―――スバル・ナカジマは嘘が嫌いだ。

 元々あまり器用な性格でもなく、他人を騙すことはおろか自分自身の感情を誤魔化すことも苦手だ。
 厳格で実直な父に似たのか、勇敢で誠実な人だった母に似たのか。
 もしかしたなら、優しく純粋な姉の影響だったのかもしれない。
 だがどのような理由にしろ、スバルは嘘を吐くという行為に抵抗を持ち、誰かを騙したり傷つけるような行為だけは絶対にしないと自身で決めていた。
 だからこそ、嘘が嫌いでどんな時も、どんな理由があろうと誰かを騙すような嘘だけは絶対に吐いたこともない。
 どんな時も真っ直ぐに、真摯に生きる……そう常に決めていたし、これからも決してソレだけは変えないように生きていく心算だった。

 ……そう、スバル・ナカジマは嘘が嫌いだった。

 

「……どういうこったよ……クソッ………ふざけんなッ!」
 そう苛立ちと共に怒鳴るカズマ。
 己を乗せた君島が運転する車が今はあまりに遅く感じて仕方が無い。
 無論、そんなことはない。運転する君島とて必死な顔で全力で車を進めている。
 遅く感じてしまうのはただカズマ自身が身の内から沸き立ち続けているこの焦燥を抑え切れていないからに他ならない。
 だがそれを抑えろと言われても、それはカズマであらずとも酷なものだと言える。
 何せ―――

「―――いったい何があったってんだよッ!?」

 苛立ちも顕に怒鳴るその声も、建物が燃え落ちる火の音に混ざって掻き消える。
 そう、燃えていた。周りの建物が、燃え落ちていた。
 それだけではない。農場のあちこちは破壊され、死んだ家畜の亡骸がそこかしこに転がっていた。
 明らかに尋常ではない破壊の後、凄惨さを極める変わり果てた農場を二人を乗せた車が疾走する。
 探している者は当然、由詑かなみ……カズマが背負ったカズマが護ると決めたかの少女だ。
 いつものようにこの農場に働きに出ていたならば、この破壊に巻き込まれている可能性は高い。
 そして本当に巻き込まれているとするならば、あの無力な少女がどんな危険な状態に陥っているかなど当然―――

 一瞬、脳裏に過ぎった最悪の光景をカズマは全力で振り払った。
 ふざけんな、そんなことありえるわけねえ! かなみは無事に決まってる!
 根拠無きその考えを必死に支えとしながら、車上よりカズマは血眼になって少女を探し続ける。
 そんな時だった。

「カズマ、あれ!」

 君島が叫んで指差した前方。そこに倒れている人影を確かに発見した。
 停車した車からそれこそ矢のように飛び出しながらカズマはその倒れている人影に駆け寄る。

「おい! おいって!?」

 見ればそれはかなみではないが知った顔……かなみが世話になっている牧場のおばちゃんの一人だ。
 この前は盛大に説教をしてくれた中にもいた、カズマも頭が上がらない対象の一人だった。

「しっかりしろ! なぁ!……どうなってんだよ!?」

 抱き起こし声をかけながらその体を揺する。やがて気がついたのか、おばちゃんは呻き声を上げながらその目を開けた。
 とりあえず煤だらけで細かな傷があるが、命に関わる傷を負っている様子も無い。それに安堵しながらカズマはおばちゃんへと尋ねた。

「いったい何があった!?」

 そうまずは状況の把握……この惨状はどうしたのか、此処で何があったのかを聞き出そうとする。

「……それが……いきなりの事で何が何だか……」

 おばちゃん自身も把握しかねているように戸惑いながらそう言ってくるだけだった。

「ガキとかはどうしたんだよ!?」

 ならば焦点を変える……何よりも最優先の情報を聞きだそうと駆け寄ってきた君島が尋ねる。
 ガキ……そう、子供であるかなみの安否、これをハッキリさせなければならない。
 君島のその問いに対しておばちゃんは、

「ちゃんと逃がしたって……かなみちゃんも家に戻ったはずだよ」

 それだけは抜かりなく間違いないとおばちゃんは保障してくれた。
 その言葉に、漸くにカズマは此処に来て初めて心の底から安堵の表情を浮かべた。
 かなみは無事……良かった、それだけは本当に。
 だがカズマたちのそんな一時の安息すらも打ち破るような事態が到来する。
 突如聞こえてきた足音……視線を向ければそこに立っていたのはあのクソ忌々しいホーリーの制服を纏った連中。
 仮面のアルター部隊ダース……尤も、カズマはそんな名称は知りもしないし知ろうとも思わない。
 ただ相手に対して抱くのはたった一つのシンプルな感情のみ。

「……君島、おばちゃん連れてかなみの所へ行ってくれ」

 最低限、残っている理性でまだギリギリソレを押さえ込みながら、相棒へとそれだけを頼む。
 君島もそれを戸惑いながらも直ぐに了承し、おばちゃんを車へと乗せてこの場から離れていく。
 そう、それでいい。今の自分は少々加減が難しい。それこそ巻き込んでしまう恐れがあった。
 だからこそ、君島に頼んで下がらせた。この後に憂いのない行動を自分が起こせるように。

「……ふ、ありがてぇ。お蔭で痛みがぶっ飛んだ」

 痛んで仕方が無かった右腕すら、今は体に対して早く暴れさせろと自ら命じてくるかのようだった。
 ……オーケイ、分かってる。直ぐに解き放ってやる、だから焦るな。
 自らの右腕へと胸中でそう言い聞かせながら、カズマは真っ直ぐに眼前のダースたちを睨みつけ―――

「こいつはテメエらの仕業か?……何とか言えよ、ええ! テメエら!?」

 ―――憤怒を持って己が拳を握りこんだ。

 

魔法少女リリカルなのはs.CRY.ed
第6話 君島邦彦

 

「……もう一度だけ訊く」
「……あぁ」

 厳しい面持ちで問いかけてくる劉鳳にヴィータはただ淡々とした態度で静かに受け応える。
 劉鳳は先に訊いてきたその問いをもう一度、ヴィータに対して告げてくる。

「本当に……お前がエマージーを倒したんだな?」

 沸々と沸き立つ怒りを必死に押さえつけるかのような口調で問い質してくる劉鳳に対してヴィータは変わらぬ態度のまま―――

「あぁ、………あたしがやったんだ」

 淡々とその事実を告げた。
 瞬間、劉鳳の周囲を虹色の粒子―――アルター発現の光が包み込む。周りの物体が次々と分解されながら、彼の傍らには銀色の少年大の大きさの拘束着に包まれた人形が出現する。
 絶影……ホーリーにおいても比肩する者もそういない彼の操る分離稼動型のアルター。
 ソレが出現すると共に、その肩に生えた紫色の触鞭が勢い良くヴィータへと迫ってくる。
 ヴィータは防御も回避もせぬままにソレを―――直撃する。
 触鞭に弾き飛ばされ、地面に数度バウンドしながら小柄な少女の体が転がっていく。

