二度目の邂逅。一度目のドンパチの事もあり多少は気まずいなり殺伐としたものになる、そうカズマですら思っていたというのに、

 

「カズマ君!? また会えたね!」

 

 相手はそれこそこちらとの再会を喜ばんばかりの上機嫌だ。
 その意外すぎる反応が不意打ちとなったのは事実だ。お蔭で出鼻を勢い良く挫かれるという結果になってしまった。
 そうこうしている内に相手はこちらに無造作に近づいてくる。まるで無防備、警戒しているのかすら怪しいとカズマの方が正直に思ってしまうほどに。
「元気だった、あの時の戦いで怪我とかしなかった?」
 喧嘩をしておいて怪我をしないもクソもないというのに、本当に心配そうと言わんばかりになのははそんな事を訊いてくる。
 因みに、非殺傷設定の魔法は喰らったところで外傷は生まれない。あれだけ何発も喰らったというのに傷跡一つ無い事実にはカズマ自身も後で首を傾げたことだった。まぁ、その翌日が、動きたくも無いほどに疲労が溜まったように体がだるかったのだが。
 だがそんな事実も知らないカズマにしてみれば、あの喧嘩で怪我がなかったかと気遣われたところで、それは舐められているのと変わらないことだった。
 故に益々眼前の相手に鬱屈した怒りを抱いたのは言うまでもないことだ。
 それこそこのままこの場でぶっ飛ばしてやりたい欲求に駆られはしたが、彼はソレを彼にしては珍しい程の鉄の自制心で押さえ込む。
 何故か、そんな事は決まっていた。此処が周りの眼がある街中だから、それだけに過ぎない。
 いくら無鉄砲で考え無し、そして向こう見ずの馬鹿とはいえ、此処で自分がアルター使いだと周囲の人間に知られてしまえば、そのとばっちりはかなみにまで及ぶ恐れがあった。
 例えインナーの集落とは言え、否、インナーの集落だからこそネイティブアルターに対する恐れなどの感情、迫害意識は強い。
 そんなものをカズマ自身はまるで恐れていないとはいえ、君島やかなみまでもが同じとは言えない。
 だからこそ、彼は珍しいほどに他人の為にこの場は自制を選んだ。
 ただ―――

 

「おい、アンタ。ちょっと面貸せよ」

 

 不機嫌そのもの、傍から見ればチンピラそのものの態度と成り果てていたが。

 


「此処まで来りゃあ問題ねえだろ」
 即ち、好きなだけ暴れたところで誰にも被害は及ばない。
 その場にいる当人二人を除けば、であるが。
 町から離れて暫くしたところにある開けた荒野。その場で互いに五メートル弱の距離を取りながら向かい合う二人。
 カズマの顔にはこれから始まる前回の続きへの高揚。
 なのはの顔にはこうなってしまった事に対する明らかな悲哀。
 対照的な表情を浮かべる中で、両者のぶつかり合いは避けられぬものとなろうとしていた。

 

「………カズマ君、私は君と戦う心算なんてもう無いんだけど」

 

 道すがらしてきた説得をこの場でもう一度行うも、返ってきた返答はやはり、

 

「何度も言わせんな、まだあの時の喧嘩のケリがついてねえんだよ」

 

 そのケリが付くまで、仲良くお手手繋いでお話し合いなどどうして出来ようか。
 尤も、そんなものケリが付いたところでする気は更々カズマには無かったが。
 それでも、兎に角、この相手との決着を付けないことにはどうにも最早収まりが付かないことだけは間違いなかった。

 

「―――だから始めようぜ、喧嘩をよぉ!?」

 

 その叫びと同時、アルターを発動。右腕に装着させたシェルブリットを相手に突きつけながら、
「さぁ、出せよ! テメエのアルターをよぉ!」
 そうやって相手にも早くアルターを出すように促がした。
 無抵抗な相手を殴るのは趣味じゃない。何よりも、コイツは本気でぶつかり合ったのを破らねば意味が無い。
 だからこそ促がして、相手がアルターを発動させるまで待つ。
 だが―――

 

「―――私は、もう君とは戦わないよ」

 

 眼前の相手は、そんなふざけた言葉を躊躇うことも無く言ってきた。

 


 相手の怒気が殺気に変わったのを高町なのはは確かに感じた。
 それでも、先の言葉を覆そうという意思は無い。レイジングハートをセットアップする気も当然無かった。
 それがなのはのこの場でのカズマを相手に選んだ選択だった。
 戦わない、それがどれ程相手の琴線に触れた危険な選択なのかは分かっている。
 それでも彼女はそれを承知でこのやり方を選んだ。
 悪魔らしいやり方ででもお話を聞いてもらう。一度はそうしたし、本来ならばそれは選んで当然の選択だったのかもしれない。
 それでも、そのやり方ではきっと彼には届かない。矛盾したことかもしれないが、そのやり方をこの相手に続けたところで延々とその果てに話し合いは出来そうに無い。
 そう思えてしまった、そしてそんな不屈とも言える頑なさが向こうにはあった。
 だからこそ、彼女は戦い方を変えたのだ。
 そう、戦いを放棄したわけでは無い。ただ暴力ではない別のやり方でこの相手にこちらの思いを届かせようと思ったのだ。
 故にこそのこのやり方だ。非暴力、非協力、不服従、それを貫いた先人でもあるガンジーは改めて偉大だとなのははふと思いもした。

 

「………ざけんなよ、テメエ」

 

 既に沸点はギリギリであることを容易に予測させる、怒りに満ちた相手の言葉。
 だがそれに臆するエースオブエースではない。

 

「テメエじゃないよ。わたしの名前は高町なのは。まだ名乗ってなかったよね? 改めてよろしくね、カズマ君」

 

