初対面、まず間違いなくそれは断言できたはずだった。
少なくとも、高町なのはのこの世界における知り合いの中に該当する人物として目の前の少女は存在していない。
故に、それは少女側の勘違いだと切り捨てるには早かった。
しかし―――
「………私と? 貴女が?」
それでも敢えて問い返すようになのはが少女へとそう尋ねたのは、目の前の少女の眼の奥の光、そこに偽りを感じなかったがためだ。
故に、興味を持った。或いはそう言い換えても良いかもしれない。
それに折角知り合ったというのも一つの縁だ。なるべくなら、それを大事にしたいとも思っていたし、任務の面から言っても現地のインナーと接触できるチャンスでもあった。
それらを自身でも気づかぬ言い訳としながら、なのはは少女の対応を待つ。
いきなり自分は何を口走ってしまったのだろうか。
完全に己が失言を悟った由詑かなみはそれ故に、問い返されたその反応に逆に困った。
確かに、何処かで会った……或いは、何処かで見たことがある面影が眼前の女性にはある。
と言っても、これだけ周囲から浮いたインナーと言うのも珍しい。故に、一度でも何処かで会うなり見るなりしていれば、きっと忘れることも無いのだろう。
だがかなみがこの女性に感じた既知感というのはそんな記憶に辿った直接的なものではなかった。
言葉で表現しろと言われれば自分でも戸惑うが、もっと間接的な……そう、まるで『誰か』を通して会ったことがあるというような奇妙な感覚なのだ。
尤も、それがまさか己がいつも見ている例の『夢』に関わったものだなどとは彼女は想像もしていなかったが。
兎に角、喉に魚の小骨が引っかかるようなもどかしい感覚と同時に、自分が如何に奇妙な事を口走ったかということを自覚する気恥ずかしさもあり、彼女は大いに焦ってもいた。
それは皮肉にも、あれ程思い煩っていたカズマのことすら忘れてしまうほどのものですらあった。
何かを言わなければ、勘違いだと謝罪しなければと、そんな焦りと戸惑いばかりが生来の人見知りという気弱さに拍車を掛けて彼女を焦らせる。
流石にそれを何となく悟ったのか、気の毒そうに女性は無言で首を振ったと思うと、今度は穏やかな微笑を見せると共に、こちらに視線を合わせるように屈みながら、頬に手を伸ばして優しく告げてきた。
「いいよ、焦らないで。安心して落ち着いて、それから話そう?」
両頬を両手で優しく包み込まれながら言われたその言葉は、かなみに覚えも無いはずの母を連想させた。
不思議とそれに心地良さと安堵を覚える一方で、あれ程までにあった焦りが嘘のように治まっていくことに逆にかなみは驚いた。
どれ程、そうしていたのだろうか。やがて両手を頬から離す彼女に、名残惜しさすら覚える自分をかなみは不思議と思った。
そしてそれ以上に、ただ目の前の女性を不思議な人だと感じた。
年の頃は凡そヴィヴィオよりは上、丁度エリオやキャロと同じくらいか少し下か。
兎に角、その不思議な少女をとりあえず落ち着かせることが出来たことになのはは胸中で安堵を覚えた。
子どもをあやすという行為は逆立ちしてもフェイトに勝てないなのはであったが、此処最近はヴィヴィオを相手に成果を得られていたのか、何とか目の前の少女にも通用した。
経験は生きるものだとしみじみと改めて思う一方で、この少女は何者なのだろうかと改めて考え直す。
インナー、というのは間違いないだろう。間違いではないが、それだけでは無いのではなかろうかという不思議な思いが彼女にはあった。
その正体が掴めないからこそ、逆になのはの方が内心においては戸惑ってさえいた。
兎に角、折角こうして知り合えたのだしお話をしたいと彼女は思う。
「……少し、私とお話してくれるかな?」
年頃の、それも見るからに内気と思える少女をどう警戒されずに会話へと誘えるか、苦心した結果、なのはが最終的に取ったのは出来るだけ警戒されないような笑顔を浮かべながらの直球勝負だった。
甘言で幼子を攫う誘拐犯にはなれないなと改めて思う。尤も、そんなものにはなりたくもないが。
だが少女の方は若干戸惑いを見せるも、やがてコクリと頷いてくれた。
まるで初めてヴィヴィオをあやした頃のような安堵を覚えながら、なのははそれじゃあと改めて穏やかな笑顔を浮かべると共に己の名を告げた。
「私はなのは。高町なのは。―――貴女の名前は?」
