眩い極光が視界を焼き尽くし、白の中に無という白が産まれ、白い闇として己を灼いてゆく。
暴虐を極めた閃光と砲吼の狭間で、彼女は己が相棒が紡ぐ聖句をただただ呆然と、漠然と聞くことしか出来なかった。
邪神の無限新生とフェイト“達”の必滅魔法。一進一退の拮抗の最中、視界も聴覚も定まらぬ鬩ぎ合いの中でその声を聞いたのは正に奇跡といえるだろう。
『I'm innocent rage/我は憎悪に燃える空より産まれ落ちた涙』
『I'm innocent hatred/我は流れる血を舐める炎に宿りし、正しき怒り』
『I'm innocent sword/我は無垢なる刃』
その声は、バルディッシュであってバルディッシュではない。彼女が知る相棒であって、彼女と共に駆け抜けた戦友ではなかった。
其は、かつての無■螺■の大禍にて神話を紡いだ『彼等』の相棒であり、戦友であり、愛剣だ。
そう……其は■にして■に在らず/■械にして機■に在らず/其はヒトが創りし刃金の■。
刃無き狂える■■を/“輝きを放つ偏方■■四面■”を手に執る■殺しのyyyyyyaaaaaaaaa
【―――未だ早い。知るにはまだまだ早いよ、フェイト・T・ハラオウン。■は未だ■■の■■に■つ事を知るには些か性急過ぎる】
《……“無■の■”による検閲確認=介入思考強制削除申請/申請拒否――第十二~九十思考神経を未知なるウイルスが侵食=白血球プログラム発動。
無効化。防衛システム強制遮断/汚染開始。
侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され侵され――――喰らわれ、貪られ、奪われる=アンインストール完了》
……思考すらも侭成らない。否、考えている事を虫食いの様に所々剥奪されている。
まるで誰かによって考えることを否定されているようだ。
自分の意思や主張、命令などの自己という次元さえ超えた超次元的な意思によって介入され改竄されてしまう、とでも言えばいいだろうか。
だけど、そんなことはどうでもいい。些細なことだ。なにせこの決死を賭けた鬩ぎ合いの最中、そんなことなど考える暇など与えられて無いのだから。
誰が介入しようが、改竄しようが、剥奪しようが、今の彼女にはそれさえも考えることが出来ない。
否。それは考えてはいけないことだ。それを踏み越えてしまっては、彼女は彼女で無くなってしまう。
人間という脆弱な生命が進む路ではなく、もっと別の法則に編まれたおぞましい邪悪に冒された法則概念が支配する世界への路へ歩みだしてしまう。
彼女は、自分を弁えていた。此処から先は歩んではいけない、聞いてはいけない場所であり、領分だ。
それこそが彼女足りえる、人間足りえる意地であることも、彼女は無意識の内に理解している。
今は、この邪悪を。おぞましき孤島の邪神を。ガタノトーアを殲滅し封滅するのみ。
彼女が持ちうる最大出力の攻撃力を持つプラズマザンバーブレイカーは依然とその威力を劣ろう事を知らず、邪神の新生能力すらも追い付けぬ領域にまで到達している。
満身創痍でありながらこの威力。魔力も底を尽き掛けてなおこの破壊。
先ほど、かの狩人ラバン・シュリュズベリイが展開した『旧神の印』と呼ばれる魔法陣によるバックアップも在り得るのやもしれないが、今はそれすらも思考の外へ追いやった。
踏み込む。あともう少しで宝玉――ロストロギアに手が届く。
ガタノトーアの石化の魔眼の効力も、『旧神の印』の効果によりその大部分を阻害され、もはや彼女の足止めにすらならない。
あと一寸。魔力と魔力の鬩ぎ合いによる圧力は想像を絶し、気を抜くとすぐに全身が吹き飛ばされそうになる。フェイトは気を張り、尚も踏み込んだ。
―――届いた!
彼女の右手が、遂に邪神の額に埋め込まれている宝玉を掴む。
さぁ、ここからが正念場。意地と意地の張り合いだ。
ロストロギアの封印術式は、もう何年もやり続けている。
今回も大丈夫、冷静に。冷静に。術式を高速で構築し、演算し、改竄し、施錠を掛けるのだ。
そうしてフェイトは封印術式を施す魔法式を構築しようと―――だが、彼女に襲い掛かる運命の波濤は未だ終わりを迎えていなかった。
(な―――これは!?)
そして彼女は知る。知ってしまった。
宝玉に宿る膨大な魔力。それを無限大に、無尽蔵に放出する術式。
あまりに圧倒的な絶壁にも似た、壮大で堅牢で複雑すぎる構成。……それ以前に、この宝玉に凄まう、余りにおぞましい超宇宙的な闇黒の恐怖を。
フェイトの意識は、闇の底に沈んだ。
◆◆◆
暗い星。
昏い星。
悶え狂う慟哭の叫びが木霊し飛び交う闇黒の星。
我々が住む青き星より遥か永劫の彼方に存在しうる、忘れ去られし小さな星。
氷塊に閉ざされ、如何なる生物も存在しえない筈の魔星に蔓延るのは、余りに不定形で考えるのもおぞましき異形異形異形の数々。
魑魅魍魎と表現することすら生温い、そのどれもが彼女の、人間の思考や概念を遥かに超越した異形と怪異。
人の形をした黒き巨人が、氷に覆われた地表に何十匹も蠢いていた。
この星に似合わぬ、まるで綺麗な臓腑の色をした、甲殻類でありながら菌類の様に自らの身体を何体も何十体も何百体にも分裂させて、羽虫の様に飛び回っていた。
腐臭と臓物がぶちまけられた様な香りと共に粘々しい粘膜を滴らせながら分裂していく様は人間の思考能力の限界を超えており、見ただけでも発狂を催しそうになる。
そしてその星の中枢に頓挫せし―――甲殻を纏い、触手を唸らせ、されどもその魔眸を閉じて惰眠を貪る、この魔星を統べる闇黒の魔王。
そんな汚泥と邪悪に満ち溢れた異形の星で、彼女――フェイトは途方も無く立ち尽くしていた。
思考は剥奪され、考える事無く、本能のみで彼女は一歩前に進みだす。汚わいに満ち溢れたこの星に何の感情も浮かばせないで、無表情のまま歩み続ける。
何処までも続く地平線。そうかと思いきや突如として巨大な階段が目の前に現れる。先に見えるのは、闇黒よりもなお闇黒。漆黒とも取れる黒き光の世界。
