リリカルVSプレデター (後編)
狩人は久方ぶりに驚愕を覚えた。さきほど獲物の一人、剣の形をしたデバイスを構えた雌が放った攻撃で手傷を負ったのだ。
まさか自分が血を流すような事態になるとは思ってもみなかった。相手が多少魔力量の多い個体だというのはヘルメットの機能で算出されていたが、繰り出された攻撃は予想以上だった。
神速とも呼べる速度で飛来する炎刃の猛攻をその卓越した身体能力で回避し直撃は避けたが、もしもまともに喰らっていれば彼とて無事ではすまなかっただろう。
狩人は火傷と裂傷を負った傷口に鎮痛剤・抗炎症剤・代謝促進剤などの多種薬剤を混合した治療薬を注射する。
爛れた傷に直接注射が行われ凄まじい激痛が生まれるが、歴戦の狩人は低い呻きを漏らすだけでそれを耐えた。
そして傷から染み渡る痛みと共に自分に傷を負わせた雌の事を反芻する。
近接攻撃を主体とする戦闘方法にデバイスの構造からベルカ式、それも最近では少ないタイプ、俗に古代ベルカ式と呼ばれる種類だと分かった。
先ほどの放った技の攻撃力や殺す寸前の獲物を守った動きなどの点から察するに、魔法体系技術を使う戦闘者の中でもかなり上位の個体と判断できる。
この惑星に来て最大の獲物に、狩人は凄まじく湧き上がる愉悦を感じずにはいられなかった。
ここでの獲物はあまりに脆弱で狩りを楽しむ暇すらなかった、しかしあの雌は違う。
正にあれこそ狩人の求めるモノ、全力を出すに値する獲物だった。
彼は左腕部に装着したガントレットのコントロールパネルを開くと、そこに表示された異星独特の文字で描かれたキーを操作し、対魔法用の特殊装備の準備を始める。
魔力結合に干渉し魔法術式の構築や効果を妨げる反魔法を目的とした特殊フィールド、ミッドチルダの言葉で言うならば“AMF”と呼ばれるモノが狩人を中心に周囲を包み込んでいった。
悠久の昔から、彼らの種は魔法を使う者達をこうして狩ってきたのだ。
△
確保した犯人と一緒にヴァイスを逃がしたシグナムは周囲のビルの中で最も大きなモノの中へと入った。
それは無論、まだ見ぬ未知の敵を待ち伏せする為である。
相手が自分でなく撤退するヴァイス達の方を追うという可能性もあったが、今までの経緯から相手の事を考慮してそれは無いと彼女は判断していた。
敵味方関係無く、ヤツがただ戦闘能力をもつ者を殺そうとするのは傷ついた部下でなく抵抗してきた犯人達を追った事からも分かる。
ならばヴァイスよりも自分を狙う筈だ、シグナムはそう確信に近いモノを感じた。
そしてその通り、ビルの周囲に展開したサーチ魔法に何か違和感を感じる、ヤツが接近してきた証拠だ。
そもそも相手が光学迷彩を用いている上に補助魔法を苦手とするシグナムでは正確な位置は分らないし敵である確証も低いが、歴戦の騎士の細胞は微弱ながら気配を感じている。
確かにこちらに敵意を持った何者かが接近しているのだ。
「さて、では歓迎してやるとするか……」
高い空戦能力を持つ彼女がいくら広大と言えどビルのような屋内で戦うのは不利に見える、だがここを選んだのに理由はちゃんとある、歴戦のベルカ騎士は見えぬ相手を燻り出す方法を熟慮していた。
光学迷彩とは特殊なフィールドで光線を捻じ曲げ自身の姿を陽炎の如く消し去る技術である、これを用いた相手を索敵するには高度なサーチ魔法や超音波ソナーのような装置が必要だ。
無論、シグナムはそんなモノを持っていないが、それ以外の方法などいくらでもある。
彼女は手に魔力を集中し生来の能力、魔力変換“炎熱”を行使する。術式構築のプロセスを経ずとも直接変換された魔力が炎をなって発現。
そしてシグナムはそれを天井に向かって撃ち放った。
目標はビルの各所に設けられたスプリンクラーの一つ、それを強烈な炎で吹き飛ばす。瞬間、ビルの内部で豪雨とも思える散水が始まる。
例え姿が見えずとも実体は存在する、散水の水滴が接触すれば光学迷彩も意味を成さない。
廃棄都市区画といってもこの種の防災設備が生きている事はよくある、シグナムはそれを利用したのだ。
同じ頃、ビル内に侵入した狩人は突如始まった散水に驚愕した。
光学迷彩のフィールドに水滴が接触し、表面から徐々に不可視の空間に障害が起こり始める。
帯電しつつ光学迷彩の皮が剥がされ、狩人の姿が晒されていく。
それは正に異形だった。
身長2メートルを優に超える巨体に凄まじく筋肉質な五体で、顔は金属性フェイスヘルメットで覆い隠し、頭にはドレッドヘアーを思わせる頭髪様の管を生やしている。
さらに全身を覆う肌は爬虫類進化種族らしくワニやトカゲのように硬質で独特の模様をしており、手足の指先にはまるで鉤爪のように鋭く尖っていた。
そしてその人外の身体には各所に武装を備え付けている。
