はAMFで無効化されて決定打にならない。それらは全てを蹂躙せしめる。非殺傷、なんてものは存在しない。
そして、ミッドチルダに蘇った歌姫、シャロン・アップル。
「ワタシはアナタに会うためにここにいる。ワタシはアナタの望む世界を見せてあげられる」
崩壊する秩序。捻じ曲がる歴史。
楽園林檎の毒は甘美で、かつ背徳の匂いを漂わせる。
人の欲望、思いを歪な形かつ本人の望むものを与える、猛毒。
諸悪の根源と思われていたジェイル・スカリエッティもその毒からは逃れられなかった。
否。むしろ彼が原初の被害者なのかもしれない。楽園の世界に馴染めなかった欲望の蛇。そんな彼を惑わせた林檎。
とすると、この歴史もまた必然なのかもしれない。
楽園林檎。
全ての生命を意のままに操ろうとするデータ生命体、シャロン・アップル。
彼女に直接的な戦闘力は全く無い。しかし、世界の全てが彼女に味方する。
人も、獣も、機械も。さらに、魔法といったこの世界のシステムすら彼女の手の内にあった。
対抗するヒトという生き物の意思。欲という人間そのものを肯定して且つ否定するという矛盾。
「チクショウ!! どうなってんだよ、これは!?」
魔力を持たず、翼無きイサムに対抗すべき術は無く、蹂躙される都市を見るほか無かった。
「イサム・ダイソン中尉、お前にこれを渡しておく」
地上の守護者、レジアス・ゲイズから渡されるカードキー。
「それをもって地下格納庫に向かえ。そこにお前を必要とするモノが待っている」
レジアスの瞳がイサムのそれと交差する。
その瞳が地下にあるモノの正体を告げて来る。かつての相棒と。
「へっ、良いのかよ? 中将様が法を破ってよ」
アレは質量兵器の塊だ。当然、管理局の定める質量兵器禁止という法を犯す存在。
そんなものを持っているのが知れたら、本局の付け込む要因になるだろう。
それは地上にとって好ましくないことであるのは明白だ。
「それを遵守することによって地上の平和が守れるのなら、そうしよう。だが、現状はそれを許してはくれん。人々あっての地上本部だ。利用できるものは全て利用する。さ
ぁ、早く行け!」
法を守るのではなく、人を守る。それが彼の覚悟。そのために生きてきた。
戦友との誓い。
自分は、自分たちは掌の上で踊らされるだけの存在ではない。
例え愚者であろうとも、賢者に一矢報いることは可能であるはずだ。
(このような事態が起きたということは儂のやり方はすでに時代遅れなのかもしれん。だが、己の意思と誓いを後世に、未来を作り出す者達に示すことは可能だ!!)
闘う力の無い彼に出来る全てをやり尽くす。
「愚者には愚者なりの意地、というものがあるのだ。賢者にそれは判るまい!!」
地下格納庫に眠っていた純白の機体。
YF-19。
それが今、大空を舞う。
ゴーストに紛れて現れたYF-21。
「ガルド! テメェ何しやがる!!」
「…………」
「クソヤロウ! シャロンの仕業か!?」
スロットルを最大まで上昇する。熱核バーストタービンが爆発的な推進力を引き出し、雲を引きながら、空を翔る。
驚異的なGが機体にかかり、機体を揺さぶる。
マイクロミサイルが飛び交い、レーザービーム、ガンポッドの弾が雨霰と降り注ぐ。
互いに背後を取り合い、何度もすれ違う。目視できる距離での睨み合いを重ねる。
「眼ェ覚ませ! こんなつまんないことでくたばっちまうつもりかよ!!」
「ゥゥ……」
ミサイルをガンポッドで打ち落とす。金属音を立てながら零れ落ちる空薬莢。
顔の皮膚が重圧に引かれる。目の前が真っ暗になりかけ、意識を保つのがつらいと何度も思う。
