夜闇に支配されたこの街を照らし出すのは、爆炎と轟音、そして慌ただしく道路を打ち付け鳴らす革靴の音。
ミッドチルダ首都中央部。人々の幸せな笑い声で賑わう筈の街に今響き渡るは、狂乱と悲鳴の宴。
ほんの数分前、数人の武装強盗がミッドチルダ最大の都市銀行を襲撃。彼らは覆面とスーツで身を固め、本来法律で禁止されている機関銃を片手に振り回し、戦利品である大量の札束を見せつける様にして街を闊歩していた。
本来、銀行強盗というのは、手に持てる分だけの金を持ち出すのが定石であるが、彼らは普通の銀行強盗ではない。
その理由が、彼ら強盗の後方に付いて歩く巨大な物『ロボット』の存在。身の丈20メートルに迫るそれは都市銀行の『大金庫』を両手に抱えながら歩いていた。
特殊合金製で爆弾にも耐える金庫であったが、扉の部分は既に引き千切られ、中にある大量の金がロボットが歩く度に零れ落ちそうになっている。
夜とは言っても人通りの多い時間帯であるから、たまたま居合わせた通行人も普段見慣れぬ光景に「ショーの一種か?」「映画の撮影か?」と首を捻るばかりだった。
本当なら人目に付かないように深夜盗みを働くのが常識であるが、彼らは自分たちの持つ力を絶対的に過信していた。
特殊合金の金庫を壊すロボットの力。それは何物にも止められる物ではない。
やがて悠々と行進を続ける強盗団がたどり着いたのは、都市部の中でも特に広い道路。
「よしこのままミッドチルダを脱出するぞ!」
「もうすぐ迎えの輸送船が来るはずだ。ここで待てば……」
強盗団の一人が見つめる先には空から降りる一隻の次元航行船。全長は50メートルほどで、見た目から貨物船のようだ。それはゆっくりと高度を下げて道路に降り立とうとする。
強盗団達はそれを待望の眼差しで見つめているが、突如貨物船を炎が包み込んだ。その様子に何が起こったのか彼らには理解出来ない。
やがて貨物船は溢れんばかりに噴き出す爆炎を纏いながら地面へ吸い込まれていく。
次に響き渡るのは金属がひしゃげるような音と船体にとどめを刺す最後の爆発。その衝撃は数十メートル離れた位置に居る強盗団にも直撃し、皆反射的に腕を差し出して顔を庇う。
「これは一体!?」
この状況では至極当然だろう感想を口にした強盗団の一人。自分達の幸せをもたらすべき船は今や不吉に黒煙を吐き続けている。
そんな中、街に響くのは若々しい女性の声。そしてどこから照らされているのか無数のサーチライトが強盗団に向けられた。
「さぁ貴方達の企みもここまでです。大人しく捕まってください!」
サーチライトで眩しいがそれでも目を凝らすと声の主と思しき人物は、火の粉を散らして燃え盛る貨物船、その残骸の上に立っていた。
煙に紛れてよくは見えないが間違いなく女だ。まさかあの女が貨物船を墜としたのか? 普通に考えれば出来る筈はないが可能性が一つだけ。
「時空管理局の魔導師か!?」
「構わん! 撃て撃て!!」
強盗団の全員が引き金に指を掛け、狙い澄ます。だが引き金を引く時間、そのタイムラグの隙をついて、炎に立つ女性は弾丸が発射されるよりも数瞬速く金色の魔力障壁を展開していた。
無数に押し寄せる銃弾だが彼女の身体に辿り着く事もなく次々に弾き返されていく。その様子に強盗団達は焦燥を強めていった。
相手が低ランク魔導師ならば機関銃でも十分相手に出来る。こちらが撃つより速く防ぐ技術と銃弾を弾き返す障壁の強度。ならばそこから考えられる結論は只一つ。
「そんな物で私を倒すなんて無理だ! 諦めて捕まりなさい!」
先程とは打って変わって語調を強める女性に強盗団は苛付いていた。そう目の前に居る女は間違いなく、間違いなく。
「高ランク魔導師か」
まさかよりによって高ランク魔導師が出てくるとは予想だにしていなかった。完全に虚を突かれたと言っていいだろう。
だがそれも大した問題ではない。そう、自分達には無敵のボディーガードが居るじゃないか。
「行けぇロボ! あの女を叩き潰せ!!」
その言葉にロボットは相槌代わりの咆哮をするとまずは足元に金庫を置き、それから貨物船に立つ女性に地響きを伴いながら近付いていく。
しかし女性はまったく動こうとはしない。いくら高ランク魔導師でもこれだけの質量を受け止められるはずがないのに。
やがて女性を射程圏内に捉えたロボットは、その巨大な拳を振り上げ、目の前の敵を叩き潰すべく突き出した。
この巨腕の質量を生かしたパンチならば魔導師を叩き潰すには十分すぎるパワーがある。だがそれでも女性は動こうとはしない。
強盗団が確信するのは勝利。忌々しい魔導師が血肉を撒き散らして死んでいく姿。さぁ後は金を持って、この場を立ち去ればそれで全てに片が付くのだ。
だがそんな幻想を砕くように響き渡るのは凄まじい衝突音。最初は魔導師と一緒に残骸も壊したのかと思ったが、そこに広がっていたのは想像とはまるで違う光景であった。
確かにロボットのパンチは伸び切っていた。だがそれは黒煙の中から伸びるもう一つの巨大な左腕によって阻まれていたのだ。
そして黒煙より現れた腕は、まるでアルミ缶でも潰すように掴んだロボットの拳を握り潰していく。
悲鳴のような軋みを上げる拳は、見る見るうちに形を変え、完全に握り潰された拳からは流血のように、おびただしい量のオイルが漏れ出している。
その様子に強盗団が言葉を失っていると、今度は黒煙からもう一つの拳が飛び出しロボットの顔面を激しく叩き付けた。
するとロボットの身体は、まるでホームランボールのように軽々虚空へと放り投げられたかと思えば、放物線を描きながらコンクリートの地面に落下していく。
ロボットは、背中から叩き付けられる形で道路に落ちると、激しい衝撃音を撒き散らしながらアスファルトの大地に大きな陥没を作り、そこでショートする火花と煙を吹き上げると眠るように沈黙した。
大金を投じて作り上げた無敵のロボットが負けるなど! 最強と思っていた力が無残に変わり果てたその姿に強盗団は戦慄を覚える以外になかった。
「そ、そんな馬鹿な! 我々のロボットが!」
「あとお前達だ! さぁ大人しく捕まりなさい! お前達のロボットはもう役立たずだ!」
それは魔導師の言うとおりであった。もはや沈黙した鋼鉄の巨体が二度と再起動する事はない。
図星を突かれた強盗団が残骸に立つ影に目をやれば、そこには若い女の姿が一つ。
そこかで見覚えのある姿、そう最近雑誌やテレビで年中見る若き天才魔導師、金色の雷光の二つ名を持つ時空管理局のエース。
「そうか! お前が、お前が時空管理局執務官、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン」
そして黒煙を振り払う様にして現れる巨大な影。もはや動けぬ鉄人形と化した強盗団のロボットと並ぶほどの巨躯。
その威容は剛腕、剛脚、鋼鉄装甲、非の打ち所がない難攻不落、剛力無双の完全無敵。武器も持たずにたった一機で一国を相手に戦えるほどの戦闘力。
「そしてこれが……鉄人!?」
強盗団の言葉にフェイトは自信満面の笑みを浮かべ、レバーが2つにダイヤルが3つ付いた操縦機を構える。
それこそが世界で唯一無二の最強の力を制御しうる只一つの物。フェイトだけに与えられた大いなる力。
そして操縦機で操られるのは、この次元世界にフェイト・テスタロッサ・ハラオウンの名と共に轟く、最強のパートナー。
犯罪者とあらば誰もが恐れ、そして欲するその名を!
