「そりゃあお前が悪い。どう見たって悪い。考えるまでもないだろうが」
「………やっぱそうか」
 君島邦彦がスッパリと言い切った言葉に、カズマは多少の不満を示しながらも気まずげにそれを認める他になかった。
 先日の仕事を途中ですっぽかすというかなみとの約束を反故にした一件以来、どうにも自分たちの間が気まずい。
 流石に罰が悪いという罪の意識も抱いていたカズマは、なけなしの矜持を捨ててまで君島へと相談を持ちかけた。
 その結果が先の君島の結論である。

 

「まったくお前ってば本当に甲斐性なしのロクデナシだな。あんな良い子との約束一つ守らないなんて、はっきり言ってクズですよ、クズ」

 

 言いたい放題そんなことを続けて言ってくる君島をそれこそ本気で殴り倒したい欲求に駆られるが、それをカズマは全力で自制する。
 非があったのは己だ、理由はどうあれかなみとの約束を破った事実は消えてなくならない。
 少女を悲しませてしまったという罪悪感、そして僅かにそれでも残る男としてのなけなしのチッポケなプライドに懸けてここは我慢しなければならない。
 青筋をピクピクと浮かべ肩を震わせながら、それでもカズマはそうして君島の非難を必死に耐え続ける。
 一方、珍しいまでの自制を通す相棒の奇跡のような現状に、それこそ日頃かけられている心配や迷惑、そして何よりもストレスの発散の為に君島の非難の言葉は攻勢を極める。
 何せかなみの為の非難という大義名分が今はあるのだ。それを最大限に利用しない選択など君島邦彦の選択肢の中には存在しない。
 故にこそこの場で君島は関係もない、さりとてどうでもいいような日頃の不満もさりげなく織り交ぜながらカズマ非難を続行する。

 

 何事もよせばいいと思うことはいくらでもある。
 引き際を心得ないことほど長生きも出来ぬ愚かしいものもない。
 そんなことは君島自身も充分に承知していたはずのことだった。
 ………いや、この場合は引き際を見誤った君島自身の問題もあったが、やはりカズマ自身の忍耐強さの限界値にも問題はあった。
 結論を言えば、やはりカズマはカズマだった。

 

「………って言うかなぁ、そこまでテメエに罵られる謂れだってねえだろうがッ!」

 

 リミットブレイク………要するに、堪忍袋の緒が切れた。
 そんな怒鳴りと共に振るわれるカズマの理不尽な拳はやはり予想通りに容赦なく、君島を殴り飛ばしたのだった。合掌。

 

 

魔法少女リリカルなのはs.CRY.ed
第3話 桐生水守

 

 

「ヴィータ副隊長、高町さんは今どちらに?」
 机の上の資料に目を通すデスクワークに従事していたヴィータは、頭上から聞こえてきた言葉に顔を上げる。
「………ああ、アンタか」
 相手の顔を確認するなりヴィータが漏らした言葉、そして浮かべた表情はお世辞にも歓迎の意を示したものではなかった。
 むしろそれとは対極………敵愾心に近いモノを抱かれているようだとも桐生水守は凡そではあるが察せられていた。
 本土の大学院にスキップして在籍していた時から、こうした歓迎さらざる雰囲気というのはそこかしこで感じてきたものだ。
 曲がりなりにも桐生家の令嬢、その立場に保護され、あまりに露骨にそれを示されたことはないとはいえ、そういった排他的な雰囲気をこれまでの人生の経験則と聡明な頭脳に合わせて水守は敏感に察せられるようにはなっていた。
 事実、このロストグラウンドに来た当初もこのホーリー部隊自体からそうした雰囲気を味合わされてきていたのだから。
 だからこそ分かる、眼前の小学生と見紛うばかりの本土のアルター使い部隊の副隊長は、あまりこちらには良い印象を抱いてはいないのだと。
 原因は………まぁ、それは彼女自身も充分に理解している。

 

「なのはならジグマール部隊長のところだ。色々とこっちの本隊との都合の詰め合わせとかで話し込まなきゃならないことも多いから………まぁ、暫くは戻ってこないわな」

 

 遠回しに此処にいてもだから邪魔なだけで無駄なことだ、そう言われているのも同じだった。
 無論、水守自身そんな穿った読みはしていないし、ヴィータとて近いニュアンスを持たせているとはいえそこまで露骨でもなければ嫌悪感を抱いて言っているわけでもない。
 だが心無い者が穿った見方で傍から見れば、それこそそんな風に見えなくもなかった。
 そう見えないにしても、事実この場の雰囲気は現在険悪とまで行かなくとも若干居心地が悪くなっていたのも事実だ。
 そして当然ながら此処は機動六課に貸し与えられている仕事部屋であり、この場に居るのも二人だけではない。

 

「あ、桐生さん。少しお話を窺ってもよろしいですか?」

 

 そんな中で第三者―――スバル・ナカジマが上げたそんな言葉は、タイミングと場の空気も含めて、露骨に浮いて響いたのは言うまでもないだろう。

 

「え? あ、はい。何ですか、スバルさん?」
「えっとですね………此処じゃ何だから、場所を変えませんか?」

 

 そんな事を言いながら、スバルはヴィータの前から水守を慌てて連れて行く。
 それを見送りながら、ヴィータは何を言うまでも無く最前まで目を落としていた資料へと視線と集中をそのまま戻すことにした。
 ただその直前に、

 

(スバルの奴………気の遣い方が下手だな)

 

 そんな取りとめもない感想を抱いてもいた。

 

 

「………ふ~、何か緊張して疲れちゃいました」
 水守を連れて六課の仕事部屋を離れたスバルは、とりあえずホーリー部隊員専用のレストルームの一角で落ち着きながらそんな感想をぼやいていた。
「すいません。………何だか私が雰囲気を悪くしてしまっているみたいで」
 そう向かい合って座る水守が申し訳なく謝ってくるのに対し、スバルは慌てて身振り手振りでそれに否定を示す。
「そんな! 違いますよ。桐生さんは何も悪くありません。………ただヴィータ副隊長の機嫌がちょっと悪かっただけですから」
 そのヴィータの機嫌をちょっと悪くしている原因が水守なのだが、だからと言ってそれに彼女の非があるかと言えばそうとも言い切れない。

 

「なのはさん、最近は桐生さんと頻繁によく会って話し合ってるじゃないですか。………それでヴィータ副隊長は少し機嫌が悪いといいますか………あ、ちょっとした可愛げのある嫉妬みたいなもので、別に副隊長がだからって桐生さんを嫌ってるわけでもなくて………ああ! すいません、自分でも上手く説明できなくて、その………」

 

