「いらっしゃいませ。ようこそ―――っ!?」
ホテル<アグスタ>の受付に差し出された招待状代わりの身分証明書を眼にした瞬間、男の営業スマイルは崩れ去った。
今日、このホテルで行われるオークションには各界の著名な資産家達が参加しているが、それらとはまた別の方面に名高い人物が目の前に現れたのだ。
畏怖すら含む視線を持ち上げれば、見た目麗しい三人の美少女が佇んでいる。
「こんにちわ、機動六課です」
なのは、フェイトと共に煌びやかなパーティードレスで完全武装。
プライベートでは女を捨てている我らが部隊長は、清楚な令嬢へと変身を遂げて、完璧な笑顔を作って見せたのだった。
機動六課。今回の任務は、このオークションの護衛である―――。
受付から少し離れたロビーの一角で、はやて達三人の隊長陣は一般参加者を装いながら会話を交わしていた。
「それじゃあ、オークションが始まるまでの間に営業済ませとこか」
「うん? 建物の下調べのことだよね」
はやての妙な物言いに、少々戸惑いながらもなのはが合わせた。
しかし、その返答にはやてはチッチッチッと指を振る。
「それもあるけど、メインは文字通りの<営業>やな」
「え、他に何かあるの?」
「この場にはあらゆる界隈の資産家が集まっとるんやで? しっかり愛想振り撒いて、各々のアイドル性をアピールして来ぃ! 接待営業や!」
「「ぇえ゛っ!?」」
サムズアップして衝撃の事実を告げた部隊長に対し、二人の隊長は顔を引き攣らせた。
なんという無茶な命令。なのはとフェイトの心境は、不落の要塞の攻略命令を下された少数部隊の指揮官に等しい。
「は、はやてちゃん……それ本気?」
「機動六課が実験部隊なのは十分理解しとるやろ?
色々目ぇ付けられとるし、まだまだ立場も安定せん。こういった場所で、有力な権力者に覚えを良くとしといて損はないよ」
「でも、そんなのどうすればいいか……」
「深く考えんでええよ、フェイトちゃん。普段通り、無自覚なセックスアピールで成金中年の視線を惹き付ければええんや」
「ナニいい笑顔で酷いこと言っちゃってるのはやてちゃん!?」
「無自覚……アピール……」
予想もしない親友の発言を受けて、ショックで放心するフェイトの代わりになのはが食って掛かる。
「確かにフェイトちゃんは子供の頃から露出癖があったけど、最近はソニックフォームも自重してるし、バリアジャケットのデザインも落ちついてるんだよ!? もう弾けてはいられない歳なんだよ!」
「露出癖……弾け……」
「いや、でももう染み付いたM属性は変えられんやろ? 実は局員の極秘アンケートで、人気ナンバー1なんやで。性的な意味で」
「えむ……性的……」
二人の親友が抱いていた自分へのイメージが次々と明かされ、どんどん精神的なドツボに落ちていくフェイト。
なのはが我に返って自分の発言を省みる頃には、仲良し三人組の中でも何かとワリを食うことが多い彼女はかつての暗黒時代を髣髴とさせる虚ろな表情を浮かべて何かブツブツ呟いていた。
慌ててフォローするなのはを無視して、はやてはあくまで世知辛い会話を進めていく。
「まず第一にスマイル。適当な相手見つけたら、軽く挨拶だけでもしとくんやで?
ターゲットは夫婦連れ以外がええな。私らの顔はメディアで割れとるんやから、機動六課やってことを隠す必要はない。むしろガンガンアピールしとくんや!」
「まるでキャバクラだよ、はやてちゃん……」
「まあ、それに近いな。折角こんな肩丸出しの派手なドレス用意したんやから、有効に使うように」
「<何>を?」
「胸とか尻を。少しくらいセクハラされても騒いだらあかんで?」
「……ううっ、これも隊長の務めなんだね。スバルやティアナ達に、こんな辛い役割押し付けるわけにはいかないもんね」
涙を呑んで耐え忍びながら、なのはは大人の厳しさを受け入れていた。
華やかな魔法少女の活躍の裏側で展開されるドラマ。それがここにはある。
葛藤するなのはの肩を、虚ろな眼をしたフェイトが励ますように叩いた。
「なのは、耐えよう? 私も結構セクハラはされてきたけど、我慢出来たよ」
「って、フェイトちゃん本当にセクハラされてたの!?」
「二度目の執務官試験に落ちた時、試験官の人にホテルに誘われた時は本気でヤバイと思ったよ……フフッ」
「クソ! なんて時代だ……っ!」
「ごめん、フェイトちゃん。さっきの発言は迂闊やった。そんな管理局の裏話があったとは思わんかったわ」
そして、フェイトのダークサイドは意外と深かった。
なのははもちろん、はやてすらも大人としての汚れた階段を昇って成長した瞬間だった。
―――やがてフェイトも普段の調子を取り戻し、ホテルに配置した副隊長達や新人達への指示を話し合う真面目な会話が続き、そして終わる頃。
「い、いらっしゃいませっ!!」
明らかに音量と緊張感を増した受付の声が、異様なほど広くロビーに響き渡った。
その声にはやて達が視線を移せば、受付の男はもとより、周囲の従業員が総立ちで整列して頭を下げている。
そして、そんな彼らの奇行に対しても、周囲のオークション参加客達は騒ぐこともせず、ただ息を呑んで沈黙するだけだった。
萎縮するような静寂と緊張の中心に立つ一人の男を、はやて達三人は捉える。
「本日は、当ホテルにお越しいただき、まことに……」
震えを隠せぬ声を必死に搾り出す従業員を、いっそ憐れに思えるほど全く気にも留めず、その男は受付を素通りした。
その後に付き従うように、二人の護衛が続く。いずれも女だった。
「あれは……」
「参加者の中でも一番の大物やね。今回のオークションでは、高価な私物も幾つか出品してるとか」
身に纏った純白のスーツと肩に引っ掛けるようにした羽織ったコート。いずれも惜しみなく金をかけた高級品だったが、それらはあくまで男を飾る物でしかない。
周囲の人間を萎縮させているものは彼の持つ権威であり、スーツを押し上げる屈強な肉体とその全身から立ち昇る圧倒的な<強者の威厳>であった。
「<アリウス>―――大企業ウロボロス社の経営者であり、管理局認可の単独魔導師でもある男や」
あらゆる意味での<力>を備えた、凶相とも言えるアリウスの顔を見据え、自然と強張った表情ではやては呟いた。
紛れも無い重要人物であり、このホテルの人間全ての護衛を任とする機動六課にとっても留意すべき人物である。
しかしその雰囲気や、周囲の人間を気にも留めていない不遜な態度も含めて、三人の彼への印象は共通して厳しいものとなっていた。
ロビーを横切るように歩みを進めるアリウスは、自然と三人の横をすれ違う形になる。
そこでようやく、前を見据えていた彼の視線が動いた。
