『ラバン・シュリュズベリィィィィィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッッッッッ!!!!!!』

怨嗟の叫びが神殿の中で響き渡る。
『長老』……『神官イマシュ=モ』は目の前に立った勇壮たる老人に向かって、絶望と憎悪の限りを尽くし、其の名を呼んだ。
彼らは互いの面識がなくとも、因縁がある。“クトゥルー眷属邪神群(CCD)”の一つでもある彼らにとって、このセラエノの知識を駆る賢者の名は忌み名の他ないだろ う。
その忌み名を叫ぶと同時に、生き残りの信徒らがシュリュズベリイらに気付く。
先ほど生贄として奉げた筈の眼はこの瘴気に当てられてか、人間のソレとは全く違う瞠目を した眼球に再生されていた。
その際に流れ出た血涙を舌なめずりしながら、己が身体を変化させていく。両指計十本の皮膚が内部から引き千切られ、新たな指が産まれ出でる。
まるで鎌の様に鋭利な指の形容をとっているソレを構え、獲物を狩猟する肉食獣らのように陣形を形成し、じりじりと詰め寄ってくる。
……恐らくは、信徒である人間がロイガー族との精神的な交配によって融合し産まれてしまったモノなのだろう。人の形をした異形。
そのグロテスクな姿をみて、その圧倒 的な邪悪を視て、フェイトは顔を強張らせてたじろいだ。
だが、そんな恐怖は自分の右肩へ無造作に置かれた大きく、そして勇壮な手が、それに歯止めを掛けてくれた。

「大丈夫だ、恐れることはない。我々人間のしぶとさ……強さとやらを、人間の強さを蔑み邪神に尻尾を振って降った弱い化物達に教授させてあげようじゃないか」

「そう。“この程度”の邪悪、私達の敵じゃないよ、フェイト」

「そうだとも。いつの世も、邪悪を滅し魔を討つのは我々人間だということを、私達と共に奴等の魂に刻み込もう!」

聴こえてきたのは、しわがれた老人の声と幼い少女の声。だが、そこに弱弱しさの欠片も無く、その掌と同じ様な暖かさと勇気に満ち溢れた言霊が返ってくる。
彼女の心に宿った邪悪への恐怖心は消えることは無い。だが、ソレに対抗しうる『勇気』が、炎の様に魂に燃え広がっていく。
そうだ。ならば、なればこそ。その期待に応えなくてはならない。邪悪を討ち倒すのは、いつだって―――人間だという証明を、掲げるべく。
だから彼女は、精一杯の勇気と誇りを胸に、ただ一言で、肯定してみせた。

「……はいっ!」

「良い返事だ。……奴等、ロイガー族との混血児は純正のロイガー族とは違い、各々に意思を持ち、尚且つ完全な肉体を持っているようだな。
先ほどの奴等と比べて、格段に戦いやすくなっているだろう。今の総数は……少なく見積もっても五十体以上、か。この狭い空間ならば各個撃破が好ましい。
――やれるか ね、フェイト君?」

何を今更。その問いは用意される以前から、在るも同然。さすれば彼女は語らずとも、その手に握る金色の刃の煌きこそがその証明。
今宵、邪悪を屠る為に、彼らはこの場に立っているのだから。
魔風と神雷は一瞥すらなく、まるで一つの意思のもとに動くように、二人と一つは闇黒に彩られた敵地を駆け抜けた。
神鳴る風雷を呼び起こしながら。勇壮に魂を昂ぶらせて、その刃を手に執って。
そして無意識に、彼女の心の中にその言葉が燦然と煌きを放ちながら浮かび上がった。


―――魔を討つ意思は、此処に在り。


◆◆◆

『運命の探求』
後編

◆◆◆

フェイトは迫り来る狂爪らをにべも無く回避し受け止め、或いはソレよりも早く攻撃を繰り出す。
正に迅雷の名に相応しき閃光の数々はロイガーとの混血児らに多大なダメージを負わしていく。元々非殺傷設定という枷(リミット)があることを忘れさせてくれそうな乱舞。
彼らの返り血すら受けずに、金色の閃光は妙なる剣閃を描きながら彼らの意識を闇へ昏倒させていく。
瞬間、左右から鋭利な爪牙が超速で襲い掛かってくる。それら総てが大気を切り裂く異形の刃。だが、その軌道は余りに真っ直ぐ過ぎた。
奴等は知らない。この若い女性が、かの世界において最強の一つに数えられている事を。最速と誉れ高き、雷光だと言う事を、知らないのだ。
刹那、なんの前動作もなくフェイトは文字通り金色の雷光へと成り、その直線的な攻撃を回避。それと同時に己の軌跡を捻じ曲げるように、妙なる曲線を描きながら剣閃が また一つ煌く。
戟音すら響かせず、文字通り彼らの狂爪を綺麗に寸断し、そして追う様に雷撃が放たれる。
怯んだ彼らの身体に流し込まれた超圧の電流は瞬く間に脳に至り、またしてもロイガーの混血児の意識を、闇の中へ誘っていった。

