「よくやったぞトップガンダー!」
謁見の間に戻ったトップガンダーを帝王の実に嬉しそうな声が出迎えた。
目を覚まさないよう薬を打たれたフェイトとアルフも運び込まれる。
「よもや生け捕りに成功しようとは……素晴らしい戦果だ!
この功績を賞しお前には暴魂の位を与えよう」
「……必要ない」
困難な任務を成功したというのに、トップガンダーには喜ぶ様子は全くなかった。
それどころか落ち込んでいる様子さえ見られる。
「オレは殺すつもりで撃った。それなのに銃弾は止められ昏倒させるのが精一杯。
こんな様で昇進などしてはオレは自分を許せない」
「ほう……見上げた心意気だな」
先ほどとはまた違った喜びを含ませながら帝王は言う。
それは慢心する様子の見られないトップガンダーの有り様に対する喜びだ。
「ならば暴魂への昇進はあずけておく。お前の今後の働きに期待するぞ」
「お任せを」
短い言葉だけを残しトップガンダーは部屋の隅へと下がる。
かっこつけやがって、とモンスター軍団の方からつぶやきが漏れたが彼は完全に無視した。
魔法帝王リリカルネロス第3話 「主よ生きて!哀しみの女使い魔アルフ」
ここ謁見の間は帝王が各軍団に指令を下す場であるが他の用途にも用いられることがある。
しばしばこの広々としたスペースを利用してパーティーが催される他、他の軍団員を排して
帝王が何らかの実験を行う研究室となることもある。
そして今まさにここは研究室と化していた。機材が持ち込まれた後、各軍団の軍団長だけを残し
残りの軍団員は帝王の邪魔にならないように退室する。
本来は帝王1人で調査が行えるのだが、各軍団に魔法に関する情報をある程度共有させるため
軍団長は残されているのだ。
スキャナーで2人の肉体を精査しつつ、採取したアルフの血液の解析結果を眺めて帝王は呟いた。
「この女……人間の遺伝子が含まれておらんな」
「しかし帝王、それではどうやって人間の姿に?」
〈マスター〉
クールギンの問いに、帝王の傍らに置かれた杖が明滅しながら答える。
〈この女性は使い魔、魔導師が動物を加工し契約によって使役する存在です〉
「なんやあ?随分おしゃべりな杖でんな」
「レイジングハートという名前だ。実に優秀な道具よ」
〈お褒めに与り光栄です〉
有り体に言ってレイジングハートは今の主人が気に入っていた。障害を省みず、目的に向かって
突き進む姿勢を持った人間というのは善悪問わず彼女にとって好ましい人間なのである。
そして帝王の持つ資質、そこにも惹かれていた。
もともと独自の魔法を使っていたとはいえ、トップガンダーが帰還するまでの間に彼女の中に
記録されていた基本的な魔法をいくつも修得してしまった能力の高さ、帝王には驚くべき魔法の才が
あると言えるだろう。
前の主人には悪いが、レイジングハートは自分を使いこなしてくれるであろう今の主人に忠義を尽くす
ことを既に決めていた。それ故に魔法文明が存在するミッドチルダという世界、ジュエルシードなど
彼女が持っている情報については既に帝王に提供済みだった。
「つまり……狼が本来の姿で、魔法によって人間に化けている、と?」
〈マスターの推察通りです〉
「つくづく何でもありですな、魔法というやつは……」
帝王とレイジングハートの会話を聞いていたバルスキーは思わずぼやく。
尚、あらかじめ地球以外の世界についての情報をレイジングハートから聞いていた帝王は
地球外生命体の生態にかなり期待しており精力的にデータを取っていたのだが、
地球人、地球の狼との生物学的な差違はほとんど見られず密かに落胆していた。
「ううむ、検査で分かることはこれ以上はないか……各軍団、戦闘員を召集せよ。
この2人を覚醒させ余が直々に尋問する」
『ははっ!』
(うう……アタマ痛い……)
深刻な頭痛を感じながら目を覚ましたアルフは何があったのかを思い出しながら周囲を見渡し、
10秒近くその思考を完全に停止させた。
もっとも、薄暗く圧迫感のある空間の中で奇怪な怪物やらロボットやらの集団に囲まれた状況で
目を覚まして驚かない者などいないだろう。
「え……あれ……何コレ……?」
今、アルフはゴーストバンク内部の謁見の間にいた。
彼女を取り囲むネロス帝国の戦闘員は皆一様にアルフ達を注視している。
「目を覚ましたか」
声のした方を見ると、醜悪な老魔導師が玉座に座っているのが目に入った。
その姿を、その目を見た瞬間アルフは全身に怖気が走った。単純な魔力量だけではない、もっと
恐ろしい何かが目に見えぬ威圧感となって迫ってくるようだった。
いや、それだけではない。玉座の側に控えている銀色の甲冑の人物や大砲をたくさん体に付けた傀儡兵、
今この空間にはアルフの直感に『戦ってはいけない』と囁く存在が複数いた。
(そうだ、フェイトは…!?)