「そう、鉄人28号!!」
「ガオォォォォォォォォォォォォォォ!!」
――これはフェイトと鉄人28号、二人の悲しき運命の物語。やがて巻き起こる戦乱の坂道を駆け抜けようとした者達の記録である。
今この世界を支配しているのは、朽ち果てた廃墟とそれを彩る炎だけ。既に破壊され尽くした風景に佇むは巨大な鋼鉄の影が一つ。
全身が鉄で出来た巨人の手には、この世界に終焉をもたらす程の力を制御する事が出来る操縦機を持ち、輝かしい金髪をたなびかせる女性が一人。
名をフェイト・テスタロッサ・ハラオウン。彼女は今にも泣き出しそうな表情で目の前に居る男を見つめ続けていた。
そしてその視線を通して狂おしいほどの憎しみを男に叩き付ける。だがそれでも動じぬ男に彼女は抑え切れぬ苛立ちを覚えていた。
「どうしてだろう。もう世界なんてどうでもいい。そう、どうでもいいんだ」
フェイトが呟き、思い描くのは世界で一番大事な人。いつも隣に居てくれた優しい人。
「しかし、それを彼女が望むかね」
大事な人を思い描く中、無遠慮に割り込んでくる声はまるで美しい彼女の微笑みを汚すようで。そしてその大切な笑顔を失ってしまった瞬間を思い出してしまいそうで。
次元犯罪者ジュエル・スカリエッティ。1年前、確かにこの手で捕まえた筈の男。だが今この瞬間に立ちはだかる狂気の科学者。
「お前が奪った! そうだお前が奪ったんだ!」
「守れなんだは君だろう? 全ては慢心だよフェイト。それほどの物を持ちながら君は何をした」
そうだ、彼の言うとおりこれは彼女の慢心なのかもしれない。何故なら彼女が手にしているのは無敵の力。持つ者をこの世で最も強い存在に変えてくれる力。
どんな攻撃にも耐えうる盾となり、全てを砕く最強の拳となり、どんな場所でもどんな相手でも決して後れを取る事はない。
この誰もが欲しがる、いや欲しがらぬ者などいないだろう。そんな究極の力が彼女の手中にあるのだ。
「だが君はまだ気が付いていない! そうだ、破滅をもたらす太陽をね!!」
「一体何の事だ!」
「やはり何も知らずに使っていたか。それが世界最後をもたらすとも知らずになんと無知で愚かか」
男は落胆する。素晴らしい力にはそれに見合った資格が居るのだ。
フェイトはそれに値するのか? しないのか? その答えは否! 否!! 否!!!
「ならば正しく使おう!」
男が指を弾いて鳴らせば、響いてくるのは大地を揺るがす地鳴りだった。やがて男の足元の大地が割れ、彼が呼び出した物はその巨大な姿を現す。それはフェイトの力を遥かに超える異形の影の姿。
無数の触手をしならせて、大地を踏みしめる太い脚、、大きく裂けた口には久しく獲物の血を吸えず飢えている牙が輝いている。
「なんだこれは……」
「全てはこの日のために。そう、その内に眠る力を手に入れるため!」
フェイトの戸惑いに男が指し示すのはフェイトを守る鋼鉄の力、そこに眠りし破壊の力。巨大な影は触手をうねらせると真っ直ぐに巨体目掛けてそれを伸ばした。
フェイトが避けようとするも触手の速度がフェイトの操縦を数瞬上回り、瞬く間に鉄の巨体は絡め取られてしまった。
次に響くのは触手に締め上げれて金属の身体が軋む音。だがそれはフェイトの耳にとってただ装甲が軋む音には聞こえなかった。
――痛いよ…苦しいよ。
フェイトには間違いなくそう聞こえるのだ。そうだ今この瞬間、彼は苦しんでいる。
痛くて、辛くて、苦しくて、だけどそれをフェイトはどうする事も出来なくて。
「がんばるんだ! がんばって…お願い」
「さぁ見せておくれ! その無敵の力! 私が欲しかった力の源!」
『鉄人28号!!』
「グオォォォォォ!」
それは二人の叫びの呼応したのか、その身を引き裂かれる痛みに泣いたのか。鉄人28号と呼ばれたそれは廃墟の中で雄々しくも悲しげな咆哮を上げて巨大な影に敗北したのだ。
触手によって引き剥がされた胸から飛び散る鮮血、その中で胎動する赤錆色の動力。まるで心臓のように鼓動を響かせるそれにはこう書かれていた。
『正太郎』と。
― 魔法少女リリカルなのは 蘇る闇の書 ―
第1話「無敵の兵士」
「わぁぁぁぁぁ!」
のどかでありそして優雅でなければならないはずの朝。
しかしそれは一人の美しい女性の悲鳴によって始まりにして終焉を迎えるのであった。
「どうしたのフェイトちゃん!?」
その声にフェイト・T・ハラオウンはハッとした表情を浮かべると自分の右隣に居る彼女を見つめた。
栗色の髪の毛に青い瞳。いつも笑顔を浮かべている顔は少し不安げな表情で。
彼女は高町なのは。そっとフェイトの頬に触れて優しく温もりを伝えてくれる。
「大丈夫?」
「うん…なのはが隣に居るから」
そう言って微笑んだフェイトの安堵は、なのはにとって嬉しい物のどこか思い詰めたかのような表情に疑問符を浮かべる。
一体どれほど恐ろしい夢だったのだろう。何が起こっていたのだろう。
だけどそれを聞くのはいけないような気がして。なんでだろうか、なのは自身戸惑っていた。
きっと悪い事があったのだ。こんな顔をするぐらいだから思い出したくもないはず。
「私はいつでも傍に居るよ」
そう一言だけ呟いてなのははフェイトの身体を優しく抱き締めた。包み込まれるようなその感触にフェイトは安堵を強める。
なのはは傍に居る、死んでなんかいない。そうだあれは全部悪い夢、ただの夢。
いや1つだけあの夢は正夢となっている。JS事件の首謀者ジュエル・スカリエッティ、夢の中で闇の書を駆りロボットを倒した男。
彼は1ヶ月ほど前に仲間であるナンバーズと共に脱走して、それから行方をくらましていたのだ。
そう、スカリエッティの影がちらつく事はフェイトにとって悪夢以外何物でもない。
「はい」
「ありがとう」
なのはがテーブルについているフェイトに渡したのはマグカップ。中にはカフェインという眠気を覚ましてくれる成分が大量に入った飲み物。
これこそが社会人の味方! 徹夜明けでも寝不足でも体を活性化してくれる奇跡の飲み物。
現代社会が生んだ最高の発明の一つにして至高の飲み物! 黒き救世主! その名をコーヒー!!
フェイトが飲んでいるコーヒーは少し濃い目で砂糖とミルクは控え目。朝の爽やかな気分を演出するにはぴったりの味であった。
「ご飯待ってて、すぐ作るから」
甲斐甲斐しくフェイトの世話を焼くなのは。
元々二人は六課が解散してからは別居していたのだが、スカリエッティが脱走してからその捜査に追われるフェイトの生活は酷いものになっていった。
それは3日前。連絡の付かないフェイトを心配してなのはがフェイト宅を訪れた時、なのはが見たのは、その惨たんたる部屋の有様であった。
食器や洗濯物が家中に散乱し、事件に関係した書類が床を埋め尽くしている。
その中で埋もれる様にして眠っているフェイト。起こすのは気が引けたが床で寝ていたら風邪を引いてしまう。
なのはが揺すり起こすと重そうに瞳をこじ開け、友人の姿を確認するやフェイトは笑顔で答える。
『なのはぁおはよう』
『おはようじゃないよ。どうしたのフェイトちゃん』
なのはの言葉に寝ぼけているせいか耳を貸さず、書類に埋もれているテーブルから一杯のどんぶりを探し出した。
フェイトは、ぼんやりとどんぶりを見つめている。昨日の物だろうか中には脂の浮いた汁が入っていた。
『なのはお昼食べてく~』
『さっき冷蔵庫見たけど何もなかったよ』
『あるある…ほら』
差し出したのは先程のどんぶり、改めて見てみると中身はインスタントラーメンの残り汁。
これを飲めというのか? いくら親友でも残り物を勧めるのはどうなんだろうとなのはが思っていれば、フェイトが眠たそうな顔で見上げている。
『チンしてご飯入れればお雑炊になるよぉ』
『そんなの食べてるの?』
『うん最近はねぇ』
これでは身体を壊す、確実に事件解決の前に壊す。そう考えたなのはは、その日の内にフェイトを自宅に招いたのだった。
とりあえず衣食住を提供しよう。なのははスカリエッティ脱走事件に関わってはいないから定時には帰れる。
だからフェイトに温かいご飯を作ってあげよう、残り物のラーメンの汁にご飯を入れて食べるよりもずっと健康的だ。
そんな事が3日前にあり、現在フェイトは高町家に居候しているのである。
「ああ、美味しい」
フェイトはコーヒーを口に運ぶ度、香ばしい香りとほのかな甘さに瞳を細めがら同じ台詞を繰り返していた。
さすがに喫茶翠屋の娘だけある。この2日間なのははインスタトではなく豆から挽いたコーヒーをフェイトに出している。
やはり香りも味も深みもインスタントの比ではない。なのはが用意した優雅な朝のひとときをフェイトが満喫していると。
「ご飯出来たよー」
