――その男は暗闇の中で覚醒した。
 随分と長く意識を失っていた気がする。
 或いはたった今、この世に生れ落ちたかのような。
 そう言った認識を得た直後、急速に世界が広がった。
 状況を把握できた、と言い換えても良いだろう。
 彼は自分が金属製のベッドに横たわっている事に気付いた。
 否、ベッドではあるまい。これは――手術台だ。

「やあ、目が覚めたか」

 不意にガコンと音がして、彼を灯りが照らし出した。
 周囲の様子が露になる――が、彼にとっては然したる意味も無い。
 たとえ真の暗闇の中であろうと、彼の"眼"は見通す事ができるからだ。
 手術室。手術台。何の事は無い。見慣れた光景だ。
 その入り口にたたずむ白衣の男だけが、普段とは違った存在だった。

「――"博士"ではないのか。誰だ、貴様は」
「ジェイル・スカリエッティ。或いはドクターとも呼ばれるがね」

 その男、およそまともな人物でない事は一目でわかった。
 眼が違うのだ。爛々と輝く金色の瞳は、それだけで男の異様さを物語る。
 肉体がどうかなど知らない。その精神こそが異常。

「……何故、俺はココにいる?」
「的確な質問だ。"彼ら"はキミを使ってある作戦を行い――そして失敗した。
 そして大きな損害を受けたキミを廃棄する代わりに、我々に売ったのさ」
「つまり俺は……払い下げられたのか」

 彼は虚ろな声で言った。ある種の虚無感が其処にある。

「ガラクタとして、残骸として、スクラップとして」
「そう悲観する必要は無いぞ。単に彼らではキミの肉体が再生できなかった、というだけの事だ」

 言われてみれば、確かにそうだ。
 彼と同等の損傷を受けた仲間は、皆間違いなく死亡していたのに対し、
 手術台の上に横たわっている彼の身体は、全くと言って良いほど無傷。
 見慣れた黒色の戦闘服も、胸部装甲も、傷一つついていない。
 となれば、頭部も同様なのだろう。
 ぎこちなく腕を伸ばして顔を撫でると、硬質の感触があった。
 間違いない。自分は完全に回復している。

「俺を買い取ったと言ったな。そして、修理まで行った。――――だが、何の為だ?」
「私の"上司"には色々あるようだがね。私に限って言えば、夢の為だ」
「……夢、だと?」

 頷き、白衣の男は大きく両手を広げた。
 まるで役者でもあるかのような大仰な仕草。

「生まれた時から持っていた夢。
 刷り込まれたものかもしれないが、これは私の願いだ。
 私が望む世界。
 私の世界。
 自由な世界。
 それを襲い掛かって、奪い取る。
 ――それが、私の夢だ」

 世界を奪い取る。

 その言葉が、電撃のように彼の脳裏を駆け抜けた。
 たとえ自分が今生まれたばかりであるとしても、
 たった今受けた衝撃こそが、彼にとっては何よりも大切だった。

「――――それは」

 ようやく絞りだせた声は、随分と震えていた。
 恐ろしいのでもない。怯えているのでもない。
 それは極めて明確な一つの感情によるものだ。
 彼は喜んでいた。
 歓喜していた。
 世界を奪うという、その『夢』に。

「?」

「世界征服、という事か」

 ――これが、全ての発端だった。



 魔法少女リリカルなのはNumberS
     『仮面の男』


「スローターアームッ!!」
 二本の足で地に立つ男目掛けて、空より飛来する刃が二つ。
 戦闘機人No7。セッテの固有技能および固有装備、ブーメランブレード。
 空中戦闘に特化した彼女によって、意のままに操作されるその兵器は、
 古代ベルカ騎士の一撃に匹敵するという威力、速度を秘めた代物だ。
 当然、まともに喰らえば只では済まず、また回避する事も難しい。
 だが――……それが届くよりも先に、大地が踏み砕かれた。