意識を失う直前に何があったかを思い出したアルフが思わず周囲を見渡すと、フェイトはすぐに
見つかった。玉座を前にフェイトは右側、アルフは左側に配置されており、その周囲を隙間無く
ネロス帝国の戦闘員が取り囲むような構図となっている。アルフから少し離れたところでフェイトも
ちょうどかぶりを振って起きあがろうとしているところだった。
その様子を見てにやりと笑った帝王は高らかに宣言する。
「余は神!全宇宙の神ゴッドネロスである!!」
『ネロス!!ネロス!!ネロス!!ネロス!!』
「ひっ!?」
「何!何なの!?」
ゴッドネロスに応えて響き渡る大音声。結構怯えていたアルフはその勢いに腰を抜かしかけ、
ぼうっとしていたフェイトの意識は一気に覚醒させられる羽目となった。
あまりのボリュームに頭痛を感じたフェイトが思わず頭に手をやると、側頭部に大きなたんこぶが
出来ている。完全なる奇襲で意識を刈り取られたフェイトはどこで頭を打ったのかまったく記憶に
ない。それどころかここがどこで何故自分達がここにいるのか、それすら見当がつかなかった。
熱烈なネロスコール、左手を振ってこれを止めさせた帝王は呆然としているフェイトとアルフに
厳かに語りかけた。
「余はこの地球の真の支配者、ゴッドネロス。お前達、名は何という?」
「え……?その……フェイト…テスタロッサです。こっちは私の使い魔のアルフ」
「………」
少し躊躇したが、教育係であるリニスからそれなりに礼儀作法という物も教わっていたフェイトは、
問われたことに答えないのは失礼だろうと考えて自分と、しゃべろうとしないアルフの名を答えた。
フェイトは『地球の支配者』という帝王の言葉を額面通りに受け取っていたのである。
(フェイト……こいつらやばいよ……)
(そうだね。まさかこの世界を支配している人に目を付けられるなんて。ここにロストロギアを
規制する法律はないと思うんだけど……やっぱり強盗って事になるのかな。どうしよう…)
(……いや、そういう意味じゃないんだよ)
フェイト・テスタロッサ。時の庭園という閉鎖された世界で育ってきた彼女にはちょっと天然で
世間知らずなところがあった。こいつらまともな連中じゃないからやばい、というアルフの主張は
フェイトには届かなかったのである。
念話で語り合う主従をよそに、帝王が右手のレイジングハートを微かに振ると空間にフェイトとバーベリィの
交戦映像が映し出された。続いて映像はジュエルシードで巨大化したザケムボーとの戦いに切り替わる。
「フェイト・テスタロッサ、そして使い魔アルフよ。雄闘バーベリィを撃墜し、結晶体ジュエルシードを
強奪。また余の所有するジュエルシードを狙ってザケムボーと交戦、これを撃破。我が帝国の領土内での
お前達の身勝手極まる振る舞いは万死に値する」
そこで帝王は一旦言葉を切り、フェイト、アルフの順に視線を向ける。
「その……ごめんなさい。私達、どうしてもジュエルシードが必要だったんです」
「謝ってすむと思ってんのかよ!」
「そうだそうだ!」
「このガキ!ネロス帝国を舐めてるのか!!」
思わず謝罪が口に出たフェイトに帰ってきたのは、周囲からの罵声だった。
「チビが少し空を飛べるからって調子に乗りやがって!」
「モンスター軍団舐めとったらいてまうで!!」
「やめんかお前達!!帝王の御前だぞ!」
バルスキーの一喝により、場は静まり返る。
何事もなかったように帝王は話を続けた。さりげなく、それでいて少女達の運命を左右する重要な話を。
「帝国の定めに照らせば極刑が妥当。だがお前達ほどの実力、殺すには惜しい。余に仕えよ」
「はん!黙って聞いてりゃどいつもこいつも勝手な事を……え?」
周りじゅうから好き勝手に怒鳴られ続けていい加減イライラしていたため反射的に言い返してしまった
アルフだが、聞き捨てならないことを耳にしていたことにすぐ気付いた。
『殺す』、帝王ゴッドネロスははっきりそう言った。改めて周囲を見渡すと、気のせいかさっきよりも
自分たちに向けられる殺気のような物が強くなっている気がする。
アルフの背を嫌な汗が流れ落ちた。狼の姿をしていれば全身の毛が逆立つような感覚だろうか。
「ごめんなさい、私達にはやらなければならないことがあるんです」
本能的に今が非常にまずい状況だと気付きつつあるアルフはさらにもう一度周囲を見回して出口を探す。
だが室内を埋め尽くす戦闘員に隠されて壁際の様子は見えない。一方、根が素直なフェイトは思わず
正直に返答を返してしまっており、アルフは内心気が気でなかった。
(ちょっとフェイト!そんな馬鹿正直に答えたらまずいよ!)
(どういうこと?)
フェイト・テスタロッサは極めて優秀な魔導師である。次元世界において公権力を行使する
時空管理局でも彼女に勝利しうる魔導師は限られてくるだろう。
だがしかし、彼女にはあまりにも経験が不足し過ぎているのだ。
自分を手ひどく扱う母親でさえ慕い続ける本来は優しすぎる少女、人の善意を信じてやまない
彼女には掛け値無しの悪というものがどういうものかを理解する能力が欠けていた。
今フェイト達の前にいるのは純然たる悪と言ってよい存在だというのに、まさか本当に殺しはしない
だろう、という甘い見積もりがフェイトの中にはあったのだ。手加減の効かないライフルでの狙撃で
自分が墜とされたことに気がついていれば、あるいはフェイトももう少し警戒したのかもしれないが。
「ふむ、拒否するか……ならば仕方あるまい」
帝王がすっと目を細めた瞬間である。
「きゃあっ!」
ヨロイ軍団烈闘士タグスキー、タグスロンの兄弟がフェイトを地面に引きずり倒した上でその背中を
踏みつけ、それぞれの得物である太刀と長刀を交差させてフェイトの首に突きつけた。
白く華奢な首が床と二本の武器で挟まれ、フェイトは身動き一つ出来なくなる。
目にも留まらぬ早業であった。
「フェイトォォォ!!!」
絶叫し、飛びかかろうとするアルフ。その瞬間的な加速はタグ兄弟に一歩遅れてアルフを取り押さえ
ようとしていたバンコーラとガマドーンが反応出来ないほどのものだったが、アルフの拳がタグスキーに
届くことはなかった。彼女の全身にまとわりつく青白い燐光がその動きを封じたのだ。
「ぐっううう!バインドか!!畜生、離せ!」
「アルフ……!」
急加速を強制的に止められて、アルフは一瞬息が詰まる。
止めたのは帝王の魔法、レイジングハートから得た情報により修得したばかりのリングバインドだ
魔力、構成ともに強力なその呪縛は、有能な使い魔であるアルフにも簡単には破れそうにない代物だった。
(実に便利なものだな……これなら生身の人間がバーベリィを墜とすことも可能か)
地球の全てを支配せんとする帝王であったが、ここ最近は未知の技術との接触に驚きの連続だった。
ジュエルシードの発見に始まる魔法文明の産物の取得、類い希なる戦闘能力を持った魔導師という存在、
そして今自らの手で振るったインテリジェントデバイスの性能。全てが新鮮であった。
レイジングハートは帝王の意志を読みとり、極めてスピーディに、そして強力に魔法の行使を補助する。
結果、デバイスを通して行使された魔法は帝王がこれまで使っていたものに比べ全てが圧倒的なものとなる。
威力、スピード、精度。帝王自身が自らの魔法に驚嘆するほどデバイスの効果は高かった。
そしてそれは同時に帝王の中に新たな疑念を呼び起こす。
この『インテリジェントデバイス』で武装した集団と戦った場合、帝国は勝利し得るのか?