彼女はなんの感慨も沸かず、その階段が続く先へ進み続ける。
階段は上に続く/『こっちだよ』
階段は下に続く/『そう、こっちに進むんだ』
階段は右に続く/『まだまだ続くよ、さぁ、こっちに』
階段は左に続く/『だけど辿りつけるかな?』
階段は上斜めに続く/『僕としては辿りつけなくても別に良いんだけどね』
階段は下斜めに続く/『まだまだ君はコレを知るには早過ぎる』
階段は直下に続く/『だけど、“どうしても知りたい”と、意識的にも無意識的にも思っているのなら話は別だ』
階段は弧を描いて続く/『“嫌よ嫌よも好きの内”ってことさ。さぁ、知りたければ此方へ辿りついてみせてくれ』
階段はそれ以外の角度を曲がって続く/『君にはその資格がある。君に宿る輝きは、彼等と同質のモノだからねェ』
階段は三次元の法則では計れない、超次元的な方角へ続く/『さて……では試させてもらうとしようか。君が真に宇宙の中心に立つ役者に相応しいか否かを』
歩み歩み歩み、何処まで進んだことだろうか。
もはやあの暗い昏い、冷たい星の氷野(ひょうや)は何処にも見えず、あるのは何処も此処も闇色だけ。
まるで大海原の様に広大で、まるでガラス瓶の中にギリギリまで詰められたかのように窮屈な場所。
「これ、は―――」
そんな闇の海の果てで、彼女は見つけた。あの“宝玉”を。
―――否、あの宝玉は角が無かった。純粋な水晶球だった筈だ。
だがあの宝石はなんだ? 幾何学的な模様が施された宝箱の中で、七本の支柱に支えられて姿を魅せる、黒く白く眩く暗い輝きを放つ結晶は。
その結晶の中をよく見れば、まるで血脈の様な線模様が枝分かれして、まるで内臓器の様に脈打っている。
無機物でありながら有機物。否、それ以上の次元で成り立つ超物質である事は明白だった。
そして何よりも、不揃いな切子面が数多く―――総計二十四の面によって成り立つ不可解な形。
それを視覚したと同時に、その奇怪な宝箱の外側に、闇よりも深い闇黒が人型の陽炎となって現出した。
かろうじて解ったが、その姿は人間でいう女に近かった様に思える。
『残念、それは“本物”ではないんだ。フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。それはただの“影”。
映写機によって映し出された映像だと思えばいい。何せ、ソレの“本物”はもう既に彼等の手の内に納められているのだから』
女の影は愉快そうに、理解できない単語を口にした。
フェイトはその声に気付いているのかいないのか、ただただ無表情でその宝石を見詰め続けている。
影は尚も愉快そうに微笑んで、彼女の肩を優しく、甘美に包み込んだ。
『真逆、未だ舞台に上がる前にコレを見ることになるなんて僕ですら思わなかったよ。ふふっ、意外にせっかちなんだねぇ君も』
右肩に顎が乗せられる感覚。それだけでフェイトは余りに妖艶な香りと風情によって、感情を剥奪されながらも息が荒くなっていく。
それでもなお、彼女の視線はあの宝石から離れる事はない。その姿はまるで魔に魅入られているかのような、そんな風体。
『なに、そう熱い視線で見つめてやらなくたっていいんじゃないかな。“君は此処に辿りついた”。その事実だけでも上出来さ』
だが、そんな甘美な呪いに似た言霊を前に、感情を剥奪された筈の彼女に、在り得る筈のない感情が芽生えた。
此処から先は、本当に踏み越えてはならない一線だ。
彼女は悲鳴をあげる体を余所に、全力で、魂が焼き消えるかのような恐怖を目の前にして、小さく、それでもはっきりと声をあげた。
「く、ぁあ――――ぁ、」
『へぇ。中々やるじゃないか。さっきから君に対する僕の評価は鰻上りだ。真逆、人の身でありながら此処まで来て、この邪悪に抵抗できるだなんてね』
「あ、なた……は、一体―――」
瞬間、朦朧とする彼女の視界に、灼熱に燃える■つの眸が現れたかのように見えた。
余りにおぞましく、恐怖の概念そのものを凌駕しうる、理解不能の―――理解してはならない、戦慄に震えてしまう。女の影はその眸で笑い、哂い、嘲笑を零した。
女は哂いながら。醜悪なナニカを卑下するように、歓喜を篭めた声色で謳った。
『それはまたいずれ。君の“運命の幕”はまだ上がってないんでね、まだまだネタばらしをするには早過ぎるのさ。“君が捜し求める運命の在り処は、厳密に言えば此処じゃない”』
“まぁ、こんなものを見せる事自体がフライング染みているけどね”、と嘲り女の影は彼女から離れ、再び宝箱――の“映像”――の外側に現出した。
すると女の影は、遥か闇の先。何も見えない闇の彼方を見据えた。その表情は、まるで憧憬や憎悪、怨嗟と愛情が混ぜ込まれた様な異形の笑みを垂れ流していた。
『君達も嗅ぎつけるのはいつも速いね―――そんなに彼女が大事かい?』
―――ねぇ、我が怨敵。
愛しい愛しい、神殺しの刃。
《―――――介入思考確認/優先順位第一級=“無■の■”による検閲状態から一時的に上書き開始》
瞬間、闇の世界の果てで清浄なる光輝が煌き、爆発を熾して、闇黒に穢された世界の全てが無垢なる閃光に塗り替えられる。
それと同時にフェイトの意識は現実へ引き戻されていった。
◆◆◆
「な―――!?」
意識を取り戻したフェイトの眼に映ったのは、先ほどと同じあの戦場。未だ宝玉の封印処理を完成させるに至っていない、聖地クナアでの決戦場だ。
思考が晴れた瞬間、彼女は一体何が起こったのかまるで理解出来ていなかった。
まるで……そう、まるで、何処かよく解らない別時空――我々時空を管理する者達ですらも理解不能の超時空間に送り込まれた様な気もした。
だが、それにしたって違和感が拭えなかった。思考が闇に沈んだ後の記憶がごっそりと抜け落ちているのだ。
フェイトはそれに恐怖や驚愕に感情を彩られる寸分の刹那も無く、絶え間無き魔力の波濤―――右手に掴む、かの宝玉が発する拒絶の意思に蹂躙され続ける。
(っ! 考えてる暇なんかない。今は、封印を――!)