 ――跳躍。

 一瞬にして15m。恐るべき脚力である。
 回避したのみならず、その男は空中のセッテ。その間近にまで迫る。

「――ッ!」

 たまらず彼女は急制動をかけ、距離を取った。無論、その間にも戦闘行動は途絶えることが無い。
 投擲したブーメランブレードを呼び戻しながら、両手に更に二振りの刃を生み出す。
 宙に浮いてしまえば、何の装備も有さない存在は動きようが無い。狙うならば今だ。
 両手に武器を握ったセッテは、背後から男に迫る刃に加え、その二刀を投擲。
 前後左右からの回避不能な同時攻撃によって、一挙に畳み掛ける。
 悪くは無い。
 決して、悪くは無い。
 だが、それはおよそ一般的な場合にのみ言える戦術でしかない。
 この男は、そのようなマニュアルの範疇に入る筈が無いのだった。

 しっかりとその脚が"宙を舞うブーメラン"を踏みしめる。

「反転―――……」

 どん、と鈍い音。
 男が更に跳躍した事を理解した瞬間には、その一撃がセッテへと放たれていた。

「――キィイィィックッ!!」

 この男を一瞬にして15mの高みにまで至らせた脚力。
 其処から全力を持ってして放たれるキックの威力は、およそ10トンになるだろう。
 そうなれば無論、まともに喰らえば戦闘不能となる事は間違いない。
 まさに一撃必殺。
 空中戦特化という事もあって、比較的防備の少ないセッテでは耐えうる事は不可能だろう。
 トンと脚が触れた瞬間に、模擬戦終了を告げるブザーが鳴り響いた。

「どうですか、001」
「戦術は悪くない。が、思考外の出来事にとっさに反応できないようではな」

 地に降り立った彼女に対し、同様に着地した男――001は、そう答えた。

 ナンバーズは異常な存在だ。だが、それを上回るほどに異常で不気味なのが、この男だった。

 身に纏っているのは黒色の戦闘服。これはさして問題は無い。
 基本的にはナンバーズの其れと、男女の差こそあれど大きな違いは無いからだ。
 しいて言うならば肘や膝、肩などの要所にプロテクター、そして胸部には頑丈な装甲が備わっている点くらいか。

 首にマフラーを巻いているのも、気にする程の事ではない。
 チンクの眼帯、ディエチのリボンや、ディードのカチューシャ、或いは他ならぬセッテのヘッドギアなど、
 ナンバーズと言えども戦闘行動の支障になら無い範疇で、多少のファッションは許されている。

 問題は、頭部だ。

 ――仮面。
 ヘルメットと呼ぶことはどう考えても不可能だった。
 何故なら其処には『顔』が存在していたのだから。
 緑色の目を持つ、無機質な『顔』
 であるならばそれは、正しく『仮面』だった。

 そんな存在がどうして正常だと言えようか。
 まだしも肉体が生身であったならば、そう呼べたかもしれない。
 だがセッテの視界――解析システムは、男が生身の人間では無い事を伝えている。

 脳の一部を含む肉体の大半が機械に置き換わっている彼こそは、まさしく最初の戦闘機人。
 およそ全ての戦闘機人の原型となったが故に"001"と呼ばれている男。
 ドクタースカリエッティの旧友であり、同時にナンバーズの教官でもある男。
 それが、彼だった。

 空戦型であるセッテの模擬戦相手としては役者不足とも思えたが、
 しかし先程の跳躍を見ればわかる通り、この男は十分以上の空戦能力を有している。
 このように何の問題もなく、彼女に訓練を施すことが出来るのだ。
 少なくともその点については、セッテも文句は無い。

「お前の姉からも言われなかったか?」
「はい。トーレから"機械過ぎる"と」
 的確な表現だな、と呟いて001は笑った。
「我々は改造人間――もとい、戦闘機人だ。兵器であるが、同時に兵士でもある」
「001。言っている意味がわかりかねます」
「つまり、人間なんだよ、俺たちは。ここに詰まっているのは蛋白質の塊か?」

