アルカイザーに気付いたナシーラは、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「惜しかったわ。あなたがもう少し遅ければ、私の返り血を浴びた瞬間――坊やの絶望が拝めたのにね」
もうこれ以上、喋らせてはいけない。既にアルカイザーの決意は固まっていた。
拳の炎は勢いを増し、肘までを包む。激しい炎は、生み出したアルカイザー自身にも痛みと熱を伝え、その身を焼いた。
「そうすれば、またあなたを求める人が増えるのよ。あなたをヒーローで"いさせてくれる"弱者が。傷つき虐げられる弱者が。
いいえ、もしかするとあなたを最高に輝かせてくれる"悪"になってくれるかもしれない」
しかし、それもじきに薄れ――激しい怒りに感覚が麻痺していく。
「あいつを救えるのはあいつ自身だ……。あいつを笑わせることができなくても――俺はもう……お前達を笑わせない!! 笑わせてはおかない!!」
怒りが最高潮まで高まった瞬間、アルカイザーの頭に強烈な何かが生まれた。まるで電球が明滅するような、一瞬の閃きが――
拳を振るうに合わせて、自分の中で何かが覚醒したのを感じる。しかし今のアルカイザーに、それを名付けることはできなかった。
アルカイザーの拳が唸り、ナシーラにめり込む。同時に、炎が全身に燃え広がった。
「アハハハハハハハハハハ!!」
炎の中からナシーラの笑い声が聞こえてくる。これ以上ないほど嬉しそうに、可笑しそうに笑っている。
それは十数秒程度続き、じきに聞こえなくなった。
――僕達は勝ったはずなのに……。なのに、なんでこんなに気持ちが悪いんだろう……
エリオはきつく胸を抑えた。心の底には、澱のように不快感と後味の悪さが溜まり、吐き出す場所を求めている。
ふと上を見上げると、激しい炎と魔力光が瞬く。フェイト達はまだ戦っているのだ――加勢に行かなければならないのに、
どこかそれすら別の世界のことに感じられて、エリオは暫く呆然としてしまった。
中に動くものがいなくなっても、まだ轟々と燃え盛っている炎。静かにそれを見つめているアルカイザーの背中が、
エリオには泣いているようにも見え、言い様のない悲しさに胸を締め付けられた。
どれくらいの時間が経っただろうか。おそらく数十秒しか経っていないと思うが、呆けていた時間はそれ以上にも感じられた。
地竜が一際大きく吼えた。口からは炎を吐き散らし、身体を波立たせる。鼓膜が破られそうな咆哮にエリオは耳を塞ぐ間も与えられなかった。
フェイト達の攻撃が功を奏したのかと思いきや、どうやらそれも違う。解るのは、これまで拮抗していた戦況が崩れたらしいことだけだ。
「(フェイトさん!? どうしたんですか!?)」
「(解らない! 急に暴れだして……)」
フェイトも状況が把握できないらしい。考えられる理由は幾つかあるが、何かが地竜の暴走スイッチを押したのは確かだ。
地竜の吐く炎の勢いはこれまでの比ではない。喧しく足を踏み鳴らしながら、その首が次に向けられたのは、自らの背に乗ったエリオとアルカイザーであった。
「まさか……!」
背筋から走ったそれは、未熟でも戦士として培った勘。そしてエリオの予想通り、緋色の炎は吸気と共に口に収束され、吐き出される。
「そんな! 自分の身体ごと!?」
間一髪飛び降りたエリオは、自分の背中を焼く地竜に目を見張った。それさえも、地竜にとっては撫でたようなものなのだろうか。皮膚を黒く焦がしながらも、地竜は執拗にエリオを狙う。
着地のタイミングを見計らって、鉄球が発射された。エリオは着地の勢いを利用して前に転がり、辛うじてそれを回避した。
背中からは振り落とされ、距離が離れた。有利な位置取りも全て無になり、二度は通じないだろう。あまりに呆気なく、状況は振り出しに戻ったことになる。
