日が落ちようとしていた。
廃棄区画に近い寂れた街の路地を抜け、歳月に負けて整然と並べられた面影を残しつつ所々崩れてしまっている道を光太郎は踏みしめていく。
顔見知りになった年かさの女性に挨拶して、光太郎は家路を急いでいた。
整った顔立ち。量販店の服ではない、ウーノが用意していたスカリエッティの研究所にいた頃に用意された服を身に着けた光太郎に彼女らは愛想良く挨拶を返した。
ウーノが転がり込み、光太郎の暮らしぶりは否応なく変わった。
光太郎だけなら構わなかったのだが、光太郎自身のなけなしのプライドにかけて廃墟で滝をシャワー代わりにして暮らすことは出来なかった。
たとえそれが快く思っていないウーノとはいえ、だ。
首都クラナガンの外れで光太郎は安アパートの一室を借りた。
地球より文明が発達したミッドチルダでは4畳半風呂なしなんて物件は存在しないらしく光太郎が予想していたよりは良い物件を紹介してもらうことが出来た。
身元不明の光太郎とウーノに妙に暖かい視線を向けた管理人が何か勘違いしていたような気もしたが、光太郎は深く考えないことにしている。
「光太郎、そんなに急いでどうしたの?」
「…ウーノ」
声を掛けられた光太郎は足を止めて振り向いた。
微かに眉を寄せた表情をしたウーノが買い物袋を抱えて、脇道から現れる。
光太郎も微かに険のある表情でウーノを待ち、彼女の持っていた袋を強引に持つ。
抱えていた荷物を何も言わずに取り上げて歩き出した光太郎の背中に苦笑を投げかけ、ウーノは光太郎を追いかけて隣に並んだ。
「余りいい気はしないでしょう? 別に手伝っていただかなくてもいいわ」
「この方がマシだ」
「そう? ならお願いするわ」
特に会話もなく二人は歩いていく。
並んで歩く姿は、他人が見れば若夫婦のように見えなくもない。
だが二人の間に流れているのは剣呑な雰囲気だった。
「ところで今日はちゃんと働いたんですか」
「…いや、ちょっと見過ごせない事件が起きてさ」
「……光太郎、まさか貴方またバイトを首になったの?」
「すまん」
深々とウーノはため息をついた。
肩を落とす光太郎を目を細め見上げる。
「ドクターの世話になりたくないと言う理由については理解しますわ。私も遠からず敵になる貴方をドクターが支援するのは納得がいきません。ですが」
「わかってる」
苦い顔をする光太郎に、ウーノは追及の手を緩めなかった。
「なら、何故遊んでいるんです?」
「遊んでなんてないさ」
苛立ったように微かに眉を動かしてウーノは隣を歩く光太郎を見た。
「私達を圧倒する程の改造人間が、普通の人間に混じってジャンクフードの配達をしているのが遊んでいるのでなくて何なの」
「……表立って管理局に目をつけられるようなこともする気はない」
ウーノは何か言おうと口を開き、頑固な光太郎の性格等を考えて諦めたように一層深くため息をついて「何か手を考えましょう」と言った。
それっきり二人は押し黙り、アパートの一室に戻るまで何もしゃべらなかった。
帰宅した二人は一人は食事の用意に、一人は風呂の用意をして食事が出来るまでの時間を潰す。
今日の食事当番はウーノで、光太郎は殆ど荷物のないキッチンと続いている居間で夕飯が出来るのを待っていることにした。
同じ部屋で寝るわけにもいかないのでウーノの部屋は付いているが、光太郎の部屋はない。
光太郎の分の小部屋が付いている物件には手が出なかった。
情けない話だがこの部屋自体もウーノが発見した物件である上に、バイトを次々に首になる為家賃もウーノと半分ずつ持ち寄っているのが現状だった。
大家も身分証も無い光太郎が、美しい妙齢の女性を連れた訳ありに見えたから部屋を貸してくれたようなものである。
余りに甲斐性なしの自分に少し凹む光太郎と自分の二人分の夕飯を作るウーノは、凹んでいる光太郎に少し感心していた。
嫌な女の為に部屋を借り、その為に増やしたバイトを首になっては小言を言われても未だにこの部屋に戻ってくるなんて、変わった男だと。