 あたふたしながら必死にそうやって誤解のないように説明しようと試みているスバルだが、彼女自身が元来において弁論の立つ人間というわけではない。相棒のティアナ・ランスターならばもう少し上手く説明することが出来ただろうが、どうにも今の彼女ではその要領の得ていない説明が限界だった。
 だが水守とて彼女の言いたいことは大まかに察することは出来ていたし、何よりも彼女からの誠意は充分に伝わっていた。
 だからこそ、水守がスバルへとすることは、ただ伝わっているということを穏やかな態度で示すことだけだった。

 

「スバルさんが仰ろうとしていることは分かっています。安心してください」

 

 水守のその言葉にスバルは安堵したように息を吐く。
 余程、ヴィータのことを慕っているのだろうことはその態度から容易に想像が付いた。
 水守とてヴィータがこちらをどう思っているかは知らないとしても、彼女自身はヴィータのことを決して嫌っているわけではない。
 むしろなのはと同様に是非とも手を取り合い、力を貸してほしいとも思っていた。
 そしてそれはヴィータだけにではない。眼前のこの真摯な少女に対しても同じ思いが水守にはあった。
 ………そう、自分となのはだけではまだまだ力が足りない。
 このロストグラウンドを救うには、たった二人だけの力ではまだまだ足りないのだ。

 

 だからこそ、ホーリーという組織の力が必要であり。
 ネイティブアルターやインナーたちの理解と協力が必要であり。
 そしてこの異世界の魔法使いたちという奇跡のような存在も必要不可欠なのだ。

 

 

 現地組織との協力関係というものにおいて最も必要とされるものは何か?
 信頼、見返り、誠意………それらを全てひっくるめて最も単純な言葉で表すならばこの一言に尽きる。

 

 ―――利害関係。

 

 結局の所、対外組織間においてその成立なくして協力などというものは存在しない。
 与することで、自陣にいかほどの利益を齎し、そしてどれ程のリスクを回避できるか。
 そういった考えを抱くのはホーリーも機動六課も………否、本土も管理局も変わらない。
 こうして対峙し合うマーティン・ジグマールと高町なのはとて、言ってしまえばそれは極点においての縮図でしかない。
 マーティン・ジグマールはホーリーの、そしてその背後にある本土の代表として。
 高町なのはは機動六課の、そしてその背後の時空管理局の代表として。
 最大限に己が属する組織の為に利益を見出さなければならない。

 

 ………尤も、高町なのは個人の心中としては、合わないのも甚だしい役割だったが。

 

 総司令官であり、部隊を預かる八神はやては指揮官研修も受けている、こうした内事の分野にも精通したエキスパートであることは認めよう。
 だがなのは自身は一等空尉という階級、そして若手エースの筆頭たるエースオブエースの誉れを持とうとも、所詮は武官であることに変わりは無い。
 前線部隊の維持管理、確かにその役割上ある程度以上の部隊運営に関するスキルは職責の上で問われ必要ともなってくる。
 当然、ある程度以上のレベルの技能を高町なのはとて有している。

 

 ………だが、畑違いであるという事実だけは根本的に否定できない。
 ただ戦闘と教導のみの能無し、などということは当然無いにしろ、少なくとも事実として平時における部隊管理、そして対外組織との交渉という職務は高町なのはにとっては不向きの分野だった。

 

(………やっぱり、こんな時はつくづくはやてちゃんのことが尊敬できるなぁ)

 

 現地赴任の前線部隊の維持管理だけでもそもそもハードワーク。しかもなのはのそれは部隊長であるはやて自身の配慮から、ある程度以上に通常時に比べて簡略化されているものだ。
 これを前線部隊はおろか後方・予備部隊、そしてバックヤードスタッフすらも合わせた部隊全体そのものを普段から維持管理している八神はやての仕事量はコレの比ではあるまい。
 昔はただ最前線で戦うだけで、後方には後方の戦いがあるのだと知りながらも理解できていなかったが改めてそれを思い知らされた。
 自分たちが最前線で命を懸けて戦っているように、自分たちの戦いそのものを支えてくれている後方の戦いもまた命懸けだということをこうして理解できた。
 要するに、偉い人には偉い人の苦労がまたあると言う事だ。
 改めて、自分は教導官という役割が一番性に合っていたことを実感できた。
 そう言えばJS事件解決の功績から昇進の話が来ていたが、やはり偉くなるのも考えものだ。前線に立ち、教導官として居続ける方が自分にとっては余程いい。

 

(………でもこんな考え方は、母親としては失格なのかな)

 

 愛娘ヴィヴィオのことを思うならば、危険な任務に就く事や時間の取られる教導などに比べれば、デスクワークの管理職に異動した方がいいのかもしれないとは考えていた。
 子どもには親の愛情が必要、家庭の事情から幼少期を寂しく過ごす他になかったなのは自身がそれは一番良く分かっていた。
 あの時、ゆりかごで自らの力で精一杯立ち上がったヴィヴィオを見た時、この娘の母になるというのならば絶対に不幸にしてはならないということを抱きしめながら誓った。
 その誓いと思いは未だ当然の如く微塵たりとも薄れていない。
 こんな自分をママと呼んでくれるなら、なのはにはヴィヴィオのママでいなければならないという責任がある。

 

(………私は、あの子を放って置くことは出来ないし、したくない)

 

 それだけは嘘偽りのない高町なのはの本心だった。
 だからこそ、愛し方を迷うのだ。
 今まで通りの母として娘を愛すれば良いのか、それとも娘のためにより母親らしく愛せるように努力すべきなのか。
 一般的に考えるならば後者、それぐらいはなのはにも分かる。
 だが悩んでいる、教導官という仕事に何よりも生き甲斐を見出しているなのはにとっては、教え子たちという存在もまた裏切ることの出来ない大切なものだ。
 親友にも教え子にも娘にも、どのような形であれ優劣をつけることになのはには躊躇いがあった。

 

(………我が儘だね。うん、我が儘だ)

 

 自分でもそれを否定することは無い。
 無敵のエースオブエース、などと呼ばれようとも高町なのはは決して超人ではない。
 仕事にも家庭にも当然ながら悩みを抱える十九歳の少女に過ぎないのだ。
 一人で抱え込むくらいなら、誰かに相談した方がいいのかもしれない。
 恐らく、現状においてそれが一番妥当な選択だ。
 ならば誰に悩みを打ち明ければいいだろうか? フェイトか? はやてか? ヴィータか?