暴れるだけだと侮った結果だ。単なる暴走ではない。弱った上に飛べないエリオとアルカイザーを優先して狙っている。明らかにそれは知恵を使った――自分の能力を最大限に利用した戦法と言えるものだった。
だが、この荒れ様はそれだけとは思えない、どこか狂気染みたものすら感じる。
「まさか……」
そんなはずはないと頭を振っても離れない。正直、生半には信じ難いが、そう考えれば辻褄が合う。
「僕達をナシーラ所長の仇だと……?」
ナシーラが予めプログラムした可能性もある。断末魔の哄笑然り、思い当たる理由は幾つもあった。だが、エリオにはそう思えてならなかった。主を奪われた怒りを、悲しみを仇である自分達にぶつけようとしているのではないかと。
その執念がただのモンスターに知恵を与えてしまったのではないかと――
真実はこの際問題ではない。ただ、そう思ってしまった途端、エリオには、暴れ狂う地竜が急に痛々しく見えてしまった。
戦うしかないと決めていたのに、それでも一瞬、ほんの一瞬エリオの足が止まる。そして地竜はその隙を見逃さず、鉄球がエリオを狙い放たれた。
すぐさま横へ跳んだことにより、一射目はなんとか回避する。しかし、回避に十分な距離を稼げなかったエリオは、間近での激しい衝撃に足を捕られた。
加勢に飛び込もうとしたフェイト達だったが、炎に阻まれ出遅れる。口をフェイトに向けながら、二射目は確実にエリオを捉えて発射された。
《アル・ブラスター》
しかし間一髪、発射と同時に、鉄球は上からのライトグリーンの光弾に叩かれ、別の方向に弾んでいった。その色はナシーラと対峙した時、彼女の背後を貫いた流星の光と同じもの。
「アルカイザー!」
地竜の頭の上に立ち、拳を突き出しているのは、紛れもなくアルカイザーだ。いつの間にあんなところに移動したのか――そんなエリオの疑問をよそにアルカイザーは言う。
表情は解らなくとも、その声、その立ち居振る舞いに満ち満ちているのは悲壮な――そして確かな決意。
「それでも……俺達は倒れてやる訳にはいかない。俺は、俺達はお前を倒す……! 倒して――生きさせて貰う!!」
《カイザースマッシュ》
アルカイザーは、取り出した光剣レイブレードを渾身の力を込めて振り下ろした。硬い反発の衝撃も腕力で押さえ込み、剣は血をしぶかせつつ、地竜の頭を半ばほど割り開く。
これまでで最もけたたましい悲鳴を上げ、地竜は悶絶した。長い首を振り回し、アルカイザーを頭上から追い払う。
アルカイザーは頭上から一跳びでエリオに並んで着地した。
「ナシーラの時もそうだった。あいつらは傷を癒しているんじゃない。確かに防御は桁違いに強化されても、治癒速度が劇的に変わる訳じゃない。
麻痺させて気にならなくしているだけだ。……確信は無いがな」
「ということは、これまでの攻撃も効いてはいるんですか?」
キャロも傍まで飛んでくる。彼女も大きな傷こそ負っていないものの、フリードには無数の小傷が刻まれ、彼女自身の疲労も相当なものだろう。
「ああ、蓄積されてはいるはずだぜ。ナシーラだってそうだったんだ」
アルカイザーは、ナシーラには打撃でのダメージしか与えていない。時間を稼ぐ素振りを見せたのは、痛みが消えるのを待っていたに違いない。
しかし、エリオに付けられた最後の傷は治る様子が無かった。
「地竜の奴も傷は塞がっていないんだ」
足を止めると、すぐに鉄球が飛んでくる。三人は地竜を囲むように散開。エリオとアルカイザーは同じ方向に飛び出した
「フェイトさん達がずっと戦ってきたんです。もう少し……きっともう少しのはずです」
「だったら勝負に出よう。全員で一斉に奴に攻撃を叩き込むんだ」