光太郎自身はあの廃墟で暮らしていてもなんら支障はなかっただろうに、とも思う。
ドクターの世話をしていた時の習慣で部屋は綺麗にしているが、情報端末はウーノの部屋にしかなく荷物も少ないこの部屋では娯楽も無く所在無げに座っている位しかできる事がない。
そんな部屋に帰ってくるなんて私ならしないわねと、苦笑が浮かんだ。
最近そんな風に思い、少しかわいそうになってきたので料理には手をかけるようになったせいで夕飯はまだ出来ない。
もう少しかかると、光太郎に言おうとしたウーノが振り向くと、光太郎の姿は無かった。
光太郎が着ていた服が脱ぎ捨てられ、床に散乱していた。
恐らく変身した時に破けてしまうのを嫌ってのことだろう。
開けっ放しの窓から吹く風が、ウーノの髪を揺らす。
予想通り、机の上にこれ見よがしに置いておいたスカリエッティの目的の邪魔になりそうな凶悪犯罪者の記事が床に棄てられているのを見て、ウーノの顔には自然と笑みが広がった。
光太郎が凶悪な事件に首を突っ込んでバイトをよく首になってしまうのを見かねたウーノはそれをドクターの為に利用することを思いついた。そう大したことではない。
ウーノの持つ先天固有技能フローレス・セクレタリーは、レーダーやセンサーの類に引っ掛かることの無い高性能なステルス能力と共に高度な知能加速・情報処理能力向上チューンの事でもある。
それとスカリエッティの研究所経由、管理局に潜入しているナンバーズ2番ドゥーエにも協力させて手に入れた管理局の情報を使い、ドクターの目的を阻害する要因となる犯罪者を光太郎の耳に入れることにしたのだ。
その結果光太郎は、ウーノから囁かれる情報に疑問を呈することもなく管理局も手を焼いているその犯罪者達を捕らえ、管理局へと引き渡している…
『光太郎が私と手を取り合う気になるまで戻ることは許さない』
スカリエッティを怒らせ、ウーノはそう言われ放逐された。
そんなことはありえないとしか思えないウーノは、途方にくれた。
スカリエッティに付き従う事以外に生きる理由は無いウーノにとっては死刑宣告のようなものだった。
だが今はこうして光太郎をうまく使いスカリエッティの夢を実現する手助けが出来ていると考えれば、この暮らしもなんとも楽しいものだった。
だから近所の住人に光太郎との関係を勘違いされていようが、光太郎が所謂駄目亭主状態だろうが構いはしない。
ウーノは「世話のかかる男だわ」と零しながら脱ぎ捨てられた衣服を一枚一枚集めていった。
戻ってきた時に下着まで丁寧に畳まれて置かれているのを見て光太郎は物凄く嫌そうな顔をするので、丁寧に畳んでいった。
ウーノに声をかけずに部屋を飛び出した光太郎は、RXの姿へと変身を完了しアパートや雑居ビルの間を飛び跳ねていた。
時速300kを超える速度で走り抜けることも可能とする両の足は、一般人の目には留まらぬ速さを維持しながら幾度も人家の屋根や古い柱を音もなく蹴っていく。
声をかけずに出てきたのは、ウーノへどう言うべきか決めかねているせいだった。
いつも料理を並べている小机に置いてあった紙面には犯罪者の情報が載っていた。
その犯罪者が何を行ってきたか、今何を行おうとしているのか。どのあたりにいると思われるのか。
どうやって調べたのかは光太郎にはわからないが、実に詳しく書かれていた。
情報の真偽に関しては疑っていない。
共に暮らし、何度か殴り込みをかけるのに協力してもらう内に光太郎の力を利用しようとしているウーノの思惑、その背後にあるスカリエッティへの忠誠をひしひしと感じているからだ。
(勝手極まりないが)光太郎にとっては知った以上は見てみぬふりなどできない。
そんな者の情報を、ウーノは的確に用意し…今夜もまた光太郎は動き出した。
だがこの犯罪者を見つけ出し、管理局に叩き出すのは間違いなくスカリエッティの利になる。
利用されているだけなのだと湧き上がる感情に、この犯罪者を捕らえる方がより悪い事態を招くのではという考えさえ浮かんでいた。
