桐生水守が次に目を覚ましたのは、暗く閉ざされた狭い部屋だった。
まどろみから徐々に覚醒する意識につられ、伏せっていた寝台より身を起こす。
……此処は?……それに私は何を……?
やがてはっきりと取り戻されていく思考が思い出すのは気を失う直前の出来事。
ホーリー部隊隊長マーティン・ジグマール。
高町なのはの制止を振り切り、彼の執務室へと直談判に行き……。
そして知った………真実。
「……そう、これが真実を知るということ……」
ポツリと力なく呟きながら、結局は無力に捕らえられるという結果に終わった自身。
恐らくは、あれから意識を失いこの部屋へと監禁されたのだろう。
仮にも一介のスタッフとは言えども本土の大財閥の令嬢である自分に……否、機密扱いとなっていたあの『真実』を知らされた時点で、このような行動に相手が出るということは自分の処分も既に決まったようなものだろう。
秘密裏に謀殺……我が身に待ち受けるであろう未来に恐怖で怯えるのと同時に水守が考えていたのは、やはり結局彼のことだった。
……そう、彼だ。自分がこの大地に再び舞い戻ってくることを決めた理由であったあの少年。
ただ想い出を確かめたかっただけ……自分は彼ともう一度逢いたかったのだ。
そう―――
「―――劉鳳」
ポツリと想い人のその名を儚く呼ぶ水守。
当然、この冷たく暗い閉ざされたこの部屋でソレに応える者は誰も居なかった。
けれどそれでも、ただ無意味なだけであろうとも想い人のことを只管に桐生水守は思い続けていた。
魔法少女リリカルなのはs.CRY.ed
第5話 ストレイト・クーガー
あの日、桐生水守がマーティン・ジグマールの元へと直談判へ赴いて後に消息を断った後。
高町なのははいつまで経っても彼女が戻ってこない現状に異変を抱き直ぐに行動ヘと移った。
ジグマールの元へと訪れ、彼女が此処を訪ねて来たはずだがその後どうしたのかを問い質したものの返ってきたのは与り知らぬという応対でしかなかった。
「……確かに、桐生君が私の元を訪ねてきたのは事実だ。私が直接応対し話も聞いた。……ふむ、何を話したか? 悪いがそれを答えるわけにいかないな。こちらにも色々と守秘義務というものがあるのでね」
のらりくらりとしたそんな態度ではぐらかすジグマールに忌々しさを抱いたものの、こちらから強く出られるだけの証拠が無いのも事実だった。
結局、確たる成果も無く水守の行方は杳として知れないまま、ジグマールからは話を終えた後に出て行った彼女の行方は知らないとだけ言われた。
「まったく嘆かわしくはあるね。我がホーリーのお膝元でスタッフが神隠しに会おうなどとは」
そんなふざけた事を言ってきたジグマールに当然なのはは苛立ちを必死に抑えながら真面目に彼女を探す気は無いのかと抗議するも、返ってきたのはイーリィヤンに目下全力で行方を捜させているなどという本当なのかどうかすら疑わしい返答のみである。
むしろ彼の“絶対知覚”を用いながらも数日経ってすら成果が無いという現状そのものが疑いに足る証拠ともなるだろう。
だがなのはがどれだけそんなことを主張しようともホーリーからすればただの言いがかりのレベルでしかなく、まともに対応すらもしてくれない。
それどころか、なのはがジグマールより逆に厳命されたのはこの一件を他の者に広めないようにしろという実質的な緘口令だった。
無論、情報を開示して彼女の行方を知る新たな手がかりを求める方が重要だと抗議はした。
だが返ってきたのは消えた桐生水守が大財閥の令嬢であるという事実と、市街で人が消えたなどという物騒な噂を広めるのは徒に余計な混乱を生むだけであるという返答であった。
大スキャンダルにもなりかねない事実を隠蔽……どれ程言葉で飾ろうが結局はそれでしかないだろうとなのはは強く苛立った。
しかし結局、特例とした権限を与えられる身であれども自分たちが所詮は外様でしかないのは事実。
郷に入れば郷に従え……癪でしかないその言葉通りに表面上においては上からの圧力に屈する他になのはに道は無かった。
己の無力さを実感する悔しさを久しぶりに今、なのはは味わっていた。
『ホーリー部隊が行動を起こした以上、私の処遇は決定されたのも同然でしょう。
この事は、誰にも伝わらないかもしれませんが……私が生きていた証として此処に纏めます』
手元より没収されていなかった支給品のシステム手帳。
桐生水守は監禁をされている現在、コレに一縷の望みを託し最期の手記を覚悟して自分の辿ってきた全てを記入しようとしていた。
『“あの時”から始まった、この事実を………』
こうして、桐生水守は今……自身が知ったことの全てを此処に記し始めた。
二十二年前、自然現象ではありえないほどのエネルギーを放出し、半径約20km・高さ240mにも及ぶ大隆起現象が神奈川に発生。
これにより首都圏全域はその機能を失い、政治や経済も長期に渡り停滞を続けることになる。
本土に余力が出来るまで五年、結果的に放置され続けたその大地を人々は『ロストグラウンド』と呼び、忌み嫌った。
ロストグラウンドは復興した本土側や国連からの経済援助を受けて形成された『市街』と、未だ未開発の地域に大きく二分され、人々もその隔たりに否応無く区分されてしまった。
未開発地域に住む人々……通称『インナー』は本土の援助を受けつつも自給自足が成り立っており、戸籍の喪失もあってか本土への帰属意識は低い。
