リリカル・ニコラス 第五話 「金の閃光とやさぐれ牧師」
ある晴れた日の午後、眩く輝く太陽の下、聖王教会の敷地の一角で洗濯物を干している最中だったウルフウッドとエリオは顔をつき合わせていた。
エリオの顔はやや朱に染まり、恥じらいの色を滲ませている。対するウルフウッドはニヤニヤと面白そうに笑みを浮かべていた。
「ところでエリオ“こいつ”を見てみぃ、どう思う?」
「凄く……大きいです」
「せやろ、でも“コレ”でかいだけやないんねんで?」
ウルフウッドは手にしたモノをエリオの顔に近づける、少年は気恥ずかしさの為にさらに顔を赤くした。
年のわりに早熟な少年は、その知性で“そういう物”をみだりに見る事が恥ずかしい事だと認識しているのだ。
だが対するウルフウッドはその反応を面白がって余計に少年にソレを見せ付ける。
「ふふ、見てみぃこの色」
「ちょ……ニコ兄恥ずかしいよ」
「何言うとんねん、お前かて男ならこういう“モノ”に興味くらいあるやろ」
「で、でも……」
頬を赤らめるエリオに手にした“モノ”を近づけるウルフウッド、その光景はどこかいやらしい。
いや、断っておくが別に二人はウホな事をしている訳ではない。
ウルフウッドが手にしたモノ、それは……
パンツである。
そう、それはパンツ、いわゆる人が股間に装着する下着類の通称、そして女性が用いる物は別名パンティーとも言う。
ウルフウッドが手にしたそれは実に大きく、そこに納まる尻肉が実に豊かである事を如実に語っている。
そして色ときたら、それこそ汚れを知らぬ乙女の柔肌の如き純白だった。
「いやぁ、このでかさ、こりゃ穿いとるのは相当なデカ尻やな。しかも色が白や! 色気ないにも程があるで~」
「ニコ兄……そんな、人のパ、パンツで遊ぶの良くないって」
「ああ、気にするな気にするな。どうせ孤児院のオバハンとかのや」
ウルフウッドはそう言いながら手にしたパンツに指を引っ掛けてクルクル回した。
彼のそんな様子を、エリオは恥ずかしそうな呆れたような顔で眺めている。
そんな時だった、何か生暖かい風が吹いたのは。
ウルフウッドは一瞬で背に冷や汗をかく。
まるで、かつての世界で出合った異形の怪物ナイブズの気迫や殺気を浴びたような悪寒を感じたのだ。
さながら修羅か羅刹か、少なくとも人に在らざる魔性の気配である。
背中に感じる気迫に、恐る恐る振り向けばそこには笑顔のカリム・グラシアが立っていた。
「ウルフウッドさん、誰が“色気のないデカ尻のオバハン”ですって?」
「へ? いや、その……」
カリムは満面の笑みだった、それこそ世の男が見れば誰しも魅了されるような女神の微笑み。
だがこめかみに浮かんだヒクヒクしている血管、背後から滲み出ている怒りのどす黒いオーラ、プルプル震える握り締められた拳。その全てが彼女が怒りの絶頂にいる事を示していた。
この尋常ならざるカリムの姿にウルフウッドの思考はすぐさま正解を導き出す。
「ああ……もしかして、コレお前のなんか?」
「ええ♪」
顔に貼り付けた満面の笑み崩さず、カリムは一歩ずつウルフウッドへと近づいていく。
無論その拳は硬く握り締められ、ゴキゴキと美女にはあるまじき豪快な音を鳴らしていた。
「ちょ! ま、待てや、落ち着いて話を……へぶあっ!」
弁明の暇もなく、素晴らしい角度と速度で入るカリムの左ストレート。
ウルフウッドの顔に女の細腕で繰り出されたパンチとは思えぬ程深く拳がめり込み、哀れにも醜く歪む。
もし彼女が男に生まれていたら、拳闘の世界に革新をもたらしたことは確実である。
そして、その強力な拳打の威力にウルフウッドの長身が吹っ飛ぶ。
だが事はそれだけに終わらず、カリムはさながら戦い慣れた格闘家の如く彼の身体の上にその豊満な美尻を乗せて跨った。
「問答無用、あなたが泣くまで殴るの止めません!」
「あべしぃっ!」
メメタァ! と拳がめり込む音と共にマウントポジションのカリムの拳が無慈悲にもウルフウッドへと降り注ぐ。
無論、彼に抵抗の術などなくただひたすら美女の拳を顔面で味わうより他は無い。