 

 その時、なのはの脳裏に過ぎったのは十年来の付き合いである、少女のような顔立ちをした線の細い青年の顔だった。

 

(………ユーノ君、か。そう言えば最近会ってないなぁ)

 

 大切な幼馴染み。当人にその自覚は無いが、なのはにとっては間違いなく一番身近な異性の友人。
 何度も自分を支えてくれた、それは間違いのない事実だ。
 自分はもしかしたら、またあの時のように彼の支えを欲しようとしているのだろうか。
 友人として、返しきれないほどの恩義を彼には抱いている。人徳ある彼をこれ以上頼りにしていいのだろうか、彼にとって自分は重荷になっているのではないか。
 そう思われることを無意識にも恐れている自分がいた。

 

 ………尤も、かの司書長にしてみれば、
「全然問題ナッシングさ! むしろもっと頼りにして!」
 とでも聞けば気合を入れて間違いなくそう言い切るのだろうが………

 

 閑話休題。
 まぁそんな司書長のことは置いておくとして、

 

(………逢いたいなぁ)

 

 それが正直な高町なのはから湧き出る本心の感情だった。
 ヴィヴィオに逢いたかった。逢って、抱きしめたかった。
 ユーノに逢いたかった。逢って、相談は兎も角としてお話をしたかった。
 自身でもハッキリと認めるほど、ホームシックという感情になのはは捕らわれていた。

 

(………でも、まだ帰れない)

 

 そう、帰れないし帰らない。帰るわけにはいかない。
 だって決めたのだ、この星空が近い失われた大地の上で、自分は自分の出来る精一杯の事をやり遂げると。
 あの不敵で乱暴で、それでも真っ直ぐで何処か惹かれるものがある少年にもそれを告げた。
 だからこそ、此処で逃げるわけにはいかない。この抱いている思いを嘘にもしたくない。
 だから私は―――

 

 ―――この大地の上で、せめて彼らに誇れる責務を果たそう。

 

 その決意と、思いだけは決して揺るがすことは無い。
 覚悟は既に決めている。後戻りをする気もない。
 だからこそ、弱音を吐いてはいられない。
 弱い考えを振り切り、彼の言ったように迷うことのないように。
 目の前に立ち塞がっている壁を越える。
 今はただ、それだけだ。

 


「何か悩み事でもお有りかな?」

 

 会議中にも関わらず、場違いにもそんな思考に耽っていたまさにその瞬間だった。
 向かい合う相手―――ホーリー部隊隊長マーティン・ジグマールの方からそんな問いが返ってきたのは。
 なのはが一瞬、問われた意味が分からずに反応が止まっていたのに対して、ジグマールはいやと思い直すように手振りを示しながら告げてくる。

 

「私の気のせいならばそれで構わないのだが。どうにも心此処に在らずといった様子で暗い表情を君がしていたものでね」

 

 ジグマールのその指摘に、なのはは表面上にまでそれが出ていた事を漸く悟り、慌てて頭を下げる。

 

「すみません。会議中だというのに………」
「なに気にすることはない。大方の打ち合わせは既にすんでいるし、殊更他に詰め合わせるような案件とて今のところはないしね」

 

 部隊運営に関しての話し合いの目処はほぼ付いていた。
 だからジグマールの側もなのはの非礼に関しても気に留めた様子はなかった。
 事実、ジグマールの眼にあったのは非難ではなく、むしろ興味だと言えた。

 

「異世界の魔法使い殿もやはり悩まれることがあるようだ。私で良ければ相談なり何なり話くらいは聞くことも出来るが、どうだね?」

 

 流石は一部隊を率いる長というべきか、穏やかな態度でそう提案してくるジグマールにはどこか余裕と同時に貫禄というものも感じられた。
 自分はおろかそれは八神はやてでさえも未だ持ちえぬものだということを、なのははそのジグマールの姿を見て正直に感じた。

 

 上に立つ者が持つべき資質、それを朧気ながらも敬意と共になのはは感じた。
 食わせ者という印象は相変わらずだが、隊長としては見習うべきものがあることも事実だとなのはは正直に認める。

 

「お気持ちは嬉しいのですが、私事の悩みですから」

 

 話してみたい欲求は僅かばかりにあったのは事実だ。だがそれでも青臭いと自身でも思える程の気恥ずかしさが勝り、結局は彼女はやんわりとそれを断った。

 

「そうかね? まぁ残念だが、君のプライバシーに踏み込む権利は私にないからね。君が話したくないならそれはそれで構わないさ。……ただ、我がホーリーは知っての通り構成員の殆どが君たちと割り近い年代だ。気が向いたら気兼ねすることなく、相談に来てもらって構わない」

 

 ジグマールが返してきた反応もまた、彼女が知る限りでは最も穏やかな返答だった。
 確かに、ジグマールからすればなのはとてホーリー隊員たちと比べれば変わらないのかも知れない。
 そして、貫禄のある大人そのもののジグマールに比べれば己もまた年頃の娘でしかないのだろうとは思う。
 言ってみればジグマールには、クロノやリンディたちに近い雰囲気を感じていたのは確かだ。
 ならば彼の器を少し知るためにも、少しだけ訊いてみるのも良いかも知れないとも少しだけなのはは思い返した。

 

「………では、一つだけお尋ねしても宜しいでしょうか?」
「ああ、構わないよ」

 

 ではと一拍置き、なのははジグマールにその問いを尋ねていた。

 

「ジグマール隊長は………ご家族はおありですか」

 

 その問いが意外だったのだろうか、ジグマールは一瞬だけ目を見開いて沈黙を示す。
 訊いてはならない話題だったか、そう気不味げな雰囲気からなのはが思った瞬間だった。

 

「………息子が一人いる。……そう今の私にはたった一人の家族だ」

 

 沈黙を破り発した言葉には重たげな雰囲気が確かにあった。
 だがそれ以上に、その言葉の対象を慈しむ深い愛情を確かに感じた。
 だからこそ、高町なのはは直感的に確信する。ジグマールにとってその息子こそが誰よりも大切な存在なのだろうと。
 新米の自分とは異なる、本物の子を持つ親の意見。それを聞いてみたい欲求がなのはには確かに存在していた。

 

「………私にも、娘が一人いるんです」

 

 なのはのいきなりのその告白には、それこそ虚飾抜きでジグマールは驚いたようだった。
 確かに、十九歳で子持ちというのは居るには居るだろうが、それでも一見しただけでは高町なのはという少女はそう見えないのは確かだ。
 だからだろう、そんな反応をされるのも或いは無理も無いことだ。

 

「……ああ、失礼。いや少し意外だったのでね………成程、ご息女がお有りか。お若いのに中々に大変なようだな、君も」
「……いえ、母とは名ばかりの新米です。こうして仕事に感けてばかりで、母親らしいことも何一つしてあげられていないのが現状ですから」

 