故に事には慎重に当たらねばならない。魔法と、それを行使する者についての情報がもっと必要だ。
暴れながら悪態を突き続けるアルフを冷たい目で見据えると、傍らに控える秘書Sに声をかけた。
「例の物を」
「はい」
帝王の命に従い秘書Sが短めの黒いベルトのような物を持って来る。
恐ろしく強力なバインドに絡め取られ自由なのは口だけであるアルフは、得体の知れない物を持って
フェイトに近づく女を見て一際大きな怒声を上げた。
「あんたたち!汚い手でフェイトに触るんじゃ…」
「黙れ」
「あっぐうう…!」
忠実な使い魔を黙らせるために帝王はアルフの首のバインドを締め上げた。
バインドを破るべく頭の中で組んでいた魔法の構成も同時に吹き飛んでしまう。
「が……は………!!!」
呼吸を完全に封じられ、苦悶の表情でもがくアルフの姿はフェイトに耐えられるものではなかった。
自分の首に刃物が突きつけられていることも忘れて彼女は叫ぶ。
「やめて!お願い、アルフを助けてください!」
「ふむ……」
少女の涙ながらの懇願もどこふく風といった様子で、帝王はバインドをゆるめない。
それを見てニヤニヤと笑う者も周囲には多くいた。
「お願いします!何でもしますから、アルフを殺さないでっ!!」
「全てはお前達次第だ……おとなしく余に従えるか?」
「従います!従いますからっ!!」
「ならばよかろう」
帝王が軽くレイジングハートを振ると、ようやくアルフの首のバインドが緩む。
もっとも緩んだだけでバインドは未だ首に巻き付いているし、四肢は身動き一つ出来ないままだ。
「ガハッ!ガフッ…ハァ…ハァ…」
「アルフ……」
少し咳き込みながらも呼吸を再開するアルフを見てほんの少しだけ安心したフェイトだったが、
事態は何も改善していない。帝王がその気になればアルフを即座に殺せることにはかわりはなかった。
「タグスキー、タグスロン。剣を引け」
『はっ』
タグ兄弟が各々の得物を首下から外したため、ほんの少しだけ死が遠のいたフェイトは
床に伏せた状態から身を起こし、青ざめた顔のままでその場に座り込んだ。
帝王が視線を向けるとうなずいた秘書Sはフェイトに近づき、持ってきたベルトのような物を
その首に巻き付ける。今更抵抗する気のないフェイトは黙ってそれを受け入れた。
厚さに似合わないずっしりとした重みが、虜囚の身であることをいやでも彼女に教える。
首に付けられたそれにそっと触れると、誰に聞くとも無しにフェイトは呟いた。
「これは……首輪?」
「その首輪には受信機と爆弾を仕掛けておる。ある電波を一定時間受信しなければ爆弾が
作動してお前の頭は粉微塵だ。当然無理に引き剥がしても爆発する。
これが何を意味するか分かるか?」
「………!!」
自分の首に付けられた物の正体を聞いて愕然とするフェイトには答える余裕など無い。
「余の帝国から逃れることは決してできんということだ。お前には知っていることを洗いざらい吐いて
もらう。お前がどこの組織に所属しているか、その組織の戦力はどれくらいか、何故ジュエルシードを
集めていたのか……全てをな。まずはそうだな、お前の所属する組織について答えてもらおう」
「あ…………う…………」
「どうした?答えよ」
「……それ……は………」
「貴様……帝王がお尋ねになっておられるのだぞ、早く答えんか!」
ドランガーの怒声に思わず身を竦ませるフェイトは、ショックの大きい事態が続いてパニックに陥り
言葉が詰まってうまく答えられないようにも見える。
見かねた豪将ビックウェインは思わず止めに入った。
「おそれながら帝王に申し上げます。いくら腕が立つとはいえ相手はまだ子供、
少し落ち着かせた方が良いのでは」
「何甘いこと言うとるんや。ガキなんて脅しつけたらすぐ素直になるで」
「2人とも、やめよ」
フェイトとアルフの置かれた状況にいささか同情的なビックウェインと弱者への哀れみなど
欠片も持たないゲルドリングの意見が一致することなどなさそうだったため、帝王は言い争いになる前に
早々に会話を打ち切らせる。そして少しばかり思案した上で後者の意見を採用することにした。
「時にフェイトよ――――」
レイジングハートに込める魔力を少しだけ強めながら、帝王は言葉を続ける。
「随分と使い魔をかわいがっているようではないか」
「………!!」
言外に込められた意味を悟ったフェイトは思わずアルフの方を向く。
未だ空中に縛られたままのアルフは泣きそうな顔でフェイトを見ていた。
(フェイト、あたしはどうなってもいいから……自分のことだけ考えて…)
アルフから苦しそうな声の念話が届く。殺されかけても尚フェイトのことだけを考える健気な使い魔。
もう限界だった。フェイトには耐えられなかった。
「…うう……私たちがジュエルシードを集めているのは、……うっぐすっ…母さんが…
あれを求めている…から……です…」
脅迫に屈し母プレシアを裏切っている、その事実がフェイトの心を切り刻み、堪えきれなくなった
彼女は嗚咽混じりに答えを返した。プレシアの役に立つ「いい子」であるため、ずっと封印してきた
涙が目からこぼれ出す。
母のためだったらどんなことでも耐えられた。どんなに辛い目に遭わされても、命の危険を感じる戦いでも。
だからといってアルフを自分のせいで死なせるわけにはいかない。彼女もフェイトの大事な家族なのだ。
家族を失うこと、それだけはフェイトには耐えられなかった。
(母さん、ごめんなさい…ごめんなさい…!)
だがもう1つ、フェイトが屈した理由がある。それは「死ぬのは嫌」という思いだ。
貴重な情報源をそう簡単に殺しはしないというネロス帝国側の事情をフェイトが知るはずはない。
今彼女が感じているのはアルフが殺された後、自分も殺されるだろうという恐怖だった。
ちなみにフェイト自身はそのことに気付いていない。いや、その事実を直視しないようにしていた。
我が身可愛さで母親を売った、と認識することはフェイトの全てを崩壊させかねないのだ。だから彼女は
無意識のうちに都合のいい理由に飛びついた。「アルフを助けなければならない」という理由に。
もっとも、秘匿すべき情報を吐きプレシアを裏切っているというだけでフェイトが苦しむ理由としては
十分だった。
こんな暗いところで理不尽に命を奪われ、母さんの下に帰れないのだけは嫌だ。
例え母さんを裏切ってでも母さんの下に生きて帰りたい。だけどそんな私が許せない。
矛盾した思いがフェイトを責める。幼い心は既にちぎれそうなほど打ちのめされていた。
「では次は―――」
しかし尋問は始まったばかりである。苦痛と絶望に満ちた時間は当分終わりそうになかった。
「ふむ、こんなところか……これ以上の情報は得られないようだな」
尋問の途中で何度もアルフの首が締め上げられ、その度にフェイトが泣き叫びながら
「本当にこれ以上は知らないんです!」と訴える場面があったが、
どうやら帝王は満足したらしくフェイトとアルフはなんとか生き延びることが出来た。
「ゴチャック、お前はフェイトを牢に連れていけ。ビックウェイン、見張りにはお前が当たるのだ」
「はっ!」
「了解!」
「小娘だからといって決して気を抜くことは許さんぞ」
「もちろんです帝王」
戦闘ロボット軍団烈闘士ゴチャックが泣きはらした真っ赤な目でうずくまるフェイトを抱え上げると、
同じく戦闘ロボット軍団である豪将ビックウェインは、至近距離での魔法で2人同時に機能停止
させられることを警戒し、少し距離を置いてからゴチャックに続く。
何度も殺されかけたアルフは、グッタリとした様子でフェイトの名を呟くことしかできなかった。
もう念話を送る気力もないのだった。
「フェイト…」
(アルフ…ごめんなさい、私のせいで…)
念話が届かなくなるまでフェイトはアルフに謝り続けた。
「さて使い魔アルフよ、余はお前達の使う魔法にも興味がある。どれほどの事が可能なのか、どういう
局面において有効なのか……実地試験に協力してもらうぞ」
協力、などと言っているが実際には命令である。
フェイトの命を握られたアルフに逆らえようはずもなかった。
「何で、何でこんなことを……」
どうしてこんな酷い真似が平然と出来るのか。アルフはそう思って呟いたのだが、帝王は
何故魔導師であるフェイトではなくアルフを使って魔法についての調査を行うのか、
という意味と受け取った。
「知れた事よ、魔導師は使い魔を切り捨てることが出来るが使い魔は己の主を裏切れん。
フェイトの命が惜しくばお前は余に従うほか無いのだ」
「悪魔め……!」
「悪魔?違うな、余は神だ。全知全能なる神、ゴッドネロスだ!