後はもうお決まりのコンボ地獄だった。
数分後……
「やるやないけ、くれたるわ合格点……でもまだまだやで……泣き虫リヴィオ……駆け上れ……これからも」
「ニコ兄~! 逝っちゃダメだよ、そっち逝ったら帰ってこれないって!」
散々喰らったカリムの鉄拳で、ウルフウッドはどこか懐かしい世界に逝って弟分に言い残していた。
そんな彼を必至にエリオがこっち側に引き止めようと身体を揺すっている。
流石にやりすぎたかと、カリムは少し申し訳無さそうな顔でそれを見ていた。
「えっと……ちょっとやりすぎちゃったかしら?」
「そうですね、せめて30発目くらいで止めておけば良かったかもしれません」
近接戦闘に特化した近代ベルカ式魔法の使い手であるシャッハは、その鍛え抜かれた動体視力でカリムのパンチを指折りながらカウントした。
「うう……だ、だってしょうがないじゃない……ウルフウッドさんが私のパ、パンツを……」
「ええ、まさかあの方が騎士カリムの下着をいやらしく淫蕩な目で視姦した上にその魔手で弄び、まるで極上の料理にするが如く咀嚼し味を堪能するなんて」
シャッハはわざとらしくかぶりを振って、ある事ない事ありえない話を、さも真実であるかの如く語る。
彼女のこの言葉に今まで死人のように倒れていたウルフウッドが蘇生を果たした。
「んな事してへんがな!」
「あら、もう起きられたんですか?」
「おかげさんで……あやうく、どっか懐かしい場所に逝きかけたで……」
ウルフウッドは殴られた顔をさすりながら、先ほどまで見ていた懐かしい涅槃の光景や弟分の顔に複雑な表情をする。
これにカリムはすまなそうに俯いて頭を下げた。
「あ、えっと……すいません……」
「いや、まあええねんけどな。ってか、なんやねん、お前らなんか用があって来たんか? まさかワイをボコりにきた訳とちゃうやろ」
「ああ! そうでした、実はお願いがあって来たんです」
ウルフウッドの言葉に、カリムは何か思い出したのかポムと手を叩いて声を上げた。
「お願い?」
「ええ、実はロッサがもうすぐこちらに来るのですが、なんでも今日は荷物が多いらしいので迎えに行って欲しいんです。私とシャッハはこれから少し仕事があるので、ウルフウッドさんがお暇ならお願いしたいんですが」
カリムはそう言うと、手にしたメモ用紙をウルフウッドに手渡す。
そこには待ち合わせ場所と思わしき場所の地図が記されていた。
「ん、別にええで。車とかあったら借りてええか?」
「あれ? ウルフウッドさん運転できるんですか?」
「これでも自信はあるねんで~、任しとき」
ウルフウッドは自信満々といった様子でそう言うと、胸板をトンと小さく叩く。
そしてシャッハから車のキーを受け取るとエリオに残りの洗濯物を頼んで歩いていった。
エリオは彼にいってらっしゃいと笑顔で見送る。しかし、彼の背中が消えたところで少年はふと、ある事実に気付いた。
「あれ? そういえば……」
「ん? どうしたんですかエリオ君」
「騎士カリム、ニコ兄って車の免許持ってたんですか?」
「ええっと……あれ?」
十分後、交通法規とか社会常識を超越した運転技術と速度でミッドチルダの道路を暴走祭りする一台の乗用車がテレビ速報で流れた。
そしてその乗用車は見事に警察の追跡を振り切って失踪し、同時にウルフウッドがヘトヘトになったヴェロッサを連れて帰ってきた。
彼の“なんか知らんけどポリに追いかけられたで、まあ全力で振り切ったったけどな♪”という言葉にカリムの鉄拳が再び唸りを上げたのは言うまでも無い。
△
「ああ、しっかし車運転するのに免許とか必要なんやなぁ」
ウルフウッドは思わずそう漏らした。
彼が以前に住んでいた世界、乾いた荒野の惑星ノーマンズランドでは未だに車両運転に対する免許所持義務というものが浸透してはいない。
そもそも、交通法規が必要になるような道路なんて結構な大都市でもなければないのだから無理も無い事だ。
何より、幼少時より暗殺結社で訓練していたウルフウッドが教習所などと言う場所に通う暇などある訳もなく、彼の運転技術はミカエルの眼で師に叩き込まれたものだ。