 苦笑と共に呟いた言葉に含まれていた感情は自嘲だ。
 母とは名ばかり、恐らくは自他共に見てもその通りだという自覚が彼女にはあった。
 そしてそんな思いは充分に、眼前の相手にすら伝わっているだろう。
 恐らくはジグマールから見れば、自分などは母親と名乗ることすらおこがましいのだろうと言う負い目のような暗い感情が確かにあった。
 だがそれを充分に理解していたはずのジグマールは、

 

「成程、子供の育児に関しての悩みか。………すまない、私もまた父親とは名ばかりの存在だ。息子一人、公然と愛してやることも出来ない……そんな男だ」

 

 それでも、としかしジグマールは言葉を続ける。
 真っ直ぐになのはの方を見ながら。

 

「高町君、君は君の娘を愛しているか?」

 

 その問いには無論だと即答でなのはは頷いた。
 ヴィヴィオを愛している、それは事実だ。誰にも否定はさせない事実。
 だがだからこそ、彼女を愛しているからこそ……

 

「愛し方を迷う、という所かね?」

 

 指摘されたジグマールの言葉があまりにも的を得ていたことに驚きながら、なのはは自然と俯いていた顔を再びジグマールへと向けていた。
 ジグマールはそんななのはの反応に、フッと僅かばかりの笑みを零した。
 嘲笑でも可笑しいからでもなく、その笑みに込められていた感情は―――

 

「―――やはり、どうやら君は私と同じようだな」

 

 ―――共感、だった。

 

 どこまでも子供に対して不器用にしか対応できない、そんな親としての共感をジグマールはなのはへと抱いているようだった。

 

「高町君、同じ不器用な親として言わせて貰うことがあるとすれば、私には一つしかない。

 

 ―――素直になりなさい。

 

 それが一番難しいことだというのは分かっている。けれど、それでも子を想うなら、子を愛するなら、正面から子と向き合いなさい。
 子どものために何が出来るか、何をしてやればいいか、……私にはそれしかなかった。けれど君は恐らくはそうではないのだろう?
 ならば、君は子が望むこと、親が望むこと、それを一緒に見つけていけばいい。
 そして、偽りのないありのままの感情を言葉として、それを君の娘へと告げなさい。
 きっとその想いは………君の娘にもちゃんと届くはずだから」

 

 私が言うには相応しくない言葉だろうがね、と最後に呟くように結びの言葉を自嘲と共に終えるジグマール。
 なのはには、それがジグマールにはしたくても出来なかったことなのだろうということだけは察せられた。

 

 父親、といえばなのはには自身の父である士郎ぐらいしか思い浮かばない。
 けれど、士郎とは異なれど、ジグマールの中にも父親というものをなのははこの時初めて感じられた気がした。
 だからだろう、

 

「………ありがとう、ございます」

 

 自然と敬意と共に感謝の言葉をジグマールへと告げることが出来た。

 

 

「……やれやれ。我ながららしくもないことを」

 

 失笑すら抱かずにいられぬ最前の自身の醜態を思い出しながら、マーティン・ジグマールに呟けたのはそんな自嘲だけだった。
 同盟を組んでいる間柄とはいえ、小娘を相手に自身のプライベートを曝け出した心情を吐露する。
 それこそ悩める若人のような己の振る舞いに、ジグマールは苦笑せざるを得ない。
 一体自分は何をしているのか、常に規律を重んじ厳格に事に臨む実直なるホーリーを束ねし老獪。
 自他共に望むべきはず理想の姿こそがソレであるはずであり、事実、自分は今まで一時の隙すら見せずにそれを演じてきた自負もある。
 だというのに、事もあろうが部外者へと部下たちにまで隠し通してきた己が目的の一端をまんまと曝け出すことになろうとは。

 

「やはり私も……まだまだ未熟、か」

 

 認めよう。そして反省し、これを乗り越えねばならない。
 何故なら、自分には失敗は許されないのだから。

 

 ―――我が子を愛している

 

 その想いには何一つの嘘偽りが無い以上、その為にこそジグマールは戦わねばならない。
 そして戦うだけではなく、勝利をしなければならない。当然だろう、戦いとはその内容が如何程のものであれ所詮は結果でしか語られない。
 勝者はすべてを得て、敗者は全てを失う。
 弱肉強食の理が示すように、ただ残るのはそれだけだ。ましてや此処はロストグラウンド。その摂理を突き詰めた局地でもある。
 だからこそ、ジグマールには……否、ホーリーに敗北は許されない。
 自分たちは勝ち続けなければならない。勝ち続けること以外には何一つ許されない。

 

「……だからこそ、この男こそが必要なのだ」

 

 視線を落とす資料に写るは一人の男。
 NP3228。ホーリーに抗い続ける反逆者。

 

 ―――“シェルブリット”のカズマ。

 

 この男……この男の力こそをジグマールは欲する。
 この男と劉鳳さえいれば、必ずや『向こう側』の扉を開くことができる。
 そしてその先にあるモノを手に入れることこそ本土の………ジグマール自身もまた望む目的。
 必ずや手に入れる。その為にならば手段は選ばない。
 如何様な犠牲を払おうとも、必ずや手に入れる。
 その為になら―――

 

「―――悪いが貴女たちであろうとも、それは変わらない」

 

 異世界からの来訪者。
 アルターとは似て非なる魔法を扱う者たち。
 例え彼女たちを利用し、結果的に裏切り切り捨てることになったとしても―――

 

 マーティン・ジグマールは揺るがず迷わず、ただ己が目的を果たす為に進み続ける。

 

 

「いいか、仲直りの基本ってのは素直になることから始まるんだ」
 悪いと思っているなら、ちゃんと非を認めて謝れ、そう君島はカズマへと告げる。
「けどよ……幾ら謝っても許してくれねえんだよ」
 不貞腐れた態度でそれに答え直すカズマ。事実、自分は散々謝りつくしたというのにかなみは聞く耳すら持ってくれなかった。
 カズマのその言い分に君島はやれやれと首を振る。

 

「そりゃあ、乙女心の“お”の字も解せないカズマ君じゃ仕方ないだろうな」

 

 明らかに馬鹿にされた、そう感じたカズマはムッと君島を睨む。
 知った風に、そんな怒りを早速抱くカズマに君島はビシリと人差し指を差し向けてくる。

 

「あのなぁ、そりゃあかなみちゃんは出来た子だよ。けどな、だからってゴメンナサイ一辺倒の事情も説明できない謝罪に納得すると思ってるのか?」

 