フフフ…ハァーッハッハッハッハッハッハッ……」
帝王の高笑いが木霊する中、アルフは絶望と屈辱に涙をこぼした。
戦闘員達が退出し、人気の無くなった謁見の間で帝王は金色のプレートを取り出し
それに話しかける。
「これで分かったであろう?何者も余に逆らうことはできんということがな」
「……………………」
「主の身を守りたいのであれば……どうすべきなのかは分かるな?」
「…………Yes,…sir…」
寡黙なインテリジェントデバイスが悲劇的な運命に囚われた少女のために出来ることは、
帝王に従い所有するデータを供出することだけだった。
牢屋。それはネロス帝国において最も稼働率の低い施設と言っても過言ではない。
軽微な軍規違反には電磁鞭などによる制裁が加えられ、また反逆をはじめとする重度の違反者は直ちに
処刑されるため、ネロス帝国の戦闘員が牢に入れられることはまず有り得ない。
人質を取る、情報を吐かせるなどの目的で捕虜を捕らえた場合でも、ゴーストバンクの位置が
万に一つでも知られないように外部の施設が使われる。
今回のように、ゴーストバンクに連れ込んで帝王が直接尋問するなどと言うことは滅多にない。
これは、未知の魔法技術に対する帝王の関心の高さを表す事例と言えるだろう。
つまるところ、その滅多に使われない牢屋に今フェイトはいるのだった。
「母さん……アルフ……ごめんなさい……ごめんなさい………」
絶望感に苛まれるフェイトをよそに、牢の前では2人の戦士が話し合っている。
「しかしビックウェイン、あなたほどの方が見張りなどと…」
「その考え方は危険だぞゴチャック」
1人は右手のボウガンが印象深い鈍色の戦士、豪将ビックウェイン。数々の武勲を立て、
伝説の巨人の異名を持つ男。右腕から発射される矢は何人もの要人の命を奪い、頑強なボディと
剛力による比類無き戦闘能力は一つの国家そのものを終焉に導いたことさえある。
そしてもう1人は白色の装甲に身を包む烈闘士ゴチャック、格闘戦のエキスパートで
ビックウェインの愛弟子でもある。彼は歴戦の勇者である師を深く尊敬していた。
「魔法という未知の技術にこの歳でバーベリィを下すほどの実力、武器を奪い仲間と引き離し枷を
付けたからといって決して油断はできん。帝王がわしに見張りを命じられたのはフェイトが脱獄を
図った際に即座に抹殺できると見込まれてのことだ」
「申し訳ありませんビックウェイン!私の考えが足りませんでした」
「まあ地味な仕事には違いないがな、戦場に赴くよりはずっと気が楽だ」
微かな自嘲を込めて笑うビックウェインだが、ゴチャックはその意味に気付かない。
「何をおっしゃいますか、あなたらしくもない」
「わしらしくない、か……確かにそうだな。ところでフェイト、今の話は聞いていたと思うが」
ゴチャックの方を向いていたビックウェインに視線を向けられるが、フェイトはどんよりと濁った瞳の
まま視線を落とし目を合わせようとはしなかった。
「実のところわしもお前のような幼子の命を奪うのは忍びない。くれぐれも軽率な行動は慎んでくれ」
「…………はい」
フェイトは消えそうな声で返事をするのが精一杯だった。
その様子を見ながら、自分との余計な雑談がビックウェインの任務の妨げになってはいけないと考えた
ゴチャックは退出することにする。
「それではビックウェイン、私はこれで」
「うむ。研鑽を怠るなよゴチャック。まだ見ぬ強敵が来る可能性はあるのだからな」
「無論です。ビックウェインもお気をつけて」
ゴチャックを見送りながらビックウェインは先ほどの尋問でフェイトが白状したことを思い出す。
特に気になるのはフェイトを差し向けたというプレシア・テスタロッサのことだ。
プレシアにはこれ以上フェイトのような魔導師の配下はいないが、傀儡兵なる無人兵器を所有している
らしい。フェイト自身は実際に戦闘を行っているところを見たことはないそうだが、少なくとも
大きさはネロス帝国の戦闘ロボットよりはかなり大きいとか。
いわば魔法で動くロボットであるこれら傀儡兵がどれほどの戦闘能力を持つのか、ビックウェインは
そこが気になっていた。
基本的に本拠地から離れる機能は持たないそうだが、フェイトが知らないだけなのかもしれない。
それにしてもこの娘もよくよく運がない、ふとビックウェインはそう思った。
聞けば、フェイトは母親に喜んで貰いたい一心でジュエルシードの回収に精を出していたのだという。
それがネロス帝国に捕らえられ、おそらくは母と再会することは二度とないだろう。
ひとたびゴーストバンクに入り込んだ者が逃れることなど有り得ないし、
事によってはプレシアと戦いになりその命を奪うことになる可能性もある。
もしかしたら脱走を図ったフェイトをビックウェイン自身が殺すことになるかもしれない。
(母と子の絆をブチ壊してその命を奪う、か。いい加減うんざりだ)
誰にも話していないことだが、実はビックウェインは戦いばかりの人生に嫌気が差してきている。
当人は戦いをあまり好まない穏やかな性格なのだが、いざ敵を前にすればその電子頭脳の中枢に刻まれた
闘争本能が目覚め、相手の死が決定的になるまで戦いをやめることはない。
そうして何人もの未来ある若者達の命を奪ってきたことをビックウェインは悔いていた。
だが、悔いたところで彼に何が出来よう。戦闘ロボットは主人の命に従い戦うことしかできないのだ。
「私達は……」
「ん?」
自らの人生について思索していたビックウェインに、今度はフェイトの方から話しかけてくる。
「私達は……これからどうなるんですか…?」
床の方を見つめながらフェイトが呟く。
彼女が何を聞こうとしているのかビックウェインにはすぐに分かった。
『生きてここを出られるのか』フェイトの質問の意図はそこにある。
「……帝王は自分の敵には決して容赦しない恐ろしいお方だ。そして裏切りも絶対に許さない。
刃向かう者は尽く死ぬことになる」
「………」
「だが服従する者には寛容さをお見せになる。それが真に有能な者なら尚のことな。
もしあの女、アルフといったか。あいつが帝王のために役に立って見せたらお前達の処遇も
少しはよくなるやもしれん」
もっともネロス帝国から逃れられる可能性はゼロだろう、ビックウェインはそう思ったが
ここで今以上にフェイトを絶望させる気は彼にはなかった。真実を伝えることより隠すことの方が
時には残酷だが、優しい心根のこの豪将は今は生きる希望を持たせた方がよいだろうと考えたのだ。
「そう…ですか……」
「ああ。お前はまだ若い、全てに絶望してはいかん。生きている限り希望は必ずある」
「あり…がとう…ございます……うっうう…」
ゴーストバンクで目を覚ましてからまだ3時間も経ってないはずだが、まるで何日も
地獄を味わわされていたような心境だったフェイトは、この帝国で初めて触れた優しさに
堪えきれずまた泣き出してしまった。
(いかん、慰めてやるつもりだったが泣かせてしまったぞ!どうすればいい!?