このまま、ただ走るのみでは埒が開かない。大詰めに差し掛かっているのは確かなのだ。作戦をどうこうする段階はとうに過ぎている。
「それしかないと思います。でも、仕掛ける隙が無いことには……」
エリオはフェイトとシグナムに念話を飛ばす。
「(それなら私達が露払いをしよう。お前達は奴に向かって走れ)」
間を置かず、シグナムから念話が飛び込んできた。腹案があるようだが、詳しく問い質している時間は無い。今は賭けてみるしかない。
「(解りました、お願いします)」
エリオとアルカイザーは指示に従い、地竜へと一直線に駆け出した。
「ということだ、我々で奴の攻撃を止める」
地竜は、エリオとアルカイザーを狙いつつも、上空の警戒も忘れていない。忙しなく飛び回りながら、シグナムはフェイトに言った。
「うん、解ってる。仕掛けるよ、シグナム!」
「おお!」
フェイトとシグナムは顔を見合わせ、同時に頷く。
フェイトとシグナムには、エリオの考えは容易に想像が付いた。おそらくあの得体の知れないヒーローとやらを――アルカイザーを切り札だと考えているに違いない。
信の置ける者かも解らないというのに、博打にも等しい。
だが、それはシグナムも同感だった。オーラ――と言ったら笑われるだろうか。彼には、力もさることながら、理屈ではない何かを感じる。
今はそれに賭けてみたい――そう思わせる者こそがヒーローなのだろう。ここにいる全員が、いつしかそう思い始めていた。
エリオとアルカイザーは一直線に走る。暗闇の中に聳える巨大な影へと走る。
正面から向かってくる愚かな獲物を、地竜は正面から迎え撃つ。だが、二人は鉄球の発射される轟音を耳にしてもなお、足を止めない。
《飛竜一閃》
「行け! シュランゲバイゼン!!」
迫る鉄球は、目の前で蛇剣に雁字搦めにされ、無数の鉄片に切り裂かれた。声の主はシグナムだ。連結刃を伸ばし、援護してくれた。
それすら織り込み済みで、降り注ぐ鉄片を避けもせずに駆けて行く。援護するという言葉を信じられるからこそ、最短で距離を詰めることができる。どんな障害が立ちはだかろうと恐れは無い。
アルカイザーにとっても、フェイトとシグナムはエリオらの伝聞でしか知らなかった。それでも彼女達の戦い振りを見れば、言葉を交わさなくても信じられる。
エリオとキャロを含む、子供達を助けるという自らの使命に全てを懸けているのだ、と。
後僅かというところで、地竜はフェイトを食い止めていた炎を、エリオとアルカイザーへ向けた。
「キャロ!」
フェイトがキャロの名を叫ぶ。呼ばれたキャロは、既に攻撃を受けにくい位置――即ち二人の斜め後方に控えていた。
たとえ力が足りなくても、想いならば決して劣ってはいない――そう信じてキャロは詠唱を続ける。
彼女は戦場に於いての自らの役割を理解していた。フリードに乗らなければ機動力にも火力にも欠け、乗ればその大きさから的になり易い。前衛で戦う者達が傷ついていくのをただ見ているしかない。
故に、傷つきながらもひた走るエリオとアルカイザーが歯痒くさえあった。
正面切って戦うには足りず、精々が援護することしかできない。それでも、それが勝利に繋がると、彼を助けることに繋がると思いたい。その想いを乗せて、キャロは呪文を紡いでいく。
《ブーストアップ・アクセラレイション》
フェイトはバルディッシュをザンバーモードに変形させ、全速で地竜へ飛ぶ。キャロの魔法を受け、身体に力が漲るのを感じていた。地竜の首が向き直るより早く、飛びながらも光の大剣を取り回す。
だが、こうして戦っている最中も、エリオのことが気になって仕方なかった。何故気付いてやれなかったのだろう――
彼の秘めたる闇と傷が、深く重いものであることは解っていたはずなのに、救えたつもりでいた。
