予告 その名は
      ~Wizard's Adventures in Wonderland~

 海と山に囲まれた、長閑な街並み。
 高層建築が連なり、その隙間を網目の如く道路が存在する、平和な街。
 夜になっても人通りは途絶えず、車が行き交い、電飾看板が煌めいていることだろう。
 しかし今、その中は余りに静か過ぎた。
 人の気配は殆どなく、車は一つとして通らず、風一つ吹かぬ街。
 別空間とさえ思われるそこは、しかし確かに外界から切り離された別の空間だった。
 魔法という奇跡によって織り成され、半円球状に展開された、巨大な結界の只中である。
 その中心で、天も結界も纏めて貫くほどの、これまた巨大な光柱が奔っていた。
 柱の根元に、舞台の役者はただ四名。白い少女と、小動物と、狼と、そして――

 ……止まれ……止まれ、止まれ……
 握る両手の中から溢れる、まばゆいばかりの光。同時に流れるのは、膨大な魔の力。
 止められるのか、と過ぎった思考を無理矢理頭から追い出し、手中の青き宝石へと、湯水の如く己の魔力を流し込む。
 莫大ながら方向性のない力を、力ずくで抑える。魔で編まれし黒き手袋は裂け、両掌から血が滲む。
「フェイトちゃん!」
 意識の端に声が届く。
 知っている。この宝石を奪い合うことになった、白い少女のものだ。
 顔を見ていなくても、こちらを心配しているという気持ちが伝わってくる。
 ただの敵同士なら、間違いなく無視しているそれに、黒い少女は反応してしまった。
 戦いを好まず、こちらへ問いかけ続ける彼女の態度に、どう返せばいいのか分からない。
 慌てて、強引な封印作業を続行する。今は気にしている場合ではない、はずだ。
 力を使い過ぎたせいか、意識が朦朧とする。先程集中を切らしたせいで、光が数段強まっている。“血の滲んだ両手を、別の手が包む”。
 我に返れば、眼前に白い少女の顔。こちらの視線に気づき、にこりと微笑む。
 彼女のデバイスも破損したのだろう。待機状態として首に掛けられている赤い宝玉は、罅が入っている。
 手伝う気か。しかし、白い少女の動機とこの状況を考えれば、封印に手こずる位ならこちらと協力する事さえ辞さないのかもしれない。
 あるいは、こちらを助けたいと純粋に思っただけなのかもしれない。
 本当に、彼女は敵、なのだろうか。
 自分は彼女と、どう向き合っていけばいいのだろうか。
 母は怒るのかもしれない。使い魔は無視しろと叫ぶかもしれない。けれど、それは本当に正しいことなのだろうか。
 誰かを傷つけてまで母のお願いを聞くのは、本当に正しいことなのだろうか。
 何が正しくて、何が間違っているのか。
 ……わたしは……どうすれば……
 一つ迷いが生まれた途端、歯止めがきかなくなる。
 この時、黒い少女の混乱は頂点に達した。
 少なくとも、宝石の封印作業が止まってしまう程に。
「あっ――」
 思わず声をあげたのは、誰だったのだろうか。
 掌の中の光は、一瞬にして役者達の眼を眩ませる程に強い輝きを放つ。
 直後、宝石を握りしめていた少女達は、悲鳴を上げて弾き飛ばされた。
 黒い少女は横たわったまま動かず、白い少女は尻餅をついたまま呆然と見上げる中、抜け出した青き宝石は勢いよく天へと昇り、閃光と共に消えた。