 しかし、とカズマは思う。確かにカズマは約束を破った理由を話してはいない。けれど、それは話さないという理由もあるが、それ以上に話せないからだ。
 カズマは己がアルター使いであることも、金さえ積めば何でもやる便利屋であることも、そしてホーリーと派手な喧嘩を行っていることも、その何一つすら話していない。
 打ち明けずに秘密にする、そうして今まで暮らしてきたし、これからだってそう暮らしていく心算なのだ。
 理由は………まぁ、アレだ。説明するのが面倒臭いとか、知れば余計に彼女が心配するとか、それに彼女に迷惑をかけないためだとか、そんな処だ。
 けれど恐らく、カズマは自身で思っている以上に、その理由を重んじている。何故かとは語るまでも無いだろう。それだけ由詑かなみという少女が彼には大事だからだ。
 だからこそ―――

 

「……俺は話す気なんざねえよ。第一、どうアイツに説明しろって言うんだよ?」

 

 自分はアルター使いで、実はホーリーと戦っています。あの日は、たまたま敵のホーリー隊員と遭遇して戦っていました。だから約束を守れませんでした。

 

 ………話せるわけがない。

 

 当たり前だ。確かにそう言えばかなみは何を言っているのだろうかと面食らうだろうが、実際にアルター能力さえ見せれば信じるだろう。
 けれど………それを教えればどうなる?
 或いは、と無意識にも恐れを抱いていたのは確かだ。もしかなみが自分をアルター使いだと知れば、その瞬間から例えどのような形でアレ、彼女がカズマを見る目は変わる。
 一般的に一番考えられるのは、やはり恐怖。世間の爪弾き者の代表格であるアルター使い。もし自分と暮らしていた男がそんな奴だと知って、それに恐怖を抱かぬ者などいるだろうか。
 とてもではないが、いるとは思えない。だからこそ、恐怖の次に待っているのは拒絶だ。
 或いは、それこそをカズマは恐れているのか?
 否―――

 

「お前、かなみちゃんがお前をアルター使いだって知ったら拒絶されると思ってるのか?」

 

 君島の何処か睨むようなその問いに、カズマは馬鹿言うなと軽く彼を小突きながら否定する。

 

「……なわけねえだろ。その方が、まだマシなんだろうけど……」

 

 恐らくは、そうならない。そんな確信めいた根拠無き予感がある。
 実際、カズマはかなみに知られた場合において拒絶されることを恐れたわけではない。
 彼が恐れたのは―――

 

「……それでも、アイツはそれを受け入れようとするだろうな」

 

 受け入れて、そして踏み込んでくる。
 後戻りの出来ない処にまで、きっと由詑かなみという少女は迷わずに踏み込んでくるだろう。
 それこそ、他の何よりもカズマが恐れていたことだ。

 

 今ならば、まだ間に合う。
 確かにカズマはかなみを背負うと誓っているし、護る心算に偽りは一つも無い。
 けれど、それはカズマの側からの勝手な認識だ。彼が好きでやっていること、だから責任は自分だけでいい。
 責任は全て自分にある。もしこれから何かでドジったとしてもそれは全て自分のせいであり彼女とは直接的には関係ない。全て無関係で片が付く。
 何故なら本当に、かなみは何一つ知らなかったのだから。
 だからこそ、今の彼女なら万が一カズマ絡みの厄介事に巻き込まれたとしても「知らなかった」と言えば済む。
 ホーリーとてまさか幼き彼女を自分の共犯などと思わないだろうし、周りの連中だってネイティブアルターの連れだからと、彼女を迫害まではしない。
 そう、彼女が今いる場所はギリギリの安全ラインなのだ。
 いつかかなみとは別れの時が来る。それを考えるなら、一人でも生き抜いていけるようにする為にも、彼女は何も知らない方がいい。
 何も知らせないこと、それだけが彼女を安全に護ることの出来る方法だとカズマは信じていた。

 

 由詑かなみはカズマとかつて何も知らないまま出会い、そしていつか何も知らないまま別れるのだ。
 それがかなみの為になる、彼女にとっての一番幸せな在り方なのだ。
 無論、カズマがそのように考えているほどに現実は甘くない。知らないで無関係とかなみが済まされる可能性は彼が望んでいるよりも低いだろう。
 それでもカズマにはその考え方を拠り所にしてしか、かなみの元には居てやれないのだ。

 


「……まぁ、お前がそう思ってんなら俺だって真実を話せなんて言わないさ」

 

 実際、かなみは自分とは違う。同じようにこの馬鹿の共犯者扱いされるのだけはあまりにも可哀想だと君島は認めていた。
 だからこそ、カズマの思うその考え方を君島とて最大限尊重する。
 だが本当の事を話せない状態で、どんな言い訳をならば立てるのか。一度挑戦しようとしてあえなく撃沈したカズマからしてみれば、君島に本当に上手い言い訳を立てられるかどうかはほとほと疑問だった。
 実際、カズマの君島を見る目は露骨に懐疑的だ。
 その視線を心外だと言わんばかりの態度で応じながら、君島はとっておきの秘策でもあるかのように口にした。

 

「嘘も方便、って諺だってあるんだぜ」

 

 そう言ってきたそばから、やはり上手くいくのかとカズマは疑わざるを得なかった。


「元気がないねえ、大丈夫かい?」
 今日も下働きにきた牧場で、由詑かなみが馴染みのおばちゃんから言われた言葉がそれだった。
 ただ真摯にこちらを案じるように言ってきてくれたおばちゃんの言葉に、かなみはすみませんと頭を下げた。
 実際、身体に異常があるわけではない。今の彼女に変調をきたしているのは精神的なソレだ。
 その対象は当然ながら彼女の同居人であるあの甲斐性なしのロクデナシに関してだった。

 

 あの喧嘩の一件以降、かなみはカズマとマトモな口を利いていないというのが現状だ。
 自分でもやり過ぎたと思うし、もう気にしていないと謝らなければいけないと思うのに、そうすることが出来なかった。
 そして加えて、最近はあの『夢』が見れないということも大きかった。
 精神的に色々な要因を加え、今かなみの内ではかつてないストレスが溜まっていたのだ。

 

「……今日はいいよ。家に帰って、休んだ方が良い。それとちゃんとお医者様のところにも行った方が」

 

 一度、かなみは流行り病で倒れたことがあった。その時のことから牧場のおばちゃん連中はしきりとかなみの体調を気遣うようになっていた。
 今のかなみを見て、また病気が再発したのではなかろうか、倒れるのではなかろうかという、おばちゃんたちなりの心配をした配慮だった。
 おばちゃんたちからそのように言われ、かなみはそれを否定して働くと言おうとするも、結局はそれも穏やかにやんわりと窘められる結果に終わった。
 それに今の自分では邪魔なだけで、迷惑をかけるだけだという自覚が僅かながらにあったのも事実だった。
 消沈したように項垂れ、かなみはおばちゃん連中へと詫びを一言入れ、頭を下げると共に牧場を後にした。
 おばちゃん連中はそれを酷く心配そうに見送りながら、彼女の保護者であるあのロクデナシは何をやっているのかと酷く憤慨も顕にしていた。