そんな思考を隅に追いやり、機体を回転、変形をさせながら焔の矢雨を避ける。
「3人で飲みに行くんじゃねぇのかよ!!!!!」
「ゥゥゥゥウウウウウウオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!」
攻撃が、止んだ。
狙撃手ヴァイス・グランセニックはストームレイダーと共に戦場を奔る。
ゴーストを撃つ事はできなくとも、その周りを飛ぶガジェットを破壊することは出来る。
心の蟠りを捨て、大切な人を守るために再び武器を手に戦場へ赴く。
心を落ち着かせ、冷静に。ミスは許されない。あんな思いをするのはもう沢山だ。
(他のヤツラにそんな思いをさせるのも、な)
思い浮かべるは我武者羅に走り続ける銃使いの少女。
その小さな背中に多くのものを背負い、潰れかけていた。
その姿に、自分の姿を見た気がした。そんな彼女も自分の翼を広げ、大空へと飛び去っていく。
折れた翼しか持たない彼に、それを追う術はない。
なら、空を飛ぶ彼女を支えよう。
みっともなくとも地を這いずり、そして少女を、皆を助けよう。
「さぁて、やりますか!!」
騎士、ゼスト・グランガイツは先ほどの事を思い返す。
「やぁ、騎士ゼスト。君がこれから何を成しに行くのか、それは私にとってはどうでもいいことなんだが、ひとつ頼みたいことがあってね。この娘を連れて行ってはもらえな
いかな?」
蛇の齎す最後の毒。死人の彼を犯すことの出来る、林檎の毒よりも強い毒。
計画の要、器たる少女を死人に差し出す蛇。
「……どういうことだ」
この行為は実に不可解に思えた。
彼は、スカリエッティと協力体制にあったといっても、その思考は管理局寄りであり、そのことは彼も僅かながら把握していた。
そんな彼のような不確定な存在に少女を託すなど。
「ここはもう危険だからねぇ。彼女が死んだりしたらそれこそ計画の破綻なんだよ。君が向かうであろうところが一番安全だろうから、頼むのさ」
そう言ってスカリエッティはひとりどこかへ去っていった。
はっきり言えば、奴のような人間の思惑通りに動くのは癪ではあるが、少女に罪は無い。
それに、自分には残された時間も無かった。
ここで立ち止まっている時間すら惜しい。奴はそれすらも見越していたのだろうか?
身体中に風を感じながら、只管に目的地を目指す。
その腕に少女を抱きながら。
蛇は楽園の姫を騎士に託す。
本来、お目にかかることすら叶わない存在に僅かながらも手を伸ばすことが出来たことを、蛇は誇りに思う。
ここから先は、騎士と姫そして王子の物語。悪役で端役の蛇に存在価値は皆無。
無限の欲望、その名を冠する稀代の科学者ジェイル・スカリエッティは己の計画が破綻した姿を目の当たりにした。
今に思えば彼女、シャロンを発見したときから自分の中に理解できないずれが生じていた気がする。
「全く……自分の欲望のためにここまで私を利用するとは、無限の欲望の名は返上しなければな。そうは思わないかね?」
頭上の存在に問いかける。このような状況で無ければ絶対に協力などしない相手。
時空管理局本局執務官フェイト・T・ハラオウン。
「今はそんなことを言っている場合じゃない」
返事が返ってくるとは思わなかったので、若干の驚き。
確かにそんなことを言っている場合ではないが、余裕が全く無いのも困りものだ。緊張は隙を生む。
「そのようだ。君にとっては誠に不本意なことだろうが、ここは一つ共闘といこうじゃないか。もはやアレは私にとっても邪魔な存在だからねぇ」
悪役らしく含み笑いなどひとつ。
相手の精神を逆撫でするような仕草だと理解できてもやめられない無駄な行為。