こいつは100人の兵士を相手にするよりも厄介だ!)
さしもの伝説の巨人も泣く子には勝てないのか。
しくしくとすすり泣くフェイトを前に攻めあぐねているビックウェインだったが、
聴覚センサーがこちらに近づいてくる足音を感知したためそちらに意識を向けた。
足音が随分軽いため、戦闘員ではないとビックウェインは判断する。
ほどなくして彼の予想通り、ローブに身を包んだ1人の女が姿を現した。
「失礼いたします、ビックウェイン様。捕虜の世話をするように命じられて参りました、
ウィズダムと申します」
「モンスター軍団の奴隷女か、いいところに来てくれた!わしは戦闘には自信があるが
子供の扱いなど知らんのだ。その娘の身の回りのことはお前に任せたぞ」
「かしこまりました」
泣いている子供にオロオロする豪将、などという醜態を晒さずに済んで内心ほっとするも、
子供の涙一つ止めてやれない自分の不甲斐なさに怒りも感じるビックウェインであった。
優しい心の持ち主にネロス帝国は住みづらい。
それが例えビックウェインのような強者であっても。
牢屋に入れられたフェイトとは違い、アルフにはかなりの自由が認められていた。
単なる発信器だけが内蔵された首輪を付けられたものの、フェイトの投獄されている区画以外は
ゴーストバンク内では自由な行動が許されている。脱走の危険はないと読まれているからだ。
使い魔は主を決して裏切れない、帝王の言ったとおりである。フェイトという鎖がある以上
アルフはどこにも逃げることは出来なかった。
しかもどういうわけかフェイトに念話が通じない。ゴーストバンクを構成する建築素材のせいなのか、
あるいは何らかの阻害装置があるのか、その理由はアルフには見当がつかなかった。
ただ、使い魔と主の精神的な繋がりからフェイトの哀しみと絶望が伝わって来るばかりである。
ちなみに現在の彼女の身分は帝王直属の秘書KとSの更に下に位置する。
帝王直属といえば聞こえはいいが実際には彼女たちは帝国における雑務を行うことが多く、
各軍団から仕事を頼まれることもしばしばである。
それより更に下のアルフは、言ってみれば全軍団から好き放題に扱き使われる立場であった。
各軍団の様々な任務に従事し、魔法の力を役立てると共に魔法の運用についての情報を収集する、
それがアルフに与えられた任務である。
特に急ぎの仕事はないのか出撃命令が出ていないため、今アルフには考え事をする時間が
与えられていた。暗い通路に座り込んで使い魔は考える。自分と主が生き長らえるためには
どうするか。いや、自分はどうなってもいい、フェイトを生かすためにはどうするべきか。
自分が考え事に向いているとは思っていないが、今回ばかりは頭を使わざるを得ない。
とにかく落ち着いて、状況を整理することから始めることにした。
そもそも、この世界に魔法は存在しないはずだ。事前の調査でも魔法文明は確認できなかったらしいし、
今の今までジュエルシード以外の魔力を感じたことはなかった。
だがゴッドネロスが持っていたのは明らかにインテリジェントデバイス、ミッドチルダを中心とする
魔法文明によるものだ。
しかしゴッドネロスは『魔法について調査』、確かにそう言っていた。
自身がミッドチルダ式とおぼしき魔法を使っていたにも関わらず、である。
(……辻褄が合わないね)
魔法文明の無い世界にいる魔導師、存在しないはずのデバイス、そして自分自身が使っていた
ミッドチルダ式の魔法をよく知らないらしい。ということはミッドチルダについても知らないのだろうか。
アルフは帝王についていくつかの可能性を考えてみる。
自分たちと接触する前に他の魔導師と接触があった?
ジュエルシードと同様に事故でデバイスが流れ着いた?
別世界の出身である次元犯罪者?
――――いくら考えても答えは出ない。情報が少なすぎるのだ。
考えが煮詰まってイライラしてきたアルフは、それよりもこれからどうするべきかを考えることにする。
脱走する?有り得ない、フェイトが殺される。
戦ってフェイトを奪い返す?不可能だ。帝王の実力は明らかに自分の上を行くし、謁見の間にいた
連中の中にも見るだけで震えを感じるような奴らが何人もいた。
獣ならではの本能的な勘が、彼らが自分より強いと教えていたのだ。
どうあがいても反抗は無謀である。そこでアルフは大胆に発想を転換することにした。
いっそのこと服従し、帝王に媚びを売ってみせればどうだろうか。
先ほどの部屋にずらりとそろっていた怪物達の中に魔力を発する者は1人もいなかった。
今まで見た限り、この帝国には帝王以外に魔法を使う者はいないらしい。
ここでアルフは閃いた。
帝国に仕えろ、ほんの一言だがゴッドネロスは自分たちを勧誘していた。フェイトとアルフの能力を
欲しがっていたのだ。仮に心変わりして帝国に仕えると言ったら、あの男は自分達を受け入れるだろうか。
……そんな甘い相手とは思えない。むしろ裏切り者など信用できない、と殺されるかもしれない。
だがもし魔導師の部下というのが、帝王が欲してやまない物だったならば――――
(あたし達を戦力として組み込もうとするかもしれない!)
突破口はここしか思いつかなかった。すなわち、帝国のために役に立ってみせること。
帝王がフェイトとアルフを殺したくないと思うまで。
方針は決まった。
脱出の算段は後回しだ。まずは帝王に気に入られてフェイトの身の安全を確実なものとしなければ。
「ここにいたかアルフ」
自らの思考に没入していたアルフはその声に現実に引き戻された。
顔を上げてみると、目の前に暗い色の軽装甲を身につけた男が立っている。
(こいつ、いつの間に!?)
いくら考え込んでいたからといって、この至近距離まで接近に気がつかなかったことに衝撃を受けた
アルフだったが、それも仕方のないことかもしれない。
「仕事だ。俺達と一緒に来てもらおう」
彼の名はガラドー。ヨロイ軍団爆闘士の地位にあり、忍びのガラドーの異名を持つ男だった。
(フェイト………あたしはこれから悪いことをたくさんすると思うよ。もう笑ってあんたの前に
立てない薄汚れた存在になるかもしれない。だけど、だけどね。あんただけは絶対守ってみせるから。
フェイトの命だけは絶対に守るから!)