 二十一世紀初頭、四月二十六日の夜。日本、海鳴市の結界内にて。

                   *

 銀世界。それは、地面一帯が雪で覆われた幻想的な光景。
 しかし同時に、万物の生を脅かす冬の場面でもある。
 天候は永遠の雪。風はほぼ皆無。そして、気温は零下四十度。
 雑草一つ生えやしない、正しくここは死の世界。
 しんしんと雪が積もり続けるその中を、一人の男が歩いていた。
 凍死しない為の分厚い防寒着を身に纏い、ブーツの足跡を後方へ置き去りにして、只管歩む。
 男の進む道は、決して平坦ではなかった。道なき道は上下にうねり、雪に埋もれた巨大な廃材が周囲のあちこちで転がっている。
 時代に埋もれた巨大な廃墟とも見て取れるが、実際にはこうなってから十年と少ししか経っていない。
 一千万人の人間が暮らしていた、ここは栄華の跡地である。
 無言で足を進める男は、用心深いジャンク屋であった。その手には、何らかのセンサーと思しき箱が黒く艶めいている。
「ん?」
 突如鳴り響く電子音に、ジャンク屋の男は足を止めた。
 無論、音の発生源はセンサーから。では、感知したのは何なのか?
 男が真っ先に取った反応は、警戒であった。油断なく周囲へ目を走らせ、いつでも走りだせるように身構える。
「……魔法士じゃねえ、か」
 時間にして数十秒の後に、男は漸く緊張を解いた。
 呟いた通りの存在が現れたなら、今の体勢は気休めにもならないだろうが、だからといってむざむざ死にたくはない。
 電子音は未だに鳴り響く。そして、センサーが感知しているポイントも、最初のままだった。
 やがて男は、センサーの示す場所へと足を向ける。
 ここから先には鬼が出るのか、それとも探し求めた仏が出るのか。
 この時は、宝探しに近い職業であるジャンク屋としての好奇心が、不安や恐怖を凌駕していた。
 やがて、点在する瓦礫の一つから青白い光が漏れているのが目に入り、男は目を見開いた。
 残りのジャンク目的でもう随分とこの辺りを歩いたが、あんなものは初めてだった。
 早速近寄り、発光する瓦礫の中を覗いてみれば、ほう、と感嘆の声を上げる。
 狭い空間の中で、小さな青い宝石が光っていた。
 丁度装飾品に使用されてもおかしくないような大きさ。しかも、傷一つ付いていないようだ。
 センサーが感知していたものも、これでほぼ間違いないだろう。
 つまりは只の宝石でなく、何らかの発明品や重要な部品である可能性が高い。
 売れば高くつく……いや、隊商では駄目だ。シティに売れば莫大な金になるだろう。交渉次第ではもしかすると、シティの永住パスも夢ではない。
 鬼か仏か……どうやら、これは仏で決まりのようだ。
 欲望のままに手を伸ばして取り出そうとする。が、ぎりぎりで届かない。
 一旦腕を引き戻し、忌々しげに廃材を睨みつける。しかし、それで諦めるジャンク屋ではない。自分の生活がかかっているのだ。
 今度は肩まで瓦礫に入れ、宝石を掴もうと指を伸ばす。だがしかし、触れるか触れないかの距離で指先が止まってしまう。
 それでも男は諦めない。その状態のまま首の根元の辺りまで隙間へと差し込み、強引に欲望を掴もうとして――その指先が、宝石に当たった。
「あっ」
 この時になって、男は漸く気付いた。
 狭い隙間は決して平坦ではなく、奥へ向けて下り坂の形状をしていたことに。
 その上を、宝石は微妙なバランスで留まっていたに過ぎなかった事に。
 結果、外部からの運動エネルギーを受けた宝石が、更に奥へと転がっていく。
 その先にあるのは、更に小さな隙間の中にぽっかりと空いた穴。
 声を上げる間もなく、宝石はより暗い闇の中へと落ちていった。
「ツイてねえな……」
 廃材を退かせるような道具は持ち合わせていない。男はとうとう宝石の入手を断念した。
 折角こんな夜にまでジャンク漁りに来たというのに、運が向いてきたと思ったらこれである。
「しょうがねえ。他あたるか」
 ここでの探索は終了とセンサーの電源を切り、足早に来た道を戻っていった。

 もしこの時、センサーを点けたままだったなら、男はこの後どんな反応をするのだろうか。
 それはきっと、誰にも分からないままだろう。

                   *

 からんころん、と。
 瓦礫の隙間のただ中で、転がる音を響かせて、光る宝石は際限無く落ちていく。
 誰の手にも渡ることなく、世界の無音をかき消して、底の見えない闇の中へと落ちていく。
 その転落劇は、いつまでも続くかと思われた。しかし、永遠なんて何処にも無い。
 やがて青き宝石は、深い深い穴の底へとたどり着いた。
 これまでとは違う、広い空間。天井に開いた僅かな隙間を掻い潜り、宝石は部屋の中心へ転がり込んだ。
 ついに動きを止めた石は、次第に光を弱めていく。次元を始めとしたあらゆる境界線を越えて旅をしてきた青き石の、ここが終着点かに思われた。
 確かに、石の旅はここで終わりなのかもしれない。しかし、ただで終わることは決してなかった。
 石の中の光が消えたその瞬間、古代の遺失物は大きく鳴動する。
 宝石を包み込むように光が発し、石は部屋の丁度中心へと浮かび上がる。
 光は床へと伸び、伸びた光は幾つも分岐し、床から壁へと別々に伸びていく。
 壁へと伸びた光は、最初から壁など無いかのように、向こう側へと伸び続ける。
 ――それはまるで、種子が大地に根を張るように。
 地表へと芽吹くことなく、大きな樹木の幹であるかのように、光は種を頂点として直立する。
 ――それはまるで、大きな培養槽のように。
 根はより深く、より遠くへと広がっていく。幹はこれ以上太くならないのに、根だけが際限無く広がり続ける。
 ――それはまるで、全てを覆うように。
 青き宝石は、規則的な鳴動を始めた。誰かが慟哭をあげているような、奇妙な鳴動。
 ――それはまるで、生き物のように。
 気付く者など、誰もいない。世界中の何者にも気づかれることなく、微弱な情報制御を発しながら、過去の遺物は侵食を開始した。
 ――世界への侵食を、静かに開始した。

 西暦二一九八年、四月二十六日の夜。某シティ跡地の、遥か地下にて。

                   *

 こうして、役者は更に増えていく。

「わたし、なのは。高町なのは。こっちはユーノくん」
「えっと、セレスティ・E・クラインです。セラ、って呼んでくれれば」
「うん。よろしくね、セラちゃん」
「こちらこそよろしくです、なのはさん」

 運命とは、かくあるべきなのか。

「僕はディー。よろしく」
「フェイト……フェイト・テスタロッサ。この子は使い魔のアルフ」
「……よろしく」

 波紋は広がる。共振が起こる。

「君は、一体……」
「――セレスティ・E・クライン、ですよ」

 止める術は、ない。

「貴方は……一体、何なの?」
「――デュアルNo.33」

 全ては小さな願いから。
 望むものは家族か、笑顔か、それとも過去か。
 悲哀と寂寥が青き宝石へ届いたその時、運命の歯車は……

 舞台は日本、海鳴市。
 彼方より来たるは、『光使い』と『双剣』。
 二十六日、不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland)のように、二人の魔法士は過去の世界へと迷い込んでいきます。
 とうとう、準備が終わりました。
 それでは、『リリカル・ブレイン』を、始めましょう。

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最終更新:2013年08月23日 15:32