その様子を前方でロイガーの混血児達を相手取るシュリュズベリイが、楽しそうな声色で驚嘆の意を投げかける。

「ほう……! 相手の命を狩らず、総て意識を昏倒させるだけで終わらすとは。中々精緻な技術を魅せてくれるな、フェイト君!」

「あ、ありがとうございます……!」

「だが―――吹き荒べ、険悪にして窮極の風!!」

シュリュズベリイは詠唱を口訣したと同時に振るった腕。
そこから魔力の圧縮化によって質量を編んだ風の刃が五陣、フェイトの後方へ吹き荒んだ。肉が断絶する音。
振り向けば、今にも立ち上がり襲い掛かろうとしたロイガーの混血児が四肢の総てを断絶させ、その場に屈した姿がはっきりと視認できた。

「流石に気絶させるだけでは、危険度はそう低下しないぞ。やるならば徹底的に動きを止めてしまえばいい」

「す、すみません。ありがとうございましたっ!」

「フェイト、謝るのか感謝するのかどちらか絞り込んだ方がいいよ―――ダディ、前と左、上の三方向からっ!」

「ハスターの風よ!」

ハヅキの的確な指示は、盲目たりえるシュリュズベリイの失われた感覚の一つとして役割を果たし、彼の腕から顕現した風の刃は襲い掛かる敵の悉くを寸断する。
だがその中の一体だけが、その風の刃を掻い潜って肉薄し、鋭利な爪を魔術的に巨大化し洗練化させ、死神の鎌となり彼の脳天から振り落とされようとした。

「ぬぅ……!?」
「ダディっ!」

ハヅキの指示すら間に合わぬ一撃は、まさに必滅の一撃だった―――筈である。
白い光が突如として視界を遮った直後、シュリュズベリイの後方から雷光の刃が二陣。楕円の軌跡を描きながら異形の瞬発速度すら超えてその両肩から切断された。

「大丈夫ですか、シュリュズベリイ先生!」

聴こえてくるのは、この雷光の刃を放った張本人である彼女の――フェイトの声。
その声色にはこの身の醜態を嘲笑う感情など一切無い。
まるで“人として当たり前のように”、心配の感情を表に出す彼女に、シュリュズベリイは心の中で感嘆した。

「ふむ……むしろ私こそが迂闊だったか。生徒に教えられるとは、中々興味深い経験だ―――感謝するぞ、フェイト君!」
「ダディ、まだ来るよ!」

ハヅキの言葉によって、再び彼は五指に魔力を循環させていく。
フェイトもバルディッシュに魔力を行き届かせ、輝く金色の光を一層に煌かせた。
其処からお互いに掛ける言葉すらなく、ほぼ同時に風と雷は疾駆する。暴虐の限りに魔風は吹き荒れ、無尽に迸る神雷は留まる事を知らず。
人として戦いぬく彼らのその勇姿は、実に人らしく、人の域を超越した舞踏を繰り広げる。
異形を蹂躙する暴風と迅雷は、瞬く間に、確実に、この神殿に蔓延っていた幾数もの魔を破滅に追いやっていった。

◆◆◆

神官『イマシュ=モ』は驚愕と憎悪に打ち震えていた。
よもや、たかだか人間風情が。人間如きが、このように神の加護を受け入れた我々の悉くを蹂躙し破滅に追いやっていくとは、誰が思おうか。
我々の同胞とも呼べるであろう『深きものども』の拠点を文字通り壊滅に追いやった遺跡破壊者(トゥームバスター)、
忌々しい我等が怨敵たる邪神狩人(ホラーハンター)、ラバン・シュリュズベリイならばいざ知らず、あのような小娘如きに我等が蹂躙の限りを尽くされるなど、断じて赦せる筈がない。
魔風が猛り、雷光が閃く。その二重輪舞を驚愕と共に見据えながら、彼はその場から動くことが出来なかった。

―――赦セヌ。

沸々とわきおこる、炎に似た劣情。
盲目の賢者と金色の魔導師を視るその眼に焼き付けられた、余りに劣悪な激情。

―――赦セヌ。

そうだ。何故に我等がこの様な劣悪たる人間如きに。霊長という仰々しい名を掲げる愚かな生物どもに。
何故、こうまでして一方的な蹂躙をされなくては成らぬのか。
否。否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否。

―――断ジテ、赦セヌ!!!!