しかしいくら運転できるからと言っても、無免許のままでは運転など許可されない。ましてや交通法規を無視して爆走するならなおさらだ。
故に今ウルフウッドはここへ通わなければならない……
「でも……だからってこれはちと辛いで……」
そんな事を漏らすウルフウッドの周囲には彼より遥かに若い(少なくとも外見年齢が)な少年少女の姿がちらほら。
ここは何を隠そうミッドの交通法規を学び運転技術を修得する為の場所、自動車免許教習所である。
しかし正直な話、平均年齢16~20歳くらいの少年少女の中に外見年齢30代は超えているオッサンが混じっているのはかなり辛いものがあった。
ニコラス・D・ウルフウッド、周囲から浮きまくりである。
回りとのギャップに少しばかり驚きつつ、ちらりと隣りを見ればそこには金髪の美少女の姿があった。
年の頃は十代半ばだろう、きっと大きくなったら多くの男を魅了して止まない美女になるのは確実だ。
(綺麗なもんやなぁ、こりゃ将来有望やで)
しばし少女を横目に眺めていると、同時に時計が目に入る。もうじき講義の始まる時間だった。
するとウルフウッドの隣りに座った少女は何故かソワソワと慌て始める。
なにやらカバンを引っくり返したり、ペンケースの中を引っ掻き回していた。
どうやらペンか何かをなくした様だ。
(なんやそそっかしい子やな……ってか、足元に落ちてんのがソレとちゃうんか?)
ウルフウッドが視線を下に移せば、そこには少女の物らしきボールペンが一つ落ちていた。
きっと彼女はこれを探して慌てふためいているのだろう。
正直もう少し少女がアタフタする所を眺めていたかったが、流石にいつまでも放置しているのは可哀想と思い、ウルフウッドは床の上に落ちたペンを拾い上げた。
「ホレ、落としたのコレとちゃうか?」
「はにゃ!?」
少女の白く柔らかそうな頬を、横合いからプニっとペンの尻で突っつく。
思わず素っ頓狂な声を上げて驚く少女はまるで小猫のようで大変可愛らしいものだった。
振り返った少女はウルフウッドの持ったソレを見るなり、その赤い眼を丸くする。
「あ! コレ私の……」
「下に落ちとったで」
「あ、ありがとうございます」
「いやいや、まあ気にせんでええって」
頭を下げて礼を言う少女にウルフウッドが軽く返すと、そこで教室に講師の先生が訪れた。
講義が始まり、自然とそこで会話は中断されてしまう。
少女との関係はそこで終わると思ったが、講義が終わった時に今度は彼女の方から彼に声をかけてきた。
「あ、あの……」
「ん? なんや?」
「その……さっきはありがとうございました」
「ああ、んな事やったら気にせんでええって」
本当に小さな事だったというのに礼儀正しく感謝の言葉を述べる少女に感心しつつ、ウルフウッドは間近で見るその容姿の美しさと若さに改めて感服した。
彼のその眼差しに、少女は不思議そうに首を傾げる。
「あの何か?」
「いやぁ、それにしても若いなぁっと思ってな。そないな年で車とか乗るんか?」
「はい、仕事の時にも役に立ちますし」
「仕事!? その年で仕事しとるんか?」
少女の言葉にウルフウッドは驚きを隠せずに思わず大きな声で驚愕を露にした。
就業年齢がかつて自分のいた世界とはかなり差があるとは聞いていたが、実際に目にすればやはり驚きを感じずにはいられない。
「ええ、一応管理局の執務官なんですよ」
「はぁ~、大したもんやなぁ」
管理局といえば、カリムも席を置いているというこの世界の警察のようなモノらしい。
そして執務官という名前から察するに事件の捜査などをする仕事だろう。
少女の温和そうな外見からは想像もできない役職に、ウルフウッドは心底驚嘆した。
彼がそんな顔をしていると、ふと少女がなにか思い出したかのように口を開く。
「あ! そういえば自己紹介がまだでしたね、私はフェイト・T・ハラオウンって言います」
「おお、こりゃ語丁寧に。ワイはニコラス・D・ウルフウッドっちゅうもんや、よろしゅうな」