最早、先ほどの疑問を考える時間も暇も刹那も無い。
一瞬だけ力が抜けかかった己の身体と魔力に再度全力を以ってして拮抗状態を踏破すべく挑みかかる。
だが如何せん反応が遅すぎた。
宝玉からの魔力無限放出という出鱈目な力の顕現は、フェイトの封印術式の演算処理を遥かに上回っており、その封印式を跳ね除けて、再び邪神の骸を再構築していく。
それでも尚、フェイトは諦めない。諦めなどという文字は無い。己が相棒(バルディッシュ)も、必死になってこの無限の波濤と相対し続けているではないか。
ならばその持ち主たる彼女が、諦めなどという言葉をうちだすなんて事は、してはならない。
この一撃、この一秒、この刹那。そのひととき全てが、この星の、人類の命運を決する天秤だ。ならば、その天秤を此方へ傾かせなければいけないのだ。
どんなに無様を曝したって。どんなに泥水を啜ったって。一つの事を懸命に、最後までやり遂げる事こそが、彼女が、人間が成し得る窮極のご都合主義だ。
ならば諦めてはならない。彼女はこの荒れ狂う波濤に呑まれ込もうとしてる最中、離し掛けた相棒を再び握り返す。
「な―――こんな時に……ッッ!?」
だが、宝玉を掴む右手に力が入らない。放出される無限に及ぶ魔力の、余りに暴力的な波濤が、掌握した右手の神経をズタズタに引き裂いたのだ。
最早痛覚すら感じない。まるで右腕を根こそぎ引き千切られたかのように、感覚というものが全く機能しなくなっていた。
これではいくら諦めずに術式を構築したって、右手の神経を通して術式を疾走させることは出来ない。
万事休す。そんな言葉が彼女の頭の内を過ぎった瞬間―――
ふと、感覚を無くした筈の右手に、二つの温もりが優しく包み込んだ。
『集中しろ、フェイト! まだ――勝機は逃しちゃいねェ!!』
『そうだ! 無様を曝してでもやり遂げると、汝(なれ)は誓った筈だ! ならば、その刃を落としてはならぬ!』
一つは男の声。もう一つは幼い女の声。
そう、先ほどフェイトの背中を押してくれた、あの声である。
それを理解したと同時に、彼女の脳内に、“記憶した事の無い言葉”が燦然と現れた。
其の言葉は、言霊は、彼女は全く以って知りもしない単語――詠唱だったのだが、その言霊を思い浮かべると、何処か胸の底から熱く、そして激しい感情が湧き出てくる。
其処に痛みも辛みも無い。ただただ毅然として燃え続ける、諦めを知らぬ不滅の炎。この熱さが、どうしても心地が良い。
『よし、“準備”は整ったようだな―――それじゃあ、こんな反吐が出るような三文芝居の幕引き(フィナーレ)と洒落込もうじゃねェか!!』
『応ともよ! ……女、惚けてないで汝も続け! 妾(わらわ)達と共に、その“言霊”を詠唱するのだ!』
「あ――う、うん! わかった!」
勇壮な声の響きと共に、彼女の感覚を無くした右腕を二つの光――“掌”がソレを支え、失った筈の神経が次第に再構築され行き渡っていく。
どのような奇跡か魔法かは解らない。だが、この右腕に包まれた暖かさ、信念。どれをとっても強く、激しい。
この人達となら、絶対に。この億分の一の勝機をもぎ取ってゆける。その確信と信念を共に、今。遥か遠き無限螺旋に於いて紡がれた、邪悪を滅ぼす必殺の言霊を。
―――破邪の意を胸に、邪神へと轟かせる。無限新生を廻す歯車たる宝玉が、その前兆をまえに、僅かながら慄くように震え上がっていた。
瞬間、フェイト“達”が持つバルディッシュの光刃が、無定形の波濤から不定形のカタチへとその姿を変貌させていく。
光り輝く閃きが唸りをあげながら変貌し変形し変則的に変動させていき、そのカタチは―――簡単に言えば、余りに巨大な“腕”へとその姿を象った。
その“腕”の掌に、プラズマザンバーの莫大なエネルギーが集約されてゆき、現空間と異相空間の摩擦が産まれ、その狭間から圧倒的な圧縮重力場――マイクロブラックホールが顕現された。
フェイトは突然の変化に驚く事無く―――否、それを当然の帰結だと理解した上で、“彼等”と共に遍く邪悪を封滅せしめる窮極の言霊を口訣した。
“光射す世界に、汝等闇黒、棲まう場所無し!”
放たれ続ける雷電は突如発生した重力場に引き込まれ、もはやただの純粋無垢たる熱エネルギーへ収束されてゆき、
光さえもその“質量を持ちえた空間の狭間”へ圧縮されて、空間を歪め、狂わせる無の色彩へと。
円環状に奔り回る原子は、その重力場が起こすある種の指向性を持たされ、更にその運動は連鎖し、物理限界を超越した運動を促し、加速加速加速加速加速加速加速加速加速。
無限連鎖。無限回転。無限加速。無限輪廻。
廻り続ける原子と原子の狭間で熾(おこ)る摩擦によって更に更に更に膨大な――それこそ無限の熱エネルギーが発生し、なおかつ無限に圧縮されてゆく。
其の物理法則も、ユークリッド幾何学でさえも測り切れぬ超絶的な圧縮重力場が孕む魔力を言うなれば――正しく『無限熱量』。
この余りに暴虐たりえる破滅の理こそ、この世界の……宇宙の果てよりこの星に来たる、人々を脅かさん外道を討ち滅ぼす理。外導を以って外道を断つ、魔導を以って魔道を滅ぼす刃の熱。
“渇かず、飢えず、無に還れ―――”
三つの声が、一つの言霊を編む。男と女、そしてフェイトによって紡がれる三位一体の咆吼は更なる魔力の昂ぶりを生み、白く染め上げる光輝は一層に煌きを帯びる。
視界を灼きつくすどころか、己の身体さえも灼き滅ぼしかねない暴虐たりえる魔力を内包した巨大な“掌”を、再生され続けている宝玉ごと邪神ガタノトーアに、思い切り叩き付けた。
瞬間、邪神に叩き付けた圧縮重力場――マイクロブラックホールが収縮し、
やがて無に消える/無が展開される=幾重もの魔術文字が刻まれた“球状の壁”/絶対否定空間――無限熱量が暴れる重力場を外界へ漏洩させぬ為の断絶結界。
そう、この技こそ。この術式こそ。この必滅奥義こそは―――
“レムリア―――インパクトッッッ!!!”