大隆起現象から八年、ロストグラウンドは日本で唯一の完全独立自治領『連(むらじ)経済特別区域』となる。
そんな特例処置が認められたのは、本土の経済力低下に伴う復興資金の捻出問題もさることながらこの土地にアルター能力者の存在が確認された為だ。
そこで一旦、水守は手帳に打ち続けていた指の動きを止める。
此処までのことは日本の現代史にも記されている、この世界ならば誰もが知っているロストグラウンド誕生の背景に過ぎない。
此処から先……触れる事を避けられないアルター能力にまで話が進んだのを確認し、水守の胸中は自然と重たくなってもいた。
アルター……かつて自分が魅せられ研究に明け暮れた未知なる力。
今尚を持っても探究への欲求はある。……が、それも前ほどに無機的とも呼べる研究者としての情熱はもう抱けそうに無かった。
だって自分は見て、そして知ってしまったのだ……この能力によって余りにも多くの人間が人生を狂わされてしまったというその背景を……。
アルター能力とは、精神感応性物質変換能力の総称である。
任意に物質を分解、再構成して己の特殊能力形態へと構築する力。
再構築された物体―――アルターは使用者によりその形状などがほぼ固定されており、自立行動ではなく、使用者の脳波と連動していることが確認されている。
ロストグラウンドに誕生した新生児に備わるこの能力は、発現率が年々増加しており、現在の予測値は5%である。
そしてアルター能力者の増加と身体的成長につれて災害からの復興を遂げようとしているロストグラウンドは新たな混乱に巻き込まれていった。
それは……荒野側にいる善悪の判断がつかないネイティブアルターたちの犯罪の増加である。
九年前、内戦状態に陥ったこの地域に対し各国の非難が集中する。
事態を憂慮した時の政府は、ロストグラウンドからの人々の流出を徹底的に阻止し始めた。
貨幣を地域限定とし、衛星からの監視も行うとし、問題を全て封じ込めようとしたのだ。
………しかしそれから三年、復興しかけた市街がアルター犯罪に巻き込まれる。容疑者不明。
事此処に至って、政府高官たちは武装警察組織『HOLD(ホールド)』の中に、アルター能力者のみで構成された特殊任務用部隊を設立する。
部隊名―――『HOLY(ホーリー)』
……アルター使いを倒せるのは、アルター使いしかいなかったのである。
ホーリー……自分がこの大地に舞い戻り、現在こうして所属してもいる組織。
……そして彼が、己の信奉する正義を捧げた対象。
六年の時を経て、こうして舞い戻りこの部隊に所属し日々を過ごす中で、水守はこれまで生きてきて培ってきた価値観と現実との間に大きな隔たりを感じ、ショックを受けもした。
知り合い、言葉を交わしあい同じ職に就いているホーリーの部隊員たちにだってそれぞれ個別に様々なことを思うこともあった。
彼らとは相容れない価値観を有し、衝突による摩擦が生まれた事実もある。
けれど、それでも……未だ、彼らの事を水守はいつかは理解しあえる仲間だと信じてもいた。……否、信じていたかった。
その最大の理由……最も拘っている対象である彼ともいつかは―――
こんなにも星空が近い、だからこの大地の夜空は綺麗なのだろう。
都市部の薄汚れた空しか知らなかった水守は、あの日、初めて父に連れられこの大地へとやってきて星空を見上げた時に感嘆の声を上げた。
傍らで共に見上げてくれていた同い年の少年は、大地が近いのだから此処では当たり前だという答を返してきた。
それでも水守は此処が綺麗なところであることは事実だと嬉しそうに笑いかけた。
だが少年はそれに沈痛な面持ちを浮かべながら、壁の向こうの人々が苦しい生活を続けているという事実に心を痛めていた。
優しい少年は、大隆起さえ起きなければ彼らが苦しむようなこともなかっただろうと言った。
けれど当時の水守にとって大隆起は人類がアルターを手に入れる切っ掛けともなった原因。その当時からアルターの神秘性に魅せられていた自分は、訳知り顔でアルターの素晴らしさを語った。
目の前の少年がそのアルター能力においてのある意味では犠牲者であったことも知らず。
普通に生きていくには邪魔なだけ、周りの人間に迷惑をかけてしまう力でしかない……そう苦しげに後に語った心優しき少年は遂に自分が語るアルターの話に耐え切れなくなり大声で制してきた。
興奮により力が咄嗟に発動し、水守の傍にあった壁の一部が砕け、小さな結晶が生まれて床に転がった。
物質の分解・変換による再構成……まさに最前まで己が訳知り顔で嬉々として語ったアルター能力だった。
不用意に能力を発現させ驚かせてしまったことに、少年は慌てながらこちらに謝ってきた。
だが水守にとっては目の前の自分と同い年の少年が選ばれたその力を持っていたことの方が驚きであると同時に、嬉しかった。
そして同時に、そんな素晴らしい能力であるはずのアルターを毛嫌いする少年が不思議であり、それ以上に彼の優しさに惹かれていった。
翌日に、彼の屋敷を訪ね、彼の母親や愛犬と庭先で戯れる彼自身の姿を見て、益々にそんな思いは強くなった。
だからこそ、水守は昨夜に拾っておいた彼が自分に初めて見せてくれたアルター能力発現の証であるその結晶を改めてプレゼントし直してもらうことで友達になった。
……桐生水守にとって、彼―――劉鳳はそんな経緯で絆を深めた特別な存在だったのだ。