ならば如何するべきか。如何にして我々が奴等を圧倒的に蹂躙し陵辱し破滅に追いやる事ができるのか。
其の“術”は、一体どこに在ると言うのか。

突然、イマシュ=モの耳に“異形の声”が囁いた。


『在るじゃないか、ソコに。異界の理を持って凝結させられた、原初の魔力の塊りが。最も穢れのない、我等が宇宙に最も近い純粋『可侵』たる魔力の宝玉が』


それはまるで女の様でもあり、男の声でもあった。
余りに一定しない、まるで“幾つも在る”ような異形の言霊だ。


『世界自体を魔力として変換し凝結化されたソレだ。君が望めば、君達が最も敬い崇めた神を……異界の神を呼び起こす事だって容易く出来るだろうさ』


イマシュ=モはその淫靡な誘惑に、にべもなくとりつかれた。
祭壇に視線をやる。ソコにあるのは、無色の煌きを放つ異界の理により創造された宝玉。
イマシュ=モは後方にて同族を蹂躙する風と雷をも意識から外し、“剥奪され”、幽鬼の様に其の祭壇へ歩み寄る。
其の祭壇の前に立ったイマシュ=モが視たソレは―――余りに巨大な神像だった。
今までずっと、数千年も其の神像を視てきたというのに、彼はまるで初めて遭遇した時のような……あるいはそれ以上の衝撃と感激に打ちひしがれる。
彼はその場で屈服し、祈りを奉げた。
総てを。己の総てを。腕を。脚を。臓腑を。骨を。脳髄を。生命を。『眼』を。
文字通り彼が持ちえる総てを奉げる様に、その神に祈りの言葉を苛烈に、熾烈に、躊躇わずに紡いだ。
ソレに応えるが如く、無色の煌きが識別不可能な極彩色の極光を解き放ち神殿全域を包み込む。


―――滑(ぬめ)りと、神像の瞼(まぶた)が蠢いた。

◆◆◆

総ての異形を戦闘不能にまで追い込んだフェイト、シュリュズベリイ、ハヅキの二人と一つが、その異変に気が付いた。
突如として顕現された圧倒的な魔力の波濤に彼らは苦悶の声をあげて、その場から吹き飛ばされぬように踏ん張って耐え抜く。

「何!? 何が起こってるの……!」

『魔力総量、瞬間的に計測領域突破―――数値及びランクでの計測は不可能。術式的に換算すれば、少なくともSランク以上に相当します』

「Sランク以上!? そんな莫迦な……!?」

原因不明の魔力の波にフェイトは最早何が起こっているのか理解が出来なくなっていた。
バルディッシュから得られる情報も、計測不能の魔力総量だけ。原因が未だ突き止められず、余りに膨大過ぎる波濤がバルディッシュの演算能力を直ぐに超越してしまう。
だがその暴虐の最中、ハヅキだけがソレを視覚した。

「ダディ! あの『神像』が……動き出してる!」

この神殿の最奥に存在した異界の神像が、その堅牢な岩肌を内側から砕いて、眩い無色の光源を放ちながら顕現を果たそうとするのがはっきりと理解できた。
世界最強の邪神狩人(ホラーハンター)と名高き彼ですら、驚愕に打ち震えるその魔力の猛り―――彼は、“その術を知っている”。


「この魔力、この術式……真逆、『神』を召喚したとでも言うのか!?」


―――是、也。
瞬間、世界は異界と化す。
石灰の牢獄に幽閉されたかの『神』は暴虐の限りを尽くし、その魔力の波濤を外界に向けた。
蹂躙される神殿。この場で気絶させた信徒達を飲み込む事すら厭わない、理性の欠片も無い純粋な破壊。
其の威力を撒き散らせ、フェイトらを翻弄させる存在の前で、神官イマシュ=モは歓喜に震えた。自ら抉った眼窩より、感極まった血涙を流しながら感謝の言葉を羅列して いく。

『嗚呼! 我ガ敬愛セシ神ヨ! ヨクゾ……ヨクゾ御前ニ現臨ナサレタ!! サァ、神ヨ! 我ガ神ヨ!! カノ愚カナ人間ドモニ、ソノ神威ナル眼デ裁キヲ与エタマ』

だが、その愛に匹敵する感謝の言霊を吐き続けた直後、蠢く眼がその神官を捉えた。瞬間、イマシュ=モの言葉が途中で詰まる。否、“途絶えた”。
否応と問う暇すら与えられず。かの神官イマシュ=モは、先ほど眼前の『神』が幽閉された様に鎖された。
そう……要約すればイマシュ=モは、その神に視線を射抜かれただけで、その身を“石に変えられてしまった”のだ。

イマシュ=モを石に変えた其の神の体躯は、余りに現実離れした異型な巨躯だった。
まるでそれは蛸にも見えるし、ヤドカリにも見え、或いは龍頭を手足の触覚として機能させる異界の甲殻生物にも見えた。
其の生物の顔……とも呼べるだろう、その眉間にまるで無理やり埋め込まれたかのように浮かび上がる無色の宝玉。
ソレは、フェイト・T・ハラオウンが追っている物質そのもの。つまりは―――

「アレは……『ロストロギア』……ッ!?」

その驚愕の声と共にフェイトはその神を凝視しようとした瞬間、シュリュズベリイが彼女の行為に勘付いた。
シュリュズベリイはハヅキに念の波動を伝え、即座にバイアクヘー形態に移行させると、言葉より先にフェイトの手を掴み、形振り構わずバイアクヘーの背に飛び乗った。

