「そういや、井之頭さんってお酒呑まれへんの?」
「ええ。前世によほど酒で痛い目にあったとみえて……」
「でもさー、ゴローの売ってるコップみたいなので皆は酒呑むんだろ? 昨日ドラマで見たぜ」
「コップではなくグラス。ヴェネティアグラスだ、ヴィータ。
しかしそれなら、井之頭殿は甘いものを好まれるのでは?」
「ええ、まあ……どちらかというと」
「あら。それじゃあ井之頭さん、駅前にすっごく美味しい喫茶店があるのは知ってます?」
「いや、知りませんけど……喫茶店ですか?」
「ええ、とっても美味しいお店なんですよ。是非一度行ってみてください」
「いやぁ……喫茶店に男一人で入るのも、ちょっと……」
「それは大丈夫や! とっても入りやすいお店なんよ?」
「ほう……」
孤独のグルメ
番外編:海鳴市『翠屋』のアンミツ
個人輸入業者にとって、個人の顧客は好みもわかるし高額に買って貰えるので、親密となるに越した事は無い。
だが、それにしても八神さんの家族構成は、結構長い付き合いになるけれど、よくわからない。
女の子二人に女性二人、大型犬が一頭――しかもその殆どが外国人。
少々怪しいとも思うが、まあ、仲も良さそうだし、何より一介の輸入業者が立ち入るような問題じゃない。
しかし……少し気になっていた。
さっきはあんなふうに素っ気無く返答したものの、俺は甘い物には実際目が無いのだ。
特に和食系の甘いものには……。
気付くと俺の脚は、自然に海鳴駅前へと向かっていた。
昼飯を食わずに商談を続けて、時間は四時過ぎ。腹はペコちゃんだ。何か腹ごしらえをしたい。
喫茶店なら何かしらこう、腹に溜まる料理があるだろうから、まずはそれを食べる。
それからお勧めだと言うアンミツなるモノをデザートに堪能するとしよう。
駅前の雑踏を掻き分けて探すこと数分。
「あった。ここかぁ……」
どうやら俺は目当ての店を見つけたらしい。
喫茶店『翠屋』。
個人経営の店にしては、随分イメージと違って明るいデザインだが……。
「なんだ。良い感じの喫茶店じゃないか」
ところがドアを開けて中に入ると――
――カランカラン。
――印象がガラリと変わった。
うわ、なんだこれは。女の子ばかりじゃないか。
近所にある……何とかという私立学園の制服を着た女の子やら、主婦らしい女の人やら。
……そうか。入りやすいというのは、はやてちゃんにとっての入りやすいってことか。
参ったな。だからってこのまま店を出るのも間抜けすぎる。
「いらっしゃいませー! 何名様でしょうかー?」
「あの……ひとり、なんですけど」
「はーい、窓側のお席へどうぞーっ」
お下げの女の子に案内されて、窓際の席へと腰を下ろす。
メニューを開くと……ほほう、色々あるんだなあ。
さすが八神家全員がお勧めする店。どれもこれも食ってみたいが……。
とりあえず空腹を満たすのが先決だ。
「……ん?」
なんだ……この翠屋ランチってのは。
翠屋セットってのもあるな。
うん。よしこれだ。これはいい。
喫茶店でランチってのも気が利いてるじゃないか。
「スイマセン、この翠屋ランチってのを……」
「翠屋ランチですか? えっと……それってお昼までなんですよー。
だからその、もうやってなくって」
「そうか……それじゃあ、この翠屋セットを」
「ですから、ごめんなさい。それもお昼までで……」
ガーンだな。
結局、腹に溜まるモノが無いってことか。
それならスパゲティとかを頼む手もあるが……。
きっと一つじゃ物足りんし、大盛りは無い。二皿注文するのもナンだ。
かといって、今から店を出て余所で食べてくるってのも……。
となれば、ここはサッと食べて余所でドスンと食うか。
「……それじゃ、アンミツ下さい」
「ハーイッ。 お母さーん、アンミツひとつでーす」
「はいはいーッ」
女の子の声に、厨房から女の人の声がかえってくる。
夫婦で経営してるって話だったが、奥さんが料理を作ってるのか。