 そう相手へと前回名乗り損ねた自分の名前を告げる。
 まずは最初に互いの名前を知ることからが、分かり合うことへの第一歩となる。その考えを彼女は十年前から何一つとして覆していない。
 だからこそ名乗り、改めて友好の為の笑みと言葉を投げかけ―――

 

 ―――瞬間、相手は猛然と問答無用で拳を叩きつけてきた。

 


 それこそ衝撃は凄まじく、纏めていた髪が一斉に後ろに流されてばらついたほど。
 それでも微動だにせず、なのはは寸止めされた拳を前に決して恐怖の感情を欠片も表情へと表す事は無かった。
 避けもしない、対応しようともしない。カズマが寸前で拳を止めていなければ、ソレは確実にこちらの顔面を捉えて直撃していただろう。
 こんなものを何の防備も無しにマトモに顔面に食らえば、下手をせずとも命は無い。
 それを充分に理解していたはずだというのに、なのはは何一つの対応を取らなかった。

 

「ふざけんなよ、テメエ。何で避けねえ、防がねえ、俺が本気で止めるとでも信じてたのか!?」

 

 理解できない相手の奇行に、カズマはただ猛然と拳を寸止めにしたまま睨みつけ怒鳴る。
 それこそこのまま怒りに任せて拳を振り抜くことだって出来ると、そうはっきりと突きつけながら。
 だがそれに対してすらなのはは、

 

「うん、信じてたよ。だからこうして止めてくれたじゃない」

 

 平然と満面の笑みを浮かべながら、憚ることなくそう言ってくる。
 その笑み、その言葉が、どうしてもあの少女と重なる。
 それが我慢なら無くて、カズマは獣のような咆哮を上げながらそのまま拳を振りぬこうとし―――

 


「………ねえ、カズマ君」
「るせえ、俺に話しかけんじゃねえ」
 完全に不貞腐れたように鼻を鳴らしてソッポを向く彼に、なのはは苦笑を浮かべる。
 結局、彼の拳は彼女を殴れなかった。
 無抵抗だったから、相手がどうしてもかなみと被って仕方が無かったから。
 尤もらしい理由を挙げていけば、それなりに見つかるだろう。
 だが結局の所、彼がなのはを殴らなかった理由は一つだ。

 

 ―――殴ったら、負けだと思った。

 

 別に女子供を殴ることに躊躇いを覚えたからでは断じてない。
 一度敵と認めれば、例えそれがどんな相手だろうとも“シェルブリット”のカズマならば容赦をしない。
 だからこそ、相手が例え無抵抗の女であろうと『敵』ならば容赦をする必要など何一つも無かった。
 ………そう、『敵』ならば、だ。
 だが今のこの女は違う、正直『敵』にすらならない、そんな無害で無抵抗で、そしてムカつく相手だ。
 ならば例え『敵』でなかろうともムカつくならば充分にカズマにとっては殴り飛ばすにたる理由にはなる。
 そうであるはずなのに、それでも殴らなかったのは相手が事実上、"勝ち越している敵"であった存在だからだ。
 今は敵じゃない、だが逃がす心算も無い。そしていずれ敵になるはずだ。
 その期待があったからこそ、彼はこの女をこの場では見逃した。
 本当の戦いの場で、この場や前回分の借りも含めて、纏めて全部叩き返してやる為に。
 その時が来るまでは殴れない。言わば我慢こそが眼前の相手に選ぶカズマのこの場での戦い方だ。
 ………尤も、普通に戦うよりもそれは彼にとって遥かに難易度の高いものであったが。
 どちらにせよ、今は殴れない。殴らないと決めた。
 ならばこんな相手には用は無い。ただでさえ声がかなみと被っていて不快だというのに、やること為すことが一々癇に障って仕方が無い。
 それこそ一秒だって面を合わせていようとは思いたくも無い。
 故にこそ、相手が戦わない以上、ならばもうコイツに用は無い。
 とっととこの場を去ろうと思い踵を返そうとしているのだが………

 

「カズマ君、少しお話をしない?」

 

 絶対にノゥ! そう振り返って怒鳴ってやりたい気持ちをグッと抑える。
 そうやって反応すればするほど、それはきっと相手の思う壺だ。話術では絶対に敵わない、煙に巻かれるのがオチだと予見出来ただけ、まだカズマは鋭かったと言えるだろう。
 故に無視、相手の呼びかけにも応えずにそのまま背を向けて彼は町に戻る為に歩き続ける。
 だが………

 

「………おい、テメエ」
「何かな? あ、それと私の事も名前でちゃんと呼んで欲しい―――」
「んなことはどうでもいい! それより俺の後を付いて来るんじゃねえ!」

 

 とうとうそれが我慢できずに振り返り、そう怒鳴っていた。
 カルガモの子供でもあるまいし、一々後を付けられてはかなみの元へと帰る事も出来ない。
 やはりぶっ飛ばすか、と考えも本気で改めようとすら思いもする。
 正直、この相手のしつこさは想像以上、本気で辟易すらカズマはしていた。
「しつこすぎるんだよ、テメエ。いい加減、鬱陶しいぞ」
「………そうかもね、自分でもしつこいとは思うよ。でも―――」
 カズマの言葉になのはは苦笑の度合いを強めながら、相手の怒気に物怖じする様子も無くアッサリと認めながら、

 

「―――それでも、私は君とお話がしたい」

 

 ハッキリと、それを譲る心算もないと言った様子で最後に毅然と告げてくる。
 そのあまりにもな我が儘振りには、さしものカズマを置いてすら怒りを通り越し、呆れ………否、

 

「ハハ、何だよそりゃ」

 

 正直、不覚にも可笑しく思ってしまい思わず笑ってしまった。
 それを見たなのはは流石に少しバツが悪くなったのか、少し恥ずかしげに、
「………やっぱり、我が儘……かな?」
 そんな事を言ってくる。その言葉と態度に益々可笑しくなったカズマは、
「ああ、そりゃあ我が儘だろ」
 そうアッサリと肯定してやった。