軽く握手を交わし、こうして二人は互いの自己紹介を終えた。
△
「ほんじゃまぁ、ちゃっちゃと洗うか」
「うん」
「はぁ~い」
「りょうかいで~す」
時刻は昼時、孤児院の子供達が胃袋を満杯にして昼食を終えて後に残った大量の食器類をエリオを含む数人の子供とウルフウッドは流し台で洗い始めた。
子供の人数が多い分食器の量も半端ではないが、こうして何人かで協力すれば実にスムーズに運ぶものだ。
山のように積まれていた食器も、瞬く間に汚れを洗い落とされて綺麗になっていく。
子供達と彼らの兄貴分との共同作業、自然とその最中には他愛ない会話が生まれる。
最初に口を開いたのは孤児院の子供の中でも特にウルフウッドに懐いているエリオだった。
「ねえニコ兄、免許の方はどう? 順調?」
「ああ、もう実技はばっちりや。元々運転はしとったしな」
「そうなんだ、じゃあもうすぐ買い物も楽になるね」
「おお、教習所で知り合った子ももうすぐ取るみたいやしなぁ」
「へぇ、どんな人?」
「ああ、金髪の綺麗な子で……」
ウルフウッドがそう言葉を繋ごうとした時だった。
彼の後ろに誰かの気配が近づいてくる感覚がすると同時に、人の足音がする。
ウルフウッドはドアノブを回す音と、床を軋ませる間隔、そして気配で相手を特定すると背中越しに声をかけた。
「おう、シャッハかいな」
「よく分かりましたね、後ろに目でもついてるんですか?」
「勘や勘、それでなんぞ用でもあるんか?」
ウルフウッドは手にした食器を片しながら、首だけくるりと振り返る。
そこには案の定彼が予測した通りの人物、シャッハ・ヌエラの姿があった。
だがそこにいたのは彼女だけではない。そこにはつい最近ウルフウッドと良く顔を合わせるようになった一人の少女がいた。
管理局執務官の黒い制服に身を包み、その漆黒に似合う輝く艶やかな金髪とルビーのような赤い瞳の美少女。
その美しい紅色の眼とウルフウッドの視線が中空で交錯し、二人はキョトンとした顔になる。
ウルフウッドの隣にいたエリオは少女の顔を見るや、驚きと共に彼女の名を自然と漏らした。
「あ! フェイトさん」
「ええ、実はこちらのテスタロッサ執務官という方がエリオ君の面会にいらっしゃったので、ここまで案内したんですが……って、お二人ともどうなさったんですか?」
意味深に視線を交わして何ともいえないと言った表情になっていた二人の様子に、シャッハは首を傾げて尋ねる。
「いや、まあなんちゅうか……なあ?」
「はは……奇遇ですね」
ウルフウッドとフェイトは、互いに顔を見合わせて苦笑する。
二人の浮かべた表情の意味を図りかね、シャッハとエリオは不思議そうに首をかしげていた。
本来ある筈であった運命とある筈の無かった運命が交錯し、さながら神の悪戯か、ここにまたこうして奇妙な出会いを紡ぎだした。
続く。
オマケのカリムさん。
聖王教会本部の広大な敷地の中、にカリム・グラシアが日々を過ごす彼女の家は存在する。
そして時刻は深夜、普段は明かりの消えている筈の彼女の私室にはまだ煌々と蛍光灯の光が灯っていた。
部屋の主であるカリムが夜分遅くまでナニをしているかと思えば、彼女はパソコンの画面を食い入るように眺めていた。
「ヤダ……こ、こんな破廉恥な……」
頬を羞恥で染め上げて、顔を手で隠しながら金髪の美女はパソコンの画面をおっかなびっくり見つめている。
いや! 別にいやらしい画像を見ていたとかそんな理由ではない、念のために。
彼女が見ているのはとある女性もの衣服のショップホームページである。
ちなみに項目は下着。
それも“アダルト”や“色気”や“男を刺激”などと謳い文句の書かれた、とても聖職者の見るモノとは思えない感じだった。
「こ、これならもう“オバハン”だの“色気がない”だの言われないわよ……ね?」
恥ずかしそうに頬を染めながら、カリムは誰にでもなく一人そう呟いた。
その後、彼女が“購入ボタン”をクリックしたかどうかは神のみぞ知るところである。
最終更新:2009年04月10日 17:45