注文をしてしまうと少し気が楽になり、こうやって店内を見回すゆとりがでてきた。
「へぇーっ。なのはもウェイトレスさん、板についてきてるじゃん」
「さすが翠屋の二代目だよねー」
「んー……別にまだ後継ぐって決まったわけじゃないよ、アリサちゃん、鈴鹿ちゃん。
それに板についてきたって言ったら、フェイトちゃんの方が――」
「え、あ、そうかな? あたし、まだ全然だと思うんだけど……」
「そんな事ないって! 十分ウェイトレスさんやってるよ!」
私立学園の制服を着た女の子達が、さっき席へと案内してくれたお下げの子と話している。
なのは――そうか。あの子がはやてちゃんの友達の、なのはちゃんか。
道理でアルバイト店員にしては小さいと思ったんだ。家の仕事を手伝ってる訳か。
しかし……となると、もう一人のウェイトレスさん。金髪の子は何なんだろう。
フェイトちゃん……という名前からして、日本人とは思えないし、
なのはちゃん達と同年代だから、アルバイトの筈もない。
「……ホームステイか?」
それにしては流暢な日本語だが。
「なのはー、アンミツできたぞーっ!」
「はぁーいっ! お待たせしましたーっ!」
お、きたきたっ。
……いかん、慌てるんじゃない。
俺は腹が減っているだけなんだ。
腹が減って死にそうなだけなんだ。
俺の目の前に運ばれてきた器の中身は――
『アンミツ』
・豆は茶褐色。
粒が大きく艶もあり実に柔らかい。
・黒蜜だが、いわゆる黒蜜よりクセが無くさっぱりしている。
・餡子とバニラ・アイス。やや少なめか?
・定番の真っ赤なサクランボ。
・寒天が半透明に輝いている。
ほう。上にはアイス、か。
やっぱり女の子向けだなぁ。
だいたい、こういうのは……ちょっと甘すぎやしないか?
「いいんだけどさあ……」
早速、スプーンで掬って口へと運ぶ。
「……………ッ!」
うまい!
確かに思ったとおり……複雑な甘さだ。
いや……スゴい甘さと言ってもいい。
だが悪くない……決して悪くないぞ!
なんだ、これは!
餡子が違うのかな……。
「しかし、どうしてサクランボを乗せるのだろう」
続いて赤く色の付いた実を口に含む。
……うん、これこれ。
って、なにが「これ」なんだろう。
着色料の味かな。
このワザとらしい赤色が、何処か懐かしい。
それにこの寒天!
甘味尽くしの中にあって、これはすっごく爽やかな存在だ。
――カランカラン。
「いらっしゃいませーっ! フェイトちゃん、お願いなのっ」
「あ、うん。わかった。……いらっしゃいませーっ。一名様ですね、窓際のお席へどうぞーっ」
金髪の女の子――フェイトちゃんがパタパタと駆け足で、お客を案内する。
ドスンと俺の隣に腰を下ろしたその客は、金髪の軽薄そうな男だった。
「ええと、ご注文のほうお決まりでしたら――……」
「カレースパゲティにアイスコーヒー」
カレースパゲティ! そういうのもあるのか!
……カレーって男の子の味だよな。
「えっと……カレースパゲティに、アイスコーヒーですね?」
「違ぇよ。カレーとスパゲティつったの!」
「あ……と、申し訳ありませんッ!」
「なんだよ、この店――注文もまともに取れねぇのかよッ」
誠心誠意の謝罪に対し、大声を上げる男。
「…………」
その横で黙ってアンミツを口に運ぶ俺。
どうしたんですかー、と言いながらなのはちゃんもやって来るが、根本的な解決には成りそうもない。
店員の謝罪と言っても、女の子二人だ。
舐められている、というような感じか。
そしてやおら男が水の入ったグラスを手に取り――
「……きゃぁっ!」
「フェイトちゃん!?」
女の子にぶちまけた。
「ちょっと、そこのバカチンッ! あたしの友達に何すんのよッ!」
溜まらず他の客――さっきなのはちゃんと話していた友達の一人だ――が声をあげる。
それに対して、また大声で喚く男。
その横に座っている俺。
食べかけのアンミツ。
アンミツ。
「………」
――バンッ!!
