それは、いつも通りの、とある平凡な日常の中で起こった、小さな事件。
――と言っても、彼の日常は元々平凡と言うには程遠いものなのかも知れないが。
思えば、今から起こる事件は、これから始まって行く事件のほんの始まりだったのかも知れない。
だが、今の彼にそんなことが解る筈も無く。
今日も今日とて、いつも通りにお洒落なスーツを着込み、ネクタイを締め、彼は外出した。
家を出て数歩進み、空を見上げる。暖かい太陽の光と、透き通るような青空が、彼の心をより晴れやかにする。
彼――名護啓介――は、一度立ち止まり、大きく両手を広げた。

「ん~、いい天気だ。今日は特別気分がいい!」

清々しいまでの笑顔を振り撒きながら、名護は言った。
ややあって、再び歩き出した彼の足取りは至って軽快。
名護には何故か、今日はとてもいい一日になりそうな気がした。


「ロックや……これが本物のロックや!!」

自分の真横の観客から、ぱちぱちと小さな拍手が聞こえる中、八神はやてはその目を輝かせた。
中学校の制服を着たまま、学校に指定された鞄を足元に置き、八神はやてもまた両の手を打ち合わせる。
はやての視線の先にいる金髪の男は、ギターを構えたまま、天を仰いでいる。
はやては、更なる拍手を送りながら、男に輝く視線をぶつけた。
視線に気付いた男も、自信に満ち溢れた笑顔で、はやてを見遣る。

「おぉ、わかっとるやないか姉ちゃん! これが! 本物の!
 ロック魂やぁぁぁーーーッ!!!」
「うんうん! ジンジン伝わってきたで! お兄さんのロック魂!!」
「そうやろそうやろー! 姉ちゃん、中々解っとるやないか!!」

駆け寄ったはやてに、男が両手を高く掲げる。所謂ハイタッチだ。
はやてと男が、いぇーい! と盛り上がりながら、両手を叩き合う。
どうやらこの二人、初対面ではあるものの、中々息の合ったコンビらしい。

では、初対面である彼女らが、一体どうやって知り合えたのか。
それは至って簡単な事だ。
時間は少し遡る。いつも通り、学校が終わって下校している最中の事だった。
彼女は、今日から数えて数日間、久々に時空管理局へ出向する用事が無かった。
管理局へ行く用事が無い以上、彼女の生活は、魔法を知らない普通の人間達と何ら変わりは無い。
もちろん来年度からは本格的に管理局員として働く事を決めた彼女には、高校受験等は無縁。
故に今日は、はやてにとって羽を伸ばせる、言わば休日のような一日であった。
あと一年でこの世界からは暫しお別れする事になるのだ。自由に歩けるこの足で、出来る限り色んな思い出を心に刻もう。
そう思ったはやては、近所の公園に寄り道してから帰る事にした。
思えば、自分の足が使える用になってからは、この公園にもあまり来る機会が無くなっていた。
大好きな家族達に車椅子を押されながら、この公園を散歩していた時の事を思い出すと、自然に笑みが零れた。
そうして暫く、懐かしさに浸りながら歩いていると。はやての耳に、すぐ近くから音楽が聴こえて来たのだ。

『ウェーイクアーップ! 解き放て未~知の力~♪
 僕を呼ぶ~声~不思議な~♪』

ギターの重低音と共に聞こえる、男の歌声。
まるではやての心に、ジンジンと響くようなメロディ。
いつしかはやては、公園内から聞こえてくるメロディに釣られ、歩を進めていた。
こうして現在に至る訳である。

「――と、言う訳で姉ちゃん、音楽はやったことあるんか?」
「へ? 私は無いけど……」
「よっしゃ! じゃあ姉ちゃんも俺らと一緒にバンドやらへんか!?」
「え……えぇっ!?」

どういう訳か、バンドの経験は皆無だと答えた筈のはやてがバンドに誘われてしまった!