両肩には可動式プラズマキャノン二門、腕にはガントレットに内蔵したリストブレード、腰には伸縮式スピアと数枚のレイザーディスクを下げていた。
正に“完全武装”と呼べる各種装備、これこそ宇宙の狩人の姿である。
狩人は大量の水との接触で帯電を続け、著しく隠密性を欠く状況を解決すべくガントレットのコントロールパネルを開き光学迷彩機能の調整を急いで行う。
だがその前に烈火の将の声が場に響き渡った。
「なるほど、貴様が隠れていたカメレオンという訳か」
突然ビル内に木霊した人の言葉に狩人は視線を向ける、そこには魔剣を構えた烈火の将がこちらに手にした刃よりも鋭い視線で睨み付けていた。
良く澄んだ透き通る声で狩人に声をかけたシグナムは、そのまま一拍の間も置かず炎の刃を振るう。
カートリッジの撃発に伴い排夾が起こり、空中に金色の薬莢が舞い踊る。そして炎を纏った刃の蛇が狩人に襲い掛かった。
外部に比べれば格段に狭い空間だというのに、連結刃に変形したレヴァンティンは超高速を維持しつつ正確無比な軌跡で敵を切り裂かんと走る。
狩人はシグナムの振るう腕の軌道から斬撃の軌道を予測しその強靭な脚力でもって跳躍し回避。
高層建造物を単純な脚力で瞬く間に駆け上る事が可能な狩人の足は風の如く速き刃の鞭を逃れる。
目指すは天井、横薙ぎに自分を刻もうと迫る刃を飛び上がって回避し頭上のコンクリートにガントレットに収納されたリストブレードを突き立ててぶら下がる。
そして即座にレーザーサイトの照準をシグナムに向け、両肩に装着したプラズマキャノンの砲火を見舞った。
超高熱のエネルギーが大気を焼きながら麗しい女騎士を焼き潰す為に放たれる、騎士は手にした連結刃を元の長剣に戻しながら迫る攻撃を瞬時に展開した魔力障壁で防ぐ。
三角形を成したベルカ式独特の紋様、硬質・堅牢を売りとするシールドが高熱のプラズマ弾頭を受け止めた。
瞬間、凄まじい爆発を伴いそれは四散、障壁越しにも伝わるあまりの衝撃と熱にシグナムは顔を歪めてよろめく。
高位ベルカ騎士のシグナムの展開した防御障壁を軋ませる程の破壊力、正に尋常ならざる兵器である。
だが彼女の身体にかかる負担は単に敵の火力だけではなかった。
(コレはなんだ? 身体が重い、魔力結合が上手くいかない……まさか……AMFか?)
身体に感じる違和感、それは紛れも無く魔法行使を阻害するAMF(アンチ・マギリング・フィールド)のモノである。
大火力に常軌を逸した身体能力、さらにAMFまで有する敵にシグナムは嫌な汗が背を伝うのを感じた。
「まったく……厄介なヤツだ」
彼女の口から漏れた残響が空気を振るわせた刹那、第二・第三のプラズマキャノンの砲火が放たれた。
レーザーサイトの死の光点に従い超高熱のエネルギーがシグナム目掛けて直進する。
シグナムは着弾と同時にカートリッジを消費して障壁強度を増強、凄まじい衝撃に耐えつつ飛行魔法を行使して側方に飛んだ。
彼女にとって接近戦が最大の長所だとは言え、圧倒的遠距離火力を有する相手に姿を晒し続けるのは得策ではない。
ひとまず周囲の遮蔽物、直径数10メートル以上はあるコンクリート製の柱で身を隠す。
プラズマキャノンの威力は確かに凄まじいが、これだけ大質量の物体を即座に破壊する事は叶わない。
シグナムはひとまず息を整える、重いAMFの重圧で魔法が上手く使えず身体にかかる負担も大きい。
せめて一時、一秒でも良いから呼吸と反撃を整える時間が欲しかった。
だがしかし、狩人はその暇すら与えぬとさらなる追撃を開始する。
手を伸ばしたのは腰に下げていた円形の刃、レイザー・ディスク。
赤外線サーモグラフィによって遮蔽物越しにシグナムの姿を補足すると、狩人は手にしたレイザー・ディスクを全力で投擲する。
人外の膂力で放たれた円形刃はフェイス・ヘルメットの記憶した周囲地形と連動し空中で鮮やかな弧を描きながら遮蔽物となった柱を回りこみ、正確な軌道でシグナムの白く美しい肌を血染めにせんと飛ぶ。
思わぬ方向から遮蔽物を回避して迫る高速の刃に対処するなど尋常の者には不可能である。
狩人は天井からリストブレードの刃を引く抜き、床に着地しつつ鉄仮面の下で静かに勝利を確信した。
だがそれは愚計に他ならぬ、歴戦の狩人ならぬ油断だった。相手は守護騎士、烈火の将シグナムである、尋常の使い手である筈が無い。
相手の首を刎ねる筈だったレイザー・ディスクは肉を切断する音も鮮血が迸る音も響かせず、投擲したそのままの軌道で飛んだのだ。
そしてディスクが狩人の手元に戻ってくるのと同時に柱を遮蔽物として身を隠していたシグナムが躍り出る。
あろう事か、彼女は遮蔽物越しに投げられたレイザー・ディスクの軌道を読み回避したのだ。