そして今、エリオはしっかりと立ち上がり、戦っている。立ち上がらせたのは自分ではなく、アルカイザー。
エリオの心中など知らず、フェイトは煩悶としていた。
何故、彼なのだろうと。自分は彼を非人道的な研究から救い、平和な世界に帰したはずなのに――考えれば考えるほどに嫉妬が心に根を張っていく。そうなる前に、フェイトは頭を振って予防線を張った。
速く、なお速く――今はただ、それだけを頭に残し、フェイトはバルディッシュを握る手に力を込めた。
《清流剣》
空中を疾駆するフェイトが地竜の首、その真横をすり抜けた。一瞬の交錯は、端からはそうとしか見えなかっただろう。地竜が違和感に身を捩じらせた途端――それは起こった。
首筋にゆっくりと線が走り、口を開くと共に鮮血が噴き出す。これには地竜も堪らず、炎を吐くどころではない。その剣閃が余りにも速く鋭かった為、身動ぎするまで傷が開かなかったのだ。
フェイトの一撃も、決定打には至らない。しかし地竜を僅かな間スタンさせ、二人が地竜の足元まで駆け寄るだけの時間は稼ぐことができた。
フェイトとシグナムは左右に、キャロは正面後ろ、その先の地竜に、エリオとアルカイザーはまさに届かんとしていた。
「早く! エリオ!!」
「行け! アルカイザー!!」
「お願いします!!」
その声が背中を押す。
――あと少し、あと少しで決着が付くんだ。そう考えれば痛いのも疲れたのも我慢できる!
それはアルカイザー以外の三人も同じはずだ。そう、エリオは信じていた。
身体を覆う魔力光が、互いの位置を教える。暗闇が地竜に力を与え、痛みを消すなら、この光こそが自分達を繋ぎ、力を与えてくれるはずだと。
「やれ! エリオ!!」
《フラッシュスクリュー》
横を走っていたアルカイザーが跳躍し、光を帯びた拳が直撃コースの鉄球を砕く。結果、エリオの前に道ができた。既に勝利は目の前まで来ている――力を振り絞り、エリオは槍を唸らせた。
《サンダーレイジ》
エリオがストラーダを地竜の前脚に突き刺す。僅かでもいい。刺さればそこから電撃を奔らせる。巨体を揺るがし、一瞬で電流は駆け巡った。
ビクビクと痙攣しながら、やがて地竜は動きを止める。その間、エリオが踏み潰されなかったのは幸運としか言いようがない。
「やった……の?」
エリオが恐る恐る呟いた。ピタリと音が止み、一瞬の静寂が訪れる。しかし、それは本当に一瞬に過ぎなかった。
途端に地竜の影が躍り出す。何度も何度も何度も脚を踏み鳴らすのは、眼前の敵を威圧する為か、若しくは飛べない小さな蟻を踏み潰す為か。
咄嗟に踏み付けを回避するエリオ。しかし気付いた時、エリオは既に地竜の身体の真下に追い込まれていた。
地竜の狙いは完全にエリオに移っている。或いは最初からそうだったのかもしれない。地竜にとってエリオは主の仇であり、今また自分を殺そうとする憎悪の対象だ。
これまで傷つけられ、憎しみをぶつけるばかりだった自分が、今は傷つけ、憎しみをぶつけられる立場になっている。叩きつけられる脚の間を必死に逃げ回りながら、エリオの胸には悲しみと苛立ちが込み上げてきた。
エリオを助けようと動くアルカイザー達を、地竜は炎で牽制する。
言葉が無くとも伝わる。「邪魔はさせない」と言わんばかりの執念だ。
あくまでも執拗にエリオを狙う様を見ては、フェイトやシグナムもそれを否定することはできなかった。
「まさか……浅かったの!?」
フェイトは愕然としていた。雑念を振り切って振るった"つもりだった"剣は、確かに地竜の首を切り裂いたにも関わらず、今、地竜はエリオを狙っている。
手応えが僅かに軽かった気はしたが、地竜は直後のエリオのサンダーレイジと合わさって動きを止めた。まさか、それすらも油断を誘う為の演技に過ぎなかった、とでも云うのだろうか?