もう我慢の限界だった。
俺はポケットから代金を取り出すと、テーブルに掌を叩きつける。
女の子達を始めとする店中の視線が突き刺さるが、構うものか。
席を蹴るようにして立ち上がった。
「……人の食べてる横で、そんなに怒鳴らなくたっていいでしょう」
「あ?」
「今日は物凄くお腹が減っていて、このアンミツも凄く美味しいのに……見てください!」
「………」
「半分しか喉を通らなかった!!」
「なんだァ? テメー、文句あんのか?」
「ある」
「テメーがどう残そうが食おうが、こっちには余計なお世話だ!」
もっともな意見だ。
だが退けない。退けるわけがない。
真正面から男の目を見て言ってやる。
「……あなたはモノを食べる時の気持ちを全然、まるでわかっていない!」
「なにぃっ?」
「モノを食べる時はね。誰にも邪魔されず、自由で……。
なんというか、救われてなきゃあダメなんだ。
独りで。静かで。豊かで……」
「なにを訳のわからない事を言ってやがる……ッ!」
ドン、と男が俺の身体を突き飛ばし――
「があああああああ!!」
――其処からの動きは半ば、条件反射だった。
伸ばした左腕の手首を右手で掴み、一息に引き寄せるや否や、其処に左腕を絡ませる。
後は即座にその腕で間接を固めるのみ。瞬きするほどの時間で済む。
「痛っイイ! お…折れるう――――ッ!!」
無論、折れる。その為の技法だ。
別に手加減してやる義理はない。だが――
「……お客さん、それ以上はいけない」
ぽん、と俺の肩に置かれた手が、それを遮った。
――エプロン姿の男だ。
この距離に近づかれるまで、まるでわからなかったが……。
「お父さんッ!」
なのはが声を上げるが……お父さん?
つまり――この翠屋の店長、という事か。
見れば厨房から顔を覗かせた女性が、何故だか微笑んでいる。
なるほど。
騒ぎを聞きつけた彼女が、旦那さんを呼んでいたわけか。
「………………」
ため息を吐いて、俺はゆっくりと不良を解放してやった。
騒動を起こした事を詫びて店の外に出た俺は、ため息を吐いて空を仰ぎ見る。
「……やれやれ」
あー……いかん。熱くなりすぎて、またやってしまった。
いかん。いかんなぁ……。
「おい、お前――凄く運が良かったんだぞ?」
「あァ?」
その後、しばらくして。
締め上げられた腕を擦っている不良を店の外に放り出し、高町士郎は先刻の客を思い返して言った。
飛び出してくる敵の手を取り、そのまま間接を固める――洗練されたあの動き。
一介の人間ならともかく、数多の激戦を潜り抜けてきた士郎の目を誤魔化す事は出来ない。
何せあまりの殺気に、思わず自分が気配を消して接近せざるを得なかったのだから。
「……ありゃあ長野の辺りの古武術だ。あまりに危険すぎて使い手のいなくなった、な。
お前、下手すれば本当に腕を折られてたんだぞ。痛いだけで済んで良かったじゃないか」
「………………」
「コレに懲りたら、もう店にイチャモンつけて小銭を巻き上げるなんて真似は止すんだな。
最近、この辺で暴れまわってたのはお前だろう。
警察や学校には連絡しないでおいてやるが――次は無いぞ」
恨みがましく何かを口にしようとした不良の顔が、一転して蒼白になる。
無理もない。あの時の動きを見ればわかるが、この不良はあまり喧嘩慣れしていない。
ところが――あの男。動きの切れも、技の鋭さも、並以上だった。
脅しとして十分以上に効果があったのだろう。
慌てた様子で立ち上がると、そのまま走り去る。
その背を見送りながら――それにしても、と士郎は呟いた。
「一体……何だったんだ、あの客……?」
最終更新:2008年05月21日 18:43