「かなみちゃんなら今日はもう帰ったわよ」
おっかなびっくりの体裁で牧場を訪れたカズマに半眼で睨みながらおばちゃんが告げた言葉は冷たかった。
というより、明らかに非難の籠もった視線も顕に睨まれている。仕事をサボっていることといい、かなみを怒らせていることといい、兎に角、彼女たちの逆鱗に触れる事をし過ぎているのだという事を改めてカズマは実感した。
「……あ、そ、そうですか。……じゃ、じゃあ僕はこの辺で……」
ヘコヘコと普段からは考えられないような低姿勢でそれだけを告げながら、慌てて踵を返しかけるも、
「ちょい待ちな。アンタにやぁ言ってやろうと思ってることが山ほどあるんだよ」
逃げるなと襟首を掴まれ引き摺り戻らされる。逃走に失敗し、慌てて弁解を捲し立てようとするも時既に遅し。
引っ張って連れて行かれた場所には、待ち構えるように他のおばちゃん連中+おっさん連中まで待機していた。
全員の視線がカズマに対して氷点下の如く冷たい、或いは沸騰する熱湯の如く憤怒に満ちたものだったことは今更言うまでもないだろう。
かなみは実に愛されていると安堵と嬉しさを覚える一方で、自分は実に愛されていないのだと絶望と共に実感した。
さて、この後カズマが数時間の後に解放されるまで、彼が如何な説教を受けることになったかは………まぁ、言わぬが華というものだろう。
変化というものを桐生水守は嫌ったことは無い。
根っからの学者畑に帰属する彼女にとって、それは探究心を触発されるに足る未知の刺激だ。
彼女にとってその最たるものこそがロストグラウンドであり、その地より誕生した異能たるアルターだった。
このロストグラウンドに六年の歳月を隔て再び舞い戻った理由の半分に、その未だ未知の領分への研究を望んでの事だったことを否定はしない。
けれど、水守がこの大地を再び訪れた理由はそれだけではない。
もう半分の理由……比重を考えれば、恐らくこちらの方が或いは重く捉えたものだっただろう。
即ち、六年前に巡り会った大切な幼馴染みとの『再会』。
アルターを研究するという理由以上に、それは少女としての水守にとっては重きを置くべきはずのものだった。
………そう、そのはずだったのだ。
しかし結果はどうだろうか、そう思わずにはいられない程に目の前の幼馴染みは変わってしまっていた。
「………ナカジマは別任務にそのまま就き個別で帰投? 了解した。ではランスター、この報告書を君の上官に提出しておいてもらえるか?」
「分かりました」
本土から来たアルター部隊の一人と帰投後に話し合っているその姿は実直なるホーリー隊員のソレだ。
今ではロストグラウンド中を震え上がらせるホーリー隊員の筆頭が、かつては屋敷の庭先で愛犬と戯れていた少年の未来だと誰が信じるだろうか。
無意識の内に首から提げた首飾りを握る。
あの日、あの時、あの庭先で幼馴染みから友達の証としてプレゼントされたこれは、水守にとって唯一と言って良い宝物だった。
これだけが今の彼女にとっては過去に彼と関わりがあったことを証明する物でもあった。
「おやぁ、何だか浮かない顔をしていますね。みのりさぁん」
「“みもり”です」
切ない郷愁をぶち壊すように聞こえてきたその声に、間髪入れずに水守は訂正の言葉を返して振り向いた。
そこに立っていたのは何かと自分に付き纏いちょっかいをかけてくる一人の男。このホーリー部隊の中でも一際のキワモノの一角を務めるストレイト・クーガーだった。
「いやぁすみません。どうにも人の名前を覚えるのが苦手なもので」
サングラスを持ち上げ悪びれも無く言ってくるその返答は、何度繰り返したか分からないやり取りを終えても一切変わらない。
いい加減名前を間違えるのはやめて欲しいのだが、恐らくそんな日は来ないのではなかろうかと最近では諦めの境地と共に思う彼女が居た。
「………それで、何か御用ですか?」
クーガーにそう尋ねる彼女の声は実に冷たく素っ気無いものであった。
憂鬱そのものの現在の心境とも合わされば、彼のソレが気遣いとは感じ取れていない水守にはクーガーの態度はチャラけた軽薄なものだとしか思えなかったためだ。
恐らくは、彼の方にしても水守がそう思っていることは察することは出来ていたのだろう。それを態度にはおくびにも表さないだけで。