「ヴィータ副隊長ッ!?」

 そう叫んで彼女の元へと駆け出そうとしたのは、不安気な面持ちで最前まで彼らのやり取りを見守っていたスバル・ナカジマであった。
 だがヴィータの元へと駆け寄ろうと一歩踏み出したスバルの眼前に割り込む影―――絶影である。
 片頬を仮面に覆われた精巧な顔立ちはただ静かにスバルを見据えながら、再び肩の触鞭が今度は驚き立ち竦んでいる目の前の彼女へと振るわれようとしたその時だった。

「―――やめろ! スバルは何も関係ねえ!」

 絶影の触鞭に強打され弾き飛ばされていたヴィータが、がばりと起き上がりながら慌ててそう叫ぶ。
 ヴィータのその叫びにより寸前までスバルへと迫っていた絶影の触鞭がピタリと止まった。

「……関係ない、だと? 犯罪者と共謀し、我々の仲間を再起不能にしておいて関係ないだと?……ふざけた事をぬかすな!」

 激昂した態度も顕に睨みつけ怒鳴ってくる劉鳳に、しかしヴィータはそれに臆することもなく劉鳳を見返しながら叫ぶ。

「それをやったのは全部あたしだ! スバルは何もしてねえし命じてもいねえ! ソイツは町の人間を護ってただけでまったくこの件とは関係ねえよ!」

 だがヴィータのその言葉を信じられるかと言った態度で劉鳳は睨み返しながら怒鳴る。

「だがエマージーに加勢したわけでもなく見捨てたのだろう? ならばそれは裏切りも同じ、同罪だ!」

 既に劉鳳の頭の中ではヴィータもスバルも纏めて悪というカテゴリへと分類されている。そして悪を憎み許さない劉鳳にとって、彼女たちを処断しないなどと言う選択肢こそありえない。
 だからこそ、この二人を断罪すべく劉鳳は己がアルター、絶影へとそう命じようとして……

「駄目だよ、お兄ちゃん! 皆、仲良くしないと!」

 唐突に、割り込むように叫びながら間に入ってくる男が一人。
 患者服に身を包み、足をギプスで固めた……エマージー・マクスウェルである。
「ね、皆で遊ぼう。僕のスーパーピンチクラッシャーを貸してあげるから」
 そう言いながら劉鳳へと自身が持っている玩具を差し出すエマージー。
 その姿、言動に劉鳳の顔が苛立ちと悲しみ、半々とも言える様相で歪んだ。
 盛大に露骨な舌打ちを吐きながら、劉鳳はアルターを解除して絶影を消す。
 そしてエマージーではなく、ヴィータの方へ睨みつける視線を向けながらハッキリと告げた。

「見ろ! そして自覚しろ! これがお前の壊した罪そのものの象徴だ!」

 エマージーを指差し、ハッキリと怒鳴りつけながらそう言いきった後、劉鳳は肩を怒らせその場から足早に去っていった。
 ヴィータもスバルも、劉鳳に何一つ言い返すことも出来ず、沈痛な表情で俯くのみであった。

「……ねぇ、お姉ちゃん。怪我してるの? 大丈夫?」

 心配そうにこちらを覗きこんできたエマージーに対し、ヴィータは精一杯出来るだけ穏やかな表情を見せながら、彼を安堵させるように微笑みかける。
「いいや、大丈夫さ。お姉ちゃんは頑丈だからな」
「……でも血が出てるよ? 痛くないの?」
 見れば確かに触鞭で殴り飛ばされた時に肌を切っていたらしい。血が出ていた。
 だがヴィータはそれを確認しても尚、エマージーに対して心配するなと優しく微笑み返すだけだった。
「……大丈夫だ。こんなの唾でもつけときゃ直ぐに治るさ。……たいしたことない。あぁ、全然たいしたことなんてない。お前に比べたらな」
 ヴィータが最後呟くように言うしかなかった言葉に不思議そうに首を傾げるエマージー。
「どうして? 僕の足だってもう痛くないよ。僕は全然元気だよ」
 その混じり気の無い純粋な笑顔と言葉に、それこそ必死に保ち続けていたヴィータのエマージーに向けての笑顔が崩れかける。

 ……全然、大丈夫なわけねえだろ。

 胸中、そんな悲鳴を上げたい欲求に駆られるも自制でそれを押さえ込む。
 そんなことを言うことは許されない、仮に言ったところで仕方が無い。
 ……だって、これは全部自分の責任なんだから。

 アルター能力とは一説によれば、能力者のエゴを具現化した形なのだという。
 自らの誇りや拠り所と呼んでもいい、そんな思念を形として現実に投影するのがアルター能力だ。
 ならば、自らのエゴの具現、誇りや信念、拠り所ともなるソレを破壊されてしまえばどうなるか。
 アルター能力者にとって、自らのアルターを完全破壊されるということは、それらの全てを完膚なきまでに踏み躙られるのも同じだ。
 ……だとするなら、当然使用者へとフィードバックするその絶大な精神的ダメージに無防備な能力者の心は耐えられるのか………?
 答は否、蹂躙された精神はその大半が修復不可能なまでの傷を負い、使いものにならなくなる。
 その典型的な末路は廃人か、或いは―――

「……ねぇ、お姉ちゃん。一緒に遊ぼうよ」

 この眼前の実例であるエマージー・マクスウェルのような己の精神を守る為の極端なまでの精神的幼児退行化かのどちらかだ。
 ヴィータはエマージーのアルター……スーパーピンチクラッシャーを砕いた。
 それはイコールで、エマージー・マクスウェルという一人の人間の精神そのものを踏み躙り、破壊したのとも同じなのだ。

(……そうさ、あたしがやっちまった、あたし自身が背負わなきゃならねえ罪だ)

 劉鳳に言われるまでもない、それくらいハッキリとヴィータとて自覚していた。
「……そうだな、じゃあ何して遊ぶ?」
「じゃあ、コレ。このスーパーピンチクラッシャーで遊ぼう」
 遊んでくれると分かり嬉しいのか、はしゃぐ様にエマージーが差し出してきたのは赤いロボットの玩具だった。
 見覚えがある、ありすぎる。ソレはエマージーがあの町で子供たちに配っていた玩具とまったく同じ物であった。
「……爆弾とか、入って無いよな」
「え? 何言ってるの? そんなの入ってるわけないじゃん」
 自信満々な笑みを浮かべて言ってくるエマージーの言葉に、それこそヴィータの表情が崩れそうになる。
 だが駄目だ、耐えろと己へと再び必死に言いきかせた。