「たすけてーたすけてーたすけてー!」

一方で、はやて達からそう離れていない場所に、何者かに追われる男がいた。
逃げる男は助けてと叫びながら、竹刀を振り回している。
そして、そんな男の目前にいるのは、とある中学校の制服を着た二人の少女。
男は走りながらその少女達に駆け寄り―――

「たすけてーたすけてー!」
「きゃっ!? な、何!?」
「ちょっ……!? フェイトちゃん!?」

なんと、その場にいた我らがフェイトさんが、何者かから逃走中の男に捕まってしまったのだ!
なのはがすぐに助け出そうとするも、男は竹刀を振り回しながら暴れている。
しかも質が悪い事に、男は錯乱状態にあるらしく、ただ竹刀を振り回して暴れるのみ。
なのはは、お世辞にも運動が得意とは言えない。竹刀を振り回す男からフェイトを救出するのは、正直言って無理だ。
……かといって、こんな公衆の面前でBJを装着し、魔法で男を鎮圧するのも色々と問題がある。
故に、なのはは叫ぶことにした。

「だ、誰か! 誰かー! 助けて下さい!」
「たすけてーたすけてーたすけてー!」

なのはの声に、次第に周囲の人々も竹刀を持った男に注目する。だが、誰ひとり助けようとはしない。
もちろん男は、フェイトの腰を掴んで離さない。それどころか、振り回す竹刀はさらに目茶苦茶な軌跡を描いてゆく。
やがて男が振り回す竹刀が、近くにいたなのはに勢い良く激突しようとした。
なのはも痛みを覚悟し、反射的に目を閉じるが――

「……あ、あれ……?」

なのはが、予想した痛みを感じる事は無かった。
何故なら、なのはに激突しかけた竹刀を、割り込んだ男が肘で受け止めたからだ。


我らがヒーロー――名護啓介は、竹刀を振り回しながら逃げ惑う“悪”を追い掛けていた。
あの男は、悪質な金融業者を営み、罪の無い人々から必要以上に金を巻き上げた、“絶対的な悪”だ。
その首に賭けられた賞金も相当な額となっている。
もちろん、揺るぎ無き“正義の味方”である名護啓介が、そんな“悪”を許す筈が無い。
悪の金融業者に乗り込んだ彼は、今現在竹刀を振り回している男のSP共を軽く薙ぎ払った後、男からボタンを奪い取った。
そう、正義の味方であり、バウンティハンターである名護啓介が、あの男を捕まえる証に。
ボタンを奪った以上、あの男を逃がす事は絶対に許されない。故に名護は、逃げる男を心神共に追い詰め、捕まえる事にした。

こうして現在、錯乱した男は罪の無い少女を人質に取り、竹刀を振り回している訳である。
だが、それは名護啓介の前では無意味に等しかった。
例え人質を取られようが、名護の正義感が揺らぐ事は有り得ない。寧ろ、更に名護の心に火を付けたくらいだ。

人質に取られた少女――フェイトの友人と思しき少女に、男の竹刀が迫る。
名護は直ぐに飛び出し、少女――なのはの代わりに、男の竹刀を受け止めた。
そのまま竹刀を掴み取り、男の動きを封じた名護は、男の顔面に重いパンチを叩き込む。
殴られた事で怯んだ隙に、名護は人質にされていたフェイトの腰に手を回し、男の体から引き離す。
自由の身となったフェイトは、直ぐになのはに駆け寄り、名護に視線を送る。

「あ、貴方は……?」
「……大丈夫かい? 怪我は、無かった?」
「え……は、はい。ありがとうございます……」

一瞬何が何だか解らずに混乱したフェイトであったが、直ぐに名護に返事を返した。
フェイトの返事に安心した名護は、男から引ったくった竹刀を構え――

「い、痛い! 痛い! やめてっ、痛いっ!」

男に竹刀を振り下ろした。
右から、左から、前から、後ろから。連続で竹刀に殴られた男は、痛い痛いと叫びながら、次第に自由な動きを封じられて行く。
そして、トドメの一撃。頭に振り下ろされた竹刀の衝撃に、男は意識を失った。
同時に聞こえるパトカーのサイレン音。騒ぎを聞き付けた警察が駆け付けたのだろう。
恐らく助けを呼ぶなのはの声に、これはマズイと判断した誰かが連絡したものと思われる。
警察官が倒れた男に駆け寄る中、名護は、倒れた男に向かって言った。