「何だか冷たい物言いで少し残念ですよ、みの「“みもり”です」……失敬」
今度は名前を間違えて言い切られる前に先んじて訂正を割り込ませてくる。
本気で不機嫌そのものの彼女の態度に、クーガーは彼にしては珍しい苦笑を浮かべねばならない始末だった。
「やれやれ、それじゃ今の貴女は想い人とまったく同じですよ?」
何処か肩で溜め息を吐いた態度で言ってきた言葉は、それこそ水守の無自覚の不意を突いた言葉でもあった。
反論も出来ずに黙り込む水守、クーガーは何処か悔しげに見えなくも無い微妙な表情を一瞬浮かべたが、それに水守は気づく事はなかった。
そのまま瞬時に態度をいつものものへと戻しながら、クーガーは次の行動へと移った。
「では気分転換に、少々俺とデートでもしませんか?」
由詑かなみ、そう名乗った少女と会話を始めてまず驚いたのは、彼女があのカズマと共に暮らしていたということだ。
ネイティブアルターの犯罪者NP3228でホーリーのデータベースには登録されているものの、元々は戸籍も何も無いインナーである彼の事はその自ら名乗った名前とアルター能力についてしか分かっていない。
彼が何処に住みどのように暮らしているか……この広大なロストグラウンドの上では人一人を探し出すのも困難だ。興信所等も皆無の無法地帯となれば尚更だ。
故にこそ、目の前のこの少女はカズマという男を知る為にはまたとない情報源であったのは確かだった。
………尤も、
「………成程、貴女も色々と苦労しているんだね」
「………はい。カズくんはちゃんと働いてくれないし、直ぐに君島さんとどっか行っちゃうんです」
重い溜め息を吐きながらそう話すかなみの姿は歳不相応の苦労人の影を滲み出していた。
それこそ人の良い人間なら思わず同情を抱かずにはいられないかのような。そして高町なのはもまた似たような思いだったのは確かだ。
………尤も、自分だってヴィヴィオのことがある以上は人の事を言えたものではないので一方的にカズマを非難するような資格は無いが。
それでもこんな年齢の少女でも必死に働かなければ暮らしていけないのだ。改めてなのははこの大地の過酷な現状を思い知ることとなった。
自分がこの少女と同じ年頃の頃はどうだっただろうか、それを何となく思い出し丁度人生の転換期辺りだったと思い至る。
そう、目の前の少女と同じような年頃の時に自分はユーノ・スクライアと出会い魔法という存在を知った。
激闘と呼ぶことも憚られるようなこの大地とはベクトルの異なる過酷な体験を潜り抜けてきた。
それでも自分は大好きな友達と一緒に学校に通えたし、衣食住に困ることもなく家族に養ってもらえていた。
正式に管理局入りしてからは多少の生活の変化はあった、だがそれも中学を卒業するまでは基本的な部分は何一つ変わるものは無かった。
幸せだったか、そう問われれば高町なのはは間違いなく幸せだったと答えられただろう。
ではこの少女はどうなのだろうか?
確かに自分の物差しだけで計ったような勝手な見方なのかもしれない。けれど少女の現状が本当に幸せなのかと思えばなのはにはやはりそうは見えなかった。
学校にも満足に通うことが出来ず、友達………がいるかどうかは知らないが、それでも多感と言っていい時期に遊ぶこともままならずに明日食べるものを得る為に働くしかない。
カズマの養い事態に問題があるのは事実だろうが、それだけが原因ではない。彼女は確かに歳不相応の苦労人だが、それでも彼女のような存在はむしろこの大地ではありふれた存在なのだと言う。
『わたしはまだ良い方です。カズくんがいてくれるし、周りの人も何かと親切に気を遣ってくれますから』
そう苦笑と共に言ってきた彼女の言葉と表情は未だなのはの脳裏に残って新しかった。
かなみだけではない。もっとかなみのような、否、かなみ以上に不幸な子どもたちがこの大地にはごまんと存在するのだ。
優しいフェイトならこの事実を知ればさぞ心痛めることだろう。実際に、時にシビアに物事を割り切る事を徹底しようとするなのはですら心を痛めていたくらいだ。
この大地は………本当に、人が幸せに生きるには厳し過ぎる世界だとそう思う。
少しだけ、反発を微かにも抱きかけていたホーリーのやり方にも理解が生まれたくらいだった。
だからだろう、せめてこの目の前の少女くらいは救えないだろうか?