 ……そう、爆弾なんて入っていなかった。

 そしてあの玩具たちに爆弾が仕込まれていたとしても。
 エマージーがそんな非道な行いに手を染めていたのだとしても。
 これ程までに酷い仕打ちを受ける必要があったのだろうか。
 どうして、もっと自分はあの時に冷静になれなかったのだろうか。
 確かに自分は怒りに任せて彼を裁いた……が、これ程に酷い罰を与える心算なんてなかった。
 知らなかったでは済まされない、それはヴィータ自身が分かっている逃げられない罪。
 そう、他の誰でもない。
 エマージー・マクスウェルという一人の人間を壊したのは……自分だ。

(……はやて、皆すまねえ)

 最愛の主である八神はやてへと、永き時を共に在り続けた同胞たる騎士達へと。
 ヴィータは胸中で詫びた。

(……あたしは、デカイ罪を一つ背負っちまったよ)

 顔向けが出来ないな、許されないはずの後悔を一瞬でも抱いてしまった己を恥じながら、ただ只管にヴィータは謝り続けた。
 最愛の主と同胞たちに。
 そして眼前の己の罪の象徴たる男へと。
 ただ、謝り続けることしかヴィータには出来なかった。


 そしてスバルもまたそんなヴィータの心中が痛いほどに分かってしまうだけに、その光景を見続けていることすら限界だった。
 どうしてこんな事になってしまったんだろうか、何を間違えてしまったのだろうか。
 胸中へと沸き立つ後悔ならば幾らでもある。……幾らでもあるが、ちっともそれらに明確な答が出てこない。
 正直、もう嫌だとすら思った。何もかもを投げ出したい気持ちで一杯にすらなった。
 だがそれが卑怯な逃げでしかないことを、己に言いわけを立てた嘘でしかない事もまた理解できていた。
 罪の重さを理解できてしまったからこそ、誠実であろうとする己の心はそこから逃げ出すことを許さない。
 だからだろう、ただ只管に声無き悲鳴を彼女の心は上げ続ける他に無かった。

 

「何だ何だ黙んまりかよ! テメエら人様の庭でコレだけの事をやらかしたんだぞ!?」
 沈黙を決め込むダース部隊と対峙しながら、苛立ちも顕に怒鳴りつけるカズマ。
 こいつら自分たちの仕出かしたことの大きさが本当に分かってやがるのか、と益々怒りが湧いてくるのは言うまでも無い。

「今更知らぬ存ぜぬで済むわけが……ねえだろうがぁぁぁああああああ!!」

 故に、身をもってそれを叩き込んでやる。
 そんな思いも顕に、叫ぶと同時にカズマはその拳を地面へと打ち込む。
 瞬間、轟音と巻き上がる粉塵。
 そして地面を粉砕した勢いに乗じて宙へと飛びあがったカズマ。
 ダースたちもまた瞬時にそれを迎え撃つように一斉に跳躍して向かってくる。
 拳を振り上げようとした直後、背後に回りこんでいた一人に羽交い絞めされ動きを封じられる。
 それを見計らったように一斉に残りのダースたちもまたカズマへと組み付いてくる。
 だがそれすらも鬱陶しいとばかりに、それこそ力づくでカズマはダースたちを弾き飛ばす。

「黙ってりゃあ全て水に流せると思ってんのか!? あぁ!?」

 危なげなく着地すると同時に、そう怒鳴り込むカズマに対してもダースたちは弾き飛ばされていたのを幽鬼の様に起き上がりながら無言でまた迫ってくる。
「何だよ、まだやる気か!?」
 その不気味さに恐れなどよもや微塵も抱くはずも無いカズマだが、怒りに任せて自らで連中の方へと向かっていく。

「……じゃあ教えてやるよ! すいませんとか! ごめんなさいとか! もうやりませんとか言ってみろってんだ、コラァ!!」

 そう叫ぶ最中にも、向かってくるダースたちを手当たり次第に殴り倒し、蹴り倒す。
 無論、呵責も容赦も無い、怒りに任せた暴行である。
 次々に殴り飛ばされていくダースたちだが、カズマが抱いたのは連中を吹き飛ばす爽快感……ではなかった。

(……何だこいつら? 手応えがまるで無え)

 確かに拳を打ち込んでいる、だが効いているという感触がまるでない。
 それこそ幽霊でも殴っているかのような不気味さであった。

(……それに前に会った奴らとはちょっと違うような―――ッ!?)

 漸くに感じ始めた違和感へと疑問を抱きかけていた直後だった。
 眼前で起き上がったダースたちが集合し、まるで組み体操でもするようなピラミッドを作り始めたのは。
 都合八人。最下段に五人。中段に二人。最上段に一人というその光景はまるでこちらをおちょくっているのかと言わんばかりである。
 上等だ、そう苛立ちも顕に決めたカズマは、ならばもう容赦はしないと拳を強く握り固めた。

「そうかい、あくまでその気なら………とっととケリつけさせてもらう!」

 いつまでもこんな連中に構っているほど暇ではない。君島やかなみが心配だという焦りもあった。
 だからこそ本気で、一撃で決める。その決意を力と変えて右腕へと込める。

「衝撃のぉぉぉおおおおお……ファーストブリットォォォオオオオオオオオ!」

 背中の赤い羽根の一片が砕け散る。その勢いを推進剤へと変換し、文字通りの弾丸と化したカズマの拳が眼前のピラミッドに叩きつけんとばかりに迫る。
 だが―――

「―――なッ!? 消えた!?」

 思わずカズマが叫んでしまった言葉の通り、ダース部隊の眼前にまで迫っていたカズマの拳はしかし直撃も叶わぬままに空を切った。
 理由は、なんと眼前でピラミッドを組んでいた連中が突然に霧のようなものと化して消えてしまったからだ。
 いくらカズマのシェルブリットといえど形なきモノを殴れないのは道理。事実、彼の拳はその霧を捉えることもできず呆気なく空振りへと終わる。
 そしてその瞬間、生じた最大の隙を見逃すことなど敵からすればありえないのも当たり前。
「―――後ろか!?」
 瞬時に気配を察し、振り向くことまで出来たのは充分に驚嘆に値するレベルであっただろう。
 しかし、所詮はそこまで。カズマをもってしても振り向くまでが限界。迫ってくるダースたちの攻撃に防御や回避などと言った反応は間に合わない。
 次の瞬間には振りかぶってくるダースたちの拳や蹴りをカズマはそのまま直撃していた。


 そして遠方より、その戦いの様子をじっくりと観察しながら進行していく作戦の目論見の成功を笑う影が一つ。
 ジグマールからの命を受け、遠隔にてダースたちに指示を飛ばしカズマを追い詰めていくイーリィヤンであった。

 