 そう言ってコツコツと001はヘルメットを叩いた。
 緑色の複眼が煌き、セッテは奇妙な居心地の悪さを覚える。
 文句があるとすれば、これだ。
 セッテは彼が苦手だった。
 こんな感情は、完璧な兵器であろうとする彼女にとって有り得ない事なのだが、
 とにかく彼女にとって001は苦手と判断せざるをえない対象だった。
 理由はと問われても、セッテには判断できない。
 結局、プログラムに発生したバグ、或いは欠陥と結論せざるを得なかった。
 どちらにせよ留意すべき事態であるのは間違いあるまい。
 こうして幾度か1号に戦闘訓練を受けるのも、そのバグを克服するのが目的なのだが。
 どうにも、この複眼に見つめられるのだけは、慣れない。
 思考の中へと陥っていたセッテを現実に引き戻したのは、1号の次なる言葉だった。

「ただの兵器では、奴らに勝てん」
「――……奴ら?」
「圧倒的な性能差。絶望的に不利な戦況。
 そういった物を、いとも簡単に覆してのける存在だ」
「……わかりかねます。
 性能差や戦況の悪化。別々に発生したのでしたら覆す事も可能かと思いますが、
 両者が同時に発生したのであれば、それを打開するのは不可能かと」

 最もな意見である。
 およそ魔法に関して言えば持って生まれた素質がほぼ全てであるし、
 彼女達の持つIS、先天固有技能なども、その典型的な例だと言える。
 だが、それに対して001は皮肉げな呟きでもって答えた。

「それが、可能なんだよ。――――人間という奴には」

 ――人間には、それが可能。
 不可解な理論に彼女が頭を悩ませていると、001は笑いながら手を振った。

「まあ良い。いずれお前も逢うだろうし、今考えても仕方ない事だ。
 それより、集団洗浄の時間じゃないのか? お前も行って来たらどうだ」
「いえ、可能ならばもう一戦お願いしたいのですが」
「悪いが、俺はドクターに逢いに行かなければならない。
 良いから行って来い。訓練、訓練、では機械そのものだ」
「はい、ではそのように」


***********************************

 ジェイル・スカリエッティの本拠地には、大規模な集団洗浄場が存在する。
 より一般的な表現をするならば、大浴場と言った所か。
 12人のナンバーズ姉妹全員で入浴してもまだ余裕のある規模の浴場では、
 今日も今日とて幾人かのメンバーが、集団洗浄を行っていた。

 話題と言えばまあ、いつも通りだ。
 ノーヴェやウェンディによるバカ騒ぎから始まり、
 オットーの性別について、或いはクアットロについての軽口。
 この場にはいないドゥーエに対してのあれこれやらも加わり、二転三転した後、
 研究施設における唯一の男性型戦闘機人――つまり001の事になる。

「あー……ダメだ。やっぱアイツは好きになれない」
「そうッスねー。あのヘルメット、髑髏みたいで、ちょっと怖いッス」
「そこじゃねぇよ。何考えてるかわかんねぇところが苦手なんだ」

 浴槽にしっかり肩まで使ったノーヴェと、のんびり浮かんでいるウェンディの会話に、
 さもありなんと他のナンバーズ一同、揃って頷く。

 性別不明なオットー以上に謎めいているのが、あの仮面の男、001だからだ。
 戦闘機人の試作品――タイプゼロよりも前に存在していたとの触れ込みであり、
 ドクターとの付き合いも長く、ナンバーズ達も生まれた当初から関わっている。
 更に言えばセッテならずとも訓練を指導してもらった経験は全員にある。
 そしてその戦闘能力は、魔術的要素が一切無いとはいえ、特筆すべきだ。
 だが――果たして"姉妹"の中で、誰か一人でも彼を好ましいと感じる者はいるだろうか?
 嫌っている者はいないだろう。だが、好きにはなれなかった。

「僕も彼の事は好きになれない。――何故、顔を隠してるんだ」
「あたしも。001さんの顔、見たこと無いもの。ディードは?」
「特段、好ましいとも思ってはいませんが」
「でもさー。私、前にドクターから聞いたんだけど。
 私たちの持ってるIS――先天固有技能ってあるじゃない?」
「ああ、あたしのエアライナーとか、セインのディープダイバーとかだろ?」
「お姉ちゃんのこと呼び捨てにすんな。
 ともかく、戦闘機人にそれぞれ固有能力持たせようって、001の発案だって聞いたよ?」
「うわ、マジかよそれ」
「あ、それとあたしはあの仮面には爆弾が装備されてるって聞いたッス! 外すと爆発するって」
「……誰から聞いた、それ」
「クア姉から」
「そりゃ嘘だよ、ウェンディ」