そんな偽善に満ちた考えを思い抱いてしまったのは。
「………ねぇ、かなみちゃん。今より生活が楽になるとしたら………嬉しい?」
世の中には救える人間と救えない人間が存在する。
子どものような稚拙な理想論を語りだすわけでもなく、それが事実として存在する事を大人になった高町なのはは良く知っていた。
自分が助けられる人間には限りがある。全ての人を救うことなどそもそも出来るはずも無ければ、それを本気で実行しようとする決意すらも彼女には無い。
だからこそ、この大地に住む人々が………子どもたちが不幸だといったところで、その全てをヴィヴィオのように引き取ることだって出来ないし、そもそもそんな行動を取ることも出来ない。
護りたい人しか、護れる人しか護らない、護れない。つくづく偽善に満ちたやり方だとは思う。
でもだからこそ、せめて取捨選択として選んだ護りたい人たち、護れる人たちくらいは最後まで護りきりたい。
そう思って、戦う事しか出来ない自分はこの十年を戦い続けて来た。
「私ね、実は市街から来てる人間なの。………だから、かなみちゃんさえ良かったら正式に市街に登録して、生活保障だって受けられる暮らしが出来るように手配をすることも出来る。あ、勿論そのカズマ君たちも一緒だから心配しないで。………悪い話じゃない、どうかな?」
今更この少女一人を今言った様に手配したところで、全体の何かが変わるわけでもない。間違いなく自己満足に終わるのは目に見えている。
そもそもあのカズマが市街への登録………本土への帰属を大人しく受け入れるなどありえるはずもないのは分かっていた。
随分と安い感情で、早計な行動に出ているという自覚だってあった。
それでも、せめて目の前の少女に何かをしてあげたいと思うことは間違いなのだろうか? いけないことなのだろうか?
なのはは偽善そのものを悪いと思ったことは無い。確かにそれが人を惑わし、傷つけ、結局は救えないだけの偽善なら、それは彼女とて許せない。
けれど世の中には人を救う偽善が………易しい嘘とでも呼べるようなものがあることを彼女は知っている。
そんな嘘でしか救えない、救われない人だっているのだ。
ならば目の前の少女がせめてそんな嘘ででも救えると言うのなら―――
「………ありがとうございます。………でも―――ごめんなさい」
―――けれど少女は、ハッキリと自らの意志を持ってそれを断った。
目の前の女の人………高町なのはという人が本当に優しくて良い人なんだということは少しだが会話をしてハッキリと理解できた。
そもそもインナーには不似合い………というより思えない彼女が塀の向こう―――市街の人間だと言い出したときにも、かなみは「ああそうなんだろうな」と素直に信じることが出来た。
彼女が言うのなら、確かに間違いなく彼女の提案さえ受け入れれば今よりはずっと楽な生活だって送ることが出来るのだろう。
カズマやそれに君島、彼らとそんな生活が送れれば………そんな妄想を抱かなかったかと言われれば嘘になる。
彼女だって歳相応に友達を作って遊びたいと思うこともあれば、学校という所に行って勉強をしたいという欲求だってある。
あの塀の向こうの世界なら、そちら側にさえ生まれていたならば自分もまた当然のようにそれらを享受出来たかもしれないのだと何度も夢想してきた。
そして今、思ってもみないこととして手を伸ばせばそれらを目の前の彼女が与えてくれるのだと確信することも出来た。
けれど―――
「………わたしは、わたし一人だけで幸せにはなりたくありませんし、幸せにはなれません」
思い慕うカズマの事がまず最初に脳裏へと浮かんだ。
君島ならば兎も角、カズマが決して市街に登録などしないことは誰に言われるまでも無く明らかだとかなみは思っていた。
それに下働きで世話になっている牧場の親切なおばさんやおじさんたち。彼らもまた市街に自ら登録しようとしないのは目に見えている。
だって彼らは自由だから。与えられるものを当然のように受け入れて満足するのではなく、自らで欲しいもの、やりたい事をするためにそれを選ばない。
そう、例えるならば鳥だ。何者にも侵害されることを拒み、自由を背に大空を飛び続ける。
由詑かなみの周りのインナーはそんな存在ばかりだ。決して、自らで鳥籠に収まる事を善しとはしない、思えない………そんな連中ばかりだ。
そしてかなみ自身もまた、そんな存在でありたかった。
カズマと一緒にいたいから、カズマといられることが他の何よりも幸せだから。
だからこそ、なのはの提案を受け入れてしまえば、それは確実に終わってしまう。
今より安全で楽な生活は確かに出来るだろう。けれど、それはかなみにとって決してイコールで幸せとは直結しない。
だから―――
「わたしは………皆と一緒に、皆と笑えることが幸せだと思うんです。それに偉そうなことかもしれませんけど、本当の幸せは………誰かに与えられるんじゃなくて、自分で手にしなきゃいけないものだと思うんです。
………上手くは言えませんけど、それでもわたしにとっては……厳しくて苦しいこともあるけど、今の生活がそうだと思うから」
―――だから、ごめんなさい。
そうもう一度なのはへとかなみは謝り、頭を下げた。
与えられるものだけが全てではない。
それをこんな少女から改めて思い出さされ突きつけられ、しばしなのはは呆然とした。
―――私がやらなきゃ駄目だと思っていた。
辛い事、苦しい事は他人に背負わせては駄目だ。全部代わりに自分が背負って自分が代わりに戦って―――そして、自分が皆を幸せにして、護らなければいけないと思っていた。
それが単なる自己犠牲という傲慢な過ちだと気づかされたのは八年前。周囲にかけてしまった申し訳なさ、あれほど護りたかったはずの人たちの笑顔を悲しみに変えてしまったことに気づき、深く悔やみ反省したはずだった。
けれどあれから八年、今思えば自分はまた同じ考えに至っているのではないかと由詑かなみの言葉を聞いて思い直した。
無論、自分のやってきたことの全てが過ちだとも思わない。確かに振り返ればエゴを優先したことも時にはあったが、それでも辿ってきた道程を恥じることだけはないはずだと胸を張って言えるはずだった。
けれどそれでも………今の自分は、果たしてかつての自分とどれ程違うのかと疑問に思うところもある。
相変わらずに一人で背負い、一人で悩む。それを繰り返し続けている。
私がやらなきゃ、私が皆を護らなきゃとそうやって今だって心の奥底では悩み焦っていた。
挙句の果てには、今目の前の少女を偽善で救い自己満足を現状の何も出来ないはずの自分へと言い訳にしようとしていた。
改めて思う、自分は何様だったのかと。
自分自身の限界を知り、反省していながらも………自分の限界以上の事を求め、与えることの善意に酔っていた節さえある。
………これでは、それこそ反発を抱きかけていたはずのホーリーのやり方と何が違う?