(……そんな優しかったはずの彼が)
その後、暫くしてロストグラウンドを離れ本土で六年の時を過ごす内に、思い出を確かめる為に、もう一度彼と会うために自分はこの大地へと舞い戻ってきた。
だが再会を喜び合えると思っていた、水守がその優しさに惹かれていた成長した少年は、彼女の大切な思い出であったあの優しい彼からは一変した存在となっていた。
自らのアルターを嫌い、力を使うことすら望もうとはしなかったはずのあの優しい少年は、自らのアルターを暴力として振るう厳格で実直なホーリー隊員に様変わりを果たしていた。
無論、彼は無頼の輩ではなく、その力を振るう理由が市街の人々の平和を護る為であり、しいてはこのロストグラウンドそのものに秩序を齎すためであったのは理解している。
けれど、それは……余りにも優しかった彼らしくはない、そしてやり過ぎではないのかと思えるほどに過激なものだった。
彼が高潔な理想を抱き、信じる正義の為に戦っていることは理解している。
けれど……水守にはそれが、あまりにも厳しすぎ、そして些かに狭量なものではないのかとも思ってしまったのだ。
そして水守には劉鳳自身もまた無理を通し苦しんでいるようにすら見えた。
彼女には彼の姿が、わざと孤独に耐え、他者を拒絶しているようにしか見えなかったのだ。
それを堪らなく、桐生水守は悲しいと思ってしまった。
何が優しかった彼を変えてしまったのか。
その正確な理由は彼自身のみが知るところだろう、水守としても彼の母の死が原因の一旦であろうことは予想できてもいたが、彼の心の内までをも知りえているわけではない。
彼の実父……このロストグラウンドきっての名士たる劉大連とも面会し、話を聞きもした。
劉大連は息子である劉鳳の事を好きにさせる心算だと言っていた。
『手に入れてないのであろう。……あれが望む全てを』
劉大連は疑問に首を傾げる水守に対してそう言った。
女である自分には分からないかもしれないが、男とは元来そういう生き物なのだと……。
事実、未だに水守には劉大連が言っていた言葉の意味も分からなければ、劉鳳が何を望み手に入れようとしているのかも分からなかった。
分からなかったからこそ、分かりたいと思い……理解したいと願った。
けれど結局は劉鳳との間には溝が広がるばかりで、水守の思いが劉鳳へと届くことも、劉鳳の考えが水守に理解できるようにもならなかった。
ホーリー部隊の中で、一番大切だったはずの友達との和解も出来ず、彼と彼の信じるホーリーのやり方もまた理解出来ずに、水守は一人傷つき、孤独を感じる他になかった。
それを察していたかどうかは不明だが、クーガーがそんな水守を何かと気にかけたりフォローしたりもしていたのだが、劉鳳にばかり目を向けていた水守自身はそれに気づきもしていなかった。
そうして、ホーリーという部隊の中で理解者もおらず、孤独だった彼女の前に現れたのが……あの異世界から来た魔法使いだったのだ。
高町なのは。
本土からやって来たアルター能力者の部隊『機動六課』を取り纏める隊長でもある彼女。
最初は挨拶回りで顔を合わせ、自分と同じ本土出身ということに疑問を抱いた程度だった。
ロストグラウンドで生まれた新生児にのみ発現する異能であるアルター。それを本土出身の彼女たちが持っているということはどういうことだろうか。
ロストグラウンドの混乱期に本土に流れたアルター使い、それが考えられるケースとしては最も可能性が高い。
されど、劉鳳との模擬戦で見せた彼女の能力の特異性。アルター能力専門の研究者たる水守だからこそ気づけた違和感。
それをどうしても無視できず、駄目元を覚悟で彼女に直接接触し、真偽を問うた。
―――貴女は何者なのか、と………
それに彼女は自分は異なる世界から来た魔法使いだと答えた。
何故、ジグマールとも並ぶ最高機密扱いの自身の正体を自分などに教えてくれたのかは水守には未だに分からない。
それどころか、それこそ最初は彼女が冗談を言っているのではないかと真剣に疑いもした。
だが真剣な彼女の態度、そして彼女が語る魔法という存在の明確な証拠。
それらを最後の言い訳として、水守はなのはの言葉を信じた。
本当は……本音で言えば、そう語った彼女の神秘性に何処かで惹かれていた気もしたのだ。
かつてアルターに魅せられた、あの時のように。
そして同じこの大地の上では余所者同士として、この大地をどう思うかを彼女と話し合った。
高町なのはは真摯な態度で、虚偽も含まず真剣にこの大地とそこに住む人々の未来を憂いてくれていた。
市街を開発するために虐げられている人々、内と外との貧富の差、アルター使いを捕らえ続けるホーリー………。
そんなロストグラウンドで行われている様々な矛盾が許せず、人が人を助けるのは当然だという考え方。
そんな自分の思いとまったく同じモノを、なのはは有してくれていた。
だからこそ、それが嬉しく、彼女は水守にとってこの大地において誰よりも信頼できる理解者となってくれた。
そして自分もまた、そんな彼女と一緒に戦いたいと思ったのだ。
だからこそ、自分たちは共に手を取り合った。
(……ごめんなさい、高町さん。そんな貴女の忠告も受け入れずに私は勝手な事をしてしまい、今のような状況になってしまいました)
きっと優しい彼女は自分のようなものでも消えてしまえばきっと心配し、悲しんでくれるのだろう。