「―――ほう」
アリウスの視線が捉えたのはフェイトだった。
しかし、それは決して友好的なものではない。
浮かべたのは文字通りの冷笑。向ける視線の意味は僅かな興味であり、同時にそれは人間に向けるようなものではなく、まるで珍しい動物に向けるそれであった。
「……何か?」
警戒と共に身構えたくなるような気分で、フェイトは硬い声を絞り出した。
「貴様は、<テスタロッサ>か」
「そう、ですが」
アリウスが何故<フェイト>でも<ハラオウン>でもなく、<テスタロッサ>というミドルネームを呼んだのか、三人にはその真意が分からなかった。
ただ、嘲るような口調は確実に悪意を孕んでいる。
「そうか、お前『も』か。初めて見たな。興味深い」
「……何の話でしょうか?」
「なぁに、少々気になったのだよ」
訝しげなフェイトの表情を楽しむように鑑賞しながら、アリウスは懐から葉巻を取り出した。
風紀の類が徹底管理されているミッドチルダではあまり見ない嗜好品の類だ。
それらの仕草が一連の流れであるように、背後に就いた護衛の一人が動いて、淀み無く火を付ける。ライターではなく指先から生み出した火種によって。
魔法だ。
三人の眼には、その何でもない魔法がやけに印象強く残った。
その服装から背格好まで全く同じで、顔の半分をやはり同じデザインの奇怪な仮面で隠した二人の護衛の異様さと共に。
「―――君と私の部下、どちらの<性能>が上なのかと思ってね」
背後の護衛二人からフェイトへ、意味ありげに視線を往復させてアリウスは愉快そうに呟いた。
結局、その真意を問い質す前に、物言いに不快感を露わにする三人を無視してアリウスはオークションの会場へと歩き去っていった。
「なんというか……あの人、わたしは少し苦手かな」
「素直に腹立つって言ってええよ。フェイトちゃん、大丈夫?」
「うん、気にしてないよ」
案じるはやてに対してフェイトは笑って答えて見せたが、好色な視線とは違うアリウスの瞳を思い出して、僅かに背筋が震えた。
あの男は、自分を―――。
「大物には違いないんやけどな、黒い噂も絶えん人物や。管理局でも、一度違法魔導師として逮捕命令が下ったことがあるそうやし……結局、誤認やったらしいけど」
「そんな地位の相手に逮捕段階まで行っておいて、誤認で終わったの?」
「少なくとも事件の記録は、証拠不十分と実際に動いた部隊の先走りで終結しとる」
「……変に勘繰りたくはないけど」
「やっぱり、裏で色々動いとるやろうなぁ」
金とか権力とか―――。
はやては言葉の後半を自重して飲み込んだ。どれほど黒に近くとも、実際に口にしていい相手ではない。
「まあ、いずれにせよ私らには色んな意味で遠い人物や。注意だけ払って、下手に近づかん方がええよ」
「そうだね」
資産家には色々な種類の人間がいる。それを理解する程度には、なのはもはやても社会での経験は積んできた。
不快感を義務感で押し留め、はやてとなのはは振り切るようにアリウスが去って行った方向から背を向けた。
ただ一人、フェイトだけがもう見えなくなったアリウスと二人の護衛の後ろ姿を見据え続けていた。
「気のせい、かな?」
なのはとはやてにも聞こえない小さな呟きは、僅かな疑念を含み。
本当に気のせいだったのだろうか。
あの時、アリウスと二人の護衛が自分の前を横切った時―――右手の傷が疼いたような気がした。
魔法少女リリカルなのはStylish
第十二話『Black Magic』
ホテル<アグスタ>の地下駐車場の奥には、参加者の車両からは離れてオークション用の商品を積んだ輸送車が並んでいた。
大小様々なサイズのコンテナを搬入口から運び込んでいく。
その中でも成人男性でも入れそうなほど一際巨大なコンテナを、作業員が開いていた。
ウロボロス社のロゴが刻印されたコンテナから引き出された物を見て、作業員の一人が思わず小さな悲鳴を上げた。
「何ビビってんだよ」
「だ、だってよ……」
「仕方ないさ。こんな薄気味悪い物までオークションにかけようなんてよ」
コンテナの中に納まっていた物―――それは人形だった。
小さく折り畳まれてコンテナに入っていたものの、両肩を吊って持ち上げれば、力なく垂れ下がった両脚を含めて2メートル以上の全長を持つ巨大な操り人形だ。
風化した枯れ木のような骨組みで構成され、その上にボロボロの衣装を纏った姿は確かに年代を感じさせるが、それ以上に生々しい気配を放っている。
まるで人骨で作られているかのように錯覚する全容は、薄暗い地下で見るにはあまりに不気味だった。
「ウロボロス社の会長の私物だろ? いい趣味してるよな」
「コイツはサンプルとして会場に持ってくらしいけどよ、実際には同じようなのを30体くらい出展するらしいぜ」
そう言ってトレーラーの中を指差した仲間に促されて覗き込めば、同じサイズのコンテナが10以上積み込まれていた。
それら全ての中に、この不気味な人形と同じ物が折り畳まれて入っていることを想像すると、全身が総毛立つ。
「こんな不気味な物、欲しがる変態がいるのかよ?」
「金持ちの考えることは庶民にゃ分からんね」
「おい、さっき別のトレーラーで同じウロボロス社のコンテナの搬入手伝ったけどよ、そっちも錆びた処刑刀だの染みだらけのボロ布だのがギッシリ詰まってたぜ」
「ホラー映画でも作ってるのかよ、あの会社は」
物が物だけに談笑といえるほど明るい雰囲気にもなれず、ぼやくように会話をしながら彼らは出展用のハンガーへ人形を固定していく。
言葉を絶やさないのは、彼らの無意識に巣食う不安と恐怖を表しているようだった。
馬鹿げたことだと冗談のように内心の思いを笑っても、考えずにはいられない。
雑談を止め、辺りに沈黙が戻れば、その懸念が現実のものとなりそうな不安を、彼らは消すことが出来なかった。
ふと、その人形の精巧に彫られた虚ろな顔を見てしまった瞬間に子供のような恐れが湧き上がる。
まるで、本当に今にも動き出しそうに思えて―――。
「オークション開始まで、あとどのくらい?」
《Three hours and twenty-seven minutes.(3時間27分です)》
バッグのアクセサリとして待機モードでぶら下がっていたバルディッシュの答えを聞き、フェイトはロビーの吹き抜けを見下ろした。
事前の構造図も含め、既に現場の下見はほとんど終わっている。
オークションの会場となるホールから始め、出入り口や裏口などへ続くルートを歩いて確認しながら、フェイトははやての言う<営業>もなんとかこなしていた。
すれ違う客に社交辞令のスマイルと挨拶を無料で振り撒いていく。