「生まれ変わりなさい。きちんと罪を償えば、貴方にもチャンスはあります。
どんな人間にも……可能性はあるのです。」
「あ、貴方はまさか……! あの有名なバウンティハンターの!!」

直ぐに男を確保した警察官が、名護を眩しそうに見上げ、言う。
そう。名護啓介は、賞金が掛かる程の悪人を捕まえ、その賞金を受け取る、“バウンティハンター”なのだ。

「なのは……あの人知ってる?」
「ううん、知らないけど、有名な人らしいね」

名護の耳に、先程助けた少女達がひそひそと話す声が聞こえる。
彼女らは自分を知らないらしいが、さして問題は無い。
正義の味方は、誰かに見せ付ける為にやっている事では無いのだから。
だが、きっとなのは達はこれから、正義の味方・名護啓介の名を覚えていてくれる事だろう。
それだけでいいのだ。今は知らずとも……それだけで、名護は十分満足なのだ。

「……賞金は、いつもの所へ寄付して下さい。恵まれない子供達の為に……」

最後に名護はそれだけ言うと、警察官の前から立ち去った。
名護には、こんな所で油を売っている暇は無いのだ。
この世界に闇が存在するのなら、光という罠を仕掛け、一つ一つあぶり出す。
そして、この正義の両手で消滅させねばならないのだから。
そう。より崇高で、完全な正義の為に……

そんな名護啓介の背中を、なのは達はじっと見詰めていた。


「――そんな訳で、今ベースの渡が、腕を怪我しとるんや。」
「な、なるほど、そういうことやったんか……」
「僕のせいで……ごめんなさい……」

はやてに説明する健吾。続けて、もう一人の男が謝罪する。
このギターの青年――襟立健吾と、さっきまで影が薄かったが、一応はやてと一緒に音楽を聞いていた男――紅渡。
健吾の説明によると、以上の二人は、イケメンズというバンドを組んでいたらしい。
だが、ベースの渡が腕を怪我してしまった為に、人員不足に陥り、次のライブまでに間に合わないかも知れないらしい。

「そこでや、はやてに頼みがあるんや! 俺らイケメンズに入れへんか!?」
「うーん……でも私、バンドなんてした事あらへんし、それに――」
「大丈夫や! 俺が一から教えたる! 世界中を、ジンジン言わせたろや!」

はやての言葉に割り込みをかけ、熱心に頼み込む健吾。
「それに、私は毎日暇な訳や無い」と言いたかった訳だが、それを言う事は叶わなかった。
別にイケメンズに入るのは構わないが、はやては管理局に出向しなければならない為に、平日・休日問わずこの世界に居ない事が多いのだ。
それが、はやてを悩ませる大きな理由の一つ。参加するだけして、ろくに現れないのでは意味が無い。
さっきから渡は何も喋らないが、渡の目付きからして、はやてに入って欲しいと考えているであろう事は明白だ。
初対面でいきなりバンドに誘うのもどうかと思うが、健吾の熱意が本物だという事ははやてにも解る。
はやては色々と考え込んだが、ややあって、その顔を上げた。

「……わかった。毎日参加は出来へんと思うけど……
 ううん、寧ろ参加出来へん日の方が多いと思うけど……私でいいなら……」
「ほんまか!? 入ってくれるんか!?」
「う、うん……宜しくな、健吾くん、渡くん。」