単純な反射神経ではいきなり視界の死角から投げられた高速の刃を避けるのは至難、だが事前に予備知識を得た一流ならば話は別である。
シグナムは初見でレイザー・ディスクが追尾性を持つ投擲兵器と察し、投げた後に生じるであろう隙を狙ったのだ。
鮮やかな緋色の髪を揺らした女騎士は狩人に向かって飛行魔法を用いて駆け出す、その凄まじい速度はさながら一陣の烈風の如し。
投擲と着地の隙に接近を許し、両肩のプラズマキャノンで吹き飛ばすには接近されすぎた、撃てば爆発に巻き込まれる危険性が高く、射出威力を調節する暇は無い。
眼前に炎を纏ったシグナムの刃が彼を絶命させんと迫り来る。
狩人はレイザー・ディスクの回収を諦めて、腰に下げた武装の一つ伸縮式スピアに手を伸ばした。
「はあぁっ!!」
シグナムが裂帛の気合を込めた凛々しい声を上げながら、敵を両断せんと燃える刀身を縦に一閃。
狩人はこれを後方に大きく跳び退り難なく回避すると同時に、手にしたスピアの刃を展開。今まで50センチほどの長さだった槍が甲高い金属音と共に一気に2メートル以上に変形。
彼はその超硬質特殊合金製の槍を凄まじい膂力でもって振るい上げるとシグナムにその切っ先を向ける。
そして“今度はこちらの番”とでも言わんばかりに、強烈な突きを無数に繰り出した。
狩人が繰り出す槍の切っ先をシグナムはレヴァンティンで受け流す、耳障りな金属音が鳴り響き刃と刃がせめぎ合い美しい火花が宙に舞い散る。
「くっ!」
迫り来る突きを受け流しながら、刃越しに感じる異星種族の壮絶な金剛力にシグナムの表情が思わず苦悶に歪む。
魔力を込めたレヴァンティンの堅牢な刀身が槍を受け流す度に軋みを上げる。接近したことでより強力に作用する濃密なAMFフィールドが魔力結合を阻害しているのだ。
接近戦こそベルカ騎士の領分であるが、この相手にはいささか厳しいものがある。
そもそも身体能力が人類の規格外の域にある異星の狩人と接近戦に持ち込む事自体が自殺行為に等しい。
並みの使い手ならば一方的に刃の餌食と成り果てている事だろう。
シグナムがそうならず、巧みに攻撃を捌き切り結べているのは彼女が騎士として最上位属する腕前だからに他ならない。
だがしかし、一合・二合と刃を交わす度、確実に彼女は押されていた。
胸を貫こうと迫る苛烈なる突きを払うと腕の芯まで震えが響き、横薙ぎに迫る斬撃を受け止めればあまりの衝撃に魔力で強化した筈の身体が後方に吹き飛ばされる。
仮面に覆われたその下で狩人がどんな顔でどんな表情をしているか見ることは出来なかったが、シグナムには刃越しに相手の内に沸く感情を感じていた。
“相手は自分を追い詰める事を楽しんでいる”と。
その事実がシグナムの闘争心にさらなる炎を灯す。夜天の守護騎士の長、烈火の将シグナム、どこの馬の骨とも知れない怪物風情に舐められる程弱くは無い。
「調子に……」
跳躍と同時に振るわれた刺突を、魔力を込めたレヴァンティンの刃で払い上げる。
狩人の槍には凄まじい力が込められていたが攻防の中で既にシグナムは軌道を読んでいた。
払い上げた槍の下に踏み込むと共に身体を沈ませ、そして美しい緋色の髪を揺らしながら身体を反転させる。
「乗るなぁっ!!!」
身体全体で捻りを加えたレヴァンティンの燃え盛る刀身が狩人に一閃。胴を狙った刃は皮と肉を焼き焦がしながら腹部を大きく切り裂いた。
相手が人ならば確実に絶命させるほどにレヴァンティンの刃は深々と刻んだが、いかんせん相手は異星の狩人である。
巨体に纏われた爬虫類種特有の強固な肌と筋肉は魔剣の刃を内臓に達する前に食い止めたのだ。
「ヴゥルオォッ!!」
燃える刀身で腹部の肉を横一文字に割られ、狩人は激痛に獣のように呻きながら後方へと一息に跳び退る。
彼は距離を取ってシグナムの間合いから一度逃れ体勢を立て直そうとするが、彼女はそれを許さず相手に合わせて跳躍。
そしてカートリッジを炸裂・排夾しレヴァンティンの刃に強大な魔力を満たし、刀身に灼熱の炎を纏わせると、彼女の有する技の中でも必殺の一閃を繰り出す。
「紫電一閃っ!!」
凛々しく澄んだ声が響くと同時に、魔剣の刃が今度は大きく上段から振り下ろされる。
カートリッジから供給された多大な魔力は、AMF効果範囲だろうと関わらず甚大な殺傷力をもたらした。
燃え盛る刃は狩人の顔面を両断せんと縦に一閃、だがその刃は寸前で槍に止められる。
ビルの内部全体に響き渡る程の凄まじく大きな金属音、振り下ろされたレヴァンティンの刃と伸縮式スピアのグリップがぶつかり合い火花を散らす。
しかし拮抗は一瞬、カートリッジをロードして莫大な魔力を得た魔剣は炎と共に障害を両断せしめた。