これぞ、かの機械仕掛けの神が持ち得る第一近接昇華呪法。
結界球の内部で破滅を熾す無限熱量は邪神ガタノトーアの巨躯を須らく蹂躙し尽くし続け、もはや無限新生と拮抗する、しない以前に構成原子さえも末端から髄まで灼き尽くしていく。
その閃光の最中、彼女は再び相棒の―――バルディッシュの声を聞いた。
◆◆◆
『I'm innocent rage/我は憎悪に燃える空より産まれ落ちた涙』
『I'm innocent hatred/我は流れる血を舐める炎に宿りし、正しき怒り』
『I'm innocent sword/我は無垢なる刃』
『I'm―――/我は―――』
◆◆◆
―――その声が聴こえると同時に、総ての音が無へ掻き消える。
結界内の世界を荒れ狂う暴虐狂気の閃光は、邪神どころか結界内部の世界さえも灼き滅ぼし、
時空間さえも消滅させ、挙句の果てに宝玉を封印させるどころか、その“術式”ごと木っ端微塵に昇華された。
最早、結界内で蹂躙された邪神の影さえも存在しない。
それを彼女“達”は知覚したと同時に空間断絶結界は力が抜ける様に縮小されてゆき、まるで元から『無かった』かのように消滅する。
そう、その消滅こそが、長きに渡った邪神ガタノトーアとの闘争の終止符だった。
「―――終わった、の?」
フェイトは魔力を出し尽くし、己の身体限界さえも超え続けた運動を行った所為で、今や満身創痍の身。
何処からとも無く、眠気が彼女の瞼を重く圧し掛かって、今に意識を手放しかけていた。
そんな彼女の右肩に、優しくて暖かな感触が同時に圧し掛かったと同時に、男性の声と左側では苦笑染みた声――優しく、穏やかな少女の声が聴こえてきた。
『お疲れさん。後の些末事は俺達に任せて、今はゆっくり休みな』
『ああ、一先ずは休息をとるが良い。汝はよくやったよ、フェイト・T・ハラオウン。汝の刃、中々に良い切れ味であったぞ』
飾りのない賞賛の言葉に、フェイトは何処か気恥ずかしくて、顔を赤く染め上げた。
自分を幾度と無く助けてくれた、誰とも知れない彼等だが。それでも、そんな“当たり前の善意”こそが。彼等が信頼するに足る人物だという証拠なのだ。
「うん……そうだ、ね。今回は、流石に疲れちゃった――かな?」
そんな安心感に包まれて、彼女は瞼をゆっくりと閉じた。
『嗚呼、お休み。――いつか、また会おうぜ、フェイト』
『では我等は征く――気運が在るのならば、また再会もするだろう。その時まで、元気でやってゆけ』
右肩に乗せられた感触が離れてゆき、彼等がゆっくりと歩み去っていく感覚。
名残惜しいが、後腐れは何もない。また、在るべき運命の下で、彼等と再会することに確信を覚えながら。
――ああ、そうだ。後腐れ、というワケでもないのだが。
「名前、聞くの忘れちゃったな……」
そんな、些細ではあるが名残惜しかったことを小さく思いながら、フェイトは己が意識を手放した。
◆◆◆
『運命の探求』
エピローグ
◆◆◆
―――かくして、人間と邪悪の闘争は人間の勝利に終わった。
絶対破滅、無限熱量の閃光と無限新生の光輝の鬩ぎ合いの果て、ついぞ彼女は邪神ガタノトーアに埋め込まれていた宝玉、
ロストロギアの封印――というよりも、その宝玉に施されていた術式の完全破壊に成功。
ガタノトーアの身体はそれと同時に霧散し、字祷子粒子に気化された。おそらくはただの純粋な魔力でのみ無理やり召喚された“出来損ない”故の終焉であろう。
ヒアデスの竜巻と幾百に至るであろう光刃の雨は止み、まるで先ほどの戦いがなかったかのような静けさだけが残った。
現状を述べれば、フェイトは邪神が消え去り、蔓延っていた瘴気も失せた大地に不時着した鬼械神アンブロシウスの装甲上に姿を現した、
盲目の探求者たるラバン・シュリュズベリイの腕の中で健やかに寝息を立てて夢の世界へ旅立っている。
先ほど、刹那の永劫という短くも永きに渡る無限の攻防において競り勝った猛者とは思えぬほど、安堵を催す寝顔だ。
「よもや出来損ないの神とはいえ、旧支配者と真っ向から競り合い勝利をもぎ取ったとは……測り知れんな、君は」
シュリュズベリイはそんな彼女の緩んだ寝顔を見据え、シニカルな笑みを浮かべて賞賛の言葉を言い渡し、己が“娘”にも労いの言葉を述べた。
「レディもよく頑張ってくれたな」
『さ、流石に、今回は、しんどかったよ、ダディ。魔力も、もう空っぽ……っ』
「嗚呼、そうだな。実を言うと、私も魔力が底を尽きそうになっていてね。早々に、ミスカトニックの生徒諸君を待たしている“カルコサ”へ戻り“後始末”をしたいのだが――」
と、言葉を濁してシュリュズベリイは前方に浮遊する黒衣の青年――クロノ・ハラオウンへ顔を向けた。
己の相棒たるストレージデバイス……氷結の魔杖デュランダルを片手に憮然とした表情でその場に佇む様は正に歴戦の戦士たる貫禄に満ち溢れている。
そんな彼も、硬かった表情を緩めて、苦笑するような仕草をとった。ほんの短い――そう、数分にも満たない邂逅であったが、彼もシュリュズベリイのことを信頼に足りえる魔導師だと認知している。
「時空管理局の魔導師の代表として、そしてフェイトの義兄として此度のご協力感謝します、シュリュズベリイ氏」
「気にすることは無い。元より私も此処を嗅ぎ付けていてね、あわよくば娘(レディ)と二人だけでこの島における儀式を粉砕しようと考えていた。
そこに現れたフェイト君が初めて出会う我々を疑わず、信用して共に駆け抜けてくれたことは此方としても感謝しきれない事だよ、クロノ・ハラオウン君」
「では、お互い様という事で」
邪神との凄絶な闘争が、端から無かったかのように談笑するクロノとシュリュズベリイ。
出会って早々、意気投合するのは、お互い何処か思うところがあるからだろう。
吹き荒ぶ魔風もその威力を萎ませて、やがて清々しく心地の良い潮風が吹き、この聖地クナアの瘴気を流してゆく。
一通りの挨拶を終え、シュリュズベリイは熟睡しているフェイトをクロノへ引き渡し、所々傷ついた外套を翻し、クロノから背を向けた。
「私達はそろそろ戻らねばならない。この島の“後始末”もやらなくてはいけないのでね」
『物凄い疲れたけど、コレが最後の仕上げだもんね、ダディ』
盲目の探求者は、己が著書(むすめ)の痩せ我慢にも似た言葉を聴いて、無言でアンブロシウスの装甲を愛しく撫でる。また苦労をかけるな、と心中で述べながら。