「……隊長からの通達はまだ来ないのか」
 苛立つようにそう急かす劉鳳の言葉がトレーラー内に響く。
 彼が待っているのは上司であるジグマールからのヴィータの処遇に関しての連絡だ。
 仲間に暴行を加え、再起不能に陥れたヴィータは既に劉鳳の中では悪。
 本音を言えば、ジグマールからの連絡を待つことすら惜しんで今すぐに八つ裂きにしてやりたい程の気分だ。
 それ程に、ヴィータの裏切りが劉鳳には許せなかった。
 それもあの男……カズマと共謀しての犯行だったというのだから感情の昂ぶりに余計な拍車が掛かっているのは言うまでも無い。
「……でも、スバルが言ってたけどエマージーの取った行動自体にも問題があったんじゃあ……」
 シェリスが劉鳳を窘めるようにそう言った言葉も今の彼の前には意味をなさない。
 一応のヴィータたち側の事情とて劉鳳たちも聞いている。確かに、再起不能はやりすぎだがエマージーの取った行動自体に問題が無かったかと言えば必ずしもそうとはいえない。
 不幸なすれ違い、それが起こしてしまった悲劇なのではないのかとシェリスとそしてどちらかといえば瓜核もまた同じように同情的な立場であった。
 しかし―――

「何を甘い事を言っている! 現に過程はどうあれ今のエマージーの結果が全てだろう。そしてそれを引き起こした直接の原因こそが奴らであり、カズマだ!」

 まるでヴィータたちがカズマの仲間だとでも言わんばかりに強硬な態度を崩さない劉鳳。
 彼の中では機動六課は既に激しい疑心感からカズマの仲間という図式で成り立ち始めているのかもしれない。
 強引過ぎる思考だが、しかし劉鳳が密かに機動六課へと寄せていた期待や信頼感の大きさを考えれば、その裏切りの落差というのはそれを反転してしまうほどに激しいものなのかもしれない。
 事実、劉鳳の苛立ちの半分以上を占めていたのは彼女たちの裏切り行為という失望と怒りの感情だった。

「……兎に角、落ち着けよ劉鳳。今は隊長の通達を待とうぜ?」

 その怒気に押されて何も言えないシェリスに代わり、瓜核が今度は劉鳳を宥めにかかる。

「俺たちホーリー隊員に求められているのは冷静さ、そうだろう?」

 こんな時にこそ冷静にならんでどうする、そう促がしてきた彼の言葉は正論であり劉鳳とて反論する余地は無い。

「……ッ……分かっている!」

 やがて憤懣やるかたないという態度を示し続けたままではあったものの、劉鳳はそう告げると共にトレーラーの外へと出て行った。
 やれやれと疲れたような溜め息をシェリスと瓜核が同時に吐いたのは言うまでも無い。

「……で、その隊長からはまだ指示とか来てないのか?」

 瓜核の言葉にシェリスは若干躊躇いながらも「……ううん」とやがて否定の首を振る。
 劉鳳を騙すことになったが、一応は既に実はジグマールから連絡は届いていた。
 だが内容が内容であっただけに、劉鳳には切り出せなかったのだ。

「……ヴィータは本部へと帰還させるように。代わりに残りの連中を向かわせるって。それでスバルとあたしたちは………」
「……追って連絡を待て、か?」
「……うん」

 何だそりゃあ、そんな呆れたような言葉を呟かずにはいられなかった。
 あのジグマールが出した指示にしては随分と不透明で納得するには説得性が欠け過ぎた指示だった。
 隊長は何を考えているんだ、そう思わずにはいられない瓜核である。
 それはシェリスもまた同じなのであろう、その表情に混乱の色が濃く映っているのは見れば分かる。
 だが命令は命令だ、ホーリー隊員であるならば隊長から下された命は絶対遵守が基本だ。

「……しゃあねえな、んでヴィータは単独で還らせるのか?」
「そうしろって、指示は来てるわ」
「……逃げたりとかは……いや、ありえねえか」

 彼女たちは元々このロストグラウンドではなく本土より派遣されてきた部隊だ。今更この大地の上で逃げるような場所が有るはずも無い。
 ジグマールはそれを理解しているからこそ、そんな指示を出したのかもしれない。

「……で、ヴィータの代わりに来るのは?」
「ティアナとエリオとキャロの三人よ」
「……あいつ等か、劉鳳が噛み付かなきゃいいがなぁ」

 基本的にエリオとキャロのことは気に入っている瓜核である。幼い彼らがスバルたちのように劉鳳に噛み付かれるのは見ていて忍びない。
 その辺りはおいおいフォローに入るしかないかと瓜核は覚悟を決める。

「なら、劉鳳にばれない内にヴィータにソレ伝えて還ってもらおうぜ」

 既成事実にしてしまえば後で劉鳳が五月蝿いのは容易に想像できたが、今の頭に血が上っている彼にヴィータをそのまま還す等と知られれば自分の手で断罪するとでも言いかねない。
 流石に血の雨を降らすような状況になるのだけは避けたい。シェリスにしろ瓜核にしろ、まだヴィータたちのことはそれでも仲間だと信じているのだから……

 

 カズマとかなみが住んでいる廃墟となった診療所の前に君島の車が勢い良く走ってきて止まる。
 停車と同時に運転席から飛び出す勢いで駆け出しながら、君島は扉を開けて由詑かなみの名前を呼びながら彼女を探す。

「かなみちゃん!? おい、いるのか!? かなみちゃん!?」

 そう叫びながら君島はズンズンと躊躇うことなく奥へ―――かなみの寝室にまで向かいそのドアをこじ開ける。
 ベッドの上、そこに布団を頭から被りこみながら蹲っている影―――由詑かなみを漸く発見できた。
 彼女の無事を確認することが出来たことに、君島は心底から安堵の吐息を深々と吐く。

「あ~、良かったぁ……」
「……君島、さん……?」

 躊躇いながらも布団の中から起き上がりこちらの名を呼んでくる少女に君島は彼女を安心させるように努めた笑みを見せて告げる。

「迎えに来たぜ。カズマじゃなくて悪いが、俺が代理だ」

 君島のその言葉にまだ若干戸惑いながらかなみは問うてくる。

「……あの、カズくんは………無事、ですか?」

 こんな時でもアイツの心配が出来るなんて、ほんと出来た子だなと感心しながら君島は彼女を安心させられる答えを返す。

「おう、他の人たちを助けてる」

 正確にはその為にホーリーと戦っている真っ最中なのだが……詳しくは彼女にも説明できない背景があったのでそう言っておくだけにする。
 君島の言葉を信じたのだろうかなみはその返答に、

「そうですか……良かった」

 そう心底安堵したように息を吐いていた。
 本当に健気だなと感心しながらも、此処に居続けるのも危険だと思い返した君島は彼女へと近付き、その手を優しく握りながら告げる。

「逃げるよ、良いね?………大丈夫」

 そう言って微笑んだ君島に応えるようにかなみもまた頷き準備を始める。
 かなみの逃げる準備が整ったのを確認してから、君島はかなみを伴いながら診療所の出口へと向かう。