時折向けられる男性の好色を含んだ視線も慣れたものだった。
しかし、そういった視線を自覚する度にロビーで向けられた全く種類の違う好奇の視線を思い出す。
アリウスがフェイトに向けた視線の意味。
あの冷たくも粘度を持った視線の意味を察すれば、背筋に寒気が走り抜ける。
アレは、人を見る眼ではない。まるで芸術家の作品を鑑定するかのような瞳だった。
あの時あの男は、自分を人間として見ていなかった。
「ひょっとしたら、私の事を―――」
知っているのだろうか? この身が、純血の人間では無いと。
10年前に決着を着けたはずの『自分に対する不安』が思い出したように頭をもたげてくる。
それを不屈の精神で抑えようとして、故に気付かなかった。自身の根幹に根差すこの不安を消すことなど出来ないのだということを。
生まれた瞬間に定められた運命は、死ぬ瞬間まで消えはしない。
友情や決意の中で薄れていったその重みを、ふとした時に思い出すのは決して避けられないことなのだと、フェイトは認めることが出来なかった。
そうして、己の思考に没頭して歩くうちに人気の無いホテルの裏口まで着いてしまう。
我に返ったフェイトは慌てて意味もなく辺りを見回した。
「迷子かい、お嬢さん?」
まるで自分の動揺を見透かしたかのように唐突に声を掛けられて、フェイトは思わず背筋をピンと伸ばした。
何も後ろめたいことなど無い筈なのに無意識に恐る恐る振り返れば、男が一人立っている。
貴族然とした紫色のスーツとコートを来た姿は警備員などではない。表情も微笑を浮かべ、リラックスしている。
それらを確認して、フェイトは内心で安堵のため息を吐いていた。
「はい。オークションの会場に行きたいんですけど、迷ってしまって」
「それでこんな所まで? 方向音痴なお嬢さんだな」
淀みなく言い訳を口にして、男もまた嫌味の無い笑い方で答える。
好感の持てる穏やかな物腰に、フェイトも思わず微笑みを浮かべていた。
男の口調は若さを感じさせる軽快なものだったが、どこぞの貴公子とも思える秀麗な姿はギャップがあって、奇妙なユーモアを感じさせた。
見事な銀髪を後ろに撫で付け、左目に嵌めた片眼鏡(モノクル)は黙っていれば随分と年上の印象を与える。
あのアリウスとは全く違う意味で人の目を惹き付ける男だった。もちろん良い意味でだ。
「だが、こんな見た目麗しいお姫様を放ってはおけないな。アンタには、こんな人気の無い場所よりダンスホールの真ん中を陣取ってた方が似合ってる」
大げさなようでいて決してお世辞の意味など含んでいない台詞を吐き、男はダンスに誘うように手を差し出した。
「壁の花にするには勿体無いぜ。よければ、俺にエスコートさせてもらえないか? お嬢さん(レディ)」
そう言ってウィンクする男の仕草は芝居染みたものなのに、ビックリするほど様になっていた。
妖艶な色気すら感じる仕草と言葉を前に、フェイトは頬が熱くなるのを感じながらも、これまで出会ったことの無いタイプの相手に対して魅力を感じてしまう。
「―――宜しいですか、紳士さん(ジェントル)」
そしてこちらも全ての男を虜にしてしまいそうな蟲惑的な笑みを無自覚に浮かべると、そっと手を差し出した。
手と手が触れた瞬間、フェイトの持つ傷が一瞬疼いた。
しかし、そこに伴う痛みは苦痛などではなく、何処か甘美なものだと錯覚すらしてしまう。それを痛みだと気付かせないほどに。
そうして歩いていく浮世離れした美男美女の二人を、すれ違う者達全てが羨むように見ていた。
オークション会場となるホールを見渡していたはやてとなのはの下へ男連れで戻ってきたフェイトに対する二人の驚きは、もちろん大きかった。
「……え? 何コレ? え、職務中に男引っ掛けて来よったよこの娘。え、ナニソレ? それは出会いの無い私への当てつけ?」
「はやてちゃん、さりげなく錯乱しないで」
何故か予想以上のショックを受けるはやてをなのはが正気に戻し、改めて苦笑を浮かべるフェイトと傍らの男に向き合った。
「ええと、フェイトちゃん。こちらの方は?」
「『迷って』裏口まで行っちゃってたところを助けてもらったんだよ」
なのはに目配せして、フェイトは口裏を合わせる意図を伝えた。
別に<機動六課>であることを隠す必要はないが、客の中に溶け込んで護衛をする以上、必要以上に身分を明かすこともない。
何より、彼の自然と心を許してしまう気安い物腰が、何となく『仕事を挟んだ付き合いでいたくない』という気分にさせていた。
まるでリズムを感じるような男とのやりとりが、名前すら交わしていないことを気付かせないほど心地良いと思えるからかもしれない。
会釈するはやてとなのはを見つめ、男は感嘆のため息を漏らして頷いた。
「驚いたね、美人の友達はやっぱり美人ってワケだ」
「お上手ですね」
「生憎とお世辞は苦手でね。綺麗な女を褒める時は、本音で語るのが一番さ」
「そこまでストレートに言われたのは初めて、かな」
「オークションなんて辛気臭いもの止めて、ダンスパーティーにするべきだな。是非踊ってみたいね」
「場所さえ改めれば、わたしも喜んで」
男となのはの間でリズミカルに言葉が投げ交わされる。
なのはにとっては慣れた社交辞令なのに、何処か小気味のよい会話だった。
話す事が上手いのだろう。気障な台詞や比喩を嫌味無く言えて、しかもそれが似合ってしまう。ある種の才能を持った男なのだと思った。
フェイトが感じたものと同じ新鮮さを、なのはもまた感じている。
その一方で、こういった会話を一番テンション高く楽しみそうなはやては、出会った時からずっと沈黙を保ったまま男の顔を見つめていた。
「そちらのお嬢さん。俺があんまりいい男だからって、そんなに見つめるなよ。穴が空きそうだ」
「―――あのぉ、何処かで会ったことありませんか?」
「おっと、まさか女性の方から口説かれるとは思わなかったぜ」
ナンパの常套手段とも言える台詞に対して男は苦笑して見せたが、はやては真剣な眼差しのまま答えを待っていた。
それに気付いた男は肩を竦めると、首を横に振って返す。
「いいや。残念だが、アンタと会ったことは『無い』な」
「そうですか……いや、でも確かにこんなええ男と会ったんなら例え10年前でもしっかり覚えてるはずやしな」
「ハハッ、なかなか正直に言ってくれるじゃねえか」
「そしてもちろん、私みたいな美少女を見て、忘れるはずもないですしね?」
「ああ、全く同感だね」
神妙に頷く男とはやては再び視線を合わせ、やがて堪えられなくなったように二人して笑い出した。
やはり、二人のテンションの高さは奇妙なシンパシーを得るに至ったらしい。