かつて、この大地の星空を飛んだ時思っていたことを改めて思い出す。
そしてこの大地の上に降り、この大地で暮らす人々の生活を見て思った事を思い出す。
あの反逆者の男と対峙し、覚悟を決めて告げた言葉を思い出す。
あの時、自分が本当に願っていたものは何だった………?
「………そう、だね。……………そう、だったんだよね」
子供の頃、管理局に入った頃、いいや、ユーノと出会って魔法の力を手に入れた時。
自分が願っていたこと、護りたかったものとは何だったのか―――
「………あの、なのは……さん………?」
いつの間にか呆然と空を見上げていた己に気づき、ハッとなってなのはは自分の名を呼んでくる少女へと視線を戻した。
こちらの醜態に何事かと心配そうな様子で視線を向けてくる彼女に、なのははニッコリと笑いながら彼女を抱きしめた。
「え、あ、あの! その……なの―――」
「―――ありがとう。かなみちゃん」
突然の事態に慌てふためくかなみになのははけれど穏やかにハッキリと抱きしめながら礼を述べた。
本当に、かなみには感謝の念で一杯だった。彼女のお蔭で、漸くに自分は迷路の果てにまで探し続けていた答を手に入れられた気分だった。
………いや、単純に胸の奥に仕舞い込んでいたはずの初心へと立ち戻ることが出来たと言うべきか。
いずれにしろ、感謝をすることには変わらない。彼女は自分にそれを気づかせてくれたのだから。
だからこそ、もう迷わずに―――
「―――私は私の戦いを、壁を乗り越えることが出来るよ」
彼女を抱きしめていたのを放しながら告げたその言葉の意味は、かなみには最後まで分からずに首を傾げるしかない。
だがこうやって至近距離にまで抱きしめられて近づいて漸くにかなみもあることに気づいた。
(―――この香水の匂いは………)
そう、あの“りゅうこ”だと思っていたはずの匂いではないか。
彼女は市街の人間だと言っていた。ならば彼女が嗜好品の類としてアウターでは入手が困難なそんなものをつけていたとしても驚かない。
けれど、この偶然の一致は果たして本当に無視できるのか………?