 

 どうしてこんな奴を相手に少し愉快に感じてしまったのか。
 冷静になって振り返ってみても、それが不思議でたまらない。
 相手はホーリーのアルター使い。それも一度は派手な喧嘩をやらかした相手だ。
 今は戦わないが、いずれは戦う、倒さねばならない相手だ。
 仲良しこよしなんて間違っても出来なければ、そんな友好を深めようなんて更々思いたいとも思えない相手だ。
 第一こいつはかなみに声が似すぎてる、それだけでムカつく野郎だというのに。
 ………そう、本当にムカつく野郎だってのに。

 

 ―――どうして、こうまで頑なで我が儘で………俺に少し似てやがるのかねえ。

 

 だからだろう、憎悪だとか敵愾心だとかそう言った感情とは関係の無い部分で。
 この時初めて、カズマは高町なのはに少しだけ共感を覚えたのだ。

 


「………ったく、しょうがねえな」
 やがて、遂に観念したようにカズマは溜め息を吐きながらそう呟く。
 今回だけだ………ああ、間違っても今回だけだ。
 内心で自身にそう言い訳めいたように言いきかせながら、カズマはなのはから視線を外しソッポを向きながら、

 

「今回だけだ。………言っとくが本当に今回だけだからな! 今更仕事にも戻れねえし、少しだけテメエの話って奴に付き合ってやる」

 

 実に不本意だと顕に見せ付けながら、彼女へとそう言い切った。
「………え? 本当に………?」
 あれだけ自分の方からしつこく言っておきながら、こちらの言葉が信じられないとでも言った様子で、彼女は呆然と驚いた様子でそう訊いてくる。
 聞き返してくんじゃねえよ、そう思いながらもソッポを向いたままカズマは頷いた。
 瞬間、

 

「ありがとう! 本当にありがとう、カズマ君!」

 

 まるで子供の様に大はしゃぎしながら、なのはは勢い良くこちらの両手を掴んで礼を述べてくる。
 いきなりの相手のその態度に、それこそ困惑しながらカズマは慌ててなのはの握ってくる手を振り払う。
「な、馴れ馴れしくすんじゃねえよ!」
 動揺を隠し切れずに少し恥ずかしげに怒鳴るカズマに、流石になのはも少しばかりはしゃぎ過ぎたのを自覚した様子で、
「あ、ごめんね。………でも、本当に嬉しかったから、つい」
 ついで手を握って振り回されては堪ったものじゃない、そうカズマも思い言ってやろうとも思ったが、結局、その時に彼女が浮かべていた満面の笑みを見てしまってはそんな毒づきを吐くことも出来なかった。
「………ったく、本当にムカつくぜ」
 調子が狂うったらありゃしねえ、そう聞こえないほどに小さく呟いていたのは、彼なりの照れ隠しだったかどうかは、本人以外には知る由も無い。

 


「………で、何を話そうってんだよ?」
 近くの岩陰に腰を下ろしながら、カズマはなのはに一番重要なポイントであるそこを問う。
「そうだね、聞きたいことは色々とあるんだけど………」
 断りも無しに隣に同じように座り込みながら、なのははこちらを真っ直ぐ見つめながら訊いてくる。

 

「君は、何故戦うの?」

 

 実に単純であり、非常にツマラナイ質問だった。
 というより仮にもロストグラウンドで生まれたアルター使いに対して問うような質問だとも思えなかった。
「何だよ、本土暮らしが長いのか? そんな答えなくても分かるような質問してくるなんてよ」
 アッサリと相手が言ってきたその言葉になのはは戸惑った。まるで一+一も分からないのかお前は、と馬鹿にされているのと同じレベルの言われ方のように感じたからだ。
「………おかしな質問、かな?」
「おかしくないとでも思ってんのか? アンタ、本当にロストグラウンドに生まれたアルター使いか? 何年本土にいたんだよ?」
 逆にそんな風に問い返され、返答になのはが困ったのは言うまでも無い。
 そもそもなのははアルター使いでもなければ、ロストグラウンドはおろかこの世界の生まれですらない。
 便宜上、本土からのアルター使いと称しているだけで、まったくのそれは嘘の経歴に過ぎない。
 だがジグマール以外にはその秘密を明かせない以上、この場においてもその嘘を通さなければならない必要がある。
 嘘を吐き続けるというのは後ろめたいし辛い事だ、がそれも任務と割り切るしかない。
 故にこそ、此処はカズマの質問に答えて話を合わせるしかない。

 

「………そうだね、私や他の皆はアルター能力に目覚めてから物心ついたその時には、ずっと本土で暮らしてたから」

 

 先の桐生水守への応対とは違ったものとなった。
 だがこう言えば取り敢えずはこちら側との認識のズレは誤魔化せるはずだ、そう思いながら表面上は淡々とした態度でカズマに告げる。
 彼もそれには納得したのか、成程なと鼻を鳴らして言ってきた。

 

「どうりでお綺麗で、満ち足りてるわけだな。テメエらは。実質、本土で育ったんじゃそりゃあ此処じゃ異質に感じるわけだ」

 

 それはなのはが先程まで大きな課題と思っていたインナーとの間の齟齬、受け入れられない異質感を言い当てた言葉だった。
「………そんなに、私たちは違うのかな?」
「違えよ、明らかにあのホーリーの連中ともテメエらは違う。同じように振舞おうとしちゃいるが、振舞いきれてなければ理解も出来てねえんだよ」
 歯に衣着せず思った事をハッキリとストレートに言ってくるカズマ。
 だがそう言われただけではハッキリとはまだ分からぬなのはには更に問い返すしかない。
「何が、そんなに違うの?」
「そこだよ」
「え?」
 カズマが間髪入れずにしかし迷うことなく言い返してきた言葉の意味に彼女は戸惑う。
 それが分かっているのだろう、カズマは若干不機嫌になりながら続きを口にする。