槍の柄をレヴァンティンの刃が真っ二つに切り落とされ、狩人の被っていた仮面も浅く刻む。
踏み込みが足りなかった訳ではない、相手が寸前に一歩身を引いた為に必殺の一閃が届かなかったのだ。
狩人の反射速度に胸中で舌を巻きながら、シグナムはさらに斬り込もうと踏み込む。
だがその瞬間、狩人の腕に装着されたガントレットから“何か”が射出され、シグナムの全身に絡みついた。
「くっ! なんだっ!?」
起伏に富んだシグナムの艶やかな肢体に絡みつく、それは狩人の武装の一つネット・ランチャー。
対象を包み込んで拘束し、徐々に緊縛を強めてワイヤーを構成する金属糸に組み込まれた鋸歯で切り刻む武器である。
例え鋼鉄だろうと用意に切断する鋭利なワイヤーがシグナムの身体を包み、少しずつ緊縛していく。
豊満極まる乳房にワイヤーの網目が食い込み柔らかな乳肉の形を変え、騎士甲冑に覆われていない露出した肌を裂かれて僅かに血を滲ませる。
徐々に強くなっていく緊縛の力にシグナムの肢体は身動きを封じられ、刻まれていく。
あと十秒も待たずに拘束の力は最高潮へと達し、彼女の身体をそれこそ微塵切りにするだろう。
「うあぁ……」
ギリギリと全身を締め付け肉へと食い込んでいくワイヤーに、シグナムの口から苦悶の喘ぎ声が漏れる。
身体の中でも特に突出した胸にいたっては強固な筈の騎士甲冑が裂かれて僅かに乳房が露出する程だ。
手足の動きが封じられた状態ではレヴァンティンで切る事もできない、正に絶対絶命の窮地。
だが怜悧なるシグナムの思考は死の迫る前に脱出方法を紡ぎだした。
「くっ、これなら……どうだっ!!」
そう叫んだ瞬間、シグナムの纏っていた騎士甲冑が外部への指向性を持って爆発を巻き起こした。
凄まじい爆発の威力に、彼女を拘束していたワイヤーが千切れ飛び、緊縛は解放される。
シグナムは魔力で構成された防護服、騎士甲冑を瞬間的に指向性炸裂させたのだ。
爆発の際に放出された魔力を自身の変換資質を用いて燃焼させれば、いかに特殊ワイヤーとてただでは済まない。
騎士甲冑の外装部がパージされ上着部分とスカート部分は消失、さらに髪をポニーテールに結んでいたリボンが衝撃で吹き飛び髪型がストレートへと変わった。
あちこちが切り裂かれた騎士甲冑のアンダーは血で滲み、実に痛々しい姿である。
だがシグナムに休む暇などなかった。
彼女が剣を構えた刹那、アンダーのみの騎士甲冑で露になった豊満極まる肢体の上を赤い光点が舐め回すように這う。
シグナムがワイヤーの戒めを脱するよりも早く狩人はトドメのプラズマキャノンの照準を彼女に合わせていたのだ。
距離を取り、威力調節を高出力に設定、シグナムを即座にミンチにする為の砲火は準備を整えていた。
狩人の肩にある二門のプラズマキャノンの砲門に収束している高エネルギーにスプリンクラーの水が蒸発し湯気が立つ。
その刹那、凝縮したプラズマの塊が射出される。
下手な防御をすれば死は免れない高威力、カートリッジをロードして防御に魔力を上乗せする暇も無い。
シグナムの胸の上に光るレーザーサイトの光点目掛けて高エネルギーのプラズマが迫る。
受ければ死は確実の攻撃、だがシグナムが行ったのは回避でも防御でもなかった。
走ったのは輝く刃、狙うは迫り来る高熱の魔弾、炎の魔剣はその刀身でプラズマの塊を見事に両断する。
真っ二つに切り裂かれたエネルギーの塊が刀身に纏われた魔力の力でシグナムの両側方へ飛び、壁に激突して爆散した。
後には高熱を帯び、煙を上げるレヴァンティンを構えたシグナムのみが残された。
「どうした、もう終わりか?」
未だ向けられたままのレーザーサイトとプラズマキャノンの砲門に烈火の将は恐怖など微塵も感じさせぬ凛々しい言葉で挑発した。
二発目を迎撃できる余裕はあるとは言い難い、回避や防御も困難だ、しかしそれとて彼女の戦意を折るには遠い。
いかな苦境も剣と誇りで切り開く気概がシグナムにはあった。
狩人はこれに思わず全ての戦略を忘れ、息を飲んだ。
知性の低い蛮族や低脳な獣ならばともかく、こちらの兵装を理解した知性体人類種の雌があんな命懸けの戦法を易々と行うとは前代未聞である。
そして同時に彼の胸に大いなる歓喜が湧き上がった。
これこそが知的生命体と戦う醍醐味、生きるか死ぬかの領域で引かぬ胆力を持ち、狩られるどころか逆にこちらを殺す戦意に満ちた者との出会い。
人間の時に換算すれば実に800年以上の時を狩りと戦いに投じてきた彼だが、これ程までに勇猛な敵に対面したのは初めてである。
もはやシグナムを獲物として認識するのは間違いだ。
彼女は狩られるだけの獲物ではなく、命を賭して戦うに値する“戦士”であると再認識する。
もうこの戦いは狩りではなくなったと彼は判断した。