フェイトの前に運ばれてきたのは、なのは特製の朝食だ。
こんがり焼かれたトーストに、チーズとトマトの入ったスクランブルエッグ。付け合わせにはベーコンと野菜たっぷりのサラダ。
ちゃんと栄養のバランスが取れた食事もまた、この2日間でフェイトが手に入れた物の一つだ。
「おいしそうだね、いただきます」
「召し上がれ」
なのはとしても友人がちゃんとした食事を取っているのは安心出来るし、何よりも自分の作った料理を笑顔で食べてくれる様子は嬉しいものなのだ。
そしてフェイトが自分の近くに居てくれるというのは、なのはにとってこの上なく安心出来る状況でもあった。
「なのはママ、フェイトママおはよう!」
元気な声と共に、二人がついている食卓に駆け寄ってくる少女。なのはの娘であるヴィヴィオだ。
なのはがフェイトの居てくれる現在の状況に安心感を覚える一番の要因はこの少女の事にある。
彼女は『聖王のゆりかご』という戦艦の始動キーとして作られた人工生命体であり、ゆりかごを狙うスカリエッティに誘拐された事があるのだ。
ゆりかごはもう存在しないとはいえ、なのはにとってスカリエッティ脱獄のニュースは、また娘がさらわれるのではないかという不安を駆り立てるもの。
だから学校に行くも送り迎えが欠かせず、しかもその道中これでもかと神経を使っている。
さすがのなのはもそんな事が毎日続けば疲労は溜まり、ヴィヴィオにとっても自由に遊べない状況は息が詰まるようで。
そんな中フェイトが居てくれればその負担も多少は軽くなり、子煩悩なフェイトと遊ぶ事でヴィヴィオの不満もある程度は解消されている。
「ヴィヴィオ顔洗っておいで。ご飯出来てるから」
「は~い」
なのはに元気な返事を残してヴィヴィオは洗面所へと駆け出していく。
その様子になのはもフェイトも幸せを噛み締める様に微笑みを返し合っていた。
同じ頃、時空管理局本局の一室。
薄暗い部屋でデスクに座り通信を行う女性が一人。
名をリンディ・ハラオウン。フェイトの義理の母親である。
「スカリエッティの件。ご存じで?」
『ああ、分かっている。だがあれの正体にはまだ気が付いていないらしい』
リンディの問いに返ってくるのは、やや安堵を交えたような低い男の声。
だが本心で焦っているだろう事は誰の目に見ても明らかだった。
リンディ自身焦りを抑えるのに必死だが、ここで冷静さを欠くわけにはいかない。
「事が表に出れば危うくなります。それに彼ならばいずれ気が付くでしょう」
『それも承知している。しかしどうしてこんな事に……。
仮にも我々はこの次元世界を統括する身。事が明るみに出れば質量兵器廃絶を掲げる我々の立場が危うい』
リンディは頭の中でその言葉に同意していた。そう、あれの秘密を漏らすわけにはいかない。となれば道は1つしかない。
「ではあれの処分を?」
『ああ、君がやってくれたまえ。どんな手を使っても構わん。
いざとなれば『修理の終わったあれ』を使ってでも止めるんだ』
その言葉を聞くや否やリンディは慌てた様子でデスクを両の手で叩いて立ち上がる。
「なっ、彼らをこれ以上巻き込むのは!」
『対抗策がなければそうする以外あるまい! この次元世界で魔導師以外にあれを止められるのは彼らしかない!』
「分かりました……」
『とにかく君に事態を押し付ける形になって申し訳ないと思っている。
その代り、事後処理は何とでもするから好きな手を使いたまえ。とにかくだ、手段は選ぶな。すまんが頼んだぞハラオウン総務統括官』
「了解しました」
通信を終えたリンディの表情が湛えるのは絶望と落胆。
全く想像していなかった事態。今のこの瞬間リンディが思い描くのは世界が滅亡していく様。
この広い次元世界にもいつかは終焉を迎える時が訪れるのかもしれない。
だがリンディは自分がその目撃者になりえるやもしれないとは夢に思っていなかった。
いやそうなる物か! なってたまる物か! だからこそリンディは思う。世界を救うにはあの奇跡の部隊に賭けるしかない。
そう1年前世界を救った精鋭部隊。機動六課のメンバー達に。
「だけどあの子だけは……あの子だけは」
リンディはデスクに置かれたフェイトの写真を手に取ると愛しそうにそれを撫で始めた。
「フェイト。お母さんが、お母さんが守ってあげるからね」
そう、機動六課を使う事になってもあの子だけは、あの子だけは巻き込みたくはない。
何故ならこれから戦わねばならない相手は、フェイトにとって辛すぎるから。
だから守ろう。そう、フェイトを守るためならば、いかなる手段を講じてでも葬ってみせる。
例えそれが神をも恐れぬ行為だとしても、例えそれが神にも背く行為だとしても。
リンディはそう誓いながら電話を手に取り、ある人物へと連絡をした。その人物の名は……。
「もしもし。ナカジマ三佐ですか? ええお話が」
それと同時刻、ミッドチルダの郊外にある廃棄都市での出来事。
廃墟と化したビル群は長き年月を雨風に晒され老朽化してしまい、今彼等が待ち望むのは破壊と修復。
そしてこの日、廃棄都市を再生して再利用すべく廃棄ビルや朽ち果てた道路の解体工事が始められていた。
額に汗して働く大勢の男たち。コンクリート建築物や道路解体のプロたちが黙々と仕事をこなしている。
一見何の変哲もなく、ただ日々の糧を得ようとする彼等が世界最後の序曲、その始まりを見つけようとはこの時誰も想像しなかった。
「なんだよこれ」
「知るか」
工事を一時中断して彼等が見ているのは、1台のショベルカーが道路を掘り起こしている時に見つけた円筒上のカプセルであった。
材質は金属で出来ているようで大きさは6メートルほどであろうか。泥に塗れているが埋められてからそれほど時間が経っているようには見えない。
こんな物が埋められた記録は存在せず、何も聞かされていない作業員たちにとって首を傾げざるおえない。
「どうすんだよこれ」
一人の作業員が声を上げる。正体が分からない以上、迂闊に手を出すのは気が引けたし、爆弾とかであったらここに置いておく事自体が危険だ。
ここが廃棄都市と呼ばれるからには、廃棄都市になったなりの理由という物があるのだ。爆弾が落とされたという話は聞いていないが可能性がないとも言えない。
こんな物のために作業が中断するのは馬鹿らしくも思えたが、数多くの犯罪がこのミッドチルダで起こっている。
その中には都市を吹き飛ばすような危険な物が持ち込まれたとか、世界があと一歩で滅ぶところだったなんて事も決して少なくはないのだ。
次元世界で最も魔法文化が発展しているこのミッドチルダであるが、同時にもっとも危険な犯罪の温床にもなりえているのが実情である。
だからこそ困ってしまう。このカプセルに対してどう対応すればいいのか。
「とりあえずよ。管理局に連絡したほうがいいんじゃないか?」
そう言った男に作業員たちは皆「なるほど」と首を縦に振った。訳の分からない物は管理局に届ければいい。
向こうが適当に処分してくれるだろう。だったら任せてしまえばいい。その場に居る全員がそんな軽い気持ちだった。
だが彼らは何も知らなかったのだ。そのカプセルが世界に破滅をもたらすほどの大いなる力だとは。
こうして暗闇の中から現れた遺物が管理局に届けられ、これから始まる事件の根幹となりフェイトたちの運命を嘲笑うかのように翻弄していくのだ。
今で闇に葬られた抗う事の許されぬ罪。そして受けなければならない罰と言う名の宿命その物。
JS事件の発生から1年が過ぎた夏の日。後に時空管理局壊滅の日と呼ばれる事件が今動き出そうとしていた。
午前8時30分。
フェイトの運転する車が管理局へと向けて高速道路を疾走していた。
先程ヴィヴィオを学校に送り届け、今乗っているのは運転手であるフェイトと助手席に座るなのは。
「ねぇフェイトちゃん」
「ん?」
なのはの呼びかけに前に視線を向けたままフェイトが答える。その横顔を見つめながらなのはは、今朝の事を思い出していた。
やはり気になってしまうのだ。夢の中で彼女に何があったのか? 何故あれほどまでに辛そうな顔をしていたのか?
「今朝どうしたの?」
「なのはは鉄人28号って知ってる?」
「てつじん?」
自身の予想は全く異なる回答になのはは頭を傾けてしまう。一体この人は何を言ってるのか?
だが当の本人は至って真面目な表情で聞いているように見えた。ならばこれが私の知りたい事の回答なのかとますますなのはの頭は困惑して。
「知らないけど…夢に関わる事?」
「そうだよ。夢で私は鉄人と一緒に戦ってるんだ。でも私が上手く使えないから負けてしまうんだ」
一体何の事を言っているのか? もしかしたら誤魔化されているのか?