 

「違いが何処にあるのか、アンタはそれすら分かっちゃいねえだろ。此処で生まれ育った奴ならな、理屈云々は置いといても本能でそれが理解できる。
 そもそもアンタ、マジで今日生きるのに切羽詰ったことはあるか? 食い物も満足に手に入れられずに他人から奪ってでも手に入れようと考えたことがあるか? 襲い掛かってくる外敵から身を守る為に我武者羅に抵抗したことがあるか? 誰にも助けは期待できず、テメエの力と覚悟だけで生き抜こうと決めたことはあるのか? 
 ………要するに、此処はそういう荒地でどいつもこいつも少なくともそれくらいの経験は大なり小なり潜りながら生きてきてる」

 

 アンタらにはそれがあるのか、そう問いかけてくるカズマのその言葉になのはは直ぐには頷けなかった。
 理解している心算だった、この大地が生き抜くということにおいてどれ程過酷な場所かということは。
 だがそれも所詮はやはり『心算』に過ぎなかったらしい。
 確かに、なのはは生まれ育ってきた人生の中で、そんな経験をしたことは一度も無かった。
 ハングリー精神、雑草魂、そんな言葉では一括りに出来ないほどにこの大地は厳しいのだ。
 インナーと呼ばれる多くの人たちは、そう言った経験を潜り抜けてきている。ただ生きるという行為の中にも、生き残るという確たる目的を持って生きている。
 生きていることが当然の世界で生きてきた自分たちでは、それが本当の意味で理解できずに溝を感じてしまうのは当たり前のことだったのだ。
 それを指摘されてはじめて、漸くになのははその事に気づいた。

 

「だからアンタの質問はふざけたもんなんだよ。いいか? 生きるってのは戦うってことだ。戦いってのは意地を見せて貫くことだ。そんなの、俺たちアルター使いからすりゃあ尚更当たり前のことだろうが。少なくとも、俺たちが俺たちとして生き抜こうと思えば、戦いは絶対に避けて通れねえ。此処はそういう場所だ」

 

 だからこそ、そこで退くのか、それとも進むのかは当人の選択次第だ。
 少なくとも、カズマならば退かない。只管に前へ進む、前だけしか見ない。後ろに振り返っている余裕なんてものを彼は持ち合わせていないからだ。
 そして彼はそんな選択をずっと続けて生きてきた。今更にそれを変えようとも思わなければ変えたいとも思わない。
 最後まで、倒れるまで、彼は只管に前へと進み続けるだけだ。………ああ、勿論倒れるならば前のめりだ。
 それを言葉にはしなかったが、なのはにはそれが分かる気がした。
 漸くに、何故に彼がこんなにも強く、惹かれるほどに輝いているのか、その本質に少しだけ彼女は触れることが出来た気がした。

 

「ロストグラウンドなんて荒地で生まれて十六年。親の顔も本名も分からず、ただ我武者羅に生き抜いてきた。生きる為には何だってやった。裏切りだって何度も喰らってきた。………だがよ、俺はそんな生き方に一度だって後悔は抱いてこなかった。何故だか分かるか?」

 

 カズマのその問いになのはは首を振る。
 それが分かっていたのだろう、気にした素振りも無く彼は続ける。

 

「それはな、全部俺自身が選んで決めてきた道だからだ。俺にとって唯一の誇りのこの拳で選び取ってきた道だったからだ」

 

 偽らず、諦めず、そうやって選んで自ら進み取ってきた道だ。
 後悔なんて間違っても起きない、起こさない、そう考えて生きてきた。
 ならばそれがどんな道であれ、憚る必要が何処にある? 堂々と胸を張って、誇りを持って拳を勝ち上げながら示せばいい。
 これが俺の選んできた生き方だ、と………

 

「アンタはどうなんだよ? 満足に生きてるか? 本音も言えず、嘘で固めた生き方じゃ生きた証も何もあったもんじゃねえだろ?」

 

 まるでそれが見透かされたかのような言われ方で、思わずドキリとするなのは。
 ここ最近、ずっと抱えていた悩みそのものを言い当てられたかのようなものだった。
 実際、今自分の目の前には大きな壁が立ち塞がっているように感じて仕方が無かったのだ。

 

「目の前に壁が立ち塞がってるってんだったら迷うな。いいか、迷うな。迷えばそれは他者に伝染する。こうと決めたことがあるんなら、迷わず最後までそれを突き進め。目の前に壁があるってんなら、迷わずにぶち壊しちまえばいいんだ」

 

 アルター使いだというのならそうやって生きろ、そう彼はこちらに告げてきた。
 何だか話し合うというよりも、言いたいことだけ一方的に言われたかのような現状だ。
 だがそれに満足したように、話は終わりだとばかりにカズマは立ち上がる。
 なのはも慌てて立ち上がるが、カズマは気にした様子も無くそのまま行ってしまう心算のようだ。
 呼び止めようかとも思ったが、彼の背中がそれをありありと拒否しているのが目に見えた。
 仕方が無いので、呼び止める事をなのはは諦めた。

 

「―――ああ、そうそう」

 

 何かを言い忘れていたという態度も顕に、一度だけカズマはこちらへと振り向いてくる。
 そしてハッキリとこちらを真っ直ぐに見据え、

 

「今日はこうだったが、次に会う時はまた敵同士だ。言っとくが、俺は馴れ合う心算なんてこれっぽっちも無え。アンタは今の俺にとっての立ち塞がる壁だからな」

 

 忠告というよりは警告と言った様子で言ってきたその言葉を、なのはは改めて重く受け止め反芻する。
 無論、暴力による戦いをする心算は無いことは変わらない。だが眼前の相手がそれをいつまでもみすみす見逃す相手ではないのも明らか。
 それでも―――

 

「私にとってもカズマ君、君は壁だよ」
「………ほぅ、面白えじゃねえか。ソイツは都合がいい」
「―――でもね」

 