それに僅かばかりの嬉しさを抱く反面、それ以上に大きな申し訳なさを感じてしまう。
『だからこそ、私は此処に私の知った全てを記し、残します。例え私が消されても私の知った情報が少しでも貴女の役に立つことを信じて』
そう、この手記を記しながら水守がコレを託したいのは二人の人物だった。
一人はかつての友達であり想い人である、いつか分かり合いたいと願っていた劉鳳に。
もう一人は、この大地で初めて自分を理解してくれ、味方として共に戦ってくれた高町なのはに。
桐生水守にとって今、誰よりも大切なこの二人に。
己が生きていた証、この大地への思いを託す為に水守は記し続け―――
―――唐突に、手の中の手帳が粉々に砕け散る。
いきなりの事態に何事かとそれこそ驚愕する水守。
そして狭い室内の中、突如現れた枝の様なモノが目の前に迫り水守は悲鳴を上げながら壁際まで後退する。
背には壁、これ以上は逃げられないというその水守の目の前に突如空間から大きな黒球が出現し、それが膨張しながら中を開く。
水守は見た。その黒い球体の中からこちらを覗き見るイーリィヤンの姿を。
そして眼が合うと共に、彼はこちらを見てニヤリと嗤った。
その笑みが告げていた。全てお見通し、何をやっても無駄だ、と……。
やがて怯える水守を堪能したように、悪戯を成功させた少年の笑顔を残しながらイーリィヤンは消えていった。
イーリィヤンが去った後、彼が取った行動の意味を理解した水守の中に広がったのは徒労感と絶望だけだった。
手帳を分解され、自身はもう二人に残せる物は何も無い。
加え、彼が見せた行動がこちらを完全に監視しているという事実にも繋がり、それでも万に一つと思っていた希望の芽すらも此処に潰えた。
「……もう、私は此処から抜け出せない」
死ぬまで此処に監禁されるのか、それともいずれは殺されるのかは分からない。
けれど、行き着く先はもはや同じモノでしかない。
……もう、彼らには会えない。
「………会いたい。………劉鳳………高町さん………」
叶うはずも無い願いを口にしながら、水守は悲しみと共に寝台に伏せるほかになかった。
『範囲内に特定対象の反応は感知できません』
「……うん、分かってる。でももう少し続けてみよう」
レイジングハートから発せられた言葉に高町なのははそう応えながら、もう一度エリアサーチを発動させる。
だが何度繰り返しても同じ……何がしかの正体不明な妨害を受けているかのようにサーチャーの動きが悪く、そしてそれ以前に投影されるべき映像自体が上手く繋がらない。
その事実に予想が出来ていたとはいえ、それでも歯痒さを感じずにはいられなかった。
「……十中八九、これはジグマール隊長側からの妨害工作なんだろうけど」
心当たりは一つ、あのイーリィヤンのアルター“絶対知覚”だろうとなのははあたりをつけていた。
高ランク魔導師の範囲系魔法、それもマルチタスクを併用した演算能力にこうも見事に対応され、妨害されようとは。
情報戦の敗北と同時に、改めて彼のアルターの脅威性とその絶対性を思い知らされた。
だがそれにいつまでも悔しさを感じているばかりでは駄目だ。そもそも水守の安否すらも未だ分からないのだ。もたもたしていては手遅れにとてなりかねない。
協定違反を覚悟で魔法を使用してまで収穫なし……手痛い事実この上ないがそれで諦めきる高町なのはではない。
むしろこの妨害で確信を得られたという事実もある。やはり水守を何処かへ攫ったのはジグマールに違いないのだ。
魔法で無理なら足で歩き回ってでも見つける、覚悟を決めてなのははこのホーリーの本営にして市街の中心たるセントラルピラーを見上げながら、其処へ向かって足を進める。
通常の仕事場でもあるこの建物内の何処かに水守が監禁されている、なのははそう当たりをつけていた。
街の外という可能性はほぼありえない。市街の近辺に集落や廃墟の類は存在しないし、そもそもジグマール自身の管轄外、それも不確定要素が発生するかもしれないような場所に人を隠すはずが無い、よってこれは除外していい。
次に市街の内部、何処かの建物という可能性……これは確かに考えた。だがこの可能性とて低いとなのはは判断した。理由は、どのような名義で場所を押さえるにしても足がつく可能性が高いというもの。
それに彼のようなタイプが、手駒を懐に残しておかないはずがないとも考えていたのが大きかった。人間の心理では大切なものほど手元に置きたがる習性にある。
ましてや此処は彼の城、彼しか知らぬ場所の一つや二つ、そこに人間を一人監禁することなど造作も無いはずだ。
最後の理由は、やはり先のエリアサーチへの妨害。
あの時なのはは、サーチャーを飛ばす際、市街各所とこのセントラルピラーにそれぞれ分散して飛ばした。
そして真っ先に異常を発して反応しなくなったサーチャーが、このセントラルピラーへと飛ばしたものだった。
最優先で反応するほどに、なのはには見られたくない何かがこのセントラルピラーの中に存在している。
ならばそれが桐生水守である可能性が高いのは事実。自分と彼女が同士であることは周知の事実としてジグマールもまた知っているはずだ。
―――桐生水守はこの建物内部の何処かにいる。
それは間違いないはずだ。
だからこそ、必ず見つけ出し助けねばならないとなのはは思い行動に移る。