「一先ず、牧場に戻ろう。カズマなら……ホーリーたちを追い出してる頃だろう」

 そう説明しながら扉を開け―――

「―――ホールドだ! 姿勢を低くして、両手を頭の上で組め!」

 ―――瞬間、待ち構えるように武装したホールド隊員たちの銃口が一斉にこちらへと向けられる。

 待ち伏せされていたという事実、そして逃げ足である自身の車、ついでに助手席に乗せたおばちゃんまでもが人質にされて銃口を向けられていた。
 ……悔しいが唐突な展開に呆然とした状態から元に戻った君島ではあったが、だからといってこの状況をどうすることもできなかった。

「……クソ……悪い、カズマ………」

 投降、それ以外の道は存在しないのを突きつけられるように、君島は悔しさと相棒に対して申し訳なさを抱きながら、そう呟いて両手を挙げることしか出来なかった。

 

 二枚目の赤い羽根が砕け散る。
 咆哮を上げながら撃滅の拳を叩き込もうとするカズマだが……やはりそれは再び空振りに終わる。
 霧に変化してこちらの拳をかわしたダースたちは再び背後に回りこむと同時に実体化して襲い掛かろうとしてくる。
 だが……二度も同じ手を喰らうほどに“シェルブリット”のカズマは間抜けでは無い。

「……そこ、だぁぁぁああああああああああああ!」

 予めそれを待ち構えていたように瞬時に反転。実体化した直後の相手に向かって拳をそのまま突き込みにかかる。
 しかし―――

 ―――再び、それすらも空振りに終わる。

 瞬時に再び霧化したダースはそのままカズマの拳をかわし、空振り突き抜けて行ったのを見計らい、今度は突き出す拳から実体化を始めた。
 突如霧からこちらに目掛けて飛び込んできた拳に面食らい、カズマは直撃を受けると共に吹き飛ぶ。
 受身を取りながら素早く起き上がるも、その息は肩で吐くほどに荒いものへとなっていた。
 疲労が蓄積され始めている、かつての高町なのはとの戦闘での苦々しい経験を反芻してか、カズマの次の行動は早かった。

(実体が無えんなら、殴っても意味が無えな。……君島達も逃げたことだし―――)

 非常に悔しくて癪だが、今は優先すべきものがある。
 故に―――

「―――俺も逃げるしかねえや!」

 無論、無様な敗走ではない。こいつらを倒す方法を探り出す為の戦術的撤退というやつだ。
 そう自分に言いきかせながら、カズマはダースたちへと背を向けると同時、脱兎の如く駆け出した。
 だがダースたちもまた、それを逃がすかと言わんばかりに逃げるカズマの背を追いかけてくる。
 そしてカズマの後を追いながらダースたちは手に握っていたスイッチを押す。
 瞬間、予め仕掛けておいた爆弾が次々に爆発し始めた。
 その爆風の中駆け抜けるように逃げるカズマと追うダース部隊。
 壮絶な鬼ごっこが此処に開幕した。

 

 そして丘にある牧場から下った場所にある開けた広場。
 其処には今、その牧場で働いていたカズマやかなみが世話になっているおっちゃんやおばちゃんたちが集められていた。
 自分たちの牧場の方から聞こえてくる爆発音に震動、そして黙々と上がる黒煙。
 大人たちの誰もがざわめきながらそれを不安そうに見上げていた。
 彼らが知らされている情報は、ネイティブアルターとホーリー隊員があそこで戦っている、という程度のものである。

「……わしらの農場が……」

 そう嘆くように呟いている彼らが抱いている感情は悲しみと悔しさ、そしてこんな原因を作ったネイティブアルターへの怒りだった。
 全てソイツが原因で起こった厄介事、正体も知らぬその対象へと住民たちの怒りは沸々と高まり始めていた。

「……かなみちゃんは此処には居ないのかい?」
「……あぁ、くまなく探したんだが」

 そんな中で、そういった感情に支配されること無くただ無心に此処に居ない少女の事を心配している者達も居た。
 その筆頭が何かとかなみに目をかけ心配し、カズマを盛大に叱り飛ばしている牧場の取り纏め役とも言えるおばちゃんだ。
 そして彼女の夫の大工棟梁もまたその一人である。
 夫婦は姿の見えないかの少女の安否を心配し、そしてこんな時にも姿を見せずに行方を眩ましているグータラ男(無論カズマのことである)に苛立ちと呆れを顕にしていた。

 その当人こそが、今必死でそんな彼らを護る為に命を懸けて戦っていることすらも知ることなく………

 

『NP3228への囲い込みは順調だよ。……あの力を使うのはもう少し先になると思うけど』

 直接現場へと赴きダースたちの管制を担当しながら報告を送ってくるイーリィヤンにジグマールは満足気に頷く。

「了解した、引き続きホーリーアイへとデータを転送しながら作業を続けてくれ」

 こちらの指示に了解を示す頷きを見せるイーリィヤン。腹心のその姿と行動の成果に満足感と心強さを感じながら一旦彼との通信を切る。
 今は先に起こった問題……それをハッキリとさせておく必要があったためだ。
 部屋の光量を制限していたブラインドが開く、窓辺から差し込んでくる光をその前で受け入れながらジグマールは厳格な雰囲気も顕に漸く口を開いた。

「……さて、本題に入らせてもらっても構わないかな?……ストレイト・クーガー、そして高町なのは君」


 ホーリー部隊隊長マーティン・ジグマールの執務室。
 その内部、来客用のソファーへと並んで座らされている二人の人物……ストレイト・クーガーと高町なのは。
 ジグマールから直接に呼び出され尋問を受けている理由は……当然一つしかない。
 桐生水守を奪還する為にセントラルピラーへと襲撃を仕掛け、その混乱に乗じて監禁していた彼女を助け出し、本土に逃がしたこと。
 言うまでも無く下手人は自分たち。そして今更言い逃れが出来るとも思っていないし、そもそもなのはは言い逃れなどする心算もない。
 むしろ自分からジグマールへと直談判へと赴こうとすら考えていたくらいだ。

「なんのことか分かりかねますよ、マーティン・ジグマール隊長」

 だが対峙するクーガーはといえばなのはが何がしかそれに応えるべく口を開くのを先んじて、いきなりサングラスのズレを直しながら惚けた態度でそんな事を言い出す始末。
 なのははそれこそクーガーに訝しげな視線を向けるも、当の本人の方はと言えば自分に此処は任せておけとでも言った態度をこちらへと示してくる。
 クーガーの意図は分からない。本気で言い逃れに徹する心算なのかそうではないのか……此処は一先ず、水守を助ける時に彼を信じたように彼の動向を見守ることにした。