 不敵に、獰猛に笑みを浮かべるカズマを前に、言葉をそこで一度区切りながら、はっきりと彼を見据えて彼女は言う。

 

「私は私のやり方で壁を乗り越える。だから―――今度は名前を呼んでもらえると嬉しいかな」

 

 愚かだと、度し難いと、無意味な選択だと罵られようと。
 カズマがカズマであるように、高町なのはも高町なのはだ。
 彼の先の言葉を聞いて、尚更にこちらも後には退けなくなった。吹っ切れてしまったと言ってもいいだろう。
 彼が彼のやり方を、変えず曲げずに押し通そうというのなら。
 自分もまた、己のやり方を最後まで曲げることなく貫き通そう。
 何度この手を彼に振り払われようが、何度でもこの手を取ってもらうまで差し伸べよう。
 カズマを含めたロストグラウンドの住民と手を取り合いながら、管理局からの任務も果たす。
 両方やらなければならないのが、エースオブエースの辛いところだ。
 だがそれでも―――

 

「覚悟はいいかな? 私は出来てるよ。言っとくけど、私も相当しつこいから、そっちも覚悟はしておいてね」

 

 笑みと共に、今度こそは何一つ偽ることなく彼女はそう言い切った。

 


 実に気に入らない、やっぱり訳の分からないムカつく女だ。
 それが眼前の相手にカズマが下した最終決定。
 だがそうであるからこそ、

 

「面白えな。いいぜ、認めてやるよ。………やっぱりアンタは、俺の敵だ」

 

 ぶっ飛ばし甲斐のある、倒すに足る敵。
 この眼前の女は、間違いなくソレだ。
 そう、あの劉鳳とも並ぶほどの………

 

 それが互いの宣戦布告。
 憎らしいほどに不敵に、鮮やかなほどに爽快に。
 笑みすら浮かべて両者はそれぞれ、互いの戦いの覚悟の程を確認し合った。
 もはやそれ以上、この場で語る言葉は無い。故にこそ、どちらからともなく背を向けて互いの道を進み始める。
 この道は同じモノではない。行き着く先すら別の場所。
 それでも両者が互いの道を交わらす機会があるというのなら。
 それは互いの戦いに決着を付けるその時以外にはないことだろう。


 その夜、やはりカズマはかなみにこっ酷く怒られていた。
 それも当然のこと、あれだけサボるなと念を押したというのに早速にそれを破ってしまったのだから仕方が無い。
「………ああ、何だ……そのな……かなみ………悪い、すまねえ、許せ………な、この通り」
 そう言って拝むように謝り倒すカズマだが、ソッポを向いて拗ねてしまっているかなみが聞く耳持たぬという様子なのは明らかだった。
 此処まで機嫌の悪い彼女の姿はかつてなく、それ故にさしものカズマもどうしたものかと困り果てていた。
「………ええっとですね、かなみ………さん? あれには少しばかり深い理由がありまして………そのやむを得ない急用が出来たというか………」
 歯切れも悪く、必死に言い訳を口にしようとするが、整合性のある嘘も彼に吐ける筈も無く、ホトホト困り果てた状態となっていた。
 まぁ、かなみが怒るのも無理からぬことだ。言ってみればカズマの取った行動は約束を破った裏切り行為にも等しい。
 普段から信じていた少女の信用を台無しにしてしまった以上、それを修復するのは容易などではないことは明らかだ。
 壊すのは容易であり一瞬だが、復元は困難であり時間の掛かることだ。
 それは何に対しても当たり前に適用する真理、普段から前者が専門分野となっているカズマには上手くいかないのも当たり前のことだった。
「………もう知らない。カズくんのバカァ!!」
 やがて益々不機嫌と化した様子でかなみは最後にそう言うと共に寝室に引っ込んでしまった。
 カズマが咄嗟に彼女の背に向かって伸ばそうとした手も空を切り、手持ち無沙汰になったのも自業自得と言ってしまえばそれまでだ。
「………バカ、か」
 至極その通りの言葉に反論する気力は彼には残っていなかった。
 項垂れて力なく椅子に座り込みながら、カズマは力も無く呟く。
「………ついでに甲斐性なしのロクデナシ、後クズも追加しといていいぜ」
 明日、仕事場に行けば間違いなくおっさんおばさん連中からどやされるなと考えると、それこそ嫌になってくる。

 

「………今日は晩飯抜きみたいだし、尚更だよなぁ」

 

 本当に今日は最初から最後まで厄日だったらしい。
 それを思うと、やはり今日のカズマからは溜め息が絶える事はなかった。

 

 寝室に戻りベッドに飛び込むように不貞寝を決め込むかなみは、いつになく不機嫌だった。
 理由は当然ながらカズマが約束を破ったこと。
 そして何故約束を破ったのか、詳しい事を説明してくれないこと。
 そのどちらも非があるのはカズマだ。当人自身もそれは認めている。
 だがそれでもかなみはカズマを許す気になれない。
 よくできた子と評判のかなみだが、それでもまだ彼女が幼い女の子であるのは事実。
 そしてカズマに思慕にも似た思いを持っているからこそ、尚更だ。

 

「………カズくんの服から、香水の匂いがした」

 

 まるで夫の浮気に気づいた妻のような発言だが、ロストグラウンド―――それもアウターに住んでいる者ならば妙だと首を傾げる事実でもある。
 実際、都市部なら兎も角、未開発地区とも称されるかなみたちの住んでいるアウターは、その大原則が自給自足だ。
 食料などは兎も角としても、香水などの嗜好品の類はそもそもが殆ど出回らない稀少品だ。
 確かに都市部から横流しされたり、闇市などでそういった商品が売買されているのも事実。かなみでもそれ位は知っている。
 だがどちらにしろ、何故カズマから香水の香りが漂っていたのかは不明なままだ。
 間違ってもカズマ自身がそんなものを付ける訳がないし、買うにしてもそんなお金は家には無い。
 そもそもあれは女物の香りだ。ならば誰か香水を付けた女性と彼が会っていた。そう考えるのが普通だ。
 ならばそれは誰だ、かなみはそもそもカズマの交友関係など君島くらいしか知らないし、自分の交友関係の中にも香水を身に付けられるほど裕福な者はいない。
 ならば必然的に行き着くのは、かなみがまったく知らない誰かということになる。