「……っ、いかん! フェイト君、“眼を閉じたまえ”ッ!! レディ、直ぐに此処から外に出るぞ!」

『了解、ダディ! フーン機関、出力増加……一気に行くよ……!!』

◆◆◆

刹那すら遠く、前動作すら行わず飛翔したバイアクヘーは己の影すら追い越す勢いでその神殿から脱出を試みる。
二秒と掛からず外界に脱出し、すぐさまその場から距離をとり、霊峰『ヤディス=ゴー』全体を見渡せる程の高みに到達した。
余りに突然とした行動だった為、フェイトの心臓がニコンマ遅れて再起動。息詰まる飛翔はいくら最速と謳われし彼女でも耐えうる事が厳しい行為だった。
シュリュズベリイはヤディス=ゴーを見据えたまま、深呼吸を行うフェイトの肩を叩いて謝罪を述べた。

「突然済まなかった。だが……『ヤツ』と視線を合わせては絶対に駄目だった。そう、何故ならばアレは―――」

瞬間、霊峰が爆砕音を上げながら文字通り崩れ落ちた。
その粉塵から見える巨大な影。そう……先ほど、額の部分にロストロギアを埋め込まれているのを確認しえた、謎の巨大生物。
余りに禍々しく、同時に神々しい威風を纏うその巨躯は、この管理外世界の事を詳しく知らない彼女にだって理解できる。アレは―――正真正銘の『神』だと。
そんなフェイトの心中を察してか、シュリュズベリイはその巨躯の影を見据え忌々しげに応えた。

「―――アレの名は『ガタノトーア』。ヤディスの地で眠る、ロイガー族の頭領にしてユゴス星の支配者。
ヤツは極上の魔眼を持っていてね、アレと視線を合わせれば此方は問答無用に呪術的に、魂の髄まで『石化』されてしまう。邪神の名に相応しい、この星を……人類を脅かす異界の邪悪だ」

『ガタノトーア』、やはり知らない名だとフェイトは思った。
それも当然なのだが、これ程の魔力を内包する生物を時空管理局が把握しきれていないとは、次元世界の広大さがよく解ってしまう。
……が、そう考えている暇も無いようだ。粉塵がだんだんと薄くなり、ガタノトーアの全容が見渡せてしまいそうになる。
遥か天空に静止するバイアクヘーの上までは視線は合わせられないが、あの様な邪悪をのさばらせては決してならないと理性と本能の両方が告げている。
だが、如何にしてあの巨躯を討ち倒す事が出来ようか。あの圧倒的な邪悪をも超える、理不尽を超えたご都合主義が――在ると言うのか。
そんなフェイトの心中など察してるワケではないのに、シュリュズベリイは突如としてそのフードを翻した。
先ほど見せた、あの負ける要因など欠片も見当たらない、不屈の闘志が込み上げてくる荘厳かつ広大な背中が視界を覆った。

「―――レディ、行けるか?」

『任せてダディ。アレくらい、何とかしてみせる』

「よく言った。ならばやろうじゃないか」

親子の様に意気投合した会話の中には、まるで恐怖心が微塵たりとも存在せず。
シュリュズベリイは背中越しにフェイトのいる後ろに横顔を向けて、不敵に微笑んだ。

「フェイト君、少し下がっていたまえ。次の講義は『如何にして圧倒的邪悪に対抗しうるか』だ。―――よく視ておきなさい」

もはや、彼女の心の中に疑念など無くなっている。
この老人は。この賢者は。ラバン・シュリュズベリイは。必ず―――活路を見出してくれると確信できてしまってるのだから。
フェイトがバイアクヘーの背から離れ、空中で静止する。
それを確認したシュリュズベリイは、体内の魔力を……そしてバイアクヘー自身の魔力を異常なまでに活性化させた。
何度も循環されていく魔力はまるで回路を奔る光と化して、刹那の内に膨大に膨れ上がる。