こういった無駄が大事だと教えてくれたのは群青の戦闘機を繰る彼。
その彼も友に教えてもらったと言っていた。
(彼の友人には是非とも会ってみたいね。私とは全く異なった思考体系の持ち主のようだ)
そのためには、ここで朽ちるわけにはいかない。
楽園に馴染めなかった蛇。
しかし、もっとも楽園を望んでいたのも蛇だったのかもしれない。
そんな蛇は楽園林檎の無味無色な世界は望まない。
世界は、さまざまな色、味、匂いを持つからこそ面白いのだ。
そして、そんな世界に認められたいがこそ、今の自分が存在する。
「さて、空からの敵は君に任せよう。私は地上からの敵を排除する」
姫を守る騎士と、姫を惑わせた蛇。
相反する存在である彼らが僅かな時ながらも協力することになったのも楽園林檎の匂いに誘われてのことだろうか。
眼前のゴーストの群。
「ガルド……どうせ捨てる生命なら、俺に賭けてみな。大穴だぜ?」
「……勝算はあるのか?」
銃弾、ミサイルを避け、撃ち落しながら勝利を引き寄せるための欠片を作り出す。
強烈な重圧も、今の半機械化した肉体は悲鳴を上げず。
そのことに対して、ガルドは若干の寂しさを感じる。
「ヘッ、うまくいったらお慰み! 成功したときは……」
「わかっている。その時は乾杯といこう……ミュンとお前と俺とドクター達でな」
避け切れなかった弾が機体に穴を開け、傷を作る。
エンジンを切って風に乗り、ミサイルの爆風から逃れる。
「おいおい、地上の連中を忘れるなよ。なかなかガッツのある奴らだぜ、皆。特にトップの中将はなかなかに熱いモンを持ってる!」
「フッ、お前が言うのならそうなのだろうな。会うのが楽しみだ」
「おっと、言っとくが、払いはお前持ちだぜ!」
「……来るぞ!」
YF-19、YF-21両機が平行に敵陣に突っ込む。
「スクラップにしてやるぜ。ガルド! 俺に動きを合わせろ!」
「了解だ」
周りの景色が流星のように流れていく。
加速は最高潮に達し、一種の爽快感を齎す。
戦場で、今二人は風と一体化していた。
「何だ、この無秩序な機動パターンは……!?」
「奴の度肝を抜いてやるんだ、我慢しやがれ!」
アクロバット飛行のように、バレルロール等を織り交ぜた飛行。
息の合った者同士で無いと、衝突の危険性のある行為を、彼らは全く危なげなくやってのける。
「ぬおおおっ!!!!」
「人間様の力を見せつけてやるぜ!!!」
射程圏に捕らえた瞬間、バトロイドモードに変形。
両腕にピンポイントバリアを纏い、そのまま突っ込む!
「このタイミング、とった!」
YF-21が拳を叩き込む。ゴーストは慣性に従い吹き飛んだ。
その先に待つYF-19が同じように拳を叩き込んだ。
苛烈な攻撃に外部フレームが耐え切れなくなり、ゴーストが爆散した。
「よし、このままいくぜ!!」
互いに背合わせになり、回転しながらガンポッドを全方位にばら撒く。
狙いを正確に着ける必要は無い。これだけの敵がいればどれかには当たる。
爆音と金属音が当たり一面に広がり、それをバックミュージックとしての舞踏。
拳で、ガンポッドで、ミサイルで、全装備をもって敵を駆逐する。そこに慈悲は無い。
正確に言えば、そのようなものをかける余裕が無い。
無人、という利点を持つ相手だ。隙を見せたら落ちるのは自分たちである。
だから、容赦はしない。全力を持って、破壊する。
今日を生き残るために、明日を生きるために。そして、未来に飛び立つために。
楽園林檎の甘酸っぱい匂い。
求めるものには楽園を。拒むものにも楽園を。
この物語のウィリアム・テルは林檎を打ち抜き、英雄となるのだろうか……
最終更新:2008年03月01日 18:55