どちらにせよ、自分の詰めの甘さがエリオを窮地に追い込んでしまった。下らない嫉妬がこれまでの全てを無駄にしようとしていることには違いない。
それが剣筋を鈍らせ、清流の集中も、濁流の勢いも足りない半端な剣となってしまった。
――アルカイザーが現れた時、私はエリオの身を案じる"保護者"としてよりも、攫われた子供を救う為、"隊長"としての責務を優先した。戦えるというエリオの言を信じ、戦えると判断した。
その結果がこれだ。空を飛べないエリオが窮地に陥るだろうことは予測できたはずだったのに。
地竜は砲台と口の両方を対空に使い、両足は決してエリオを狙って振り下ろされる。どちらか一方ならなんとかなったのだが、天井に届くほどの勢いで鉄球を何発も撃ち込み、隙間を火炎放射で埋めてくる。
外れた鉄球が天井を砕き、破片が降り注ぐ。
地竜の暴れ様は、ここで生き埋めになることを覚悟しているのかと思えるほどだ。このままでは遠からず建物自体が持たないだろう。
――そして、今また我が身を省みずエリオを助けようとしている。"隊長"として、その判断もおかしくはない……。でも、そこに"隊長"としての私は……。
一か八か、ダメージ覚悟で飛び出すべきか迷うフェイト。
しかし、炎の隙間から垣間見えたもの――それはまさしく、地竜の足がエリオ目掛けて振り下ろされる瞬間。
この時、"隊長"としてのフェイト・T・ハラオウンは完全に彼女の中から消えていた。
アルカイザーはというと、地竜に対して何度も攻撃を試みるものの、未だ決定打を与えられずにいた。急所があるとすれば首だろうが、それとて幹のように太い。
《スパークリングロール》
10m以上を跳躍し、光を迸らせたフックが遠心力を加えて首にめり込む。確かな手応えはあり。だが――
「うわっ――!」
地竜の目にギロリと睨めつけられる。さして苦しむ様子も無く、地竜は首を振ってアルカイザーを振り払った。
効いていないはずはない。しかし、これは云わば性質の問題だ。フェイトを始めとする魔導師達の武器は全てが刃物である。
地竜が痛みに耐性ができている以上、打撃よりも斬撃の方が、まだ効果は大きいように思えた。
地竜の吐く炎で闇は明々と照らされる。その炎もすぐに消えて、やがて闇が戻ってくる。結界の内はあくまでも無機質な研究所である。燃え移る物が無い以上、長くは続かない。
その闇の中、仄かに淡い水色の光が浮かび上がった。それは光線剣、レイブレード。叩けないなら斬ればいい――我ながら単純だ、とアルカイザーは独り呆れた。
「オオオオオオ――!」
再びの跳躍。振るったレイブレードが、刃渡りの分だけ地竜に傷を刻む。
しかし――それだけだった。踏み込みもできず、腕の力だけで振るった剣は、地竜を崩すにはとても足りない。
そしてアルカイザーは落ちていく。どれだけ高く跳べようが、それは飛行ではない。昇れば落ちる――飛行できる三人と違い、これは明らかに枷になった。
落下する最中、地竜の瞳が向けられた。巨大な爬虫類の瞳からは何の感情も読み取れない。ただ、その運動が攻撃の瞬間を教える。
「ちぃっ!」
〔カイザーウィング〕
アルカイザーは握ったレイブレードを投げた。ブーメランのような軌道で、回転しながら飛ぶブレードは地竜の額に刺さった。
着地し、攻撃に備えて見上げる。火炎も鉄球もやってこない。咄嗟の判断が、無防備な状態での攻撃を避けることができたらしい。