 


 気分が沈んでいる時というのは、何を考えてもマイナス思考となる。
 フラフラとした足取りで悄然と帰路へとつくかなみの内心もまた同じだった。
 自分は何をやっているのだろうか、皆に迷惑をかけ、米も野菜も残り少ないというのに、働きもせずに帰ろうとしている。
 だというのに、その本質は心此処に在らずであり、考えているのはカズマのことばかりだ。
 己を最低だと、これならカズマに嫌われても仕方が無いのだとかなみが彼女に似合わぬ自嘲を浮かべるのも、知り合いがそれを見れば酷く驚いたことだろう。
 そして鬱な思考ばかりで頭を埋め尽くしていた故に、外界に対しての注意力もまた散漫だった。
 真正面にいた誰かに、かなみは気づかずにぶつかってしまったのだ。
 慌てて意識をそちらに向けた時には既に遅い。ハッとなって誰かとぶつかったと頭が認識するも、それは即座に不味いと言う焦りを生む結果でしかない。
 インナーの生活するアウターにはそれこそゴロツキなど山ほど居て、治安はお世辞にも良いとは言えない。
 肩がぶつかった、眼が合った、そんな阿呆みたいな理由で絡んでくるチンピラというのは枚挙に暇が無い。
 当然、そういった者に絡まれてしまえばそれはイコールで厄介事へと発展してしまうのは明らかだ。
 ただでさえ人見知りの激しい内向的な性格のかなみにとって、もしこの他者との衝突がそんなものにへと発展してしまえば死活問題である。

 

「ご、ごめんなさい! あ、あの! 余所見しちゃってて……すみません!」

 

 だからこそ、最早手遅れと思いながらもかなみは必死にぶつかった相手を確認もせずに、ひたすらどもりながら頭を下げて謝罪を繰り返す。
 無論、仮にこれがチンピラを相手にしたものならば何の意味も無かっただろう。

 

 ……しかし幸いにも、彼女は運が良かった。

 

「あ、いいよ、いいよ。頭を上げて。私もよそ見してて貴女の接近に気づけなかったんだし、謝る必要なんて無いよ」

 

 慌ててそう言ってきた頭上より降りてきた声、それが優しげな女性のものだったことに気づき、かなみは恐る恐るではあったが頭を上げた。
 目の前にいたのは自分よりも当然ながら年上、年齢は凡そ二十歳前後だろうか。艶のある栗色の長髪をサイドポニーで纏めている女性だった。
 当然知った顔ではない、それに身なりもそうだが同じアウターの人間とは思えないような身奇麗さが女性にはあった。
 単純に彼女を綺麗だと思う一方で、かなみは不思議とある直感を彼女へと抱いていた。

 

 ―――即ち、何処かで見た事のある懐かしさ、である。

 

 初対面のはずだというのに、何故か自分は彼女の事を知っているように感じてしまったのだ。

 

「……うん? どうかした?」

 

 始終穏やかな様子のままに、不思議そうに首を傾げて言ってくる彼女へと、かなみはポツリと自分でも意外な言葉を言ってしまっていた。

 

「……あの、何処かで会った事がありますか?」

 

 

 六年前、今でも鮮明に脳裏へと焼きついているのはあの日の惨劇だ。
 今尚においても悪夢となり、己を放そうとはしない忌まわしき過去。
 無論、彼―――劉鳳自身もまたそれを忘れようなどと思ったことは無い。
 当然だ、あの日、全てを奪われた愛惜も慟哭も、そして憎悪すら燻ることも無く未だこの身の内へと存在している。
 復讐心を糧に、それを正義という概念へと昇華させる事で劉鳳は今日まで戦い続けてきた。
 そしてその戦いは、きっとこれからも続いていく。
 少なくとも、この無法の大地の上に絶対的秩序が齎され、あのような悲劇が二度と繰り返されなくなるまでは、彼の戦いは終わらない。

 


「……凄い」
 眼前の光景を見てただ一言、スバルのその呟きそれだけで説明は付いた。
 機動六課の新人四人とホーリーのアルター使いが合同で行われた、ネイティブアルター集団の殲滅作戦。
 作戦開始早々、劉鳳のアルター“絶影”が先陣を切り鬼神の如き所業で殆どを殲滅してしまったのだから、そうも呟きたくなる。

 

「モンディアル、ルシエ、お前たちは気絶した連中の確保を。ナカジマとランスターは俺と共に逃走した残りを追撃する。いいな?」

 

 劉鳳のテキパキとした指示に、四人は遅ればせながら慌てて頷く。
 スバルとティアナが後方に付いて来ている事を一瞥のみで確認した劉鳳は、そのまま背を向け逃げる連中へと容赦の無い追撃を仕掛ける。

 

 彼のアルター、絶影の肩より伸びる触鞭を大地に突き刺しその勢いで跳躍。それに掴まりそのまま劉鳳は逃げるネイティブアルターたちの前方にまで回りこむ。
 瞬時に逃げ場の先にまで回りこまれた事実、圧倒的実力差を見せ付けられネイティブアルターたちはたじろぎ自然と再び逃げてきた方向へと後ずさりし始める。

 

「何故逃げる? 今まで好き勝手に振舞っておきながら、形勢が不利になった途端に逃げ回るのか? もし貴様たちにも大義と正義があるのなら、我々の意向に真っ向から抗おうと言う決意があるのならどうして向かってこない?」

 

 この期に及んで仲間を見捨てて我先にと逃げ出す連中。唾棄すべき不快感も顕に劉鳳はネイティブアルターたちへと厳しく告げた。
 本当に彼らに大義や信念、自分の正義と真っ向から対立しても貫くべきモノがあるのならばあの男のようにそれを見せつけて見ればいい。
 だが結果はどうだ、この男たちにはそんなものは一欠片も無い。あるのは主義も主張も何も無い刹那的な享楽に身を任せた暴力だけではないか。
 こんな連中が………こんな毒虫共がいるからこの大地はいつまでも秩序は正されず、悲劇だけが繰り返される。
 それこそ歯軋りを起こすほどの怒りが胸中より沸々と煮え滾ってくる。

 

「……た、助けて! わ、悪かった! 俺たちが悪かったから―――」
「―――謝罪になど意味は無い。………罪は償うしかないのだ」

 

 故に罰を―――悪への処断を緩める心算は一切無い。
 そう劉鳳は強硬な態度と共に浅はかな救いへと縋ろうとする者たちを厳しく切り捨てた。

 