―――口訣。


「―――機神召喚ッッ!!!」


その言霊が彼の世界を駆け巡り、踏破し、新たな世界を創造し構築する。
吹き荒ぶ魔風が彼らを巻き込み、傍から見ればまるで竜巻の様だ。
そして尚も、詠唱は終わらない。

ハヅキが静かに祈りを謳う。


『我は勝利を誓う刃金
 我は禍風(まがつかぜ)に挑む翼』


シュリュズベリイが高らかに祈りを叫ぶ。


「無窮の空を超え
 霊子(アエテュル)の海を渡り
 ――翔けよ、刃金の翼!」


そして―――二人は願う様に、天高々と咆哮をあげた。


「『舞い降りよ―――アンブロシウス!!』」


その言葉が紡がれた瞬間、暗雲が立ち込めた空より鮮烈を極めた光輝が爆砕を起こし、世界を吹き荒ぶ魔風の嵐が舞い込んだ。
猛り狂う暴風の最中、フェイトはおぼろげな視界の中でその儀式を目の当たりにした。理解するよりも早くそれを知覚する。アレは……『神』の召喚だと。
吹き荒んだ魔風が止み、威風をたずさえ、彼女が思い描いたとおり嵐の最中より巨大な『神』が現臨する。
其れは顔の無いヒトの形をした鳥。鳥の形をしたヒトだろうか。手には己よりも長い鎌を携えており、その容貌はより死神に近くなっている。
どちらにせよ、ヒトが持つには余りに行き過ぎた代物だというのは理解できた。
肌で感じるその圧倒的な存在概念。その鋼を纏った存在が内包する魔力は余りに桁違い過ぎて――確かに、『機神』と呼ぶに相応しいと、フェイトは心の底から思った。
其の刃金の名を『アンブロシウス』。魔導書『セラエノ断章』が召喚せし鋼の神――“鬼戒神(デウス・マキナ)”。邪神狩人ラバン・シュリュズベリイが駆る、神の翼である。
これならば―――或いは。あの邪神を、討ち倒せれるだろうか。否、討ち倒す事ができる。
アンブロシウスを駆るシュリュズベリイは絶対的な自信を持って、なれど油断の欠片もなく高らかに宣誓した。

「では文字通り、“ご都合主義”とやらを見せ付けてやろう。―――征くぞ、レディ!!」

『オーケイ、ダディ! 戦闘準備完了(ミード・セット)―――勝負(デュエル)!!』

暗雲の中で映える紫紺の機神が、遥か暗雲の空彼方より邪神ガタノトーアに向けて音速すら遠く置いていく疾さで急降下する。
嵐を巻き起こす軌跡がまるで飛行機雲の様な形状を残し、アンブロシウスの後方から産まれ出でる。
音速の衝撃(ソニックブーム)が間髪無くガタノトーアとその周囲ごと巻き込んで理不尽なる破砕を呼び込んだ。
――轟ッ!
と、凄まじい音を響かせて、ヤディス=ゴーという霊峰がまるで積み木を壊すように、ただの衝撃のみで霊峰を崩れ落とす。
神の魔風は何処ぞの国に言い伝えられている伝説の破山剣に匹敵しうる強大さで、邪神の甲殻を圧し潰した……筈だった。
舞い散る風塵が止み、おぼろげな影が色彩を持ちえて、その姿を捉える。其処には派手な爆発音を響かせただけで傷一つ負ってないガタノトーアの全貌がはっきりと視えた。健在である。

だが、それでもなおアンブロシウスの魔風は知ったことではないと言わんばかりに暴れ回る。傷が付かないなら、付くまで繰り出し続ける無限機関に成り果てる。
右回転から左回転。上下運動にも似た軌道での風向き。
逆しまを描くような横殴りの暴風。三次元の角度では測りきれない妙なる方角からの洪水に似た嵐。
渦を巻き、物体そのものを無理やり引き裂こうとする全周囲方向からの旋風。
ありとあらゆる風の流れが瀑布となって、ガタノトーアの堅牢な甲殻に幾度も幾度も幾度も傷跡を刻み、軋む音をも響かせていく。
窮極の風が蹂躙するその様は、一目見ただけでは此方が優勢と見えるだろう。
なれど……それでも尚、あの邪神は……旧支配者が一柱、ガタノトーアはさしてダメージを受けている様子は無い。
その余りに高すぎる防御力に、アンブロシウスを操るシュリュズベリイは忌々しげに舌を弾いた。

「たかだか膨大な魔力を有する媒体に頼って顕現された半端モノでも、この堅牢さ……! 流石に甲殻生物の体躯を持っているだけはあると言う事か!」

『防御力に定評のある邪神か……シュール過ぎて笑えない現実(ジョーダン)だね―――来るよ、ダディ!!』

“■■■■■■――――――ッッッ!!!”

ハヅキの霊的直感が現実を呼び起こした。
ガタノトーアは人語に翻訳不可能な叫び声を金切り、それと同時に体躯の下部より幾数も、粘着した汚濁に塗れた触腕が伸びゆく。
幾重にも織られた糸のような膜状を展開し、瞬間それらが追撃ミサイルの様な“弾道”を残して飛来。
右、左、上、下。その軌道は余りに不規則だが、それら総てはアンブロシウスを目指し伸びていく。
だがその程度の速度ではこのアンブロシウスのスピードに追いつける筈も無く、その軌跡を追うだけの肉塊になってしまう。

上から来ればそれ以外の角度に半回転し、下から来ればそれ以外の方向に軌道修正し、両横から来たるならば超音速によって跳ね除け飛翔。
見た目こそ愚鈍そうなガタノトーアであったとしてもその動きは機敏の域を超えていた事だろう。だが、相手が悪かった。ヒアデスの海を翔け抜ける風を止めるモノなど何 も無いのだ。
だが考えても見て欲しい。たとえ邪神が我武者羅にアンブロシウスのみを狙い、その触腕を振るっていたのならばソレは単一思考しかないただのケダモノと変わらない。
解っている筈なのだ。己の腕では絶対にあの魔風を捉える事が出来ない事を。そう―――元よりガタノトーアの狙いはアンブロシウス「だけ」では無かったのだ。

アンブロシウスが回避し、開けた視界の向こう側にその標的が中空で静止していることを、ガタノトーアははっきりと五感以外の感覚で知覚した。
其の感覚の先に居る存在を―――フェイト・T・ハラオウンを。