その代わり、レイブレードが戻ってくることもなかった。ブレードは絡め取られ、地竜の額に突き刺さったままだ。
地竜の動きが数秒止まったものの、再度動き出した時――より悪化した状況に、アルカイザーは頭を振るしかなかった。
柱のように太い四足の間をエリオは走り回っている。鼓膜が破れそうな轟音の地響きを、もう何度聞いただろう。
加えて、またしてもこの暗闇が足枷になった。避けることに精一杯で、自分がどこを向いているのか、どっちに進んでいるのかが解らなくなる。
前脚と後脚の間に隙を見つけ、なんとか逃げ出そうとしても、地竜は巧みに脚を動かしてエリオを領域内から逃がさない。
「くっ……!」
今日何度目だろうか――もう数える気にもならないが、エリオは死が隣に張り付いているのを感じていた。
地竜に床が踏み付けられる度に、震動が下腹部に響く。加えて、またしても耳がいかれてきた。
だが、心臓は早鐘を打っているのに、頭の中は驚くほどに澄んでいる。
――死にかけたのが多すぎて、恐怖に慣れちゃったのかな……?
などと考えられるくらいには。
だが、余裕は無かった。少しでも足を止めれば、一瞬で踏み潰されてしまう。
真下にいれば、急所かもしれない腹を突くこともできるのではないか――そうも思ったが、すぐに無理だと悟った。
一つは、エリオの魔力、体力ともに、もう限界に近いこと。カートリッジも尽きた今、見上げる腹までブーストするだけの力すら残っていないことは、
悔しいが痛感している。
もう一つは、仮に全力で腹部を突けたとして、地竜が崩れればどうなるか。下敷きになる前に逃げることは不可能だと判断した。
やるなら全力で、でなければやるべきではない。
ならば、今最優先することは逃げること。それだけに専心し、悲鳴を上げる身体を奮い立て、襲い来る眠気と疲労に気付かない振りをする。
役に立たない聴覚を切り捨てて、闇に目を凝らす。その間も、スタンプにされるギリギリの線を縫い、勘頼りで足を動かす。すると――
「見えた!」
僅かに浮かせた右前脚。落とされると同時に駆け抜ければ、すぐには動かせないはず。ほんの数秒でも、自分には十分な時間だ。
エリオが足の裏に入るように動くと、地竜は誘導されて足を動かす。ここまで、全ては予想通りだった。
エリオと地竜は、互いに間合いに入るや否や、同時に行動を開始する。
視線が届くはずもないのに、地竜の足はどうしてか正確に狙いを定め落とされた。瞬時に、これまで緩急を付けていたエリオが、ぐっと身を屈めて地を蹴った。
まるで獣のように限界まで身体を丸めて、爪先でひたすら床を"掻く"。その動作が爆発的な加速を生み、後ろ髪を掠めて落ちた足から逃れ、エリオは活路へと飛び込んだ。
――やった!
突如、視界が反転した。
遅れてやってくる衝撃、全身に走る痛み。
一体何が起こったのかエリオに解るはずもなく、ただただ目まぐるしく景色が切り替わる。
反転した視界はそのまま縦に横に回転を続け、地面が間近に迫った時、
――ああ、そうか……。僕は……蹴られて……。
ようやく、状況を理解したエリオの視界に映ったもの。
それは、前に突き出された地竜の足――次に一面の闇――淡く人型に浮き彫られた金色の光――これから叩き付けられるであろう、硬そうな床――
そして、あらぬ方向に折れ曲がった歪な両足。
それを最後に、エリオの意識は途切れた。
最終更新:2008年04月10日 20:07