Fate Never Smile
雨の中だった。
いつの間にか、黒天の夜空からざあざあと大粒の雨が飛来し、大地を伝い、草花を濡らす。
その中に、彼女は立っていた。
水も滴るいい女とはよく言ったものだと思う。ずぶ濡れになった長い金髪は、妙に艶かしい色ツヤを醸し出していた。
身に纏っている服が、水気で肌にびったりとへばりついているのも乙なものだ。思わず抱きしめてやりたい衝動に駆られそうになる。
「よぉ…」
しかし、その目が全てを台無しにしていた。
生気をどこかに置き忘れてきたような、焦点定まらぬ虚ろな瞳。
アイツのルビーのように赤い瞳は、こんなに痛々しいものじゃなかった。
顔に貼り付いた笑顔も見れたものじゃない。あんな下衆な笑い方、人間のそれじゃない。
むしろ悪魔の方が近いくらいだ。
恐ろしい、というわけではない。ちんけな下級悪魔の不細工な顔、と言いたいのだ。
「さっきからどうしちまったんだ? せっかくの美人が台無しだぜ?」
男は問いかける。
とびきり悲しい瞳をして。
「ぷっ…くくく…ふぇはははは…」
下品に笑う金の女は、自分に銃を向けてきた。
面白くてたまらないといった様子で、何発も弾を撃ってきた。
戦いを楽しむのは悪くないと思う。しかし、戦いだけを楽しめばいいというわけじゃない。
世の中には、他にいいものはいくらでもある。
例えば、オリーブ抜きのでっかいピザ。きんきんに冷えたストロベリーサンデー。
ジュークボックスから流れる軽快な音楽も悪くない。
何より、美人との他愛ない会話は最高だ。
こちらのからかいに頬を膨らますのも、何でもないことに顔を綻ばすのも、実に見ていて退屈しない。
「ほらぁ…はやくつづきをやろうよぉ…」
それなのに何故、彼女はああして笑っているんだ。
それこそ戦い以外の全てを、すっぱりと忘れてしまったように。
むしろそういうものの楽しさは、戦いが別段好みじゃない彼女の方がよく知っているはずだったのに。
「眠り姫でも気取ってるのか? 悪いが、そんな寝顔は俺の趣味に合わねぇな」
故に、助けたかった。
「もっとまともに笑ってみせろよ。俺の知ってるお前は、もっと綺麗に笑ってたぜ?
…ああ、そうだ。俺はお前の笑顔を見るのが楽しみだった。
笑顔だけじゃねぇ。怒ったり、拗ねたり、へこんだり。お前の反応の1つ1つが、俺の中の退屈を取っ払ってくれた。
それが何で、今はそんな味気ねぇ顔してるんだ? 俺のことなんか忘れちまったみたいによ」
されど、彼女は笑う。
男が嫌った、人間味のない、狂いすぎたマーダーの笑顔で。
「っぷぷぷ…わたし、じゅうぶんたのしいよ? なのにへんだなぁ…そんなにわたしは、つまんないかおしてるの?
ぷくくくくく…きゃはははは…おかしいね、どこかのだれかさん?」
どこかのだれかさん――
それこそ、冷静な思考を欠いた彼女からすれば、特に意味のない一言だったのだろう。
しかし、そんな些細な言葉1つで、2人の男女は隔てられる。
どうしようもない、深い溝で。
「…そうかよ。そりゃ残念な話だ」
男はしかし、ひどく明るく肩を竦めた。
その青い瞳は、深い悲壮感に満ちているというのに。
「だから、さ」
ばんっ、と。
彼女の言葉と共に、鋭い銃声が轟いた。
弾丸はあやまたず左腕を貫通。当然だ。よけていないのだから。
痛くはない。彼の超人的な肉体からすれば、確かに微々たる損傷だろう。
しかし、これはそれ以前の問題だ。
彼女の――ここにいるべき「アイツ」の撃っていない弾など、いくら食らっても痛くない。
この身に伝わってくるものが何もない。
「あんまり暴れんなよ。
忘れたんなら、俺が思い出させてやる。二度と忘れねぇよう、とびきり強烈にな。
夜中におトイレにも行けないお前にとっちゃ、少しばかり刺激が強すぎるかもしれねぇが…ま、いい薬だろ」
男は不敵に笑う。
口先だけで、虚しく。
「お望みだったら、熱~いキスでもくれてやるぜ?
今の不細工なお前の顔はちとキツいが、眠り姫を起こすためだ」
できるなら、それで目を覚ましてほしいくらいだった。
「うふふふふ…だぁいじょうぶだよ。しんぱいしなくても、わたしはいまがと~ってもたのしいから」
さもなければ。
「だから…あなたもたのしもうよっ! あはははははははは!」
この冷たい鉛弾が、お前を殺してしまうから。
「――残念だ」
フェイト=T=ハラオウンの胸元を、ダンテの銃弾が撃ち抜いた。
雨は大概のものを洗い流してくれる。
地面に倒れたフェイトの身体を汚す泥も。胸に開いた風穴から流れ出す血液も。
見えるものならば、大抵のものは洗ってくれる。
見えないものまで流してくれれば、どれだけ楽なことか。
「…ん…っ…?」
ふと、不意にフェイトのまつ毛が震えた。
ダンテの腕の中で、もはや死を待つだけの女の身体がふるふると震え、その目を開く。
見慣れた――そう、本当に見慣れた、赤く透き通った瞳だ。
皮肉なものだった。ほとんど命の灯火の消えかけた今の方が、元気に動き回っていた先ほどよりも、よほど生気に満ちた目をするなんて。
「…よぅ、やっと目覚ましたか」
にっと、ダンテは微笑んだ。
どの道フェイトの命は長くない。ようやく取り戻したこの瞬間も、冷たい雨が流してしまう。
だからこそ、せめてそれまでは、いつもと変わらぬ笑顔でいてやる。
それがカッコいい男というやつだ。
「…貴方は…」
どこかぼんやりとした声で、フェイトは言葉を紡ぐ。
その言葉を待っていた。こうしてまた、他愛もないことを話し合える声を。
しかし、
「…誰、です…か…?」
それだけを言って、フェイトは事切れた。
腕がだらんと地に落ちて、開いたばかりの瞼は閉じる。
ぴくり、と。
微かにダンテの肩が震えた。
それは注意して見なければ分からないような、本当にごく僅かな振動。
「…そうかよ…」
ぽつりと、それだけを呟いた。
本当に呑気な奴だ。きっと自分の身に何が起こったのかも知らぬまま、わけも分からず意識を失い、逝ったのだろう。
退屈な日常の中で、ついうたた寝をしてしまった時のように、何も分からずに。
自分のことさえも。
悪魔は泣かない、とはいつ聞いた歌だったろうか。
全くもってその通りだった。悪魔は決して泣きはしない。涙を流して泣くことは。
しかし、それはある一点で間違いだ。
涙すら流さずに泣くことも、場合によってはあり得るのだから。
少なくとも、この日。
ひどく冷たい雨の中。
真紅の背中だけが、泣いていた。
最終更新:2008年03月10日 18:57