はやての言葉に、健吾も渡も、一気に明るい表情となった。
健吾に至っては両手を上げながらよっしゃー!と喜んでいる。相当嬉しいのであろう。

「やぁ!」

……と、その時であった。もう一人の男の声が聞こえて来たのは。はやてが声の方向へと視線を向けると、そこにいるのはスーツを着込んだ男。

「名護さん……」
「んあぁ~、いい天気だ。今日は特別気分がいい。ほら、飲みなさい」

どうやら今現れた男は、渡の知り合いらしい。
渡に名護と呼ばれた男は、ミネラルウォーターをはやて達三人に投げ渡すと、機嫌よさ気に背を伸ばした。
先程また一人悪人を捕まえた直後なのだ。それは気分がいいのも当然だろう。
一方のはやては、何で今いきなり現れたおじさんが人数分の飲み物をしっかり用意してんねん、と無性に突っ込みたくなったが、取りあえず我慢した。
折角の好意を無駄にするのもどうかと思ったはやては、ありがとうと、一言御礼を言いながら、ミネラルウォーターを口に含んだ。

はやてに軽く微笑んだ名護は、そのまま数歩歩くと、健吾の傍に置かれていたギターに視線を送った。

「ほぅ……君達は音楽をやるのか。悪い事は言わない、そんな事は止めて、社会の為に何が出来るのかを考えなさい。」

名護が言うと同時に、その場の雰囲気が静まり帰った。
はやては「いきなり現れて何を言うてんねや、このおじさんは」と、無性に言いたくなったが、今度もやはり我慢した。
初対面の相手にそれは失礼過ぎる。
そんなはやての心配をよそに、健吾は唐突に立ち上がった。

「何を言うてんねやおっさん!」

…………。
言うてもうたーーーっ!!
はやてが抑えて言わなかった台詞を、この男が言ってしまった!
おっさんという言葉に反応した名護は、ぴくりと反応し、健吾を睨む。
どうやら不愉快だったらしい。まぁ当然と言えば当然だが。
気まずい雰囲気になるのではないかと懸念するはやて。
そんなはやての心を知ってか知らずか、健吾はギターを取り出し、構えた。

「よっしゃ! 飲み物の礼や! 俺の音楽でジンジン言わせたる!!」

言いながら、ギターでの演奏を始める健吾。演奏するのはイケメンズの「Destiny's Play」だ。
ギターの重低音が響き、健吾も次第に乗って行く。
先程はやての心にもジンジンと響いたメロディだ。これを聴いては流石の名護も考えを改めるだろう。
そう思ったはやては、名護に視線を向けるが。

「やめろ……」

小さく聞こえる声。残念ながら、ギターの音に掻き消され、はっきりとは聞こえない。

「YA☆ME☆RO!」
「……は!?」

次の瞬間、名護は、健吾に掴み掛かった。
そして、繰り出されるパンチ。健吾の顔面に綺麗に入ったパンチにより、ギターの演奏は中断される。
もちろんはやても渡も、そんな暴挙を黙って見ている筈が無い。

「や、止めて下さい名護さん!」
「ちょっと……いきなり何しはるんですか!」

二人が直ぐに名護に駆け寄り、名護を落ち着かせる。
二人に宥められた名護は、どうやらまだ怒っているらしく、後ろを向いたまま言った。

「俺に……同じ事を2度言わせるな!!」
「で、でも今のは酷いやないですか! 別に殴らなくたって……
ギターの音で、おじさんの声が聞こえへんかっただけかも知れへんのに……」

健吾の“おっさん”よりも少し丸めに、はやては“おじさん”という言葉を選んだ。
しかし、それは直ぐに失言だと気付いた。
だが気付いた時にはもう遅い。はやてはもう言ってしまったのだ。“おじさん”と。
それはもちろん、名護にとっては不愉快極まりない言葉なのだろう。
名護はその鋭い眼光で、はやてを睨み付けた。

「君は何歳だ」
「え……? 私は15歳ですけど……」

いやいやおじさんこそ何歳やねん。と、はやてはこの見てて何か面白いおじさんに、目茶苦茶言いたくなった。
いや、だがこのおじさんは間違いなくキレる。ここは我慢するべきだろう。
なんとか衝動を抑え込み、はやては自分の年齢を述べた。
すると、名護はしかめた表情のまま、大きく口を開き――