しかしフェイトの顔は嘘をついているようには見えなかった。ただ悲しみを湛えているようで、夢であってもフェイトにとっては辛く苦しい時だったのだろう。
なのはは、鉄人が何であるか知りたくなると同時に、より一層フェイトの夢の内容が気になって聞いてみた。
「鉄人ってどんな風なのかな?」
「良く分からない。だけど真っ赤な目で私を見つめてくるんだ。それがなんでか寂そうで、悲しかった。まるで昔の……」
なのはは確信した。ああ、この人は昔の自分を見たのだと。
初めて出会ったあの日。幼い少女が深紅の瞳に映していたのは寂しさと孤独の色。それが悲しくて、自分の事のように心がとっても痛くって、だから救いたくて、何度も何度も名前を呼んだんだ。
お別れする時になってやっと名前を呼び返してくれた。その時の事は鮮明に覚えている。
――だって私達が友達になった日だから。
「でも隣に私が居るよ」
フェイトはその一言でなのはに向き直った。なのはの表情は夢で見た笑顔そのまま。それは嬉しけど夢で彼女を失った感覚までも呼び醒ましてしまう。
だけど目を放す事が出来ない。だってそれはフェイトが何よりも望んでいる物だから。
「寂しくなったら隣を見て、必ず私が居るから。そして名前を呼んで、私は必ず答えるから」
きっとなのははそうしてくれる。だけど確かめたくなってしまうのは何故だろう?
でもいくら考えても答えなんか出ない。だから実際に確かめてみるしかないのだ。
「なのは」
「フェイトちゃん」
笑顔を向けて答えるなのは。それを見てフェイトは確信した。
――私はなのはが大好きなんだ。
あの夢がどうしょうもなく悲しかったのは、なのはが居なくなってしまったから。
鉄人の瞳に映し見ていたのは自分の感情。あれは自分自身なのだ。全ては夢。ただの空想で幻で現実には起こり得ない事。
フェイトはそう自分に言い聞かせた。だってもしもあれが夢でないのならそれは……。
「フェイトちゃん。側に居るから大丈夫だよ」
この笑顔を失うという事だから。
午前9時30分 時空管理局地上本部。その格納庫に一隻の密入国船が一隻停泊していた。
今朝方発見されたもので大型の貨物船のようである。
なのはを送り届けたフェイトは、スカリエッティの手掛かりを僅かでも手に入れるためにここを訪れたのであった。
スカリエッティの痕跡は依然として掴めず、この船がスカリエッティが乗って来た物かどうかも分からない。
もしかしたら、そんな淡い期待を抱いてフェイトは貨物船の内部へと進んで行く。
その船体に見合った大きさの船室は全体的に小奇麗で、既に捜査官数名が乗船しておりそこで調査を行っていた。
彼らもフェイト同様にスカリエッティの捜索を担当する捜査官であり、この1ヶ月フェイトは彼らと顔を合わせる機会が多かった。
既に顔馴染みとなった捜査官らはフェイトを認めると軽く手を振る。
フェイトも微笑みを浮かべてそれに答えると捜査官の一人がフェイトに近寄り一言発した。
「ご苦労様です。あらかた調べましたが特にスカリエッティにつながる物は……」
「そうですか……」
落胆の色を見せるフェイトを気の毒に思ったのか、別の捜査官がフェイトに声をかける。
「格納庫、まだ見てないですよ。よかったら一緒に」
その言葉にフェイトは頷き、捜査官数人と格納庫へと移動する事に。
フェイト達が一度外へ出ると金属が擦れ、軋むような音が違法船の停留所に響いていた。どうやら船内の制御室で捜査官の一人が格納庫を開けてくれたようだ。
やがてフェイトが貨物船の格納庫前にたどり着いた時には、人一人が入れる大きさまでに扉が開かれており、フェイトは中途もせずに中へと入る。
格納庫の中は、まだ扉が完全に開いていない事も手伝ってか、薄暗く埃臭い。そしてその様相は、さながら規格外の車庫と言った様子で、巨大な船体の大部分を格納庫による空洞が占めていた。
大型の船体から考えてもそれは異常なほど広く、一体何が入っているのかと思いフェイトが奥へと進むも目立った物はない。
あえて言うならば、巨大で真新しい布切れであろうか、幅だけでもフェイトの身体を覆えそうに広く、縦の長さに関しては数十メートルはある。
それが天井から垂れ下がっていたり、足元には床が見えぬほどに散らばっていたり。
「これは一体……」
スカリエッティとは何も繋がりもないだろう布切れ。だがフェイトはこれを無視出来ないでいた。
この異様な空洞、そこを支配する空気から感じる匂いは狂気。それがまるでこの中に眠っていたようで。
フェイトの脳裏を過ぎるあの夢。そして大事な人を失うあの瞬間。
何故かはわからない。何故かはわからないがあの夢が現実を侵食していくような心地悪さがフェイトを支配していった。
自分は何を考えているんだろう、あれは夢の中の出来事だ。フェイトは自分に言い聞かせるが、どれだけそう思ってもそれを思い浮かべずにはいられない。
夢だと分かっている。あんな物は存在しないのだ。
「あの」
「はい?」
だけど気になって捜査官の一人に声を掛けた。
ひょっとしたら男性ならば知っているのではないかという淡い期待を込めて。
「鉄人28号ってロボットを知ってますか?」
高町なのはの自宅。時刻は午後7時。
結局フェイトは、この日もスカリエッティの手掛かりを掴む事は出来なかった。
だがそれよりもフェイトが気に掛かっているのは鉄人28号について。結局、昼間鉄人の事を聞いた捜査官は何も知らなかったのだ。
フェイトが1時間前に帰ってから調べているのは、スカリエッティの行方ではなく鉄人について。
もしかしたら小さいころに見たアニメか何かかもしれないと思い、地球とミッドチルダそれぞれ居た頃に放送されていた番組を調べてみるもそれらしい物は見当たらない。
一体鉄人とは何なのか。何故こんなにも鉄人の事が意識から離れないのだろう。
フェイトの思考がループへと陥り抜け出せなくなっていると食卓の方から救いの声が聞こえた。
「フェイトちゃんご飯出来たよ!」
「出来たよ!」
声を差し伸べてくれたのは、なのはとヴィヴィオ。
今は素直に、この声に縋ろう。そして思考の迷路から抜け出し、なのはの作ってくれた食事を楽しもう。
フェイトが書斎から食卓へ行ってみれば、テーブルに並べられているのは大きなハンバーグが3つ。
今にも破裂しそうなほど肉汁を溜めこんだそれは、見ているだけでフェイトの食欲をそそった。
「うわー美味しそうだね」
「ヴィヴィオも手伝ったんだよねー」
「うん! フェイトママのはヴィヴィオが作ったの!」
よく見れば自分がいつも付く椅子の前に置かれているハンバークの形はかなりいびつだった。
だけど一生懸命作っていた様子を思えば、不格好さがかえって愛しく思えてくる。
「上手だね。ヴィヴィオが作ったのいちばん美味しそうだよ」
「私が作ったのはイマイチなの?」
そう言ったなのはの不満げな表情にしまったといった様子を見せるフェイト。
「えっと…なのはが作ったの凄く美味しそうだよ! 食べてみたいなぁ」
「ヴィヴィオの作ったのは食べたくないの?」
今度はヴィヴィオが泣きそうな顔をして上目使いに見上げてくる。
ここまで来たらもはやフェイトはパニック状態で、どうしたらいいのか分からずに目尻には涙が浮かび始めていた。
その様子を見たなのはがさすがにからかい過ぎたかと思い、声を掛ける。
「ほらほら冷めないうちに食べよ」
「食べよ!」
「二人ともいじめないでよぉ」
恨めしそうなフェイトの表情は、なのはの目にはむしろ愛らしく映り、やはりいたずら心をくすぐるのであった。
しかしこれ以上やって本気で泣かれても困る。今は家族3人で夕食を食べよう。
ひょっとしたらこれが3人で囲める最後の食卓かもしれないのだから。
なのは自身そういう仕事である事は覚悟してきたが今回は状況が状況だ。
もし脱走したスカリエッティとの本格的な戦闘になればフェイトもなのはも駆り出される。
そうすれば前回は勝ったが今回も同じようにはいかないかもしれない。だからせめてこうして娘や親友と過ごせる時間を大切にしよう。
悔いは尽きないがそれでも走馬灯を見るのならば幸せな記憶で満ちる様に。
「それじゃあいただきます」
「いただきまーす」
笑顔を浮かべるフェイトとヴィヴィオを見つめながら何故かは分からないがこの時なのははある予感がしていた。
自分はきっと。
「はい召し上がれ」
きっと二人を残して死ぬだろうと。
その頃ミッドチルダのある和風居酒屋にて。
「こんな時間にごめんなさいね、はやてさん」
「いえ最近は暇してますから」
座敷に腰掛けている女性が二人。一人はリンディ・ハラオウン。もう一人は元機動六課部隊長である八神はやてだ。
向い合せに座り、営業スマイルのような笑顔を向けるリンディに、こちらは正座をしながら硬い微笑みを浮かべるはやて。
はやては居酒屋にリンディと二人で居るこの状況に些かの戸惑いを覚えていた。
もちろんリンディとは面識がある、しかしそれでも親友の母親であり優秀な指揮官であるという面が強く、このような場所で二人で会う間柄とは言いにくい。
少なくとも杯を交わし合い、日ごろの愚痴を言い合う様な仲でない事は確実である。
はやて自身邪推とは思いつつも、当然この呼び出しには裏があるのだろうと想像せざるおえないのであった。
「あの」
「いらっしゃいませ。ご注文は」
何があるのかとはやてが戦々恐々として口を開いてみれば、それを遮る様に店員が声を掛けてきた。
いや、これが彼の仕事なのだから仕方がない。仕方がないのだが、それでもタイミングという物があるだろう。
そんな風に思っていれば向かいに座るリンディが笑顔で口を開いた。
「まだ決まっていないので後で注文します」
「かしこまりました」
そう言って店員はお冷だけ置いて別の客が居る座敷へと去っていった。
リンディとの緊迫した状況に渇きを訴える喉を潤そうと、はやてがお冷を口に運ぼうとした瞬間。
「はやてさん」
「は、はい」
リンディの呼びかけに、はやては慌ててお冷の入ったコップを座卓の上に戻すと両膝に手を置いた。
「実はお願いがあって呼んだの」
急に笑みの消えたリンディの表情に、はやてはますます身体を強張らせた。
一体何を言われるのだろうか。少なくともこの表情、良い知らせとは思えない。
もったいぶったように口を開こうとしないリンディ。その様子にどんどん事態を最悪の方向へと想定し直すはやて。
そんなはやての不安など気にも留めずにリンディは話し始めた。
「もうすぐ世界が滅ぶわ。はやてさん止めてもらえないかしら?」
「世界が? 滅ぶ?」
この人は何を言っているのだろう。唐突に世界が滅ぶと言われてもどう答えればいいか。
もったいぶったかと思えば今度がさらっと世界滅亡を口にしたリンディに、はやてが取れる態度と言えば、困惑と呆然のいずれかしかなく。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味よ」
聞き返しても返ってくる答えはやはり取り留めのない物で、より一層はやてを混乱させるのに一役買ってしまった。
しかしリンディの顔は至極真剣といった様子で、一見突拍子もない世界が滅ぶという言葉をはやての中で信用足る物に変えていく。
「あの…リンディさん何が起こるんですか?」
そうだ。何が起こるのか分からなければ戦えない。そもそも誰が相手なのか? どうすれば世界を救えるのか?