酷く自然なこの組み合わせを、なのはとフェイトは苦笑しながら傍で見守っていた。
放っておけば、このまま四人で飲みにも行けそうな和気藹々とした雰囲気だったが、生憎とはやて達三人には職務がある。
「―――さて、このまま潤いのある会話を続けたいところだが、ちょいと野暮用があるんでね。オークションもそろそろ始まる時間だ」
それをまるで察しているかのように、男がキリのいい所で談笑を切り上げた。
「貴方もオークションに参加するんですか?」
「いや、付き人みたいなもんだな。会場にはいるつもりだが」
「うーん、贅沢な付き人やなぁ。その雇い主さんは、ええ趣味してますね」
「俺もこういうのは苦手なんだがね。オークションが終わったら、今度は私的な再会を是非望みたいな」
「私もです―――それじゃあ」
「ああ、またな」
今度は社交辞令などではない、僅かな名残惜しささえ見せて、フェイト達はその男と別れた。
気が付けばお互いの名前さえ知らなかった。
それを後悔しながらも、切欠を思い出せば別段不思議ではないささやかな出会い。
しかし、それは三人にとってやけに印象に残る出会いだった。
知らぬうちに、三人が同じ再会を願う程に。
そしてそれは、すぐに現実の事となる。
三人の美女と別れたダンテは、この不本意な依頼に対して少しだけやる気を取り戻していた。
ホテルを徘徊する人間は、やはりダンテにとってあまり好かないタイプの成金ばかりだったが、幾つか気に入ったこともある。
まず第一に、レナードの用意した<仕事着>だった。
紫を貴重とした貴族のような服は彼の好むロックなデザインとは程遠かったが、黒だの白だののタキシードなどよりはるかにマシだ。コートのデザインも悪くない。
レナードに言わせれば、これでも仮装パーティーさながらの派手な格好らしいが、それを着こなすセンスと自負がダンテにはあった。
第二に、なかなか魅力的な出会いがあったことだ。
間違っても深窓の令嬢が訪れるはずもない俗物の集いだと思っていただけに、裏口で美麗な女性と遭遇した時は一瞬何かの罠かと錯覚するほどの衝撃を受けた。
思わず声を掛けて、建物の下見をしてこんな人気の無い場所を徘徊していた自分は随分怪しいのではないかと我に返った時にはもう遅い。
迷子のふりでもするか? と悩む傍で相手が似たような返答を返す。
自分のことを棚に上げて、そんな彼女がまともな令嬢などではないのだろうと疑ったが、しかしそれこそダンテにとってはどうでもいいことだった。
若い女。しかもそれが類稀なる美人となったら、無条件で味方をするのが男というものだ。
女性としては高い身長に、プロポーションもバッチリ。何より、あの長い髪がいい。金髪(ブロンド)は好みだ。
そんな彼女と連れ立って向かった先でも更に二人の美女と出会えた。
今回は珍しくワリの良い仕事ではないか?
あのケチな情報屋の手引きを柄にもなく感謝してしまいそうになる。
そして何より、第三に―――。
「退屈な時間になるかと思ったが、なかなかどうして……胸糞悪い空気が漂ってるぜ」
ダンテの持つ第六感が、慣れ親しんだ警鐘を鳴らしていた。
ロビーのシャンデリアと窓からの太陽光が明るく照らし、穏やかな静寂が満ちるこのホテルで、おおよそ想像もつかないような悪夢が生まれることを予見できる。
この場にいる人間達の中でただ一人、ダンテだけがそれを感じていた。
このホテルに潜む、複数の<悪魔>が放つ微細な気配を。
「観客が多すぎるな。派手なダンスパーティーになりそうだ……」
確信にも近い、地獄の幕開けを予感しながら、それをただぼんやりと幻視するだけで留める。
自分は預言者ではない。勘だけで危険を予感し、それをあらかじめ警告したところで執りあう者などいるだろうか?
<悪魔>などと騒ぐだけで狂人を見るような眼を向けるのだ。
人間は自分の理解の及ばないものを受け入れようとしない。見ることすら耐えられず、知ることにも恐怖する。
ならば、彼らが<悪魔>の存在を認める時は現実にそれが降り立った時だけなのだ。
ダンテは自分か、あるいはそれ以外かを嘲笑するように鼻を鳴らし、静かにオークション開始直前となった会場へと足を踏み入れて行った。
最後の参加者の入室を確認し、静かにホールへのドアが閉まっていく。
やがて、最後の扉が閉まり―――舞台開始の合図が鳴った。
人口の密集する喧騒を避け、豊かな自然の中に建てられたホテル<アグスタ>は周辺を森林に囲まれている。
車の通りが少ない車道を越えて、ホテルの一角を僅かに見上げられる程離れた場所に、その三人は佇んでいた。
「あそこか……」
「本当に、手を貸すの?」
一際大柄で服の上からでもその屈強な肉体が分かる男と、その男ほどではないにしろ長身で美しく若い女。そして、額に刻印を刻まれた少女。
親子とも連れ合いとも思えない奇妙な三人組が、人気の無い森の中で息を潜めるようにフードを被ってホテルの様子を伺う姿もまた奇妙極まりない。
「アナタの探し物は、ここには無いんでしょう?」
男と同じ鋭い視線を目的の場所へ向けていた女は、自分の左手を掴む小さな少女へ柔らかく問い掛ける。
少女はフードを取り、女を見上げて小さく頷いた。
悲しいことに、無垢なその顔にはおおよそ表情と呼べるものが浮かばない。
少女が年相応の反応を失って長い。少なくとも、その女の知る限りは。
「ゼスト」
気を取り直すように、女は傍らの男の名を呼んだ。
心得たようにゼストは頷く。
「ルーテシアは、何か気になるらしい。この子の感性は独特だ。無視は出来ない」
不満げな女を宥めるように説明すれば、合わせて少女―――ルーテシアもまたもう一度頷いて見せる。
目元をフードで、口元を襟で隠した女は、小さなため息で自身の納得と諦めを表現した。
「―――ルーテシアが自発的に動きたいなら、構わない。いくらでも付き合う。
でも、今回の事にあのマッドサイエンティストの余計な入れ知恵や小ズルイ催促はなかったの?」
「それは……」
自然と剣呑になる女の問いに答えようとゼストが口を開いた時、丁度話題の中心となる人物から通信が繋がった。
三人の眼前にホログラムのモニターが出現し、そこに映った人物を見て、少なくとも二人が不快感と警戒を露わにする。
一方は厳つい顔を更に引き締め、もう一方は柳眉を鋭く吊り上げることで。
『ごきげんよう。騎士ゼスト、ルーテシア、そして―――』
通信先の人間―――スカリエッティが自分の名前を呼ぶ前に、女は無言で顔を背け、背まで向けた。
拒絶を超えた敵意故にであった。
取り付くしまもない仕草に、スカリエッティは愉快そうに忍び笑いを漏らす。
「ごきげんよう」