「私は22だッ!!」
「……はッ!?」
「おじさんと呼ぶのは止めNA☆SA☆I!
 不愉快だ!」

名護は、自分は22歳だと大声で主張した。
はやては、色んな意味でびっくりした。年齢はまぁいいとして、何やねんこの上から目線は、と。
説得力とかそれ以前に面白過ぎるだろう、このおじさん。もう腹立たしいとかそれ以前に、何か友達になりたいとまで思えた。
……と、そう思うのは勝手だが、そろそろ場の雰囲気は最悪の状況だ。色々と気まず過ぎる。
そんな時、はやて達にとって救いの声(?)が響き渡った。

『きゃーーーーーっ!!!』

「「……!?」」
すぐ近くから聞こえる悲鳴。
女性の悲鳴だ。もちろんはやてが、それを聞き逃す事は有り得なかった。
周囲を見渡すが、既に渡はこの場には居なかった。何処へ行ったのかは知らないが、周囲を見渡しても渡の姿はどこにも無い。
名護に殴られた事で痛そうに頬を摩っている健吾はまぁいいとして、名護も既に悲鳴が聞こえた方向へ走り出していた。

「(あぁ、何処行くねんおじさん!)」

気付けば、はやてもおじさんの後ろを走り出していた。
ちなみに、心の中で呼ぶ時はいけ好かないおじさんでも構わないが、
声に出して呼ぶ時はちゃんと「名護さん」と呼ぼうと心に誓ったはやてであった。


「チューッリッヒヒヒヒ!」

奇声を上げながら、無防備な女性に詰め寄る男。彼の名は糸矢僚。
女性ばかりを襲う悪質なファンガイアだ。
尻餅をついたまま後ずさる女性に、糸矢が迫る。鼠の腹話術人形を持ちながら、嫌らしい笑いを浮かべて。
しかし、糸矢の体に、木の棒が激突した事で、糸矢のゲームは終了した。

「またお前か……」

そう。女性のピンチに駆け付けたのは、正義のファンガイアハンター・名護啓介だ。
どこからか取り出したベルトを構え、バックル部のロックを外す。
それにより、ロックを外されたベルトは、名護の腰に巻き付くように装着される。
そして、バックルを中心に、再びベルトをロック。名護の腰に、変身ベルト――イクサベルトが輝いた。
手に持つ武器は、イクサナックル。絶対的な正義を体言する、――自称――最強のライダーシステム。
名護啓介の前では、どんな小さな悪であろうと、存在する事を許されないのだ。

『レ・ディ・ー』

目の前にいるのはファンガイア。イクサとは相対的な位置に存在する、絶対的な悪の象徴。
悪は滅んで当然なのだ。
そんな名護の想いに呼応するように、掌に当てられたイクサナックルが、その電子音声を響かせる。
甲高い待機音が響く中、名護は、イクサナックルをベルトへと装填した。

『フィ・ス・ト・オ・ン』

イクサもまた、名護と同じく、悪を憎んでいるかのように、怒りの雄叫びを響かせる。
ベルトから現れた金の十字は、回転しながら、スーツの形を形勢する。
『Intercept X Attackker System』通称イクサシステム。
フィストオンの掛け声と共に形勢されたイクサスーツが、名護の体に重なる。

そこにいるのは、悪を倒す正義の戦士。
男の名は、仮面ライダー――仮面ライダーイクサ。

「はぁ……はぁ……ちょっと待って、おじ……名護さん!」

後ろから、さっきの失礼な少女――八神はやてが駆け付ける。
同時に、イクサの胸部に内蔵されたイクサエンジンは、フル稼動でそのエネルギーを全身に巡らせる。
イクサシステムがフルパフォーマンスで起動した事により、イクサの仮面を覆うクロスシールドが、四方に向かって開く。
熱い炎が周囲を焼き、イクサの二つの赤い瞳が姿を表した。
イクサはそのまま、ゆっくりとはやてに向き直る。赤い二つの目が視界にはやてを捉えた。
イクサの能力を制限するセーブモードから、100%の能力を発揮出来るバーストモードへとモードチェンジしたのだ。