例えその結果が、問題行為として後で取り立たされ自分や部隊の皆に迷惑をかけることになったとしても。
仲間の皆には申し訳なさを感じる一方でそれでもこれを止める事はなのはには出来ない。
何故ならなのはにとって桐生水守もまた大切な仲間の一人なのだから。
大切な仲間を見捨てることなど、絶対に出来ない。
この手で護れるもの、護り切れるものは必ず護り通す。
絶対に何一つだって掌からは零れ落とさない。
十年前からいつだって、自分はそう誓って戦い続けてきたのだ。
「だから待ってて水守さん。―――直ぐに助けに行ってみせるから」
「ああ、そうだ。桐生水守の件については全ての情報を封鎖してくれ。特に高町なのはの動向からは目を離さぬよう、そして間違っても本土に知られることがないように」
部隊長室にて眼前のモニターに映っている己の腹心……イーリィヤンへとジグマールはそう指示を飛ばす。
実際、彼は上手くやってくれている。桐生水守に関する情報の封鎖、そして秘密裏に動いている高町なのはへの妨害。多忙極まるこれらの仕事を失態も無く平行して継続してくれている。
「君ならば出来る……頼むぞ、イーリィヤン」
もっと別の言葉をかけてやりたい、一瞬そんな欲求に駆られかけるもジグマールは自制心でそれを抑え込む。
あくまでも部隊長として、彼には接して任務を言い渡さなければならない。
それが自分の責務であるとジグマールは自分へと言いきかせる。
一方、画面の向こうのイーリィヤンはといえはそれにただ無言で頷き、了解を示して通信を終えてきた。
画面から彼が消えて一瞬、ジグマールが憂うような表情を鉄面皮を崩して見せてしまったのは彼にとって唯一の隙だったのだろう。
だが鋼の自制心でそれも抑え付け、ジグマールは直ぐに部隊長としての顔へと戻る。
「……しかし上司が上司なら部下も部下、か。困ったものだな、彼女たちにも」
珍しい僅かばかりの苛立ちを含む呟きを零しながらジグマールが次に画面へと映した映像は、ホーリーアイが記録したあのカズマとエマージーとの戦闘映像だった。
そこに映っている件の人物―――我が隊の人員を攻撃してくれたヴィータへと視線を向けやれやれだと溜め息を吐く。
直接的な勝敗を決したのはやはりカズマだ。だがエマージーのアルターにトドメを刺し、粉砕したのはヴィータだった。
十分にこれは問題行為として機動六課側に抗議として取り上げられるカードだ。
だが………
「……中途半端というのも困りものだ」
しかし最終的にエマージーを助けたのもまた一応はヴィータである。
ジグマールとしては矛盾した彼女の行動をまるで理解しかねていた。
高町なのはといい彼女といい、戦力としては申し分ないにも関わらず、こうも扱いづらければ実質的には邪魔でしかない。
元より利害関係により締結している協力体制。その裁量権もまた本土の方にある彼女たちをジグマールが部隊長の権限としてどうこうすることもできない。
それが問題であり、目障りに感じ始めていたのも事実だ。
「……いい加減、手を打つ必要もあるな」
本土側のロストグラウンドにおける最高顧問の令嬢である桐生水守に手を出すという蛮行にまで手を染めてしまったジグマールだ。
どれ程非道な手を用いようが、もはや躊躇いも後戻りもする心算は無い。覚悟は既に決まっている。
或いは、追い詰められ退路を塞がれかけているのは己の方ではなかろうか、そう微かに胸中で懸念する己もいたが、もはや止まれないのも事実だ。
ならば―――
「……まぁ今はまだ彼女たちの事はいい」
目障りになりかけ放置が過ぎればいずれはこちらにとっても致命的な毒ともなりかねない存在だが、今は色々と時期が悪い。手出しは控えるべきだ。
本音で言えば、彼女たち程度に一々構っている余裕がそれ程無いというのも事実だ。
だからこそ、戦力としては不安定であれ有用性が証明されている彼女たちを手放すには早いと考えていたのだ。
あの男を……あの男の力をこの手で手に入れるためにもまだ彼女たちの協力は惜しい。
「そうだ。この男の力を手に入れる。その為には捨石など幾らあっても困ることは無い」
そう呟きながらジグマールが目にしている映像は、カズマがその右腕を掲げて咆哮し、エマージーへと立ち向かおうとしているその姿。
美しい、純粋に魅せられる様にその光を食い入るように見つめる一方で、そしてだからこそ是が非でも手に入れたいという欲求が益々に湧いてくる。
この輝き……そう、この輝きこそ『向こう側』にこの男がアクセスしたという確たる証拠。
物事の進展に拍車を掛け、時代を変える可能性のある……希望の光だ。
だからこそ、この男と劉鳳がジグマールにとっては必要だった。
例え、外道と罵られ死後に地獄とやらに堕ちるほどの悪逆非道を重ねてでも、ジグマールには彼らが必要だった。
だからこそ、手に入れるためには手段を選ばない。どれ程の犠牲を生もうとも必ずに手に入れる。
それこそが己の責務だ、そう自分に言いきかせる一方で……
「………だというのに、私は矛盾しているな」
そう既に覚悟を決めているはずなのに、部下とて全て道具と割り切っているはずなのに、それでも捨てたはずの良心が痛む事をジグマールは自覚していた。
酷く無様で滑稽で、決して許されない姿だというのに………。
ジグマールは悼むように目を閉じ、溜め息を吐きながら一度だけ言葉にならぬ謝罪を呟いていた。