届くことのない念話でアルフはフェイトに語りかける。彼女に聞いて欲しいわけではない、これは誓いだ。
主を守るための、哀しい使い魔の誓い――――
「で、あたしは何をすりゃいいんだい?」
武装を格納し、普通のワゴン車に偽装したダークガンキャリーの車内でアルフはガラド-に尋ねた。
現在車内にはガラドーとアルフ、それにヨロイ軍団の軽闘士・影が3人いる。
影は忍びのガラドーに付き従う下忍のような存在でそれなりの数がおり、諜報をはじめとする多方面で
ヨロイ軍団を支えていた。
「この写真を見ろ」
アルフが手渡された写真を見ると、そこには1人の人物が写っている。一目で日本人と分かる黒髪の
少女、年齢はフェイトより3~4歳上だろうか。
「その写真の娘が今回の標的だ。もうすぐこの道を通り帰宅する」
「標的……?」
標的という言葉にアルフは嫌な予感がしてくる。
「伊集院宗徳という男がいた。その男はネロス帝国の秘密を知っていたため豪将ブライディに
始末され、財産も全てネロス帝国が奪った。家族も全員殺したはずだった」
恐ろしい事実を何でもないことのように淡々と語るこの組織の有り様に、アルフは改めて戦慄する。
「だが一人取りこぼしがあった。そこに写っている伊集院の孫娘だ。お前の今回の任務はその娘を……」
ガラドーはアルフの方に目もくれず衝撃的な言葉を告げた。
「抹殺することだ」
「あ、あなた達、一体なんなんですか!?私をどうする――」
「……すまないね」
アルフが小さく呟くと、結界で隔離された薄暗い廃屋に一条の閃光が走る。
殺意を持って放たれた魔法は、帰宅途中に拉致された哀れな少女の体をたやすく突き抜けていった。
それだけで、立った一発の魔法を撃ち込んだだけで。伊集院唯は動かなくなった、永遠に。
あっけないもんだ、アルフはそう思った。
それは自分の手で消してしまった命のことだけではない。
契約の際に与えられたヒトとしての倫理観、自分の中にある一線のことでもある。
(考えてみりゃあたしは昔野生の狼だったんだ、命を奪うなんてなんでもないことだ。
なんでもないことなんだ……)
肉食動物は他者の命を奪って生きる。そう、昔に戻っただけだ。
だけどフェイトはどう思うだろうか。
………関係ない。
例えフェイトに嫌われようが、恐れられようが。アルフに止まる気はなかった。
『どんな手段を使ってもフェイトを守る』
その誓いのためなら、どれだけ血にまみれても平気に思えた。
いや、平気だと思いこもうとしていた。
「存外思い切りがいいな。もう少し躊躇するかと思ったが」
「フェイトのためだ……なんだってやってやるさ」
「それに手際もいい。便利だな、魔法というやつは」
高速での飛行に結界による隠蔽、人間をたやすく抹殺しその殺害手段の痕跡は残さない。
実際に目にした魔法の威力にガラドーは舌を巻いた。
特に指定した相手だけをとりこむというこの結界魔法―――本来は魔力を持つ者だけを選別する
らしいが―――があれば、困難な暗殺任務も極めて安全に、そして一切の目撃者を出すこともなく
確実に遂行できるようになるだろう。
(この技術が完全に我が帝国の物となれば世界の支配も容易な物となるな)
念のため、目を見開いたまま動かない少女の瞳を覗き込みさらに脈と呼吸を確認しようとする。
その時言いしれぬ悪寒を感じたガラドーは横っ飛びに大きく跳ねた。
「スティンガーレイ!」
間髪入れずに降り注ぐ光の弾丸。5発撃たれたスティンガーレイは3人の影とアルフ、そして
一瞬前までガラドーがいたところを寸分の狂い無く撃ち抜いていた。
魔法に対する防御手段を持たない3人の影は、それだけで昏倒する。
アルフは瞬間的にフィールドを張りながら身を捻るも、たやすくフィールドを貫いた魔法はアルフの右腕を
撃ち抜いていった。非殺傷設定による痛みとしびれが右腕から正常な機能を奪う。
「何者だ!」
誰何の声を上げながらガラドーが光が降り注いできた上方を見上げると、そこには黒いバリアジャケットを
身に纏った少年が浮いていた。
(この小僧、こいつは何故宙に浮いている!よもやアルフにまだ仲間がいたか!?)
(何で魔導師が!?ちゃんと結界張ってたし、この世界にはには他に魔導師なんて……まさか!)
もともと封鎖用の結界ではなかった上に、人を殺したことによる動揺を押さえ込もうとしていた
アルフは結界への侵入に気づけなかった。だが、目の前の魔導師の正体に見当がついたときアルフの
顔から一気に血の気が引いた。相手が悪すぎるからである。
「時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ」
(やっぱりか!)
嫌な予測が当たって内心焦りまくっているアルフをよそに、少年は怒りを押し殺した静かな声で
語りかける。それは荒々しい態度となって外側に現れる怒りではなく、内側で冷たく激しく
燃えさかる氷のような激怒であった。
サーチャーが検出した結界の反応を調査しにやってきてみれば、使い魔らしき人物が殺傷設定の魔法で
人を殺した現場に出会ってしまった。あとほんの少しだけ早くここに来ていれば、術者に気付かれ
ないための潜入ではなく結界の破壊を伴う突入を敢行していれば、殺人を阻止できたかもしれないのだ。
故に彼は静かに怒り狂っている。殺人を犯した犯罪者に、そして犠牲者を救えなかった自分自身に。
「管理外世界での魔法の使用、及び殺人の現行犯で……お前達を逮捕する!おとなしく投降しろ!!」
数多の次元世界において治安維持を行う組織、時空管理局。秘密裏にロストロギアの回収を行っていた
フェイトとアルフにとっては最も出会いたくない相手だった。まして執務官といえば相当の腕利きのはず、
仮にフェイトとアルフの2人でかかっても勝てる可能性は低いだろう。
(なんて最悪のタイミングで現れるんだよこいつは!)