「まさか……仮面……ライダー?」

イクサの赤い二つの目を見たはやてが、ぽつりと呟いた。
しかし、イクサは答えない。
イクサには、確かにはやての言葉が聞こえた。だが、今はそんなことはどうでも良いのだ。
今は、目の前の“悪”を消滅させることが、名護にとっての最優先事項。
直ぐに糸矢……いや、スパイダーファンガイアに向き直ると、どこからか取り出したイクサカリバーを構えた。

「その魂……神に返しなさい!」

イクサアームズの一つ、ファンガイアが苦手とする、純銀を含んだ光弾を発射する銃型の装備だ。
それをスパイダーファンガイアへと構え、発射。
凄まじい連射速度を誇るイクサカリバーの弾丸は、スパイダーファンガイアの装甲を小さく爆発させる。
イクサは、弾丸を連射したまま一気にスパイダーファンガイアとの距離を積めた。
一方的に攻撃を受けるだけしか出来ないスパイダーファンガイア。
さらに、イクサはスパイダーファンガイアと接触する直前に、イクサカリバーのマガジンを、グリップ内部へと押し込んだ。
そうすることで、イクサカリバー本体から、赤いブレードが現れる。
イクサカリバー・カリバーモードだ。このブレードもやはり、対ファンガイア装備が成されている。
細かく振動するブレードに斬られたファンガイアの皮膚は、化学反応を起こし、溶解してしまうのだ。
イクサはカリバーをスパイダーファンガイアへと振り下ろした。
同時に火花が飛び散り、スパイダーファンガイアは声にならない鳴咽を漏らす。
だが、イクサは悪とみなした相手には一切の容赦をしない。
斜め上から横方向へとカリバーを振り下ろし、それを振り上げる過程で、再び皮膚を切り裂く。
あらゆる方向からメッタ斬りにされたスパイダーファンガイアは、情けない姿勢のまま、後方へと後ずさる。

しかし、イクサはそれを追い掛けようとはしない。
イクサはベルトからカリバーフエッスルを取り出し、それをイクサベルトへと押し込んだ。
同時に、イクサナックルからデジタル音が響き、中心のイクサジェネレーターが輝く。

『イ・ク・サ・カ・リ・バ・ー・ラ・イ・ズ・アッ・プ』

胸部の装甲に、太陽の紋章が浮かび上がる。
それはつまり、イクサエンジンの出力がレッドゾーンに達したことを意味する。
これだけの出力をぶつけられれば、並のファンガイアならば一撃で灰と化してしまう。
そう。イクサは必殺技を――イクサジャッジメントを放とうとしているのだ。
イクサの全エネルギーがイクサカリバーに集約されたのを合図に、イクサは走り出した。
そして一気にスパイダーファンガイアとの距離を詰め、輝くカリバーを振り下ろした。

「チューリッヒヒヒ!」
「な……!?」

だが、スパイダーファンガイアにイクサジャッジメントが命中することは無かった。
スパイダーファンガイアは咄嗟に後方へと転がり、イクサジャッジメントを回避したのだ。
バーストモードになった以上、イクサは30分と活動出来ない。
出力が高すぎる為に、30分以上の活動でシステムの自壊が始まってしまうのだ。
それ故に、最後の大技であるイクサジャッジメントはここぞという展開でしか使用する事を許されないのだ。
名護は、スパイダーファンガイアの体力からして、今が使用する時だと判断した。
――判断したのだが、その読みが浅かったのだ。事実、スパイダーファンガイアの体力はまだ残っていた。
それ故に、スパイダーファンガイアはイクサジャッジメントを回避することが出来たのだ。
――と言っても、スパイダーファンガイアとしても本当に紙一重で、偶然かわせただけに過ぎないが。
イクサエンジンのフルドライブを使用してしまったイクサは、最早これ以上の戦闘は不可能。
名護は、悔しさに表情を歪ませながら、イクサベルトを腰から外した。
スパイダーファンガイアを取り逃がしてしまったのは大きいが、今は背後にいたはやての方が心配だ。
故に、名護はすぐに振り向き、はやての無事を確認しようとするが――

