烈火の恋歌 

~夢路~




「…では」

……さらばだ

 シグナムは少しだけ最後に少しだけ微笑み、背を向けた
その背にややあってベナウィの声がかかった

「…最後に…最後に、一つだけ言わせて下さい」


 シグナムは強いて振り返らなかった、静かに語るベナウィの言葉をその背に聞きながら、だが少しずつ歩み始めていた

 ざっざっざっざ…その歩みはやがて走りだし、夜の草の野を駆け出し、そして宙に舞い上がった
満月の空に舞い浮かぶ愛する人の孤影を眩しくベナウィは見上げていた

 「ありがとう…感謝しています、私は…」

 ベナウィはむなしく口を2,3開閉させ夜空を見上げた、まだ間に合う、それは言える
だができなかった、もう、彼女には帰るべき場所と理由があり、私には守るべき国と約束があった
言葉とは…何と陳腐なものでしょう…いや、所詮私は…無骨な武人に過ぎないのでしたね…

「…かつて我が主は私に使命を
               …そして貴女は…    今また…私の生に意味を与えてくれました」

 ありが…とう…
もう一度ベナウィは呟いた




 馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿 馬鹿だ、男はみんな馬鹿ばかりだ



「はぅ…ぁっ…ぅ……うぅ……うっ…ひっ…ぐ……」

 飛びながら、シグナムの顔は泣き顔でくしゃくしゃだった、澄み渡る夜空、視界が朧に霞む
ゆるやかな民族衣装が風にはためきポロポロと涙が散って後方に飛んで行く

 一瞬シグナムは光輝き、その身を騎士甲冑に包んでいた
何かを振り切るようにシグナムはさらに速度を上げた、主の危機を救うために、その愛する世界を守る為に行かなくてはならなかった
「例え…ぁっ…っ…ぁ…でも……この身を炎に焦がそうとも……だけど…だけど…!」

 風を切り飛ぶ、言葉にならない叫びが喉から上がってくる、嗚咽を飲み込む、そして、ずっと遠くに
懐かしいリンカーコアの反応が彼女を待っているのを感じた










 遠ざかる小さな焔の破片が夕闇に消えて行く

ベナウィは今やただ一人、ぽつんと草原に佇んでいた

 夜風が草を撫で海鳴りのような音を鳴らした
どうにもならない事だと理解はしていた、いつかこんな日がくる事を解っていた気がする

あのシグナムに良く似た雰囲気の女性達が王都に降り立った日から
…だが取り返しの尽かない決断をしたという思いは消えない…消えようもない

 本当に今一人海原に置き去りにされた幼子のような心細さを感じて苦笑した、どうしようもない
「馬鹿ですからね…」ぽつりと言葉が漏れた「私は…」
そっと胸の子を抱き直す、男にしては長い前髪がかかり揺れた、ぼそりぼそりと呟く

「…かつて……我が主は地の底に沈み、そして今また…我が愛する人は天の彼方へ去りましたか…これは業…
                    私のやってきた事への報い…そういう事…なのでしょうね」

 胸の子が少しぐずり目を開けた、ベナウィは指先でそっとあやした

「…ええ…不甲斐無い話です…一人の女性すら幸せにできませんでした…アナタの父としても…大変…申し訳無く…」

 どうもそこから先の言葉が上手く続かなかった

 ベナウィは黙って小さく首を振った、その肩が小さく震えていた
不思議そうにその小さな瞳が見上げていた、赤子の頬にぽたぽたと暖かい水滴が落ちてきていた、月光の輝く夜
その父の表情はその子には逆光でよく見えなかった]










 風が明るく晴れ渡った草原を吹き抜けた
しゃがみこんでいた少女の後ろで束ねられたダークブルーの髪をなびかせた

お嬢ぉ~…!

「ん?」

 遠くから聞こえる声に顔を上げた
引き締まった肢体は少女が女性になりかかっている事を示す柔らかな稜線で柔らかく縁取られていた
切れるような眼差しを伏せ、併せていた手を離し立ち上がったその少女はこの『亜人間』の世界にあっては
本来存在しない姿で獣の耳も尾もなかった、それは彼女の母親の形質の遺伝のせいである

ガチャリと腰のものが鳴った彼女の年齢にはまだ少しだけそぐわない大降りな異国風の長剣だ

 少女をお嬢と呼ばわった太い声の主がずんずんと草を掻き分け少女の居る開けた土の場所に近づいてきた
はぁはぁと息を継ぐその男は、中年から初老に差し掛かっただが歴戦を思わせる面構えの男だった
流石に少女の傍らに立つとようやくという感じで息を継いだ