 満場一致でそれは嘘だ、という結論に達する姉妹たち。
 しばらくしてセッテが集団洗浄に参加すると、すかさず質問攻めが始まる。
 加えてウェンディによる胸部接触も行われ、解放されたディードが胸を撫で下ろす一面もあった。
 つまり何が言いたいのかと言えば、単純な一言である。

 ナンバーズは今日も平和だった。

**************************************

「――――終わったぞ」
 研究室。
 不意に聞えた静かな声に、001の意識は緩やかに覚醒した。
 またしても手術台の上。だが、特に慌てることも無い。
 日に一度スカリエッティの検査を受けるのが、彼の日課だからだ。
「どんな按配だ?」
「キミのお陰で彼女達の製作も、訓練も、実に滞りなく進行している。
 いや、むしろ当初の予定をはるかに上回る出来栄えだ。
 だからこそ、私も努力はしているのだが――……」
「難しい、か」
「……ああ、すまないね」
 ドクター・スカリエッティにしては珍しく、沈鬱そうな表情を見せた。
 だが、それに対して001は特に気にした様子も無い。
 元より仕方の無い話なのだ。
「拒絶反応――リジェクション、か。
 最初から機械との適合を考えて生み出されたナンバーズならばともかく……。
 元々がただの人間だったキミでは、機械との融合は負担が大きすぎるのだよ」
「理解している。ドクターが努力をしてくれたことも。不満は無い」
 マフラーを結び直しながら001は言う。
 言葉に他意はなく、まったくの本心であった。
 結局のところ薬で無理やり抑え込むだけであっても、大したものだ。
 そういった事すら以前は不可能だったのだから。
「こんなにも人間らしい待遇を受けたのは、久しぶりなんだ。何せ――」
 その声は何処か笑っていた。

「改造人間という名の『兵器』だからな、俺は」
「戦闘機人という名の『兵士』なのだよ、今は」

 ドクターの声は、何処か疲れていた。
「私にとって、生命というのは素晴らしいものだ。
 その可能性を探りたいし、尊い存在だとも思う。
 人は『生命を弄ぶ』などとも言うがね。だが、しかし君は――……」
「構わない。判りきっている事だ」
 頷きを一つ返し、手術台の上に腰を下ろす。
 伸ばした右手が手繰り寄せるのは、スカリエッティの用意した作戦計画書だった。
 複製が困難であるという意味において、紙と言う情報媒体は比較的優秀なのだ。
 慣れた手付きでページを繰る001の姿に、スカリエッティは苦笑を浮かべる。
「相変わらず君は、寝ても覚めても征服、征服、だな」
「当然だろう。この"組織"で戦闘経験者は俺だけだ。それに――」
「それに?」
「これは俺の『夢』だからな」
 これにはスカリエッティも笑うしかない。
 一番の同士。一番の友人。本当に頼りになるが、頼り切ってしまいたいわけじゃない。
 と、不意に001の手が止まる。
「……スカリエッティ。ひとつ聞いても良いか?」
「ああ。一つといわず、幾つでも」
「この――タイプ・ゼロファースト、セカンドという奴だ」

 001が指差した先には、カーボン複写された設計図が添付されていた。
 スカリエッティの計画書において「可能であれば捕獲」と記されたそれは、
 図案の人物が子供であるとはいえ、その内部構造は間違いなく改造人間――戦闘機人である。

「ああ、文字通りの存在だよ。戦闘機人のゼロ番機――もっとも、君よりは後発だが。
 『誰か』が作り、奪取され、現在は管理局に所属している。私の知的好奇心から、調べてみたくてね」
「――……特徴は?」
「ファーストがテクニックを。セカンドはパワーを重要視している――らしい」
「……………」
「興味があるのかね?」

いや、と首を左右に振った001は手術台から降り、資料を手にしたまま歩き出す。
「技と、力……か」

退室する間際、ひどく懐かしげに彼が呟いた言葉の意味は、スカリエッティにはわからなかったが。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年12月01日 22:07