リンディの言葉が本当だとするならば、世界が滅ぶと言うならば、自分一人で何が出来るのだろうか。
1年前に起こったJS事件でそれに近い経験はしたかもしれない。だがあれは犯罪であって世界の存亡とはまた次元の違う問題だ。
はやてにとってリンディの世界が滅ぶという言葉はあまりに曖昧で、それにスケールが大きすぎて理解出来ない。
言葉が持つ意味の租借に苦闘するはやてに、リンディは表情を崩さずに話し始めた。
「それはまだ言えないの。だけど世界は確実に崩壊へと向かっているわ。
だからもう一度、もう一度あなたの六課を使わせてほしいの」
理由を断固口にしようとしないリンディにさすがのはやても不信感は隠せない。
重大な事をリンディが隠しているのは確かだ。それも世界が滅ぶかもしれない秘密を。
いくらリンディに闇の書事件の恩があると言え、理由も分からずに命を掛けるのはまっぴらごめんだ。
例え親友の母親でもそんな事を二つ返事で引き受けられるほど、はやてもお人好しではない。
「理由も分からず命はかけられません。
何を隠しているんですか?」
はやての言い分はもっともだった。詳細も知らされずに命を掛けるなど愚行に等しい。
リンディもはやての言い分はよく分かる、分かるのだが理由を言う事は出来ないのである。
それを知る事がはやてのこれからの人生を闇で染め上げてしまう事にもなりかねないのだから。
だけど世界を守らればならない。そう葬らねばならない物がある。
「それは……」
「リンディさん!」
世界を守るために少女一人を犠牲にするのは安いかもしれない。だがそれでは10年前の再現ではないか。
そう、はやて自身が犠牲になり解決しようとした闇の書事件。あんな惨劇を二度も繰り返すなど許される事なのだろうか。
それが……少女を犠牲にする事が私に課せられた罪なのだとしたら、私はどんな罰を受けるのか。
いや既に罰は受けている。これ以上ないほど罰を。
言ってしまえればどれほど楽にだろうか。どれほど心安らぐのだろうか。
「そうね、確かに。でもね、あなたを『こちら側』の人間にはしたくないのよ」
「こちら側?」
はやては分からない。この人の言葉は私には理解出来ない。
何が罪で何が罰なのか、リンディ・ハラオウンはどんなパンドラの箱を開けてしまったのだろうか。
リンディの言う『こちら側』とは一体どういう意味なのだろうか。
しかし執念にも似たリンディの言葉にはやては知りたくなっていた。リンディの言葉の意味がなんであるかを。
リンディにとっての『こちら側』つまりはやてにとっての『向こうの世界』の世界がどうなっているのかを。
「分かりました。お引き受けします。
でもいつか、いつか全てを話してください」
「ええ、時が来たら必ず……必ず話しますから」
結局はやては真実を知る事は出来なかった。
だがしばらくの後はやてはリンディから思いもよらぬ真実を聞かされる事になる。
それが全次元世界を破滅へ導く全人類の存亡を賭けた戦いの引き金になろうとは、この時のはやてには想像も出来なかった。
午後20時。高町家は既に夕食を終え、ヴィヴィオがテレビにかじり付いている中、なのはとフェイトは夕食の後片付けをしていた。
二人が食器を洗いながら話すのはヴィヴィオ作成のハンバーグの話題でもちきりである。
「ヴィヴィオのハンバーグ美味しかったよ」
「まぁ味付けは私なんだけどね」
そんななのはの言葉にフェイトは苦笑いを受けべる。まぁその通りなのだがはっきり言ってしまうのは寂しい様な気もする。
折角ヴィヴィオが作ってくれたのだからもう少し褒めてあげてもいんじゃないだろうか?
「でもちゃんとふっくらしてたからヴィヴィオの腕がいいんだよ。味付けだけじゃあんなに美味しくならないよ」
だからヴィヴィオの名誉を保つためにも後見人としてしっかり母親に意見しなくては。
ヴィヴィオのこね方がよかったからこそ味付けが最大限に生かされたのだと。
いかにヴィヴィオのハンバーグが素晴らしかったか熱弁をふるうフェイトになのははやや頬を膨らませていた。
「フェイトちゃんヴィヴィオばっかり」
「そうかな?」
「私だってフェイトちゃんの事考えてご飯作ってるんだよ。栄養のバランスとか考えて」
フェイトは少し怒ったなのはが何となく面白かった。
六課の頃もJS事件後は別の仕事で忙しくなり同室と言っても一緒に過ごす時間が多かったとは言えない。
それに食事は給仕の人が用意しくれた物を食べていたから片付けもトレイを下げるぐらいな物だった。
こうして食器を洗いながらなのはと他愛のない話をする時間はフェイトにとって懐かしさを感じさせていた。
なのはと過ごす日常は本当に久しぶりだから、こんな皿洗いの時間でも嬉しく思えてしまう。
「分かってるよ。なのはにも感謝してる」
「うん」
今度は微笑みを浮かべるなのはに愛しさを感じていた。
一番最初の親友で、世界で一番大好きな親友。何が起こってもこの笑顔だけは守り抜いてみせる。
フェイトはそう誓ってなのはに微笑み返した。
――ピリリリ。
それも束の間。かすかに鳴り響いたのは、なのはの携帯電話のコール音。
なのははエプロンで手を拭くと自身の携帯の置いてある寝室へと走りだした。
寝室へ入るとベッドの上で着信を主張し続けるそれを手に取り、通話ボタンを押す。
「はい、高町です。はいはい……今からですか?」
一方皿を洗い続けるフェイトはなのはの会話の内容が少し気になって聞き耳を立てていた。
あまり良くは聞こえないがどうやら緊急の呼び出しらしい。
だがなのはに呼び出しが掛かるとは余程の緊急事態なのか? となれば当然危険度の高い任務だろう。
フェイトは皿を洗う手を止め、なのはの言葉に聞き入っていた。
「分かりました。すぐに向かいます」
フェイトにとってあまり聞きたい言葉であった。かなり厄介な事になっているらしいのは想像に難しくない。
蛇口から流れる水を止めるとフェイトは寝室へと歩き出した。
中を覗くと教導隊の制服に着替えるなのはの姿。その表情は先程見せた笑顔とは違う軍人としての高町なのはだった。
あらかた着替え終わるとフェイトの視線に気が付いたのか申し訳なさそうな表情を浮かべて。