「……ほぅ、この私に嘘を吐く心算か? 命令違反に越権行為……いくら穏やかさを信条としている私でも些か語気も荒くなる」

 だがジグマールの方からしてみればクーガーの態度など面白くもないのは当たり前。此処に来てまだ言い逃れをしようとする部下にジグマールもその冷静さの下に確実に怒りを垣間見させてもいた。
 部屋の中の空気が重たくなったのが分かる。ジグマールは本気だ、本気でこちらに対する処罰を下そうとしてきている。それは発する彼のプレッシャーからも明らか。
 実直にして厳格、老練なる一部隊の長と自分は今真っ向から対峙しているのだという事をなのはは自覚し直した。
 まだクーガーの方へと直接向けられているソレだが、次は自分にも向かってくるだろう。故にこそ覚悟をもって受け止めねばならぬとなのはは気合を込め直す。
 だが今その強大なプレッシャーを向けられているクーガーの方はと言えば、相も変わらずの態度すら崩さず飄々としたものである。
 ……やはりこの人は大物なのだろうかとなのはは密かにクーガーを評価し直してさえいた。

「イーリィヤンに知覚させないスピードで動ける者が、君の他にいるとでもいうのか?」
「……居ないでしょうなぁ」
「ならば君ということになる」

 そう、“絶対知覚”の知覚速度すら凌駕する驚異的なまでのクーガーのスピード。
 実際、なのはも嫌という程体感し、もう二度とゴメンだとは思っているがそれでも彼のスピードが滅茶苦茶であるということだけは素直に認めざるを得ない事実。
 このロストグラウンド中を探しても……否、六課最速である親友のフェイトですらクーガーと匹敵できるかどうかというレベル。
 ならばジグマールがいうようにそれが逆算的には仇となり、事実上の犯人であるという証拠に繋がってしまうのは時間の問題である。
 事実、そう判断したからだろうクーガーは犯人としてこうしてジグマールに呼び出され尋問されているのだ。

「……なりますか?」
「ああ、なるとも」

 既にジグマールの脳内においては犯人=クーガーという図式は成り立っているのだろう。さしずめ自分はその共犯者か便乗犯かと思われているといったところか。
 正しい推理だ……まぁ、あの状況だ少しでも冷静に頭さえ回れば誰でもこの解には辿り着ける。
 元より水守奪還を決めた時から、この状況は覚悟の上だ。
 クーガーもまたこれ以上言い逃れをしても無駄であり仕方がないと判断したのだろう、

「……では、言いましょう」

 そう言いながら勢い良く足を振り上げ、それを下ろす勢いを利用して座っていたソファーから立ち上がる。

「桐生家は本土で有数の実力者、我々ホーリーの後ろ盾でもあります。……そこのご令嬢を行方不明にしてどうしようというのですか?」

 そう、クーガーの言い分は正しい。
 桐生家はホーリーにとって、六課で言うならリンディやクロノたちのような強固な後ろ盾としての立ち位置のはず。
 そんな部隊にとってのある種の生命線ともいえる存在、そこの令嬢に手を出すなど亀裂を生むのは避けられなくなるような蛮行だ。
 常に実直であり厳格、何よりも自らこそをホーリーとし、部隊そのものに献身しているジグマールが行うにはありえない筈の行動である。
 だが………

「……機密を公開させるわけにはいかん」

 だがジグマールから返ってきたのはそんな答えだ。
 機密……なのはもまた知る事となったソレ、水守が言う人が侵してはならない聖域を踏み躙るが如き蛮行。
 彼はそこまでしてそんなものをただ言いなりになってまで守ろうというのかと納得しかね、なのはが口を挟もうとしたその時だった。

「そんなもの本土に抑えてもらえばいい。……それとも何ですか、切り札にでもする心算だったとか?」

 思わせぶりなそんな態度で言ってきたクーガーの言葉に、ジグマールの鉄面皮が初めて驚愕に歪む。
 それは正しく、図星を言い当てられたかのような態度そのものであった。

「……貴様ッ……誰の味方だ!?……我々か!? それとも人間か!?」

 高町なのはもまたその場に居るのだということも忘れたかのように声を荒げて問い質すジグマール。
 それは彼女が垣間見た数少ない本音を曝け出したジグマールの姿のようにも思えた。
 だがクーガーはといえば、そんな恫喝を顕にしたジグマールに対してすら何ら臆した様子も無く、それどころかその質問自体がナンセンスだと言わんばかりに笑い始める。

「……愚問ですなぁ、隊長」

 まったくもって愚問。
 マーティン・ジグマールの問いはストレイト・クーガーにとっては問い以前の問題だ。
 だってそうでしょう、隊長? 貴方が言ったんだ。
 誰も俺を捉えられない、と………
 だからこそ、何者にも捉えられないからこそ俺は自由。縛られる必要も無い。
 余生に文化的な生活を送ってみたかった、そして少なくとも貴方のやり方に多少の条件を付けたが容認したからこそ俺は貴方の下に付いた。
 だが、貴方は俺との約束を破り、俺の容認しがたい事をやろうとした。
 だから俺は逆らった、俺が決めた俺のルール―――それを最速で通す為に。
 そう、いつだってそうしてきた。そして貴方はそれを容認しているからこそ俺を手元に置いている。
 ……ほら、なら簡単なことじゃないですか。ならば俺が誰に従う、誰の味方かだなんて。
 そう―――

「俺は、俺の味方です」

 ―――それ以外に何があるって言うんですか?

 

「……成程、よく分かった。処分は追って伝える。もういい、下がれ」
 クーガーのその返答に対して露骨とも言えるほどの不快気な態度も顕にしながら、やがてジグマールは睨んでいたクーガーから視線を外してそう命じた。
「おやおや、俺だけですか? なのかさんとこの後密談の予定でも?」
「彼女にも色々と訊かねばならぬこと、話し合わねばならぬことがある。これは部隊を率いる者同士の対談だ。君に同席の資格は無い」
 自分だけ下がらせられることに不満を告げたクーガーに対し、ジグマールの態度はにべも無い。明らかにさっさとクーガーとの会話を打ち切り彼を追い払いたがっていた。
 上司の不興を買ってしまったにも関わらず、しかしクーガーはその事実にすら気にした様子も無く大人しくジグマールの言葉に従って退室し始める。
 ただ退室するその直前に、

「ご武運を」

 コッソリとなのはに対して小声でそう告げ、ニヒルな笑みを最後に向けながらクーガーはジグマールの執務室を出て行った。
 最後に自分の事を気遣い心配してくれていたのだということを知ったなのはは、尚更に胸中でのみであったがソレに応えるように確かに頷きを示した。


「……さて、すまないね。見苦しい場面を見せてしまった」
「いえ、お気遣い無く」
 今度こそ正真正銘の一対一の対談。向かい合う高町なのはとマーティン・ジグマール。
 先ほどまでクーガーに見せていた態度は、彼が下がったのと同時に消し去りながらジグマールはいつもの泰然とした態度で口を開く。
「いや、困ったものだよ。ああも扱い難い部下を持ってしまうと上司は苦労する」
「心中お察ししますが……個人的見解を言わせてもらえれば私はクーガーさんの味方です」
 歯に衣着せぬなのはからの思っても見なかった直球、それは不意打ちとなってジグマールの意表を突くことには成功を収めたようだ。
 事実、それこそなのはから言われたその言葉にジグマールはその言葉を理解するまでの間の刹那の時、呆然とした顔を示したほどだった。
 だがそれも一瞬、直ぐに己を取り戻したジグマールはやがてクックックと低い笑いを起こしながら皮肉気な態度も顕にこちらへと言葉を告げてくる。