「何の用だ?」
相手にもしない一人に代わって、残りの二人が抑揚の無い声と素っ気の無い声で応える。
『彼女も君も冷たいねぇ。随分と嫌われてしまったものだ』
「さっさと用件を言え。その彼女の機嫌はお前の話が長引く度に悪くなっていく。モニター越しに斬られたくはないだろう」
『ははっ、本当に在り得そうで恐ろしいなぁ』
この不穏な会話を、スカリエッティだけが純粋に楽しんでいた。
苛立ちも悪態も見せず、全くの無反応を貫く女の背中を一瞥して、彼はようやく観念したかのように本題を切り出した。
『事前の打ち合わせ通り―――そろそろ行動開始の時間だ』
意味深げなスカリエッティの台詞を聞き、ゼストはもう一度ホテルに視線を向けた。
変わらぬ姿で、そこは静寂を保っている。
「もうホテルの襲撃は始まっているのか?」
『確認は出来ないが<彼>はもう内部に入っているし、今は丁度オークション開始予定時間だ』
「協力する相手と連絡すらまともに出来ていないのか」
『<あの男>とはあくまで利害関係による繋がりだからねぇ。申し訳ないが、今回我々は受身だ。
内部で動きがあると同時に、こちらもガジェットを向かわせる。後は―――分かるね? ルーテシア』
「うん、分かった」
『良い子だ』
自分ではなく、あくまでルーテシアに話を振って了承を得ようとするスカリエッティの小賢しさに、ゼストは不快感を隠せなかった。
この男は、ルーテシアの意見を自分と彼女が無碍に出来ないことを理解して、そこに漬け込んでくる。
何よりも厄介なのは、このどれほど疑っても足りない胡散臭さを形にしたような狂人を、ルーテシアが意外と好ましく思っているという事だった。
今のゼストが抱く感情は、娘が軽薄な男と付き合いながらもそれを説得して止める術を知らない親が持つ苛立ちに酷似している。
そして、そこに殺意を加えたものが、背後の彼女がスカリエッティに抱く感情だ。
「……今回は特別だ。現場にも近づかない。
我々とは、レリックが絡まぬかぎり互いに不可侵を守ると決めたことを忘れるな」
せめてもの抵抗として、ゼストはモニターの先の薄ら笑いを睨みつけながら釘を刺した。
『ああ、もちろんだとも。それを踏まえて、ルーテシアの優しさには深く感謝しよう。
ありがとう。今度是非、お茶とお菓子でも奢らせてくれ。もちろん、他の二人も―――』
「話は終わりだ。消えろ」
高速の一閃が、文字通りスカリエッティの台詞を途中で寸断した。
空中に照射されていたホログラムを、電子的な手順を踏まずに鋼の一撃によって真っ二つに切り裂く。モニターを形成していた粒子が霧散し、通信は『消滅』した。
ルーテシアでなければゼストの仕業でもない。
思わず二人が振り返れば、そこには変わらず背を向けたまま佇む女の姿がある。
一体、何をどうやったのかは分からない。しかし、会話を切り上げた冷たい声は間違いなく彼女のものだった。
「……<ルシア>」
僅かに咎めるような感情を含み、ルーテシアは彼女の名前を呼んだ。
ルシアは苛立ちに任せるように、フードを取り払う。
そして美しい肉体に吊り合った美貌が姿を現した。
燃えるような赤い髪を一房の三つ編みにして肩から前へ垂らし、褐色の肌を持つしなやかな女戦士は、少女の抗議に対して小さく鼻を鳴らして見せる。
「いつまでも長々と話してるからよ。あの男の会話の7割は無駄話なんだから」
「だからって斬らないで。<アスクレピオス>の通信機能が壊れる」
「ゴメンなさい。でも、アナタの為でもあるのよ」
「わたしは、ドクターとお話しするの、そんなに嫌いじゃないから」
「ああ、ルーテシア。アナタの男の趣味だけが将来の不安だわ」
「どういうこと?」
決して穏やかではないが、ルシアのルーテシアに対する態度は先ほどのスカリエッティに対するそれと比べて全然柔らかい。
まるで妹に接する世話焼きの姉のようだ。
事実、ゼストの知る限り二人の関係は<姉妹>が一番近い表現であった。
普段は女である前に戦士であろうとするルシアの物腰の変化も、これでは苦笑を浮かべずにはいられない。
険悪なやりとりの後で、束の間穏やかな空気が三人の間に流れていた。
「……それじゃあ、そろそろ始める」
しかし穏やかな時間はすぐに終わり、憂鬱な時間が始まる。
少なくともゼストとルシアにとって、この少女が自らが行おうとしている所業に何の感慨も感じないまま闇に手を染めるのは憂鬱以外のなにものでもない。
コートを脱いだルーテシアは両腕のグローブ型デバイス<アスクレピオス>を起動させる。
「吾は乞う、小さき者―――<群れる者>」
ルーテシアの囁く詠唱に呼応して、足元に闇が生まれた。
それは比喩などではなく、滲むように広がる虚ろな黒い染みだった。
ベルカ式でもミッドチルダ式でもない。はっきりとした術式すらなく、故に魔方陣さえ発生しない。魔法の<行使>というより<現象>のような出来事。
文字通りの<黒い魔法>は、人におぞましさを与える光景を、少女を中心にして繰り広げる。
「言の葉に応え、我が命を果たせ。召喚―――」
ルーテシアを中心に広がった、暗黒の湖畔から湧き出るように奇妙な煙が立ち昇った。
目を凝らせば、それらが微細な黒い粒の集合によって形成された煙だった。
「<スケアクロウ>」
そして、その粒の一つ一つが肉眼ではハッキリと確認出来ないほど小さな未知の甲虫であった。
無数の虫が群れ、煙や霧としか認識できない黒い塊となって甲虫は動き始める。
地を這い、空を舞い、何かが擦れるような無数の奇怪な音を波立ててソレは移動していった。
真っ直ぐに、ルーテシアの視線の先―――ホテル<アグスタ>へと向けて。
「……ゼスト。ルーテシアをお願い」
人が扱ってはならない禁忌の魔法を目にしていた二人のうち、おもむろにルシアが告げた。
口元を隠し、再びフードを被り直して、トランス状態で魔法を行使するルーテシアの横顔を一瞥する。
その視線には、先ほどまでの純粋な暖かさは無い。複雑な迷いを含んだ感情が渦巻いていた。
「行くのか」
「戦闘の混乱の中で目標物を奪うのが目的なら、戦いは見せかけだけでいい。人死には極力避けたい」
「そうだな……会場内部には手を出すな。そこから先は、警備と運に任せておけ」
「私もそこまで善人じゃない」
ルシアは剣呑な視線と冷笑を浮かべて見せた。
しかし、彼女の心に冷酷な犯罪者とは無縁な正義の心と見知らぬ他人であってもその死を悼む優しさがあることを、ゼストは知っている。
そして何よりルシアとゼストの二人には、幼いルーテシアが無自覚に人を傷つけ、殺すことを防ぎたいという意思があった。
彼女が呼び出し、使役する存在は嬉々として人の命を飲み込むのだ。