「―――っっ!!?」

言い様も無い悪寒がフェイトの身体に雷で撃たれたように駆け抜ける。
彼女の視線の先には、おぞましい触手を蠢かせているガタノトーア。その邪神から発せられた圧倒的な圧力(プレッシャー)が彼女に圧し掛かる。
ただそれだけで彼女の身体は中空で静止したまま、まるで鎖で縛られ拘束されたかのように“動けなくなった”。まるで石の中に鎖された様な感覚。
眼前に迫る、幾重もの巨大な触手。異臭を放ちながらその先端部分が生々しい音を立てながら破られ、中から磯巾着の様に一部分に密集した触手達が“生えてきた”。
生理的に……否、生物的に嫌悪せざる得ないその行為。動けないフェイトはその怪異なる恐怖を目の当たりにして胃の中が反転し逆流しているような不快さに苛まれていく。

やがてその触手群がフェイトの四肢に絡まってゆき……その末端から、成す術なく一方的にフェイトの身体が“灰色の塊に侵され”、ゆっくりと蹂躙されていく。
余りに複雑な術式で構成された石化の呪法。
フェイトは動けぬまま、かの封印された邪神と同じ様に、灰色に閉ざされた石像に成り果てた。
術式発動すら行えず、空中に浮遊する事すら侭ならないこの状態で起きる事は自然界でごく有り触れた法則。翼を持たぬヒトは空には昇れず、堕ちるのみ。
絡まれた触手がまるで縄の様に縛り上げて、その触手ごと石化され拘束されたフェイトにこの状況を打破しうる力は持っておらず。
遥か空の彼方より、フェイトは成す術なく、理不尽の限りを尽くされて堕天する。


――此処に、一つの魔を討つ意志が凍結した。

◆◆◆

触腕の攻撃を避けつつガタノトーアに反撃し続けるシュリュズベリイがその異変に気付いても、既に遅かった。遅すぎたのだ。

「っ! フェイト君!!」

シュリュズベリイは叫ぶ。あの金色の髪を揺らす教え子の名を。
なれど返ってくる言葉は無く、来るとすればこのおぞましい触手どもばかり。
不意に、魔力の波濤に勘付いた。その波長、属性、術式……どれを取っても上級であり至高の魔術能力。ガタノトーアの眼が、彼女を捉えたということか。
ガタノトーアが持つとされる『石化の魔眼』の能力は事前に情報で聞いていたが、よもや完全な召喚を仕切れていない劣化神性であの魔力の昂ぶり……流石に邪神相手では劣化も本物も何もないということを思い知らされてしまう。それがどうしても煩わしい。

『ダディ! あのままじゃフェイトが……!』

「レディ、緊急旋回だ。あの状態のまま大地に触れれば文字通り木っ端微塵だろう……行くぞ!」

『……っ! ミード残量を考えたら、無駄は少しでも省きたいけど、止むを得ないか……しっかりつかまってて、ダディ!』

ハヅキの応訣が耳に冴えずんだ刹那、アンブロシウスは妙なる曲線を描いて疾風と成る。
その軌跡は真空を呼び起こし、襲い掛かる触手らを巻き込んでミキサーのように盛大と引き千切りながら、ヒアデスの風は石と成って果ててしまったフェイトの下へ。
そこまでするのに、このアンブロシウスは刹那すら短い。
彼女が落下しうる瞬間にソレはまるで時間を逆行したかのような速さを持ってして、
呪術的に石化されてしまったフェイトをその腕に抱え、すぐさまにガタノトーアの死角に位置するだろう、
大きな岩が乱立する大地まで運び、傷つけないよう細心の注意で優しくその場に身体をおろした。
その間は一秒すら生温いだろう。この速さだといくらガタノトーアだとしても反応できずに、何が起こったか理解できまい。

シュリュズベリイは一連の動作を終えた後、老壮な顔に亀裂を浮かべ、憤怒と懺悔をその表情に刻んだ。

「すまない……“先走りすぎた”。教え子の安全を第一に考えぬ教師など、どれほど愚かしいことか。本当に、すまなかった」

アンブロシウスの操縦桿で握る拳から、一筋の赤い血が線を描く。自らの歯を砕かんと言わんばかりに軋ませる顎。
シュリュズベリイは、己が舞い起こしてしまった失態を殺意を抱かん程に悔やんで悔やんで、悔やみ尽くした。
……やがて彼は激情する心を鎮めて、後方でうめき声を咆哮する邪神に気配を向ける。その顔は正しく、世界中の外道たる魔をその風で屠り滅し尽くしてきた邪神狩人の貌そのもの。
右の五指に魔力を注ぎ込み、無詠唱で石化したフェイトの半径数メートルに及ぶ強固な認識阻害結界を形成。
ガタノトーアの眼を、これ以上彼女に向けさせるワケには行かないと徹底的に欺く術を顕現させた。
シュリュズベリイは確かな術式完成の手応えを感じ、再び操縦桿を握る。
それに呼応するかの様にアンブロシウスは再び空を舞い、あの場から一歩も動けずにいる巨大な邪悪を見据えた。