「ごめん。緊急の呼び出し掛かっちゃった。悪いだけどヴィヴィオ見ててくれる?」
「どういう状況?」
「よく分からない。ただ高ランクの人達が何人も墜ちたって……」
その言葉で思い出すのは、なのはが墜ちたあの日の事。
あんな風になのはの苦しむ姿を見るぐらいなら、この身を引き裂かれた方がどれだけ良かっただろう。
だから今度は一緒に行きたい。高ランクが何人か落ちているなら自分にもいずれ声が掛かるだろう。どうせ行くならばなのはを守れる方がいい。
それにスカリエッティとの関与も気になる。
「私も行くよ。ヴィヴィオは、悪いけどアイナさんに見てもらおう」
「……分かった。じゃあアイナさんが来るまでヴィヴィオお願いね」
「うん」
あいにく高町家で家政婦をしているアイナはこの日休みを取っていた。フェイトとしても本当ならなのはと一緒に行きたいがヴィヴィオを放ってはおけないだろう。
とにかくなのはの事も心配だが、アイナが来るまではヴィヴィオの傍に居なければなるまい。
そんな事を考えている間にもなのはは準備を終え、玄関へと歩き出していた。
フェイトもその後を追う。
「じゃああとお願い」
「気を付けて」
慌てた様子で玄関を飛び出していったなのは。その様子を見届けるフェイト。
勢いよく締められたドアを見つながら妙な胸騒ぎがするのをフェイトは止める事が出来ない。
悪い事が起きる気がする。何故かはわからなかったがフェイトが思い出すのは今朝見た夢の事。
フェイトの中であの血のような紅い色をした瞳が見つめてくるのだ。そう、まるで自分と同じような瞳の色をしたあの鉄の巨人が。
その眼に宿っているのは夢で見た寂しさや儚さではない。殺戮と破壊を思わせる狂気の赤。
何度振り払おうとしても、その視線がこちらを見つめる事をやめてくれようとはしない。
「アイナさんに電話しないと」
フェイトはこれ以上夢の事を考えたくなくて携帯を取り出しアイナへと電話を掛けた。
午後22時 ミッドチルダ首都中央部。
「第1小隊。配置につきました」
『了解。敵を目視確認した後、排除行動に移れ』
いつもは美しい夜景を見せてくれる都市中心部は本局から派遣された武装局員達の存在によって物々しい雰囲気となっていた。
派遣されたのはエース級と呼ばれるAAランク以上の魔導師ばかり。
地上でこれほど戦力が展開される事は稀であり、恐らくは1年前のJS事件以来の事ではないだろうか。
召集を受けた高町なのはは第3小隊を任され、後方のビル陰から双眼鏡を使い様子を伺っていた。
今回の作戦で出動した小隊は4人1組で計6小隊。まずは偵察隊として第1小隊を送り、彼らが敵を確認次第、全小隊で奇襲による集中砲火を掛ける。
この作戦になのは自身、強い緊張感を感じていた。その理由は高ランクが墜とされたと言うのに敵の情報全くない事である。
最初に敵発見の通信を入れたのは、哨戒任務中の地上本部魔導師小隊だったらしいのだが、その報告後通信が取れなくなった。
不審に思った地上本部は、その後も通信があったポイントに部隊を投入し続けたが、いずれも現場到着直後に通信が途絶えてしまっている。
そして地上本部から本局に支援要請が入り、なのはに白羽の矢が立ったと言うわけである。
『敵と思われる物体を目視で確認! なんだありゃ10mはあるぞ!』
突如入る先遣隊からの通信。隊員は畏怖の感情に支配されているようで、その声は上ずり気味であった。
それを皮切りに先遣隊からの通信が続々と押し寄せてくる。
『いやもっとだ。もっとでかい!』
『こっちへ来るぞ! うわぁぁぁぁぁ!!』
断末魔の様な悲鳴を最後に先遣隊からの通信は途絶えた。各小隊は臨戦体制を整え、先遣隊から通信があった場所へ急ぐ。
「レイジングハート! エクシードモード!」
そう叫んだなのはの身体が桃色の光に包み込まれ、数瞬後に弾けて姿を現したのは戦闘形態エクシードモード。
なのはが持つ形態の中でも最大の出力と装甲を兼ね備えたエクシード。それを使うという事は全力全開の証。
恐らく先遣隊はやられたのだろう。だから省エネ形態であるアグレッサーモードの勝てる相手ではないとなのははそう判断したのだ。
「第3小隊出撃! 敵を殲滅するよ!」
『了解!』
なのははレイジングハートで敵の居る方向を指し示すと最大出力で飛行を開始した。
桃色の軌跡を伴い、音速に迫まろうかという速度で空を切る小隊長に、第3小隊員もぴったりと追従している。
直線速度では高機動魔導師にさえ匹敵するなのはに付いてくる辺り、彼等もエース級である事は想像に難しくなかった。
他の小隊も、それぞれが異った魔力光を発して高層ビルの隙間を彩りながら敵が待つ場所まで高速で駆け抜ける。
やがて全ての小隊は同じ場所にたどり着いた。そこは高層ビル群が立ち並ぶ中でも特に開けた空間で、中隊規模で動いても戦いやすそうである。
だがその風景と比べて他と比べても明らかに異質な物であった。規則的に大きく陥没している道路に砕かれたビルの壁。そしてその壁や道路の陥没の中にべっとりと付いた赤い何か。
それが先遣隊のなれの果てであろうとは、誰も想像したくないだろう。だがこれがなのは達に突き付けられた事実なのだ。
本局から送られた精鋭部隊に走るのは恐怖、絶望、戦慄、そして逃れようのない絶対的力量差。
「これは一体……ん?」
そう呟くなのはの耳に音が入り込んでくる。何かが駆動するような音、そう油圧パイプが動くような。
次に聞こえてくるのは何かが砕かれるような音。アスファルトが砕けているのだろうか? それらの音が一定のリズムを保って紡がれる。
徐々に近づいてくる音に、その場に居る全員が同じ事を考えていた。恐らくこれは敵が出す音だと。ビルの陰に隠れて姿は見えないがこれこそが敵なのだろう。
音はどんどん大きくなり耳を覆いたくなるほどだ。しかしなのは達が見つめるビルの向こう側に奴は居る。
敵の姿がどんなに強大でも目を逸らすな! 敵がどれほど恐ろしい音を立てようとも耳を塞ぐな!
全神経を集中して敵を感じろ! 奴が姿を現した瞬間、一斉射撃だ! なのはを含めた小隊員全員がそう思っていた。
もうすぐ、もうすぐ、ビルの陰から顔を出す。仲間の仇だ! 誰であろうと倒してみせる!