奴らが生み出す闇に、何も知らぬ少女まで引き摺り込ませるわけにはいかない。
いずれ彼女が本当の人生を取り戻し、自らの罪を自覚した時に、その重みが少しでも軽くなるように。
「それに―――」
言い淀み、ルシアはルーテシアの足元に広がる闇の世界へと繋がる扉を見下ろした。
「私にとって、やっぱり<悪魔>は敵だ」
完全な敵意を吐き出して、ルシアは走り去っていった。
戦場となる場所へ駆けつける戦士の背中をゼストはいつまでも見送り続ける。
ルシアとは別に、彼の中にも複雑な想いが宿っていた。
ルーテシアとルシアも含む、娘同然に想う二人の少女が歩む不遇の人生とその将来を案ずる気持ちだった。
<悪魔>と縁を結んでしまった少女と、その<悪魔>を憎む少女。いずれも闇に関わりを持ってしまった故に平穏な日々から抜け落ちてしまった。
若い彼女達には未来がある。
しかし、その輝かしい未来に、もはや既に黒い染みは付きつつあるのだ。
全てをリセットして普通の人生をやり直すなんてもう出来ない。今後の人生で引き摺っていかねばならない経験を、二人の少女はしてしまった。
それが痛ましくてならない。かつて、そんな人の未来を守る為に自分は戦っていたというのに―――。
「所詮、私は悪魔に魂を売った死人か」
無力な己を嘲りながらも、ゼストは祈らずにはいられなかった。
「……神よ。願わくば、地獄に落とすのは私だけにしてくれ」
全ての罰は魂を抜かれたこの身に。
彼女達にせめて未来を返してくれたのなら、この生ける屍は喜んで地獄に落ちよう。
彼女達の人生を狂わせた闇の住人達を共に引きずり込み、本来在るべき場所へ再び封じてやる。
戦士の悲壮な覚悟を嘲笑うように、視線の先にあるホテルからは黒煙が上がり始めていた。
地獄が始まる。
『お待たせいたしました。それでは、オークションを開催いたします』
開始を告げるアナウンスは予定していた時間通りに流れていた。
客席から起こる拍手の中、二階からホールを一望しているなのはとフェイトは思わず安堵のため息を吐き出す。
警備はオークションが終了するまで続くが、とりあえず事前に問題が起こることはなかったのだ。
警戒していた何らかの襲撃の可能性が一つ減ったことは彼女達の緊張の糸を一本解してくれた。
「とりあえず、出だしは順調だね」
「このまま、何事も無く終わればいいけど」
なのはの安堵にフェイトが水を差すように告げたが、その声に張り詰めたものはない。
元より確定した襲撃の可能性や、列車襲撃時のような現在進行形の緊迫感はない任務なのだ。
油断は無くとも、二人には余裕があった。
『―――ではここで、品物の鑑定と解説をしてくださる若き考古学者を紹介したいと思います』
なのはとフェイトが見守る中、会場に設けられたステージに一人の青年が登場する。
その青年の姿を見て、二人は思わず目を白黒させた。
『ミッドチルダ考古学士会の学士であり、かの無限書庫の司書長―――ユーノ=スクライア先生です!』
万雷の拍手を浴びてステージに現れたのは、二人にとって幼馴染であり親友でもある人物だった。
意外な場所での再会に、なのはもフェイトも言葉を失う。
停止した思考の代わりに感情がまず何よりも純粋な喜びを湧かせてくれた。
「ユーノ君……」
「なのは、この事聞いてた?」
「ううん、初めて知ったよ」
なのはの声には隠せない喜びと高揚がある。
お互い、昔のように簡単に会えるほど自分の立場は軽くはない。
結んだ絆は切れはしないが、それでも少しずつ距離は開いていくような気がして、そのことに諦めも感じ始めていた。
六課の発足で忙しくもなり、そんな寂しささえ忘れかけていた時に、このサプライズだ。
もちろん仕事のことは忘れない。でも仕事が終わったら? 別にちょっと話したり、食事の約束をつけるくらいはいいんじゃない?
珍しく興奮する親友を見て、フェイトは苦笑した。
「今日は久しぶりに四人で話せそうだね」
「うんっ。はやてちゃんも、早く戻ってくればいいのに」
「配置の指示、遅れてるのかな?」
ホールの外で、現場のシャマルやオペレーター達と情報を確認し合っているはずのはやてを思い出す。
出入り口を一瞥すれば、そこはまだ閉ざされたまま誰も訪れることはなかった。
そうしているうちに、ユーノらしい堅実で当たり障りのないスピーチは終わり、いよいよオークションが始まる。
『まずは出展ナンバー1とナンバー2の商品。かの有名なウロボロス社のアリウス氏から提供された由緒ある逸品です』
司会の言葉と共にステージの奥から防護ガラスのケースに納められた品物が運び込まれ、ホールに客のどよめきが低く流れた。
それは感嘆と―――畏怖によるものだった。
「なんだか……少し気味の悪い品だね」
「うん」
なのはの呟きは、客のほとんどが感じている感想の一部を端的に言い表していた。
ステージに運び込まれた品物は、いずれも歴史と風格を感じる、古い一本の剣と一体の人形だった。
絡み合う蛇の装飾が施された異常に長い剣も人を殺める武器としての不気味な迫力を放っていたが、何より人形の方が一際異様だった。
実際は木製のようだが、表面に滲んだ得体の知れない染みと着せられた血のように赤い衣服。そして虚ろな空洞を瞳にした顔が、無機物に生気を宿らせている。
ハンガーに固定されたその姿は、磔にされた罪人の遺体を連想させた。
薄ら寒い不安を感じさせる様は、確かに見る者によっては骨董品としての意趣を感じさせるかもしれない。
しかし、少なくともなのはとフェイトにとって、その人形は悪趣味を超えた怖気を感じるものだった。
『……これは、かなり見事な品物ですね。少なくとも、経過している年月はかなり古い物です』
ユーノもまたその違和感を感じたらしい。
しかしもちろん、アリウス本人が何処かにいるはずのこの場で下手な発言はせず、鑑定に集中している。
『こちらの剣は柄に銘が掘られています。名前は<マーシレス> 材質はほとんどが鉄のはずですが、不思議なことに刀身などに劣化が見られません。
しかし、魔力反応もほとんど無く、武器としては極めて原始的な―――』
ガシャン。唐突に、ユーノの言葉を遮る音が響いた。
その音の発生源を、誰もが正確に見つけることが出来た―――人形の入ったケースだ。
小狭いケースの中で、文字通り崩れ落ちるように人形がハンガーから外れ、関節を奇怪な方向へ曲げて蹲るように倒れていた。
「お、おい! 何してるんだ、早く元に戻せ!」
オークションの流れを寸断するに足る思わぬ失態に、ステージの脇に控えていた作業員は顔を青くして動き出した。