次の瞬間、シグナムの胸の上に照準を合わせていたレーザーサイトの赤い光点が消失する。
狩人の両肩に装着されたプラズマキャノンの砲口に収束していたエネルギーもまた、急速にその熱量を失っていった。
突然射撃兵器の脅威が去り、シグナムは安堵よりも不気味さを感じる。相手の意図が掴めない事は単純に強大な敵と対するよりも恐ろしい。
彼女は怪訝な顔をして狩人を注視する。そして、狩人はさらに不可解な行動をした。
両肩のプラズマキャノンに手をかけたかと思えば、装着しているジョイントから取り外し床に投げ捨て、今度は腰に手を回して武装を取り外し始める。
狩人は予備のレイザー・ディスクやまだ使っていなかった武器を次々と外して投げ捨てていく。
そうして残された装備は腕や足などに装着されたガントレットやフェイスヘルメットのみとなる。
さらに、狩人はおもむろに残された装備の中、左腕に装着したガントレットに付けられたコントロールパネルを開きボタン操作を行う。
すると、今までシグナムの身体にかかっていた重圧が一気に消え去る。AMFのフィールドは解除されたのだ。
「貴様……なんのつもりだ?」
突然の事に、シグナムは思わず言葉を漏らす。
何故こんな状況で武装を解除する必要性があるのか、相手の行為があまりに理解不能で不可解だった。
だが、狩人は彼女の言葉など気にせず、最期に自分の顔に装着していたフェイスヘルメットに手をかける。
繋がれていたプラグが圧縮された気体の抜けるような小気味良いと共に一本ずつ外されていき、遂に狩人の素顔が露になった……
鈍色の金属製ヘルメットがスプリンクラーの水で濡れる床に落ちて水しぶきと金属音を立てるが、シグナムはそんな音などまるで聞こえなかった。
晒された敵の醜貌に彼女の目は釘付けになる。
爬虫類種から進化した生物だけにまるで恐竜を思わせるような顔には特徴的な顎部。
外部に二対四本の巨大な牙があり、それぞれが独立して動くその牙はさながら節足動物の足のようで不気味だ。
その内側にはさらに内部にもう一つの顎があり、それは通常生物と同じく上顎と下顎に分かれている。しかし上顎部の牙は何本か抜かれており、醜い外観をさらに際どいものへと変えていた。
内部上顎の歯を抜歯する、これは彼らの種族特有の成人通過儀礼(イニシエーション)を終了した証、狩人として大成した証明である。
この凄まじい形相を見たシグナムは一瞬醜さに眉をしかめた、その次の瞬間、甲高い金属音が鳴り響く。
見れば、狩人の両腕に装着されたガントレットから鉤爪のような形の刃、リストブレードが現れていた。
リストブレードは伸縮式なのか、かなりの刃渡りを有しており、全長は優に70センチ以上はある。
幅・厚みも非常に豪壮でありかなりの重量を予想させるが、狩人はこれをまるで意に返さず軽がると振り回しシグナムに向かって構えた。
『こいつ……もしや……』
ここに至り、彼女はようやく狩人の行為がなんなのか理解した。
これは“決闘”なのだ。有利不利、勝機のあるなしに関係なく、己が認めた戦士に敬意を表してただ誇りと意地を賭けた死闘を望む。
狩人はそれをシグナムに挑もうとしているのだ。
今まで、この敵はただ人々を殺戮する事だけが目的かと思っていたシグナムもこれに認識を改める。
敵はただの殺戮者ではない、強き獲物を求める狩人にして気高き戦士なのだ。
その事実にシグナムの中にある種の感情が湧き上がってくる、それは紛れもなく“悦び”だった。
騎士道精神を重んじる実直で理性的な武人にして麗しい美貌を持つ彼女はその美しい顔の下にあるモノを隠していた。
それはあえて言うならば雌獣(けだもの)、盛りの付いた発情期の犬のように浅ましい欲望を燃やす狂った野獣。
理性の鎖で拘束され身動きを封じられているが、時折抑えきれぬ程に荒れ狂っては闘争という名の快楽を欲する。
耐え難いその闘争衝動を満たそうと、友人の執務官や教会シスターとの模擬戦で適度に渇きを癒してはいるが、所詮それは単なるその場しのぎだった。
本当に欲しいのは命を賭して戦う決闘、生きるか死ぬかの危険と隣り合わせの刃の遊戯。
そして何より血が欲しい、熱く迸る敵の血潮を見ねば雌獣は真の意味では満足できないのだ。
闇の書の呪われた運命から解放されて久しく血の臭いと味のもたらす快楽、もはや得られる事のないと思っていた悦び。
それが今正に目の前に現れたのだ、シグナムの胸の中にどす黒くそして蕩けるように甘い快楽が溢れ出してきた。
「ふふ……くくくっ……」
濡れた唇から漏れたのは小さな笑い声、最初は必至に抑え込み殺そうとしたが、それは即座に決壊した。
「あぁ~っはっはっは!!」