「よくもやってくれたな。我が生徒を傷付けた報い、この魔風を持って存分に晴らさせてもらうぞ―――人々を脅かす邪悪の権化よ!」

静かな怒りを紡ぎ、アンブロシウスは霊子の軌跡を巻き起こし飛翔し疾駆。
刹那のうちにガタノトーアの背を過ぎ、その後方よりアンブロシウスを追いかける軌跡が怒涛を引っ提げて荒れ狂った。
冴え渡る刃の如き鋭さを孕ませる音速の衝撃(ソニックブーム)が、これまで掠り傷程度しか負わしきれ無かったガタノトーアの堅牢たる身体を一撃で抉り取る。
ガタノトーアの声帯機関より声にならぬ大絶叫が、アンブロシウスの魔術回路を灼く。だがこの程度で終わる鬼械神ではない。真なるご都合主義は、これだけでは幕を下ろさない。
もっと苛烈に。もっと劇的に。もっと徹底的に。
冴え渡れ。冴え渡れ。冴え渡れ。
三度唱え、アンブロシウスに内包された術式が音を上げて開封された。

「征くぞレディ! これで決める!!」

『了解!!』

猛る魔力の波濤を打ち出しながら、彼らがアンブロシウスは真の意味で魔風と化した。
斬戟にも似た疾風が一陣、ガタノトーアの身体を掠める。亀裂。ニ戟目。裂傷。三戟目。血傷に至らす。
もはやソレは風と呼ぶのもおこがましい不可視の刃が織り成す音速の冴え刷り。ガタノトーアは絶叫を上げる暇すらなく、その鈍重な身体を魔風によって蹂躙され尽くされる。
だが、ソレでもこれはほんの序の口だ。まだ、彼らは“成り果ててなどいない”。これは只の祈りの舞いにすぎない。
五戟目でその舞踏は行き止まり、アンブロシウスは右手に持った賢者の鎌を携えた。
舞踏の構えを見せつけながら、ハヅキの口訣が魔風のうねりを引き起こす。

『―――ミードセット!』

体内に搭載した蜂蜜酒の注入を開始する。鬼械神の血脈に流れ出る黄金の血流が魂の髄まで循環していく。
霊子の結合速度および循環速度の限界すら熾烈に突破させ、超過熱(オーバーブースト)により装甲が閃光に包まれる。
そしてその舞いの名を高らかに、シュリュズベリイは咆哮した。


「―――戯曲『黄衣の王』!!」


その言霊を紡がれた瞬間、アンブロシウスは風すらも超越し、一陣の閃光の刃となりて邪神の身体をその賢者の鎌で抉り取る。
だがそれでも終わらない。内蔵された多発型飛翔魔術群の猛りはこの程度じゃ止まれない。エグゾーストにも似た機関からの咆哮が後からやってきた。
軌跡が描く線に刻まれた魔術式が光輝を発するのを見たシュリュズベリイはその舞いの謳(うた)を、厳かな声色で歌い上げる。

「風は虚ろな空を逝く!」

光速に至る風の斬戟がまた一つ重なる。
それと同時にシュリュズベリイの歌を、ハヅキも歌い上げる。

『声は絶えよ、歌は消えよ……』

今度の一撃は五度。
同時に繰り出された物理法則を超越し別次元に至る速度が蹂躙し制覇し、邪神の甲殻を破砕へ導いていく。
だがそれでもアンブロシウスの猛りは留まることをしらず。
幾十も折り重なった風の斬戟が幾度と無く、永劫と、終焉すら無いかのような刹那の内に繰り出され、その斬戟数は百を軽く超えた。
それでも耐え抜くガタノトーアの身体は破格といえよう。だが……この鋼の猛禽の嘴は、それすらも穿つ。
百数の斬戟を終わらせ一拍、静寂が訪れる。その静寂の中、ハヅキとシュリュズベリイは同時に、破邪の意を胸に祈りの口訣を刻んだ。

『―――涙はッ!』

「流れぬまま枯れ果てよッ!!」

歌は最終節に至る。
幾百と折り重ねなれた斬戟はこの為に。この一撃の為だけに。
この一撃に孕められた、幾百すら超え、幾千、幾万、幾億もの必滅の神威の為故に。
破滅の暴風が一陣に凝縮され―――躊躇い無く、放たれた。それは蹂躙とすら呼べぬ、破邪の囀り。死神の鎌。
音速の次元すら超越した別次元の音速により繰り出されるこの絶技こそは、鬼械神アンブロシウスの奥義『凶殺の魔爪』。
人と魔導書と神による窮極の三位一体が織り成す、窮極の秘奥だ。
吹き荒んだ魔風は、暗雲に風穴を穿ち、その果てには無数の星々の煌きが燦然と降り注いでいた。
その風穴の中枢に静止するアンブロシウスは、まさに空を統べる神そのものの威容。