「く、クソがぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!」

 

 やがてヘコヘコと謝り出してきた男の一人が劉鳳の態度にヤケクソを起こしたのか、アルター能力を発動し、こちらに向かい襲い掛かってくる。
 それを劉鳳はやはりそうなるだろうなと予見していたような冷めた態度のまま、

 

「その行いは勇気でも正義でもない」

 

 淡々とそう相手の無謀を評すると共に傍らに待機させていた銀色のアルター“絶影”を前面ヘと向かわせ、瞬く間に相手のアルターを八つ裂きに変える。
 アルターをやられたダメージがフィードバックしそのネイティブアルターはそのまま倒れる。仲間達はそれを見て更に怯えたようにその場で腰を抜かし始める始末だった。
 つくづく身勝手であり無様そのものの連中をそれこそ害虫のように見下しながら、劉鳳は絶影へと容赦なく残りの連中を叩き伏せるように命じた。

 


 そうしてものの数分、たったそれだけの時間で殲滅戦の幕は下りた。
 捕縛されたネイティブアルターたちは次々と拘束され、搬送用のトレーラーへと詰め込まれていく。
 その様子をスバル・ナカジマは複雑な表情で遠巻きに見ている他なかった。

 

「……結局、私たちの出番は無かったわね」

 

 ティアナが淡々とした態度でこちらの隣に立ちながらそう言ってくる。
 彼女の性格上、出番が回ってこなかったが故の不完全燃焼という不満は抱くはずも無いのだろうが、それでも別の意味合いで思うところはあるようだった。

 

「……ティア、どう思う?」
「主語を明確に使いなさいよ。何が言いたいかも分かんないわよ」

 

 ティアナの注意にスバルはゴメンと謝りながら、改めて質問を彼女へと告げた。

 

「……さっきの戦い、ティアはどう思った?」
「……正直に言えば、殲滅戦の名を借りた狩り。実力も何も、逆に相手に同情しちゃいたくなるほどに圧倒的だったわね」

 

 非常識にも程がある、そう結びの呟きを漏らしていた辺りティアナの不満とは劉鳳の見せた圧倒的な強さに対してなのだろうかとスバルは辺りを付けた。

 

「……アルター使い。NP3228の時もそうだけど、連中は本当にこっちの常識を無視してくれるにも程があるわね」

 

 把握できないほどに未知数の力を持つ対象、ティアナにとってアルター使いとはそういう認識のようだった。
 それ故に畏怖、或いは嫉妬のようなものを抱いているのかもしれない。

 

「……私は、劉鳳さんが少し怖かったかな」

 

 スバルがポツリと正直に漏らした言葉に、ティアナはチラリとその視線をスバルの横顔へと向けた。
 スバルはこちらを見るティアナの視線には気にした様子も無いまま、トレーラーに詰め込まれているネイティブアルターたちに視線を向けたままで言葉を続ける。

 

「……あの人たちが犯罪者だっていうのは分かってる。でも最後にはあの人たち、悲鳴を上げて、怖がって、助けてって言ってきてた」

 

 だが劉鳳は無情にもそれを断ち切り、連中の全てを絶影で叩き伏せた。
 まるでそれこそ、害虫駆除でも行うように徹底とした容赦の無さだった。

 

「……それが不満だってわけ?」
「……不満と言うのとは少し違う気がする。……でも、やっぱりちょっとやりすぎなんじゃないのかなとは思ったんだ」

 

 此処がミッドチルダとは違い、ホーリーとして当然のやり方だったとは言え、それでも例え犯罪者であろうとも、それが命乞いであろうとも、彼らは確かに助けを求めていた。
 劉鳳のやり方は極論として言ってしまえば、助けを求める手を振り払ったということにも等しい。
 犯罪者相手に何を血迷った事を、甘すぎる考え方だ、そう自身ですら思いもするがそれでも釈然としないものがスバルの内に溜まっていたのも事実だった。

 

「あの人たちは、これから―――」
「回転留置場で罪状と刑期が決まるまで留置、もしくは本土への移送かしらね」

 

 捕縛されたネイティブアルターに待つ道は二つ。
 刑期を全うし市街に登録後、ホーリーへと帰属するか。
 そのまま検体として本土へと移送されるか。
 その二つの内のどちらかだ。最近では後者の方が割合が強くなってきており、ネイティブアルター狩りが激しくなっているのもその一環だと言える。
 恐らくは今回捕まった者たちはほぼ全員が本土へと移送されるのだろう。
 本土で彼らに待っているのは如何なるものか、それはスバルたちにも分からない。知る権利を持ち合わせていない。
 だが人造魔導師などの違法研究が管理局でも明らかとなっているくらいだ、何が行われているのかなど正直、分かったものではない。
 それこそ……あの桐生水守が危惧していたように―――

 

「―――スバル、私たちは何者で何の為に此処にいるのか……それを忘れちゃ駄目よ」

 

 鋭く、そして厳しく告げられたティアナの言葉に、スバルも分かっていると無言で頷く。
 尤も、ちっとも分かっているとは思えないような表情をしていたが。
 それを見てティアナはやれやれと溜め息を吐いた。親友の潔癖なまでの純粋さと気高き正義感、それが暴走しなければよいのだがと危ぶんでもいた。
 それはヴィータがなのはに対して抱いていた危惧と、皮肉にも同じものだった。

 

「……収容も終わったみたいね。帰投しましょう」

 

 トレーラーへと収容が終わり、隊員も各自帰投につく準備を始めたのを確認し、ティアナもまたスバルへとそれを促がす。
 だが歩き出したティアナと違い、スバルはその場に立ち竦んだまま一歩も動こうとしない。
 振り向き、それに気づいたティアナはやれやれともう一度溜め息を吐きながら、今度は少し強い語調でスバルの名を呼ぶ。
 しかし俯いていた顔を上げたスバルの眼は真っ直ぐにティアナを見ながら告げた。

 

「―――ごめん」

 

 それが帰投を拒否する態度だというのはありありと分かった。
 この任務にヴィータが同行していなくて良かったとつくづくティアナは思った。
 彼女ならば容赦なくスバルを張っ倒して引き摺ってでも連れ帰ったことだろう。
 自分もそうすべきなのだろうと考えもした……けれど、それを結局はティアナは躊躇った。
 何だかんだと言って、スバルを相手には彼女は誰よりも厳しく、同時に甘かった。

 

「……ヴィータ副隊長には私から誤魔化しといてあげるわ。……だから、頭冷やしたらさっさと帰ってきなさいよ」

 