「どうやらアレと随分と仲が宜しい様だが……成程、犯罪の片棒を担ぎあった仲ならばそれも可笑しくは無いか」

 ジグマールもまた直球で告げてきた。
 つまり、高町なのははストレイト・クーガーの共犯者だと。
 それは事実であり、逃げる心算とて更々無かったなのははそのジグマールの言葉に対しても殊更慌てた様子も無く、

「そうですね。同じ危ない橋を共に渡った仲間ですからね。信頼はしていますよ」

 なのはがアッサリと事実を認めてきたこと、それに対してジグマールは若干訝しげに眉を顰めた。
 言い逃れをするわけでもない開き直っているのかのようなこの態度、果たして何がしかの勝算を持っての事なのか、それとも考え無しなだけの馬鹿なのか……

 ……どちらにしろ、何かがおかしいとジグマールは直感的に悟る。

 おかしい……そう、これは変わったと言うべきか。
 明らかに今までの肩書きに見合うだけの能力を持たなかったただの小娘とは違う。
 今の己と対峙している高町なのはは先日までのジグマールから見れば未熟だった小娘とは何かが異なる。
 どこが……何が変わった? いや、何が彼女を変えたのだ?
 解の分からぬ疑問、それにいつまでも拘るジグマールではなかったが、それでも何処かに未だあった眼前の少女に対しての甘い認識を即座に切り捨てた。
 どちらにせよ、もはやこの少女は片手間に対処できるほどの小娘では無い。
 こちらに明確な脅威を与える可能性のある敵……そう判断する。
 或いはこの時初めて、マーティン・ジグマールは高町なのはを同じ高みに立つ対等の存在だと認識したのかもしれない。
 そうさせるほどに、今のこちらを見る彼女の眼……そこに映る覚悟の色と輝きは明らかに違うものとなっていた。


 そしてそれは高町なのはとて同じだった。
 一瞬たりとも気を抜ける相手ではない、そう眼前のジグマールを評価し、それ故にこそ対峙し合うこの時に隙を見せないようにすることに必死だった。
 今までの自分が行ってきた戦いとは種類も舞台もそのベクトルも違う。ただでさえ畑違いと自身でも認識する場違い、そうであるにも関わらず対する相手はこの道に通じた百戦錬磨の老獪。
 正直、ビギナーであるなのはでは何から何まで相手を上回れる要素すらなく、勝ち目すらも皆無と言いきっても良いほどの相手だ。
 だがそれでも負けられない、この男に負けるわけにはいかない。
 その強い意志、そして先に抱いた覚悟があればこそ、こうしてなのはは何とかジグマールに喰い付けていた。
 後は逆転の芽を掴むことだが……正直、それも現時点では持ち合わせていない。
 分が悪い、などというレベルではない状態だがそれでも何とかするしかなかった。

「……これは驚いた、開き直りかね? どうやら異世界の連中というのは随分と面の皮がお厚いようだな」

 皮肉と挑発を兼ねた糾弾の言葉、だが罵声を受けることくらいなら伊達にこちらも教導官などやっていないのだから充分になれている。
 この程度の挑発に乗って熱くなったりなどしない。そう、クールだ。クールに戦えとなのはは己に言いきかせる。
 怒りは大きな爆発力を生み、それは確かに驚異的な成果を時に上げる。だがその反面、視野が狭まり冷静な判断力に欠けてしまうという致命的な欠点もある。
 教導隊でかつて先輩たちから教え込まれたこと、そして今も教導官として教え子たちに教え込んでいることを引っ張り出してくる。

 熱くなり過ぎるな、怒りを持つのならばそれは静かに強く、決して激情に流されてはいけない。どんな時でも勝負を最後に決するのは、冷静な判断力。
 手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に。
 それを高町なのはは己へと今一度言いきかせた。

「そうでしょうか? 生憎と顔の厚さなど測った事がありませんから」

 小手調べの皮肉をクールに切り返してきたなのはに、ジグマールはやれやれとつまらなさ気な態度を露骨に見せる。
 その露骨な態度もまたこちらの隙を引き出すためのポーズである、それを承知していたなのはは態度を決して崩さない。

「やれやれ……この上司あればこそのあの部下ということかね」

 だがいきなり矛先を変えて言われた言葉に、一瞬なのはは戸惑った。
 なのはにはジグマールの言った言葉の意味が分からなかった。彼女は未だヴィータが犯した問題行動について報告まで受けておらず、その事実を知らなかったのだ。
 だがそれ故にこそ、未把握の領域からきた奇襲にはなのはも対処できず結果的に隙を見せてしまい、当然ソレを見逃すジグマールではない。

「まだ君にまで報告が上がっていないようだな。君の部下がこちらに与えた損害とその問題行動については」
「……どういう、ことですか?」

 損害、問題行動、君の部下……不安を煽り立てる単語のそれらに対して問い直すなのはの声にはやはり言い様のない不安の色が隠しきれずにいた。
 やはり気丈に振舞おうが所詮は小娘、揺さぶれば馬脚を曝す……ジグマールは目論見の成功に満足感を抱きながら取っておいたカードを切ることにした。
「こういうことだよ」
 そう言って手元のパソコンを操作、画面に映り始めた記録映像……そう、例のヴィータの問題行動のシーンをしっかりとなのはへと突きつけた。


「……ということだ。君の部下、ヴィータによってアルターを完全破壊された我がホーリー部隊員の一人であるエマージー・マクスウェルは再起不能となった」

 ジグマールが映像と共に突きつけてきたその事実がなのはに重く圧し掛かる。
 再起不能……己も魔導師としてかつてその直前にまで陥った経験があるだけにそれがどれ程に重たい事実であるかは人並み以上に理解できる。
 だからこそ尚更に、それを行ったのがヴィータであるということがなのはには信じられなかった。
 なのはが突きつけられた事実はエマージーがヴィータによって再起不能にされたという事実のみ。彼女がそもそも何故そんな行動を取ったのか、それ以前にアルターを破壊されるということが再起不能に繋がるという事実すらヴィータが知らなかったという真実は意図的に暈されていた。
 ジグマールにしても反論の余地を与えるそれら不都合な真実まで塩として敵にくれてやる心算など毛頭ない。端からこの戦いはそんなクリーンさを前提にされてもいない。
 要は的確な場面で的確なカードを切る、それによって相手を確実に下す。要するにジグマールが行ったのはただそれだけに過ぎない。

「更にこの件に加え、君自身が犯した越権行為に反逆者の逃亡補助……こちらに与えてくれた甚大な損害を鑑みても、これは正式に管理局へと抗議させてもらう問題には充分になりえる」