そして、シュリュズベリイに代わってフェイトを抱きかかえたクロノは、その背中を名残惜しそうに見詰め、だが努めて凛然とした風情を纏って言葉を返した。
「――そうですか。出来得るなら、もう少し語り合いたかったのですが」
「なに、コレが今生の別れというワケじゃないさ……嗚呼、そうだ。私と君達が出会ったのもまた何かの運命だ。
もしも私達に助力を求めたい時は、マサチューセッツ州にあるアーカムシティという街のミスカトニック大学に連絡してくれたまえ。すぐさまに駆けつけよう」
これでも生業は邪神狩人兼大学教授でね、と追言して、シュリュズベリイは背中越しからシニカルな笑みを浮かべた。
「また会おうクロノ君。あと、フェイト君が眠りから覚めたのなら伝えて欲しいことがある」
『―――“合格、見事だった”ってね!』
「解りました―――では、また会う日まで」
クロノの別れの言葉を皮切りに、シュリュズベリイを載せた鬼械神アンブロシウスは多発型飛翔魔術群(クラスター・フーン)を起動させる。
刹那よりも速く。遥か彼方。轟音という壁を越えて、紫紺の機神は軌跡を残して飛翔した。
暗雲消え去った、遥か蒼天の空へと。
天高く、天高く。
◆◆◆
「良き兄弟だったな、レディ」
『うん、そうだねダディ。だけど……なんだか名残惜しいよ』
「ふむ、そうだな。だが先ほど言った通り、これが今生の別れというワケじゃない。世界という壁を越えて彼女達が私達と出会ったのを偶然と言うには些か滑稽と言える。
そう、この運命は必然だった。ならば、別離するのも運命(必然)であるのならば、再会するのもまた運命(必然)だ」
『運命、か。名は体を現すって言うけど、フェイトのは中々波乱に満ちた運命のような気がするね』
「確かに……否、そうだろう。彼女は未だ理解はしていない。それは我々にも理解出来ないが、彼女はソレを理解する術をもっている。
彼女は自覚してはいないだろうが、彼女自信の探し求める運命――『運命の探求』は始まったばかりだ」
『そっか。フェイトにも宿題が出来たってことだ』
「中々巧いことを言うじゃないか、レディ。……さて、そろそろカルコサが見えてきたようだ。レディ、通信回線を開いて、例の爆装(ドレス)の準備を行わせてくれ」
『イエス、ダディ。……久しぶりに使うね、“D型”。ハイアイアイ群島で使って以来だよ』
「嗚呼、そうだな。プロメテウスの炎を使うのは確かに久しい。では―――征こうか、レディ。ヒアデスの星屑の様に、あの忌まわしい島を塵芥に変えてやろう」
◆◆◆
―――さて、いつものように唐突ではあるが、ここで喩(たと)え噺(ばなし)をしたい。
皆はこれを聞くのは何度目となろうことかは解らないが、耳をかたむけて聴いて欲しい。
是(これ)は何処かの宇宙の話。大樹の根の様に別れた宇宙の話。そもそも根の違えた、別の大樹に生える宇宙の話。
其(それ)は反応炉の中だったり、試験管の中だったり、チューインガムの包装紙にくるまれていたりする宇宙の話。
永劫を呑み込み、永劫を吐き出す、ほんの小さく広大な刹那のお話。
無限大を幽閉し、有限大を定義した塵の様な宇宙のお話。
宇宙の内側にある宇宙の話。
宇宙の外側にある宇宙の話。
宇宙の外側の外にある宇宙の話。
宇宙の外側の外の宇宙の外にある宇宙の話。
宇宙の外側の外の宇宙の外の宇宙の外の宇宙にある……。
詰まる所、宇宙は無限に連鎖し、零(アイン)へ帰結して尚、零(ソフ)へ膨張し、零(オウル)へ至るべき無限の宇宙のお話。
其れは無限と零が混ざり合って、遥か無き時空間の輪、或いは六芒星(ヘキサグラム)を巡る大蛇が爛れ堕ち、絶え間ない変化を熾し続ける混沌のスープ。
故に総ては淡すぎる、泡沫の塵夢。万物の神が、盲目白痴にして全知無能の神様が夢見る泡沫の幻想。
まどろみの最中で浮かび、消える運命にある刹那の夢。眼が覚めれば終わる、ただの夢だ。
終わりとも知れず、消滅するのみが故の泡沫。そもそも始まりがあったのかさえも泡沫の果て。
世界は虚ろ。現世(うつしよ)こそは幽世(かくりよ)で、幽世は何処までも幽世。
其処は総ての想いも、善も悪も狭間も無い、虚実(アイン)が成る虚無(ソフ)にして虚夢(オウル)の世界。
―――世界は何処までも虚ろんだ、まどろみという泡沫の中で潰える運命(さだめ)にあるのだろうか。
これは喩え噺なのだが―――そうは想わない存在が、やはりその運命に抗っていた様だ。
◆◆◆
ふと、邪神は眸を開けた。
余りに凄絶な痛みに、並大抵のことでは機能しない規格外の痛覚が、それ以上に規格外な痛みによって呼び起こされてしまったのだ。
鮮烈な痛みだ。痛みと共にかの光輝を思い出す。何処までも暴虐であり、我々魔を無へ還す為に呼び起こされた太陽の熱の様に激しい光輝。
《―――アレは、何処かで一度味わった光輝だ。はて、あの忌々しき輝きはいったい何処で受けてしまったのだろうか》
そう、邪神ガタノトーアは見るからに満身創痍の身で思い起こす。
先ほど人間が放った無限熱量の必滅奥義によって、ガタノトーアを顕現させる宝玉の魔力無限放出の術式は見事に無へ還され、それと同時にガタノトーアもその体躯を塵芥へと霧散させた筈だった。
そこまでは覚えている。……ならば、今の己は一体何処に居ると言うのだろうか。
『嗚呼、そうさ。君の見解に寸分の間違いなんて存在しないよ、ガタノトーア殿。君は人間の手で、人間の魂の光で、人間の諦めを知らぬ、愚かな不屈の煌きの中で無に消えた筈だったのさ』
女の声が聴こえた。或いは男の声だったのかもしれない。
何処までも得体の知れぬ、信用できない、まさにノイズの様な醜悪であり淫靡な声だった。
ガタノトーアは知覚する。その存在は、己と同じ存在だということを。かの焼き払われた闇黒の森に棲んでいた、灼える■眼にして無■の邪神を。
《―――貴様か。あいもかわらず狗の様に走り回って、ご苦労なことだ》
『いやいや、狗はティンダロスだけで充分さ。……もっとも、君の言う通り彼の様にせわしく動き回っているけどね』
哂いながら――或いは嘲笑だったろうか――、邪神はガタノトーアの皮肉を事無げにかわし、この宇宙の中心の狭間にて立ち尽くしていた。
その様子に何処か違和感を覚えながらも、ガタノトーアは疑問を口にした。
《―――もしや、貴様が我をこの宇宙に隔離させたのか?》
『隔離、という表現は当たらずも遠からずって所かな?
