八神はやては幸福だった。
 少なくとも、今はそうだ。確信を持って言える。

 両親を失くし、もう歩けない体になった現実は、彼女にとって絶望以外の何物でもなかった。
 何よりも『孤独』が、はやてにとって何よりも恐ろしく辛い事だった。
 しかし、今は違う。違うのだ。
 街灯が照らす夜道。行き付けの本屋から本を買って帰る道すがら、はやては星空を見上げながら思う。
 少し前まで、この道が不安だった。
 通い慣れた道とはいえ、不自由なこの体で夜中に出歩くのは物騒だし、心細くもなる。
 かといって、誰も居ない静かなあの家に一人で居る事も耐えられず、気付けば外に出てしまっていた。
 一人だけの家で孤独を感じるか、知らない人たちの喧騒の中で孤独を感じるか―――どちらかの違いしかないにしても。
 でも今は違った。

「怖いなぁ、もし何かあったら守ってな? 番犬さん」

 わざとおどけた口調で呟いて、すぐ隣を歩く少し前からの同居人の反応を伺えば、呆れたような馬鹿にしたような視線が返って来た。
 その愛想の欠片もない仕草が簡単に予想出来ていて、はやては不安な夜道の中で楽しそうに笑った。

 いつからか、この夜道を共に歩いてくれる存在が出来ていた。

 『彼』は自分に甘えさせてはくれない。
 子犬らしくその愛くるしさではやての寂しさを癒してくれるどころか、『人間など知ったことじゃないぜ!』とばかりに自由気ままに歩き回る。
 気が付けばさっさと視界から消えてしまう『彼』の自由奔放さに、『もう自分の元に戻ってこないんじゃないか』とどれほど不安になっているかも知らないで……。
 『彼』は愛想など振り撒かない。
 優しくなどしてくれないし、気遣ってもくれない。

 ―――だがそれでも、ふと気付いた時に『彼』は傍に居てくれたのだ。

 一人と一匹が夜道を歩く。
 イギーはつまらなさそうに欠伸をした。
 はやてはそれを見てまた笑う。

 だからもう不安などではないのだ。




 おれを散々な目に合わせたどっかの学ランを思い出すような無数の星が浮かぶ夜。
 ワイルドなおれにとって、まだおネムするような時間じゃないが積極的に動き回りたい時間帯でもない。
 それなのに、はやてが『本屋に行きたい』なんて言うもんだから、嫌々夜の散歩に付き合うハメになっちまった。
 一緒に来て欲しいなんて頼まれた時は屁で返事をしてやろうかと思ったが、やたら嘘臭い演技で、

「こんな夜中に足の不自由な美少女が出歩いてたら変態さんの恰好のエジキや。怖い、怖いなぁ~」

 と、ウザイひとり言を言いまくるので、さすがのおれもうんざりして素直について行く事にした。
 チキショー、最近このアホ女調子に乗ってきてるんじゃあねぇか? おれがホイホイ言う事を聞くと思ったら大間違いだぜ!
 傷も順調に回復し、体の調子も戻ってきたし、そろそろコイツにおれの恐ろしさと素晴らしさを教えてやらなければならねーぜ。
 そう思って、行きすがらちょいと睨んでやったら、はやてはやっぱり超能力者染みた解読力で視線の意味を察し、

「ごめんなぁ、ワガママ言える相手なんて他におらんから……許してな」

 なんて申し訳なさそうに謝った。
 もちろん許すワケねーッ! 謝ってる割に顔が嬉しそうに笑ってんの丸分かりなんだぜ!
 是非とも、おれ以外の相手にワガママを言ってくれバカヤロウ。
 などと悪態を吐いても、犬のおれの言葉が通じるわけがない。畜生、結局いつもと同じか。
 何より気にいらねーのは、おれが世話になり始めてこっち、おれはコイツの笑顔しか見た事がないって点だ。
 いつどんな時にはやての顔を見ても、おれの視線に気付いて嬉しそうに笑い返すだけなのだ。
 何がそんなに嬉しいってんだ? ワケがわからねーぜ。
 ひょっとして、おれはいつの間にかコイツにいいように遊ばれてるんじゃあないか? と疑心暗鬼になっても仕方ないと思う。
 もちろん、大人しく飼い慣らされてやるつもりなんてねーがな。
 自身の犬としての反骨心を再確認しながら……しかし、やれやれ。結局、はやての頼み通り夜道の付き添いをやっちまってるテメーの腑抜け具合が情けなくて泣けてくるぜ。
 かつての路地裏のような、おれのホームとなりつつある家に帰り着いた途端、疲れたようなため息が出たのだった。