「クロウか、おまえももう若くないのだから、だからあまり無理をするんじゃないぞ」

 腕を組み、少女は涼しい顔で応じた、そんな少年ぽい仕草ですら健康的な女性特有の屈託の無い可愛さがある

「ク…、ぜぇぜぇ…クロウかじゃないですよ、勘弁してくださいお嬢…
      …貴女の身に何かあったらオレぁ、大将とあの人になんて申し開きしたらいいか…」

「父上と、…母上か」


少女は足元の二つの小さな墓標に目を落とし、次いで暫時空を見上げた、青いそらに雲が流れていた

「………」

「…お嬢?」

呼ばれた少女は母親譲りの青い瞳で同じ色の空を見つめしばらく無言だった

「クロウ…私の母上はな…生きているのだ…」

「…お嬢?…それは…」

「生きているのだ…この空の向こうで」

視線を落とし二組の石組みを見つめた


 小さい時から物静かで優しい眼差しの父の膝で、その背に負ぶわされ聞かされた
お前の母上は…ウィツァルネミテア、オンヴィタイカヤン…あるいはこの父も知らぬ…
 …神々の世界から来た天女だったのですよ…と

(残念ながら父はその天女に見限られ、逃げられてしまいましたがね)
脳裏でそう話す父はいつも寂しそうに苦笑していた

 すらりと腰の長剣を抜き放った
真昼の強い日差しを眩しく跳ね返したその少女の握る剣はクロウには一瞬光の塊、いや陽炎のように焔が上がったように見えた

「………」

少女は未だ見ぬ母が残してくれたただ一つの絆を空にかざした、目を閉じる


「…母上はこの世か…あるいは違う世か…だが未だに、確かに居るのだ、…私には解る、お前も…
  きっといつか会えるのだと、そうだ、…そうだろう…レヴァンティン?」

 静かに愛剣に語りかけた、その柄には『かあとりっじ』とよばれる物が仕込まれている
今はオンカミヤリュー族の法術によって軌跡の力を擬似再現してあった


「…お嬢」

ふいに少女の口元が小さく微笑んだ

「…だからその為にも、この世かあの世か、いずれかは知らぬがな…
        どこかに居る我が母上に…お知らせして差し上げねばならん点我が名を…
              そして父の事を…あの人がどんなに母上の事を思っていたのかをな…」

 まったく父上も母上も…
その口元が小さく呟いた 本当に不器用な人達だったな… 

くるりと振り向いた              


「…ではいくぞクロウ、出陣だ!」


 少女は軽く笑い、レヴァンティンを腰に収めると勢い良く草原へ駆け出して行った

国境近くに野党が群れを成し暴れているとの報告が王都に上がってきていた
(わが名を天下に広める手始めには調度いいではないか)
クロウにはそんな言葉が駆け行く背中から聞こえて来そうだった

「ちょ、ちょ、お、お嬢!」

 クロウは一瞬立ち尽くしていた、そこにあの炎を纏ったようなあの女性が舞い戻ったかのように錯覚した
駆けて行くその姿、クロウの脳裏に

 かつてあの人がこの地に降り立ったあの日の事
不思議な技を使い、ベナウィ達の留守で手薄だったのをこれ幸いにトゥスクル周辺部の村々を荒し回った野盗を瞬く間に打ち倒して追い払ってしまった
あの人の事を、あれから、そしてようやく駆けつけたベナウィ達と出会い、そして…それから…

「うぉ、いけね!」

 ハッとしたクロウは駆け出すその姿の後を追い慌てて草むらを書き分け追いかけて行った

 随分と時が流れた、彼の永遠の将、侍大将のベナウィがこの世を去ってから
すでに10年の月日が流れていた、当時5つをようやく数えた幼子はクロウの手に託されていた
本当の子供以上にその子はクロウの宝となった、今見違えるほど成長して今老いが近づきつつある彼の前を疾っていた
「…どうこう言いつつ親子だよなぁ…」
ぼりぼりと頭を掻いた


「おそいぞクロウー」

笑い声が遠く駆けて草原に消えて行った






べるかの剣士、炎の剣士


エヴェンクルガ族と並び、そんな不思議な異国風の不思議な響きの女剣士の名が
人々の口の端に昇るようになったのは



ほんの少し、後の事であった

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最終更新:2008年05月08日 19:10