最後にそれでも残る己にとって酷く邪魔であるはずのこの良心。これをどうにかして排除しようとでもするように………。
心無き道具のような扱いから抜け出す為に、アルター使いの人間としての権利を取り戻す為に自分は戦っているというのに。
こうも必死で心あるべき人間である己を殺そうとしているなどとは皮肉としか言い様が無い。
「……高町君、私は君たちを羨ましくも思うよ」
滑稽な無い物ねだりを承知の上で、それでも誰に聞かれるわけでもない無様な呟きをジグマールは気づけば漏らしていた。
「おやおや、血相変えてどうしたんですか? なのかさん」
急に呼びかけられたその声に高町なのはは振り向いた。
其処に立っていたのは予想通り(名前を間違えられた為)の人物であるストレイト・クーガーだった。
「“なのは”ですよ、クーガーさん」
無駄であることは一応は予想できていたが訂正の言葉を彼へと向ける。
「いやはや、すいません。どうも人の名前を憶えるのが苦手なもので」
申し訳ない、などと軽薄そうな態度で頭を掻きながらお決まりの対応をしてくるクーガーだが、生憎と今のなのはに彼に構っている暇など無かった。
「すいません、クーガーさん。私、用事がありますので―――」
「みのりさんなら探したところで無駄ですよ」
それこそおざなりな態度でそう言いながら背を向けかけていたなのはだが、彼がいきなり言ってきたその言葉に驚き食いつくように彼の方へと振り返る。
そのこちらの様子を見てニヤリと笑うクーガー。奇妙なサングラスに隠されたその視線までは分からないが己の食いつきように上手くいったとでも笑っているのかもしれない。
「彼女は“みもり”さんですよ。……それより、さっきの発言はどういう意味ですか?」
律儀に水守の名前も訂正した後、なのはは自身に冷静になるように言いきかせながら慎重にクーガーへとそう尋ねる。
あまり接点こそ無く、付き合いも短いが何度か彼と会話する内に彼もまた相当な食わせ者であることはなのはも見抜いていた。
だからこそ、異常なテンションの高さで物事をはぐらかされない様にと真剣に対処しながらなのははクーガーへと対峙する。
「言葉通りの意味ですよ。彼女を探しているようだが……残念ながら、貴女では見つけられない」
「どうしてですか? やってみなければわかりませんよ」
「そうですか? でも現に今の状況がそれを証明してはいませんかね」
「それは………」
クーガーのこちらの現状を言い当てた言い分になのはも思わず言葉が詰まる。
そんなことはない、ムッとした苛立ちも顕に態度で示しながらクーガーを睨むなのは。
だがそう強がる一方で事実その言葉通りであることは朧気な無自覚な中でも認めかけていた。
クーガーもそれは分かっているのだろう、相変わらずのあののらりくらりとした態度で不敵に笑いながらこちらへといきなり詰め寄ってきた。
いきなり密着するギリギリにまで接近され、反射的に飛び離れようとするも彼がその前に囁いてきたその言葉になのはの動きはピタリと止まった。
「……私なら彼女を助け出すことは出来ます。どうです、手を組みませんか?」
「こっちですよー、なのかさ~ん」
太陽がそろそろ傾き茜色へと染まった空。黄昏時の市街の一角、指定された駐車場へとなのはは足を踏み入れ、そしてそこで大声を上げながらこちらに手を振っているクーガーを発見した。
「だから“なのは”ですってば」
水守が彼の事を苦手としていた理由が分かるようなウンザリとした訂正を入れながらなのはは彼と車の元へと近付いていく。
「いやはや、すみません。どうにも人の―――」
「もういいです。それよりさっさと行きましょう」
繰り返されるやり取りを遮ってなのはは自分から先に車の助手席へと乗り込む。
クーガーもまたそれに応対して自身も運転席へと座り、エンジンをかけるためキーを回す。
……因みに、先に断っておくと高町なのははストレイト・クーガーのアルター能力自体は知っている。
だが悲しいかな、知識として知っているのと実際にソレを体感するのとではその開きは天と地ほども差がある。
残念ながら、彼女はクーガーの運転する車が以下にキ○ガイ染みたものかをこの時、露ほどにも理解していなかった。
だからこそ、後に振り返った高町なのははクーガーの運転する車をこう評したという。
遊園地のジェットコースーターがいかに健全な乗り物かが心底理解できるようになった、と………。
さて、話はまだなのはが地獄を体感する前、車の発進直後へと戻る。
「それで、頼んでいた物は用意してもらえましたか?」
「ええ、一応全部このバッグに纏めておきました」
そう言ってなのはは手荷物であるそのバッグをクーガーにも見えるように示した。
クーガーもそれを確認し、それは良かったと頷いた。
「いやぁ、すいませんねぇ。みのりさんの私物を纏めてきてくれなんて頼んじゃって」
「いえ、着の身着のまま女性を送り返すなんて出来ませんし、クーガーさんの配慮は正しかったと思いますよ」
桐生水守の奪還。それを誘われたなのははこのクーガーという男の言葉を本当に信じて良いのかを実は迷いもした。
しかし事前に水守から以前助けてもらったことがあると話を聞いたことがあり、そして現状自分だけでは何の進展も見込めない事を自覚して、この協力を受け入れた。
そしてクーガーがそこから話したのは、水守を助け出した後に本土へと逃がすという作戦だった。