彼らはそう誓ったはずだった。はずだったのどうだろう。誰一人として動かない、いや動けないのだ。
何故ならビルの谷間からその巨体を見せた敵の姿は、彼らの乏しい想像力など遥か彼方に超越するほど強大で。
「ガオォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
彼らが想像したよりも遥かに恐ろしい咆哮を上げたからだ。
「ママ……」
なのはが緊急招集されてから実に1時間、彼女の娘であるヴィヴィオは涙ながらにフェイトに縋りついていた。
そう、幼いながらもヴィヴィオはこの異様な状況に不安感を覚えていたのだ。
フェイト自身ヴィヴィオに付いていたい気持ちはあったが、とにかくなのはが心配でたまらない。
それにそろそろアイナが来てくれるはずだ。折角の休暇、しかもこんな時間に呼び出すのは気が引けたがそうも言っていられない。
とりあえずアイナならヴィヴィオを安心して預ける事が出来る。フェイトはヴィヴィオを宥めながら腕にはめた時計にちらちらと目をやる。
「ママ……ママ」
「傍にいるよ、大丈夫」
嘘だ。今から遠くへ行ってしまう。でもとにかく今は泣き止んでもらわないと。
なのはは無事だろうか。もしもの事があればこの子はどうなるだろう。いや自分はどうなってしまうだろうか。
あの夢、私と同じ色の瞳で見つめ続けてくる彼。どれほど振り払おうとしても彼の視線が揺らぐ事はない。
真っ直ぐに見つめて投げ掛けてくる感情は存在の意義、存在の定義、存在の肯定と否定、孤独、悲しみ、生まれた意味。
兵器として代用品として生み出された者に生きる価値はあるのか? それはフェイトが長年悩み続けてきた事。
どれほど考えても答えなど出ない。出したつもりでも結局悩み、迷ってしまう。
そうだ、なのはを失えば拠り所を失くしてしまう。そうなればきっと。
――私は壊れるだろう。
フェイトはヴィヴィオを抱き締める腕に力を込める。お願いだから泣かないでよ。泣きたいのはこっちなんだから。
なのはを喪失してしまう可能性、それはフェイトにとって最大の恐怖であり、自己の存在意義を失う事でもある。
フェイトと言う人間は危うい。その心はちょっとした事で砕けてしまう。そしてバラバラになった破片を繋ぎ合わせる事は容易ではない。
だからヴィヴィオの背中を撫でているのは自己防衛のため。幼い我が子を守るふりをして自分に言い聞かせているのだ。
なのはは大丈夫。なのはは死なない。なのはを失うなんてありえない。なのはは笑顔で帰ってくる。
帰って来たら眩しいぐらいの笑顔で自分を抱き締めてくれる。私に美味しいご飯を作ってくれる。
寝る前には笑顔で「おやすみ」を言ってくれて、朝起きて隣を見たら「おはよう」と言って笑顔をくれる。
「なのはママ帰ってくる?」
小さな身体を抱き締めながらフェイトは思う。帰って来ないなんて嫌だ。なのはを失う未来なんてこの手で壊してみせる。
高町なのはを失う事が運命ならばそれさえも壊す力を、なのはを傷つけるならば例え相手がなんであろうと敵だ。
フェイトと言う人間は危うい。なのはを守るためならば世界を敵に回しても戦い続けるだろう。
そして望むだろう。世界を敵に回しても勝利を得る事が出来る絶対的な力を。
思い浮かべるのは夢の中で手に入れたあの力、フェイトが望む力の理想像、いかなる敵をも叩き砕く無敵の鋼鉄兵士。
だがそれは夢想でしかない、なら今この手にある力を信じる以外ないのだ。10年以上の歳月を掛けて磨き上げた魔法という名の技術。
フェイトは縋るヴィヴィオを離してその小さい肩に手を置いた。
「よく聞いてヴィヴィオ、なのはママは私が助ける。だからヴィヴィオはアイナさんとお留守番してて。
私はなのはママを迎えに行ってくるからここで待ってて欲しいんだ」
「本当?」
ヴィヴィオの表情に僅かばかりの光明が差すとフェイトは柔らかい髪の感触を確かめながらその頭を撫でた。
「うん本当だよ。フェイトママはね、強いんだから」
「知ってる」
「なら、お留守番しててくれる?」
フェイトの言葉にヴィヴィオは涙を拭いながら力強く頷いた。やはり血は繋がっていなくてもなのはの子なんだ。
きっと強くて立派な女性になる。なのはのような不屈の心を持った魔導師に。
フェイトが未来のヴィヴィオに想いを馳せれば、玄関から響くチャイム音。
この時間に訪ねてくる人物は1人しか居ない。念のためフェイトがドアを開けて確認するとそこには待望の人の姿が。
「ごめんなさい、遅くなってしまって」
「アイナさん。いえ、こっちこそ急なお願いで。じゃあヴィヴィオお願いします」
フェイトはアイナを招き入れるとその足で寝室へ向かった。
そしてロッカーに掛けられている執務官の制服に手早く着えるとポケットから愛用のデバイスを取り出し、触れる様な口付けをする。
「バルディッシュ、なのはを守る力を私に」
フェイトは口付けしたままバルディッシュに囁きかけた。
22時30分 ミッドチルダ首都中央部。
時空管理局地上本部と高層ビルが立ち並ぶミッドチルダの中央部。
その中でもひときわ高いビルの上から下界を見下ろすのは、八神はやてと守護騎士ヴォルケンリッターが将シグナムにオールラウンダーのヴィータ。
彼女たちの視線の先に広がる光景は惨たんたる有様であった。
「なんだよこれ…廃墟じゃねぇか」
そう口にしたヴィータに他の二人も同意せざるおえない。先程までは照明から眩いばかりの光を放っていたであろうビル群。
だが今その輝かしい明かりは消え果て、どこまでも広がる瓦礫から突き出している鉄骨は、まるでこの街に対する墓標のようにも見えた。
つい数時間前には凛々しくそびえるビルであったろう瓦礫の山々に、半壊して内部構造を痛々しげに晒しているビルも複数見られる。
滅多な事では壊れない鉄筋コンクリートの壁は砕かれたり剥がされていたり、途方もない質量を支えるために生み出された鉄骨もどうやったらこう出来るのか、まるで溶けたようにぐにゃりと折り曲げられている。
こんな事を出来る人間が居るのか。もしこの場になのはクラスの砲撃魔導師が大勢居れば、或いは出来るかもしれない。
だが独力でこれほどの事が出来る者は居るはずもなく、たとえ居てもそれは人間ではないだろう。
「そう、こんな事が出来る人間、居るわけがない……まさかこれがリンディさんの言っとった」
『はやて聞こえるか?』
突然はやての言に割り込むように入る通信。それはフェイトの兄であるクロノ・ハラオウンからであった。
予期せぬ相手からの連絡に、はやては目を丸くしていた。
「クロノ君! どうしてクロノ君が?」
『ああ、今回母さんから君達のバックアップを頼まれてな。だが少ないな』
クロノが差すのは今回のメンバー。はやて自身いきなり六課のメンバーを集めろと言われても出来るはずもなく、自身の守護騎士であるヴォルケンズを伴ってきたという訳である。
「せやな。本当ならなのはちゃんとフェイトちゃんだけでも確保しよう思ったんやけど捉まらんのや」
『知らないのか? フェイトはともかくなのははそこの前線に出ているはずだ』
「なんやて!?」
そんな事聞いていない。出動前の報告では本局からの武装隊は、既に壊滅寸前との事だ。もしかしてなのはは……。
はやての脳裏をどす黒い空想が支配していく。それは血塗れになりがら息絶えたなのはの姿だった。
なのはは自分やヴォルケンズを助けてくれた親友の一人だ。そんな親友の変わり果てた姿など見たくはない。
「はやてぇ!」
はやての思案に突如入りこんで来た聞き覚えのある声。
振り返り見てみれば、上空から黄金色の魔力を伴って見知った顔が高速で近付いてくる。
「フェイトちゃん!?」
フェイトはその言葉が自身の耳届くと同時に、はやて達の待つビルへと降り立った。
何故ここにはやて達が居るのか? フェイトにとっては当然の疑問である。
彼女は娘ながらリンディから今回の作戦を聞かされてはいない。はやて自身フェイトには当然話が行っているものと思っていたから自分達を見て驚く理由が分からないのだ。
はやてはリンディからの頼み事に改めてきな臭い物を感じていたが、引き受けた以上は仕方があるまい。
いずれ全てを話すと約束したのだ。今はそれを信じるより他にないだろう。
「どうしてみんながここに?」
「説明は後や。それより」
はやては眼下に広がる光景を見るよう視線でフェイトに促す。
ゆっくりと視線を落としてみれば広がっているのは一面の廃墟。つい数時間前通ったばかりの光景とはまるで違っていた。
いつも通る風景の変わり果てた様子にフェイト自身驚愕する以外なかった。
「これは……どうして、どうしてこんな事に」
「聞いてへんの?」
「何を?」
やはり聞かされていないのか。しかし何故リンディはフェイトに話していないのだろう。
クロノには話が行っているようだし、リンディはフェイトに話したくなかったのか?
妙な勘繰りかもしれないが、自分がフェイトを指名するのは目に見えていたはず。なのになぜ事前に話が通ってないのか。
「はやて何の事!」
何も言わないはやてに苛立ちを覚えたのか、フェイトは乱暴にはやての肩を掴んだ。
バリアジャケット越しでも力強さを感じるとは相当強い力で掴んでいるのだろう。
そしてフェイトの視線。普段は優しさしか見せないそれは狂気とも取れる感情を孕んでいるようだった。
「答えてはやて! 何でこうなったか知ってるの!? なのははどこ!?」
そう、全てはなのはのため。ここで何が起こったのか、なのははどこへ行ったのか、その答えを知るのは、はやてだ。
なら自分は知らなければならない。問い詰めてでも何が起きているのか言わせねばならない。
フェイトの思わぬ剣幕にたじろぐはやてだったが、リンディがフェイトに今回の件を言わなかった以上何か理由があると考えていた。
フェイト・T・ハラオウンという人間に対して、はやては全幅の信頼を置いている、だがリンディはどうなのだろう?
実の子でないと言え、深い愛情を注いでいた事は周知の事実だ。それに執務官としてのフェイトにも信頼を寄せているはず。
ならどうして、どうしてリンディはフェイトに何も告げないのか?
「いやそれは……」
リンディの行動が理解出来ないはやては言葉に詰まり俯いてしまった。
その様子に普段温厚なフェイトも声を荒げる。
「はやて!」
――ドオォォォ!!