それはシグナムを知る者が見れば己が目を疑うような光景。彼女が大声を上げて笑うなど守護騎士の仲間たちとて見た事はあるまい。
狩人もこのいきなりの豹変に目を丸くするが、彼女はそんな事など構わず笑い声の後に声を続ける。
「決闘の申し込みとは最高だな……久しく忘れていた、この熱い血の滾り……身体が芯から火照ってくるぞ」
艶を孕み恍惚とした声でシグナムの口から喜悦が零れる。
紅潮した頬と潤んだ瞳、まるで性感に悶えるように彼女は闘争の狂喜に震えた。
戦える、それもいつもの模擬戦が子供のママゴトに思えるほどの死闘を。もう嬉し過ぎて気が狂いそうだ。
シグナムは自分の中の雌獣を抑え付けていた鎖が千切れていく音を聞いた気がした。
“もう我慢しなくて良い、思う存分殺し合える”そう思えば苦痛も疲労も淡雪の如く消え去り、後には高揚と悦びしか残らない。
そしてシグナムはおもむろに手を予備のカートリッジに伸ばすと、そのまま遠くへと放り投げた。
「さあ、これで条件は五分だ……存分に死合おう」
心から嬉しそうな笑顔と声、狩人はシグナムの発した言語の正確な意味は理解できなかったが、そこに込められた意思は察した。
これに彼の胸には感動すら芽生えた、まさかここまで自分の申し出に応えてくれる者がこの世にいようとは思いも寄らなかった。もはや彼女の事を愛しいとさえ思える。
生まれた星も、種族も、性別も、存在を構成する全ての要素が正反対の二人はこの瞬間、戦いという名の行為によりこの世の誰よりも相手を近しく感じた。
そして、今までビル全体に降り注いでいたスプリンクラーがその機能を停止し、人口の雨が終わりを告げる。
瞬間、それを合図に二匹の獣は駆け出した。
「はあぁっ!!」
「グルゥオッ!!」
雄叫びと共に迫る両雄、最初に風を切ったのは狩人の刃。
右腕に装着されたリストブレードがシグナムの首を刎ねようと唸りを上げる、それは技術など欠片もないただ力任せに振るった野蛮な斬撃。
だが単純(シンプル)で無駄のない攻撃は凄まじい威力と速度を誇る無双の刃である。
並みの魔道師ならば回避する事も防御する事もできず錆となるだろう。しかし相手は歴戦のベルカ騎士、そう容易く倒れるほど甘くはない。
左側方から首を跳ね上げようと襲い来る高速の刃を予備動作で事前に見切り、その軌道が自分に到達する寸前に跳躍し回避。
鍛えられた脚力と飛行魔法とを同時行使した跳躍は狩人の攻撃よりも素早く完遂され、彼女の身体を宙へと舞い躍らせる。
狩人の刃は艶やかな美女の身体に触れる事無く虚しく空を切るに終わり、相手に反撃の機会を与える事となった。
美しい緋色の髪を躍らせながら宙に舞ったシグナムは飛行魔法で急制動をかけ、今度はこちらの番とでも言わんばかりに手にした魔剣を振るう。
攻撃後の無防備な背中に炎を纏ったレヴァンティンの切っ先が走ると共に、狩人の蛍光色の血液が迸った。
シグナムは空中を舞いながらの華麗な反撃から着地すると、さらなる追撃の為に魔力強化した足で床のアスファルトがひび割れる程の力で踏み止まり方向転換を行う。
だがその追撃を許さず狩人の刃が再び彼女に放たれた。
狩人は自分の後ろを取ったシグナムに、先ほどの攻撃の横薙ぎの回転運動を利用して今度は左腕のリストブレードを裏拳で繰り出す。
追撃に移ろうとしていたシグナムは咄嗟に三角形のベルカ式防御障壁を即座に構成する。
間一髪、柔肌が切り裂かれる寸前に狩人の刃は障壁に阻まれて侵攻を止める。
だが防がれてなお狩人は力を微塵も緩めない、いやむしろ更なる力を込めて刃を振りぬいた。
「くあぁっ!!」
人類種ではありえぬ凄まじい金剛力が、障壁ごとシグナムの身体を吹き飛ばす。
悲鳴と共に飛ばされた彼女の身体は激突したコンクリート壁を砕き隣のフロアまで転がった。
障壁と騎士甲冑越しにもシグナムの身体を強烈な衝撃が襲う。口内が裂けたのか口元からは血が鮮やかな紅色を垂らす。
「くっ! やってくれる……」
砕け散ったコンクリート片を跳ね除けながらシグナムは苦痛を気力で抑え込み立ち上がる。
レヴァティンを構えると、狩人が彼女を追って即座にコンクリート壁を打ち砕き現れた。
そして再び、力任せの単純で無駄のない必殺の斬撃を繰り出す。右腕に装着された鉤爪の刃が柔肌を求めて風を切りシグナムへと迫る。
だが彼女はこれを冷静に見極め、横薙ぎの軌道を正確に把握して魔力強化した脚で後ろにバックステップを行い回避。
狩人は追撃でまた左のリストブレードを裏拳の形で振るう。
高速の刃が襲い来るが、シグナムはこれを身体を沈めて回避、緋色の髪を何本か掬いながら自分の頭上スレスレを通過する刃の懐に潜り込む。
そしてカウンターとばかりに狩人のわき腹にレヴァンティンを滑らせる。