『―――ここが、最果ての空』

「……カルコサの夢を抱いて、眠れ」

ハヅキとシュリュズベリイは歌を終えたその刹那、この星の輝きと神の下で、強大な魔力が爆砕する。
確かな手応え。ガタノトーアの甲殻を穿つどころか、その身体ごと粉微塵に切り刻みペーストにした筈だ。
彼の胸に安堵が生まれ、アンブロシウスの動きを止めた。

「終わったか……よし、まずはフェイト君のもとへ……―――ッッ!!」

瞬間、言い様も無い悪寒が彼の身体を電流が迸るように頭から爪先まで駆けぬける。
シュリュズベリイは衝動的に粉塵に帰したはずのガタノトーアが眠る場所に振り返った。舞い上がる風塵の彼方、その影が……威容が、蹲っていた。
信じられない。よもやこの必滅の奥義を耐え抜いたとでも言うのか。驚愕の念がシュリュズベリイの魂に響いた瞬間、彼は一つの些細な……決定的な失態をおかす。
無用心にも、その体をガタノトーアの眼に留めさせてしまったからだ。
―――滑りと蠢く、異界の眼。硬質的でありながら汚濁の水に塗れた、人間の知能理解の限界を超える眸が、アンブロシウスの風貌を垣間見た。
瞬間、アンブロシウスの世界が沸々と凍結されてゆく。末端からゆっくりと骨の髄まで、侵されていく。

『魔術回路汚染! 五十……六十……七十!! ミード残量も、残り僅か!!』

「ぐ、ぅぅ……!! 何故だ、何故、動ける!?」

石化の侵食に苛まれるアンブロシウスの操縦桿から、シュリュズベリイは超常的な感覚で魔力の流れを垣間見る。
『凶殺の魔爪』で幾重にも切り裂いたガタノトーアの身体。あの場で確かな手応えと共に屠り去った邪神の魔力の流動を。
そしてシュリュズベリイは理解した。そのおぞましさだけが残る醜悪な術式を。圧倒的な魔力だけで再現できた、字祷子(アザトース)粒子の再構成を。

「馬鹿な……あの状態から自己再生しているというのか!?」

いや、それは自己再生と言う事すら生温い、“新生”だ。
引き千切られただの一つの分子へ還った筈の身体は、圧倒的な魔力だけで再構成されてゆき、末端から傷一つ無く練成されていく。
その魔力反応を、ハヅキは見逃さなかった。

『魔力反応、確認! 多分、原因はアイツの額に埋め込まれた“宝玉”だよ、ダディ!!』

「宝玉……そうか、あの魔力媒体のことか!」

―――然り!
女の声が、シュリュズベリイが知覚する事無く、何処からとも無く別次元の宇宙で響き渡った。

◆◆◆

其処は異形の闇が四方を統べる大海原だった。
右も左も上下も無い、平衡感覚が奪われた不定形の闇が侵す異界。
その中心が確立しない世界の“中心”で、女は身を捩りながら嘲笑していた。

『そう! その宝玉こそは我等が宇宙の極々々々一部を採取して創生された原初の魔力の凝結体! 寸分にも侵されていない純粋な字祷子で構成された異界の宝玉!』

異界の中心で女は掌の上で開闢を起こして、世界の果てからその様子を伺っていた。
まるで新しい玩具を貰った子供のような無邪気さが際立った、無垢過ぎるが故の邪悪の微笑み。

『ソレは世界自体を一つの結晶に収束させた逸品だ。たかだか一度滅ぼされた程度じゃ、その無尽蔵の魔力がソレを覆すのさ。フフ……下手を討ったねぇ、シュリュズベリイ』

其の見詰める眼は燃える■つの眸。灼ける貌。
黒夜の世界でなお映える漆黒を纏う異形の存在。かつて、これほどまでに純粋な邪悪が存在していただろうか。
ソレほどまでに極まった、吐き気を催す邪な存在概念。
女は笑う。人間達の抗う様を見据えながら。
女は嘲る。人間達の愚かな抵抗を見続けながら。
女は微笑む。人間達の凄絶な覚悟で抗い続ける魂に見惚れながら。
だが……女の本意はソコじゃなかった。その世界を見据えながら、女は別の事を思い描いた。

『さて……今回も君達が現れてくれるのかな? 真のご都合主義を信仰する、僕の愛しいキミよ?』

遥か彼方、誰かを思い続ける様はまるで恋をし続ける初心な少女のような笑みを浮かべながら、女は人の抗いを高見から見下ろし続ける。
瞬間、この闇の異界に似つかわしく無い、穢れなき憎悪と正しき怒りを孕んだ叫びが、何処からとも無く轟いた。

―――当たり前だろう、邪神! テメェの描いた物語なんざ、こっちから願い下げだ!
―――人間達の諦めの悪さ、今一度……いや、何度でも思い知らせてやろうではないか!

“否”と叫ぶその意志が、また一つ、闇黒の狭間に煌く新たな光芒(ほし)を創造(つく)る。



続く。

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最終更新:2008年03月23日 17:18