彼のもの、燃える三眼。
 彼のもの、盲目にして無貌。
 彼のもの、造物主をも嘲笑うもの。
 彼のものは、彼のものは、彼のものは……。


第二話 混沌とティアナ


 彼女、高町なのはは悩んでいた。
 悩みの原因はティアナ・ランスターの状態である。

「うーん、クロスミラージュとの相性も問題ないし……やっぱり原因はティアナ自身なのかな?」

 モニターに表示されているデータを見つつ一人ごちる。
 ある時期を境にして極端な魔力の消費が――まるで大規模な魔法をつかったかのような――確認できるのだ。しかも原因が全く分からないときている。
 ティアナに訊いても、なんでもありません、ただ調子が悪いだけです、とにべもなく返されるだけで何の収穫もない。

「はぁ……何事もなければいいんだけれど」

 なのはの溜息と言葉は、ただ空調機に吸い込まれてゆくだけだった。


 ―――


 彼女、ティアナ・ランスターは悩んでいた。
 悩みの種は自身の極端な魔力の低下だ。
 それが一日だけなら、不調の一言で済ませることが出来るだろう。だがあの悪夢を見た日から魔力が極端に落ち込んでいるのだ。
 すぐに戻ると考えていたが甘かった。まったく戻る気配がない。
 訓練では足りない魔力をどうにかこうにか遣り繰りして何とか付いていってるが、それも何処まで出来るかわからない。
 これまでは努力で乗り越えてきたが、こればかりはどうしようもないのではないか?
 彼女の頭の中に諦観が渦巻き始めた時、ある格言が浮かんだ。

 ――魔力が足りない? 逆に考えるんだ。効率的に魔力を使う訓練だと考えるんだ。

 どこかのジョース■ー卿の格言だった。

 確かに今の魔力は乏しい。まったく足りない。悲しい程に足りない。
 だが、これも自身を高めるための訓練なのだ。そう考えると、少し気が楽になった。
 それに、煮詰まった頭で悩んでいても悪循環にはなれど、好転などしない。
 こんな時は気分転換でもするに限る。
 幸い今日は休日だ。天気も快晴。出掛けるには実に好都合だ。

 着替えと準備、化粧を済ませスバルへ声をかける。
「スバルー、ちょっと出掛けてくるわね……ってまだ寝てる」
 時刻は既に十時を回っているにも関わらず、二段ベッドの上段ではスバルが実に幸せそうに、だらしなーく涎を垂らし寝息を立てながら眠っている。
 そんなスバルの様子を見ていると、ティアナはなにがなんだかよくわからないが少し憎らしくなってきた。
 おもむろに机の引き出しから取り出した細身の油性ペンでスバルの目蓋に瞳を書き入れる。
 これがただの八つ当たりであることは理解している。嫉妬の感情が多分に含まれていることも理解している。 しかし何故か止められない。

「はぁ、我ながら醜いというか、幼稚というか」

 嘆息と呟きを漏らしながらも、指の動きが止まることは決してなかった。
 そしてそれは完成した。
 力作だった。
 凄く力作だった。
 この上なく力作だった。
 どうしようもなく力作だった。
 少女漫画チックな瞳――しかも異様に上手い――が書き入れられたスバルの寝顔は、間抜け以外の何ものでもない。

「ははは、私って絵心あったんだ。はは……」

 妙に乾いた笑いと言葉が部屋に木霊した。

 ―――

 最寄の駅まで歩き、レールウェイへ乗り込む。その車両に乗客は彼女以外存在しなかった。
 座席に腰掛ける。
 発進すると同時に感じる、心地よい僅かな振動と加速感。
 ふと窓の外を見る。
 見慣れている筈の景色が、今の彼女には違ったものに見えた。
 脆い。
 車窓の外に映る景色はまるで書き割り。
 少しの衝撃で壊れてしまうような、脆い世界。
 この世界が何者かの見ている夢であると言われても不思議が無いほどに、脆弱。
 ――いや、もしかすると『何者かの見ている夢』それこそが世界の真理ではないのか?

 疑問が鎌首をもたげたところで彼女は思考を打ち切った。
 そんな事を考えても意味は無い。今は風景を楽しむことにしよう。
 目的の駅に到着するまで、彼女はずっと書き割りの世界を眺めていた。

 ―――

 買い物を済ませ駅へ向かう道すがら、なんとなく街を散策していた彼女が立ち止まったそこはアンティークショップだった。
 街に溶け込んでいるようで、何処となく浮いてる印象のあるそんな店だった。
 店の看板は何処にも出ていなかったが、ショーウィンドウには様々な骨董品――中には年代物の魔導書型デバイスと思しき物まで!――が無造作に並べられ、混沌とした様相を呈している。
(そういえば、兄さんはこんな骨董品を熱心に集めてたっけ)
 彼女は、今は亡き兄のことを思い出していた。