執務官であれば類を見ない危険な組織であるネロス帝国とも、もしかしたら渡り合えるかもしれない。
出会う状況が違えば、彼はフェイトとアルフを助けてくれただろうか。
だが管理局に助けを求めるなどという選択肢は今のアルフには許されていなかった。
まず第一に殺人の現場を目撃されてしまったこと。そしてもう一つ、何よりも重要なのは
ここで管理局に投降などしようものならフェイトの命はないということだ。
実のところ、念話を使えばガラドーに気付かれることなく執務官とコンタクトをとることも可能なのだが、
精神的に追いつめられておりいささか視野狭窄に陥っているアルフはそこまで頭が回らなかった。
(やるしかない!あたしとフェイトが生き残るにはそれしかないんだ!けど……)
オオカミの姿に変身しながら、アルフはチラリとガラドーの方を見る。
不意を打っての射撃魔法をよけ損ねたアルフや影達と違って、ガラドーは今の一撃をかわしていた。
魔法というアドバンテージを除いて単純な戦闘の技量で考えればアルフより上だろう。
ではアルフとガラドーで力を合わせれば執務官に勝てるだろうか?答えは否であると言わざると得ない。
ガラドーは魔法についての知識が不足している、アルフの実力は執務官には及ばない、
そしてアルフとガラドーの間には連携を取れるような信頼関係は存在していないためだ。
アルフとしては撤退を考えたいところだが、目の前の執務官がそれを許してくれるとは思えない。
だが、それよりも問題なのは隣にいるガラドーだった。この状況で『ネロス帝国に敵対する魔導師』が
現れるというのはアルフにとってかなりまずいと言える。アルフを助けに来た、とも考えられるからだ。
「アルフ、あれはお前達の仲間か?」
「え?ち、違うよ!言ってみれば敵!敵だよ!」
ここで管理局と仲間だなんて思われてはアルフとフェイトの命はいきなり消えることになりかねない。
アルフは大慌てで否定した。
「だったらその言葉を証明してもらおうか。アルフ、あの小僧を殺して見せろ」
「ええ!?ちょっと待って、執務官てのはすごい腕利きなんだ。あたし1人じゃ無理だよ!」
「無論お前一人にやらせようとは思っていない、俺もやる」
そう答え、右腰の短刀を逆手に構えたガラドーは視線を周囲に走らせる。目に入るのは
力尽き崩れ落ちた3人の影、幾多の戦場を共に駆け抜けた頼れる部下達の惨状だ。最早死んでいると
しか思えないほどピクリとも動かない影達の姿はガラドーを激怒させるには十分であった。
「我が軍団の影が3人も……小僧、貴様の命だけで償いきれると思うな!」
「黙って聞いていればお前達っ!」
自分を無視して勝手な会話を続ける2人にクロノの怒りも臨界点に達しようとしていた。
特に、その会話内容はクロノの神経を逆撫でする。戦場に置いては感情をコントロールするよう
心がけていても、未だ若いクロノでは己の激情を完全に制御することはできないのだ。
「どうしてそんな簡単に…人の命を奪おうとするんだぁっ!!」
さて時刻は執務官とネロス帝国のファーストコンタクトが行われるほんの少し前、ユーノ・スクライアと
2人の男達は人気のない山中を歩いていた。いずれも、バリアジャケットを身に纏っている。
「それじゃあ少なくとも2つ以上の出入り口があるということになるのかな?」
「多分そうだと思います。僕があの傀儡兵と接触した場所はここから随分と離れていますから。
すいません、あの時意識がハッキリしてたら入り口があった場所も分かったんですけど」
「まあそう気にするなよ、無事に帰れただけでも幸いってもんだ。そうだろ?キール」
「クラッドの言う通りです。民間人の君がそこまで責任を感じる必要はありません」
「……ありがとうございます」
「ま、オレ達に任せとけば安心だって」
ノリの軽い赤毛のクラッドと物静かな銀髪のキール、2人の武装局員の仕事はユーノの証言を
基に現場の調査を行うことだった。
ユーノがブルチェックに掴まれてネロス帝国に連れ込まれたときは彼の意識が朦朧としていたため、
どこに帝国に入るためのゲートがあったのかまでは覚えていない。そこでまずは帝国から連れ出された
ときのゲートがあった場所の付近を捜索することにしたのだ。ちなみに近隣の山々にも他の武装局員達が
派遣されており、それぞれ2人1組で調査に当たっている。アースラにはサーチャーという優れた
情報収集装置があるが、地下深くに存在する施設や念入りに隠蔽された出入り口を探すのはサーチャー
には向いていないこと、ジュエルシードの捜索にも回さなければならないことから武装局員が
現地調査を行うことになったのだ。また本来ユーノは来るはずではなかったのだが、探索系は得意だ、
足手まといにはならない、実際に敵を見たのは自分だけだ、ジュエルシードを掘り出した者としての
責任が、などとあれこれと理由を付けて同行を希望しついにはリンディの許可を取り付けてしまった。
責任感が強すぎるのも考え物だ、とは最後まで難色を示した執務官の言葉である。
なお言うまでもなくネロス帝国の本拠に近づくこの行為は危険極まりない。リンディも有事の際には直ちに
撤退するように命令してはいるのだが、調査を行う現場の人間は『魔法文明を持たない現地の組織』を
甘く見ていた。彼らはまだ知らない。魔法と渡り合う質量兵器がどれほどのものかを。
そして彼らは気付いていない。今まさに背後から脅威が近づいていることに。
山中を一人の戦士が走っている。三日月の鍬形を兜に付け、腰に1本の太刀を差した青い鎧の侍、
その名をヨロイ軍団暴魂チューボという。
ヨロイ軍団はネロス帝国の中で最も勤勉とも言える集団である。
薬物やサイボーグ化による肉体の強化だけには頼らず、自らの技量を高めるため厳しい鍛錬を己に課す者
ばかりだ。チューボもまたその例に漏れず、時間が空いているときにはトレーニングを欠かさない。
現在は走り込みの真っ最中であった。
鎧の重さを感じさせない軽快な動きで走り続けるチューボの本日の予定は、ゲート8を出て
険しい山中を駆け抜けた後、日課の素振りをこなしてゲート6から帰還というものだった。
だが、目的地であるゲート6の近くでおかしな光景を目にする。
大人2人に子供1人、奇妙な服装と派手な髪が特徴的な3人組だ。
この一帯はネロス帝国の勢力圏であり、表向きは資産家の私有地ということで立ち入りも禁じられている。
外部とは道路も繋がっておらず、ここまで来るには険しい山林を越えてこなければならない。
万に一つ、山で迷った人間ということもあるが、登山用の装備などは持っていないし疲労の様子も見えない。
(まさかどこかの組織の密偵か?)
ブルチェックが逃がした動物から情報が漏れるかも知れない、帝王はそう危惧していた。
このタイミングでゲート6の近くに姿を現すということはあの時の動物と関係がある可能性は高い、
そう結論づけたチューボは気配を殺し、前方の3人の様子を探ることにした。
ヨロイ軍団の軍団員は戦闘ロボット軍団や機甲軍団のような高性能のセンサーは持たないが、
目や耳は常人よりは遥かにいい。チューボは見た目に反して静かに動くと、どうにか3人組に
気付かれることなく会話が聞こえる距離まで近づくことに成功した。
「ところでユーノ君、その質量兵器満載のバケモノってどれくらい強いんだ?」
「ジュエルシードに取り込まれた生物を一蹴していましたから……半端な防御魔法は突破
されるんじゃないでしょうか。まさかクラッドさん戦う気なんですか!?」
間近でブルチェックが暴れるのを見たユーノには自殺行為に思えた。人間大の傀儡兵が装備する
レベルとは思えない威力のあの大砲を連射されれば、防御魔法ごと粉々にされそうな予感がする。
「心配するなよユーノ君、管理局の魔導師はそのための訓練を受けてるんだぜ?」
「いやでも、僕らの知ってる質量兵器とはスケールが違うんですって!」
クラッドは敵を甘く見ている。自信に見合うだけの実力があるのならばいいのだが、ユーノはまだ
彼らのことをよく知らない。もしクラッドが敵の実力を過小評価しているのならそれはとても危険な
ことだ。甘い見積もりが死を招きかねないことを、ユーノはつい先日体験したばかりである。
「クラッド、交戦は可能な限り避けるよう言われたでしょう?」
対してキールは冷静だった。
「ネロス帝国というのが次元犯罪者の隠れ蓑になっている可能性もあります。我々の任務があくまでも
調査だということを忘れないように」
「次元犯罪者ならユーノ君の魔力に気付かないわけはないだろ?」
「それはそうですが…」
3人は気付かない。ネロス帝国の名を口に出した瞬間周囲の空気が変わったことに。
暴魂チューボがこの3人をネロス帝国のことを探る者、すなわち敵と判断したのだ。
「ま、オレ達がその気になれば辺境世界のマフィアなんざイチコロだぜ」
「―――随分と勇ましいことだな」
「何!?」
「誰だ!?」
聞き覚えのない声に思わず振り返るキールとクラッド。いつのまに接近されたのか、青い甲冑の
男が背後に立っていた。その特徴的なフォルムはユーノにも見覚えがある。ブルチェックの手に
よってゴーストバンクから連れ出される際、ブルチェックとチューボは通路ですれ違っていたためだ。
(クラッドさん、キールさん。あいつ、ネロス帝国の中で見かけました!)