そのせいで気持ちがふらつき、少なからず情が移りつつある彼女へ礼を言うべきかそれとも不審を露にするべきか…光太郎は戸惑っているのだった。
この世界に来てから、自分は弱くなっている。
はっきりと気持ちを定められずにいる自分に、そう考えざるを得ない光太郎は高速で市街地を抜け、高層ビルの屋上で足を止めた。
建築されてから軽く百年以上は経過した街の高層ビルの一つ。
平らな屋上の隅で急停止した光太郎、RXは眼下に広がる古い町並みを見下ろす。
一見目新しく見えるビル群、遠くに見える廃棄都市区画…ミッドチルダに立ち並ぶ多くの建物は遠い昔に築かれたものだ。
廃棄都市区画などを含め景観の観点から、次第に文化財として、過去を伝える遺物として保護され、行政の区画整理も個人の建て直しも間々ならないのだという。
最近はそれに加えてデザイン的にも好まれているらしく、廃棄都市区画の整理が進むのはより遅くなる見込みだ。
そんな事情を光太郎に教えたウーノは『そのせいで未だに本局のエレベーターは紐で吊っているとか言うジョークがあるくらいよ』と苦笑していたが…
故郷の大都会に似た雰囲気の街並みは、光太郎の心に複雑な感情を沸きあがらせる。
ざわつく心は、しかし光太郎の目から見れば奇妙なデザイン…率直に言えば、角張ったデザインの車などを見て静まっていく。
光太郎の感性から言うと、格好悪いことこの上ない。
詳しい理由は知らないが、恐らくこの世界の人間達とは致命的なほど感性が違うのだろうなと光太郎は思った。
真下に広がる街並みのどこかに、今日わざとらしく教えられた犯罪者は隠れている。
RXの超感覚を総動員し、光太郎は目的の犯罪者を探していく。RXはビルの屋上から飛び跳ね、微かに腕を振るい位置を修正して高層ビルの天辺から路地へと飛び込んでいった。
目標を発見したからではなかった。
今度も、急激な落下に伴って発生したエネルギーを全て足だけでいなした光太郎は、気配に気付き顔を上げた男達に告げた。
「そこまでだ。その女性から離れろ」
二人の女性を囲み、押し倒している男達と、女性のバッグを漁る男達が耳障りな言葉で目の前に現れた怪人を罵り、刃物と杖をちらつかせた。
突然現れた怪しく、不気味なバッタ男に対する恐れが彼らの目の奥に見え隠れしていた。
何も言わず、光太郎は女性に跨っていた男の胸倉を掴み上げ、武器代わりとでも言ったようにバッグを持っていた男の頭に振り下ろす。
彼らの中である程度認められていたのか、反応する暇も無く崩れ落ちた男二人を見て恐慌に陥った男達が逃げていく。
光太郎は逃げていく男達の背中に二人を投げつけ、襲われていた女性にバッグを返した。
「大丈夫か」
衣服をはだけられた二人の女性はRXの、爛々と光る赤い瞳。逆光となった街灯に照らされた姿と男達を撃退した力に怯えていた。
襲われた直後だという状況も手伝い、彼女の一人が泣き叫んだ。
RXの感覚はやっと誰かがやってくることを理解させる…光太郎は床を蹴り、目標を探しに戻っていった。
一瞬でビルの上にまで到達したRXは目を凝らし、耳を澄ましていく。
彼女らが助けられたことがRXの耳には聞こえていた。
それ以上の情報も知ろうと思えば知ることができたが、意識的に彼女らのことを除外して他の場所を探していく。
更に耳を澄ますと周囲の様々な声が届いてくる。
人々の営みの中に紛れる声や匂いや、生命の反応自体を拾い上げていく。
その中に、聞き覚えのある声もあった。
「あの時はもう駄目かと思ったぜ」
どこかの飲み屋らしい。
先日、管理局には突き出さなかった男の声だった。
「そんな化け物相手にどうやって切り抜けたんだ? まさか…またあの手か」
「勿論だぜ。あの話にあそこまで見事に引っかかるような間抜けがまだいるとは思わなかったがな」
RXは先ほどとは別のビルの屋上に着地した。
目標ではないため普段ならすぐに別の相手を探る所だったが、なんとなく…なんとなく光太郎は耳を傾けた。
酔っているらしいことも伝わってくる彼らの笑い声からすると、気分良く飲んでいるらしい。
「ははッひっでー! お前も良くやるよ」