 やれやれと最後にもう一度溜め息を吐きながら、ティアナは先に他の皆と帰投することにした。
 幸いにも、確かなのはも今外で調査中のはずだから、後で頼んで口裏を合わせてもらおうと決めた。
 本当なら、遠足は帰るまでが遠足……でないにしろ、任務は戻って報告を終えるまでが任務だというのに……。
 貸し一つ、それもとびきり大きなものだと胸中でスバルとの間のこととして留めておくことにした。

 

 

 部隊の全てが立ち去り、唯一人残ったスバル。凡そどれくらいの時間をそうしていたのか、彼女はただ無言のままに空を見上げていた。
 そんな彼女がその行動を唐突に中止したのは、直ぐ近くから他者の気配を感じたからこそでもあった。
 まだ捕縛した連中の残党がいたのか、そんな警戒と共に気配を察した方角へとスバルは身構える。

 

「……そう警戒しないでもらえませんか。僕はあなたと今のところ争う心算はありません」

 

 そんな歳若い男の声が視線の先の方角にある岩陰より聞こえてくる。
 声が終わると共に、砂を踏む足音が続き、先の声の主であろう男がその岩陰より姿を現した。
 姿を現した男はほぼインナーで間違いないと思われる姿をした若い……それこそ自分たちとも歳はそう離れてはいないであろう年齢だった。
 だがその姿以上にスバルが思わず視線を向けて警戒を顕にしたのは、

 

「……ネイティブアルター?」

 

 その自身が呟いた言葉が示す証拠そのものと思われる、男の周囲に浮遊し展開された緑色の八つの光玉……アルターと思わしきものを見てのことだった。
 スバルが漏らしたその呟きに対し、それこそ男は苦笑をその表情へと浮かべながら言ってきた。

 

「……ええ。今では事実そのネイティブアルターで間違いありません。誤解しないで頂きたいのは、アルターを発現させているのは自衛の為の最低限の行動です。あなたがこちらに襲い掛かってきたりなどしないなら、これをそちらに差し向けるような心算はありません。
 ……僕としても、出来れば古巣の元同僚となるであろう相手と争いたいとは思っていませんからね」

 

 言っていることの意味を全て理解したわけではなかった、が相手に交戦の意志がないことだけは虚言ではなく恐らくは本心であろうと察することが出来た。
 相手がこちらにとって未知の能力を有していること、そしてスバル自身が先ほど目の当たりにした殲滅戦から思うことがあったのも、交戦の意思がこちら側に無いことへの理由ともなっていた。
 故に、その言葉を信用してバリアジャケットこそ解除はしなかったもの身構えるその姿勢を解いて彼女は改めて男と対峙した。

 


 男は名を橘あすかと名乗った。
 驚くべきことに、その経歴は前職はホーリー隊員であり、現在は非合法の市街と荒野を繋ぐブローカーをしているということだった。
 ホーリーを辞めた理由、その件に関しては口を濁すような態度でハッキリとは教えてもらえなかったものの、現在は一応ホーリー隊員を務めるこちらには悪感情らしいものも無く紳士的とも呼べる態度で接してくれた。

 

「……成程、じゃあ貴女たちが噂の本土から来たアルター使い部隊ですか」

 

 どうやら自分たち機動六課の事は、この大地に住む事情筋には知れ渡っているものらしく何かと注目を集めているらしい。
 一応は次元震の原因追求という目的を持った調査でこの世界には訪れているというのに、これでは極秘裏に調べるも何もあったものではないのだろうかと上の判断に些か疑問すらもスバルが抱いたのは此処だけの秘密だ。
 まぁどちらにしろ知られてしまっているのなら仕方が無い。自分は自分なりに任務へと対応するしかないのだろうとスバルは考え直した。
 事実、この状況……ホーリー隊員以外のアルター能力者(それも市街の外に住む敵対すらもしていない者)と接触できたというのは、彼女が考えている以上にチャンスではあった。
 次元震の原因として現在有力視されているアルターについて一つでも何か新しい事を知れるかもしれない機会だったのは確かだ。
 けれど、その好機すらスバルは結局利用しようとはしなかった。正直、こんな私情は許されないことだとは分かっていたが、現状における不満から、スバルは任務への意義を見出せずにいたのだ。
 本業と兼業をごっちゃに考えて同列に扱うのは、本来ならば愚の極みだと自身ですら思っていた。
 しかしそれでも感情を殺して切り分けたシビアな思考を持つには、まだまだスバルの精神は若く……否、幼いともいえた。
 結局、そうやって任務を一時的にボイコットをするこの現状こそが彼女のささやかながらの反逆だと言えた。
 ティアナもそうだが、ヴィータに知られでもすれば殴られるぐらいじゃ済まないだろうなと思いゾッとしもしたが、それでも結局スバルはその小さくささやかな反逆を押し通すことにした。
 ……私、不良になっちゃったなぁ……などと密かに思い罪悪感を小さく抱く辺り、やはり彼女は根っからの善人でしかなかったが。

 

 その代わりとしてスバルが橘と話し合ったのはこのロストグラウンドの情勢である。
 最近になって、苛烈を極めるように深刻化してきたホーリーによるネイティブアルター狩り。

 

「市街と本土がこの大地への再開発に本腰を上げてきたというところなんでしょうが……正直、こうも苛烈だと明日は我が身かもしれないと思い、ゾッとしませんね」

 

 苦笑まじりに漏らした橘の感想にスバルは返す言葉は無い。そもそも、自分たちは本土と協力している関係ではあっても、本土側が何を考えているのかなど何一つ知らないのだから。

 

「本土から来たという貴女には訊いておきたいんですが、本土に送られたネイティブアルターたちはどうなってるんですか?」

 

 今や時勢は自分がホーリー隊員の頃のような、犯罪者の更正から完全に様変わりしたものとなっている。得体の知れぬ陰謀が渦巻いている予感は否が応にも感じずにはいられない。
 しかも橘はスバルにこそ告げていないが、未だに自分を野に放逐したジグマールに関しては良い感情を抱いていないのだ。本土の犬でもあるあの男が何かを企んでいると疑って掛かったとしても仕方の無いことだっただろう。

 

 だが橘が幾らそんな疑いを持とうと、重ねて言うがスバルは何も知らない。そもそも本土の人間ですらない彼女がそんなことなど知っているはずが無い。
 だからこそ彼女は橘のその問いに対しても謝罪と共に分からないとしか応えようがなかった。
 本当にどうなっているのだろうか、あの捕らえられたネイティブアルターたちはどのような扱いを受けるのか、今更ながらに考えてもそこには不安しかない。

 

 ……果たして、其処に正義はあるのか?

 

 分からないからこそ、何よりもそれが任務への不審と不安となって彼女にいつまでもまとわり付く事ともなっていた。

  

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最終更新:2009年04月09日 22:36