 彼女の兄、ティーダ・ランスターには奇妙な趣味があった。
 それは燃える五芒の星を模った金属板であったり、或いは奇怪なアラベスク文様に表面が覆われた、長さ12cm近くある大きな銀の鍵であったり、或いは鉄で装丁された――まるで蛆がのたくった様な文字が表紙を飾る――忌まわしき大冊だったりした。
 ティーダは彼女にこれは触れてもいい、これには決して触れてはいけないと、時には満面の笑みで、時には厳しい表情で蒐集した品物を逐一取り出しながら説明までしていた。
 不思議なことにそれらの品物はティーダ・ランスターの死後、何処からともなくやってきた好事家により、またひとつ、またひとつと引き取られていった。まるで品物自身が主を呼ぶかのように。
 結局ティアナの手元に残ったものは五芒星を象った金属板だけ。それしか残らなかった。

 そんな風に兄の事を思い出していると、無性にこの店に入りたくなってきたのだ。
(ちょっと冷やかすくらいならいいか)
 彼女はそんな軽い気持ちで、開けてはいけない扉を、開けてしまった。

 からんからん。
 扉に設置されたカウベルが鳴り、客の来店を告げる。
 店の中に入った瞬間ティアナは圧倒された。
 不規則にゆらぐランプに照らし出されたるは棚。
 本、本、本! 骨董品(アンティーク)、骨董品、骨董品! 右を見ても左を見ても斜めを見ても上を見ても下を見てもそれ以外の方向を見ても! 陳列棚が、本棚が、それらで埋め尽くされていた。
 並べられてる品物はどれも年代物ばかりで、素人目に見てもこれらが相当な価値を有していることは容易に窺い知れた。
 ふと本棚を見る。
 そこに並べられた本の中に異彩を放つ書物があった。
 他の本がほぼ完全な『本』としての姿を留めているにもかかわらず、その本は背表紙すら焼け焦げ、題すら読めぬほどに損傷している。
 夢遊病めいた手つきでその本を取ろうとした、その時だった。

「いらっしゃい。なにかお探し物でも?」

 恐ろしく妖艶な女の声が響く。

「あ――」

 ティアナは言葉を失った。
 店の奥にあるキャッシャーの近くに立っていたのは、途轍もなく美しい女性。胸元が大きく開いた紫のスーツ、そこから覗く豊満というより巨大なバスト。アップに纏められた烏の濡れ羽の如き艶やかな黒髪、そして最も印象に残るのはフレームレスの眼鏡の奥に鎮座する鮮血の如き色彩を持つ瞳。その紅い紅い瞳は仄暗さと、背筋が凍るような禍々しさを何故か感じさせた。
 釘付けになった。目が離せない。この深淵たる魅力を持つ女から目を離せない。
 果たしてこの女は本当に存在しているのだろうか? いや、存在していて良いのだろうか? これほどの禍々しさを持った存在がこの世界に、存在していて良いのだろうか!?

 呆然としながら見つめていると女が声をかけてきた。

「どうしたのかな? ぼうっとして」

 甘い聲。何処となく巫山戯たような、からかうような調子の聲が響く。

「あ、いえちょっと見惚れちゃったみたいです……」

 ティアナは少しばつが悪そうに、少し赤みの差した頬を人差し指で掻きながら答えた。

「ふふっ、お世辞を言っても何も出やしないよ? けどそんな風に言われるのも悪い気はしないやね」

 微笑を浮かべながら女は答える。しかしその笑みは何処となく作り物めいていて不気味だった。

「それにしても凄い品揃えですね」

 感心したようにティアナが言った。
 右も左も前も後ろも斜めも、ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学の範疇を超えて存在する棚も、どれ
もが本で、骨董品で埋め尽くされているのだ。感心しないほうがおかしい。
「これは僕の悪い癖でね。何でもかんでも無節操に集めては此処に陳列してしまうのさ。……っと、失礼。自己紹介がまだだったね。僕はこの店の店長で名前は、ナイアとでも呼んでくれればいいよ。どうぞこれからもご贔屓に」
「あ……私はティアナ・ランスターです。よ、よろしく」

 思わず自己紹介を返した時だった。
 背筋を蛭が這う、感触。何がなんだかよくわからない、感覚。
 あのユメよりもはるかに悍ましい存在が目の前にいる、そんな錯覚。

「で、何をお探しかな? いや、この店に来たということは何かが君を呼んだのだろうね」

 呼ばれた訳ではない。ただ少し気になった―――兄のことを少し思い出した―――から入っただけなのだ。
 なのに、何かが君を呼んだ。その言葉があたかも真実であるかのように心に響く。

「そうさね、君を呼ぶようなものがあるとすれば……これかな?」

 女が取り出したのは、先ほどティアナが見つけた異彩を放つ本だった。

「これはね、相当に強い力を持っていた魔導書だったんだ。でも千年ほど前に焚書に処されちゃってね、それ以来こんな状態さ」

 そう話しながら女の指が表紙をなぞる。

 表紙には『Νεkρονομιkων』と書かれていた。


 To Be Continued...

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最終更新:2008年04月15日 07:35