するとフェイトの問い掛けに被さるように突如響きわたる爆音と粉塵の嵐。その瞬間、辛うじて原型を留めるビル陰から桃色の閃光を帯びた人影が飛び出した。
フェイト達は見覚えのある光を目で追う。そして光を脱ぎ捨てる様にして現れた白いバリアジャケットの姿に確信した。
「なのはぁ!!」
咆哮にも似た呼び掛け。聞き覚えのある声に驚いたなのはがその方向を見やるとそこには見覚えのある姿が4つ。
間違いない、いや間違える筈がないその姿。
「フェイトちゃん! それに……」
みんな自分を助けに来てくれたのだろう。
だがそう思った瞬間なのはは気が付いた。そうだ来てはいけない。なぜなら今ここに居るのは。
「逃げてぇぇぇぇぇ!!」
なのはの叫び、その刹那響く轟音。なのはの後方にあるビルが噴煙を上げながら、積み木細工を蹴散らすように崩れ去ったのだ。
そして残留する土煙に浮かび上がる黄色い光源が二つ。その光になのはが戦慄を覚えた次の瞬間、一帯を覆う煙は爆音を伴った暴風によって吹き飛ばされたのだ。
「ガオォォォォォ!!」
廃墟と化した都市部に響き渡る咆哮。雄々しく吠えたその姿にフェイトが、いやその場に居る全員が感じたのは逃れようのない恐怖。
粉塵を切り裂き現れたのは、身の丈20mに迫ろうかという大巨人。全身には薄汚れた包帯を巻き、魔導師の攻撃で引火したのか、垂れ下がる端々には篝火のように炎が灯っている。
そしてその姿は、身に宿る癒えぬ古傷を隠さんとするように見えたのだ。まるでそれその物が大きな傷跡であるかのように。
剛腕と形容するのが相応しい力強く巨大な腕に、大地を踏みしめる脚部はその地鳴りを響かせる重量を支えるのに十分な大きさがある。
それに伴った巨躯はまるで神話に出てくる神のように威厳に溢れ、そして怪物のような禍々しい威圧感を併せ持っていた。
顔に巻かれた包帯より覗かせる黄色い眼光は鋭く、目の前に居るなのは達へと向けられている。
だがそれでも高町なのはは退こうとはしなかった! 恐怖の感情はあったがそれよりも今は、かけがえのない友を守る事の方が大事だった!
「私の大切な友達を!」
だから立ちはだかる物を撃ち抜く! それが自分の出来る事、これが自分の最大火力! 今までこの砲撃に。
「傷つけさせなんかしない!!」
撃ち貫けなかった物などない!!
「行くよレイジングハート!」
『了解マスター』
そう、これこそが高町なのはの全力全開にして、神さえも撃ち倒すと言う名を与えられた究極の砲撃魔法!
そしてその名を!
――カートリッジ全弾ロード!
その名を!
――チャージ完了! 発射準備!
その名を!
――射線軸固定。照準ロック!
その名を!
――これが私の……。
その名を!
――全力全開!!
その名を!
「ディバイィィィィィィンバスタァァァァァァァァァ!!」
レイジングハートから放たれた桃色の光流が巨人目掛けて突き進む。突然の攻撃に巨人は身動きを取る事も出来ない。
なのはが持ち得る最大火力の砲撃は巨人の腹部に直撃し、辺り一面を桜色の光で包み込んだ。
「ブレイク! シュゥゥゥトォォォ!!」
なのはの咆哮が轟くと同時に、眩い閃光が巨人を覆ったかと思いきや突如起こる大爆発。それは凄まじい爆流となり憎き敵を覆いつくした。
巨人の全身を内包するほどに巨大な爆発が現すのは砲撃手の完全勝利。ビルの壁でさえ貫くこの砲撃に撃ち倒せぬ物はない!
誰もが思う。なのはの本領をぶつけられては無事で済むまい。今巨人を包む爆炎が晴れる頃には、彼が神さえ倒す砲撃に屈した姿を見る事になるだろう。
「やったんか?」
はやては晴れない煙を見つめ続ける。どうやら敵が動く気配はない。
カートリッジ7発ロードのディバインバスター。やはりその砲撃は巨人の身体を粉砕するには十分すぎる程の威力があったようだ。
ゆっくりと爆風が天へと舞い上がる様子に、なのははホッと一息付いてからフェイト達の居るビルへと飛翔する。
「フェイトちゃ~ん! みんな!」
遠目から見ても心配そうな様子を浮かべている4人に、なのはは笑顔で手を大きく振り、自分の無事をフェイト達に知らせた。
「なのは!」
それを見るやフェイトは最高速度で飛び出し、なのはに辿り着くや否や、その華奢な身体を力強く抱き締める。
「無事でよかったぁ……よかった」
そう言ってフェイトが嗚咽を漏らし始めるとなのはは笑みを浮かべ、フェイトの身体を抱き寄せた。
ひょっとしたらもう感じる事が出来ないかもしれないと思ったなのはの温かさにフェイトの安堵はますます強くなる。
なのはが家を出てからどれほどこの瞬間を待ち望んだろう。また抱き締め合えるこの瞬間がフェイトにはどんな事よりも嬉しかった。
なのは自身も最近感じていたフェイトやヴィヴィオよりも先立ってしまう不安をこの時だけは拭う事が出来た。
どうやら自分が死ぬのは今ではないらしい。まだヴィヴィオやフェイトと笑い合って過ごせる、そう思うとなのはは堪らなく嬉しくなって目尻に涙が浮かべていた。
「私は無事だよ。でも他の人達は……」
だが同時に思うのは散っていった仲間たち。皆果敢に巨人と戦ったがなのは以外の全員が殺されてしまった。
ディバインバスターを撃てていれば全滅はなかったのかもしれない。
そうは思っても砲撃は足を止めなければ撃てない。あの巨人にそんな隙を見せれば瞬く間に殺されていただろう。
実際先程の砲撃も友達を守りたいがためのやけくそであり、それが直撃した事も、そもそも撃つ事が出来たのが奇跡に近かった。
「なのはが悪いんじゃないよ。とにかく無事でよかった」
落ち込むなのはを何とか励まそうとフェイトは微笑みかける。そうしたフェイトの気遣いは嬉しいが、それでもなのはは責任感を拭い切れずにいた。
だがそれも束の間、後方から地響きのような音が聞こえた。なのはとフェイトは音のする方へ振り向く。
視線の先にあるのは、今だ砲撃の爆風が停滞している巨人の亡骸があるべき場所。そしてまた聞こえる地響き。
「これは……」
フェイトが呟くとなのははハッとした。この音は間違いなく。
「巨人だ」
そう、爆炎を振り払い現れたのは包帯姿の巨人であった。その悠然と歩く姿からはこれと言ってダメージを受けているようには見えなかった。
だが、所詮布でしかない包帯はディバインバスターの直撃を受けて吹き飛んだようで、隠されていた腹の部分を露わにしていた。
そこから覗くのは非常に彩度の低い青色の肌。もはや金属本来の色と言ってもいいほど鈍くて、色合いの薄い青である。
不気味な色合いの皮膚に一同は困惑する。相手の正体は何なのか? 果たして生き物なのか? それともそれ以外の何かなのか?
皆が思案している中、はやては冷静に巨人の肌を見る。視線の先にはディバインバスター直撃の跡。
よく目を凝らして見るが、そこにあるべき物がない。あれだけの攻撃を受ければどんな物でも必ず付く筈の物。
その結果を突き付けられて、はやての額には汗が滲み出してくる。はやての様子に心配なったヴィータが声を掛けると。
「はやてどうしたんだ」
「なんて奴や。傷一つ付いてないなんて」
そう言われてヴィータは巨人の腹に視線を送る。そこには綺麗な光沢こそあれど傷らしい物は一切見られなかった。
まさかなのはの砲撃を、その直撃を受けて傷一つ付かない物質など、この世に存在するのだろか?
分厚い鉄筋コンクリートでさえ撃ち抜いてしまうなのはの砲撃で無傷。それもカードリッジを7発もロードした超超威力砲撃。
もはやこれは常識で考えられる範疇を超えた相手なのだとはやては確信した。リンディの世界が滅ぶという言葉、あながち嘘ではないらしい。
そして相手の様子をじっと観察していたフェイトは、敵の正体に気が付いて叫び声を上げる。
「あれは……そうか鉄だ! 鉄で出来た巨人だ!」
フェイトの言葉になのはも叫んだ。
「じゃああれは鉄巨人!」
いいや違う! 鉄で出来た巨人でも鉄巨人などでは断じてない!
分からぬというなら見せようこの姿! とくと焼き付けろこの身体! 全力全開の砲撃魔法に耐えたこのボディー!
神をも倒す? 笑わせる! ならこの身体は神をも超えし物なのか?
あるいはそうか? それも違う! これを操る者こそ全知全能絶対無敵の神となりえるのだ!!
鉄巨人は自らの身体に纏った包帯を掴んでそれを取り払った。
そして現れたのは全身が鉄で出来た鋼鉄の兵士! それが勝利する事のみを目的とした完全なる兵器、鉄人!
「ガオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
――鉄人28号!!
そうこれが私フェイト・テスタロッサ・ハラオウンと後に鉄人28号と呼ばれる正太郎との出会い。
それは、JS事件から1年が過ぎた夏の日の事でした
続く。