(………もしかして、あの時わたしとの約束を破ってカズくんが会っていたのは――)
今まさにその答えへと帰結しようとしたその瞬間だった。
「―――かなみ!?」
自分の名を叫び駆け寄ってくる当の彼女の想い人が姿を現したのは………
デート、とストレイト・クーガーは言った。
だが実際、カフェにて向かい合うこの状況を桐生水守はそう捉えてはいなかった。
それも当然だ、水守が想いを寄せるのはクーガーとはまったく違う別人だし、水守自身もクーガーへとそんな気持ちを寄せるのは金輪際にだってありえないだろうと確信している。
それは態度にもハッキリと出して眼前のこの男にも告げている。クーガーがそれにすら気づかぬ程に無知且つ厚顔な男だとは………言動を見ていれば一部思うものの………兎に角、それは彼とて察せられているはずだ。
だというのにこの男はいつも自分に付き纏う。時に鬱陶しく、時にお節介に………時に助けられ世話になったこともある。その事実は認める。
けれど水守は未だにクーガーが何を考えて行動し、自分に付き纏っているのかが理解出来ていなかった。
これも丁度良い機会か、そう考えて今それに少し触れてみようかとも思った。
「………私は、貴方が私を監視する目的で付きまとってきているのではないかと考えていました」
ロストグラウンドの筆頭スポンサー、本土でもかなりの発言権を有する大財閥桐生家。
水守はその総帥の実子………愛娘だ。
今の水守の立場、大学院への異例のスキップやこのロストグラウンドへもホーリーのスタッフとして派遣されたことも、その全てが確かに彼女の才覚があったこともさることながら家の威光があったからだということを水守はちゃんと認めてもいた。
傍から見れば自分は随分と鼻持ちならぬ世間知らずのお転婆お嬢様なのだろうと皮肉に認めていたし、実際周囲の幾人かは陰でそのように自分を評しているのを知っていた。
実際、程度の差こそあれジグマールや劉鳳でさえも少なからずそう思っていることを水守は知っていた。
眼前の男にもこの大地に舞い戻った直後に言われたが、つくづくこの大地には不似合いな人間なのだろうと最近では自身でも認めつつある。
「心外ですねぇ。私を隊長の回し者とでも?………まぁ、確かにそう疑われても可笑しくない立場の人間が貴女です。そして私もそう疑われても仕方がない振る舞いを………まぁしてきたのかもしれません。しかしですね、みのりさん、前にも言いましたが俺は―――」
「“みもり”です。ああ、それとそこからの長い講釈は今は結構です」
名前を訂正、そしてマシンガントークへとクーガーがこれから突入していくのを察して機先を制しそれを防ぐ。大分、クーガーの付き合い方………否、あしらい方に慣れてきた自分を不本意ながらも認める。………少し悲しくなってくるのは恐らく気のせいだ。
一方、クーガーといえば「………俺が機先を制された………?………俺がスロウリィ………?」などと何やら大変にショックを受けた態度でブツブツと呟いていた。
まぁそれも今はどうでも良い、そう考えを改め直し水守は本題を切り出した。
「クーガーさん、以前に私を助けてくれた時に貴方は言っていましたよね? 本土に送られたアルター使いがどうなっているのか知っていると」
以前、水守は本土側のデータベースを介してホーリーのメインコンピューターへとアクセスするという手段………当然ながら服務規程違反を犯したことがあった。
あの時は何者かの介入を途中で受けてしまいアクセスし情報を得るどころかログインした痕跡を抹消すること自体が危うかった。何せ不審に思ったその場の職員に作業を覗き込まれるところだったのだ。
それを寸前で防いでくれたのが飄々とその場に現れたクーガーだった。彼が職員を追い払っていてくれなければ、恐らく自分はタダでは済まぬ事態となっていただろう。
そういう意味で言えば、クーガーは窮地を救ってくれた恩人であり水守も感謝の念を抱いている。
だがその後に彼と交わした会話で、水守の抱いていた懸念にクーガーはハッキリと言ったのだ。
『勿論知っていますよ。俺たちが捨て駒だってね』
『何処に居たって俺たちアルター能力者は嫌われ者です。だったら少しでも人間らしく扱ってくれる場所を望んでも良いでしょう?………例えそれが、刹那的な時間であったとしても』
そう言ってきた彼に水守は思わず反発しようとした。尤も、あの場では他者の目があり騒ぎ立てる事を懸念したクーガーに咄嗟に止められたが。
今でも水守はしかしあの時のクーガーの言には納得しかねていた。
「私の口からは何とも言えません。それがみのりさん、例え貴女の頼みだとしても、です。これでもジグマール隊長には恩義もあります、納得しかねる事、約束を破られた事は色々と遺憾ですが………それでも俺はあの人の部下であり、ホーリーですから」
また名前を間違えられた。だがそれ以外の言動に関してはそう語るクーガーの態度にはいつもの飄々とした雲を掴むようなものではなかった。
珍しい、そう言って良いほどに真剣で誠実な態度だった。
「だいたい俺はあの時にも言いましたよ? ならばその事実を皆に明かすのか、それも劉鳳にも、と。………どうなんです、みのりさん? 貴女にその勇気と覚悟がお有りですか?誰も知りたくもない、求めてもいない真実を、お嬢様の一方的な正義感で暴露され傷つく者がいるかもしれないことを考えていますか?