強固な皮と屈強な筋肉を切り裂いて、狩人の身体から蛍光色をした緑色の血潮が飛び散った。
「グゥヴォオォッ!!」
攻撃の勢いのままに狩人はシグナムから距離を取りつつ激痛に呻く。
体勢を立て直してリストブレードをこちらに向ける狩人、シグナムはレヴァンティンを脇に構えてこれを追撃する。
“この好機、逃さず仕留める”、そう強く思いながらシグナムは全身全霊を懸けて駆け出す。
彼女の身体に溜まった体力・魔力の疲労はそろそろ限界に近い、もしこの一撃で勝負が決せぬならば、もはや逆転は無いだろう。
濃密な死の予感と闘争の悦びが肌を粟立たせ、シグナムをこれ以上ない程に興奮させる。
口の中に満ちた血潮が蕩けるように甘く感じる、戦いという魔薬は彼女という存在を狂喜させ尽した。
そしてそれは狩人もまた同様。
彼もまた極上の戦士との激闘に悦び、性的興奮までも沸き上がり勃起すら覚える。
およそ人型の種族を相手に接近戦で負け知らずの自分をここまで追い詰める敵、数百年の狩りの中でも最高の領域に位置するだろう敵との死闘は実に甘美だった。
「うおおぉぉぉおっ!!!」
「ガアァァァァアッ!!!」
野獣の如き咆哮と共に、理性という名の鎖から解き放たれた二匹の獣はその存在を一振りの刃へと昇華させて駆け出す。
もはや両者には回避も防御もない、残った全ての力をこの一撃に込め、相手を引き裂く為に刃を振るう。
距離が迫り、必殺の間合いに相手が踏み込んだ刹那、狩人は交差させた腕から逃げ場のない斬撃を繰り出す。
狩人の二本の腕が両側方からシグナムの首と腹を狙って高速で駆け抜けた。
彼の膂力をもって行われるこの二連撃はいくらシグナムでも防御は不可能、既に間合いに踏み入った以上は回避も叶わない。
刹那の時、狩人は勝利を確信する、もう僅かに刃が進めば彼女の身体は哀れなる姿へと変わり果てる。
だがこの攻撃の軌道を、上方へと駆け上る一筋の煌めきが絶った。
それは脇に構えられたレヴァンティンによる下段からの斬り上げに他ならない。
この一閃は単なる斬撃ではない、シグナムが自身に残る全ての魔力を練りこんだ必倒必殺の刃である。
交差するリストブレードの刀身を狙った魔剣は、シグナムの身体が刻まれる前にその刃を天高く跳ね上げた。
もう少し、あと一刹那遅ければ間に合わず彼女の頭蓋は砕けていただろう。
これは奇跡でも幸運でもない、死の淵においても恐怖せず相手の攻撃を読みきった剣鬼の成せる神技である。
狩人の武器は巨大にして強固・堅牢ではあるが、腕に直接装着された上に過剰な重量と刃渡りの関係上小回りが利かない。
こうして上に跳ね上げられれば、体勢を立て直すのに幾らか時間を必要とする。
そしてその時間はシグナムが決着の刃を振り下ろすに余りあるものだった。
空気を切り裂く鋭い音と共に盛大に蛍光色の血液が宙を舞う。
燃え盛る魔剣の刃が左の肩口から右の腰近くまで深く深く斬り込み、絶命必至の一撃を狩人の身体に刻み込んだ。
大量失血と臓器への深刻な外傷、屈強な狩人の身体はついにコンクリートの上に音を立てて倒れ伏す。
こうして、狂気にもとに繰り広げられた闘争という名の舞踏は美しき剣鬼の勝利に終わった。
「ゴフッ!……ガァァッ……」
口から蛍光色の緑色をした血を吐き出し、狩人は倒れた身体をビクビクと痙攣させる。
もはや助かる見込みはあるまい、シグナムは僅かな憐憫を込めて彼を見下ろした。
少し間違えば今こうして地に倒れ伏し、鮮血に沈んでいたのは彼女だろう。
危うい勝利と滾る闘争の終焉にシグナムの中で燃え上がっていた熱は完全に消滅した、もう死闘に狂喜する心は欠片も残ってはいない。
そこに立っているのは元の麗しい女騎士だった。
シグナムは息も絶え絶えになった敵に近づき相手の顔をもっと傍で見下ろす。
その醜悪極まりない顔に驚くほどに嫌悪感は生まれない、逆に命を賭して戦ったこの異形の戦士に敬意すら感じた。
ただ、客観的な人類の美的感覚で相手の容貌にポツリと言葉が漏れた。
「随分……醜い顔だな」
狩人は薄れ行く意識の中でこの言葉を聞き、ふと彼女を見上げる。
ストレートに解かれた鮮やかな緋色の髪、特に乳房に素晴らしい起伏をもった爆発的なプロポーション、うっすらと紅潮した白い肌、そして激闘によりあちこちが裂けて素肌を晒すアンダーのみの騎士甲冑。
もしも人間の男が見れば思わず唾液で口元を濡らしてしまいそうな程に、今のシグナムは艶めいた色香をかもし出していた。
だが異星の狩人からすれば、彼女は酷く醜く感じた。
彼の種族からすればツルツルとした人の肌は気色悪いし、毛の生えていない哺乳類というのも理解しがたい。
なにより人型哺乳類種の雌特有のやたらと乳房に実った脂肪など醜悪の極みである。