一緒に飲んでいる男が茶化した笑い声を上げた。
何かを飲み干して、誇らしげな声で逃がした男が言う。
「フフ、嘘は言ってないさ。まぁちょっとばかし大げさに言っちまったかもしれないけどな。見た目の割りに案外、人を信じやすい怪人でよぉ!」
「だけどお前。いい加減にしねぇといつか刺されるぜ? 俺は気にしないからいいが…俺みたいに本当にそんな目に会った奴もいるんだからな」
棘のある口調で言っていることが何なのか、光太郎にも直ぐにわかった。
「わかってるって! お前の話を聞いて俺も話を膨らませようとおもったんじゃねぇか…でもな、あーちっくしょう、嫌なことを思い出しちまった…」
「…なんだお前、まさかまだ引き摺ってんのかよ。シグナムだっけ? 振られてからもう何年たつんだ?」
「うるせー! 俺の兄貴をボコボコにしたくせに…糞ッあの女こそあの怪物に殴り殺されちまえばいい…!」
男が心底悔しそうにテーブルを叩く音がした。
連れの男は、その姿を見て堪えきれずにまた笑い出した。
「っくっく、あんま笑わせるなよ。…話は変わるが今度俺と一つでかいヤマを張らないか? 分け前は保障する」
逃がした男は、すぐには答えなかった。
だが「構わないぜ。そろそろほとぼりも冷めるだろうし、懐が寂しくて寂しくて…」
RXはそこまで聞いた所で、その男がもたれかかっていた壁を破壊した。
力任せに、強引に砕かれた建材が散らばり、粉々になった壁と共に席から吹っ飛ばされた男に降り注ぐ。
店の中が騒然とし、その場にいる全員が、壁を破壊して現れた黒い怪人から発せられる威圧感に息を呑んだ。
「懲りていないようだな。嘘だったなら、手心をかける必要もない」
建材に塗れた男が、体を起こすのはおろか、何か言うのさえRXは待たなかった。
腕を伸ばし、恐怖に引きつった男を持ち上げて店の外へ放り投げる。
引き摺り出され、道路に転がっていった男は、急いで逃げようとした。
RXは軽く床を蹴り、あっさりと追いつくと以前と同じように腹に一撃、男の体を貫きかねない拳を無造作に叩き込む。
胃の中身と血をぶちまけようとする男の顔面に殺さない程度に拳を叩き込んだ。
RXは興味を失ったように出来る限り弱めたパンチの威力で地べたを転がっていく男に背を向けた。
一緒に飲んでいた、こそこそと飲み屋の中に消えていこうとしている男の背中にRXは鋭い声で警告する。
「目が覚めたら足を洗えと伝えろ」
足に力をいれ、RXはまた目標の索敵に戻っていく。
店の修理代はその二人の財布から出ることになるのだが、そこにまで今の光太郎は考えることができなかった。
自分が逃がした男は、その場をごまかす為の嘘をついていただけだった。
連れの男の言を信じるなら男が言っていたようなこともあるらしいが…素直に信じることは出来ない。
ビルに着地した光太郎は、何故かこみ上げてきた笑いを我慢しなかった。
膝を突き、笑ううちに少しずつ気持ちが落ち着くようだった。
落ち着きが戻るにつれて、目標もすぐに見つかった。
落ち着きが戻るにつれて、今まで見つからなかったのが嘘のように…すぐに目標は見つかった。
光太郎が膝を突いている場所からそう離れていない場所だった。
一飛びに向かい、冷静さを取り戻した光太郎は障害を淡々と取り除いていった。
スカリエッティの所で戦わせられたカプセル型の兵器を壊し、杖を構えた魔導師を死なない程度に痛めつけて奥へと進んでいく。
RXが現れた当初余裕たっぷりだった犯罪者がうろたえ、逃げ出そうとしている様が超感覚を通して感じられる。
「逃がさん」そう呟いた光太郎は体を傾けて走り出す。程なく、光太郎は犯罪者を捕らえた。
*
その頃、時空管理局本局の一部が動き出そうとしていた。
久しぶりに航海から戻ったクロノは長年の友人を呼び出して、事の次第を説明していた。
テーブルを挟み、対面でクロノが入れた紅茶を飲みながら話を聞いたクロノの友人ヴェロッサ・アコース査察官は、半分ほど空いたカップを置く。
「本人も車も質量兵器扱いされかねないクライシス帝国の改造人間か。確かに放ってはおけないね」