 帰宅したおれは寝床である毛布の上に寝そべりながら、お駄賃として貰った好物のコーヒーガムを味わっていた。
 このチープな甘みがたまらねえぜ。
 今おれの住む場所が故郷とは違う国、『日本』だという事実は薄々気付いていたが、その違いのせいで生まれる最も深刻な問題は好物のコーヒーガムが手に入れにくいって点だ。
 近所のスーパーに置いてあるのはミントだのハーブだの、トイレの芳香剤を口に放り込むような味のガムばっかりなのだ。
 試しに噛んでみたが、これならまだ『その辺のバカ犬みたいに自分のこいたクソを食った方がマシ!』って気分になったぜ。
 当然、外国産のコーヒーガムなんてある筈もなく、故郷の味を諦める代わりに、ちょっと遠出したスーパーの駄菓子コーナーって所で似たようなガムをようやく手に入れられるようになったってワケだ。
 買う手間もあり、はやてはこのコーヒーガムをたまにしかよこさねえ。
 それを餌にして、たまに言う事を聞かされることもあるくらいだ。奪い取ろうにも、こんな時ばかりあのノンビリ女には隙がない。
 嫌々ながらも、この唯一の好物の為に多少の屈辱は耐え忍んでいた。

 ……チキショー、なんだかマジで良いように使われてる気がするぜ。

 思い返して、口の中の甘味が苦味が変わっちまうような損な気分になりつつ、今日は一段と浮かれていたはやての様子を思い出す。
 なんでも、明日は誕生日らしい。留守電ではやての主治医が言っていたのを聞いた。
 一緒に食事をしようとか誘う内容だったから、それで浮かれてんのかと思ったが、違うらしい。すぐに断っていた。
 じゃあ、何が楽しいんだ? と疑問に思っていると、はやては唐突におれを持ち上げ、こう言った。

「別に特別に祝わんでもええ。私が生まれた時間に、イギーが一緒にいてくれたら……それでええよ。それだけ、お願い」

 コイツらしくもねえ、妙に悲壮感のある真剣な顔だった。
 ケッ、辛気臭えったらありゃしねーッ。冗談じゃあないぜ、言われなくってよぉー誰がテメーの生まれた日なんて祝うかよ。
 全く、人間ってのは意味の分からない事を大切にしたがる生き物だぜ。だから馬鹿なんだ。

 ―――まッ、しかし居るだけでいいって言うなら、しょぉがねぇから『お願い』を聞いてやってもいいぜ。
 何が楽しいのか知らねーが、その僅かな時間に別に何処で寝転がってようが、おれの貴重な人生に大して影響はないだろうしな。
 せいぜい、おれの満足するご馳走を用意しなッ!

 そういう意味を込めて、ひょっとしたら初めてかもしれない『ワン』という鳴き声で返事をしてやったら、とうとう頭のネジが飛んだのかって思うくらいにはやてがハシャギ出して、また一騒動あった。
 やれやれ、まったくおれも懲りねーぜ……。



 ―――そして、ソレは本当に唐突に訪れやがった。


「―――ッ!」

 最後のコーヒーガムの味が無くなりかけていた時、突然おれの背筋を悪寒が駆け抜けた。
 この感覚には覚えがある!
 館に入ろうとする奴をぶち殺し、その目玉を喰うクレイジーな鳥の番人! 奴と対峙した時!
 あるいは、この家に置かれたあの謎の本をじっと見つめていた時!
 おれの背筋を同じような悪寒が走り抜けたのだッ!!

 それらの事から分かる事……そいつはマズ確実に『ヤバイ』って事だけだぜ!

 『ヤバイ』―――それは理解してる筈なのに、おれは無意識に寝床から転がり出て走り出していた。逃げる方向にじゃあない、はやての寝室の方にだ。
 オイオイ、怪我のせいでおれの足だけバカになっちまったのか?
 さっきもおれ自身が考えた筈だ。この『ヤバイ』感覚は以前感じたものと同じだと。その以前感じた『物』の一つが、はやての寝室にはあるじゃあねえか!?
 自問自答で完結する筈なのに、無意識に動く体。全身からヤバイって脂汗を流しながらも、おれは止まらなかった。
 そして、はやての部屋の前に着けば案の定!
 ドアの隙間から不可解な光が漏れ出ている。部屋の中で花火でも打ち上げてんじゃあねーのか? って程の輝きだ。
 この部屋で、確実に何かが起こっている。『ヤバイ』何かが。

 それを確信して、ようやくおれの足は止まった。
 部屋の中は見えないが、おれの優れた鼻と耳で様子は伺える。
 中にいるのは全部で五人。一人の匂いははやてだ。だが、それ以外の奴らが何者なのかわからねー。
 ビックリする事に『そいつら』が人間なのかも確証が持てなかった。
 こんな曖昧で強烈な匂いは初めて嗅いだぜ……。もし幽霊の匂いを嗅げたとしたら、こんな匂いなのかもしれねえ。
 ただ一つ言える事は、これまで『ヤバイ』と感じていた根拠が、この四人にあるって事だ。


 ク、クレイジーだぜ……。
 かつて空間を飲み込む能力を持ったとんでもない化け物を敵にした時があったが、その時と同じような圧迫感を感じる。
 この表現が比喩になるのか事実になるのか、ドアを開けてみなくちゃあわからねーが……コイツラは『人間』じゃあねえ!
 おれは自分の力に自負を持っているが、変な虚勢を張るような馬鹿はしない。だから、ハッキリ言うぜ。
 こんな化け物を四人も相手にしたくないッ! 万が一にも戦うなんてごめんだぜッ!