 

「………やっぱり、“りゅうこ”さん?」

 

 以前、かなみはカズマが寝言でそのような女性の名をどこか嬉しそうに呟いていたのを憶えている。
 実際はカズマは“劉鳳”と言ってそれを彼女が聞き間違えているだけなのだが、当人はそんなことを知らず、誤解が続いている。
 ならば今回のこの香水の件についても、件の“りゅうこ”と思われる人物と会っていたという可能性が非常に高い。
 だとするならば、それはやはり………

 

「………じゃあやっぱり、カズくんはわたしとの約束より、“りゅうこ”さんと会う方が大事なんだ」

 

 ちゃんと仕事をしてくれと頼んだ自分の頼みも、カズマはあっさりと破ってしまった。
 そしてその“りゅうこ”と会っていたというのなら、それはその言葉通りこそが事実だということに他ならない。
 それを嫉妬と呼ぶのかどうかはかなみには分からない。
 確かに自分は子供だし、カズマが誰が好きであろうともそれは彼の自由だ。
 そもそも自分たちは互いに赤の他人、数奇な縁で出会い、なし崩し的に一緒に暮らしているようなものだ。
 だがそれでも―――

 

 ―――それでも、由詑かなみにとってカズマは、掛け替えのない“家族”なのだ。

 

 あの雨の日の出会いは、かなみにとっての全てだった。
 永遠に続いて欲しいとすら思った雨宿り、その想いは今も色褪せてはいない。
 天涯孤独という身の上は、此処ではさして珍しいものではない。自分のような境遇など、この大地には何処にでも転がっているような話だ。
 だからかなみは己をさして特別と思ったことは無い。
 それでも、かなみにとって特別というものがあるとするならば。

 

 それは、あのカズマとの出会い以外の何ものでもない。

 

 あの瞬間が今の由詑かなみの始まりであり、全てだと言い換えていい。
 それはイコールでかなみにとっての世界の始まりはカズマであったとも言うことだ。
 何よりもあの雨の日を尊く、大事に思っているかなみにとって、あの日出会ったカズマこそが自分にとって一番大切な人だった。
 自分の一番大切な人に一番大切に思われたい、そう思ったところでそれは罪ではない。
 何よりもかなみはまだ幼い、そういった独占欲を抱いたとしても何ら不思議ではない。
 だがだからこそ、カズマが約束を破ったという事実は、その想いを尚更強く彼女に抱かせる。
 そして歳相応以上に聡明さを持ってしまっているからこそ、それが叶わないであろうことを知ってしまっている。
 カズマは自分を大事には思ってくれている。それは自惚れでは無く事実として、かなみ自身でも自覚出来ていること。
 実際、彼女が思っている以上にカズマはかなみを大事に思っている。その思いの深さには彼女もまた気づいていない。
 だがそれに気づいておらずとも、かなみ自身が悲しいほどに知っていることがある。
 それはカズマにとっての一番がかなみではないということだ。
 カズマが見ているものは、望んでいるものは、欲しているものは、自分の中にはない。
 ただ休息の為の宿り木のような安息を、自分へと抱いてくれているだけ。
 だが彼の本質はそこにはない。それ故に自分が彼を繋ぎとめておくということは出来ない。
 それをかなみ自身が痛いほどに自覚できていた。
 歳相応の独占欲と歳不相応の聡明さが相反し摩擦を生む。
 その摩擦は、幼き彼女にとっては辛すぎるものだった。
 分かっていたことだ。これは前々から薄々に自分でも思っていたことだ。
 ただ今回のことで、漸くに表面上に浮き上がってきただけ。
 いつまでも気づきたくは無かった、そんな事実だと言うだけだ。

 

「……寝よう」

 

 考えていても辛くなるだけ、ならば考えない方がいい。
 辛い事は寝て忘れるのが一番。それが逃避という行為と本質は同じだとしても、誰が今の彼女を責められようか。
 彼女は眠る為に、夢を見る為に、静かに目を瞑る。
 またあの夢を見られれば、夢の中の“あの人”を感じられれば、この苦しみが癒されるような気もした。
 “あの人”の勇気が、今の自分には堪らなく恋しかった。
 だからもう一度、あの不思議な夢の続きを見る為に、かなみは眠る。
 今日の哀しさを明日には引っ張らぬように、また明日は明日でカズマに笑いかけることが出来るように。
 そうする為に、今は夢を見る為に彼女は眠り続ける。

 

 ………だが結局、彼女はこの夜、夢の続きを見ることは出来なかった。

 

 

 時刻はそろそろ日付の更新をしようかという時間帯。
 高町なのはまだ机の上の残務をこなしていた。

 

「ほらよ、お疲れさん」

 