「ああ、だが僕が話した限り彼はクライシス帝国の被害者であり、善良だった。脱走したとは考えにくい」
異世界から迷い込み、友人となった男のことを案ずるクロノに、対面に座るヴェロッサは優雅に寛いだまま薄く笑みを見せた。
「わかったよ。他ならぬ君の頼みだ。他の者に見つかる前に、僕が見つけて保護しよう」
「ヴェロッサ、すまないな」
「いや、通常のやり方では探知できないのなら、どうせ何時かは僕の所にきていたよ。まあ任せておいてくれ」
一点の汚れもない白いスーツを好んで着るヴェロッサだったが、彼は泥臭い仕事も得意としていた。
査察官は一般組織や施設の調査を行い、不正を発見するのが主な仕事となる役職で、調査能力・対人交渉に優れた者が配置される。
その調査を行う過程で後ろ暗い出来事に関わることも少なくはない。
個人的な頼みをすることに引け目を感じるのかすまなさそうにするクロノに手を振って、ヴェロッサは捜査を開始する。
大手柄となるテロリストを数名引き渡してきた怪人の存在を危惧した地上本部のボス、レジアス中将が探していると気付くのは開始してすぐのことだった。
*
光太郎は捕らえた犯罪者を陸士108部隊長ゲンヤ・ナカジマに引き渡していた。
自宅近くで待ち伏せを受けた初老の陸士部隊長は気絶した犯罪者の顔を見て、直ぐにその人物が何者か悟った。
光太郎に目を向け、尋ねたいことがあるからと待つように言って彼は犯罪者を拘束する為に部下へと連絡を取った。
部下に命令している間、光太郎は黙って佇んでいた。
連絡を終えたゲンヤは部下が引き取りに来ると光太郎に言う。
「そうか」
素っ気無い返事を返すRXにゲンヤは苦笑を見せた。
腕を組み、ゲンヤは言葉を選ぶように虚空を見つめた。
何事かこの飛蝗を思わせる顔の怪人に起こったのだろうと言うことくらいは察していた。
家の明かりを避けるように影の中に立つ怪人の顔から感情らしきものはうかがい知ることは出来ない。
自分に打ち明けるはずもない…ゲンヤは自分の用件を済ますことにした。
「アンタに一つ聞きてぇんだが、アンタにこう、オレンジ色の体の仲間がいねぇか?」
他人から聞いた言葉では説明しづらい部分を手振りで表現しようとするゲンヤにRXは言う。
「…それは俺だ」
「あん?」
訝しがるゲンヤに、光太郎はロボライダーの姿となって影の中から一歩歩み寄った。
心が乾いていたゆえの投げやりな気持ちではない。
そう考えながら。
光太郎には、苦しさや苛立ちから自暴自棄な気持ちもどこかにはあった。
だが今は、ロボライダーである自分を知る…つまりは、空港で起きた事件に関係することだという予想が光太郎にそうさせた。
自分にも責任の一端がある。
今の荒んだ気持ちがそうさせているとは思いたくはなかった。
そう考える光太郎はゲンヤに自分がロボライダーでもあることを隠すことはできなかった。
一瞬で姿を変えたRXに酷く驚いたゲンヤだったが、顎を撫でつけ感慨深そうに呟いた。
「そうかい…お前ぇさんが」
目の前の男が何故自分を知っているか考えた末、光太郎は言う。
「俺に用があるということは、空港の事件についてか?」
「あぁ。そうだ」
頷くゲンヤが次に何を言うのかわからない。
目の前の男の力で体を傷つけられるはずもなかったが、光太郎は警戒し身構える。
神妙な顔をしてゲンヤは言う。
「礼を言いたくてな。あの時はありがとうよ」
「…なんのことだ?」
「この二人に見覚えはねぇかい?」
戸惑うRXにそう言いながらゲンヤはいつも持ち歩いている家族の写真を見せた。
そこにゲンヤと共に写っている少女らを光太郎はよく覚えていた。
その少女らはスカリエッティの元にいたナンバーズの少女達と同じ改造人間…戦闘機人と呼ばれる存在だった。
この初老の域に達した父親がそのことを知っているのかどうか、光太郎は知りたいと思ったが写真に写る二人に向ける柔らかい表情を見て疑問を飲み込んだ。
「二人とも可愛いだろう? 嫁に欲しくなったか? やらねぇぞ」