「……逃げたか」

そこに、はやては居なかった。




「リイン、さっきの化け物がどっちに行ったか索敵出来る!?」
「はいですっ!」

騎士甲冑を纏ったはやてが、すぐ傍にリインフォース・ツヴァイを飛ばしながら、スパイダーファンガイアを追い掛ける。
あんな人を襲う化け物を逃がしておける筈が無い。仮面ライダーが取り逃がしたのならば、はやてがトドメを刺すまでの事。
リインの能力を使い、スパイダーファンガイアを追い掛けていたはやては、いつしか霧の深い雑木林へと入り込んでいた。

「……見付けたッ!」

暫く飛んだ事で、目前にスパイダーファンガイアを発見。後は、ブラッディダガーでも何でもいい。奴にトドメを刺せればそれでいいのだ。
だからはやては空中で静止し、呪文の詠唱に入った。あのファンガイアを倒す為に。

「刃以て、血に染めよ……!」

『ウェイクッ! アーーーップ!!!』

「穿て、ブラッディダガーッ!!」

はやてが詠唱を終える前に、よく聞き覚えのある声が響いた。
あれは……クロノ提督の声? 等と考えるが、クロノがこんなところにいる訳が無い。
故にはやてはそれを空耳だと判断し、周囲に赤い刃を浮かべた。

……だが、はやての周囲に浮かんだのは、赤い刃だけでは無かった。
同時に浮かんだもの。それは―――巨大な月。
はやては一瞬目を疑った。今は昼間だと言うのに、月が見える筈が無いのだ。

「あれ……今は、昼間……?」

呟くはやて。気付けば、はやての周囲は、漆黒の闇に包まれたのだ。
つい先程まで昼間であった筈の青空は、雲一つ見えない真っ暗闇。
これでは真昼どころか、真夜中と言っても過言では無い。それほどまでに、周囲の闇は深いのだ。
今のはやて達を照らす光源は、天空に怪しく輝く、巨大な満月のみ。

「な、何やコレ……リイン!?」
「ち、違います! リインがやったんじゃないですよー!?」

まぁ解ってはいたが、やはりリインの新たな術などでは無いらしい。
はやては考えた。この状況、どうする事が最善の方法かを。
周囲に闇夜が拡がったのは確かに不穏だが、それ故に早くトドメを刺さねば、ファンガイアの姿も見えなくなってしまう。
ならば――

「えぇいリイン、今はまず、あの化け物を倒す!」
「はいですっ!」

決意を固めたはやてが、ブラッディダガーの切っ先をファンガイアへと定める。
同時に、何処からか、美しい笛の音色が響き渡った。まるで、この闇を照らす月のように、怪しくも、美しい音色。
その音色に合わせるように、はやてはブラッディダガーを勢い良く加速させた。

「行け……ッ!」

はやての掛け声と共に、ブラッディダガーがスパイダーファンガイアの背中に突き刺さる。
その衝撃により、スパイダーファンガイアははやてとは反対の方向へと吹っ飛んだ。
この闇のせいで、少しでも離れてしまえば、何も見えなくなってしまう。
故にスパイダーファンガイアの姿も、闇の中へ。はやての視界から消えてしまった。