 動物的な本能で危険を察知したおれは、未だ光の漏れ続けるドアに尻を向けて逃げ出す事に決めた。
 ヤバイと思っちゃいたが、こんな事態になるなんて予想外だ。さっさとこの家から立ち去るに限るぜ。
 ドアの向こうにははやてが残されちまったが……ま、おれには関係ないこったか……。

 ちょいとカワイソウだと思うが、こいつはもう手遅れだぜ。
 おれにどうにかなる範囲じゃねえし、無理してどうにかしてやるつもりもねえ。
 確かに、世話になった分アイツにゃ多少情ってモンが移ったが……だからといって、それ以上のものではないぜ。
 おれには無関係のことだ……。
 弱肉強食は自然界の掟!
 ……バカは死ぬ。運の悪いヤツも死ぬ。
 あんな得体の知れない本を手元に置いておいたアイツの落ち度さ。無用心なヤツは死ぬんだぜ……。 



 トラブルは、まっぴらだぜ。

 …………あばよ!











『………………イ……ギー…………』













 "ドッゴォォオオオオ―――z____ォォンッ!!!"

「ぬっ……何者だ!?」
「敵か!?」

 突然扉が破られ、その爆音にシグナム達は思わず身構えた。
 部屋のドアを丸ごと吹き飛ばす衝撃を起こしたのは、その扉の向こうに佇む小さな影。
 三本の足で立つその『犬』は、一瞬呆気に取られる四人を鋭く睨みつけていた。


┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨ ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨


「犬だぁ~……?」
「油断するな!」

 間の抜けた声を出すヴィータを叱責するシグナムには、まさに襲来した相手が子犬である事への油断はなかった。
 だからこそ、彼女はその犬の放った『攻撃』を、見極められずも回避する事が出来たのだった。
 鋭く睨みながらも佇むだけの犬から、空気を切り裂く『何か』が飛び出す。
 それが何なのか捉えられずも、咄嗟に身を捻ったシグナムの頬を唸る風が掠めた。
 拳か? 槍か? 突き出された『何か』のおぼろげな輪郭だけは見えた気がしたが、ハッキリとは分からない。

 ただ一つ―――もし当たっていればタダでは済まなかったという事実があった。

「シグナム、どうしたの!?」
「攻撃だ! この犬、『何か』で攻撃をした……!」
「じゃあ、やっぱり敵かよ!」
「主を守れ!!」

 四人が迎撃態勢を瞬時に取る中、最強の騎士を相手にした犬は不敵な視線を変わらず向けていた。
 その不遜で大胆な態度に、戦士としての威厳を見る。
 油断は出来ない―――シグナムはもう一度自分に言い聞かせた。

 異物感を感じ、先ほどの攻撃が掠めた頬に触れる。
 ネチャリと粘着質な感触がした。
 頬には、唾液にまみれたコーヒーガムがひっ付けられていた。




 ……メンドーな事になっちまったぜ。

 結局、おれは自身のスタンド『愚者(ザ・フール)』を使って部屋に乗り込んでしまった。しかもハデに。
 コイツは完全に注目されちまっただろーぜ。やれやれ。
 部屋を見回せば、元凶の天然女がベッドでグースカ寝てやがる。ちくしょう、全部終わったら髪の毛毟り取って顔面に屁をこいてやる!

 だが、やれやれ……仕方ねーぜ。
 偶然なのか、狙ってやったのか、はやてはギリギリおれの耳が聞こえる距離でおれの名前を呼びやがった。
 卑怯なヤツだぜ、もう少し後で呼んでいれば、おれも気付かずにこの家から立ち去れたのによォ―――!
 ちくしょうッ、呑気に寝てるがきっとシメシメ笑ってやがるんだろーぜ。あのうわ言のようにおれを呼ぶ声で、マジにまんまとおれの足を引っ張ってくれたんだからなッ。
 正直、こんなヤバイ奴らを四人も相手にするなんて、やってられねーって気分だが―――。



 生まれた日にくたばりそうなこのバカ女を見捨てる事はさすがに……できねーぜ!



 状況的に戦うしかねえようだし、おれもそれ以外にこの場を切り抜ける方法を知らねえ。
 始まっちまったモンは仕方ねーぜ。おれのスタンドが、この化け物どもにどれだけ通じるか知らねえが、ここは―――。

 おれが闘うしかないぜッ!

 ……ちなみに、そのコーヒーガムに深い意味はねぇ。ただの悪意よ!


 散々ヤバイヤバイと自分で言っていた状況に自ら飛び込みながらも、おれはニヤリと目の前の敵を笑い飛ばしてやる。
 その笑い方が、随分久しぶりでしっくりと来る『おれらしさ』だった。






 スタンド:愚者(ザ・フール)
 本体:イギー

 VS

 スタンド?:ヴォルケンリッター
 本体:八神はやて


 ――――戦闘開始ッ!!



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最終更新:2007年08月14日 15:36