 そんな彼女の元にやって来てミネラルウォーターのペットボトルを放り投げてきたのはヴィータだった。
 なのははそれを驚いてキャッチしながら、ヴィータの方へと振り向く。
「………ありがとう。でもヴィータちゃん、早く休まないと駄目だよ」
「その台詞、そっくりそのまま返すぜ。明日も朝から新人どもの訓練する気なんだろ? いい加減、休めよ。本当に倒れるぞ」
 呆れたように、否、少し怒ったようにぶっきら棒にヴィータがそう言うのは、本当に彼女の事を気遣っているからだ。
 手近な椅子に座りながら、こちらを見張るように見てくるのはなのはが早く仕事を終わらせるように待っているということなのだろう。
「それ別に急ぎのもんでもないんだろ? 明日にだって出来るんじゃないのか?」
 実際、ヴィータの質問通り彼女がしている残業は残業とも呼べない本来ならば余分なものだ。どう考えても徹夜で仕上げようとするものでもない。
「ワーカーホリックはユーノやクロノだけで充分だろ。お前この頃働きすぎだ、ちゃんとマトモに寝てないだろ」
 責めるように言ってくるヴィータの言葉になのはは苦笑を浮かべてはぐらかすだけだ。
 だが実際ヴィータの言葉通り、なのははロクに休んでいないのも事実だ。何かと余分な仕事を持ってきては、遅くまで書類と睨めっこを続けている。
 それで新人どもの訓練を継続して続け、ホーリーの業務もこなしているのだから働きすぎもいいところだ。
 特に今日など未開発地区にまで外出をしていたという。ヴィータにはなのはが何を考えて行動しているのかサッパリ分からなかった。
 ただ一つハッキリと分かることは、そろそろ無理矢理にでも彼女を休ませなければならないということだ。
「………ごめん、ヴィータちゃん。でも後ちょっとで終わるから」
「駄目だ。ソレあたしが代わりにやっといてやるから、お前は早く寝ろ」
「でも―――」
「でももヘチマもない。副隊長としての当然の進言だ、聞き分けろ」
 こういう時の彼女は外見に似合わずどうにも大人びていて、その上で梃子でも動かぬ融通の利かぬ頑固さがある。
 いくらなのはでも説得は不可能と判断したのか、彼女はやがて諦めたように溜め息を吐いた後に頷いた。
 その様子がまるで昼間の自分たちの関係が逆転したようにも見え、ヴィータは少しだけ良い気分になったのは、彼女の中だけの秘密だ。
「分かったよ、ヴィータちゃん。私も今日は休む」
「それでいい。ちゃんと歯を磨いて寝ろよ」
「ヴィータちゃん、まるでお母さんみたいだよ」
 十九歳の一児の母と見た目が小学生ほどの少女が交わすにしては奇妙な会話をしながら、なのはは言葉通り椅子から立ち上がり部屋の外へと歩き出す。
 ふとその背中にヴィータが声をかけたのは、いったい何故だったのか。

 

「………なぁ、なのは。お前、外で何してたんだ?」

 

 早く寝ろと促がしながら呼び止めていては意味が無い。それは充分に分かっていたはずなのに、ヴィータはどうしてもそれを聞いておきたかったのだ。
 なのはは立ち止まってこちらへと振り向きながら、少しだけ微笑んだ。

 

「インナーの人たちのことがもっと知りたくて、会いに行ってたんだよ」

 

 現地の人間との必要以上の接触をするのは、管理局員としては好ましいものではない。なのはの行動は職務を逸脱したものでないにしても、軽率と言えばそれまでだ。
 だがエースオブエースとも呼ばれるベテランの局員であるなのはが、どうしてこの世界に肩入れしようとしているのかがヴィータにはよく分からなかった。
「………現地の住民との接触は、あまり好ましい行動じゃないぜ」
「うん。一人浮いてるのが明らかで、あまり調査にはならなかったよ」
 苦笑と共に言ってきたなのはの言葉は、しかし全然懲りた様子もないものだった。
 あまり規律には厳しい方ではない彼女にしても、悪びれた様子も無いというのは珍しい。
 収穫がないという態度のわりには、どこか帰ってきてからのなのはは機嫌が良い。何かがあったと思ったのだがそれは何なのだろうか。
 ヴィータがそんな疑問を当然のように抱いた時だった。

 

「………それと、またカズマ君と会ったんだ」

 

 そんな驚くべき告白をなのはがしてきたのは。

 


 カズマ。それがNP3228の事を指しているのはヴィータにも直ぐ分かった。
 まさか彼女が自分たちの知らぬ間に、またあの男と接触していたとは思わずそれこそヴィータは反射的に椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「ちょっと待てよ! まさかまたアイツと戦ったのか!?」
 前回の戦闘を見る限りでもリミッターを付けたままではかなり危ない相手だ。
 そんなのとまた戦ってなのはが負傷を負っていないとも思えず、心配になって怪我の有無を確認しようとする。
 だがそれを制するように彼女は静かに首を振ってくるだけだった。

 

「大丈夫、彼とは戦ってないよ。………少し、お話をしただけ」

 

 そう言ってくるなのはだが、ヴィータにはとても彼女の言葉は信じられない。
 当たり前だ、アレは直に会っていないにしろ映像で見た限りでも説得が通じるどころかそもそも話し合いというものに応じるような輩ではない。
 だからこそ、ヴィータは直ぐには彼女の言葉が信じられず、露骨に疑う顔をした。
「あ、信じてないね。でも本当だよ、ヴィータちゃん。カズマ君は話せばちゃんと分かってくれる、ちょっと素直じゃないだけの男の子だよ」
 ちょっとではなくてかなり、ついでに非常に乱暴という言葉も付け加えておけとカズマを良く知る者ならば言うことだろう。
 どちらにせよ、思ってもみなかった彼女のカズマ擁護には、それこそヴィータが訳が分からないと思わず首を傾げても、それは無理からぬことだろう。

 

「………ってちょっと待て! アイツは犯罪者だろ!? ホーリーにとっての敵だろ!?」

 

 思わずそう問い質すヴィータにしかしなのはは何故かその表情を曇らせる。
 現地組織と協力している管理局員が、現地の犯罪者を庇い立てるような行動を取るのはいくらなんでも不味い。
 それはヴィータが言わずとも、なのは自身が分かっているはずのことだ。
 だがそれに対してなのはは、

 

「………ねぇ、ヴィータちゃん。ホーリーがしていることが、本当に正しいことだと思う?」

 