此処はね、君に埋め込まれた宝玉――彼女達に言わせれば、ロストロギアか――の中に存在する宇宙。君は、その宇宙に“吸収”されただけだ』
《―――成る程。アレほどの魔力を無尽蔵に内包しているワケだ、この宝玉自体が一つの宇宙であったか》
『然り。是こそは愛しき我等が宇宙の極々々々一部から産み出した純粋無垢、神聖『可侵』たる無限の器!
例え放出の術式を失ったとしても、どんなモノにでも簡単に染まる純粋な宇宙故に、こうして満身創痍の君は容易に吸収されたってワケさ』
女は、まるで舞台上で回る役者のような演技を催して嬉々と説明する。
ガタノトーアはその説明を憮然と聞き及びながら、やはり憮然と、頭の中に突如として浮かんだ言葉を“口にしてしまった”。
《―――ほう、ならばコレはかの高名な、輝きを放つ“連中の神具”ではなかったのか。貴様も欲深い物を創り上げたモノだな》
――刹那。そう、その刹那。その言葉を待っていたかのように、女は嘲笑すら超える凄絶な邪笑に口を歪めた。
ガタノトーアは未だ気付いていなかった。人間にとっても、神々にとっても、その言葉は理解など出来はしない、してはならない窮極の禁忌だという事を。
女はそれを無様と哂うように、そして本当に残念そうに満身創痍たるガタノトーアの体躯を俯瞰ながら、その最後になるであろう質問に答えてあげた。
『ははッ、確かに似てはいるが、それは仕方の無いことさ、ガタノトーア殿。だって、“本物のアレ”はね―――――もう、然るべき担い手によって握られているのだから」
ガタノトーアが女のその言葉に再度疑問を口にしようとした瞬間―――世界が、けたたましく悲鳴をあげた。
爆砕し、創造し、破滅させ、顕現する圧倒的な白い闇。
否、闇すら凌駕し塗りつぶす絶対的な光輝。その光輝はまるで、先ほど受けた無限熱量のそれと果てしなく似ていて。
ガタノトーアは、純粋に戦慄を覚えた。
この圧倒的な殺意に。魔を滅ぼす為に我等と同じ存在になった、我等の天敵。
かの星座に臥する神威の狩人と同格の、総ての魔の天敵が持ち得る鋭利な殺意。
邪神ガタノトーアは……否、遍く総ての旧支配者は、その存在が何なのか、脳髄の底に深く刻まれている。
《―――真逆!?》
『そう、その真逆だよ。ガタノトーア。“彼等”は僕等の居る所ならどんなことをしたってやってくる。邪悪を滅ぼす為に。邪悪を根絶やしにする為に。
この泡沫の夢の狭間で。人間達の祈りを護る為に。光り輝く世界を護る為に、必死に抗い続ける。愚かであり憧憬すべき、愛しい愛しい、忌まわしき狩人!』
女は狂ったかのように、まるで待ち望んでいたかのように、その生誕を嘲り哂いながら、初恋の人を見るような視線で、罅割れる世界の壁を見た。
が、彼女は名残惜しそうに背を向け、宇宙の中心の狭間の先にある、闇黒の領域へ脚を踏み込んだ。
《―――貴様、何処へゆく!?!?》
『新たな舞台の準備さ。その為に君には、“彼等”の足止めをしてもらおう。
ギブアンドテイクと言うじゃないか、君をこの宝玉の中(セカイ)まで届けたのは他でもない僕だからね。せいぜい、気張ることだ』
“それでは、ご健勝の程を”と驚愕するガタノトーアに言い残し、女――邪神はその場から、この宇宙から消失した。
だが、それでもこの世界の崩壊は止められない。止める術を持ちえていない。
―――そんな崩壊する世界で、凛然とした男と女の声が聴こえた。
『こんなトコで呑気に居座りやがっていたか――それじゃ、ド派手に後始末といこうか!』
『あの女……フェイトの意志に応える為にも、我等の力、今こそ存分に見せつける刻だ!』
それは余りに輝かしい、善意の権化。
弱きを助け、強きを挫く。理不尽に蹂躙されながらも、必死に立ち上がる不屈の魂。
人間。諦めを知らぬ、善の……正の極限。
ガタノトーアは恐怖する。それは、己に刻まれた原初の記憶。何故己(ガタノトーア)はヤディスの地下深くに封印されてしまったのだろうか。
其の疑問に応えるモノは、ただ二人だけ。二人は、この世界全土に響けと言わんばかりに、互いの名を呼んだ。
『征くぜ――――“アル”ッッ!!』
『応ともよ――――“九朗”ッッ!!』
そう、彼等は連理の枝にして比翼。
どちらが一つも欠けはしない、窮極なる愛の証。
そして―――もう一つ。欠けてはならない存在。其曰く、“最弱無敵”の刃金を。
《―――そうか! 貴様達か!! どこまでも脚を挫き地に伏せても、決して立ち上がることを止めぬ不屈の刃ッッ!!!》
ガタノトーアは理解した。自分たちが恐怖せし、憎悪すべき神殺しの刃。
己自身をヤディスの地下深くに封印せしめた、窮極のご都合主義を信仰する神を。
慄く邪神を余所に、二人の神は天高々と、己が刃金を、剣を呼ぶ為に破邪の口訣を刻み上げる。
己が相棒を呼ぶ為に。己が半身を呼ぶ為に。己が刃を呼ぶ為に!!