………およしなさい。お嬢さんにそれは茨の道です。何よりも、その選択を選べば傷つくのは貴女自身だ。………俺は、そんな傷つく貴女を見たくは無い」
グッと前面に押し出すようにその顔を近づけてきて、一度も目を逸らすこともない真剣な態度でクーガーは水守へと静かにそう告げてきた。
普段のクーガーらしからぬ、けれど彼の本心が本当に垣間見られた、それは諭すような説得だったのかもしれない。
だからこそ、水守もまたそれと真剣に向かい合い、彼の言葉、促がす覚悟の一つ一つを真剣に考え、吟味する。
その結論は―――
漸くに牧場のおばちゃんおっちゃん連中から解放された頃には、それこそ精も根も尽き果てたかのように疲労困憊で千鳥足のカズマが誕生していた。
この“シェルブリット”のカズマにも苦手なモノは二つある。
それは笑っていないかなみの顔とあの連中の説教だ。
………つくづくそれを改めて思い知らされた。尤も、その大半は自業自得だが。
「………にしても、かなみが行ってないならまったくの無駄足だったじゃねえかよ」
毒づくように文句を垂れるカズマだが、連中に聞かれていれば間違いなく恐怖の延長一時間コースだっただろう。
兎も角、最前のことは悪夢と割り切り出来るだけ忘れるようにしながらカズマは寝ぐらへの道を戻る。
かなみが帰っているというのなら、自宅で話し合えばいい。
だがそれを考えるだけでもまた再び、柄にもなく緊張してきた。
憂鬱になりかねない帰路の足取りは重い。何でこんな面倒なことになっているのかと改めて噴飯ものの気持ちだった。
「それもこれも………全部あの野郎のせいじゃねえか」
高町なのは。いけ好かない………けれど何処か己と似ている本土から来たアルター使い。
アイツの相手なんぞしていたからこんな面倒なことになってかなみに怒られているのだ。改めてあの女は気に入らないにプラスして疫病神だと認定した。
そもそもそれ以前に彼女を見つけて自分から喧嘩を吹っ掛けようとしたのが始まりだったことを既に忘れている辺りがカズマらしかった。
次に出会ったらやはりぶっ飛ばす、そんな決意を苛立ちと共に固めていた瞬間だった。
―――目の前の光景を見て、それこそカズマの思考は止まった。
それこそその件の女―――高町なのはがまたいやがった。
しょうこりもなくまたか、そんな思いを抱く以前にその彼女と一緒にいる人物が問題でカズマの思考はそこまで進まなかった。
「………なんでかなみとアイツが一緒にいるんだよ………?」
それもなのははかなみを拘束するように両腕で彼女の体を外側から抱きすくめている。
それを抱擁とは素直に取れない辺りがカズマらしいと言えばらしかった。
けれど勝手にあらぬ方向に疑問への解答を自己完結に進めるカズマが出した結論は早計で単純、そして明白だった。
―――かなみが危ない。
それだけを結論として弾き出したカズマはそれこそ思い切り地を蹴飛ばしながら彼女たちの居る場所へと駆け寄る。
「―――かなみ!?」
なのはの拘束を逃れたのか、呆然として驚いているかなみを他所にカズマは彼女となのはの間に割り込むように立ち塞がる。
当然、その光景は傍から見ればかなみをなのはより護ろうとするソレだ。
「………カズマ君」
「テメエ、かなみに何しやがった!?」
カズマの突然の乱入にはなのはも驚いたのか目を見開き彼を見つめる始末だ。しかしそれすらもカズマは遮るように問答無用の恫喝で彼女に詰め寄らんばかりの勢いだった。
「カズくん、落ち着いて! なのはさんは別に―――」
「騙されんじゃねえ、かなみ! こいつはホー………市街の人間なんだよ!」
咄嗟にホーリーと口走りそうになるのをかなみが驚き怯えるのではないかと配慮して言い換えられたのは一つの奇蹟だっただろう。
カズマの狼藉を止めようと彼の服の裾を引っ張っていたかなみも流石にそう叫ぶ彼の激しい剣幕には咄嗟に怯えて後ずさってしまった。
「カズマ君、かなみちゃんが怖がってる。駄目だよ、そんなに怒鳴り散らしちゃ」
「うるせえ! テメエこそそれ以上かなみに近寄るんじゃねえ!」
そう言って牽制する様に拳を横薙ぎに振り払う。
無論、なのはにはそもそも距離が足らずに当たらなかったが、それでも一歩近づこうと踏み出しかけていたなのはの足が思わず止まったのも事実だった。
傍から見ればそれこそカズマの方が暴挙に出て錯乱するチンピラだ。そうなってしまっているのもこの二人が同時に自分の前にいるからだ。
一方は自分が背負い、護ると誓った家族。
もう一方は明確でいけ好かぬ敵であり、越えるべき立ち塞がった壁。
まさに日常と非日常が同時に混在するカオス空間にでも踏み入った心境で冷静さを欠いていた。
だがそれでもまだアルター能力を発動していないだけ最後の理性が残されていたのも確かだ。尤も、相手の出方が変わればその均衡は崩れ、激突は避けられなくなるが。