『みのりさんは恐らく知るべきでは無い事を知ったんでしょう。そしてジグマール隊長に捕らえられた。彼女を救い出すのに成功しても、此処に居たままじゃいずれはまた捕まってしまうかもしれないし、それどころか生命の方が危険かもしれない』
だから捕らえられている水守を救出したら、そのまま本土へと返した方が良いとクーガーは提案してきた。
確かに、ジグマールの権限が及ぶのはロストグラウンドのみだ。水守の安全を考えるなら彼の手の届かぬ本土へと帰すのが最も確実な手だ。
『みのりさん自身は今は実家とあまり折り合いが宜しくないようですが、それでも彼女の実家は本土有数の大財閥である桐生家。あそこなら確実に彼女を護ってくれます』
そう言ってきたクーガーの言葉に反論の余地も無く、なのはもまたその案を受け入れた。
協力者である水守が居なくなること……それを思えばこれから先が大きな痛手となることは事実だ。だが水守自身の身の安全には代えられない。
元々、自分が付いていながらみすみす彼女を危険にさらせてしまったという負い目もある。何よりも、大切な仲間が危険に巻き込まれることの方があってはならないこと。
だからこそ、水守を助け出して本土へと帰そうとなのはは決めた。
そうして水守奪還の大まかな作戦目的を決めた二人は次に準備へと移った。
彼女を奪還後にスムーズに本土へ逃がせるよう、飛行機の手配と彼女の私物の類を纏めておくこと。
前者をクーガーが、そして後者をなのはが担当することにした。
『本当なら俺が私物纏めをしたかったんですがね……ほら、下着とか色々と。おっと、怖い顔しないでください、そのくらい役得があったっていいんじゃないかってだけですって! あ、いえ! 冗談ですよ、冗談! こう見えて俺は文化を愛する紳士ですよ? そちらはなのかさんの方にお任せしますよ』
そんな何処まで本気か分からぬようなことを言いながら、クーガーは準備を進めてくれたようであった。
決行は今夜、日が落ちてから……そんな取り決めをして夕暮れに落ち合う約束をして今に至るというわけである。
「けどクーガーさん、どうして市街の外へと向かうんですか?」
その意味が結局分からず、車が走り始めたのと同時くらいになのははクーガーへと尋ねていた。
クーガーはそれに対し、相変わらずに愉快に笑いながら、
「いえね、その方が色々と面倒でなくていいし、距離も必要ですしね。後は……美人とドライブもオマケで出来るというのが理由ですかねぇ」
そんな事を上機嫌に言ってくるクーガーに、今更になってなのはは本気で大丈夫なのかと心配しかけてもいた。
だがそんな表情を見せているなのはにすらクーガーは、
「ほらほら、なのかさん。仮にもドライブなんですからもっと笑って。あ、そうですよね、チンタラ走ってててもテンションなんて上がるはずがありませんものねぇ。
いいでしょう! 良い機会です、このストレイト・クーガーのアルター“ラディカルグッドスピード”をご披露しようじゃありませんか!」
いきなりそんなことを言い始めるクーガー。なのはは話の変遷に付いて行けず、それこそ「え? ちょ―――」と言葉を発しかけるもソレも途中で遮られる。
何故なら次の瞬間、彼が発生させたアルター能力が見る見るうちに普通乗用車を紫色の厳つい車へと変えてしまったからだ。
「では―――行きますよぉ!」
ひゃっほう、とでも叫びだしそうな上機嫌でそうクーガーが宣言すると同時、爆発的な加速で自身の体が引っ張られるのをなのはは体感した。
それも一瞬ではない、信じられないことに速度と勢いはぐんぐんと上昇していっているのが分かる。
まるで、法定速度? 何だソレ喰えんのか? 的なレベルである。
常軌を逸したスピード違反に、なのはは悲鳴を上げる余裕すらも失っていった。
だがそんな中、そんなイカレタ暴走車を運転している当人と言えば……
「私は何でも速く走らせることが出来まーす!」
最高にハイって奴だ状態に大絶賛突入中であった。
「この世の理は即ち速さだと思いませんか? 物事を速く成し遂げればその分時間は有効に使えます。
遅いことなら誰でも出来る! 二十年掛ければ馬鹿でも傑作小説が書ける! 有能なのは月刊漫画家より週刊漫画家! 週刊よりも日刊です!
つまり速さこそ有能なのだ! 文化の基本法則! そして―――俺の持論ですぅぅぅううううううううううううう!!」
よく早口にマシンガントークで、しかもこんな速度の中で流れるように叫び続けられるのか。
心底疑問に抱くべき箇所なのかもしれないが、なのはにはそんな事を考える余裕すら存在していなかった。
管理局でも有数の高ランク魔導師、若手筆頭、№1のエースオブエースの誉れが高い彼女ですら、数多の潜ってきった修羅場とは違うベクトルで現状の脅威に圧倒されていた。
それこそもうどうにでもなれという意識の中で思ったことはたった二つだ。
二度とクーガーの運転する車には乗らないこと。
そしてスバルがクーガーに憧れるのはほどほどに止めさせた方が良い。
という事だった。
「なのかさん、俺はこう思ってるんです。旅は素晴らしい、と! その土地にある名産・遺跡・暮らしている人々との触れ合い!
新しい体験が人生の経験となり、得難い知識へと昇華する。……しかし目的地までの移動時間は正直面倒です。その行程を俺ならば破壊的なまでに短縮できる! だから俺は旅が大好きなんです!