『―――憎悪の空より来たりて、
―――正しき怒りを胸に、
―――我等は魔を断つ剣を執る!!』
言霊は、この世界に鎮座するガタノトーアによって産まれ出でた邪気の悉くを踏破し尽くしてゆく。
彼等の背後にて顕現するは、清浄な煌きを放ち続ける五芒星―――『旧き印(エルダーサイン)』。
その光輝の果てで、圧倒的な質量を持ってして顕れ出でるは、人の形をした鋼の神。機械仕掛けの神。半魔半機の神。
『汝、無垢なる刃―――』
言霊が響いた瞬間、世界を爆砕せしめる一つの神が降臨を遂げた。
宇宙の狭間、宇宙の中の宇宙で、宇宙の外の宇宙で響き渡るその唄は。
無限螺旋を超えて紡がれる、刹那の愛を謳ったソレは―――誰にも消せぬ、全能の神様にだって消せない、生命の歌。
明日への路を拓く魂の言霊を紡ぎ上げ、こうして彼等は―――最も新しき神、『旧神』は闘い、闘い、闘い続ける。
世界の未来を紡ぐ為に。世界の未来を紡ぐ人々を護る為に。
最も近く、限りなく遠い遥か宇宙の最果てで、機神の咆吼が木霊する―――。
◆◆◆
そんな、不思議な夢を見た。
余りに荒唐無稽でありながら、心を締め付ける様な熱い祈りを謳った、刹那の物語を見た……ような気がする。
唐突に眼を覚まして、最初に飛び込んできたのは清潔感が漂う真っ白な天井。
無論、知らない天井というワケでもない。むしろ彼女自身が訓練でよく怪我をしたときにいつも見る、慣れ親しんだ天井だった。
現状を述べよう。彼女こと、フェイト・T・ハラオウンは、戦艦アースラ内にある医務室のベッドで横になっている。
何故こんな所にいるのかは解らない。今の今まで短いようで長かった眠りを貪っていたため、時間の感覚が定かでは無い。
だが――あの闘いのことは鮮明に、鮮烈に思い出せる。邪神狩人と共に駆け抜けた、かの邪悪との死闘。突然現れた義兄の助力もあって、ようやく任務を完遂出来たことは記憶に新しい。
フェイトは丁度視線の先に掛かってあった時計の針を見てみる。午後八時と示していた。今の今まで、半日以上も眠りこけていたのだろうか。
半日も眠っていたにも関わらず、自分の体の疲れが未だ完全に抜け落ちていない事に愕然するものの、気だるくベッドから上半身だけを起こそうと腹筋に力を入れた。
―――が、何故か力が入らない。力を入れようとすると、自分の意思とは無関係に脳がそれを拒否してしまうのだ。
これまた不思議だが、そんな脳の拒否反応を無視して起き上がろうとした瞬間、
「う、痛ッ、……っ!」
小さく、だが余りに鋭利な痛みが脊髄に迸るように駆け巡った。
それと同時にフェイトの身体は引き寄せられるように再度ベッドの上へと倒れおちる。
……恐らくは、余りに過度な肉体酷使によるリバウンドが、今更ながら盛大に竹箆(しっぺ)返しされているのだろう。
この痛みでは、起き上がろうとすること自体が逆効果だと悟り、大人しく、無為に天井を見上げなおす。
「終わった、んだよね……あの闘いは」
かの世界にて起こったロイガー族との、そしてSランクを大きく上回る術式によって召喚された邪神ガタノトーアとの闘いを思い起こす。
闘っている最中は余りの緊迫感だった所為か、時が流れるのが余りにも長く永く……それこそ永劫に続いたものかと言わんばかりの感覚の中での死闘であった。
だがいざ終わってみれば、そんな死闘も刹那の内に終わったのではないかとすら想う。刹那の永劫たる闘争はかくも凄絶で、淡すぎる泡沫の夢。
フェイトはその事実に溜息を付かざるを得なかった。……そうして幾分か過ぎて、病室の扉からノックする音が静かに二回程聴こえてきた。
彼女が了承する前に、扉が開かれる。其処にいたのは、管理局の制服に身を包み込んだ、現アースラ艦長――義兄であるクロノ・ハラオウンの姿だった。
「おはよう。よく眠れたか、フェイト?」
「クロノ……うん、ちょっと眠りすぎたくらいだよ」
「そうだな、丸々三日間も眠りこけていたんだ。確かに眠りすぎている」
三日間。その言葉を聴いて、フェイトは無自覚的に時計に付随してあるカレンダー機能を確認する。
あの邪神と闘った、ロストロギア封印の任務の日から、本当に三日も立っていた。よもや、そこまで身体限界を酷使し続けていたとは自覚さえも出来なかった。
それを半日と勘違いし、しかも三日間眠って尚、未だ激しい痛覚が残っているのだ。その痛みと三日間という言葉が、此度の死闘の壮絶さを今更ながら現実味を帯びさせてくれた。
だがクロノは未だ完治に納得のいかないフェイトに対して、嘆息まじりに、いつもの彼らしく説教口調で詳細を答える。
「確かに三日間も眠って完治しないと憤るのは理解できるが、本当ならば君の命だって危うかったんだぞ? Sランク級どころか、それ以上の……個人的な見解だが、
ランクでさえも測り切れないだろう召喚獣個体を相手に、命どころかリンカーコアさえも別状がなかったなんて、奇跡なんて言葉じゃ計れない奇跡じゃないか」
君の右腕の状態は流石に酷かったが、と言及した後にクロノは己の頭を掻いてフェイトの右腕を見た。
彼女の右腕は、指の末端から肩にかけてまで治癒魔法を常時展開できる特殊なナノマシンを内蔵したミッド医療の最先端技術を惜し気もなく使われた包帯を痛々しく巻かれていた。
それどころではない。彼女の肌が見える至る所にガーゼやシップなど大量に貼られており、傍から見れば出来損ないのミイラとしか思えぬ程だ。
こんな形相を第三者が見てしまっては、彼女が本当に無事に生き長らえているのか、もしかしたら死の淵から蘇った正真正銘の死人(アンデット)ではないのかと勘違いするかもしれない。
だのに、フェイトは改めてその包帯を巻かれた右腕を見ながら、思い出したかのようにふと声を漏らしてしまった。
「……あ、そうだった。右腕の感覚がなかったんだ」
「―――ハァ。君も、なのはと同じで自覚無しに無茶な行動ばかり取る。……君の感想通り、その右腕の神経はあのロストロギアがおこした莫大な魔力放出を正面から受けてボロボロだ。
なんとか完治の余地はあるものの……下手をすれば、右腕を肩から切断せざるを得ない大惨事になっていたんだぞ?