正に火薬庫、そう呼んでもいいほどに危うい状況だった。
そしてなのはもまたそれを瞬時に悟ってもいた。
だからこそ、これ以上彼を刺激するのは危険だと判断した。
この場での最も穏便な解決策―――それはやはり自分の撤退だろう。
今のカズマの状況が状況だ、カズマはおろかかなみとも話し合いはおろかその余地すらもカズマは許さないだろう。
随分と嫌われている、その事実は苦々しく、そして悲しい笑みとなって表情に表れていた。
けれどそれも今は仕方の無いことだと、なのははグッと耐え忍ぶことを選んだ。
「………じゃあ残念だけど、今日はもう私は帰った方がよさそうだね」
残念だよ、とそう最後に告げながら彼女はもう一度だけ二人に微笑みながらそのまま背を向けてこの場を去るために歩き出す。
「おい、テメエ! かなみに―――」
「―――安心していいよ」
背を向けて去ろうとしているこちらに彼が声をかけたのは、かなみに自分がアルター使いなのをばらしていないかを懸念してのことだろう事は直ぐに察しが付いた。
なのはは凡そかなみがカズマがどんな事をしているのか殆ど何も知らないだろう事は彼女の話を聞き察することが出来ていた。
だからこそ、心配しなくても何も話していない。言葉ではなく態度でカズマに察せられるように一度だけ振り向き、彼を安心させる為の微笑を向けてそう言ったのだ。
カズマはこちらの笑み、そして言葉で通じたのだろう、憮然とした態度で鼻を鳴らしながら視線を逸らした。
それに改めて笑みを浮かべながら、最後にと折角振り向いたことだし一つだけ思っている願いを二人へと告げた。
「またいつか………私は二人とお話がしたいな」
それだけを告げると後は一度も振り返ることなく、颯爽とした態度も顕にその場を立ち去っていた。
その彼女の歩みは、何処か迷いや重荷の吹っ切れた軽やかなものとなっていたことを本人もまた気づいていた。
何が何だか分からぬままに急展開した事態は自分を置いてけぼりにして終了してしまった。
何故カズマはああも彼女へと激昂した怒りをぶつけたのか。
何故なのははこちらを見た時にあんな悲しそうな笑みを向けたのか。
そもそもなのはは“りゅうこ”なのか、そしてカズマとなのはの関係は何なのか。
全てがサッパリ分からなかった。
けれど此処まで激しく怒り取り乱すカズマを見たのは久しぶりだった。そして彼がここまで激しく市街の人間に敵愾心を持っているのを改めて思い知った。
「………大丈夫だったか。アイツに………何もされなかったか?」
漸くに落ち着いてきたのか、先程よりは随分緊張感も解いた態度で改めて心配げに尋ねてくるカズマ。
ここまで自分を心配する彼も珍しいと思う半面、自分をこれだけ心配に大事に思ってくれていることに気づき、嬉しかったのも事実だった。
「………わたしは大丈夫だけど……カズくんこそ大丈夫? あんなに取り乱してらしくなかったよ?」
それになのはさんに対してもあんまりな態度だったんじゃないか、と思いもした。
だがカズマの方はかなみのその言葉に彼女の頭を乱暴に撫でてクシャクシャにするので応える。
「………何でもねえさ。ああ、何でもねえ。………お前が無事だったんなら、それで良いさ」
「あ、ちょっとカズくん! 酷いよ、髪の毛がクシャクシャだよぉ」
「あ………悪い、すまねえ、許せ」
非難してくるかなみに思わず罰が悪いように謝るカズマ。
それはいつも通りに展開されていたやり取り。あれ程、気まずく縁遠くなっていたはずの二人のどちらもが求めていたはずのものだった。
「………かなみ、帰るか」
「うん。帰ろう、カズくん」
聞きたいことは、知りたいことは山ほどあった。
いずれはこの疑念たちの真実を知りたいという欲求がかなみにもある。
けれど………今は、今だけはそれも置いておこう。
なのはには悪いとも思うし、カズマにも思うところはある。
けれどこの瞬間は、せめて家に帰るまでのこの瞬間くらいは―――
「………カズくん。………手、繋いでもいい?」
「………ハァ、しゃあねえな。好きにしろ」
「うん、じゃあ好きにする!」
「っておいこら、引っ張るな!」
―――何よりも尊い、自分が望んでいた幸せへと浸りたい。
青空がそろそろ傾きかける黄昏への一時。
並んで歩く影法師が二つ。
手を繋ぎ、家路に着くその光景は疑うことなく家族のソレであったことだろう。
次回予告
第4話 スーパーピンチ
窮地! 追い詰められた者は生き延びたいと強く願う。生を渇望する
崖っぷちに追い詰められたエマージー・マクスウェルもまた大声で泣き叫ぶ。
そして天空からの来訪者は、
神か? 悪魔か? スーパーピンチか?
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