聞いてますぅ? なのかさぁん? なのかさぁぁぁああああああああああああん!!」
正直、聞こえていない……というより聞きたくない。
もはやこれは暴力のレベルだろうとなのはは絶望と共に嘆いていた。
市街の踏切を突破し、荒野に出てからもクーガーの運転する暴走車はその勢いと速度を収めるどころか更に上昇させていた。
止まれの標識も無い延々と続く荒野、恐らくはクーガーにとっては最高のドライビングコースに違いない。なのはにとっては最悪だったが。
誰かこの水を得た魚のような馬鹿を止めてくれ、そう心の底から願わずにはいられなかった。
そんななのはの願いが通じたかどうは知らないが、紫色の暴走車は目的地に到着したのか、無理矢理にいきなりその速度を落とし止ってしまった。
尤も、急に止めたものだから勢いが殺しきれず車が思い切り傾いたのは言うまでも無い。
シートベルトはしていたものの、急な衝撃になのははドアに叩きつけられた。痛い……でもそれ以上に吐きそうだ。
一方、クーガーの方はと言えば車が停止するのとほぼ同時のタイミングで運転席を飛び出し華麗に着地を決め込んでいた。
「……あぁ、一時間五十分三十六秒……また世界を縮めたぁ」
などと歓喜に震えて呟いているこの男に、本気でディバインバスターを撃ち込んでやりたいとなのはが思ったのはここだけの秘密だ。
ハンカチで口許を押さえ、吐き気を必死に抑えて呻きながら出てきたなのはを見てクーガーはサングラスを外しながら心底不思議だとも言わんばかりの態度で尋ねてきた。
「体調でも悪かったんですか? なのかさん」
………訂正、スターライトブレイカーを撃ち込んでやりたいとなのはは思い直した。
「……な……“なのは”……です……ッ」
それでも何とか名前の訂正だけは入れたのは、もはや意地と言ってもいいレベルだった。
「………それで、こんな所まで来てどうやって水守さんを助けるんですか?」
漸くに酷い車酔いから回復したなのはは、この市街から遠く離れたうち棄てられた廃橋を見渡しながら尋ねる。
しかしクーガーの方はと言えば、そんな彼女の当然の疑問に対しても何ら問題ないとでもいった態度を崩す様子も無く、
「な~に、此処なら覗かれる可能性もありませんしね。みのりさんの救出の前に少し貴女とお話したいと思いましてね」
などと言ってくる始末だ。
なにを悠長なと思ったのも事実なら、その為だけに態々こんな場所にまであんな思いをして自分は連れてこられたのかとなのはは思った。
「……信用がないってことですか? 私は」
なのはの言葉にクーガーはいえいえと首を振りながら告げてきた。
「貴女のことは信用していますよ。たとえ貴女が何者であれ俺としてはそんなことはどうでもいいんです。……ただね、正直これはヤバイ橋を渡ろうとしてるのも同じです。貴女は本当にそれで良いのか、と思いましてね」
老婆心のようなものですよ、とクーガーは言ってくる。
そう言われて初めてなのははクーガーが己の立場上の問題を心配してきてくれているのだと気づいた。
存外に優しい人だな、そう思う反面で確かにクーガーの懸念だって尤もだとは思う。
機動六課は仮にも出向とはいえホーリーに現状は所属している部隊。自分はその部隊の責任者であり代表としてこのロストグラウンドへと来ている。
そんな自分が一時の私情を優先し、協力関係を結んでいる組織の長に反抗、対立の恐れのある要因を生み出しかねない行動を起こそうとしている。
……無論、想像するまでも無く始末書で済むレベルではないのは明らかだ。
自分は責任を問われ、この部隊の指揮権を剥奪され地位を追われ、ミッドチルダに帰還してからは降格や査問などという事態も避けられないかもしれない。
そうなれば多くの者に迷惑が掛かることになる。部下たちをはじめ、部隊長であるはやて……六課の後ろ盾でいてくれている面々にだってそれは及ぶかもしれない。
………彼らに迷惑をかけられるのか?
答えは否、それは論じるまでもないはずのこと。
入局当時から……否、リンディたちに至っては入局以前からの世話になった恩人たちだ。
大切な、自分が護らなければならないはずの人々。
そんな恩人たちとこの大地で出会いさして時を重ねた友誼を結んだわけでもない桐生水守とを天秤に掛ける……それは許されることなのだろうか?
(……違う、そうじゃない。そうじゃないよ、私。それは単なる言い訳だよ)
脳裏に過ぎる疑問、それを打ち消すようになのはは激しく首を振る。
論点を間違えるな、本質を捉えろ、と………。
(これは取捨選択なんかじゃない。さっきの疑問は全部単なる言い訳……そう、私自身が大切な人たちをダシにして言い訳しようとしてるだけだよ)
逃避や諦めの理由に、仕方が無かったという拠り所に自分は恩人や仲間達を使おうとしていたに過ぎない。
それこそそれは仲間達に対しての本当の侮辱であり裏切りだ。そんなこと……他の何よりもなのは自身が許さない。
そうだ、迷うな。決めたんだろう? ならばその道を迷わずに進めよ高町なのは。
自分自身に対して、今一度強く言いきかせる。
“どちらを選ぶ”のではないのだ。自分は“どちらも護る”のだ。
もう二度と、大切なものを、護るべき存在を……掌から零しはしない。
必ず、絶対に護り通す。
もう誰かが悲しむ顔を見たくないから、誰も悲しんで欲しくないから。
その悲しみを消し飛ばす、その為に自分は戦うことを選んだのだ。
青臭いだけの子供染みた理想論、実現性の欠片も無い夢物語。
そう言われ、或いは鼻で嗤われ様と……その生き方こそ、自分が常に抱いてきたもの。
いつの間にか、かつての日々に失ってしまっていた自分の原点。
(……それを取り戻す。きっと手遅れなんかじゃない……私はそう気づいたはずだ)
由詑かなみを前に、あの誓いと思いを確かに思い出した事を振り返る。
そして脳裏に浮かぶのは、あの少年を前に自分自身で告げた覚悟だ。
そう、覚悟……自分は既にそれを決めたはずではないか。
ならば―――
「私は水守さんを助けます。それが今の私にとってしなければならない、私自身が選ぶべき行動だと信じていますから」
無茶な行い、身勝手な行動。きっと他の皆には迷惑が掛かるだろうし、酷く怒られもするだろう。
それでも仕方ない、勝手で……我が儘で悪いが、そんな自分と関わってしまったのも運が悪いと思ってもらう他に無い。
(私は迷わない。今はただ目の前の壁を越える……そうだよね? カズマ君)
脳裏に浮かぶあの反逆者の少年の姿。
何故か、彼がそんな自分に向かって不敵に笑っているような気がした。
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