自分達にミスはない。しっかりと固定したはずだ。そんな不可解な思いを分かりやすく表情にしながら、数人が慌ててステージの中心へ駆け込んでくる。
誰もがユーノの解説に聞き入って視線を剣の方へ集中させていた為に、誰もが気づくことはなかった。
枯れ木のような見た目通りの軽い重量では決して起こり得ない、その人形がハンガーの固定から外れて倒れた原因に。
「痛っ」
フェイトの手に痛みが走る。一瞬だけ。右手に。
広げた手のひらに視線を落としたフェイトは目を見開いた。
古傷を覆い隠す白い手袋から、ゆっくりと広がるよう赤い染み。滲み出るそれが血ではなく、黒い闇のように錯覚する。
慣れ親しんだ痛みが、フェイトの脳裏に激しく警鐘をかき鳴らした。
これが意味するものは―――。
「……っ! 全員その人形から離れろォ!!」
全力で不吉を告げる勘のまま、フェイトが絶叫した。
惨劇の始まりを目にしたかのような切迫した叫びに、誰もが驚き、身を竦ませ、声の方向へ視線を走らせて―――皆が本来注意を向けるべき存在を理解していなかった。
《GYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA―――!!》
甲高い悲鳴が、その場にいる人間全ての鼓膜と精神を揺るがした。
それは確かに<悲鳴>に違いなかった。
生きた人間が上げるようなものではない。この世の生きる者全てを妬み、恨む、あるいは<悪霊>と呼べるような者達なら上げられるような呪われた叫びだった。
その声の発生源を囲ったガラスケースは激しく振動し、やがて耐え切れずに内部から破裂して無数の破片を客席にぶち撒ける。
客が降り注ぐガラス片に悲鳴を上げる中、自由になったソイツはゆっくりと起き上がった。
―――糸の無い操り人形(マリオネット)が、見えない生命の糸に吊り上げられるように。
「こ、これは……?」
「ユーノ、ソレから離れてっ!!」
誰もが逃げることすら出来ずに硬直する中、全力で自身に働きかける危機回避本能に従って後退るユーノと、それ以上の意志の強さでフェイトが動いた。
二階の客席から一階まで飛び出し、持ち前の運動神経で無理なく着地を決めると、ステージに向かって一直線に駆けつける。
デバイスの補佐なくしては追随出来ない彼女の動きを、なのはは一瞬見送ることしか出来なかった。
ドレスの裾を振り乱すのも構わずフェイトは駆ける。
少なくとも人間以外の生命と意思が宿った人形は、自力ではない何者かに操られるような不自然な動きで歩みを開始した。
その不幸な行き先には、ユーノがいる。
フェイト以外の誰もが、ホラー映画の中の人物のように目の前で惨劇が起ころうとしながらも凍りついたように動けなかった。
画面越しの演出された恐怖とは違う現実の恐怖が、彼らの心を鷲掴んで動くことを許さないのだ。
「フェイトちゃん! ユーノ君ッ!!」
なのはには身を乗り出し、何かに祈ることしか出来なかった。
ユーノの眼前で人形は懐から錆びた短剣を取り出し、虚ろな殺意を持ってそれを振り上げた。
怨嗟の雄叫びも、狂気を含んだ哄笑も無く、ただ無機質に殺人が行われようとしている。
それを止められる者はいなかった。
ただ一人、フェイトを除いて。
「ユーノォ!」
美しいだけではない力を秘めた俊足で、フェイトはその致命的な瞬間に間に合った。
ステージに駆け上がり、短剣が振り下ろされる瞬間にユーノを押し倒すようにしてその場から離す。間一髪、その空間を錆びた刀身が空しく切り裂いた。
「フェイト!? どうしてここに……っ!」
「話は後! 奥に下がって、すぐに逃げて!!」
唐突な再会を驚く暇すら与えず、フェイトは立ち上がって再びこちらへ視線を向ける人形を睨み付けた。
先ほどと異なる点は、その人形がユーノではなくフェイトに狙いを変えたことだった。
「バルディッシュ、セット……ッ!?」
すぐさま戦闘体勢を整えようとデバイスに呼びかけるフェイトの声を、またもやあの呪われた声が遮った。
人間を模した人形の口が開き、その奥からおぞましい音が響き渡る。それは口というよりも蓋や扉が開くようなイメージを抱かせた。
耳を覆いたくなるような奇声がフェイトの鼓膜を震わせ、脳が揺れ、背筋に悪寒が走り抜けて気分が悪くなり―――そしてようやく気付いた。
「か、体が……動かないっ!?」
見えない糸のようなものが全身に絡みつき、体の自由を奪っているのが感じられた。
強張る筋肉とは裏腹に激しい脱力感が襲い、フェイトは空中へ吊り上げられる。
まるで自分が操り人形になってしまったかのように錯覚する。自分の意思では全く体が動かせない。
バインドとも違う未知の金縛りに陥ったフェイトは、短剣を振り上げる人形を睨みつけることしか出来なかった。
人形の顔の空洞に宿った、血のように赤い眼光を必死で睨み返す。
親友の危機に、ユーノが硬直した体の戒めを破壊して、なのはがデバイスを発動させながら飛び出す。
しかし、そのどれもが間に合わない。
無慈悲な刀身は振り下ろされ、白い肌が鮮血に染まる未来が確定しかかった時―――その男は間に合った。
「ィィイヤッッハァァァーーーッ!!」
景気付けるような雄叫びと共に人間ロケットが飛来した。
ユーノの防御魔法よりも、なのはの攻撃魔法よりも速く、彗星の如く飛び込んできた第三者の両脚がフェイトを襲う人形を吹き飛ばす。
硬いブーツの靴底を顔面に直撃させ、ステージの壁に激突した人形は、関節を滅茶苦茶な方向へ曲げて崩れ落ちた。
すぐ傍で呆然としていた司会者がようやく我に返り、奇声を上げて後退る。
誰もが息を呑んだ惨劇の中へ乱入した―――プロのリングでも通用するような華麗なドロップキックを決めた男は、その場の視線を全て受けながら立ち上がる。
「ア、アナタは……」
人形が倒れると同時に金縛りから解放されたフェイトは、酷く覚えのあるその長身を見上げた。
紫色のコートが翻る。
振り返った男の顔には、悪夢に迷い込んだのではなく自ら飛び込んでみせた自信と戦意が滾っていた。
男は笑った。初めてフェイトに会った時、彼女に見せたように。
「―――よお、ベイビー。また会ったな。これだけ短い時間で再会出来たんだ、こいつは運命だと思っても構わないだろ?」
冗談交じりにそう言って、ダンテは不敵に笑った。
「綺麗なだけじゃなくガッツもある。いいね、ますます好みだ」
「……っ! 逃げて!」
「そういう無粋な台詞は釣れないぜ」
再び緊迫感に満ちた視線を自分の背後に向けるフェイトを苦笑して、ダンテは振り返りもせず、背後に向けて魔力弾を撃ち放った。
コートの裏から滑るように抜き放たれたデバイスは、立ち上がろうとする人形の顔面を正確無比に捉えて、一撃で顔面を吹き飛ばす。