 そんな前提すら揺さぶりかねないとんでもない質問を投げかけてきた。
 劉鳳あたりが聞けば、まず間違いなく激怒するであろう問いだが、赴任直後のヴィータでも流石にそれに頷くことは出来ない。
 ヴィータは基本的にどんな時でも出来る限りはなのはの味方だ。だがいくらなんでも今この瞬間においてなのはが何故そんな事を言ってくるのかが彼女には分からなかった。
「………おい、なのは。お前、何が言いたいんだよ………?」
「この大地に住んでいる人達には彼らなりの生き方がある。無理に本土の意向を押し付けて力で従わせようとするホーリーのやり方に、私は少し疑問を抱いてる」
「………でもそれは、あたし達が口を挟むことじゃないだろ。現地の世界の組織が秩序を保とうとするやり方に、管理局は介入する権利を持ってない」
 郷に入れば郷に従え、管理局は管理世界にしろ管理外世界にしろ、余程の危険性が存在しない限り、それぞれの世界には干渉しないのが大前提だ。
 自分たちはあくまでも天秤であり、秤自体を不用意に傾けることは許されない。
 ホーリーの、本土のやり方がロストグラウンドに結果的に秩序を齎そうとしていると管理局が判断している以上は、局員がそれに異議を申し立てることは出来ない。
 あくまで時空管理局とは次元世界の守護者であり、それぞれの世界そのものを守護しているわけではない。
 そんな基本的なことは十年もずっと管理局員として働いてきたなのは自身がよく分かっているはずではないか。
「………なのは、分かってると思うけど此処は97管理外世界じゃない。似ているからって、あまり感情移入し過ぎない方がいい」
 例えエースオブエースと言えど管理局の意向に逆らえば、それは背信行為だ。
 この十年、彼女が築き上げてきた輝かしいキャリアに瑕が付くこともそうだが、それは同時に上司であり彼女の主である八神はやての経歴にさえも瑕を付けることになりかねない。
 最もありえてはならない、想像するだけで忌まわしい未来だが、今のなのはの不可思議な言動を見る限りでは、本気で危惧しないわけにはいかなくなってくる。
 だからこそヴィータはその未来を恐れる。

 

「でもヴィータちゃん、この大地の人達だって―――」
「分かった。その話は今度聞いてやる。………だから今日はもう休め、な」

 

 彼女の言葉を遮って言い聞かすようにヴィータは言う。
 彼女のその態度に、なのははそれこそ落胆したような、どこか寂しげな様子も顕に、もはや何も言わずに背を向けて退室していく。
 その去り行く背中を見るのがあまりにも辛く、ヴィータは思わず目を逸らしていた。

 

 なのはが退室した後、机の上に突っ伏すように顔を埋めながら、ヴィータは真剣に考えていた。
 彼女はいったいどうしてしまったのかと、本当に大丈夫なのかと。
 病み上がりの直後に未知の………けれどあまりにも故郷に似た世界での過酷な任務。
 この所ずっと何かに悩んでいるような素振りも見せていたし、仕事の疲れからきっとあんな事を言ってしまったのだ。
 悩みと疲れと郷愁から、なのはは少しばかり感情移入し過ぎているだけ。
 きっとそうだ、そうに違いない。
 はやてに報告は………駄目だ、彼女に余計な心配はかけられないし、なのはを疑っているかのような事もしたくはない。
 それになのはを今回の任務から外すようなことになれば、上層部はその理由を問い質してくるに違いない。
 まさかエースオブエースが時空管理局のやり方そのものに背信行為に近い考えを抱いていたから、などと報告できるわけがない。
 そんなことが知られれば、いくらJS事件の功績が大きかろうと、なのはは査問を避けられなくなり、責任の追及ははやてや六課の後ろ盾にだって及ぶかもしれない。
 そんなことになればもはや滅茶苦茶だ。自分たちが管理局で築いてきた十年が台無しになってしまう。
 第一なのはは更迭されるだけで済めばいいが、彼女が犯罪者ということになったらどうなる? 誰が哀しむ? ユーノか? フェイトか? ヴィヴィオか?
 皆が哀しむ。はやてや自分もだ。
 親友を、主を、そんなことにさせるわけにはいかない。
 だからこそ今夜の事は自分の胸の中にだけで留めておく、そうしなければならない。
 主への忠誠と親友への友情からヴィータはそう決めた。
 二人は自分が守る、守らなければならないのだ。
 だからこそ―――

 

「なのはを誑かす様な奴は―――許さねえ」

 

 NP3228、コイツだ。このカズマという男がなのはを誑かしているに違いない。
 なのはがおかしいのはコイツと接触した後からだ。コイツが彼女に変な事を吹き込んだに違いない。
 当初は好感を抱いてもよさそうな奴だと思ったが、この原因があの男にあるというのなら、その感情はそのまま逆転することになる。
 ならばコイツは敵だ、自分たちの関係を、絆を脅かす最も忌むべき存在だ。
 これ以上、もう二度となのはが誑かされる前にコイツの化けの皮を剥がしてなのはを正気に戻さなければならない。
 それが出来るのは誰だ? なのはを守れるのは誰だ?

 

「………そんなの、あたししかいねえだろ」

 

 此処にはやてはいない。フェイトはいない。シグナムもシャマルもザフィーラもいない。
 十年来の仲間達で彼女を守れるのは自分だけだ。
 他の誰でもない、八年前から高町なのはを守るのは鉄槌の騎士であるヴィータの役目だ。
 故に―――

 

「あたしが守る。なのはは………あたしが守る」

 

 その決意も顕に、改めてカズマ打倒をヴィータは誓った。

 

 

 次回予告

 

 第3話 桐生水守

 

 何が正しき道であり、誰が正しき者なのか。
 誤解と不和、疑心と迷いが渦巻く中で、
 出会う彼女たちが信じるものとは何なのか。
 理想と現実、その隔たりの先で、
 少女が見つける答えとは。


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最終更新:2009年04月09日 22:20