「…覚えているが、礼を言われる資格はない。アレに関しては、俺にも責任の一端がある」
妙なテンションで捲くし立てていたゲンヤはそれを聞いて眉を潜めた。
素早く写真を懐に仕舞いこみ、彼は警戒心を覗かせる。
「なんだって…どういうことでぇ?」
「落ち着いて聞いてくれ」
そう言って、気の進む行為ではなかったがゲンヤに光太郎は簡単な説明を行う。
自分があの惨状を引き起こしたロストロギアを受け取りに行ったことや、共に引き取りに向かった者がああなることを知って逃げ出したのに全く気付かなかったこと。
反応が後れ、アレを押さえ込もうとすることさえできなかったと…時折ゲンヤが質問をしたが、光太郎はそれについても明確な返事を返した。
灯りに照らされ、意識の戻らない犯罪者を足元に転がしたままゲンヤは何度も頷いていた。
「ふむ、わかったぜ。それなら…俺が言うことにかわりはねぇな」
一しきり話を聞き、自分の聞きたい事も尋ねたゲンヤはそう言って再び人懐っこい笑みを見せた。
「ありがとうよ。お前さんのお陰で俺の娘は助かったぜ」
「……だが!」
罪悪感からか正義感か、苦しげな声を絞り出す男にゲンヤは首を振った。
「固いこと言うなや」
ゲンヤは気安い態度でロボライダーの肩を叩いた。
強い力を込めていたらしく、金属の硬い体を叩いたゲンヤは微かに顔を顰めて手を見る。少し赤い手を見て可笑しそうに笑った。
再びロボライダーの肩に手を置き、目を細めたゲンヤは言う。
「娘に言ったって同じことを言うはずだ。お前さんが悪くねぇことくらいわかる。なんなら、直接お前さんに礼を言いたがってるんだが…」
「すまん。そろそろ俺は行く…もう貴方の部下が近づいてきているようだ」
光太郎は管理局の車が近づいてくるのを感じて、首を振った。
遠くを見るRXに釣られるようにしてゲンヤも同じ方向を見たが、普通の人間であるゲンヤには何も見えなかった。
だが、この怪人が言うのならそれは本当のことなのだろうと、ゲンヤは判断して息を吐いた。
「そうか。じゃあ後一つだけ、聞いてもいいか?」
「なんだ」
「なんでお前さんは俺に犯罪者を引き渡す。もっと他の奴がいるはずじゃあないかい?」
「俺は、管理局を信頼出来ない。だが、人の噂で貴方は信頼できる男だと聞いた」
その言葉にゲンヤは少し残念そうな顔をした。
自分が長年勤めた組織が信頼されていないことや、選ばれた理由が少しだけ…いや、かなり残念だったのだ。
「俺も他人に尋ねられたらそう答えよう」
「そうかい」
管理局の車両が近づいてくる音がゲンヤの耳にも聞こえ始めた。
RXはゲンヤが音に振り向いた瞬間に姿を消した。
「やっと来た見てぇだな…」
そう言って顔を戻してもうRXがいなくなったことに気付いたゲンヤは、気絶したままの犯罪者の隣で薄く笑みを見せていた。
光太郎は再びビルの屋上、人家の屋根を走り抜けていった。
周囲を最大限に警戒し、可能な限り素早く光太郎は部屋を目指した。
夜もふけ静まり返った住宅街に光太郎が屋根を蹴る微かな音だけが、風に紛れていく。
アパートの明かりは消えていた。ウーノはもう眠ってしまったのか部屋の中に姿は見えない。
無用心だが、仕方なく開け放たれた窓から光太郎は部屋に飛び込んだ。
誰かに見られていないか気がかりで、部屋に入ってからも光太郎は超感覚を駆使して些細な空気の流れや近隣の住民の生命の気配にまで意識を向ける。
幸い、怪しい動きは見られない。
暫くしてようやく納得した光太郎は変身を解いて、ウーノが畳んでおいてくれた服を持ってシャワーを浴びに行く。
熱いお湯をかかりながら、今日あった出来事を思い返す。
頭と体を洗い、光太郎は湯には浸からずに風呂を出た。
薄い青色のパジャマを着たウーノが、テーブルに食事を並べて光太郎を待っていた。
「貴方も早すぎるわ。まだお茶も淹れ終わらないのに」
「休んでいて良いって、それくらい俺にも出来るさ」
「そう? でもどうせ待っているのだから、気にしなくていいわ」
ウーノは気のない返事を返しながら陶器のマグカップを並べてポットからお茶を注ぐ。