頭を失った人形は支えを失ったかのように文字通り崩れ落ちてバラバラになった。
「銃型の、デバイス……」
「怪我は無いみたいだな。そっちの先生も大丈夫かい?」
「え? ええ、大丈夫です」
余裕すら持って、呆気にとられるフェイトとユーノをダンテは気遣っていた。背後で消滅する人形の残骸になど目もくれない。
バリアジャケットを纏って援護しようとしたなのはも、ただ呆然としていた客も、誰もがこの突然現れた謎の男を見ることしか出来なかった。
奇妙な静寂に包まれるホールを、ダンテはステージから一通り見回す。
何かを探るようなその視線を訝しげに思いながら、フェイトは意を決して話しかけた。
「あの……」
「助けた礼なら後でいいぜ。半分は仕事で、半分は俺のポリシーさ」
女性には優しくな。
悪戯っぽくウィンクしてみせる仕草に性的な魅力を感じて、フェイトは思わず頬を赤らめた。感情とは関係ない、若い女ゆえの反応だ。
しかし、管理局員としてこの疑問を蔑ろにするわけにはいかない。
「アナタは、何者なんですか?」
「そう、いい男にはそういう質問をするのがいいぜ。だが、自己紹介は後回しだ」
ダンテは軽口を叩きながらも、もう片方の手で二挺目のデバイスを取り出した。
既に、その眼光は穏やかさを失い、鋭い戦士のそれへと変貌している。
その意味を理解したフェイトが、同じく警戒を露わにして周囲を睨み付けた。
いつの間にか再び感じる右手の痛み。
「―――来るぞ」
ダンテの呟きがまるで予言であったかのように、異変は起こった。
誰もが予兆を感じることが出来た。
全身に覚える未知の悪寒。人間の持つ本能的な恐怖は彼らに警告し、そしてそれが全くの無駄であるかのように退路は塞がれる。
ホールから外部に繋がる全ての扉を覆うように、真紅の結界が発生した。
表面に幾つもの苦悶の表情を浮かび上がらせたその壁は、呪いのように扉が開くことを封じる。
もはや誰一人としてこの場から逃げ出すことが出来ないという現実を人々が理解するのは少し後の話。
ダンテ以外の誰もが閉じ込められたことすら気付かない閉鎖空間の中で、次々と悪夢が具現化し始めた。
ホールの各所で悲鳴が上がる。
そこへ視線を走らせれば、見たことも無い魔方陣が発生し、それを<穴>として先ほどの操り人形と同種の存在が次々と現れ出始めていた。
「これは召喚!? それとも、違うの……!?」
未知の現象に戸惑うなのはは、それでも事態の把握だけは正確に行っていた。
あの人形は全てが間違いなく敵だ。
標的はユーノ? フェイト? それともこの場にいる人間全て?
いずれにせよ最悪の事態が始まりつつあった。混乱し始める多くの客を一望し、それら全てを守りきることへの絶望感が湧き上がる。
やらなければ。だが、出来るのか―――?
「そこの勇ましいお嬢さんは、このホテルの護衛に来てるっていう時空管理局の人間か?」
戦う意思を固めたなのはを、この場では不釣合いなほど気安い声が呼んだ。
視線を走らせれば、既視感を感じさせる珍しい二挺拳銃のデバイスを持ったあの男が不敵な笑みを浮かべたまま悪夢の発現を見据えていた。
「そ、そうですけど」
「なら客の護衛を頼むぜ。避難誘導はやめとけ、あの人形どもを倒さない限り、もうここからは誰も出られない」
「アナタは一体……」
「質問には、このバカ騒ぎが終わったらプライベートなことも含めて答えてやるよ」
彼は昂然と<敵>を睨み付けた。
その両手が華麗な舞を見せ、二挺の銃が優雅に、優美に宙を踊り狂う。
悪魔が取り憑いたかのような人形の群れと人々の阿鼻叫喚。その狂ったステージで、彼のパフォーマンスは驚くほど冴え渡っていた。
なのはが、フェイトが、ユーノが―――その場で冷静な者全てが、場違いな光景に釘付けになった。
回転する銃身が上質なタップダンスのように彼の周囲を跳ね回る様。
なのはの脳裏に連想して浮かぶものがあった。
「……ティアナ?」
信じ難い呟きは誰にも聞こえず消えていく。
壮絶な銃の舞はクロスしたダンテの腕の中で終了した。
「子供の頃から古臭い人形劇ってのは嫌いでね。どうせ見るなら爽快なアクション映画だ。そうだろ?」
誰にとも無く軽口を叩くダンテの元へ、ステージの裏からも複数の人形がにじり寄って来た。
最初の人形と同じように、搬入されたコンテナの中に居たモノが自ら動き出したのだ。
なのは達が四方八方に警戒を走らせる中、悪夢の出現は止まり、悲鳴を上げる人々を囲い込むように悪夢の出演者が入場を終える。
地獄の舞台は整った。
その中心に立つ男が告げる。
「さあ、始めるとしようぜ」
「……アナタは、魔法が使えるんですね?」
その男の正体を後回しにして、今はこの事態を共に切り抜ける為に戦いの意思を確認するフェイトへ、ダンテは鼻で笑って見せる。
「―――魔法だって? ハッハァ、銃(こいつ)を喰らいな!!」
周囲の<悪魔>どもに向けて、ダンテはいつものように銃をぶっ放した。
to be continued…>
<ダンテの悪魔解説コーナー>
マリオネット(DMC1に登場)
綺麗な人形に悪霊が宿って動き出したなんて話は良くあるよな?
殺人鬼の魂が宿った人形のホラー映画まであるくらいだ、人の形をした物に何かの自我が乗り移るという概念は珍しくはない。
だからこそ、人は分かりやすく恐怖する。そんな負の感情を利用しようと人形を媒介にして現れたのがこの悪魔だ。
悪魔狩人としちゃ、相手にする弾丸も勿体無い雑魚中の雑魚だ。誰もが考えるからこそありふれた悪魔だと言える。
その名のとおり外部からの力で操る仕組みのせいか、人形自体の耐久力も媒介になった物そのままだ。ちょいと手荒に扱えばすぐにぶっ壊れちまう。
ただし、その非力を補う為か短剣や銃まで使って戦い方を工夫する賢い奴も中にはいやがる。ありふれているからこそ、時代に合わせる柔軟性もあるってワケか。
そして、中でも<ブラッディマリー>と呼ばれる、自分の服を襲った人間の血で染めた赤い人形は曲者だ。
黒魔術などでも用いられる通り、血液ってのは魔力や呪いを秘めている。
その忌まわしい力が、人形に宿った悪魔まで強化しちまうんだ。人間の負の部分を力にする悪魔ってのは、やはり胸糞の悪い存在だぜ。
殺された人間も、勝手に乗っ取られた人形も、これじゃあ浮かばれない。
徹底的に破壊してこの世から消滅させてやるのが、そいつらにくれてやれる手向けって奴だろう。
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最終更新:2009年02月16日 00:38