シグナムの発した言葉、完全には理解できなかったがどうやら自分に対して“醜悪だ”と評しているニュアンスは伝わった。
どうやら自分も彼女も互いを醜い容姿と思っているらしい、死闘に狂喜するどころかそんな事まで似通っていると思えばひどく滑稽に思った。
「ミニクイカオ……ククッ……ハッハッハッハ!!」
シグナムの言葉を反芻し蛍光色の血を吐きながら狩人は笑った、大いに笑った。
激闘の中で死ねる事ほど名誉な事はないのに、これほど愉快な気分で死ねると思うと笑いを抑える事などできない。
そして彼は勝負の締めくくり、潔く散り際を飾るべく最後の力を振り絞って左腕のコントロールパネルを操作した。
瞬間、コントロールパネルから電子音が響きだす。
一定のリズムで少しずつ早まっていく電子音、最初は意味が理解できなかったシグナムだが即座に理解に至った。
これはカウントダウンだ、何をカウントしているかなんて考えるまでも無い。
ここまで互いに共感した彼女には戦士の思考が読めた、彼らのような気高い戦士が無様に骸を晒すようなマネはしない。
「自爆とは!」
思わずそう漏らしてシグナムは駆け出した。
爆発の範囲がどれほどになるか予想もできなかったが、相手の想像を絶する科学力から推察するに小規模では済まないだろう。
体力も魔力も限界まで消耗した彼女だが最期の力を振り絞って走った。自害の巻き添えを食らって死ぬなど冗談ではない。
そして、そんな風に走り去るシグナムの後姿を見つめながら、狩人は愉快そうに断末魔の笑い声を響かせる。
「アァァ~ッハッハッハッハ!!!」
彼女が駆け出した後、誰もいなくなったビルの中で最後の瞬間まで狩人の笑いは響き続けた。
△
「何だよありゃ!?」
ヴァイスはヘリから見えた凄まじい爆発に思わずそう叫んだ。
核兵器を用いた際のキノコ雲にも似た爆炎が巻き上がり周囲の廃ビルをなぎ倒している。
犯人を護送してその足で舞い戻り、シグナムの加勢に来たヴァイスだったが、戻ってみればそこでは大爆発が全てを飲み込んでいた。
「クソッ! 生きててくれよ姐さん……」
ヴァイスは誰に言うでもなく一人毒づきながらシグナムのデバイスの反応をレーダーで探す。
局の管制システムに登録されたデバイスならばこれに反応して位地が特定できる筈である。
そして上空を旋回する事数分、微弱な反応がレーダーに現れた。
レーダーの示す座標へと機首を向ければそこには彼が血眼になって探していた騎士がいた。
彼は即座にヘリを着陸させてシグナムへと駆け寄る。
シグナムは激しいヘリのローター音に見向きもせずガレキの山の上に座り込んでいた。
「姐さん! 無事ですか!?」
「ああ……ヴァイスか……」
「“ヴァイスか”じゃないっすよ、アイツはどうしたんすか?」
「倒したよ……」
「倒したって、マジっすか!?」
「ああ……」
シグナムは会話するのもおっくうだと言わんばかりに力なくそう答える。
無理も無い、命懸けの激闘に次いで大爆発からの脱出で彼女は精根尽き果てていた。
もう彼女には自分ひとりで満足に歩く体力すら残ってはいない。
「すまんヴァイス……肩を貸してくれないか? 正直歩くのもままならん……」
「いや、別に良いっすけど」
シグナムの頼みに答えるとヴァイスは彼女に手を貸して立たせて自分の肩を貸した。
支えた彼女の身体は思っていたよりもずっと軽く、ボロボロの騎士甲冑から露になった柔肌がひんやりと心地良い感触を伝える。
シグナムのあられもない姿と相まってヴァイスの頬は赤く染まっていった。
「どうした? 顔が赤いぞ?」
「い、いや! なんでもないっすよ!」
身体のラインをくっきりと見せる騎士甲冑のアンダー、それもあちこちが裂けて肌が晒されている艶めかしい姿に興奮するなというのは健全な男には無理な事だ。
特に、破れた騎士甲冑から見える豊かな極まる乳房の谷間には思わず目が釘付けになる。
ただ、激闘の余韻の為に今のシグナムにはそこまで頭が回らなかった事が幸運か、ヴァイスはきっちりと色香に満ちた姿を目に焼き付けておいた。
「ああ……ヴァイス」
「は、はい! なんでしょう!?」
「一つ頼みがある……」
「“頼み”っすか?」
「ああ……帰ったら熱いコーヒーを淹れてくれ……うんと濃いヤツをだ」
熱くて苦い目の覚めるようなコーヒーを疲れきった身体が欲している、シグナムはささやかな欲望を長年の部下に囁いた。
この要求に、ヴァイスはニカッと笑みを浮かべ二つ返事で答えを返す。
「はい、じゃあうちの部隊自慢のコーヒーマシンで淹れたヤツを」
「ああ……期待しているぞ」
狩りの夜が終わり、朝焼けの照らす中で烈火の将は朝日にも負けない満面の笑みを見せた。
終幕。
最終更新:2008年09月18日 17:45