光太郎がシャワーを浴びる間に暖めた料理と一緒に置いて、ウーノは光太郎がテーブルに着くのを待った。
「首尾は良くいったわけではないのね」
席に着いた光太郎の表情を見て、ウーノはそう言った。
情報を教えた犯罪者がどうなったか知りたくてウーノはうつらうつらしながら光太郎を待っていたのだった。
「いや、ちゃんと管理局に突き出したぜ。レジアス・ゲイズとゲンヤ・ナカジマにね」
「何故その二人に?」
「彼らがこの地上の治安維持に貢献していると聞いたからだ。貴様のように逃がされるのも困る」
険のある顔で答える光太郎にウーノは食事を勧めた。
レジアス・ゲイズは確かに有能で貢献しているが、スカリエッティのスポンサーの一人でもある。
暖かいごはんに箸をつける光太郎を見ながら、少し考えたウーノはそれを黙っていることに決めた。
「…妹たちから連絡があったわ」
「え?」
不意にお茶を飲んでいたウーノがそう呟いた。
突然変わった話題に食事の手を止めて、間の抜けた返事を光太郎は返した。
少しだけ笑い、ウーノは続ける。
「貴方の世話をしていた子は貴方を心配してるみたい。またドクターと…」
「それは出来ない」
世話になったチンク達のことを思い返しているのか光太郎は少し苦い顔を見せた。
でしょうねとウーノは困ったような顔を作り、自分用にいれたお茶に口を付けた。
黙々と光太郎はウーノが作った食事を平らげていく。
その間ウーノは次の目標をどうするか考えながら光太郎が食べる姿を眺めていた。
お茶を飲み干したウーノは、食器の洗浄を頼んで席を立った。
「じゃあ私はもう休むわ。光太郎、おやすみなさい」
「おやすみ…ウーノ。今日は食事と……情報をありがとう」
礼を言われたウーノは一瞬何を言われたかわからないように眉を寄せて光太郎を見た。
光太郎は屈託のない笑顔をウーノに向けている。
次第にウーノの顔から、白い首筋までが赤く染まっていく。
だがウーノの表情は、利用している負い目からか歪み、伏せられた。
逃げるようにしてウーノは隣の部屋へと姿を消した。
慌てて自分の部屋に戻るウーノを見送った後、光太郎は無理に浮かべた表情を消した。
やせ我慢をしてウーノに礼を言う程度には、光太郎は落ち着きを取り戻そうとしていた。
そして…「クロノが預かったバイクが消えて一月、母さんは心配ないって言ってるけど…」
まだ学生であるにも関わらず溜まりに溜まってしまった休暇を使い、時空管理局本局からミッドチルダの首都クラナガンに一人の執務官が下りた。
フェイト・T・ハラオウン。クロノの義理の妹に当たる彼女はクロノが友人から預かったバイクと車を探していた。
倉庫のシャッターをブチ破り、二台が消えたのはもう一月も前のことだったが、やっとまとまった休暇を取ることが出来今日から捜索を開始しようとしていた。
長い足の付け根の辺りで纏めた金色の髪を揺らして歩く彼女の姿は美しく、自然と人目を引いていたがフェイトにそれを気にする様子はない。
手に握られている手がかりに意識は集中していた。
ミッドに住む数少ない親友の八神家から興奮気味に送られてきたメールをプリントしたその紙面には画像が添付されていた。
ミッドチルダのゴシップ誌が偶然撮影に成功したというその一枚に目を落とし、そのメールを送ってきた時の友人、はやての興奮した声を思い出してフェイトは苦笑した。
「マスクド・ライダーやー!…、か。よくわからないけどこんなデザインのバイク、ミッドにはないし間違いないよね」
貼付されていた画像には、アクロバッターに乗り空に逃げた犯罪者の背中をタイヤで踏む怪人の姿が映っていた。
少し鮮明さには欠け、細部はわからないが亜人のようにも奇妙なプロテクターを着込んでいるようにも見えたが、フェイトはどちらでも構わなかった。
仕事柄似たような存在に会った経験もあり怯えるようなことはないし、最悪一人で奪い返すだけの実力を持っているという自信もフェイトにはあった。
最終更新:2008年12月15日 22:11