「あれ、倒せた……?」
「た、多分……」

リインが保証はしてくれるが、いまひとつ自信が無い。
故にはやては、闇に消えたスパイダーファンガイアを追い掛け、更なる闇へと潜ろうとした、その時であった。

「マイスターはやて、あれ! 月に人が……!!」
「……人?」

スパイダーファンガイアの生死よりも先に、はやてはリインに呼ばれ、月を見上げた。
よくは見えないが、目を細めると、巨大な月の光に、小さな人影が浮かんで見えた。
まるでキックでも撃とうとしているかのようなポーズで、片脚を地面へと向け、そして―――急降下した。
それっきり、月に浮かんだ人影は、はやて達の前に姿を表す事は無かった。


やがて、闇は晴れ、周囲は元の明るい風景を取り戻した。
はやてには、月に浮かんだ人影が何なのかはさっぱり解らない。
ただ、黒っぽい人影が、月の光に見えただけなのだから。
それはもしかしたら見間違いなのかもしれないし、もしかしたらそこには本当に人が居たのかもしれない。
どっちにしろ、闇が晴れた今となっては、それを確かめる術は無いのだから。
闇が晴れ、視界が晴れた事で、はやてはすぐにスパイダーファンガイアが吹っ飛んだ場所へと駆け付けるが、そこには誰も居なかった。
されどそこにあったものは、明らかに周囲の風景にはそぐわぬものであった。

「マイスターはやて……何ですか? これは」
「クレーター……? やろか……」

そこにあったもの。
それは、地面にでかでかと残った、“コウモリ型のクレーター”。
普通に考えれば、こんな人為的なクレーターが自然に出来る事は有り得ない。
だが、そこには確かにクレーターが存在していた。

「化け物と、コウモリ型のクレーター……? 訳がわからん」

はやては、ぽつりと呟いた。
視線の先にあるものは、地面に深く刻まれたクレーター。

今のはやてに、このクレーターの正体など――ダークネスムーンブレイクにより現れたこのクレーターの正体など、解る筈が無かった。



やがて、はやては騎士甲冑を解除し、さっきの公園へと戻った。
そこにいるのは、相変わらずギターを構えている健吾と。いつの間にか帰って来た紅渡であった。

「おいはやてー! どこ行っててん、早くもイケメンズ解散かと冷や冷やしたやないかー!」
「あはは、ごめんやで、健吾さん。それから渡君も」
「ほんまやでー、ったく……渡もはやてもおっさんも、いきなり俺を見捨ててどっか行きおって……
 でもな、俺はそんな細かい事でグチグチ言わん! さぁ、新生イケメンズの誕生やーーー!!」

やたらとハイテンションな健吾に、はやても渡も苦笑する。
ふとはやてが渡を見ると、渡はさっと視線を逸らした。まるではやてと目を合わせるのを拒むかのように。
はやてはそれを、単なる人見知りなのだろうと判断し、渡に向けて、にっこりと笑顔を浮かべた。
一方の渡も、はやての視線に気付き、ぎこちない笑顔を浮かべた。
どうやら、この渡という青年と仲良くなるのは、そう簡単には行かないらしい。


はやて達の居る公園で、はやて達を……というよりも、渡を見守る影が一つ。
空に羽ばたきながら、コウモリの形をしたそれは、赤い瞳を瞬かせた。

「おいおい、どうなってんだよこりゃあ?
 あのはやてとか言う姉ちゃん、さっきファンガイアと戦ってた姉ちゃんじゃねぇか!」

渡と一緒にいる少女――八神はやては、まさしく先程の戦闘でファンガイアに赤い刃をぶっ刺してくれた姉ちゃんだ。
渡は気付いたのかどうか知らないが、少なくとも彼は――キバットバット三世は、その事に気付いていた。

「おいおい渡ぅー、気付けよ渡ー
 その姉ちゃん、絶対普通じゃねぇって! 絶対ヤバいって!」

ファンガイアと生身で渡り合える時点で明らかに普通じゃない。心配性のキバットは、はやてを警戒せずにはいられなかった。
だが、キバットがいくらそんな想いを込めて叫んだ所で、その声は渡には届かないのであった。



第1話 「ウェイクアップ|新たな出会い」

つづく……かもしれない。

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最終更新:2008年07月04日 20:54