(ということはあれがとんでもない戦闘力の傀儡兵ですか。見たところ接近戦仕様のようですが)
(言葉を話すって事は確かに人間並みの知恵はありそうだな)
ユーノからの念話を受けて、クラッドとキールは油断無くチューボを見据えながら
愛用のストレージデバイスを稼働状態に切り替える。
「ほう、なかなか面白い手品だな……それはデバイスとかいう奴か」
カードが杖に変わるのを見てチューボは感心したように呟いた。
「時空管理局次元航行艦アースラ所属、武装局員クラッド・ゲイナスだ!」
「同じくキール・ベリオース。あなたがたにはロストロギア不法所持の疑いがかかっています。
よろしければ少しお話を聞かせてください」
すでにやる気十分のクラッドを目線で制しながら、キールはやや穏やかにチューボに話しかけた。
デバイスの起動を見た相手の反応が少し気になるが、今はそれにこだわらないことにする。
ちなみに時空管理局の名を出したのは次元犯罪者である可能性を考慮したためだ。次元犯罪者か
管理外世界の特異な集団なのか、それを探ることは今後の捜査のことを考えると重要なのである。
「言っている意味が理解できんが……名乗りを受けたとあっては応えねばなるまい。
俺はヨロイ軍団暴魂チューボ。貴様らは何者だ?」
ネロス帝国を探る者には死を。それは帝国においてごく当たり前のことである。相手がCIAやKGB
のような地球の組織の諜報員ならばチューボもそれに従い直ちに斬りかかっただろう。
しかし今チューボの前にいるのは明らかに今まで戦ってきた敵とは違う。
魔法の存在をネロス帝国が察知し、魔導師なる者を捕縛したのはつい昨日のことだ。そしてその直後に
現れた新たな魔導師。2人の武装局員と1人の民間協力者がチューボから可能な限り情報を得ようと
考えているのと同様に、チューボもまた情報を得ようとしていたのだった。
「もしや時空管理局をご存知ない?」
「知らんな。何を目的とした組織だ?」
時空管理局の名は出すべきではなかったかもしれない。キールは内心しくじったと思っていたがそれを
表には出さずあくまでもにこやかに時空管理局について説明した。設立理念、行動目的、散逸した
ロストロギアの危険性など。もっとも規模や戦力についてはぼかしつつだが。
「以上が時空管理局の概要です。信じられないとは思いますが……」
「地球外から来た魔法を使う治安維持機関か。信じがたい事だが…まあ納得することにしよう」
普段なら一笑に付すか一刀のもとに切り捨てる与太話だが、実際に別の世界から来たという捕虜を
見ている以上聞く価値のある話だとチューボは思っていた。
「……あの、本当に信じて貰えるのですか?」
まだなんの証拠も見せていないのに信じると言われたことに、キールの方が疑問を持つ。
チューボの反応は奇妙なものだった。『別の世界』の存在を知っているのに『時空管理局』を
知らない、そんなふうにも受け取れる。
「納得すると言ったはずだ。それで、お前達がここに来た目的は?」
(なあユーノ君、あれ本当に傀儡兵か?なんか俺、人間が会話してるとしか思えないんだが)
(あの鎧の中に機械じゃなくて生物が入っている可能性もあるとは思いますが……)
一方、交渉事に向かない性格のクラッドと民間人であるユーノは会話に口を出さずチューボの様子を
観察していた。
(というかクラッドさん、そのデバイスにスキャン機能無いんですか?)
(ああ、そういえばあったような)
(クラッド……あの鎧の中身は人間ですよ。あなたまだ気がついてなかったんですか?)
(分かってんなら先に言えよ!)
抜け目のないキールは会話しながら既に簡単なスキャンを実行していたのだった。
不満そうなクラッドをよそにキールは会話を続けていく。
「ジュエルシード、あなた方が回収した青い結晶体のことです。あれは先ほど説明したロストロギアの
中でもかなり危険な物なんです。下手をすればこの世界だけでなく他の世界をも巻き込んで次元災害を
起こすほどに。そうなればこの世界の全ての人間が死に絶えることにもなりかねません」
「ほほう…世界を滅ぼすほどの力か…」
おぼろげながらチューボにも全貌が見えてきた。つまるところ時空管理局は別世界の官憲で、帝国の
保有する結晶体ジュエルシードを回収しに来たのだ。そしてジュエルシードには核兵器どころではない
破壊力が存在するという。そこまで分かればもうこの3人には用はない。あとは己の職務を全うするだけだ。
「大体の所は理解できた……これ以上は貴様らを殺してから調べるとしよう!」
「なっ!?」
言いながらチューボは太刀を抜き放ち、身も凍るような殺気を放ちながらそれを構えた。
ネロス帝国を探る者には死を。それは帝国においてはごく当たり前のことなのだ。
『帝国がジュエルシードを回収したこと』を何故か知っていて、わざわざ『ゲート近く』に来る
ような不審人物を生かしておく理由はチューボには存在しない。
太刀を構えたチューボに、高ランク魔導師にも似た凄みをキールは感じた。
「やはり危険な組織でしたか!ユーノ君、君は離れていてください!」
「は、はいっ!」
非戦闘員であるユーノを下がらせ、このコンビにおいては前衛を担当するクラッドが前に出る。
「田舎マフィア程度がっ!管理局の魔導師なめんなよ!!」
「暴魂チューボ、いざ参るっ!!」
かくしてほぼ同時刻、二カ所に置いてネロス帝国と時空管理局の戦いの火蓋が切って落とされたのだった。
ついにその姿を見せた時空管理局。
激突する次元世界の正義と地球の悪。
果たしてアルフは生き延びることが出来るのか?
そして囚われのフェイトの運命は!
魔法帝王リリカルネロス
次回「守れ! 秘密基地」
こいつはすごいぜ!
提 供
桐原コンツェルン
ヒュードラ製作委員会
フェイトと首輪の組み合わせに芸術性を見出す会
このSSは、暮らしの中に安らぎを、桐原コンツェルンと
ご覧のスポンサーの提供でお送りしました。