 更に加える追撃、体勢を立て直す前に一気に話を纏め上げて勝負を決する……このジグマール、容赦はしない。
 対するなのはは沈黙、必死に隠そうとしているがその表情は青い。突きつけられた事実と反論を許さぬ猛追に思考が追いついていないという状態だった。
 ……まぁ、小娘にしてはよく耐えた方か。勝利を確信してはいたジグマールだが、油断こそしないまでも早くも戦後処理の段階にまで既に考察を進めていた。
 高町なのはの失脚、そして六課側に出来たホーリーとの明確な力関係。捨石ではあるが有能な戦力をこれで完全に手に入れることが出来た。
 ……そう思い始めていた瞬間だった。

『―――少々待っていただきたい』

 急に響いてきた聞き慣れぬ第三者の声。
 この場には自分たち二人以外にはいないはずにも関わらず、いきなりに場に割って入ってきたその声にジグマールですら一瞬呆然となったほどだ。
 だがそれでもやはりマーティン・ジグマール。ロストグラウンドの治安維持部隊を纏め上げる巨魁は瞬時に平静な態度へと舞い戻り声の発生源を探る。

『いきなりの無礼な横槍については謝罪します。しかし貴方が示された情報には不可解な点があります。まずはそれに応えていただきたい』

 再び聞こえてきた声、その発生源は―――


「……レイジング、ハート……?」
 高町なのはが驚いたような呆然とした表情と声で自身が首から提げている赤い宝石を見下ろす。
 己のデバイス……この十年、他の誰よりも近くで共に戦い続けてくれてきた自身の相棒の突然の発言になのはは戸惑う。
 だがそれは対峙して直接言葉をぶつけられる形になったジグマールも同様……否、それ以上だろう。
 それはそうだ、彼としては単なるアクセサリーという認識でしかないソレがいきなり言葉を発しだしたのだ。戸惑うのも無理は無い。

「……何だね、ソレは? 高町君」

 魔法知識を持たぬジグマールにとってはまったくの未知の物でしかないデバイスだ。彼が警戒した表情と口調でそう尋ねてくるのも無理は無い。
 ジグマールが把握しているのはあくまでも彼女たちの魔法が自分たちのアルターとは別物だということのみ。
 魔法技術やそれに関連した知識については一切知らされていないジグマールにしてみれば突如喋りだした宝石など奇怪な物としか思えないのだろう。

『失礼、私の名前はレイジングハート。マスター……高町なのはの魔法発動等を補助する為のインテリジェントデバイスです』

 自らで名乗りを挙げるレイジングハートをやはり警戒した面持ちで見つめるジグマール。それはやがてなのはの方へと移る。
 十中八九、それは具体的な説明を求めたものだった。
 魔法知識の無い者にどうやってデバイス等を上手く説明できるかを悩みだすなのは。だが主に忠義を尽くすデバイスはそれに先んじて、

『要するに思考を形成することが可能な、魔法使いの為の魔法の杖と認識してください』

 かなり端折って暈した説明をするレイジングハートだったが、元々門外漢でしかないジグマールには詳しいことは分からない。自らそう自称する魔法の杖に対して疑問や反論を持つ余地も無い。
 元々異世界などという荒唐無稽な場所からやって来た連中だ。己の理解の範囲を超える何がしかの技術や知識を持っていたとしても可笑しくは無い。
 要はそういうものなのだろうとジグマールはレイジングハートの言い分に納得した。

「……よかろう。君が魔法の杖とやらであることは理解した……が、先の発言はどういう意味かね?」

 とりあえず思わぬ伏兵が存在した事実に内心では微かな苛立ちと焦燥が生まれかけるも、表面上は余裕を保ったままの態度で続きを促がす。
 己の発言権が認められたことに納得したのだろう、レイジングハートはでは遠慮なくと言った態度でその疑問をジグマールへと向けてきた。

『まずこちらの局員であるヴィータが貴方方の部隊員へと暴行を加え再起不能へと陥らせた件、これは本当に間違いの無い事実なのですか?』
「当然だ。先の映像も上がってきた報告も全て事実だ。それとも私が虚偽を捏造しそれを君たちへと吹っ掛けてきた言いがかりとでも?」

 ジグマールの皮肉を込めた反論にしかしレイジングハートはその平坦な機械音声に一片の揺らぎすら現さない。
 内心でその事実にジグマールは厄介だと舌打ちを吐いていた。どうもこの相手はそもそも揺さぶりが通用する云々の相手ですらないらしい。

『分かりました、それが事実だというのはこちらでも一旦認めましょう。ならば聞かせて頂きたいのですが、ヴィータはどうしてそちらの部隊員……エマージー・マクスウェルでしたか? そのマクスウェル氏に暴行を加えたのでしょうか?』

 その経緯と理由を明らかにして欲しいとレイジングハートはジグマールへと問い合わせてくる。
 ……どうやらこの魔法の杖、持ち主よりも遙かに客観的に冷静な判断と視点を保てるらしいとジグマールは評価し直した。実に厄介だ、と。
 先程までひた隠しにしてきた真実の提示の要求……これに応えるか否か?
 敵に塩を送る必要は無いという観点からすれば、応じる必要は無く詳しい事実はまだ上がってきていないという質問そのものを切り払う手段もある。
 だがこれは下策だ、証拠映像があろうと確たる経過そのものの詳しい事実も分からずに責任追及をしようと言い逃れられる手段は幾らでもある。この相手ならば尚更だろう。
 ならば真実の提示……これもまたジグマールにとっては面白くないのも事実だ。何せ非がヴィータにあったにせよエマージーが行ったこともまた人道面から見れば問題だ。
 一応は再開発を名目に掲げ補助というお題目でありながらもそこに爆弾を仕込んでいたなどということになれば……そこに非難が集中するのは明らか。

『またマクスウェル氏とヴィータの他には、確か我が隊のスバル・ナカジマも同行していたはずです。彼女の先の一件との関わりは? いえ、そもそも―――』

 沈黙を保ちだしたジグマールに畳み掛けるようにレイジングハートは追求の矛を進めてくる。

『―――そもそも、彼女たちは貴方の特命を受けて任務へと赴いたはずです。貴方が彼らに下した特命の内容とは? そしてそれが結果的にどうなったかその経緯から詳しくお伺いしたいのですが?』

 答えてくれますか、マーティン・ジグマール部隊長?
 そう告げてきたレイジングハートを前に、漸くにジグマールは先の己が掴んだはずの勝利が遠のきかけていること、そして相手が体勢を立て直しかけている事に気づいた。
 厄介だ……ああ、実に厄介だ。
 マーティン・ジグマールは確信した。この場で最も脅威となるべき敵が何者なのかを。
 レイジングハート。
 実直にして老練たる己を久方ぶりに揺るがすに値する敵のその名をジグマールは胸に刻み込んだ。

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最終更新:2009年04月17日 01:36