……そのロストロギアも無事に回収できたのは僥倖だったが、奇跡というよりは個人的に作為的な運命を感じてしまうけどね」
「う、……ごめんなさい、クロノ」
しおらしく顔を俯かるように、クロノへの視線を外して、反省する。だが心の内ではやはり納得して消化しきれるモノでもなかったらしい。
確かにやり過ぎたかもしれないが、幾らなんでも無茶無謀の代名詞であり到達点であるなのはと同列に扱われるのは、些か不満だ。
あ、いや、別になのはのそんな無茶なトコロが嫌いだというワケじゃなく、むしろそんな無茶に自分自身が一生掛かっても返せないくらい救われてきたワケで。
そんなあやふやな心の葛藤を脳内で絶賛戦闘中な彼女を見て、額にしわを寄せていたクロノは顔の筋肉を解して、苦笑するような表情を取った。
「まぁ、そんな奇跡が起こったお陰で君も無事でいてくれたんだ。そのことに対して何かを言うほど、僕も無粋じゃない」
これでもクロノなりの怪我人に対する礼儀、というか気遣いらしく、その慣れない様子にフェイトは思わず吹き出し掛けた。
そんな話し合いも終わりを向かえ、病室の椅子にかけていたクロノは立ち上がる。
「もう行くの?」
「ああ。まだ仕事があるんでね。そろそろ戻らせてもらうとするよ」
クロノは背を向けて病室の扉も前に立つ。
その時に、思い出したかのように顔をフェイトのいる後方へ向けて、微笑みながら“伝言”をつたえた。
「あと、シュリュズベリイ氏達から君への伝言だ―――『合格、見事だった』と」
そう言い残して、クロノはフェイトの返事を待たず仕事場へ戻っていった。
静寂が戻る。聴こえるのは時計の針が進む微かな音だけだ。そんな心地良いリズムが響いてる中、彼女はやはりベッドの上から天井を見上げた。
「そっか……シュリュズベリイ先生に、お別れの言葉一つ言えなかったな」
クロノが戻った後、フェイトは彼……ラバン・シュリュズベリイが残した伝言を頭の中で幾度も幾度も反復させて、焦燥に浸る。
あの闘いが終わった瞬間、眩し過ぎる光の輝きの中で二つの影――あの闘争の中で自分を幾度となく闇の淵から救ってくれた恩人達に別れを告げられた後の記憶が無い所から、
恐らくはあそこで自分は眠りに落ちてしまったのだろう。
あのまま我慢して起きてさえ居れば、自分に“諦めぬ心”を、不屈の想いを明確に教授してくれたシュリュズベリイにお礼とお別れを言えただろうにと、軽い後悔を想って、あの闘いをまた振り返る。
―――そういえば。あの時に聴こえた“バルディッシュの声”を唐突に思い出す。
今頃、きっと己の相棒はあの闘いで酷使しすぎた所為で今もメンテナンスルームで修復中のことだろう。彼自身に聴こうにも聴けないが、聴かずとも彼女は解っていることだろう。
アレは確かにバルディッシュ自身が言い放ったモノだが、彼女はそれがバルディッシュの言葉でないことを、感覚の中だが確信を覚える程に理解していた。
『I'm innocent rage/我は憎悪に燃える空より産まれ落ちた涙』
『I'm innocent hatred/我は流れる血を舐める炎に宿りし、正しき怒り』
『I'm innocent sword/我は無垢なる刃』
その言葉を思い出すたびに、胸の底がまた熱くなっていく。それはとても苛烈で、激しい炎の昂ぶりだが、その熱さが、どうしても心地が良い。
そして、この後に続く言葉。ソレこそはバルディッシュの声を借りた、その言葉の持ち主だろうと想う。
其の名を思い出して、彼女は思わずその名を―――その剣の名を、初めて口に出した。
「魔を滅ぼす者(DEMONBANE)―――『デモンベイン』、か」
―――彼女の運命は、或いはこの名を口にした時から始まったのかもしれない。
カチリ、と。この部屋にある時計ではない、何処かの物語(セカイ)の歯車が、ゆっくりと軋みを上げて動き出す。
◆◆◆
―――数年後。
「くッ―――急いで向かってはいるけど、間に合うか……!?」
彼女ことフェイト・T・ハラオウンは今、暗雲がつもり今にも雨が降りそうな空の下を駆け抜けている。
列車襲撃事件からそう日も立っていない、ある日の夜の出来事だった。
仕事の用事で帰りが遅くなり、六課隊舎へ帰るついでに夜食を買うために街に繰り出した時だ。
突如として彼女の耳に緊急事態時に発せられる念話が届けられ、フェイトの居る場所からそう遠くない廃工場で、レリックの反応を感知したという。
彼女はすぐさま、指定された場所に向かって走り出した。時は一刻を争う。レリック反応を捉えたのは僥倖だが、問題はそのレリックを奪う謎の機動兵器“ガジェット・ドローン”。
アレ等より先にレリックを回収しなくてはならない。もし、彼女の予想通りだとすれば、あのガジェットを操っている裏側の存在こそは―――。
そんな思考は切り捨てる。今はガジェットよりも先にレリックを回収するのが最優先だ。
彼女は走りながら、己の懐にしまってあった相棒――バルディッシュを手にする。小さくセットアップと口訣し、彼女の身体に鮮烈なる魔力が循環し、疾走する。
管理局の制服が粒子化され、彼女の身体を包み込む様に、魔力を帯びた稲妻が迸った。
其の稲妻は段々と質量を帯びてゆき、遂には彼女の身体を魔術的/概念的に護る戦闘装束、バリアジャケットを錬成する。
それと同時にバルディッシュもその姿を変貌させる=アサルトフォーム。
即座に戦闘形態へ移行を遂げた彼女に迷いは無い。彼女は自身の身体をまるで風の様に……いや、むしろ迅雷の如き速度を以って飛翔した。
魔力の残照を浮かべて、鋭角な軌道を残した後に、真っ直ぐ綺麗な軌跡を暗雲がたちこめる漆黒の夜空に残して、現場である廃工場へと向かう。
其処で、彼女は出会うのだ。
漆黒に犯された、狂気に冒された、何よりも憎悪に侵された―――黒い天使と。
これは、彼女がこの出会いという運命(必然)に至る為の物語。
未だ自覚せず、理解もしていない彼女が辿るべき運命を提示する、始まりに至る為の物語。
『そうだとも―――彼女の物語は未だ、始まったばかりさ』
物語の歯車は廻り続ける。
果たして、この物語が……運命が行き着く先は、いったい何処なのだろうか。
―――それはきっと、カミサマにだってわからない。
END
NEXT TO 『LYRICAL SANDALPHON』